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朝礼

前書きは短くて良いと考える。君らと私とで悩み考える。ただそれだけである。

 まず問おう。

 君らは絶望への憧れという矛盾しているような表現に付いてこれるだろうか?

 この問いに全くの共感を示すことが出来なかった凡人さんはここで読むことを中断することを推奨するよ。ちなみに凡人さんというのは皮肉さ。私は私が誰よりも非凡でありたいという理想から君らにつけたニックネームだ。つまるところ私もまた凡人なのだ。しかし、ここでは私は非凡でありという体をとらせてもらう。中二病だとでもさげすんでくれ。

 さあ本題だ。

 私は遠回りな表現が大嫌いだ。簡潔に申そう。君らは思想家かい?小難しく考えなくて良い。

 はい/いいえ

 この二択だ。

 先に「いいえ」と答えた君ら。

とてもつまらないよ。うん、軽蔑するほどにね。

 お次に「はい」と答えた君ら。

少しばかり私と君らで悩もうじゃないか。

この辺で君らをふるいに掛けるのは終わりにしよう。

 私の処女作であるこの作品は、朝礼、一時間目、二時間目...そして、帰りの会という構成で進んでいく。何時間授業が行われるかはまだ未定だ。この「朝礼」を最後まで読んでくれた君らと「帰りの会」を迎えることが出来れば幸いだ。

 さあ非凡の君ら。授業内容が見えてこないと興味は持てないだろう。本来であれば一時間目まで隠しておきたいところだが朝礼に参加してくれた君らに一時間目の題名を示そう。

 一時間目は「自我」だ。

 ありきたりですまない。私自身もそう感じているほどよくあるテーマだ。言い訳のしようも無い。しかし少しばかり助太刀するとすれば、「思想家」においては適しているだろう。それと題名についても少し触れよう。本作品のタイトルは「絶望への憧れ」であるが、まあこんなもんはただの飾りである。そうだなあ、本当に適したタイトルをつけるとすれば「哲学」等という馴染みのあるものにするべきなのかもしれない。しかし私は非凡。君らも分かるだろう?「哲学」という言葉からは「凡人」が滲み出ているという感覚が。それを避けたらこのタイトルになったというわけだ。そして本タイトルからも凡人が滲み出ていたらそれも謝ろう。すまない。

 朝の会はもう終いだ。最後に伝えなければいけないことがある。

 朝の会から帰りの会、それら全てに参加し理解した君らはどちらかと言えば絶望に近づくことなるだろう。案ずることはない。絶望へ憧れている君らには有意義であることをここに保証しよう。

 丁寧に締めくくろう。では一時間目でまたお会いしましょう。






一時間目でまた。

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