生協破壊神ぶぅちゃん
5月も終わりかけの土曜日、十度寝してお昼過ぎごろ起きたぶぅは、駅前タリーズで腹ごしらえをして、課題をひとつ済ませて、うんちんを呼び出した。
「お疲れぶぅちゃんだな」
向かいに席を占めるや、その週どの学生にも大なり小なり目にしていた顔色と同じものを見て取ったうんちんである。
「今日は電車にも乗りたくないきぶん」
「しばらく祝日ないし、休みの日は休まないとな」
「ぶぇぇん、バイトめんどくしえぇぇ」
だいたい日曜はバイトが入っていた。4月から溜め込んできたものがドッと出てくる時期だし、ぶぅは連休中に弾丸で帰省してもいた。
「で、今日はどうする?」
「散歩しよ。買物もしたい、冷蔵庫からっぽだし」
おなかまわりが気になりだして、ぶぅは少しずつ自炊を意識するようになっていた。授業にサークルにバイトに忙しくて土曜夜くらいだけど、その意識を持っただけぶぅには進歩だ。うんちんと会ったら一緒に散歩するようにもなっていた。
「じゃあ神社にでも行くか」
「そうしよう!」
テーブルに突っ伏していたぶぅ、跳ね起きてアイス豆乳ラテを飲み干したのだった。
べつだん信心深い家柄ではないんだけど、二人とも神社には縁がある。「顔を見せておくといいことがある」と言われていたこともあって、おじいちゃんおばあちゃんの家へ行くとまず氏神様のところへお参りしていた。
「ちとせあめ、おいしかったなあ」
「あとベビーカステラな」
「なつかしい〜!」
お盆休みにはその夏祭りに行っていたし、初詣もそこへ行っていた。なにがなくても神社の境内でよく遊んでいたんだ。
「すぐ近くだぞ、あのへん」
「へえ、結構近いところにあったんだ」
「こっち側あんまり来ないもんな」
駅から自宅マンションとは反対にある高台へ向かっていると、団地や保育園にまぎれて鎮守の森がこんもり見えてくる。
「おれもあそこは最初のころ行ったきりだな」
「え、いつもどこにお参りしてるの?」
「あの麓らへん──」
指差したのはなだらかな丘陵の続くあたり、ずいぶん遠い。
「わたしもそこ行きたい」
「ぶぅにはまだ早いな」
「なんで!」
「まあ今度つれてってやるよ」
「コンドとオバケは出ないんだよ──」
ブツブツ口をとがらせて境内へ通ずる階段に差し掛かるぶぅ、途中からブウブウ息を切らし始める。
「運動ブゥ足だねえ」
「いける!」
散歩が趣味のうんちん一段飛ばしですいすい行く。かたやぶぅは手すりで体を引き上げながら一歩一歩と踏みしめる。
「ついた……」
ようやく鳥居をくぐったときは太ももが震えていた。杉の木立に囲まれた空はほんのり夕焼けの色味がかっている。
「ほれ鳴らせ鳴らせ」
ちょろちょろ流れる手水場に寄ってから、うんちんの隣に立ってガランガランと一帯に響かせたら、どこかからカラスがバサバサ飛び立った。
「よろしくおねがいします」
二人そろって二礼二拍手一礼をした。
「ぶぅ」
「どこ?」
「こっちこっち」
先に本殿から下がってタバコを吸っていたうんちんに呼ばれ、砂利を踏みふみ近づいてみたら、奥まったところに大きな石像が建っていた。190cm以上あるうんちんよりまだ大きな、稲穂と根菜を両手いっぱいに抱えた神像だ。
「保食神だとさ」
「ここの神さま?」
「そうらしい、前はこんなの立ってなかったのになあ」
そばに新しめの石板があって、由緒が刻まれている。保食神は「宇気母智大神」とも書く五穀豊穣の神様で、稲作が盛んだったこのあたりで300年ほど前に祀られたのが始まりという。
「江戸末期の飢饉では村民がこぞって祈りを捧げ、──へえ、ふうん──」
ぼそぼそ読み上げながら感心するうんちんの横で、ぶぅは目を輝かせていた。
「わたし、うけもちのかみになる」
おばあちゃんゆずりの料理好きで、特に和食を作るのも食べるのも好きな、食文化を勉強しに上京してきた自分にこそふさわしい氏神様だと、確信していたのだ。
「そうだな」
にやにや煙を吐くうんちん、自分の行きつけの神社に祀られているのは道真公で、学芸の神様だ。そっちを氏神様と勝手に見なして通い始めたのも、そんな心持ちだった。
「じゃあコープ行くか、ちょっと遠いけど」
「いく!」
保食神のご加護を得て、ぶぅはどこまでも歩ける気がしていた。そこで徒歩30分かかるコープまで買物に行くことに決めた。鳥居で振り返りお辞儀する二人を、ほほえむ女神が見送った。
駅に戻って通り過ぎて、住宅街をしばらく南下していると、飲食店の入った雑居ビルの一階に見えてくる。初老のご夫婦が切り盛りしている天井低めのこじんまりしたところ、ぶぅには初めてのお店だ。ぶらぶら着いたときはまあまあの混み具合だった。
「ぶりかまがある!」
「煮付けにするかねえ」
あちこち物色して、パンの棚にいたときだ。
「──」
ふとぶぅが早足で歩いていった。うんちん気にせずチョココロネをカゴに入れようとしたら、すぐに行った方と反対側から戻ってくる。
「なにか買い忘れあるか?」
「え、ううん」
なにも持っていない。なんだか操られているような挙動だし、妙に無表情だし、うんちんふしぎに思うも、
「……!」
「なに」
つれてきた風が遅れてふわりと漂い、世界が止まった。まさかと鼻をスンスンするまに、たちまち止まった世界が茶色に染まっていく。
「くっさ──」
「ねえ!」
イッツァファート、それはおならです。
「ハッ、やばい、まじでやばい、こでは、ハアッ」
「ねぇええ!」
窒素と酸素がまるまるスカトールとインドールに、つまりウンチ臭に置換されてしまったみたいで、どれだけ吸っても肺が満たされない。喉の奥がすっぱい。視界がにじんできた。鼻はもげたかビリビリ痺れている。
「い、いぎがでぎねえ」
「ねえええ!」
「ぐぜえ……!」
ぶぅは顔じゅうまっかっか、トマトよりもマグロよりも牛ひき肉よりも赤い。そのくせ匂いはニラというかなんだか青みが感じられるのはどうしてだろう、とはうんちん回想の談だ。
「ごれもうウンゴ出でるだろ」
「出てない!」
声をあらん限りに押し殺すぶぅ、
「帰ろ! はやく!」
「や、なまもの、あでゅ──」
出口へ早足で駆けていくぶぅ、うんちん涙目ぎしぎしまばたきしながらレジへと向かう。
「……」
そこで気づいた。店内から買物客がすっかり消えているのだ。かなり混んでいたのに、後から入ってくる人もまあまあいたのに、一人もいない。
「いらっしゃいませ」
「ずびばぜん──」
奥さんがレジに立っていた。ご主人はお酒コーナーで品出しをしている。なんとか平静を装いながら、万感の込もった挨拶をこぼしてしまった。
「…………」
外に出たぶぅは、ガラス張りの店内でうんちんがレジにいるのを見て、店前で待っていた。まっかな顔でうつむきがちに、真一文字に結んだ唇をときどきモゴモゴ、
「ぶぅちゃんは小学生になってもおねしょしちゃうのねえ、グフフ」
「──!」
うんちんに怪談を聞いた翌朝、バツとしてうんちんがぶぅの敷布団やら毛布やら洗って干すのを縁側に立ってじっと見守っていた、あの8歳のお正月のように──
帰り道、ぶぅはだらりと下げた両腕をぶらぶら、荷物を持つうんちんのちょっと後ろから、ゾンビみたいによろよろ歩いていた。うんちん思い出し笑いが止まらない。
「我慢できなかったんだもん……」
「まあしょうがないことだけど、でもなんで一回消えて、また戻ってきたんだ」
「いきなりいなくなったら悪いなって思ったの!」
「外に出てりゃよかったのに」
「だってうんちん携帯もってないし……」
「たしかに、またあんなクサイの嗅がされるくらいなら──」
「ねえ!」
うんちんは携帯電話を外出するとき持ち歩かない。いわく「重い」そうだ。ぶぅの荷物はいつも持ってくれるのに、変な人である。
「今ごろ『ウンチが落ちてる店』とか書き込まれてるかもな。もしかしたらそのせいでつぶれちゃうかも」
「アアア」
うめきながら、夜道でもまだまだ赤い顔を両手で覆った、かと思えば頭をまるごと抱えたり髪をわしゃわしゃ掻きむしった。
「最近うんこ出てるか?」
「出てない……あんまり……便秘ぎみ……」
「やっぱり食生活の乱れかねえ」
「あの店もう二度と行けない……」
「ブフッ」
まさかこんな小さな体に全国規模の組合の一店舗を壊滅させかねない威力が宿っているなんて、とうんちんまたもや吹き出した。
「これじゃあ保食神どころか破壊神だな」
「いいよ別に……」
「まあ破壊の後には創造があるもんだしな」
とぼとぼ歩くぶぅ、うんちんは昇りつつある月に向かって高らかに笑った。
結局それ以来、ぶぅは一度もその店舗へ行けなかった。うんちんは散歩がてらたまに足を伸ばした。変わらず繁盛していて、ご夫婦もてきぱきお元気そうだった。
次の春が来て、また次の春が巡るころ、うんちん宅にハガキが届いた。送り主は因縁あるその店舗だ。
「長らくご愛顧いただき誠にありがとうございました」
閉店のお知らせだった。迷惑をかけたからと心ばかり出資して、組合員になっていたのである。
「フッ──」
鼻の奥がムズムズして息が漏れる。
「ついに破壊神になれたな」
「うれしくない!」
写真に撮りバイト中のぶぅへ一言添えて送ったら、鬼の絵文字つきの返信が届いた。そのころぶぅはもう開き直っていて、
「どっちもたべたあい」
「どっちかにしな」
「みせつぶすぞ」
「──すみません、これと、これ、ひとつずつください」
うんちんとデパ地下なんかに行って、おいしそうなスイーツを前にして迷いに迷ったとき、最後の切り札として囁くようになっていた。その一言が出たらお手上げのうんちん、視界がじんわり黄色く染まるのを感じながら、財布を開くのだった。