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半地下バッタ

 ぶぅの新居は、うんちん宅から徒歩5分の学生マンションだ。都心にある大学から少し遠いけど、十年以上うんちんがナワバリにする街だからって、ぶぅのパパが決めたんだ。


「この道たまに通るけど、ここ学生マンションだったんだなあ」


 ぶぅ上京の夜、荷物持ちのうんちんもついてきた。普段よく散歩する閑静な住宅街の一角にあって、立派な六階建てだ。


「カードキーのオートロックってホテルかよ、エッこの宅配ボックス電子パッド付きか、ひええ監視カメラまであるう」


 前日に外まわりだけは偵察しに来ていた。エントランスにキャリイングバッグを置いては興奮ぎみに目を見張っている。


「おなかすいたよお……」


 一方のぶぅは長旅疲れでそれどころじゃない。東京駅でさんざん食べ散らかしては新宿駅でワッフルまで平らげたのに、関東名物の帰宅ラッシュに揉まれて体力は底をついていた。


「まだ食うのか……コンビニでも行くか?」

「もう一歩も歩きたくない……」

「じゃあこれ食って、今日は早く寝な」


 うんちん自分の夜食用にとお持ち帰りしたワッフルを渡す。


「えっ帰るの?」

「帰るよ、おれも疲れた。ベッド組み立てるのは明日でいいかね」

「いいよ」


 引越し荷物とネット注文していたベッドは、午前中に管理会社が代わりに受け取って部屋に入れてくれていた。こういうところが学生マンションはうれしい。


「じゃあな」

「明日9時!」

「わかったわかった」


 ぶぅとしてはオリエンテーションが始まるまでに手回り品や日用品など揃えておきたい。うんちん四月からの準備があってあんまり暇じゃないんだけど、まだ土地勘がなくてお店もわからないだろうし、ついて行ってあげることにした。


「入学式にはそっち行くから、そのとき会おうな」

「了解です。水鉄砲は持ってこないでくださいよマジで」

「ダッハッハ!」


 実は最寄駅に着いたとき、ぶぅの携帯にぶぅパパから電話がかかってきたんだ。ぶぅパパはうんちんにとって、ぶぅにとってのうんちんのように、小さいころ休みのたび遊んでくれていた人だ。いっそう渋くなった声で「よろしく」と頼まれたら一肌脱ぐしかない。


 うんちん自宅に帰るやいなや、いやいや後回しにしていた教材作りに取りかかった。ぶぅはシャワーも浴びずマットレスに倒れこんで、大いびきだった。寂しさ心細さなんて感じるひまないほど疲れきっていた。


 翌朝うんちんは9時きっかりにやってきた。エントランスで部屋番号を入力してピンポンして、カメラに変顔をして待つ。


「──プッ」


 入口は2階でぶぅの部屋は1階、もちろんエレベータもあるけど階段を使う。ワンフロア12部屋、階段口に給水器あり、各部屋の鍵は暗証番号式、やけに柔らかい床材はウレタンかしら、とキョロキョロ廊下を歩く姿は監視カメラには確実に不審者である。


「おはようございやす……」

「暗ッ」


 103号室のドアを開けたら、ワンピースのよそおいでコンタクトを付けておめかし完了のぶぅが待っていた。まだ居室の電灯がないから玄関の照明しか点いていない。


「IHふた口か。冷蔵庫もレンジも、新品かこれ? いいねえ」


 入ってすぐキッチン、右手には洗濯機があって奥にバストイレとドレッサー、直進すると8畳の居室という間取りの1Kだ。備え付けの家電などうんちん物珍しげに眺めまわす一方、ぶぅは暗い室内に立ちすくんだまま、


「さいあく……」

「なんだ、オバケでも出たか」

「ううん……」

「というかなんでこんな暗いんだ、カーテンも備え付けだっけ」

「や、買わないとだけど……」

「え」


 外は春うららの快晴なのに、とふしぎに思ったうんちん室内に踏み込んで愕然とした。


「まじかよ──」


 窓から見えるのは壁、一面コンクリート打ちっぱなしの壁だ。ベランダなんて名ばかり底辺と斜辺の長い直角三角形みたいな形で、物干し竿を取り付ければそれでおしまいってほど奥行きがない。104号室につづく方なんて窓から腕も伸ばせないくらいだ。その上方の隅に、三角に切り取られた小さな青空がある。


「カーテンいらないかも……」


 マンション自体がだらだら坂の終わる曲がり角に建つ立地で、101号室から104号室まではその坂の横っ腹に面している。要するに日当たり劣悪の、ほぼ地下なのだ。


「え、なにかいる」

「バッタだな」


 雲間から注ぐ一筋の日差しを「天使の階段」と呼ぶけれど、それみたいな光線が今まさに三角からベランダに落ちている。そのわずかな日溜まりの中で、ぶぅの拳ほどある大きなショウリョウバッタが日向ぼっこをしていた。


「これ洗濯物乾くかね、雨降ったら終わりだろうし」

「ぶぇぇぇん……?」


 二人で外に出て、ベランダ側に回ってみた。柵の向こうのちょっとした雑草の茂みの端に、子供でも通り抜けられないほど狭い三角が開いていて、103号室のベランダがわずかに見える。


「行こ。アーいいお天気!」

「こんなの欠陥住宅だろ……」


 ぶぅがやけっぱちに歩きだして、うんちんぶつぶつ後を追う。春の太陽がのどかに照っていた。


 最寄駅はそこそこ栄えていて、駅向こうにイオンがある。そこでまず電灯、それから掃除用具に台所用品、トイレットペーパーやら水まわり品も手に入れた。


「家賃いくらだっけ」

「こみこみで6万2千円、共益費が高いんだよね」

「それでも安い方だな、日当たりのおかげだろうけど」

「たぶん。上の階は8万とかだったもん」


 ひとまず物干し竿も、洗剤やハンガーや脱衣カゴといっしょに買った。キッチンまわりの雑貨や調味料を揃えていたらうんちんの腰がきしみだしたので、いったん荷物を置きに帰宅して、またお昼を食べに駅前へ、


「収納が多いっていいよな」

「そこも決め手だったんす」

「洗濯機もレンジもあるし、バストイレ別だしシャワー付きドレッサーもあるし、すごいな学生マンションって」

「日当たり以外はねえ……」

「なんかゴーリキーの『どん底』みたいだな」

「えっ──」

「ポケモンじゃないぞ」

「……」


 そのまま電車に乗って家具屋へ行った。一応カーテンは買って、テーブルとカーペットとカラーボックスは翌日配送にしてもらった。


「ベランダのこと、何も言われなかったのか」

「うん、ホームページの写真も違う部屋っぽい」

「よくある手口だな。もうちょっと早かったら、おれが代わりに見に来たんだけどなあ」


 契約したのも、うんちんがぶぅの新居を知らされたのも、つい四日前のことだった。


「うんちんちは、日当たりいい?」

「三階建ての三階で二面採光だから、嫌になるほどいいな」

「いいなあ」

「築30年のワンルームでユニットバスだし、絶対そっちの方がいいって」

「たしかにユニットバスはやだ……」

「そのぶん家賃は安いけど」

「いくら?」

「四万五千だっけ六千だっけ」

「へえ安うい」

「最初なんか裏があるのかって思ったけどな、安すぎるし」

「うら?」


 まぶしい夕日の差し込む帰りの電車で、うんちん声をひそめる。


「事故物件ってやつよ」

「エ」

「でも学生マンションなんて恨みつらみの吹きだまりだろうし、全部で70部屋もあったら、ひと部屋ぐらいそんなのがあったっておかしくなさそうだなあ」

「……」

「ところで昨日の夜、なにか変なことなかったか」

「ねえ」

「天井に髪の毛みたいな黒いモヤモヤがゾワァって──」

「ねえ!」

「シッ」


 昔よく怪談を語っていたときと調子そっくりのうんちん、怖がりぶぅちゃん溜まらず叫び、周囲の注目を浴びてしまった次第である。


 夜、うんちんはベッドを組み立てた。ぶぅはお持ち帰りのチーズ豚丼を食べた。


「入館料なんて取られたのか、敷金礼金じゃなくて?」

「別。返ってこないって」

「悪どい商売だな」

「だから、もう引っ越したいなんて言えないんだよね……」

「まあ日当たり以外は問題ないし、なんとかなるか」

「ウン」


 後になって、その見込みの甘さを嫌ほど味わうことになる。ボクが今うんちん宅に居候しているのも、元を辿ればそこに原因がある。思い出すだに身の毛のよだつこともあった。日当たりって大事なのだ。


「で、どこが『ちゃんと測ってきた』んだよ」

「…………」


 ベッドができたらカーテンを取り付けにかかる。窓枠より15センチは丈が長くて、このままだと開け閉てするたび床のホコリを撒きあげてしまう。家具屋で自信満々にタテヨコセンチを読み上げていたぶぅは、出来たてのベッドではやばや寝息を立てていた。


「ハア……」


 ため息まじりにカードキーを手にして外へ、自宅へ裁縫道具を取りにいく。往復10分あまり、オートロックをカードキーで開け、「忘れちゃいそうだから」と教わった暗証番号で玄関ドアを開けても、依然ぶぅは夢の中だった。


「マッタク、ぶぅちゃんだねえ」


 腕の中でつぶれているボクを見て、うんちんフッと笑う。縁側で昼寝するぶぅに亡くなったおばあちゃんがニコニコこぼしていた、それと同じ目だった。


 独居生活が長いからか、うんちんは家事が得意だ。裾を折ってまつり縫いくらいは朝飯前で、手際よく待針を刺していく。


「……」


 こつこつ針を運んでいたら、ふと窓の外に鮮やかな色を認めた。あのショウリョウバッタが、朝と同じところに同じ姿勢のまま、まだいた。手を休めつつぼうっと眺めていたら、青々しい体がぴくっと揺れた。


「あいつ、もしかして、あの三角の穴から落ちてきたのかな。どうにか地上に戻ろうと、この絶壁を飛び越えてやろうと、ずっと力を溜めているんじゃないか」


 折り畳んだ後ろ足でしっかとコンクリートに踏ん張っていて、今まさに飛ぼうとしているような様子に、そんなことを思いついていた。


「ウン」


 まだほんのり新居のにおいがするがらんどうに響いて、びっくり振り返る。スウスウ半開きの口が、パクッと閉じた。


「マッタクぶぅちゃんめ」


 うんちんまたフフッとして、いそいそ手もとのまつり縫いに戻った。


 日付が変わるころ、やっとカーテンを二枚とも取り付け終わった。ふと見たら、バッタはどこにもいなかった。ぶぅはやっぱり夢の中にいた。



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