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「リディアなの?」
なぜこんな馬鹿げた質問をするのか、自分でもわからなかった。
目の前にいる女とリディアは姿があまりにも違うのに。
「……」
質問されると、女はさっきと同じ感情のない表情に戻り、僕に背を向けて立ち去ろうとする。
僕は彼女の肩をつかんで止めようとするが、ひらりとかわされ、部屋の窓口から、飛び下りられてしまう。
僕も遅れて、飛び下り、辺りを探し回るけど、結局見つけることができなかった。
家に帰り、リディアの寝室に忍び込むと、彼女はぐっすりと眠っていた。
その姿は普通の人間と同じで、黒い翼などは生えていない。
本当に彼女に聞くのか? 君は使い魔なのって聞くのか?
もしかしたら間違いで、疑ったことで、相手を傷つけることになるかもしれないのに。
それにもし本当だったら、どうする?
彼女が使い魔だったら、その事実を僕は受け入れられることができるのか?
しばらく悩んだ末、僕は彼女に何も聞かないことにした。
怖かったのだ。聞くことで、僕と彼女の関係が大きく変わっていくことに……。
僕はその後、3時間ほど睡眠をとると、リディアと朝食を食べた。
「今日はいい天気だね。森林浴するには、ちょうどいい」
食事中、リディアが小屋の窓から外を見て、嬉しそうな顔をする。
その穏やかな様子はいつも通りの彼女だ。
僕はそれを見て、ほっとしてしまう。
昨日人を殺した人間がこんな顔できるはずがない。
やっぱり、どうかしてた。彼女が使い魔だと疑うなんて。
僕は気が抜けたように、足をのばすと、こう言った。
「リディア、森林浴本当好きだよね。3日に一回はしてるし」
「私の数少ない楽しみの一つだよ。広大な自然を感じると、心が洗われて、自分が自分であることを一瞬忘れることができるんだ」
自分が自分であること? 意味深な発言に僕はごくりとつばを飲み込んだ。
まさかそれって……いや違う、そういう意味じゃないはずだ。
「そ、そうなんだ。それはいいね」
僕のぎこちない返しに、リディアは眉を吊り上げ、それから薄い笑みを浮かべた。
その笑みは何かを悟ったようで、少し悲しげに見えた。
「さすがに、いつも通りの日常を続けるのも無理があるか」
「えっ?」
「私はいつもどおり振る舞おうと思った。でも君はもう、私の言葉で、ひどく動揺してしまうほど、私のことを疑っている。だからもう無理なんだね」
ひどく心がざわついた。
そんな、まさか、本当に。
「ずっと隠してたけどね、私使い魔なんだ。たくさん人を殺した使い魔なんだ」
「……!!」
その言葉に僕はかつてないショックを受けた。
僕は机を強く叩いて、叫ぶようにいった。
「信じない! 信じたくないよそんなこと! 君は優しくて、善意の塊みたいな人間で、他人を傷つけることなんてできなくて……」
「嘘だと思いたいんだね。わかった、じゃあ証拠を見せるよ。 “変身”」
リディアが椅子から立ち上がりそう唱えると、まばゆい光が部屋全体に走った。
なんだこれは! まぶしくて。何も見えない!
しばらく困惑していると、光が突如消え、視界がまたクリーンになる。
そして、僕の瞳がそれを捉えると。僕は思わず椅子から転げ落ちた。
3時間ほど前に会った、あの使い魔が姿を表したのだ。
「これで私が使い魔だと理解してくれた?」
お互いに席に座り直すと、使い魔の姿でない彼女が真面目な口調でそう言った。
“変身”ともう一度唱えると、元の姿に戻ったのだ。
「残念だけど、そうするしかないみたいだね」
僕が沈んだ声で、そう言うと、リディアはごめんね黙っててと、申し訳無さそうな顔をした。
今までのリディアとの穏やかな日常が、遠い過去のできごとのように思えてきた。
できることなら、何も知らないままでいたかった。
でももう過去には戻れないから、現実をちゃんと知って、受け止めていくしかない。
「リディアはたくさんの人を殺してきたの?」
言いづらそうに、僕が切り出すと、リディアはわずかな沈黙の後。
「うん」
と悲しそうに笑って、答えた
なんていうことだ。その重すぎる事実にもはや言葉は見つからなかった。
リディアがぽつりとつぶやいた。
「自分自身も殺せればよかったのにね」
「えつ……」
「毎日、思ってた。また誰かを殺すなら、その前に死んでしまいたいって」
「そんなことを思ってたのかい……」
自虐的な笑みを浮かべるリディアは痛々しかった。
僕はそんな彼女を見ていたくなくて、彼女にこう言った。
「止めろよ、死ぬなんて。君が死んだら、俺が悲しい」
「安心してよ。実際に死のうとしても、死ねないから私。魔女がそう願ったからね」
「どういうことだい?」
「私という存在、使い魔は魔女の命と生贄に、彼女の願望を叶えるために生み出されたの。願望の内容は人類をなるべく苦しめてから、滅ぼすことで、使い魔は主人の意に反する行動はとれない。そういう縛りがかかっているから」
「じゃあその縛りのせいで……」
「うん。殺したくなくても、殺さないといけないし。死にたくても死んだら、全員殺せなくなるから、死ねないんだよ」
リディアが声を震わせ、泣き出しそうな顔をする。
なんだよそれ、ひどすぎる、それじゃあ彼女の人生はまるで生き地獄じゃないか!
「リディアはいやいや、人を殺してたんだね。 魔女のせいで、人を殺してたんだね」
「違うよカイン、私のせいだよ。どんな理由であれ、私が人を殺したんだ、この手で……。正当化なんてできないよ」
「リディア、そんな風に自分を責めないでくれ」
「無理だよ。割り切ることなんてできない。人の人生を奪っておいて、誰かのせいになんてできない……」
ダメだ。自分の意見をてこでも曲げる気がない。
そう思わせるほどの、重みが彼女の言葉にはあった。
「私は人殺しで罪人なんだ。このことを打ち明けた以上、私達は離れて暮らすべきだね。君も怖いだろ、人殺しがそばにいるなんて?」
「怖くなんてない。大丈夫だよ」
「なんでそう思えるの?」
「何があっても俺の味方だって、信じられるから。この前だってそうだっただろ? 銃で撃たれそうな俺を助けることができて、お前はほっとしてた。あれって俺のピンチにかけつけてくれたんだろ?」
リディアは、静かに首を縦に振って肯定する。
そして。しばらく沈黙すると、静かにこう言った。
「味方だと信じていても、いつか君を殺すことになるんだよ、私は……」
「例えそうなるとしても、僕は自分が安心できる場所にいたい。君のそばにいたい 前にいっただろ? 僕にとって、一番の幸せは君と一緒にいることだって」
リディアの目をまっすぐ見つめて言うと、彼女は困ったように頬をかいた。
だけど、僕の言葉が本気だと理解したのか、「わかったよ、これからも一緒にいよう」とささやかな笑みを浮かべた。。
「カイン、君は本当に良いやつだね」
「育ての親がよかったからね」
嬉しそうにリディアが言うと、僕も嬉しそうに返事をする。
重苦しい話が終わると、僕たちはいつもどおりの日常を再開した。
笑いあいながら、一緒に話をして、美味しい料理を食べた。
その時間はありふれているけど、僕にとって、宝物のような大切な時間だった。