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9月25日の夢

作者: 秋

「そろそろ会社に行こう」

と家族に言われた。


「そうやな、そろそろ会社に行こう」

「そうだね、そろそろ会社に行こう」

「そろそろ会社に行こう」

「そろそろ会社に行こう」


行きたくない、行きたくない、行きたくない…。


周りの目が、声が、反復する。反復する。

息が、苦しくなって目の前がぼんやりと暗くにじんでくる。

呆れたような目が私に向けられる。今にもため息が聞こえてきそうで…。


「…どうする?」

「おじいちゃんのところにも行ってみようか」


そう言われ、私はおじいちゃんの家に連れていかれた。


「お~、いらっしゃい」

のんびりと笑う祖父に、少し眉をしかめながらこちらを見ている祖母。

父が、隠れるようにこそこそと祖父に耳打ちした。


「あ~そうなんやね」

こくりと頷き、そしてじっとこちらを見やる。


祖父のしわがれた顔が、小さくなったきれいなアーモンドアイがこちらを見つめる。


「かい”しゃ”に行こう?」


嫌だ。行きたくない。行きたくない。行きたくない…はずなのに

行かなきゃいけない、そうだ。祖父に言われたのだ。行きたくなくても、行かなきゃいけない…?行かなきゃいけないのだ。

涙が瞳にたまっていくのを感じながら、息が詰まり胸が苦しくなっていくのを感じながら、私は決意を固めた。






そして、会社に向かうための道を歩き出した。

だんだん足が重くなって、どんどん息ができなくなって、それでも行かなきゃいけない。行かなきゃいけない。


「行きたくない…!」


心と頭がぐちゃぐちゃになって、言葉と、涙が零れ落ちた。

ぼろぼろと頬を伝うしずくをそのままにまっすぐ前を見据える。

目の前にいるのは、優しい瞳をした祖父。


「かい”しゃ”に行こう」


その言葉が、なぜかこころにこびりついて、脳みそが身体を前へと進める。

会社に…行こう、嫌だ、行きたくない、ダメだ。行かなきゃだめだ。だめなんだ、嫌、行きたくない…。


「…はぁ、はぁ、はぁ」


まるで限界まで水に潜ってから空気を吸うみたいに息をする。


「かい”しゃ”に行こう?」


こちらをみる祖父を見ることはできない、だってもう立ち上がる気力もなくなってしまったから。

行かなきゃ、行かなきゃいけない。行かなきゃいけない。行かなきゃいけない。


「はっ……い…かなきゃ…」


かすれた声で、薄い空気を必死に吸いながら声を出した。

高い草が生い茂る道を、情けなく、匍匐前進するみたいに進む。ちくちくと頬を刺す叢など気にすることすらできなかった。

「はっ、はっ、はっ、はっ…」

だんだん空気が薄くなって、視界がどんどんぼんやりと消えてくる。

薄い空気の中必死に脳をフル回転させて思考することはひとつ。







「いやぁ、それにしてもおじいちゃんの言葉に、人を従わせる力があってよかったよ」

笑う彼女の父に、微笑んで返す彼女の祖父。

「そんな大したものではないよ。「さ行」の言葉だけにしかその力を籠められないんだから…」

「なんとか効いてくれてよかったよ」

そんな会話をしながら、彼女が立ち止まるたびに声をかけつづけた。








「ほら、会社の人も来てくれたよ」

父の声に、パッと上を見上げた。

そこにいたのは、全身筋肉に包まれた、背の高い男。髪は膝上ほどまで伸びており見ただけでわかるごわごわとした髪は大きく広がっている。

口に凶悪犯がするみたいな鉄のマスクを付けて、鋭い瞳を優しく垂れさせている。


「大丈夫?」


もはや息をすることすら難しくて、荒い息遣いで返事をするように彼を見上げる。

優しく微笑んで、彼は言った。


「会社に行くよ」


ぐるぐると回る視界の中、思考する。会社に、行かなきゃ…。

弱い力で地面をつかみ、前に進む。隣に来てくれた上司はいつのまにかどんどん前に進んでいってしまった。


前に、会社に、行かなきゃいけない…。行かなきゃいけない!

地面をつかんで、腕を、足を延ばして、前へ向かう。前へ…!


いつのまにか狭い場所に来ていたようで【叢】に挟まれてしまった。

【密閉された空間】では、もはや息はできなかった。

【330秒間】息が止まったら、死んでしまう。

助けて、と声を出したいのに、空気を吸えないせいで声を出せない。

今できることは遠く前に進んでしまった上司を見つめることだけ。

腕を、のばさなきゃ…!


「あれ?--くん?」


高い叢の上から、上司の髪が垂れてくる。


「どうしたんだい?早くいかないと」


のぞき込んできた上司に最後の力を振り絞って無理矢理のように右手を伸ばした。

それでも半分ほどしか伸びなかった腕をそのままに、しかたないなぁ。とでもいうように体ごと持ちあげられた。


「はぁっ、はぁっ、はっ、はっ…!」


危ない所だった。【268秒】も息ができなかったのだ。あと少しで【330秒】に達するところだったのだ。

永遠にも感じた命のカウントダウンは、上司の手によって終わりを告げたのだ。


「じゃあ、行くよ」


そのまま私は地面を這いつくばって、前に進もうとする、否。進もうとした。

私の身体はもはや、1㎜たりとも動かすことはできなくなっていた。


「はぁ、どうしたんだい?行くよ」


そのままの体勢で視線だけ上司のほうを見やる。身体は動かなかった。

そのまま30秒ほど見つめあって、私が動かないことを知ると今度は様子を見に来た祖父がこちらを見た。


「かい”しゃ”に行くよ?」


行かなきゃ!行かなきゃ!脳はそう言っているのに、身体が動かなかった。

乾いた頬に、また涙が伝っていく。


「はっ…………、はっ……………………は…………」


2人が緩く首を振って少し右の方を見やった。

バスから二人の人が降りてきたようだった。

草を踏み、搔き分けられる足音がどんどんとこちらに近づいてくる。


「ー--ちゃん」


視界の端に映ったのは会社での友人2人だった。

ぼやけた視界では顔を判断することはできない。


「行くよ?」


優しい声とは裏腹に、私の投げ出された腕をつかみ引っ張った。


ビクッっと震えて、少し経つと、私はまた身体を無理矢理動かした。

行かなきゃ…。


もう、嫌だ。行きたく…ない!!







ー----------------------------------

「はっ…!?」

目を覚ますと、そこは実家の布団の上。

薄すぎて、もはや固い床のような感触の布団を撫で、過呼吸を起こしながら周りを確認する。


ゆ…め……?


安堵を感じながら目を伏せる。

久々に悪夢を見たのか…。


そういえば昨日薬を飲み忘れていた。

そんなことを思い出して、布団の横に置いたミルクティーで2つと3つの薬を飲んだ。

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