テッポウユリで撃ち抜いて
寄せては返すさざなみと、海鳥の歌が響き渡る海岸に、高潔な白き花はラッパのように咲き乱れる。
その静かな孤島に存在するのは、その白き花──テッポウユリの甘い香りを用いて怪しげな魔術を使う、齢の分からぬ美しき魔女の屋敷のみ。島全てが彼女の縄張りであり、島に暮らす生き物も全て彼女の支配下にあった。
島外の俗世で暮らす人間には、およそ理解できないその手法で揃えた配下はよく働き、たった一人の女主人の暮らしを直向きに支えていた。
島には何もかも揃っていた。寿命を忘れてしまった魔女が、同じく寿命を忘れてしまった配下たちに命じて作らせた品々は、どれも物言わぬ冷たい家具や芸術品ではあったが、屋敷を彩り豊かなものにしてくれた。
作物もよく育ち、庭園には季節ごとの花が咲き乱れ、誘われてきた妖精のように美しい虫たちが、愛らしいその姿を見せてくれる。
魔女の退屈しのぎに文を書く配下も複数いた。島外では読めることのない彼らの作品を、魔女は気に入っていた。
それでも、長らくどうにもならなかったことが、彼女の心に常に巣くう孤独感だった。
「目を開けなさい、ウツロ」
魔女が甘い声で告げると、ウツロは逆らうことすら考えられぬまま命令通りに目を開けた。
視界に入るのは豪華な椅子に腰掛けてこちらを見つめる魔女──女主人のアマツヒただ一人。手に持っているテッポウユリには見覚えがあった。
と、ふとウツロは怪訝に思った。
女主人のアマツヒ。目を閉じる前から彼女は果たしてそうであったか。名前は確かにアマツヒで間違いない。そこではなく、彼女との関係性に疑問が生じたのだ。
「わたし……」
不可解さにウツロが頭を抱えると、アマツヒは音もなく立ち上がり、ゆっくりと近づいていった。
目を合わせるわけでもなく、テッポウユリを片手にアマツヒはウツロを見下ろした。
「ウツロ。お前は何者?」
「わたしは……アマツヒ様の……恋人……?」
頭に浮かぶ台詞をウツロがそのまま口にすると、アマツヒはその頬に手を添えて、見上げるように促した。
ウツロの瞳にアマツヒの攻撃的なまでに端麗な顔が焼き付いた。太陽の光のごときその姿は、ウツロの思考を縛り付けた。
「そうよ。お前は私の恋人。私だけを見なさい」
百合の花を手に強く念じるアマツヒの力は、うら若きウツロの心にいともたやすく入り込む。
しかし、ウツロの中に存在する人間としての誇りあっての抵抗か、はたまた動物としての本能か、少しずつ歪められていく意識の中で、彼女はここへ来る前の情景を思い出した。
そうだ。やはり、アマツヒは自分の女主人などではない。
彼女は友人だった。島外で出会って数年かけ、親しい友人になったはずの人だった。そしていつしか絆は深まり、どちらからともなく永久の愛を誓い合う仲となっていた。
それが全て策略だったなんて、どうして気づけただろう。
恋人だったのは確かだ。恋人から家族になろうとしていたことも確かだった。
しかし、対等なはずだった。対等な家族としてここへ招かれ、二人きりで過ごすはずだった。
信頼していたはずだった。
だからこそ、アマツヒに魔法をかけるとテッポウユリを向けられた時も、ウツロは冗談としか思えなかったのだ。
けれど、そのテッポウユリは、ウツロの魂を深刻なまでに撃ち抜いてしまった。
あれからだ。認識がおかしい。
ウツロは混乱しながらアマツヒの顔を見上げた。
対等だったはずの関係が、すでに大きく歪んでいる。
気づけばアマツヒは、ウツロの全てを支配する女主人となっており、どんなに振り払おうとしても消えることのない理として、ウツロの魂に刻まれていた。
扉が少しずつ閉められていくように、これまでのウツロの意識が封じられていく。しかし、その全てが終わってしまうより先に、ウツロはどうにかアマツヒに問いかけた。
「アマツヒ様……わたしに……何をしたの……?」
そんなウツロの唇を奪い、アマツヒは耳元で囁いた。
「大丈夫よ。何もしていないわ、本当よ。お前はずっと前から此処にいた。私だけのために此処で生まれ、私だけのために此処で育った。だから、何も怖くないわ」
甘い香りと甘い声がウツロの心身に染み込んでいく。その間にウツロは、せっかく思い出せた記憶をぽろぽろ落としていった。
アマツヒに背中を撫でられると安らぎが生まれ、さざなみのような音が頭の中に響き渡る。そして、音が強まるごとに重たくなっていく身体を支えられているうちに、ウツロの心はとうとうアマツヒの思い通りになってしまった。
「大丈夫よ、ウツロ。何も心配しなくていい」
甘くて鋭いその声が、空っぽにされたウツロの心を満たしていく。対等な恋人ではなく従者として、あるいはそれにも満たない愛玩奴隷として、ウツロはアマツヒに捕まった。
その日から、孤島の魔女は孤独ではなくなった。配下とは違う愛玩奴隷の存在は、その捕獲に要した年数だけ重なった思い出には特別な感情があった。
魔法のかかったウツロはとても従順だった。アマツヒの心に秘めた数多の理想や願望を恥じらいつつも叶えてくれた。
けれど、何故だろう。不安そうな顔で命令通りに振る舞うウツロの姿を見ていると、アマツヒはふと彼女が対等であった頃に見せた屈託のない笑みを思い出してしまうのだ。
「大丈夫よ。心配はいらない」
アマツヒは従順なウツロを抱き締めながら呟いた。
テッポウユリで撃ち抜かれ、魔法のかかった彼女はもう逃げられない。
どんな事があろうと、ウツロの心身はアマツヒだけのものとなったのだ。
だからもう、孤独ではない。
寂しくなんて、ないはずだ。