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05親睦会ペスカトーレ

その発表は突然だった。


「えっ」

「えっ」


ヴォルティとリノは思わず、同時に聞き返す。

支部長のニッケルの隣に立つミランダだけは不服そうにしていた。


ヴォルティがラメール区に来てから一週間。

最近は海面も穏やかで特に問題もトラブルもなくうまくやってこれていたのだが、とヴォルティは思っている、何やら本人の意思とは別に何やら動き始めている。


この日は出勤してから直ぐニッケルに呼び止められた。

報告書に不備でもあったか、それとも何かやらかしてしまっていたか、首を傾げながらそれに応じると彼は続いてリノも呼び止めた。

リノが何かして連帯責任でも取らされるのかとも思ったが、そうではない。

その隣にはミランダがいて、ニッケルはいい笑顔でこう告げた。


「お前達3人でチームを組んでもらうぞ」


そして冒頭に至る。

何の前置きもなくニッケルはただ一言そう言った。

ヴォルティはそんな話今初めて聞いたし、同じ反応をリノもしたから知らなかっただろう。

3人、というのは間違いなくヴォルティ、リノ、ミランダのことだ。

その3人でチームを組めと、ニッケルは言っている。


「えっえっ、何でですか!?」

「新人だけで組ませるんスか?」


海底調査は3人から5人程の人数でチームを組み小隊として行動する。

以前金庫を発見したデイビッドも3人のチームだ。

ヴォルティはまだ新人の枠に入っているから色んなチームに同行させてもらい現場の経験を積んでいる。

それはリノもミランダもほぼ同じだろう。

その新人の枠の3人だけでチームを組めというのか。


「そろそろお前達も一人前として動いていい頃合いだ。経験も同じぐらいだしな、3人切磋琢磨して立派な調査員になってほしいって訳だ。勿論、俺達もサポートするぞ」


理屈は分かる。分かるが。

だらかと言って、はいそうですか分かりましたと飲めるかどうかは難しい話ではある。


「俺は嫌っスね」

「私だって嫌よ!」

「お、おい、落ち着けって。はっきり言い過ぎだぞお前」


ヴォルティとしては拒否したいのが本音だった。

リノもミランダもまあまあうるさい。

だがニッケルはこの反応を予想していたのか笑顔のままだ。


「全員が全員我が強いから最初は苦労するだろうがな、まっそういうことだから頑張れよ!」


そうニッケルは言うだけ言ってデスクに戻ってしまった。

何がそういうことなのか。

そもそも何故こうなったのか。

何も分からないまま3人は取り残された。


「ほんっと!冗談じゃないわ!」

「こっちの台詞なんだが」


分からないままだがこれは決定事項であり拒否権がないことだけは分かった。

分かりたくなかったが。


「まあまあ!決まったもんはしょうがないだろ。仕事は仕事なんだし、やるしかねーってやつだよ」

「簡単に言うわね」


ミランダはわざとらしく一度大きく溜め息をついた。

ヴォルティもそんな気分ではあるが同じことはしたくないので我慢する。

とにかく、リノの言う通りではあって決まったものはしょうがない。

と、簡単に割り切れたら楽なのだが現実はそうはいかないのだ。


「よく分からないから俺はもう行く」

「ちょっと!いきなり勝手な行動しないでよ!」


色々と面倒になってしまい、とりあえず海に出ようとしたヴォルティをミランダが止める。

慌ててリノが間に入って宥めようとしているがヴォルティもミランダも聞く耳など持たず、3人はそのまま海に出た。







「という訳だ!親睦会でもしようぜ!」


やっとこさ日報を書き終えたヴォルティとミランダに、何故か嬉しそうなリノが声掛けてきた。

親睦会。親睦会とは。


「いやいい」

「だから断るのが早いんだよお前!」


そんなものをして何になるのか。

そんなことよりいつもより日報に時間が掛かってしまって帰宅の時間が遅くなっている。

つまりはそれだけ腹が減っているのだ。

今日はいきなりのことで疲れたから一層空腹が酷い。

早く晩ごはんを食べたいというのに。


「私もいいわ。そんなのして何になるの?」


ミランダも付き合うつもりなどないようで、どうやらこの辺りは気が合うらしい。

2人から断られたリノだがへこたれてはおらず、というより断られることは想定していたようだ。


「これから嫌でも一緒にいなくちゃならないからな、飯でも食ってお互いのこと知るのも悪くないと思うんだよなー!」

「お前ご飯食べたいだけじゃないのか」


リノは少なくともヴォルティの気を引くには十分の言葉を選んでいる。

だがミランダの反応は非常に悪いものだった。


「はあ?何?3人でレーションでも食べ合おうっていうの?それの何が楽しいのよ」


心底分からない、といった表情で肩を竦めた。

こうやって言う理由をヴォルティは知っている。きっと数日前のヴォルティなら同じことを言っただろう。

けれど今は違う。ヴォルティは知ってしまったのだ。

食事の意味を。食べる幸福を。

ミランダは数日前のヴォルティと同じだ。食事することの意味を理解出来ていないあの頃と。


「お前、ここのご飯食べたことないのか?」

「ご飯?何を食べても同じでしょ。レーションと何が違うの?」

「はあ~…ミランダお前…勿体ねーなあ…」


ミランダが何時からラメール区にいるのかは知らないが確かに勿体ないことだ。

こんなにも母なる海に優しく抱かれた都市は祝福を受けているというのに。


「ロベルトさんから飯誘われてただろ。行かなかったのか?」

「あの人しつこいしうるさいからずっと無視してたわ」

「わあ…」


ミランダは誰に誘われても断る、というのは支部ではヴォルティの耳に入る程には有名で、だからミランダは飲食店で食事をしたことがないのだろう。

この性格だから1人で飲食店には入らない筈だ。


海底都市でわざわざ自炊する人間はだいたいは趣味かそんなところで、どうであれ特殊な部類に入る。

冷凍された栄養食ワンプレートが販売されているので基本はそちらだ。

食材が手に入る場所も限られているから手作りする人間はヴォルティの周りにはいない。


「勿体ない!なあ!そうだろヴォルティ!あんなに旨いのにな!」

「美味しいのは認める」

「せっかくだから体験してみろよ、つー訳で行こうぜ!」


念を押すようにもう一度「なっ!」と言ってヴォルティとミランダはリノに引っ張られる形で訪れたのは第5エリアだった。

ミランダは不服そうな表情のままでまだ何かぶつぶつと言っているが、ヴォルティはそんなミランダを少し可哀想だとも思っている。

ご飯の美味しさを知らないとは、可哀想だ。


「幸子じゃないのか?」

「あそこ狭いだろ、3人で予約もなしに行ったら迷惑になるからな」

「なるほど…お前こういう時はちゃんと考えてるんだな」

「いつもちゃんと考えてますけど!?」


行き着いた先は「アントレ」。

ここはカウンターだけの幸子と違いテーブル席もあった。

いきなり3人で押し掛けても大丈夫だろう。

そもそも面積が限られている海底都市はどの店も住居も基本広くないが。


「こんばんはー」

「いらっしゃい。おや3人かい?空いてるよ」


店主のローランはフライパンで何かを炒めながら笑みを見せた。

客はカウンターに男女が2人。談笑しながらワインを飲んでいてテーブル席は2つ共空いている。


「いい匂いがする。あれが食べたい」

「待て待て早い早い」


丁度調理中だったからか店内には香ばしい匂いに包まれていて胃を激しく刺激する。

何かが焼ける香り。これは海老だろうか。それとトマトだ。

少なくともヴォルティは食したことがないものに間違いない。

食べてみたい。食べたい。食べよう。

ヴォルティの頭にはそれしかなくなった。


「こんなところで何を食べようっていうの?」

「旨い飯だって。まあ座ろうぜ」


納得していない顔のミランダだが、店に入る前より少しだけその表情が変わっている。

きっと嗅いだことのない初めての料理の匂いに戸惑っているのだ。ヴォルティには分かる。自分もそうだったからだ。


「お待たせ、初めてのお嬢さんがいるね」

「彼女ミランダっていうんですよ、俺達チーム組むことになってその親睦会って訳!」


先の客に料理を提供し終えたローランがテーブルまでやってくる。

カウンターにはほかほかと湯気が立ち上る料理が置かれていて、ワインを飲んでいた2人は笑顔でそれに食べ初めていた。

美味しそうだ。非常に美味しそうだ。


「そうなんだ、じゃあお祝いだね。3人で分けあって食べるものがいいかな」

「おっそれいいですね!」

「あれが食べたい」

「待てってお前話聞いてた?」


人が食べているものは何故美味しそうに見えるのか。

あの細長いもの、恐らく麺類の何かだ、あれが食べてみたくて仕方ない。

麺類はまだ食べたことがないのだ。

他の客の料理に視線を奪われたままのヴォルティをリノが無理矢理引き戻す。


「あれ?あれを食べるって言う訳?正気なの?」

「ミランダ、それはローランさんに失礼だぞ」


いくら食事のありがたさを知らないとはいえ、作った本人の前で「正気」などという言葉を投げるとは。

これにはヴォルティは黙っていられない。

何てことを言うのだ。


「あー…!すみませんこいつレーションしか食ったことないこら…!」

「ううん、構わないよ。ふふ、満足してもらえるものを作ってみせるからね」


気を悪くさせてしまったかもしれない。そう思ったがローランはウインクを一つ寄越すと「任せて」と言ってカウンターの中へ戻っていく。

その姿はまるで大陸文明の映画に出てくる俳優のようで、随分と様になっていた。


「ローランさんが怒らなかったから良かったけどお前なあ、少しは考えて言えよ」

「な、何よ。私が悪いっていうの?」


ミランダは気が強い。

それをヴォルティとリノは知っていてそれなりの対処をするが初対面の人間は良い顔はしない筈だ。

ここはローランの器量の大きさに救われた。

だがこの微妙な空気の悪さはどうにもならない。


ローランが料理を持ってくるまで3人は無言でただテーブルに座っていた。





「お待たせ、自信作だよ」


そうしている内に、ローランが少し大きめの皿を持ってくる。

「どうぞ」と置かれた皿には先程向こうの席で見えた細長い麺の上に沢山の貝と大きな海老に白い何かの身、そしてほどよく切られた赤いトマト。

以前のブイヤベースもそうだが、この店ではトマトがよく使われている。

海老とトマトの香りが湯気と共に広がって見ているだけで腹が減ってくるような、美しい料理だった。


「おお…、美味しそう」

「ペスカトーレっていうスパゲッティなんだ。取り分けて好きな量を食べてね」


ローランが言いながら小皿をそれぞれの前に置く。

この大きめの皿のペスカトーレを分けて食べるらしい。

これが1人分かと思ったが違うようだ。


「…映画で見たことがあるわ」


ぱちくりとまばたきを繰り返しながらミランダがぽつりと呟く。

その表情は戸惑いがあって、恐らくは初めて見る料理にどう反応していいのか分からないのだろう。

飲食店以外で食べるものといえばレーションか栄養食のワンプレートしかないのだからこんな美しく鮮やかな料理は見ない筈だ。


「俺も映画でこんなん見たなー、分けて食おうぜ」


少しだけ場が和らいだ気を逃さまいとリノが置かれた小皿を取って横に添えてあったトングを手にした。

あれで分けるらしい。

2人と同様に映画で見たことがあるような気がするがあまり食事のシーンをしっかり見た記憶がないので分け方が謎だったので、大人しくリノに任せてしまった方がよさそうだ。

トングで麺を持ち上げると湯気が一層立ち上る。


「これどうやって食べるんだ」

「…私も知らない」

「フォークに巻いて食うんだよ」


小皿に取り分けられてペスカトーレを前に早く食べてみたいと思うものの、食べ方が分からない。

こんなことになるならちゃんと映画を見ておくべきだった。

しょうがないのでリノの食べ方を見ると、リノは器用にフォークでくるくると麺を巻き取っていく。

ひと口で食べる量を巻くようだ。


「なるほど?」


見よう見まねでフォークを回転させてみると何故か思いの外の麺が巻き取れてしまった。

これはひと口では無理なのではないか、と思ってもう一度挑戦してみるがやはりうまくいかない。

しょうがないので明らかにひと口の量ではないそれを一気に口に入れる。

何でもいいから食べたい、という気持ちが先走った。

腹が減っているのだ。

けれど。


「あっふぃ!!」

「そりゃそうだよ」


口に含んだ麺は思っている以上に熱く、咥内全体からその熱が伝わってくる。

前回も同じようなやり取りになった気がするがそんな悠長なことを考えている暇などなかった。

とにかく熱くて仕方ないが、その熱さを越えて凝縮されたトマトの味と仄かな魚や海老の香り。

麺は丁度良い固さで米とは違う弾力があり、細いからか一本一本にソースが絡まっている。


「美味しい!熱い!」

「ありがとう」


ヴォルティの大きな感想にローランが嬉しそうに答えた。

自信作と言っていただけのことはある。

ブイヤベースはさらさらとしていたスープだったが、これはソースにとろみがあり麺と一緒に口の中へと入ってくるのだ。

美味しい。もうひと口、としたところで動かないミランダが目に止まった。


「………」


右手にフォークを持ったまま、左手で口元を押さえた状態でミランダが動かない。

少しだけ、頬が赤く染まっている。


「美味しいか」

「…美味しい?……、こういうの、美味しいって言うのね…」


それはぽつりと、囁く程度の声で思わず溢してしまったような、確認するような、そんな言葉だった。

その言葉を初めて知ったように。

そしてミランダは瞬きを何度か繰り返した後、小皿の上のペスカトーレをたどたどしい手付きで食べきるまで、一言も喋らなかった。




「なくなった…」

「半分ぐらいお前が食ったからな!」


あれだけあった麺、どうやらパスタというらしいが、それが全てなくなってしまった。

あんなにもあったのに。

リノの言うとおり半分以上はヴォルティが食べたのだが。


「少し多目にしてたんだけどね。綺麗に食べてくれてありがとう、嬉しいよ」


食べ終えた皿を片付けに来たローランが綺麗さっぱりなくなった皿の上を見て喜んでいる。

幸子のミツルもローランも食べる姿を見て喜ぶことがあるが、それが何故なのかはヴォルティには分からない。

だが喜んでいるから悪い気はしなかった。


「…あの」


空になっているグラスにレモン水を注いでいるローランに、先程から黙ったままのミランダが声を出した。

少し下を向いて、けれどしっかりとした声だった。


「あの、さっき…酷いことを言ってごめんなさい。…美味しかったです」


ミランダの皿はリノのものより綺麗に食べ終えていて麺の切れ端1つない。

きっと。きっと本当に美味しかったのだ。

あのミランダがこんな素直に謝罪をしているのだから。

ヴォルティとリノはそれを聞いて思わず、驚きのあまり固まってしまったがローランは驚きもせず柔らかく笑うだけだった。


「どういたしまして。口に合って良かったよ」


その顔はやはり様になっていて格好が良い。

顔が良い男というのはローランのような男をいうのだろうなとヴォルティはどうでもいいことを考えた。


「ローランさんがいい人で良かったな」

「全くな」


怒られても仕方なかったのではと思うがローランの笑みは変わっていない。

それどころか先程よりも勝ち誇った、そんな顔をしている。


「よくあるんだよ。食事に慣れてない人がああいって言うんだけど、食べた後みんな美味しかったって帰って行くんだ。そういう時は勝った!って気になるんだよね、フフ」

「え?」

「え?」

「え?」


笑みは変わっていない筈なのに何故か違うものに見えて、3人は同じ声しか出なかった。







『どうしてそっちから動かすのよ!』

「横のが引っ掛かってるからだろ」


親睦会というものの次の日。

まるで変化のない会話をするヴォルティとミランダに、リノは盛大な溜め息を溢している。

親睦会といっても大して話をした訳でもないしただご飯を食べたというだけだ。

それで、じゃあ仲良くしましょう、と急に切り替わるには無理がある。

つまり、結局何も変わってはいないのだ。


『はあ~、少しは協調性ってもんをなあ~…』

「何だよ」

『何よ』


リノの声には全く力がない。

親睦会と言い出したのはリノだから、少しは変わるかと期待していたのかもしれないが彼としてみれば残念な結果になったのだろう。

まあ人は急には変わらないのだ。


「そろそろ終わらないか。お腹も空いた」

『お前飯のことばっかなんだよなあ…』

「失礼だな、夜何を食べるか考えてる」

『結局飯じゃねーか!』


時刻はもうすぐ昼。

支部の昼ご飯は栄養食かレーションしかないが美味しくなくとも腹は満たさなくてはならない。

それに昼ご飯がどんなものでも夜ご飯は驚く程美味しいものが待っている。

それを考えれば栄養食もレーションも我慢出来るのだ。

最近はそれを考えるのが楽しく、あっという間に時間が過ぎていく。


『…』


ミランダが文句でも言うかと思ったが意外にも何も言わず支部に戻り始めた。

人は急には変わらない。変わらないが、変わるものは確かにある。

だが夜ご飯を考えているヴォルティにはその変化には気付かなかった。

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