01始まりのホタテ
この星は海に覆われている。
これは比喩ではなく、言葉そのままの意味だ。
父なる大地はとうになくなり世界は母なる海に抱かれていた。
この星は海に覆われている。
ヴォルティは1人乗り用の小型潜水機に搭乗して海中を進行ルートに沿って進んでいる。
今日はよく晴れている為か太陽の光が海の中までしっかりと届いていて、ライトを点けなくとも視界は良好だった。
周りを小魚の群れが優雅に泳いでいる。
太陽の光に反射して僅かに輝くそれは確かな美しさも携えていた。
ソナーには障害物もクジラのような大型種の反応も、危険種の反応もない。
その静かな音とモーターの稼働音だけが響き渡っている。
目的地はラメール区。この海で最も新しく建造された区だ。
一番最初に建造されたアトラ区から少々離れているが、今後も人口増加することを見込みラメール区を中心に住居エリアを増やす計画の為にアトラ区から距離が取られている。
かつてこの星は、海と共に大地があり沢山の生物がそれぞれの場所で生きていた。
だが、それらは全て、人も動物も大陸も全てが海の底に沈んでしまった。
それでも予めそれを予想していた一部の人々が、数隻の潜水艦を用意し難を逃れることが出来たらしい。
それに搭乗していた僅かな人々は大陸そのものを、何億という同胞の命を、何もかも失うも決して絶望はせず、海の中で生き抜く術を確立したのだ。
それが海底都市。
人々は今、海の中で生きている。
地熱発電や海流発電により電力、そして酸素が確保され水は海水をろ過し、それをパイプを通してそれぞれのエリアに供給している。
これら全ての技術は元々人類が持っていたものを応用されたと授業で習った。
それでも海中という生身では生きていくことさえ出来ない場所で、悲観することもなく生き延びあまつさえ生活する施設まで建造し新たな文化を築き上げていくのだから人間は昔から逞しい生き物だ。
「ふー、到着っと…」
ラメール区の中央エリアには様々な制御システムや重要施設などが集められこの辺りの区域の心臓部となっている。
新しく建造された区だけなことはありアトラ区より最新鋭の技術で作られ設備もまだ綺麗で劣化なども全く見られない。
デザインも拘って作られた都市は遠目から見ても海中で輝き、宝石のようにとても美しく見えた。
数台の清掃ロボットが外壁に貼り付いて付着した汚れを吸い込んでいる。
あれが外見の美しさを保つ秘訣でもあるのだろう。
中央の周りにはぐるりと取り囲むように第1から第11までエリア分けされ、1エリアと6エリアは食料生産エリア。3エリアと9エリアは産業エリア、それ以外は住居エリアとなっている。
大きさ自体もアトラ区より一回りも大きい。
時間は掛かったがようやく到着だ。予め申請しておいたので自動でヴォルティの個人IDを読み取ってくれたらしい。
停泊場の指定ポイントが画面に表情される。
そこに機体をリンクさせれば後は自動運転に切り替わり安全に停めてくれる仕組みとなっていた。
指定ポイントの停泊場は第7エリアのようだ。
静かに機体が固定され停泊が完了すると出入り口のシャッターが閉じ徐々に排水されていく。
完全に水が抜けきり酸素が補充され安全が確保されると信号が青表示になって、ここでやっとハッチを開けることが出来るのだ。
自動的に再生されるアナウンスからも安全であることを教えてくれる。
機体から降りると思い切り背筋を伸ばした。
慣れた海中だがやはり床に足が着くと、例えそれが大地でなくても安心感が違うものだ。
積み込んでいた荷物を脇に抱えダイバー用のヘルメットを外しながら港から住居エリアへの連絡通路を通る。
外部から区域の出入りをする際は必ずバイタルチェックを受けなければならない規定があり、この通路では歩くだけでそれを行ってくれる。
これは突然変異した細菌やウィルスなどをエリア内へ持ち込まないようにする為で、万が一逃げ場のない海底都市でバイオハザードなど起きようものなら簡単に全滅する可能性があるからだ。
ちなみにここでチェックされた内容は個人IDや通過時間などと共に全て記録され厳重に管理されている。
2枚の仕切り扉を通過して、入管施設を通るとやっと住居エリアへと辿り着く。
天井はアトラ区よりも高く、そして明るく解放感があった。
「お、来たな!ヴォルティ!」
忙しく動き回る巡回ロボットを横目に、のんびりと辺りを見渡しながら指定されたポイントへ向かうとそこには既にロベルトが待っていた。
ヴォルティを見付けたロベルトは爽やかな笑みで片手を上げる。その姿を見付けると慌てて彼の元へと走った。
「先輩、すみません遅くなって」
「いやいや、無事に到着出来て良かったな」
この広い海では人々が住んでいる都市はごく一部であり、それ以外の海域は未知の領域となっている。
そこには沈んでしまったかつて繁栄していた大陸が沢山あってそこに生きていた人々の生活を知ることが出来るのだが、その殆どが未探索であり過去の遺跡となってしまったそれを調べるのが海底調査員だ。
ヴォルティはその海底調査員であり、ロベルトはヴォルティの3年先輩にあたる。
ラメール区より西側には大きな大陸が確認されているのでそこの調査が当面の目標となっていて、ロベルトは任期満了でアトラ区に戻ることが決まっておりヴォルティはその後任でこのラメール区へとやって来た。
昔と変わらないその姿を見て少しばかり安心感を得る。
「どうだ?ラメール区は。アトラ区とはだいぶ違うだろ?」
「そうですね、すごい綺麗っス」
「だよなあ、俺も最初そう思ったよ」
ヴォルティの率直な感想にロベルトが笑った。
久しぶりに再会したということもありお互いの近況報告などしながら各エリアを繋ぐ通路を渡る。
この通路には所々にアクリルガラスの窓が設置してあって外の様子を眺めることが出来るが、外の様子といっても見慣れた海しか見えないが。
時折小魚が泳いでいるのが視界に入るぐらいしか変化はない。
中央エリアにはヴォルティ達が所属する海底調査の支部があり、アトラ区にあるのは統括本部だ。
元々ヴォルティはそこで勤務していたがロベルトのようにもっと沢山の現場に出たいと移動を申し出た。
「ここがラメール支部。本部と違って結構緩いから緊張しなくていいぞ」
「それはいいことなんスかね…?」
都市そのものが新しいラメール区なだけあって支部も非常に綺麗で、発掘品などが乱雑に置いてあるのはアトラ区でも変わらないものの古臭さが全くない。
モニターには各潜水機の位置が表示され細かい指示なども映し出されていた。
ロベルトは指差しながらヴォルティへ支部の説明を行っていく。
その全ては端末に表示されているが実際に目にするのは重要なことだ。その説明を聞き漏らさないよう真剣に聞いていく。
今は殆どの調査員が出払っているらしく支部内はやけに静かだった。
事務員の男性が挨拶をしてくれた程度だ。
「ああ、そうだ。ヴォルティ今日夜空いてるか?」
「え?まあ、宿舎に戻るだけなんで大丈夫ですけど」
「よし、じゃあ居酒屋行くぞ!」
思いもよらぬロベルトの誘いにヴォルティはその意味を理解出来ず、直ぐに返事が出来なかった。
居酒屋というのは確か食事とアルコール飲料を提供する大衆酒場のような店だった筈。
自信がないのはヴォルティは居酒屋を利用したことがない為だ。
アトラ区にも多少なりに飲食店がありその中には居酒屋もある。
ラメール区でも同じらしいが、ヴォルティは居酒屋はおろか普通の飲食店すら利用したことがない。
海底都市では1日に必要な栄養素が摂れる栄養食品のレーションが住民全員に配給されているが、やはりそれだけでは味気無いという人達もいて、そういう人は飲食店を利用している。
他に栄養食なんてものもあるがヴォルティは昔からあまり食事に興味が持てず配給のレーションでことたりてしまっていたので、飲食店を利用するという選択すら浮かんでいなかった。
「居酒屋なんか行ってどうするんスか?」
「おいおい決まってるだろ、お前の歓迎会と俺の送別会だよ!」
「は、はあ…?」
肩をがっしりと組まれてしまい逃げ道もない。
戸惑うヴォルティを気にも留めずロベルトはあれが旨いだのこれが最高だのと熱弁している。
生まれてから19年間、ヴォルティは食事に対して旨いという感想を抱いたことがない。
何を口にしても同じだ。
ぱさついたレーションを口に含んで水で胃まで流す。ただそれだけであり、食事というものは作業の一つに過ぎない。
だがロベルトはそんな食事を楽しそうに話している。
「ここらのはアトラ区とはまた違った飯が食えるからな!俺としちゃ食べ納めだよ」
という訳だから、とヴォルティは第2エリアへ無理矢理に連れてこられてしまった。
時刻は夕方を過ぎた辺りでエリア内の電気が少し抑えられている。海底の中で時間経過を分かりやすくする為の措置だ。
ロベルトに腕を引かれ訪れた先には「めし処 幸子」と書かれた看板が掛けられた店がある。
漢字で幸子と書かれた下には英語で「Sachiko」とあった。人の名前がそのまま店の名前になっているのか。
外観を見た限りあまり広くはなさそうな店な上、看板も主張しないものだから歩いているだけでは見落としてしまう外観だ。
しかし居酒屋と言っていなかっただろうか。
居酒屋は居酒屋と書いてあるものだと思っていたが、ここはめし処と書いてある。
「馴染みの店なんだよ。旨いから期待しとけ!」
ロベルトはそう言うと出入り口らしき扉を横にスライドさせた。
「手動なんスか?」
「趣があっていいだろ?」
ヴォルティは今まで生きてきた中で手動のドアなどデータの中でしか見たことがない。何故わざわざそんな面倒なことをさせるのか。
前に立てば勝手に開くかパネルに触れれば開くか、そちらの方が便利に思える。
不思議に思うヴォルティを置いてロベルトは颯爽と中へ進むと誰かに向かって挨拶をした。
「いらっしゃいロベルトさん。待ってましたよ」
「いやー遅くなったかな。あ、こいつ俺の後輩なんだ」
こんな道端で突っ立っていても仕方ないのでロベルトに続いて中へと進んだ。
店内はカウンターがあるだけで予想よりも随分狭く、聞いたことのあるBGMが流れている。
カウンターの中の棚には様々な形の瓶が何本が置かれていて、中身は空だったから飾りだろう。大陸文明の発掘品だと思われる。
後は調理器具が幾つかあるだけで内装的には白を基調としていて外観と同じくシンプルだった。
「ああ、どうも。いらっしゃいませ、ここの店主のミツルといいます」
「あ、どうも…、ヴォルティです」
ロベルトから紹介され頭を下げるも妙な居心地の悪さを覚えてしまう。
別に無理矢理連れてこられただけで食事を楽しみに来た訳ではないからだ。
ロベルトはカウンターの一席に座りヴォルティを手招くので、
ここまできて断る訳にはいかず素直に隣へ腰掛ける。
「ここは何食べても絶品だぞ。酒はお決まりのものしかないけどな」
「は、はあ…」
席に一つ設置されている端末を起動させるとメニューのホログラムが表示される。
そこには見たことも聞いたこともない料理の名前らしきものが並んでいた。
ヴォルティにはこれが料理の名前なのかどうかも分からない。
「ミツルさん、今日は何がおすすめ?」
「今日はホタテが入ってますよ。先日漁船が戻って来たので」
カウンターの中のミツルからは馴染みの単語が聞こえる。
帆立は確か貝の名前で、海底調査の際に実際に見たこともあった。
大人の男の掌程の大きさで海底を泳いでいるのを見付けた時驚いては情けなく声を上げてしまった程だ。
大陸文明では各国で食されていたとデータに記録されていたが、本当に食べれるものだったのか。
驚くヴォルティの様子に気付いたミツルが含みのある笑みで「肉厚で美味しいですよ」と言う。
「ホタテか!ラッキーだな、旨いぞホタテ!」
「あれ…食えるんスか?」
「俺も最初はそう思ってたけどな。実際食ったらほんとに旨くてなあ。やみつきになるぜ?」
ロベルトがあまりに自信満々に言うものだから、一口ぐらいならいいかと思って取り敢えず頷いて見せた。
アトラ区で魚なら食べたことはあるが、あまりの生臭さに途中で断念したことがある。
だからヴォルティは食に対して興味すら持てなくなっていた。だって基本的に美味しいなどと思えない。
それなら同じ味のレーションでいいのだ。
「えーとヴォルティさん?はアトラ区からですか?」
「え?あ、はい」
「だからかもですね」
酒が注がれたグラス、確かジョッキという名前のグラスをカウンターに置きながらミツルがそう言うとロベルトも「ああ」と納得した様子だ。
「アトラ区ってのは生き抜く為に作られた都市だからな。あんまりそういう、余裕っていうのがなかった。というのは勉強しただろ?でもこのラメール区は生き抜く為に作られたんじゃない。ここは生きることを楽しむ為に作られたんだ。コンセプトが違うんだよ」
ロベルトからの説明もいまいち、ピンとは来ない。
生きることを楽しむとは具体的にはどういうことなのかがヴォルティには分からなかった。
「俺も分からなかったけどな、ここの飯を食ったら分かった。こういうことなんだよ。取り敢えず食え。食えば分かる」
「は?」
全く理解出来ないヴォルティを置いてカウンターの中ではミツルが大きなホタテ貝に何かを差し込んで小刻みに動かしている。
無駄のない手際の良いその様子を眺めていると貝はあっという間に開かれた。
そこに現れたのは淡い色をした貝柱。授業の際データで見たものよりも艶やかで美しく見える。ミツルは更に何個かの殻を外すたと更に丁寧にウロやヒモを取り分けた。
その手捌き、見事としか言い様がない。
さっと水洗いした貝柱をこれも見事な包丁捌きで切り分けられていく。
包丁が良いのか。ミツルの腕が良いのか。
「ホタテの刺身です。どうぞ」
「お、きたきた。よしヴォルティ!乾杯だ!」
「え?あ、はい」
グラスを持ち上げて軽くそれをぶつけるとその勢いで中身の成分調整アルコール飲料が少し溢れてしまう。
鼻にそれの匂いが届いて思わず顔をしかめてしまった。成分調整アルコール飲料、所謂酒をヴォルティはあまり好きではない。
海底都市では15歳で成人とされる為、成人祝いの際に飲んだが美味しいなどとお世辞にも思えなかったのだ。
ロベルトはそれを一気に半分程飲むと実に幸せそうに喉を鳴らした。
酒の何がいいのか分からないが、ヴォルティは酒よりも目の前のホタテの刺身というものから目が離せない。
ピンクに近い色合いで艶があり、宝石のようにも見える貝柱は美しさすら感じてしまう。
「どうやって食べるんですか?」
「先ずは醤油で食べてみろよ」
醤油、と言われて差し出されたのは黒い液体の入った瓶。
ロベルトがそれを少し小皿に垂らしているのを見よう見ながら同じように小皿に移す。
するとふわりと鼻に香りが届いた。
オイルのような色合いだったが嫌な匂いではない。
恐る恐るフォークでホタテを刺すと驚く程弾力がある。
そしてそのまま刺したそれに小皿の醤油を少しだけ付けて一口。
「ん?んんっ!」
ぷりぷりとしたその貝柱は身が締まり弾力があって噛めば口の中に広がる甘味に驚く。
そしてその甘味を醤油が一層引き立てている。
甘い。甘いのだ。
この濃厚な甘味。これは何だ。いやホタテだが。
ホタテ。確かにホタテだ。こんなにも味があるものだったのか。
「どうだ?旨いだろ?」
口を開くよりもこの甘いホタテを味わっていたくて、声を出す前に何度も頷いて同意を示す。
更にもう一切れ、口に運ぶと広がる甘味が増したように感じた。
今まで、今まで何を食べてきたのだろうか。
ヴォルティは初めて口に入れたものを旨いと感じた。
そう、旨い。
手が全く止まらない。
「気に入ってくれたみたいですね」
「おま…、すげー食うな…」
ここへ来るまで食に対して全く興味を示さなかった男が目の前のホタテをあっという間に平らげる姿はなかなかなものだったらしい。
ロベルトが若干引き気味だがヴォルティはそんなことどうでも良かった。
「次はこちらをどうですか?ホタテのカルパッチョです。醤油とはまた違いますよ」
ミツルが空になった皿を下げると次は薄い黄色の液体が掛けられたホタテの刺身らしきものが現れた。
先程の刺身より、艶やかで電灯の光に反射して一層輝いて見える。
これは何かと眺めているとオリーブオイルだと教えてくれた。
「さっきの醤油もそうですけど、どちらも大陸文明を真似した加工調味料ですよ」
「ラメール区は大陸文明の研究が盛んでな。こうやって旨いものを皆頑張って作ってるんだよ。生きる楽しみにする為に…ってお前聞いてないな?」
オリーブオイルが掛けらているカルパッチョは先程の醤油とはまた違う味わいにホタテが変化している。
調味料が変わるだけでこんなにも違うものかとヴォルティは感動を隠せない。
ロベルトの言葉も理解半分で取り敢えず頷いて見せる。
その目は宝物を見つけた子供のようにきらきらと輝いていた。
「まあ、気に入ったんなら良かったよ。俺も最初は感動したしなあ」
感動。そうか、これは感動しているのだ。
ゆっくりと瞼を伏せ、視界を遮った中で舌から広がる魅惑の味が思考を支配されていく。
ヴォルティは閉じられた世界の扉が音を立てて開かれていく気分になっているのを気付いた。
生きる為だけに口に入れていた食料とは違う。これは味を下で感じ生きる喜びを見付ける儀式なのだ。
これが食事。
世界よ、母なる海よ、ありがとう。
「何かやべーことになってないかお前…」
「でもこんなに美味しそうに食べてくれると作った甲斐がありましたよ。切っただけですけど」
何かの扉を開いてしまったヴォルティを眺めながらロベルトがぐびぐびと酒を嗜む。
よく分からないことになったが美味しいと思ってくれているようなので良し、というところに落ち着いたらしい。
皿まで舐め尽くしそうな勢いのヴォルティにミツルは嬉しそうだ。
「あ!お前俺の分まで食ったな!」
「ふぉいひいれふ」
「畜生!明日からアトラ区の不味い飯を食わなきゃいけないってのに!」
「ははは、次は焼いたものとかどうですか?」
かちりとミツルが器具の電源を入れる。
どの海底都市も火気厳禁だから調理にも電気を使うしかない。
ヴォルティもコンロでお湯ぐらいなら沸かす。
だがそれで焼けるとは思わなかった。
「バター焼きと、ヴォルティさんよく食べるみたいなので炊き込み御飯もどうですか?」
炊き込み御飯が何かは分からないがきっとそれも美味しいものに違いない。
同意の為に数回頷くと剥いたホタテを殻に乗せて赤く光る器具の上に置いた。
こちらまで仄かな熱が届いてきて、今までとは全く異なる圧倒される程の香りが広がる。
じゅわ、と初めて聞くのに心地のよい音と共にホタテが焼かれていくのが見えた。
本当に熱で焼いているのだ。
「お前米が何か分かってるか?」
「…大陸文明の食べ物でしたっけ?」
「そうそう、ここではその再現に成功してな。精米すればすぐ調理して食べれるし活用方法も多いから研究されてたんだよ。最近出回り始めたんだぞ」
続けてロベルトが説明してくれているが、残念ながらヴォルティの耳は焼ける音に意識が向いている。
ぱちぱちと弾けるような胸が踊る音。ずっと聞いていられるような気がした。これは是非録音したい。
「お前聞いてないだろ」
「聞いてます。ホタテの話ですよね?」
「米の話だよ!」
そんなやり取りをミツルが笑いながら美しくまるで芸術作品のように焼き上がったホタテを殻に乗せたまま2人の前に置く。
何とそそる匂いだろうか。
ヴォルティはもう目が離せなくなってしまった。
焼き色がついたホタテの上に白いものが柔らかく溶けていて醤油とは違う甘いような香りが届く。
我慢が出来ない。我慢など出来る訳がない。
焦る気持ちでフォークでホタテを突き刺した。
「あっふあ…!」
先程、生で食べたホタテも十分美味しい筈だったのに、焼かれたホタテは香りが格段に強くなり、舌に感じる味もまた異なるものへと変化している。
同じホタテだというのにこうもかわるものなのか。
美味しい。何と美味しいのだ。
ヴォルティは何故か目頭が熱くなるのを感じた。
もう一口、と思うも目の前の殻にはもう何もなく、空っぽになっている。
「な、なくなりました…」
「お前が食ったんだよ…」
そんな、とこの世の終わりのように絶望するヴォルティにロベルトは再び引いている。
もっと食べたいのに、食べたらなくなってしまった。
どうして。
「ご飯はたくさんありますよ」
そうミツルが言いながら置いたお椀のような皿の中には茶色に染まった沢山の粒と何かの身らしきもの、そしてホタテの貝柱が丸々入っている。
温かいのかふわりと湯気が漂った。
この香りは嗅いだことがある。先程と少し強さが違うが醤油だ。
「た、た、食べてもいいですか?」
「ああ、もう好きなだけ食えよ…」
手にしていたフォークでそのまま粒の塊、米を掬うようにして口の中へと運ぶ。
一粒一粒がくっついていてばらばらになることがないようで、ある程度の塊のまま咥内へ飛び込んでくれた。
米はもちもちと弾力がありホタテの味が染み込んでいるようで、粒1つにも全て味があるようで、更に噛めば噛むほど甘味を感じる。
それが器一杯にあるのだ。
「んう!うん!おいふいれふえ!」
口に運ぶ動作すら煩わしくて皿を手にして無我夢中で掻き込む。
一粒だって逃したくない。
「い、勢いすごいな…」
「喜んでもらえて良かったですよ」
「ここまで食うなら連れて来て正解だったな。次からはこいつがここに通うだろうから、よろしく頼むよ」
「はい。…でもロベルトさん帰っちゃったら寂しくなりますねえ」
ロベルトとミツルが少ししんみりとした会話を続けているがヴォルティには聞こえていない。
聞こえるのは祝福を奏でる優しい天使の歌声。
今日、ヴォルティの世界は開いたのだ。
次の日、ロベルトはアトラ区に向けてラメール区の第8エリアから出発して行った。
満足にホタテを食べられなかった恨み節を散々ぶつけていって、ヴォルティは今更ながら申し訳ないことをしたと改める。
けれど、先輩を差し置いてまで食したあのホタテの味は当分忘れられそうもない。
今日からラメール区での海底調査員として勤務が始まる。
きっとアトラ区にいた頃より忙しくなるだろう。ラメール区周辺はまだまだ未探索エリアが多い。
沢山働いて、そうしたら腹が減る。そしてまたあの店へ行こう。
今度は何が出てくるのだろうと、19年生きてきて初めて、ヴォルティは食することの喜びを知った。
ヴォルティの人生はここから、きっと始まったのだ。
そう思えて仕方ない。