道化の御霊
序章
太陽は無慈悲に、地上を照らしている。
光は時として、とても残酷だと感じる。ありとあらゆるモノを浮かび上がらせて、露わにする。
私にとって、それは恐怖でしかない。光は自分という存在を嫌というほどに、認識させる。
「如何して、この様な姿に生まれてしまったのだろう?」
鏡をはじめ、姿が映るもの全てが嫌いだ。
巷にあふれる、流行のメイク・ファッションなど。SNSの写真。
それに花を咲かせる会話。他愛のない恋愛話……など。
私にとっては、まるで別次元の話。遠い別次元の世界の事の感じる。
それは、きっと向こう側が、私を見るのと同じ感覚なのかもしれない。
他人、世間は、一般的や普通のカテゴリーから外れているモノを、奇異の目や排除しようとする傾向にある。また、興味本位や悪意、蔑む様な目で見る。
人間は群で生きる動物の一種。異なるモノは、その群に入れないし排除されてしまう。また異なる者も、その群に入ろうとはしない。奇異なる人間は、普通の人間の群に入れない。性格・趣味嗜好・生活レベルと、色々なカテゴリーがあるけれど、それなりの仲間は出来る。かと言って、奇異なる者と奇異なる者同士が群会うことはないと思っている。
この奇異なる姿。異形の容貌に生まれ落ち、その為、幼い頃から幾度となく、心ない言葉を吐きかけられ、浴びせられてきた。
だから、明るい太陽の下、光の中は、自分にとっては恐怖だ。心地の良い陽射しもまた、私には恐ろしい。
外出する時は、何時も、帽子を深く被り、長く伸ばした黒髪で、出来るだけ顔を隠す様にしている。この顔は露わにしてはいけない。特に人前では。
この容貌容姿は、タブー。そう考え学習した結果。
そう、人目に晒してはいけない。生れ出でた時から、それは決められていた事なのかもしれない。この容貌容姿に生まれた事は、自分にとっての原罪に思う。
だから、自分の姿が映ってしまう物には恐怖が付き纏う。
―前世の罪なのか? それとも、現世において魂の修行の為なのか?
「いったい、ナゼ、この様な姿に、ナゼ、こんな病気に生まれたんだろう?」
親族は言う。だから、幼い頃から聞かされて、そう思ってしまっている。
『健全なる魂は、健全なる躰に宿る』
だとすれば、私や、生まれついての障がい、病気を抱えている人間は、その存在を否定されてしまうのかな?
周囲から、バケモノ扱いされる躰。容姿容貌。その心や魂までも否定され蔑まされなければならないのか?
プチ整形、ブスは整形すれば普通以上になれるし、デブは脂肪吸引しろとか、当たり前の様に、テレビCMや情報番組、週刊誌を始めとした雑誌でも特集になっている。まるで、そうしないといけない風潮。そして、そのような話題で盛り上がっている、同じ年頃の人達。そんな話を耳にするたびに、何時も自分という存在が、無意味でまるで存在してはいけない無価値に思う。
そして、途方もなく苦しい痛みに襲われてしまう。
「こんな躰いらない、いらない。フツウの躰が欲しい」
どんなに叫んで、慟哭に暮れても、願い望んでも、決して届くことの無い願い、叶うことのない現実。
『人間は姿形じゃないよ、大切なモノは心だよ』
それは、甘い虚飾。キレイゴト。
本当に大切にされているモノは『姿形』だ。
キレイゴトなんていらない。苦痛なだけ。
家族や親族の中で、自分だけが異なる存在。突然変異の先天性の病気。遺伝ではないけれど、この病気は遺伝する。
血族の中で、私の存在は異なるモノ。神の悪戯なのか? 前世の罪なのか?
歴史に名を残している、奇形の人物とも似使っている。
「あなたは、同じ病気の人と比べると、まだマシな方ですよ」
医師も両親も、そう言って、何時も誤魔化す。触れたくない、腫物の様に扱われていたと思う。
両親、兄妹との、溝は何時しか遠く深いものとなっていた。
何時も孤独。孤独と苦痛しかなかった。自分という存在が、家族のバランスを狂わせている、崩壊するかもしれない。そう思うようになり、何時しか、この家族に自分は不要であると悟った。
兄に彼女、妹に彼氏が出来た時、さらに遠くの存在に。
家を出て、独りっきりで暮らしたいと告げた時、両親は、迷うこと無く承諾してくれた。引き留める言葉も無く……。その理由は考えたくない。でも、それが、返って良かったのかもしれない。
実家から遠く離れた、大都会の片隅で一人ひっそりと、生きていく事を選んだ。人口が密集し多ければ、少なからず、自分の姿を紛らわせてくれる。
家族の中に居場所なんて無い、無かったんだ。
パラサイトシングル? ニート? 世間的に客観視すればそうなのかもしれない。職に就けないので、親からの仕送りで生活しているのだから。
なにせ、奇形な容貌。就ける仕事はおろか、面接すら無理。職安のフォローを受けて面接に行ったとしても、同じ学歴レベルだったなら、「フツウ」の容貌を選ぶ。
「人間は顔」
今の世の中、外見至上主義。「フツウ」ではない自分は、社会の枠にも入れてもらえない。
自分を含め“異なる容貌”の者達は、どうやって生きていけばよいのか?
常に、胸と両腕に死を想い描きながら、夢見ている。
死んで、土に還れる。そうすれば―。しかし、それを越える事は、未だ出来ないでいた。
私と同じ病気の人が、開設しているサイトがある。自分の生い立ちと、病気との付き合いが中心。何度か、メールをやり取りして、何度か会ったし、彼女の友達とも仲良くなれた。彼女の友達は、健康体だけど、私達を理解しようとしてくれる少ない存在だった。病気の告白と闘病を、ネットに公開、さらけ出す事を、如何して彼女は出来たのだろう? 聞けそうで聞けない。
胸の内には、何時も相反するモノが蠢いている。
憎悪と慈愛、絶望と希望。呪いなる思いと夢。死と生。
死を選択できれば、少なくとも、この醜い器から解放される。だけど、魂は?
もしも、魂が存在するとしたならば、その魂は救われるのか? それとも……。
持病の事を綴っていた彼女のサイトに気になる、一文が上げられていた。彼女とは、ここ最近、連絡を取り合っていない。闘病の事や趣味の事があったけれど、その一文だけになっていた。
『夜へ翔く鳥は、暁を夢見る』
気にはなったものの、何だか連絡を取る事を阻まれている感じがした。
その言葉の意味は? もしかして?
宗教観からすると、どの宗教も自殺をタブー視している。自殺した者の魂は救われない。自殺は罪とされているけど。死して尚、苦しみ続けるとか。
魂、目には見えず触れることも出来ない。もしかしたら、創から魂など存在しない、ただの幻想なのか? 私にはまだ、解らない。
魂を信じるなら、死を選べない自分がいる。
彼女は、魂を信じていたのかな? その答えを見つけたのかな?
あの言葉は、何を指しているの?
かつて、テレビのニュースやワイドショーでは、ネットで自殺志願者を募り、集団自殺したという事件を時々、やっていた。
私からすれば、健康で「フツウ」の容貌で、ナゼ? と思う。そして、簡単に自殺出来る人が、羨ましく思った。
最近は、連日のように、殺人事件の事ばかり流れている。
遺体の損傷が激しいとか、連続殺人事件だとか、サイコパスだとか、お馴染の評論家とか専門家とかが、ああだこうだ言っている。
でも、被害者に一切の共通点はないらしい。ネットのニュース系掲示板では、
[全ての被害者の共通点。顔を中心に酷く傷つけられている]
と、いうものだった。
ネット上の話が、ワイドショーへ。そして、また論争をしている。
犯人像は、快楽殺人。自分自身にコンプレックスがある。とか。
そして、その犯人像を、あれこれと面白おかしく、マスコミは取り上げる。
ネット上でも、その事件は盛り上がっている。
警察の捜査も、まったく進んでいないと。
この事件は、社会に不安を広げていく。顔を激しく傷つける殺人鬼が。
「フツウ」の人は、この事件に対して、不安を抱くのか? それは如何してなのか? 殺されるのが怖い? それとも顔を傷つけられる事が怖い?
私は、不安でも恐怖でもない、出くわして殺してくれても構わない。
人間の抱く心の闇の深淵には、表には出ない、恐ろしく悲しいモノが存在していて、その深淵が深ければ深いほど、ソノ狂気に飲み込まれてしまう。そのようなことを、私は知っている。
そして、何故か、この事件は、自分の抱いているモノとよく似た狂気が、絡んでいる気がしてしまう。
「―同じ。きっと、同じように、容貌に対して何かしらの感情を抱えている。そう、私が抱く、闇の深淵と同じモノが」
テレビ、ネットの情報から、ナゼかそう思った。
この世の中はつくづく、不平等で不条理に出来上がっている。人間なんて生き物は、愚かでオカシナ存在。世間―社会は、ソレを映し出している。その例が、一時の流行に左右される。乗っていく者、乗らない者、乗り遅れ右往左往する者、そして、はみだし者。その寄せ集めが、この世の中。
世間は、平均的なことを、普通であることが良しとされている。しかし、その普通から少しでも、良い方に傾いても、悪い方に傾いても、叩かれてしまう。
世間、云うならば社会は、「普通」であることを、常に求めるのだ。だから、誰もが「普通」であろうとする。だから「フツウ」でない者にとっては、生き辛い。
―差別偏見、イジメを無くそう! 人権のもとに人間は皆平等―
それは、キレイゴト。キレイゴトを並べるのが、お家芸。その様な言葉を目にするたびに、心の深淵に蠢くモノの痛みを搔き乱し、その傷は闇をより深く広げていく。その様な痛みを覚えて苦痛でしかたがない。
テレビを消すと、暗い画面に、奇なる醜い自分の顔が映ってしまった。画面に映っている自分の顔を見ていると、堪らない気持ちになる。姿が映る物には、全て布を掛けて覆っている。
頭・心の中で、何時も想う『フツウの容貌をしている自分』
それは、絶対叶うコトの無い望み、願い。だから、映る顔を見るコトは、辛く悲しいモノ、苦痛でしかない。
「醜形の醜形恐怖症なのかなぁ」
口癖を吐きながら、テレビ画面を布で覆った。
本来、醜形恐怖症とは『普通の容貌か、良い容貌』の人間が、必要以上に自分自身を醜いと思い込む病。神経症の一つらしい。そして、繰り返し美容整形や、摂食障害になって、重症化すると自殺してしまう。そんな定義だったはず。
私からすれば、贅沢なコトだ。
それなら、現実に物理的に、病気によって醜く奇なる異形の自分が、自分自身の醜い姿に醜い容貌について、醜いと思って苦しむのはどうなのか?
周知の事実で醜いならば、その定義には入らない。周囲の偏見や蔑む視線に、傷つき怯えて生きないといけないのか……。
布で覆ったテレビを見つめる。こらえようのないモノが込み上げてきて、気づくと、変形した頬を涙がつたっていた。
「自殺を選んで決行できる人は、ある意味、幸せなのかもしれない。自殺を思い留まっている私は、どうすればいいんだろう」
みぞおちの辺りが、焼けように締め付けられる。
例の犯人は、どの様な姿で、どんな人生を歩んでいるのか。姿は判らない、けれど、心の中の闇が囁く。
「同じ」だと。どうして、そう思ったのだろうか?
気分を変えようと、久しぶりに夕菜のサイトに行ってみた。
あの一文と、暫く連絡していないこともあって。
『夜へ翔く鳥は、暁を夢見る』
その言葉はそのままで、その一部に隠しリンクを見つけた。
リンク先には
『生まれ変わるために、私は死ぬ。私が私であるうちに』
一瞬、心が射ぬかれた。どういうコト? もしかして、遺書? 自殺?
なんとも耐え難いモノが、込み上げてくる。
『私が私であるうちに』
その言葉が示すコトは、自分自身が知っている。自分自身にも、もしかしたらおこりえることだから。
彼女の友人・流とは、共通の友達。付き合いは、夕菜ほど、長くはない。夕菜を通じて知り合った。
流は普通の躰で普通の容貌。だけど、私達に偏見はなく、普通に接してくれる人、数少ない人物。
彼女なら、「何か知っているのかもしれないが、あまり連絡したこともなく、たまにメールを交わすくらい。
夕菜、どういうこと? 自殺じゃあ、無いよね?
遺書でないことを祈りつつ、私はPCの電源を落とした。
その言葉は、自分の病気の、もう一つの恐ろしさをさしている。
でも、あえて考えないようにした。
第一章出逢い
日が沈むのを待ってから、私は外出する事にしている。昼間に外出するのは、病院か役所。買い物などは、二十四時間営業の店で済ませれば済む。夜遅ければ、昼間の様に人々の視線に怯えなくてもいい。昼間は、面と向かって、色々いう人間がいるが、夜はひそひそと仲間うちで言ってるのが聞こえる程度。気にしなければいいだけ。そのくらいは、慣れっこだ。
だから闇に紛れて行動するのは、昼間よりずっと楽だった。
私は、太陽が嫌い。光そのものが。世界を彩り、またこの姿を露わにする。光のもとでは、この容貌は隠しきれない。運が悪いと、白日の下に晒してしまいかねない。その時の街の人々の反応は、決して忘れられない。
好奇の目、蔑む目、憐れむ目、時にはスマホで顔を写されたり……。
もはや、生き地獄だ。
どうしても、生活する上で街や店に出掛けるけれど、避けれないものは避けれない。
用事を済ませて、街の灯りが遠くに見える人気の無い公園を抜けて帰路に着く。仕送りをたよりにするだけでなく、自分で仕事を探そうとしても、無理。
面接で、あからさまな嫌悪の態度、蔑む視線。ハッキリと言われた事もあった。だから、もう無謀な事は辞めた。自分でさえ、醜いと思うもの。だから他人からすれば、もっと醜く見えるのだろう。
社会は、普通と違う者を排除しようとする。そんなこと解りきっている。
どんなに叫んでも、叫び続け疲れ果てても、どうにもならない現実を受け入れないといけないと、何度も何度も言い聞かせてきた。
公園のブランコに腰を掛けて、星の見えない都会のくすんだ空を見上げた。
「フツウ」の容貌、健康な躰であったならば……。
同じ年頃の友人がいて、彼氏がいて、みんなで楽しく食事したり遊んだり、仕事したりしているのだろうか?
流行の店や、オシャレ、メイク、エステ……。その様なコトは、遠いセカイのモノ。この躰、病気が完治して、「フツウ」の躰になるコトは絶対にありえないこと。極点移動よりも、ありえないコトかもしれない。
消えることの無い痛みと共に、疼き続けている思い焦がれるモノ。
「私は、光の下を歩く事が出来ない」
このくすんだ都会の夜空の下でしか、私は生きられないんだ。
この公園は、安らげる数少ない場所。ここから見える、高層マンションやビルの明かりを見つめて自虐に耽る。ビルの谷間みたい場所で。
月は雲に隠れたり、姿を現したしを繰り返している。今夜の月は、明るい。
人の気配の無い夜の公園。静寂がある。時々、近道に使っている人、犬の散歩をしている人を見るが、お互い無関心でいられる。
だけど、今日は何だか、何時もと違う。何が違うといえば、公園に漂う空気と、何かの気配。通行人でも散歩の人とも違う。
私は、その違和感の気配を探る。辺りを見回すと、花壇の向こうにある木々の陰で、何かが動いていた。そして、人の喋り声というか、呻くような声が聞こえた。じっと見つめる。夜目に慣れているからか、それが二人の人間だと判った。何時から、そこにいたのか。ここは、そういった公園ではないのを知っている。ナゼか、すごく気になり、ブランコから立ち上がり、一歩また一歩と、そちらへと歩む。姿が見えてきたと同時に、二人いた片方が崩れ落ちた。
風が吹く、月が姿を現す。
「あっ」
思わず声が出た。立っている人の手には、月明かりを反射し光るものと、まとわりついている赤いものが、あった。そして、その赤いものが光るものから滴り落ちている。それが、血の付いた刃物だと気付いた。倒れた人の身体から血が染み出して土が、それを吸う。
―何があったの?
何度も見返す。二人を交互に見て、ようやく殺人事件に遭遇してしまった事に気付いた。その瞬間、犯人と目が合った。視線を合わせると反射的に逸らす。視線を合わせると、逸らす癖で逸らしてしまった。
相手は無言のまま、私の視線など気にしてはいないようで、無言で倒れている、女の人の顔を、手にしていた刃物で何度も切り裂いた。
絶句。これが、例の連続殺人の犯人の手口?
そう思ったけれど、ナゼかオカシイほど恐怖感というものが感じられなかった。殺人現場に居合わせて、恐ろしいという感情が湧かない。むしろ、手口の方が驚きだった。自分も殺されてしまうかもしれない、というのに。
だけど、私はただ、見つめていた。土の臭いに鉄っぽい臭いが混じった臭い。すでに事切れている女性の顔は、もとの顔が判らない程、傷だらけでボロボロだった。そして、微かに香水の香り。詳しくないけど、今流行りのファッション。
凍りついた様な静寂。躯となった彼女から染み出してくる血の音が聞こえそうだった。
「お前、如何、逃げたり、叫んだりしないんだ?」
若い男の声がした。フードを深めに被っているせいか、顔は判らない。
彼は、ゆっくりと木々の間から此方へと歩いて来る。
「え。あ、あの」
声を掛けられた事に驚いた。それと同時に、彼の抱いている闇が見えた様に感じた。木の枝にフードが引っ掛かり、深く被っていたフードが脱げた。
それを見計らかったように、再び月が姿を見せた。今日の月は半月。辺りを明るく浮かびあがらせた。月明かりが映し出したのは、美しい顔立ちの無表情な青年だった。幾つか年上といった感じの。月光であるにもかかわらず、彼が整た顔立ちだと分かる。
「普通だったら、悲鳴を上げるなり、逃げ出すのではないのか? こんな場面なのに。何故だ?」
青年は、抑揚の無い口調で言い、私に歩み寄る。
そして、月明かりは無残にも、私自身の姿も浮かび上がらせた。私は、その月光に対して怯んだ。青年が、シミジミと見つめるのが分った。
―よくあること。なれている。
「お前、珍しい顔をしているな。ブスとかそーいうのじゃなくて、何ていうのか、初めて見る顔だ」
しげしげと、見つめる。珍しいモノを見つめるかのように。
夜に誰かに、顔の事を言われるのは、すごく久しぶりだ。夜だけは、みかただと思っていたのに。太陽だけでなく、月明かりまでもが無慈悲に思えた。
「何とでも言えばいい。この奇怪な顔は、生まれ持った病気なの。奇形なの。如何する事も出来ないの。この顔も躰も。目撃者だから殺すの? 殺すなら構わないよ。殺してくれたほうが、自殺しないで済むもの」
私は動揺していた。自分でも何を言っているのかさえ解らないでいた。味方だと思っていた月に、見放され事が悲しかった。それが、私の自滅願望を暴走させる。
「あなた、例の連続殺人犯でしょう? だったら、もう一人殺そうと構わないはずよ!」
「何を言っている。死にたければ自分で死ねよ」
彼は、鼻で笑った。
「出来ないから、言っているんじゃないの」
自殺に踏み切れない自分。だから、誰かに殺してもらうか、事故で死ぬ事を想い描いていた。これは、チャンスかもしれない、目の前には、連続殺人犯。しかも、犯行直後。動揺している私を、何故か面白そうに見つめていた彼だったが、急に辺り視線を走らせる。何かの気配を探るかのように様子を伺っている。
「誰か、来る。―お前も来い。お前と話がしてみたい。だから一緒に来るんだ」
微かに遠いけれど人の話声らしきものが、耳に入る。その気配を鋭く感じとったのか、青年は、私の腕を乱暴に掴んで駆け出した。
突然の事に驚き、私は引き摺られる様にして、公園を後にする。
公園から住宅地へ続く道。この道は、何時も人通りが無いし気配も無い。数メートルおきに、古い街灯があるのみの寂しい道。その道を通り抜けた辺りで、私は、青年の手を振り払った。
「な、何? どうかしたの?」
肩で息をしながら問う。
「僕には、まだ、ワカラナイ。だから、捕まる訳にはいかないんだ」
視点定まらずといった感じで、言う。
「何が、解らないって?」
私は彼の言葉の意味が、解らず問う。
「その“ワカラナイ”何かの為に殺しているの?」
「ああ。そうだ。それを見つける為だ。それは僕の宿命。だから、殺して傷つける。それを繰り返していれば、ソノ、“ワカラナイ”ものの答えが見つかるかもしれないんだ」
答える青年。小さな街灯ですら、彼の美しさが分かる。
その姿は、容貌は、完璧な美しさだった。その美しさに、私は息を飲んだ。
自分が望んでいるのは、正常で「フツウ」の容貌。正常で、美しいから、美人と称される。自分が知っている、芸能人やモデルすらも、圧倒するであろう、その美しい容貌。生まれ持ってのモノなのか? 殺人鬼だから故なのか?
世界には。様々な色やカタチが存在している。だとすれば、私と彼は、その容貌において、対極にあるのだろう。世界は、シミジミ不平等だと確信する。
でも、それが現実。
「おい、お前、この事、警察に言うつもりか?」
問われたけれど、私は、俯く事しか出来なかった。例え、警察に言って、話しても、自分の様な容貌の者の言うコトなど、信じては貰えないだろうし、むしろ犯人にされそうだ。
物語に登場する正義は、皆、美しい。そして、悪は醜い姿。人間は、美しいものを、賛美するけれど、醜いものは、とことん蔑む。
すべては、容姿容貌が支配している。運命や、その役割まで。
囚われの姫君が、不細工なら王子は助けには来なかっただろうし、来たとしても、姫君の持つ権力財力目当てだろう。そもそも、不細工なら攫われはしない。
つまり、物語においても、美醜は左右する。それが、悲しくてたまらない。
でも、この美しい青年は、世間を騒がせている殺人鬼。何故だろう、殺人鬼だけでなく、なにか例え様のない狂気を、狂気の様な悲しみを感じる。
私は、俯いて、考えていた。なにも言えないまま。
青年は、そんな私を興味深そうに見つめていたようで、ふと口を開いた。
「ふ~ん。お前、一緒に来いよ。このまま、この場にいる訳にはいかないし。お前の事に興味があるから」
と、再び、腕を掴んで、速足で歩き始めた。私は、その言葉の意味を考えながら、引き摺られるように、青年に連れられていった。
相変わらず、人の気配のしない道。その道を通って、住宅街の大きな通りへと合流する。まだ、そんなに遅くない時間帯なので、住宅街の通りは人々が往来していた。その人達の目に私はどう映っているのだろうか。ただの過剰反応なのかな。帽子をさらに深く被る。それに気づいたのか、彼は、さらに足を速めた。
なぜ、この人は、私を連れていくのか? 私の挙動に気付いて気を使うのか?そもそも、私に触っていて気持ち悪くないのか? 色々考えているうちに、青年の本心を知りたいと思った。それに、一瞬感じた、同じニオイ。
彼の言う、“ワカラナイコト”と「答え」が何であるのか、知りたいと思うようになった。
青年が住んでいたのは、私のアパートから、さほど離れていない地区にある高級住宅地。そこにある、高層マンション。マンションというより、オクションのかもしれない。このビルは、辺り一番の高さ。アパートの部屋からも見えていた。底辺の私とは、まったく別世界な場所。
彼は、ここの最上階・ワンフロアに一人で住んでいるという。さぞかし、資産家なんだろう。美貌と財力を持つ、まさに物語に出てくる王子様キャラ。
余りにもかけ離れていて、羨ましさすら感じない。そんな彼が、如何して殺人に駆り立てられているのか。「答え」を探している、その「答え」を見つける為の殺人。如何して、私は彼の言う「答え」に興味を持ったのか、自分の心と頭の中は、疑問が溢れていた。
最上階ワンフロア。専用のエレベータ。実際にあるんだと思った。
青年の部屋からは、街の夜景が一望出来た。玄関先から広がる、リビング。その大きな窓。玄関からでも見えるほど大きな窓だった。部屋は片付いているのか、それとも生活感が無いだけなのか。独り暮らしにしては、広すぎる。そうなのか、なにか寂しげだった。私は、玄関に立ち尽くして部屋を見渡していた。
「あがれよ」
青年は言った。
「僕は、純。お前に興味を持った。別に変な意味ではなく。一種の好奇心かな?
その姿や顔。そして、如何して『殺してくれ』と言ったのかに」
その言葉に痛みを、覚えた。それと同時に、私に対しての興味を持った青年に、不思議なモノを感じる。今まで、興味本位の不躾、蔑みの様なモノではない。
明るい場所では、より一層、美しく見える。完璧な美しさ。そして、近寄り難い何かを醸し出している。そんな人間と一緒にいると、自分が惨めになる。
「興味? この顔に? ただのブスとかとは次元が違う、この顔は病気による奇形なの! 自分でも見たくもない顔なのに! そんなのに何の興味があるのよ」
怒りが込み上げ、隠すことを諦めた私は、帽子を脱ぎ捨て、前髪をかき上げた。
彼はしげしげと見つめ、
「確かにフツウではないな。だけど、それが如何したんだ? それが、お前。お前でしか、ないのに」
純と名乗った青年は、意外なコトを言った。拒み続けていた“当たり前”のことを。
彼の瞳には、私はどう映っているのだろうか? 自分でも凝視する事さえない、この顔を。冗談なのか本当に興味を持ったのか、それとも怖いモノ見たさ?
私は、耐えかねて俯いた。私は、俯く事しか知らない。
すると、彼は含んだ笑いをもらした。
「ふふ。人間は外見―容貌で決めつけられてしまうからな。外見……容姿容貌が、良ければ善しとされる。ソレだけでね。よく言う、“人間は心”なんて、二の次、三の次。関係視すらしない。外見の善し悪しに関わらずにね。中身・心なんてものは、なかなか見極めようとはしない。お前も、同じに思うだろ?」
意外な言葉だった。
「―お前じゃない。―千景。仲條千景」
いい加減、お前呼ばわりされて、嫌になり思わず名乗った。相手も、一応、名乗ったのだから。
「じゃあ、千景。突っ立ってなくて、座れよ。僕は、千景の事が聞きたい。そしたら、僕の事も、話そう」
彼に名前で呼ばれ、内心、初めて、照れ臭いものを感じた。
おずおずと、部屋にあがり、リビングのソファー、純の向かいに座った。
「あなたの言うとおり、この顔だと職にも就けない。行政のフォローも意味がない。例え、面接に行けたとしても、蔑む視線。話なんて聞いてもらえない。採用されても、難癖つけられてクビ。採用は役所への体裁。私の何を知っているの? 仕事だって、出来る範囲でこなしているし、サボった事ないのに」
―私の中身なんて、視てはくれない。と、続けたかったけれど声にならなかった。すると、彼は
「人間の内面までを見る、視ようとする人間なんて稀。いたとしても、時間がかかる。だから、内面なんか見ず、相手を理解する手段は外見で、手っ取りばやく判断する。“外見良ければ全て善し”と、ね。まったく馬鹿げている」
毒を吐くかの様に、言い捨てる。
「そんなこと言っているけれど、あなたは外見で苦労したり蔑まされたりした事無いでしょう?」
美しい容貌の彼が言うと、嫌味にしか受け取れない。
「僕自身のどこが、美しいの? 外見が良いだけで、人間は寄って来たけれど、誰一人として、僕の心まで視ては、視ようとした人間はいなかった。皆が、興味があるのは、僕の容貌。だけど、この僕は、寄り集まって来た人間が、思うようなモノではないのに」
吐き棄てるように言う。その言葉の裏に、何か悲しい影のようなモノが潜んでいるように思えたのは、如何してだろう。
「美しい容貌だからといって、その人間の心までもが美しいとは限らない」
無表情で淡々と。その言葉の意味するものが、悲しみなのか、憎しみなのかは、解らないけれど、良い感情ではないのは確かだ。彼の心の奥底には、底知れないナニかが存在している。それは、自分も飼っているモノと似たモノ。
彼は、ソレが視えたから、私を連れて来たのでは。
「私は、物語にある様な、[姿は醜いけれど、心は清く正しく美しい人間が、試練を乗り越えて、美しく変身する]というのは、嘘だと思う。慰め。清く正しく、真っ当に生きていても、その心は傷だらけで、決してキレイではない」
言っている自分が、悲しくなってきた。今まで誰とも、こんな話をした事はないのに。同じ病気の人とさえ。
自分の容貌に対して、世間から受ける、差別偏見。それは積み上がり鬱積していく。心の傷は、癒えるコトのない痛み。その痛みは、世間の人々に対する、憎しみ憎悪、呪いへと変わっていく。その中に、家族も入っているのも確かだ。
そして、自分自身をも、呪う。救いなどない。
皆、私と同じとなれば、私の痛みを理解してくれる。数えきれないほど、思ったコト。
「他人のコトを、とやかく言う。外見でしか、人間を判断しない人。皆、二度と消えない傷を顔に負えば、きっと、私の痛みと想いを解ってくれるはず……。」
涙が出そうになる。枯れ果てた涙が。
「―だろうな。人間は他人の痛みを理解しようとしない。一応、頭では理解しているつもりだが、所詮は他人事」
淡々と言う。
「心の傷は、どす黒い憎悪に蝕まれていく。そこから生まれるのは、この世のすべてを呪いたいという、愚かな感情。ソレが心の深淵で蠢いている。幾ら他人の痛みを理解し、慈しみの心を大切にしようとしても、それよりずっと、憎しみの方が強い。人間は、外見も内面も悪い方が、よくみえる。他人のソレを見つけ、アラを探り、自分がより優れているコトを、自己満足のネタにしている」
話していて、悲しいのか嬉しいのか、誰にも話せなかったコトが、純という名の青年には、話すコトが出来た。話たかったのかもしれない。
じっと、私の話を聞いていた、純が、小さく息を吐いて
「人間は皮一枚で、全てが変わる。ただ皮一枚、違うだけで、その運命を左右されてしまう。その皮を剥いでしまえば、美醜なんてモノは関係なくなる。外見……、それに意味があるとするのなら、ソレは一体なんだ?」
彼は、虚ろな瞳で私を見つめていた。
「人間が、外見、容貌とかだけでなければ、容姿にも意味が無いハズ」
深い絶望が、滲んでいる。
「それが、今、世間を騒がしている事件の理由?」
恐る恐る問う。少し間を空け
「ああ、その様なトコだね。人間は、外見だけなのか、それとも中身なのか? 心とか魂が在るのならば、躰は美醜を模る器で、心と魂は、その器の中にあるモノ。人間にとって、どちらが、本当に大切なのかを、知りたいんだ」
虚ろな瞳が狂気に満ちた瞳へと変わる。それが怖いというより、同じ様な存在なんだと感じた。
同じだ。容貌と生活レベルは違うけれど、私が想い描いているコトと同じ。しかも、ソレを行動に移している。彼の様な、美しい容貌とセレブな人間の心の深淵には、いったいどんな想いが蠢いているのだろうか? 私とは、また別の意味で答えを探している。彼を、殺人にまだ駆り立てているソノ「答え」が何であるか、私は初めて他人の心に興味を持った。彼の心の深淵が、知りたい。
「―どうして」
初めて、相手の瞳を見つめて言えた言葉。
「言ったハズだ。『答え』を探していると。その答えを見つける為さ」
「答え?」
「そう。人間にとって大切なモノは、何か? 容姿か心か。言い換えれば、器と魂。例えば、美しい器があり料理が盛ってある。一方、歪で小汚い器にも料理が盛られている。どちらの料理を選ぶか? 同じメニューだとする」
私に問う。
「清潔な方。料理なら。でも、味が違うなら、美味しい方。それは、食べてみないと分からない。美しい器の料理は、実はとても不味くて食べれた物ではないかもしれない。小汚い器の料理は、不恰好だけど美味しいかもしれない。そういうコト?」
「違うとは言わないが。それを人間に例えるなら、如何すればいいのか?
僕がソレを試すために選んだ手段、それが殺人によっての人間の価値観の証明」
じっと私を見つめて、言う。
「それで、ただ殺すだけでなくて、顔に傷を付けていたの? そんなのって、遺族には辛いのでは? 大切な存在としていたなら……あ」
自分で言って、ハッとする。自分自身が外見を見ているんだと。
「もし、心が魂が存在するのであれば、大切な存在なら、器・躰にはこだわらないハズ。例え、傷だらけの顔であろうとも、その人に違いない。死んでしまえば終わりであるなら、心や魂を信じず、躰が大切な存在であるのであれば、遺体修復をすれば、その者の躰は永遠に近い。心や魂をみるなら、それは、思い出として共に生きる。火葬すれば骨だけだ。だけど、中身は心は、生き続けれるのかもしれな」
彼の意見からすると、私自身も外見しか見て無いなと言いたいようだ。
「―人を殺して、気持ち悪さとか罪悪感とか無いの?」
はぐらかすように、別の疑問を問う。
「どうかな、始めは、そうだったかもしれないが」
コーヒーを淹れながら、彼は答えた。
「殺し死体を切り刻むのは、変な倒錯ではなく、実験。本当に、遺族はソンナ遺体を受け入れるコトが出来るのか。心の中に、ソレが存在したコトに気付いたのは、中学の頃だったかな―」
二つのカップと、小さなクロワッサンが入った籠を、テーブルに置きながら、自分の生い立ちなるものを、ゆっくりと語り始めた。
「僕の両親は、世間で言う、セレブ系。周囲からも、羨ましがられ、疎まれる様なものだった。それなりに評判も良かったようだったし、例えるならば、まるで、ロマンス小説を現実にしたような存在だったのを、覚えている」
ただ、淡々と続ける。昔話を語るナレータの様に。
純の父親・龍二は、俗にいう、イケメン・エリートでハンサム。普通の男ならば、欲しいと思うものを、全て持っていた。その容貌から、芸能界やモデルにスカウトされる事もあった。学生時代に何度か、若い女性向け雑誌や、若い男性ファッション誌でモデルをした事もあった。
ビジネスの才能もあり、そんな彼の周りには、いつも多くの女性達が取り巻いていた。話も上手いので余計に。同じ職場の男達は、次元の違いを知ってか、そんな彼を、特に羨ましいとも思わず、取り入ったり、陰口を叩いたりはしなぁった。現に、仕事を幾つも抱えこなしていたから。デキる男と自分達は違う。そう思うだけ。龍二には、強い野心があった。会社の重役になっても満足することなく、もっと上、ゆくゆくは自分で事業を起業したいと考えてた。しかし、もっと伸し上がるには、後ろ盾が必要だった。今の自分では不十分。それなりの後ろ盾を、権力と財力が欲しい。今まで、自分の力のみで伸し上がって来たけれど。ナルシスト。常に完璧でないと気がすまないタイプだった。
そうやって生きてきて、同期や部下が次々と結婚し家庭を持つようになってくると、独り身の自分は負け組に入る。見下していた者に、負ける。
それがたまらない、焦りになっていた。家庭を持つことにより、信用度が上がる。ならば、自分の取り巻きの中から、後ろ盾を持ち、尚且つ美人な女性を。学歴もあり、性格も良く、そして自分に従順であるタイプ。そんな女性、はいないかと、考えていた。一度だけ、仕事を共にした女性。彼女は、取り巻きの中には入っていなかったが、美人でエリート大学卒業。仕事のパートナーとしても良かった。控えめな性格。なにより、彼女が有名財閥の一人娘であるということ。丁度、彼女も見合い話ばかりで、うんざりしていると話していたので、これは好機だと、龍二は、後の純の母親になる、恵利華に結婚を申し込んだ。恵利華の両親や親族は、龍二の経歴と実力を気に入り、婿・後継者と迎え入れた。
重役まで勤めていた大企業を辞め、妻・恵利華の財閥企業で働く事となった。重役でないにしろ、後継者として。そのことで、周りの羨望を今まで以上に受け、自分は選ばれた、ごく限られた階級、存在になれたと思った。
誰もが羨む、財力と権力。生活スタイル。日本だけでなく海外の企業との、煌びやかな懇親パーティー。政界との付き合い。なに不自由ない生活。権力は使えるだけ使い、財力にものをいわせる。
妻、恵利華との暮らしもいたって、問題ない。相変わらず取り巻いてくる女性はいるが、今ではうんざりしていた。恵利華は、取り巻きの女性達の事を気にしいた。恵利華の機嫌を損ねれば、親の機嫌も損なう事になる。だから、すべて切り捨てた。
そして、純が生まれた。初孫に恵利華の両親を始めとした親族は、新たな跡継ぎができ、喜んだ。すべては、映画や小説の様な感じ。二人を知る者達は、皮肉を込めて「リアル・ロマンス映画生活」と、囁いていたが、それは賛辞。
今の自分は、欲しかったもの全てを手に入れている。息子・純の成長と共に、幸せな家族として、映っていた。
龍二の両親は、彼が会社で出世すると共に、相次いで他界している。どちらかといえば、早死にの家系だったのかもしれない。父も母も、エリートコースで仕事人間。仕事と体裁を保つ為に必死で、自分の病すらも放置し死んだ。
だから、龍二は両親を越える仕事と後ろ盾が欲しく、必死だった。
もちろん自身の管理も怠らずに。
そんな満ち足りていた生活が、一変した。
そう、あの日から。
純が、小学校の中学年の時、母・恵利華が事故に遭い、瀕死の重傷を負った。生死の境を、さ迷った。なんとか一命は取り留めたものの、その身体には、事故の生々しい傷跡が残り、自慢だった美貌を失ってしまった。
それでも、恵利華の両親は、娘が生きていてくれただけで、良かったし、純も母親を失わなくて、済んだ。意識もあり意思も交わせる。酷い傷跡と後遺症が残った。病院では、仕事の合間に献身的に妻の看病をしていた、龍二だったけれど、退院して自宅療養に変わると、恵利華に対する態度が変わってしまった。
妻の面倒の殆どは、妻の母親か、家政婦と看護師が看る。挨拶程度の会話しかしなくなり、仕事ばかりするようになった。妻の事情を知った者達は、妻の事を構わない、龍二を責めたりしたが、彼は気にしてはいなかった。
元々、女性に取り囲まれていた龍二。取り巻いている女性も、地獄耳で、妻との関係が良くない事を察し、再び取り囲むようになった。そんな環境が長かった事もあり、女癖も良くなかった。恵利華と結婚してからは、その癖を改めていたけど、今の妻をとても、妻として見る事が出来なかった。妻の実家の企業財閥の中でも、頭角を現している自分を、妻の両親とて蔑ろには出来ないハズ。そう思っていたのか、昔の、女癖の悪さが再発し、取り巻きの女性の中から好みの女性を見つけ、愛人として数人を囲う。もちろん、仕事は完璧にこなすが、家庭を顧みることは減り、家に帰ってくることも稀になっていた。
事故で、消えない傷跡を負い、容貌も崩れてしまった、妻・恵利華に同情する者。妻を棄て、愛人を囲う夫を理解出来るという、二つの意見に割れていた。
それでも、妻・恵利華は、夫・龍二を信じ続けていた。
財力と情報、あらゆる最先端医療を駆使し、また傷に良いとされる物を積極的に取り入れ、傷跡は少しずつではあるが、目立たなくなり、身体の歪みも矯正されつつあったが、顔に負ってしまった傷は消えない。目立たなくはなったが、容貌は変貌し、讃えられてた自慢の美貌は、二度と戻らなかった。
それでも、恵利華の両親と純は、恵利華と会話が出来て、同じ食卓を囲み、同じ食事が出来るまで回復したことが、良かった。
だけど、恵利華、自身の落胆と絶望は深く、夫が戻らないのは自分のせいだと、心に大きな傷を受けた。龍二が、愛人を囲っている。戻って来ないのは、この顔のせい。この姿のせい。
「あんなにも、愛してくれたのに。愛していたのに」
恵利華の悲しみと絶望は、日々膨らんでいった。
久しぶりに、家に戻って来ていた、父・龍二に、幼い純は問い詰めた。
「どうしてママの事を見ようとしないの? お話しないの?」
と、子供に大人の事情など解るはずもない。
「―お前にはまだ、理解出来ない事かもしれないけれど、あれは以前の、恵利華では無い。死にぞこないのバケモノだ」
幼い子供に対して、嫌悪を露わに答える。
「なんで? そんなこと言うの? ケガ治ってなくても、ママはママでしょう? 同じママだよ?」
以前は、夫婦仲良く、親子仲良くしていたのに。
「どうして?」
「いいかい。純。人間は外見だ。人間は顔だ。容姿容貌が良くないといけない。外見が一番大事なんだ」
吐き棄てる。
「外見が良いだけで、それが人間としての特権。世の中には、外見より心の方が大切と言う者がいるけれど、それは、外見が悪い者の言い訳だ。外見、容姿が良ければ、例え頭が悪くて貧しくても、人間として扱ってもらえ、悪い頭は良くなるし、金持ちにもなれる。外見が醜い者は、排除されるものなんだ。だから、アレはもう人間なんかじゃないんだ。バケモノだ」
きょとんと、している、純に、父・龍二は吐き棄てるように言った。
―それが、父親の本性だったのだろう。
恵利華の両親親族は、多額の金を払うから、離婚してくれと申し出た。これ以上、恵利華の事を蔑ろにされるより、愛人を囲われるよりマシだと。しかし、龍二は、それに応じなかった。今更、後ろ盾や地位名誉を手放したくはない。
恵利華も、まだ龍二の事を信じ、離婚するつもりはないでいた。
いつか、戻って来てくれると。
その話が出て以来、家に龍二が二度戻って来ることはなかった。
恵利華の両親親族は、龍二をどう扱うか悩んでいた。仕事は完璧。失えば、そのフォローが、大変になるかもしれないと。そんな話がされていた。
恵利華は自殺した。焼身自殺だった。新婚時代、よく行っていた別荘で。
それは悲惨なものだった。残ったのは、炭化した骨だけだった。恵利華は、美しかった自分の姿に戻れる事を、恋い焦がれながら、醜くなってしまた自分自身を許せなくて、そして、自分を棄てた夫を憎んだ挙句に、躯が残らない方法を選んだのだろう。
死別して尚、離婚はしない。籍を抜くつもりはない。恵利華の両親は顧問弁護士を通して、龍二に籍を抜き、会社から去るように求めたが、龍二もまた、一流の弁護士を立てて、抵抗した。
残された純は、母方の両親に育てられる事となった。母の両親は、人間は最終的には「心」だと、言い聞かせた。そして、後継ぎとして、教育した。
いかなる手段を持ち得ても、龍二を許すことは出来ない。純は、毎日の様に、父親の裏切り、恨みを口にしている、祖父母と暮らしていた。
純は、人間に関する本、哲学書から医学書、文学などを読み漁り、
どちらが、本当に大切なのかを、自身に問い続けていた。
しかし、本には、求める「答え」は、書いていなかった。
何時しか、
『人間は何であるのか? 外見と心のどちらが、大切なのか?』を、
心と頭の中を占める様になっていた。
その間も、父・龍二との絶縁状態が続き、泥沼裁判も続いていた。
恵利華の、三回忌を期に、今後に付いて話し合いたいと、法要にすら来なかった、龍二を祖父は呼び出し、復讐に出た。
それは、恵利華が味わった苦しみと同じ苦しみを、龍二にも味あわせる事だった。龍二は、何よりも、外見に拘るナルシストであったから。だからこそ、同じ苦しみを。
そして、行動に出た。
「純を、成人するまで、きちんと育てるのであれば、籍を抜くという話は無かった事にする」
と、誘い出した。
ソレは、大きな賭けだった。交通事故を装っての復讐。親族、顧問弁護士も巻き込んだ計画は、成功した。車で崖下にダイブするというもの。そして、爆発炎上させる。ただし、命までは奪わない様に。
計画は完璧に成功した。後は、関係した者は黙っていれば良い。皆、祖父母の、母・恵利華の味方だった。そういうものだった。大財閥ともなれば。
祖父は重症で、殆ど身動きが出来なかったが意識は、ハッキリとしていて、事の顛末を待つまでと、なっていた。
そして、プライドが高く、人一倍外見に拘るナルシストな、父・龍二は、全身に大火傷を負った。意識がハッキリしている分、それは地獄だった。
『人間は外見が全て』だと信じ切っている、彼は、事故以来、人目を避けるようになり、閉じこもるようになった。そして、プライドの高さからか、自殺する事も出来ずに、酒と薬に溺れる日々。過去の栄光だけが、壊れた自分の姿の中で輝いている事が、たまらない。そして、薬漬けの日々が続き、過去の栄光と現実の狭間で、自堕落な生活の末、ついに発狂し、涎と涙を垂れ流しながら、街の中を徘徊しているのを保護され、専門の施設へと収容された。
その知らせを聞いた、祖父は、龍二の籍を抜いて、満足気に笑うと、暫くして、息を引き取った。命を懸けた復讐。親族は皆、大財閥を切り盛りするので必死だった。唯一の後継者である、純にその後継を託して。
純は、祖母に育てられた。大学を卒業し大学院に進む。その夏に、祖母も
他界した。大財閥の後継者。それが邪魔だった。親族の中には、才能も商才も持っている同じ年頃の従兄妹がいる。彼だって、後継者になっても、この先もやっていける。そう考えた、純は、昔から、祖父母に使えてきている、顧問弁護士を通して、親族との縁を切り、籍を抜いて、自分が貰える、祖父の遺産を
貰い、全てを処分した。無論、親族の中には、引き止める者もいたが、
「自分はふさわしくない。遺産で、自由に生きていきたい」と言い、
このオクションの、最上階ワンフロア―を買って暮らしている。元々、財閥所有の物件。買ったと言うより、貰い受けた。
大学、留学、色々な大学の聴講に通い、「答え」を探し続けていた。
その「答え」は、未だ、見つかっていない。
父・龍二は、今も施設の中で、狂気と幻想と過去に囚われたまま、国からの保護で、生かされている。何時か、正気に戻り、自分のしてきた事に気が付き、その時、どう思うのだろうか……。
人間は外見、姿形容貌が全てなのか? それとも、心なのか?
「僕は、未だ、その「答え」が、解らないんだ」
一呼吸し、彼は過去から現在の話へと戻す。
「人間は、外見によって、人生を左右されて生きているのか? 姿形で、その人物像を決められてしまうのか? 皆違うのに。それぞれ違う顔、体型なのに。病気や障がいの見た目。同じ人間、生物学でいうヒト。同じヒトであるにも関わらず、その様な者は、差別され排除される。その一方で、偽善というもとで、もてはやされる。―そのあたりの事は、お前の方が、よく知っていると思う。僕が、殺人を続けるのは、ヒト、人間は人物は、何が一番大切なのか? ソレを知りたいが為、人間の根源的なモノを探している。一皮むけば、皆同じ。中身は、排泄物が同じ様に詰まっている。……知りたいんだ「答え」を。外見ではなく中身のモノを」
言って、カップのコーヒーを飲み干す。
彼の話、幼い頃に崩れてしまった家族愛。父親への恨み、母親の自殺というトラウマ。きっと、そこから彼が彼なりの「答え」を見つけるために、殺人を犯す方法を選んだんだ。思ったけれど、口には出さなかった。
「世間でもネットでも騒がれるような事件の犯人、その顔は一体どんな顔であるか、フツウとかブサイク、かと言って、すごいブサイクでもない、どこにでもいるような普通の人間の姿形。まあ、表情とかで性格がある程度、把握出来るけれど、それは「答え」ではない。ロリコン系の犯罪は、また別で、漫画とかで共通して描かれる人物と、似ている。もし、ロリコン系犯罪の犯人が、大手芸能事務所のタレントみたいな顔だったら、世間はどういう反応をするのか? そういうことを考えていると、わくわくするんだ」
「あなたは、マスコミやネットが言っている犯人像とは、全然違うし、犯人の心理分析とも、違うね」
「そうさ、だから尚更、知りたいんだ。その時の反応が……でも、まだだ、まだ」
美しい容貌は、狂気に満ちた笑みに覆われていく。美しき狂気。だけど、
「でも、両親の事だけで、そこまで求めているワケじゃあないでしょう? 他にも何か、関係しているんじゃないの?」
カップをテーブルに置き、純に問う。
「ふ~ん、結構鋭いんだ」
ふふと笑い
「そうだね。もう一つの要因は、中学の時だ。クラスメートの女子が自殺した。
彼女は、僕の母親と同じような結末を選んだ。その時から、人間の容姿容貌について、また、心と魂について考えるようになった」
新たに、コーヒーを淹れて、純は、また語り始めた。
それは、純が中学生の時の話。
純は、その顔立ちから、校内の女子生徒の間では、憧れの存在となっていた。本人は、その事に対して嫌悪を感じていた。自分を取り巻こうとする女生徒。心の中まで視ようとしない。
同じクラスに、藤田愛美という、芸能界を夢見る美少女がいた。彼女もまた、その美貌から、男子生徒の憧れで、多くの男子生徒に取り巻かれていた。自分は、皆のアイドルで、自分自身そうであるべきだと思い、そのように立ち振る舞っていた。純とは、対極の価値観。純は、取り巻かれるのも、持て囃されるのも、極度に嫌っていて、仲の良い友人なども作らず、空き教室か図書室の隅で、ひっそりと読書などをして過ごしている。始めは、興味本位と憧れから取り巻いていた女子生徒達も、純が無視を貫いている事と嫌悪感を滲ませているのに、気付いた女生徒から離れていき、空気読めない女生徒は未だ、付き纏っている。それでも、遠くから見つめる女生徒は多かった。
純とは正反対の、藤田愛美は、社交的で、常に自分が中心にいないと気が済まないタイプだった。何時も、取り巻きの男子、その中でも自分の好みの男子とは、会話し遊んだりしていた。女子生徒の殆どは、彼女の存在を嫌っていて、一部、同類に近い女友達と、ワイワイ過ごしていた。そんな、愛美が、美貌の純を放って置く訳が無かった。
ある日、愛美は純に、告白した。
「ねぇ、私と、お付き合いしようよ。私達って、美男美女で絶対に、お似合いのカップルになれるよ!」
愛美は、愛想を振りまきながら、空き教室で一人、本を読んでいた純に言った。
「興味ない。君には、沢山の男友達がいるだろう」
本から目を離さずに、抑揚の無い声で言った。
「え、だってぇ~、私と、あの人達じゃあ、つりあわないよー。やっぱり、カッコイイ純くんと、キレイな私は一緒にいるべきだよ~」
「何を根拠に、そんなことを言えるんだ?」
冷たい声で言う。
「興味、あるの、純くんに、カッコイイし頭もいいし、お家もお金持ちで、まるで王子様みたい」
純の事を全て好きと言わんばかり、自分が可愛いと思っている表情を浮かべて、甘ったるい声色で言う。
「それは、僕の顔と家の事だけだろう? なら、君は僕の全てを知って、それでいても、僕を受け止め好きでいてくれるのかな?」
本を乱暴に閉じ、トゲのある口調で言った。しかし、視線を合わせはしない。
「うん? 純くんのことなら、なんでも好きだよ、私」
ニッコリと、笑って答える。
「それじゃあ、この顔が焼け爛れても、好きと言える? なんなら、硫酸でも顔にかけてみようか? その後の僕を見ても、君は好きと言える?」
恐ろしく冷たい目と声、敵意を込めて言った。
「なに、言っているのよ。純くん。純くんは、その顔でカッコイイから、純くんなの。変なコト言わないでよー。それとも、誰かと付き合っているとか?」
笑いながら言う、愛美に
「いない。誰も好きになんてなれないし、ならない。本当の僕を視ようとする人間なんて、何処にもいない。それに、この顔で無ければ、君の様な五月蝿い者達に関われずに、すんでいただろう」
憎悪を込めて言った。こんな態度をすれば、普通の頭の人間は離れていくが
「な、なんで? どうして、そんなこと言うの? カッコイイのに、そんなこと言うなんて、信じられない」
ぱっちりとした二重の目を見開いて、愛美は溜息を吐いた。
……頭の中を見てみたい。純はウンザリした態度。
「僕は、外見を重視したり、拘ったりする事に対して、心底嫌なんだ。顔とかスタイルとかを、何だかんだ言うのも嫌いだ。どんな姿であっても、どんな姿になろうとも、その人はその人だし、本人にちがいない。今の僕の顔、この顔で無くなってしまった僕を、僕として認めてくれる人間。僕の心の奥底を見抜いた上で、僕の事を受け入れてくれるコトが出来る人間でないと、僕も相手を受け入れる事は、出来ないね」
言って、深呼吸し
「藤田さん、先日も、告白されていたじゃあないか。その様な人の方が良いと思うけど? 僕よりも、ずっと」
「えー。見てたの? イヤー。あれはないよ。あんなことされると、ウザいよ。よく言えるよね、豚男のクセに。私と付き合いたいなんて、言う権利ないわー」
甘えていた態度を一変させて、愛美は悪態をつく。
「やっぱり見た目。お金持ちだともっといい。ね、だから、純くんみたいな人がいいの」
再び甘えた態度になり、媚びるような声で言う。
「藤田さんが、その様な考え価値観なら、絶対に無理。嫌悪と吐き気を覚えるよ。僕の一番、許せない価値観の人間だ」
そう吐き棄て、純は愛美を見ることなく、空き教室を後にした。
「……なによ。どうして、私ほどの美人が、拒絶されないといけないのよ」
愛美は、くやしさに涙した。
―純の話からすると、その愛美って女子生徒は、全ての男子が自分に振り向いてくれ、好意を持ってくれる。そういうものだと信じていた。その上、男子や、多分、親や教師も、自分の事をチヤホヤしていたのだろう。それが、当たり前の事だと思い込んでいる。現に、社会人になっても、その様なタイプはいる。
自分の容貌に、絶対的な自信を抱き、自分の言う事は誰でも、聞いて叶えてくれると。自惚れたプライドとナルシストさも、半端ない性格。女の敵は女というけれど、彼女の女友達もまた、同類でありながらも、心の中では、お互いを牽制し合い、粗探しをしていたのだろう。そして、これは想像だけど、容姿にめぐまれない女子生徒を、自分の引立て役にしていたのかもしれない。おとなしく、自分で物を考えない流されるタイプの。
そんな彼女の自尊心を崩したのが、純。中学生レベルなら、幻想に幻想している年頃。
「彼女は、相手を振る事はあっても、振られた事なんて無かったんだろう。あの時の様子からすると、物凄いショックを受けたんだろうな」
純は、鼻で笑う。
「美男美女が、ロマンスを繰り広げるのは、甘ったるく吐き気のする物語の中だけ。現実的に考えたら、そこには、憎悪も必ずある。永遠に続く美しい愛なんてものは存在しない。ウェディングのCMと見ていると、バカバカしく思うよ。その時だけのコト。その先には、現実しかない。様々な事が入り混じった現実しかね」
純は、その心に深い闇を抱えている。そして、闇の深淵でソレは渦巻いている。私は、その渦巻くモノが視えた。同時に同じ種のモノだと感じた。
「他にも、今時珍しいけど、生まれた時から結婚が決められていた二人がいた。その二人は古い財閥の家系。親族間のやり取りで決められたそうだ。校内では有名な話で、殆どの生徒が、二人の関係を知っていた。女生徒の方は、世間で言う普通の容姿。男子生徒の方は、藤田愛美の好み顔だった。彼女は、二人の仲を知らなかったのか、そんなことは崩せると思っていたのか、相手の女より、優れている容姿の自分に振り向くとでも思ったのか、言い寄って行って、あっさり振られた。その腹いせに、相手の女について、在ること無いこと言い回っていたけど、皆、二人の事を知っていたので、誰も相手にしなかった。「何を言ってるんだ?」って、感じだった。そして、先生に怒られて泣いていた。先生達の中にも、愛美を贔屓する者もいたから。先生に怒られるなんて、思っていなかったのだろう。信じたのは取り巻きの中でも、愛美の狂信的な男子生徒だけ。そんな事を繰り返していた、ある日。バカにし、酷い言葉で振った男に刺された。いや、切り付けられたって方が合っているかな。
その男子生徒は、愛美に振られた挙句に、取り巻き達にイジメられまくっていたよ。多分、愛美の指示で。その報復を受けた愛美、命に差しさわりも無く、軽傷。入院の必要は無かったって、聞いたけど、彼女は少入院した。我儘を言って、個室。一か月以上も休んで、登校してきた。今の時代なら、ワイドショーのネタみたいな事件だった。
彼女より、犯人の男子生徒への同情感が強かったのを、覚えているよ。だから、彼女に同情する生徒は、殆どいなかった。かつての取り巻き達も、距離を置いた。それが、何故なの理解できない彼女は、以前と変わらず、愛想を振りまいていた。その姿が滑稽だった。
事件をきっかけに、取り巻きは離れていった。それを、自分が招いた結果である事だと気付かない。自分の取って来た、言動行動の結果だとは思はずに、皆が離れて行ったのは、顔に残った傷が原因だと思い込んだ。
事情を知る、生徒は分かっていた。彼女の性格だと。やがて彼女は、不登校になった。今まで取り巻いていた連中も、手のひらを反して、
『藤田愛美は顔だけが取り柄だった』とか『付き合うなら、性格のいい子』
とか言い分は変わっていった。事件も自業自得とか。
『怪我も数針縫う程度ないのに、我儘言って、入院して、しかも重症の人とが入るべき個室。登校してみたら、同情されるとでも思ってたのかな? でも、皆がスルーするので、不登校』そんな話ばかり。
それで、「答え」への道を見つけた。何だかんだでも、やっぱり外見か。
容姿に絶対的な自信を持っていた愛美は、引きこもりの末に、自殺した。
それが、きっかけ。僕が、さらに容姿容貌、心について、考えるように動き始めたのは。
『この様な顔じゃあ、生きていけない』
と遺書があったそうだ。皆が離れたのは、彼女の責任。傷跡なんて残っていなかった。でも、自分の顔がダメになったから、皆が冷たくなったって勘違い。
芸能界でもブサイクはいるし。それを売りにしている。
でも、世間はそうじゃない。ブサイクキャラは面白くても、ブサイク。
いくら性格が良くても、見てくれが悪いと、イジメのターゲットになったり、美人だった者が、顔に怪我とかして、引きこもるのも、結果として同じ。
容姿容貌が人生を左右して、時として、人間は容貌によって容貌に殺される。容貌こそが、人間の命かもしれないと……。
だから、僕は殺して死体を傷付ける。本当に必要なのは躰の方か、それとも中身、心、その人間の人柄か、『答え』を出すため、見極めるため」
ギュッと、拳を握りしめる。
「躰と心、どちらが大切にされるべきモノなのかを、社会に投げかけ、問ただすために、僕は行動しているんだ」
「自分にとって、あるいは自身にとって、どちらが必要で大切なのか? それを確かめる手段。目を背けたくなる遺体。その人の心だけ見ていたなら、そんあ遺体でも受け入れられるかもしれない? どうせ火葬され骨になってしまうのだから、残るのは思い出だけ。記憶だけ。二つで一つというのであれば、どうして、外見を重視するのか? ワカラナイ。「答え」は出そうで出ない。
だから、犯行を続けて遺族とかの反応を見て、検証する。反応次第で、その犠牲者が、心を大切にされていたのか、外側だけの存在だったのかを。
僕は狂っているのかもしれない。この手を血に染めるコトで、父親への復讐、社会への問いかけをしているんだ」
クセなのか、大げさな身振り手振りを混ぜて話す。
「……それで、人を殺したの?」
如何して、美貌で高学歴、金銭的にも恵まれている彼は、そこまで人間に拘るのだろうか? 彼は人間の内面、心を追い求める事に必死で殺人に走ってしまったのか。それとも、人間自体が嫌い。過去の経験から推測するにも、腑に落ちないモノが。私とは対極にあって、美しさ故の苦悩なのか?
じっと、純を見つめ、表情、仕草、言葉の端から、本音を探る。
それに、気付いたのか、私の思っていたコトを言い始めた。
「もし、僕がこの様な容貌ではなくて、フツウ程度の容貌であったならば、この様な行動には、走らなかっただろうし、両親の件とか家の事とか無く、普通の家庭だったなら、人間の姿形に囚われず、考えもせずに生活しているかもしれない。だけど、僕はこの容貌で、父の母へ対する言動行動があり、母は自殺し、父は廃人となった。もし、父が傷を負ってしまった母を大切にしていれば、僕は、敷かれたレールを歩き、代々続いている財閥を継いでいたのかもしれない。全ては、父の所業が原点。外が美しいなら、中身は必要ない。心なんて無駄なモノ。醜いから、蔑まされ、その尊厳までを否定される。父の言葉が、過去が、僕の容貌と金だけで寄り来る人間達、それらが、追いつめてくる。容貌さえ良ければ、それでいいのか? 心は必要なのか? その疑問が僕を殺戮に駆り立てる。お前、千景とは逆で、美しさに対して不条理なモノを感じている。外側だけ見て、中身を見ないのは同じ。僕は、そこを闇に付け込まれて惹かれてしまったんだ。深い憎悪に囚われている。醜形恐怖症の者が、己の容姿に嫌悪するかのように、僕は自分の容貌を嫌悪している。そこは、よく似ているだろう?」
私の事を、じっと見つめて言う。
「あなたが、その様なコトいうと、物凄いイヤミに感じるんだけど」
「正直だな」
笑う、純。
「世の中、確かに美しいモノが善いとされている。貧乏より金持ちが善い。世間の評価は、そういうモノ。貧乏でも必死に生きている人間もいるし、ブサイクはブサイクなりの生き方がある。お金さえあれば、ブスやブサイクは美容整形すれば、解決するだろうし。でも、病的奇形、先天的な奇形な人間は? 私の様な存在は、現代医学の限界。フツウになるなんて、絶対に叶えられない。どれだけ叫び望んでも、虚しい慟哭だけが闇の中でコダマするだけ。フツウの容貌に生まれていたなら、こんな苦しい絶望なんて知らずにすんだのに」
想いの果てを吐き棄て、私は何時もの様に俯いた。
「似ている、そして対極にありながら。僕と千景、内なる世界は近いのかもしれない。―そうだ、千景になら、僕の行く末を見届けてもらうのに、相応しい。千景なら、人間の中身、心・魂を求め、ソレを視ようとするコトが出来る。現に、僕の心の闇の深淵を垣間見たんだろ? だったら、この先も見届けてほしい。心の深淵そのまた先と、この事件を世間がどう受け止めるのかを。結末を、マスゴミはどう扱い、ネットは祭りになるのかを。僕が犯人だと知った時、社会は震撼するのかもしれない、“狂気に染まった、美貌の殺人鬼”に」
見届けろ? 如何いうコト? 俯いたまま、考えていた。心底、人間を憎んでいる、美しい容貌を持つ青年、純。その美しい容貌とは裏腹に、心の一番深い処には闇。そして、ソノ闇の深淵に蠢く狂気。本当は、一体何を求めているのだろうか? 彼の云う「答え」だけでは、ないような気がする。
私も、同じ闇と狂気を心の闇の深淵に住まわせているけれど、ソレを押し殺すだけで、何も出来ないでいる。
ワイドショーなどで、論じられている犯人像と、純は掛け離れている。性格、容貌とか。ただ
『犯人は、異様に顔などに執着している』と云う部分は当たっていると思う。
でも、誰も私の目の前にいる、美貌の青年が真犯人だとは思わないだろう。おそらく、信じたく無いのだ。容貌・学歴・家柄。
もしかしたら、彼はソレを狙っているのかもしれない。世間社会の常識価値観を引っくり返すコト。
彼のような美貌の持ち主が、こんな犯罪は起さない。この様な、猟奇的で残忍な犯罪は、社会の負にいる者が起こす。と、言う事を、そうではない。
幾ら、美貌の容姿であっても、この様なコトを犯すのだと。
それが本音?
―あるいは、生立ちによるもの。幾ら、良い家柄に生まれ育ったとしても、幼い頃のトラウマが暴走する。彼の話が本当だとしたら。
真犯人には違いない。私は、見てしまっているのだから。
被害者は大学生くらいの歳。派手でオシャレ系の女性。
息絶えた被害者を、キャンパスに見立て、まるで、筆を走らせるアーティストの様に、彼は、刃物でアートの様に傷を刻んでいた。
彼の犯行を目撃した。そして、認めた。普通なら、目撃者は殺されたりする。
でも、何故、私はここで、彼と話しているんだろう? 一人殺そうが、二人殺そうが、同じなのでは?
なのに彼は、「答え」を探していて、その末を見届けろと言う。それは、心の底に、同じ闇を抱いているからか。この奇形な容貌に、興味があるというけど、どの様に受け取られているのかは、解らない。
ただ、人間は容姿と心の、どちらが大切にされるべきか? の疑問について同じ感情。
解らない事とすれば、如何して部屋に連れてきて、自分の昔話を聞かせるのか。彼独自のセオリーを語るのか? 聞きたかったけれど、聞けないでいた。
二杯目のコーヒーは、冷え切っていた。
大きな一枚ガラスなのだろうか、大きな窓からは、白み始めた東の空が見えた。私と彼は、なりゆきで、「人間の外見と心について」一晩中、語り合っていた様だ。時間の経過が、分からない程。そんなにも、語り合っていたんだ。
私は、誰にも語れ無いでいた事を彼に語り、彼は、誰にも語らなかった事を、私に語った。殺人犯と目撃者が、そんな事になるものだろうか。
二人とも、お互いに口を噤んでいたためか、目覚めようとしている静寂の街。窓からは、微かにだけど、パトカーの赤色灯らしき赤い光が幾つも行き来していた。
「どうやら、お出ましみたいだ、な」
何故か嬉しそうに、窓から見下ろし眺めている。
朝の光に照らされて浮かぶ彼の顔は、綺麗なのに。彼の心の深淵に蠢くモノは、どんな姿をしているのだろうか? 私は容貌も醜いうえ、心の深淵には、血と膿に塗れた醜いモノが蹲っている。
「そ、それじゃあ、私、そろそろ……」
立ち上がろうとする私を、純は制した。
「ダメだよ。千景、お前には、僕の行く末を見届けてもらうと、言ったはず。お前には、僕の心の深淵に蠢いている狂気、その正体を、解って貰える気がするんだ」
じっと、私を見つめ、静かに言った。だけど、束縛的な命令の様な感じを受けた。
「え、帰らないと。……ここに、居るとしても、色々と―」
俯いて言う。目撃者だから、手元に置いておくのか? それとも、見届けさせるため?
「仕方ない。一緒になら。着替えとかの最小限。まあ、通報とかするつもりなさそうだから、スマホは持ってていいけど、誰とも連絡しないと約束。メールは返信してはいけない。パソコンは、余分にある物で、ネット見るくらいなら使っていい」
反対する事の出来ず、従う。反論しても、勝てないし、意味が無い。それならば、彼の云う通り、彼の行く末と「答え」を見届けてもいいかもしれない。自分には、居場所も還る場所も無い。家族さえ、私の事、心配しないから。
結局、着替えだけ持って、純の部屋へと戻った。
途中、ガラガラのファミレスで、朝食を済ませて。純の部屋には、生活感が全くない。だからといって、コンビニや惣菜店で済ませているようでは無かった。
外食だと、目立つ容貌。人間嫌いの彼は、外食でもないだろう。やっぱり、定期的に、メニューを選んでいた物を届けてもらうのかもしれない。
その日から、純と私の、奇妙で微妙な生活が始まった。
第二章箱の中の猫は?
純の一日は、自分の犯行が、どの様に取り扱われているか、テレビとネットを巡回して、報道内容・ネットの反応を、まとめて分析している。それを、論文の様に、ノートに綴っている。その、ノートは見せてくれないし、数台あるパソコンのうち、私に使わせてくれるパソコン以外は、ロックしている。まあ、そこまで、興味は無いけど。生活感の無さの理由の一つ、食事は、ケータリングサービスを利用していて、出来上がった物を配達して貰っていた。毎日ではなく、週一か、二週間分をまとめて。直接届けに来て、先週の物を持って帰るようにしているらしい。そのサービス会社も、元実家の財閥系列のもの。
私には、ゲストルームという、部屋を使わせてくれている。テレビや雑誌にある様な、シティーホテルみたいな部屋。
以前は、極々久しい人を招いたりしていたらしい。近い身内は他界し、父親は廃人。縁と籍を切った、財閥関係の親戚、だろうか。友人はいないと言っていたし、彼女とかは、彼の話からは彼の中に、存在しない。
財産の一部だけ貰い、全て自分から切り離したと。その条件として、何があっても、自分とは関係が無い。それを、お互いに取り交わした契約。
全ては「答え」を見つける為の、準備。財閥と無関係になってしまえば、少なくても、財閥の方に火の粉は飛ばないと、考えているのだろう。
数ある部屋も、以前の名残か。
純曰く、「祖母や親戚連中に言われて、財閥を継ぐ為に経済学部を大学院まで行かされた」と。でも本人は、人間について知りたかったので、祖母を見送ると、財閥一門親戚とも、縁を切り、籍を抜いた。その後は、あの話の通り。
様々な、専門書が集められた部屋。それが、学問から「答え」を探そうとしていた証。本人は、三十代前半で無職だと言っていた。戻る場所さえ棄て去り、「答え」を、見つける為に、重ねる殺人。一部の財産を貰ったのもまた、計画だったのだろう。
私は、純の半生と、この先について、初めて興味を持った。
そして、暇にまかせて、書庫の本を読んでいたけど、簡単な雑学程度から、本格的な専門書まで。専門書になると、何を書いているのかさえ理解出来ない。中には、英語の原書まであった。かなり頭も良いと、実感する。
しかし、彼は、学問から「答え」を導けないと気が付き、絶望した。
だから、純は、“殺人”を手段に選んだ。殺人を繰り返しても、「答え」なるモノは見つからなかった。そんな時、私と出逢った。同じ様な、闇を抱え深淵に蠢くモノを飼っている、私に。
[人間にとって、本当に大切なモノは外見か? 人間にとって、本当に大切ななモノは心か?]
私にとって、そんなモノ自体に答えは、存在しないと思っている。思いたい。だって、その様なコト言う前に
「人間は顔、見た目だ」
と、言われ続けてきた。この奇形なる容貌は、時にヒトで在ることすら否定されてきた。だから、私にとって、その答えは無いに等しい。純が、殺人まで犯し追い求める「答え」とは、似ていて実は違うモノ。だけど、同じ闇を抱く。対極の容貌。
テレビ番組は、ヤラセが多い。信用はしていないが
『書類審査で、顔写真だけで決めて下さい』との問いに、ほぼ全部、
フツウより見た目の良い容貌のモデルを選んでいた。
世間の答えは
「人間は外見が大切」
そう。それが正解。現に、私自身、路上生活者を同情しながらも、不潔さを嫌っている。その人が、良い人か悪い人かに関わらず、見て見ぬ振りをする。
世間が私に対して、とる態度と同じなのかもしれない。
この事は、まだ、純に話しては無いけど、似た話をした時、
「お前も、外見、容姿容貌を見ている」
と、言われ否定できなかった。
[人間は外見か? 人間は心か?]
答えは、あるようで無い。
何かの本だったか、ゲームだったか、で、
[箱の中に、猫が入っています。その猫は、生きていますか? 死んでいますか? 箱に近づく事なく、生きているか、死んでいるかで、答えて下さい]
と、いう話があった。
なんとかの猫とかという、物理学の理論だったかな?
猫が生きていると言えば、生きている。猫が死んでいると言えば死んでいる。
と、言う答え。箱に近づく事はおろか、触ることさえ出来ない状態で。
そのどちらであって、そのどちらでもないは、答えでは、無いらしい。
究極の選択。私の、脳ミソでは、理解不能。
「死んでいる」と答えれば、猫は死ぬのだから、猫は、可哀想だ。
キレイゴトだけの動物愛護団体から、抗議されるだろう、テレビで実際に実験して、放送するなら。そういう理論では、ない理論なんだけど、解らない。
その理論を、考えた人の心が。何故、猫なのか? 犬でも鼠でも構わないじゃないか、死刑囚でもいいじゃないかと、バカバカしい考えが浮かぶ。
純に聞いたら、笑われて、彼なりの理論を延々と聞かされそうだ。
……多分、私が完璧に理解するまで。出逢って数日なのに、性格が読める。
私は元々、こんな容貌だったせいもあってか、他人の、人間の心を垣間見る事が出来る。考えとかも読めたりする。その様子が表に出るから、余計に気味悪がられる。純との出逢いも、それがあったから、こんな関係になっているのかもしれない。
書庫で、色々と考えていたら、気が滅入りそうだったので、リビングで、テレビを見る事にした。気晴らし、にはならないけど。
昼過ぎのワイドショー、顔ぶれは同じ。メインは、連続殺人事件。
純の「答え」探しの結果。でも、純は
「どこかのバカな奴が、僕の模倣をしている。一緒にされるのは、不快だ」
と、こぼしていたので、全てでは無いのだろう。
「自分が、手を掛けた被害者は、よく覚えている。この人は知らない」
ニュースの度に言っていた。
凶悪犯罪になると登場する、精神科医・元検事・元監察官・弁護士などが、相変わらず、同じ事を言っている。同じような言葉、前の惨殺事件でも言った。
って、コメント能力無いのかって思う。
『純の起こした』事件について、あれこれ言っている。この被害者は、私が唯一見た、被害者だ。
犯人像についてあれこれ、性格についてあれこれ。そして、目撃者とかモザイクと声変えで登場し、犯人について語っている。でも、その目撃者は、純ではない、模倣犯の方を言っている様だった。その姿で、純は「答え」を探さない。あの時の姿で、行うか、少しメイクとかして変装すると、言っていた。
「答え」が、見つかるまで、決して捕まる訳にいかないのだから。
この様な、犯行を行う犯人の心理と特徴、外見。言っているけれど、“真犯人”
を知っている私からすれば、滑稽だった。純なら、鼻で笑うだろう。
今、コメントし合っているのは“模倣犯”の方だから。
目撃証言を基にした犯人の顔、似ても似つかない。模倣犯の顔なのだろうか?
―神経質そうな糸目に、丸顔。小太り。どちらかというと、漫画である、ロリコン犯キャラの顔だ。そして、実生活は、不満で一杯で、鬱憤での犯行―
と。悪意のあるモノにしか見えない。ヲタク系の顔を平均化したのかもしれない。その犯人像は、拡散していく。
マスコミの事を、マスゴミと言うのも解る。
でも、ヲタクは良い。逃げ場を持っている。現実逃避。二次元に入り浸れば、そこにいる限り、心は幸せ。そして、現実生活が充実している人間を、バカにして“リア充”と、呼んでいる。
だけど、私は、その様な、ヲタク達でさえ、羨ましく思う。二次元逃避、現実逃避が出来るから。私は、現実逃避すら出来ない。その様な思考が、返って自分を苦しめると知っているから。だから、姿が映る物は覆っていた。
純の部屋では、出来ない。始め、その様な事をしようとしてたら、
「する理由が理解できない。自分は自分でしかなく、見ようとしなくても、ソレは変わらないのだから」
と、言われて、何も言い返せ無かった。でも、悲しいとか悔しい感情は、無かった。
純の部屋に、半ば軟禁状態で過ごす様になって、以前の暮らしが消えかかっていた。何故、そう思うのか、解らない。何時から、私はここに在るのだろう?
一番知りたいのは、純の真意だ。結末を見届けるまで、私はここに、一緒にいるのだろうか?
ぼーっと考えながら、何時ものワイドショーを見てる。純は、時々、外出しては、夜遅くになって帰ってくる。その度に、何時もではないけど、鉄臭さを漂わしている。「答え」探しをしていたのだろう。私は、あえて聞かない事にしている。以前、純に、犠牲者をどう思うか問われ、返答に悩み
「カワイソウだね」
としか言えなかった。私にとって知らない他人。私は、人間が嫌いで、他人に興味なんて持たない。例外は、同じ病気の夕菜と、夕菜の友人の流。流は、病気ではないけれど、共通の友人になれた。その二人。
そして、純。純の存在が、私にとって、いったいなんなのか? ワカラナイ。
『犯人は、自分の容姿に、コンプレックスを持っている。だから何度も傷付ける』
容姿にコンプレックス? 純が? 確かに、自分の容貌を嫌っているけれど。模倣犯の犯人像が映る。似ても似つかない。
もし、純が、真犯人と知ったならば、どんな反応になるのか?
ソレを見届けろということ?
考えていたら、背後から、鼻で笑う声がする。
振り返ると、いつの間にか、背後に純が立っていた。私は、気配に敏感な方だけど、まったく気が付かなかった。考え事をしていたから? それとも、気配を消すのが上手いのか? でなければ、上手いこと犯行が出来ない、か。
「外見に、コンプレックス、ね」
くすくすと、笑っている。小馬鹿にした笑い方。
「まあ、否定はしない」
コミュニケーターの言い分に対し、くすくす笑い続けている。
そんなに、可笑しなコトだったのかな?
「まあ、無いと言えば嘘になるけれど。この様な顔で無ければ、僕は「答え」なるモノを探して、殺人を犯すことの無い、無縁な生活をしていたかもしれないのは、確かかもしれない。殺す相手に、憎しみも恨みも無い。ましてや変な倒錯でも無い。殺人は手段であり「答え」を証明する一つに過ぎない。まあ、殺しておきながら、死体をボロボロにしながら、カワイソウかな? って思ったコトもあったけど。でも、さ、大切な人がボロボロの死体で返ってくる、それでも、その状態を受け入れる事が出来るのか? それとも受け入れる事を拒むのか? 知りたい。きっと、どちらにしても、人間は外見に拘る。だから、死体修復がある。元々、火葬ではない欧米では、エンバーミングが普通。宗教観も、あるかもしれないが。最後の審判を受けるとかの為には、器なる躰が必要だとか? でも、輪廻を信じる国は、躰は魂の器でしかなく、身体が死ねば、器から、解き離れた魂は、輪廻の輪へ還るらしい。魂が存在していると定義し、僕や千景には、どんな魂が眠っているんだろう?」
何処か遠くに視線を向ける。
まあ、死んでも、生まれ変わって逢おう。どんな姿であっても逢える。
物語の定番。純は、笑うかもしれないけど、私は魂を信じている。その「答え」がこの姿に生れ堕ちた理由。この姿でなければならない「答え」を、私の中の魂は探しているのかもしれない。そうでないと、とても生きていられない。
同じ様で違う。でも、求めているモノは、きっと同じ。
テレビ画面には、嘆いている遺族が、映し出されている。わざわざ映さなくてもいいのに。家族の死に、嘆く。私には解らない。でも、そういう感情がフツウなのだろう。例え、私が死んでも、家族は悲しまない、やっかい払いと内心思うのだろうか? 私は孤独だ。
遺族のインタビューを、まとめて編集したものが流れる。
『なにも、ここまでする事ないのに。人間の身体を何だと思っているんだ。とても痛々しくて、見れない。うちの娘が如何してこんな無残な姿に。器量自慢だったのに、酷い』
『……家に帰って来た時、すでに骨だけでした。余りにも損傷が激しくて、骨で返って来たんです。近所でも、好青年として評判だったのに。あんなの息子でない、骨は息子じゃない。息子は骨じゃない。私の可愛い息子を、奪った犯人を殺してやりたい』
被害者遺族が共通して言っているのが、“あんな姿を認めたく無い”
死を受け入れられないのか、それとも無残な遺体を受け入れないのか? その遺体が本人であることが、科学的に確認されても、心が受け入れないのか、それともフツウではない遺体を拒否しているのか?
キレイな遺体ならば、受け入れられたのか?
『あんな姿だと、お別れも出来ない』
ふと、インタビューを聞いていた、純が鼻で笑った。
「……大切な人だからこそ、その姿なんて関係無いと思うけど」
「でも、大切な人だから、受け入れれないのでは? 見るに堪えない姿。大切にしているからこそ、見た目に拘る。DNA鑑定で家族と証明されても、認めたく無い。逆に、大切では無くただの身内なら、無残な姿で返ってきたら、さっさと火葬して、終わりにするんじゃないの?」
他人とは会話にならない。でも、純となら会話が成立するのは如何してだろう。
「お前は、そう思うのか? 僕にとっては、そこが疑問なんだ。大切な人だからこそどんな姿になっても、その人に変わりは無い。心を視るなら、魂を信じるなら、躰に執着しないと考えている。遺族のインタビューは、キレイゴト。世間に対して、私達は悲劇なんです。と、言っている様なもの。本当に、大切な存在だったら、インタビューなんて受けない」
苛立ちを、怒りを露わにする。会ってから、どちらかというと無表情な人だと思っていたけれど、彼は、外見とか心とかの話になると、そういう感情と共に、どこか、悲しそうな表情を見せる。それは、母親の事を思い起こさせるから?
純は、その美しい容貌に対して、抑えきれない悲しみと憎しみを、抱いている。それは、美しい容貌が故なのか? それとも……?
容貌は対極にあって、心の深淵で抱いている想いは、同じ。だから、会話が出いて、一緒にいても苦痛を感じない。
私は、私の家族の事を話すべきなのか? 迷ったあげく意を決した。
「―私の家族は、私に対しては“人間は心”だと言い続けた。けれど、一度として、私の心を真正面から受けて止めてくれた事は無い。なのに、兄がバイクで事故った時、顔を数針縫うケガをした。薄らと残った傷跡に対しては、気を使っていた。その傷跡が消えた時“傷残らなくて、良かったね。だって、顔だもの”だって。顔より心、嘘だね。私が、病気の事や顔の事を言うと、はぐかすのに。一番酷いと思ったのは、高校を卒業した妹が、プチ整形をしてみたいと両親に言い寄った時も“女の子は、見栄えのする顔の方が善いね。大学行くなら、その方がいいかもね。就職にも有利だし”
なんなの? 何が「心」だよ。結局「顔」じゃない!」
話していて、止め如何なく涙が溢れてくる。
「私は、家族にとって大切な存在では無いし、向こうも、私の存在が邪魔なんだ。だから、例え、ヤラセだとしても、羨ましいよ。私が死ねば、体裁の良いやっかい払いで、ほっとするんだろうな……」
最後は言葉に、ならなかった。大粒の涙が溢れて止まらない。そんな私を見て、純は、どう思っているのだろう。今まで、誰にも話さなかった事。夕菜にさえ言えなかった事。彼なら、純なら、話しても聞いてくれる。そう思う私がいる。自分自身、戸惑ったまま。純は、そっと、テッシュの箱を渡してくれた。
「ずっと、考えてきた。人間は、そういうモノだと。何時も口先だけ。その先は、めったにない。口先からは、キレイゴトしか出ないか、あるいはその逆の言葉。もし、本当に人間にとって大切なモノが“心”ならば、心を重視するのであれば、ブス・ブサイク・デブ・チビ・ハゲなどの、中傷や差別的な言葉なんて出ないし、存在しない。メイクや美容整形なんてものも、存在する意味が無い。でも、フツウ、世間社会平均から、少しでも差があると、悪い方は、虐め蔑み偏見の対象で、平均より良ければ、僻まれたりする。そして、アラ探し。現実的に、人類は民族や宗教などで違うのに。外見容貌の差別は、大概共通している。それを、誤魔化す為に“人間は姿形ではなくて、心・魂が大切”と言う。カタチだけのキレイゴトを、平然と良い差別を繰り返している。僕は、そういうものに、激しい嫌悪を感じる。その思いを消すには如何すればいい? 誰かを殺して「答え」を見つけられるかもしれない。その手段しか解らない。でも、お前なら、千景なら、きっと、その「答え」を見つけられる、いや、持っているのかもしれない。だから、見つけて、教えて欲しい。―そして、僕の逝きつく先を、その先を見届けて欲しいんだ」
何時になく感情を露わにして、ギュッと背後から私の事を抱きしめた。
私は、びっくりして固まってしまった。純は「すまない」と言って、離れたけど、お互いに背を向けたまま立ち尽くしていた。きっと、純は、泣いていたのかもしれない。一瞬、垣間見えた、彼の心に空いた空虚な傷口。
だから、何も言えなかった。憎しみと痛みと苦しみを抱える私と、空虚な心の傷を抱く純に……。
もう、何週間もここにいて、自分のアパートには帰ってはいない。帰してはくれない。必要な物は揃えてくれたし。純の外出を、見計らって帰る事も出来たかもしれない、でも、あえて、私はそうしなかった。
ただ、色々なコトを語り合うコトが、私の孤独感を癒してくれた。
でも本当のところは、どうなのだろう。
路地裏で、拾った哀れな、捨て犬や猫と同じ様に思っているのかな?
必要最小限しか、他人に干渉しなかった私にとって、純との語り合う日々は、初めて人間らしいコトだと感じている。でも、ナゼだかは解らない。人間、他人に対して、感情なんてモノは、ずっと感じた事は無かった。感情としてあったのは、憎しみ。
そのコトに対して、私自身、戸惑っていた。今まで、感じた事の無い感情がそこに、見つけてしまった。
季節は、何時しか、クリスマスの頃。と、いう事は、もう一か月以上、ここにいることになる。どうせ、誰も私の心配なんてしないし、誰もいない。家賃は親が払っているから関係ない。
純は、何時も昼過ぎに出掛けて行く。「答え」なるモノを見つけるために。その為の犠牲となる人間を探しに行くのだろう。
ワイドショーでは、純の言っていた、模倣犯が逮捕されて、報道合戦も、ネットも、落ち着いているようにみえる。でも、純は、続けているのだろう。
昔、見世物小屋の話の本を、読んだことがあった。
見世物小屋は、お芝居や芸だけでなく、珍しい動物を展示したりする。娯楽が、ほとんど無かった昔は、各地を巡業し、人々の楽しみの一つであった。その中に、奇形の人間が、見世物や芸事の道具として存在していた。珍しい動物だけでは、客の反応はいまいち。そこで、奇形の人間を利用したと。それは、主に一神教圏の国の昔話で、昔は、人権はおろか、人間として認めなかったらしい。神様の姿を、真似たのが人間との考えのもと。奇形、障がい者は、家族から見棄てられ、死んでしまうか、「運がよければ」見世物小屋に、拾われる。中には、芸達者な人もいて、人気を集めていたりしたけど、それは極一部。見世物となって、生きる。それしか、生きていく方法は無かった。興味本意、哀れみと蔑みの中で。
昔の日本にも、あったのかもしれない。その一方で、不具は福に繋がるという信仰があった。蛭子様も、それにあたるのかもしれない。親神に捨てられて、流れ着いた土地で、神として崇められた、恵比寿信仰。その昔、ある商家に、今でいう、水頭症の様な頭の子供が、生まれた。だけど、商家の夫婦は、その子供を大切に育て、やがて店は、繁盛した。福助信仰の伝説。
現在、お店に、よく置かれている人形・福助。商売繁盛の神様。その由来を知る店主はいるのだろうか? だけど、その夫婦が、その様な姿で生まれてきた子供を、蔑ろにしたり、間引いたりせず、大切にしたからこそ、その子供の為にと一生懸命に働いたからこそ、お店は繁盛した。私は、そう思っている。
記紀神話の中でも、美醜のエピソードがある。その時代から、人間の美醜というものは、差別偏見の対象だったのだろう。美醜の価値観は、時代によって違うかもしれないけれど、奇形はやはりダメなのだ。現在の日本では、最低限の補助は受けられても、社会に居場所は無く、社会に出れば、好奇の視線や、蔑まされる。人目を避けて、ひっそりと生きるコトしか出来ない。幾ら、自分が前向きでも、その気持ちさえ、踏み躙られる。フツウの人間として、扱ってもらえるコトなど、ほとんど無い。あっても、哀れみ。経験上、知っている。
人権を掲げ、平等である。差別はダメ、イジメはいけない。
キレイゴトでしかない。今の世の中では、見世物小屋で晒しモノにされるコトは無くても、社会には受け入れて貰えない。貧しい国では、今なお、奇形の人間が見世物となって、生活の糧としているというけれど。それは、その国ならではの、信仰があってこそだと思う。
私のような存在は、社会から排除され、その姿は暗黙の了解として、その様な相手に対する、マニュアルがあり、その通りでしか扱ってもらえない。
手足が不自由だったら、手伝ってくれる人はいるけど、皆が皆そういった、気の利く人間ではない。見て見ぬフリ。
店の店員ですら、この容貌を見た時、なんともいえない表情、驚きなのか恐怖なのか、嫌悪感が滲んでいる。そして、店員同士の耳打ちが、聞こえるときもある。だから、なるべく、太陽の下を歩かない様にしている。
同じ人間には、変わりないのに。ただ、病気による奇形、変形で、同じ人間として見ては貰えない。同じヒトで、あるのに。
「そもそも、人間の定義ってなに? 残虐非道の犯罪者の事を、人の皮を被った悪魔とか言うけれど、その犯人もまたヒトである。皆同じ、ヒトであるのに。私の容貌の人間は、ヒトとして扱われない。生れてきてはいけなかった存在のように、扱われる。生き辛い……」
独り部屋に残されたら、何時もそんな事ばかり考えてしまう。
それは、自分のアパートにいたころと変わりない。
“自分が、この様な容貌で存在している意味”
その答えは、何処にも存在しない。これは、純が求めている「答え」と同じ様なモノかもしれない。
プラス思考。でも、私のソレを世間は、嘲笑う。
受け入れてくれるモノなど、いない。それが、同じ病気の人であっても、症状は、目立たないものから、私の様に目を背けたくなる症状、もっと酷い外見的な症状や、寝たきりになる症状まで様々。同じ病気の人とも、一時期、交流していたけれど、その中に、私ほど目立つ症状の人はいなかった。一見、皆、フツウに見えた。
受け入れてくれるモノが、この世に無いのならば、いっそ。もう何度も何度も、死について考え、この躰から解き放たれる夢、死を夢みている。でも、実行出来ない。魂を輪廻を信じているから。だからこそ、あの時、目撃者として、殺して消し去ってくれれば良かったのに。
世間では、活躍する障がい者を取り上げている。スポーツとか芸術とか。
障がいがあっても、ルクッスがフツウより良く見えれば、それだけで、キレイゴトの番組が制作出来る。大概、メディアに出ているのは、その様な感じ。
でも、生まれ落ちた家庭環境にもよるかもしれない。慰めではなく、励まし見守り、時には厳しく。恵まれた家庭、「理解」出来る家族。周りの人達。
私の家族は、家族なのだろうか?
人間は不平等が現実。平等とは何か? 同じ大きさの同じ重さのリンゴを、糖度も歯ごたえも同じ、それを一個づつ。と言った、物理的物質的なものでしか、平等とは言えないと思う。
「人権を守ろう、差別を辞めよう。イジメはだめだ」
キレイゴトの空っぽの、スローガンだけが巷に響いている。
「人間みな、平等」
そう、だから私の様な存在は存在してては、いけないのだ。息を殺して、姿を隠して、闇に紛れるようにしてしか、生きられない。
―人間は心が大切。ソレは嘘。―人間は外見が大切。それが事実で正解。
叫びにならない、声にさえならない想い。
静かすぎる部屋、微かに空調の音。考えはグルグル回りループしているので、気晴らしに、テレビを付けたら、美容整形の特集をやっていた。
最悪だ。複雑な気持ちで、どんな顔の人が出てきて、どう整形するのか見ていたら、同じ年頃の、ごく普通の容姿の女性だった。フツウより少し良い? 感じを受けた。彼女は、人気の芸能人風のメイクをしていて、メイクだけじゃあダメ。自分の顔を、もっと良くしたい。理由だった。自分の顔が悪いから、自分は不幸。だと言っている。まあ、本人が不幸と言うなら不幸なんだろう。
世の中、より良い方がいいに決まっている。フツウかフツウ以上の、容姿じゃないと駄目だといった風潮。人生が上手くいかないのは、自分の顔がブスだから。至って、フツウのレベルの容貌なのに。
こんな番組作るから、醜形恐怖症なる心の病が増える。
そんなの、なんだ? 私の苦痛に比べればと、叫んだところで、他人事。
この国は、何れ、社会から、弱い者・フツウではない者を排除してしまうのではないだろうか? フツウでないといけない。皆と同じでないといけない。流行の芸能人みたいなメイクに、ファッションでないといけない。何時から、この国は、皆似たりよったりの顔ばかりになったのだろうか?
個性とは何か? 個人とは何か? 個人、個人と言いつつ、皆同じでないと、はみ出し者として、のけ者扱い。差別対象。
そもそも、フツウとは何か?
「こんな、躰、嫌だ。こんな顔、イヤだ。なんで治らないの」
何度叫んだか、もう覚えていない。この病気でも、顔に症状が出なければ、もっと行きやすかったのかもしれない。
同世代の女の子達が楽しめる事は、自分にとっての苦痛でしかなかった。
私にとっての普通は、他人からすれば、奇異なるもの。
『顔じゃないよ、人間は心が大切』
両親に何度となく、繰り返し言い返された言葉。自分達は、兄妹の顔について、心配し続けたくせに。そんな、嘘っぱちなキレイゴトを、私には言う。
―もし、顔では無くて、すべて心が大事で中心なら、芸能界に私の様な容貌の人がいても不思議では無い。でも、全ては外、容姿容貌。でも、いくら容姿が善くても、芸・中身のないアイドルなんかは、淘汰されていく。同じ様な容貌の人は、いくらでもいるレベル。
芸能界は、確かに「中身」も大切。芝居が上手ければ、ブサイクでも年老いても、芸能界で生きていける。中身の無い外側だけの芸能人は、淘汰される。
飽きられ淘汰された、元人気アイドルの末路を知りたい。諦めきれず、しがみ付いているのか、諦めて別の人生を歩んでいるのか。
そこにも、彼の求めている「答え」の様なものが、あるような気がした。
入れ替わりの激しい、アイドル界、その様な世界を、純なら、どんな目で見て、何を思うのか? きっと、鼻で笑うのかも。
純。―美しい容貌と財、学歴。誰も、嫉妬すら出来ない感じの人間。傍目から見れば、完璧な存在。それなのに、心底、人間を憎んでいる。幼い頃の出来事が、彼をこの様に、創りあげてしまったのか? そして、他人だけでなく、自分自身をも、憎んでいる。純は、自覚し認識している。私とは、また違った意味で。
そもそも、この感情は何なのか、解らない。
テレビを消して、ソファーに横になる。暇過ぎて、疲れるのか、色々考え過ぎて疲れたのか。独りで暮らすには、広すぎる部屋。リビングの窓からは、夕暮れの街が見渡せる。綺麗な夕日が、空を染めていた。ここは、誰もいないし、窓からも遠いので、自分の姿が映らないから、太陽の彩りが綺麗だと思えた。
純は、何処かで「答え」探しの為に、殺人を犯しているのだろうか?
それを知りつつ、止める事をしない、私。私のやりたかった、世間への復讐を、彼は「答え」探しとしている、一人、部屋に残されたまま、数日が過ぎていた。
揺らぐモノ
僕は、自分の部屋から、遠く離れた街で、「答え」を探していた。
師走の賑わいの中、行交う人々。夕暮れの街。幼子を連れた母親。はしゃいでいる、中学生や高校生。帰路に着き始める人や、これから、夜の街に遊びに行く感じの人。こうして独り歩いていると、思い出すのは、何時も“あのこと”
「ママが、ケガをしなかったら、ずっと一緒にいたの?」
幼い日、父親が家を出ていく時にかけた、小さな疑問。
「ああ。美しいままの姿だったらな。でも、今のアイツは、死に損ないのバケモノだ。いっそ、死んでいてくれていたならば。いいか、人間は外見だ。姿形が綺麗でないと、人間ではない」
と、吐き棄てた。
「でも、学校では『人間は心が大切』だよって、教えてもらった。それに、なんで、ママの事、悪く言うの?」
「それは、醜い者が保身の為に作った、嘘だ。言い訳さ。心なんてモノは無い。必要なのは、善い外見と頭。より良い人間が、社会を支配するんだ。世の中には、醜く人間とはいいがたい者がいる。だけど、財力や権力を持っていたりする。そんなモノと一緒になるのは、その金の為。バケモノの持っている金と権力の為に、いるんだ。人間は外見、頭、金、権力が大切なんだ」
振り返る事なく答え、立ち去った。その後、父もまた、祖父の復讐によって、自分の言っていた様な、バケモノになってしまった。プライドと自尊心から自殺出来ず、薬に頼り、廃人となった。過去の栄光の中、専門の施設に幽閉されている。
……愚かだ。他人を思う心があれば、避けられた結末であり、今頃は、財閥企業の後継者となって、手腕を振るっていたのかもしれないのに。
[人間は心が大切。人間は、中身。中身が綺麗だから、それは外に反映される]
何かの本に書いてあった。
でも、外見と中身があるから、人間は、外見の事を中心に悩み、苦労する。
心が在るから故になのか。ただの幻想なのか?
それの中心で、翻弄されているのが、僕と千景だ。
本当に大切なのは、どちらなのかと知りたいと思ったのは、あの時から。
父の言葉と母の自殺。
それが「答え」なるものを探す為、凶行に駆り立てている。
また、中学の時の、あの女子生徒も、一つの要因。
父は、人間は“絶対的に容姿容貌”主義だった。それが、母を、父自身をも、破滅させた。父が、“心”を尊厳していたならば、結末は変わり、僕も、この手を血に染めるコトもなかった。「答え」の犠牲者の家族も、嘆く事も無かった。
遺族の思いは“心”ある故が為のモノか? 表向きに作った芝居なのか?
そのコトすら、理解出来ないのは「答え」が見つけられていないから。
父のせいに、している自分がいる。でも、考えの行きつく先は、人間の外見と心。その外見が、壊れてしまった時、その人間はどう変わるのか?
本人も、周りも、醜くなり果てた躰に、絶望と嫌悪を抱くのか? それで、どう生きて行くのか? その「答え」が知りたい。人間は、どう姿が変わろうとも、その本人でしかない。そのはずなのに。
僕には、まだ解らない。
千景。奇形で異形な容貌の持ち主。彼女も、また、同じ様なモノを求めている。直観で、ソレが判ったから、じっくりと語り合ってみたいと思った。殺してしまうのは、簡単。彼女は、死を望みながらも、ソレを否定し決行出来ないでいた。
『殺してくれ』と言った時、心の深淵の闇に潜むモノの慟哭が聞こえたから、あえて殺さなかった。逆に、あの様な、容貌で生きる人間の心について、興味が芽生えた。好奇心、哀れみ、なのか? それとも別の何か。
あの様な容貌で、生き続ける。それは、彼女の宿命なのか。
この時代、世間社会が、容貌を重視し、フツウの容貌であること。そのカテゴリー以下の者は、生き辛い。そして、そのカテゴリーにすら入らない、彼女の様な存在は、人間として扱って貰えないと、こぼしていた。彼女の望むものは、決して叶うコトの無いモノ。僕が「答え」を探すかのように、彼女もまた「答え」なるモノを探している。僕が求めている「答え」は彼女が探している「答え」の先にあるのかもしれない。―だから、まだ、辞めるワケにはいかない。それが、世界の犯罪禄を塗り替えるコトとなったとしても。
本当に大切なモノは、ナニか? そのナニかを証明させてみせる。
破滅の夢と共に。
日が沈みきった街。世の中は、クリスマスの名残を留めつつ、新年へと向けた彩りに満ちている。帰宅ラッシュの駅周辺には、人が溢れている。夕暮れとはまた違った人々。
年恰好も性別も容姿も、皆違っている。当たり前の事。逆に、全ての人間が、まったく同じだったら、気味が悪い。様々、色々な人間がいるのが、正しいのだ。例え、どんな姿であっても。人間の数だけ、価値観があり、信じる神や仏によって、国籍民族によって価値観が違う。それが当たり前の事だから、あえて認識をしない。だが、マイノリティに対しての偏見差別は、何処にでも存在している。彼女、千景は、その中でも更に、少ない存在。
だから、マジョリティから、外れると、差別偏見の対処となる。
人間も動物。しかも、群て生活する。その群から逸れて、生活も出来るけれど、結局、社会という名の群の中に、囚われている。自然の中で、弱い動物が、生きれなかったり、先天的に欠陥のある動物は、肉食獣だと母親が食い殺し、正常なコドモを守る。それを、この社会に置き換えれば、世間一般的なカテゴリーから外れた者は、この社会では、生きにくく、また、溶け込めずさ迷う。
それが、不条理と感じてしまうのは、ナゼか自分自身、解らない。
「答え」を見つければ、それもまた、解るのだろうか?
駅前広場が良く見えるカフェの窓辺の席で、行交う人々を見つめる。
一般的より恵まれた家系に生まれ、一般的より優れた容姿。なに不自由も疑問も持っていなかった幼かった頃。両親の事があって、こうまで変わってしまうとは、あの頃の自分は思いもしなかった。あのコトが無かったなら?
それは、もう過去の事。今に至ったコトを、後悔する事は無い。
自分に起こった出来事が、宿命で、「答え」を見つける手段が運命なら、千景と出逢ったのも、また、運命だったのかもしれない。お互いに、語り合うコトで、「答え」を探しあっているコトもある。僕は、これからも「答え」を見つける為に、殺人を繰り返すのか?
命を奪う事なく、「答え」を探す。消えない程の傷を顔に負わせる。そして、その後の人生を見てみる。その人物は、それでも生きていくのか、自殺を選ぶのか、人目を避ける人生を歩むのか? 周囲の人間関係は、変わるのか、変わらないのか? 試す価値はあるが、殺しと違って、リスクが大きい。
しばらく方法とかを考えていた。何時もの様な服装とメイク。用意はしてある。変装すれば、リスクは減るが、殺人と違って、周囲の目がある。
念には念を。いかにも通り魔です、を仕立てあげないと。
外はすっかり、夜になっていて、店内からは道行く人の顔さえ分からない。
『もし、本当にキレイゴトを並べる社会の言う通り『心』が大切ならば、人間は容貌に囚われずに、生きていける。例え、事故や病気で、顔や身体に残る傷を負ったとしても。千景の様な、奇形の者も、奇異の目を気にしなくて良いし、奇異の目なるモノも無い。
「……試してみるか」
賑わう店内。その呟きには、誰も気づかない。込み合っている店内を見回し、席を立って、レジへと向かう。店内にいた女性達の会話が、一瞬静まり返った。
何時もの事。視線を向けられるのも、また。気にはしない。
この僕に、一時の夢を幻想を抱くのは、愚かなコト。見ているのは、自分の容貌だけであり、誰一人として、内に秘めた想いに気付く事などなかった。
その様な視線は、不快だし嫌悪してしまう。千景が、世間の視線に怯えながら生きてきたのと、似ている。
寒風吹く夜の街を独り歩く。ネオンが煌びやかだった。人も多い。
忘年会シーズンもあってか、酒臭い人が多い。ならば、少しはリスクは減るかもしれない。すれ違う人間の視線、逆ナンパ、そして、モデル事務所か、芸能事務所のスカウト。ホストクラブのスカウトまで。五月蝿いだけ。気付かないフリをするか無視を決め込んでいる。確かに五月蝿くウザいけれど、夜の街を歩くのは嫌いではない。あても無く歩くのが良い。意味は無いと言えば、嘘だ。
「答え」を探しているのも理由のひとつ。
何時まで続くのか、もう自分でも解らない。人を殺す感情がすでに麻痺してしまったのかもしれない。
日本の警察は優秀だというが、何時になったら、真犯人である僕の元に辿り着くのだろう?
冷たい風が、頬を撫でた。
その時が来たならば、来るなら、その時、世間は社会はどの様な反応をするのか? 白い溜息を吐いた。白い息は、風に吹き消される。
いちばんオカシイのは、殺人を犯す犯人像を決まった様なイメージで固め持ち出すコト。模倣犯がイメージとして当たっていた事には、笑ったが。超能力での犯人捜し。オカルトは、少なからず興味はあるが、ヤラセばかりだ。ヤラセと仕込み。胡散臭い超能力者が、示した事は、頓珍漢なモノ。当たっている処か、まったく逆。しょせんは、エンターテイメント。
今まで参考として、ソレ系の番組を見てきたが、視聴者を期待させておいて、謎のまま終わってしまう。事件の関係者にとっては、藁をもつかみたいから、胡散臭くても、頼りに、番組もネタとして使えるから、その様な特番が存在する。
世間が描いている犯人像と、真犯人である僕。
もし、僕が犯人ですと、名乗り出たとしても、きっと、冗談にされる。
むしろ、怒られそうだ。それに、一切の証拠を残してはいない。完全犯罪まではいかないし、完全犯罪など存在しない。僕が気付いていないだけで、証拠は残っているのかもしれない。僕が真犯人だと知った時、マスコミは、どの様に扱い、ネット上ではどう扱われるのだろうか?
僕の半生を探り出す。だけど、籍を抜き、縁を切ったけれど、やはり背後には、世界にも名の通った財閥の家系。そちらが圧力を掛けるのか、それとも知らないフリを決め込むのか。しかし、知れば食いつくのがマスコミ。その時、財閥のイメージや権威は、どうなるのか? そうならない為、切り捨てているが。財閥に報道が行かなくても、ネットでは晒される。そして、僕自身についての報道合戦が繰り広げられるのだろうか? すでに、十人は手に掛けている。
殺すのも飽きた。殺し続けても、探し続けている「答え」も、見つからない。
殺すという手段がいけないのかもしれない、なら、絶対消えない傷跡が残った相手を観察する方法の方が良いのかもしれない。
―それとも、もう潮時なのかもしれない。『もういいだろ? 「答え」なんか』
今まで思いもしなかった、想いが過った。良心の呵責? それとも、良心の欠片なのか?―
それとも、千景と出逢い語り合ったことで、自分自身になにか、自分の心に何か、生まれたのか?
そう思うと同時に、彼女はまだ、あの部屋に今も居てくれているのだろうか?
でも、まだ解らない。求めているモノが「答え」なのか? それとも、ただ幼き日に感じた“心が大切”という価値観が許せないのか? 許せない事は如何してか? それが「答え」なのか? ただ「答え」なる解らないモノに、固執しているだけなのか?
[人間は外見か心か?]誰も、正解を答えてくれないし、証明もしてはくれない。ただの、世間社会の建前として、人権を謳う偽善なのか?
[人間は外見より、心が大切なんだよ]
それは、キレイゴトで
[人間は心なんか、どうでもよくて、大切で必要なのは外見容姿だ]
きっと、それが社会の本音。
だから、母も中学の時の女も、自殺した。父は祖父に殺されかけたあげく、醜くなってしまった自分を受け入れれず、廃人になった。
そして、千景の様な、奇異な容貌の者は、社会の隅っこで、小さく怯えながら生きなくていけない。なにせ、この社会は、外見が全て。だから、千景の様な存在は、排除される。意図的に無意識に。
[人間は容姿ではなくて、心だよ。容姿なんて皮一枚でしかない]
そちらが、この社会の真実だったならば、外見による偏見差別も無く、
千景の様な者も、きっと生きやすいに違いない。でも、それは絵空事。
絶えず、外見に対しての、偏見差別、イジメは存在し、美容整形やエステが持て囃される。そして、千景の様な容貌は否定するか、見て見ぬフリ。
……そうか、僕はきっと、ソレを覆したいのかもしれない。飽く迄も、殺人は手段であって、キレイゴトを並べている社会への復讐なんだ。僕が、過去に囚われ、その「答え」を探し求め足掻いている様に、千景もまた、心の深淵から、それを求めているのかもしれない。
醜形恐怖症なる心の病の発生源は、キレイゴトを並べた社会。そして、キレイゴトの犠牲になった、フツウの人間。
そう言い方を変えれば、これは、キレイゴトを並べる社会への復讐なんだ。容姿容貌しか重視しない人間達への。常に付き纏う、容貌。それが、まったく、人生や社会に関係ないモノであったのならば、母も、容貌を気にする人間も、自殺しなくて済んだのだ。千景や、同じ様に傷などを抱える者達も、生きやすい社会。そうだったのかもしれない。でも、それは、僕の幻想。千景の叶うコトの無い願い。
現実には、やはり外見。日本は島国。昔は、外国人が珍しかった。最近はそうでもないけれど、やっぱり、外国人だという目で見てしまう。
すべては、見た目。西洋の移民問題も、テロリズムも、テロリストの民族的な外見で、救われなくてはならない難民さえも、監視されしまう。
それを、どうやって覆すのか? その為にも、これからも、この手を血でそめる。染めていく理由。本当に求めている「モノ」を見つけるために。
夜の街を歩きながら、思考を整理し、出した結論。でも、それは「モノ」であって「答え」とはまた別なのかもしれない。
……もしかしたら。また、心に過る、潮時という言葉。
賑わう通りから、離れた路地裏へと向かう。足を止めた、その場から、空を見上げる。ビルの谷底から見上げた夜空には、鋭い鎌のような細い月が浮かんでいた。白い息を見ながら、バックの中から、大き目のフードパーカを出して、コートの上に羽織って、ジッパーをきっちりしめた。そして、バックの底から、名工の叩いた、日本剃刀を取り出した。刃を立てると、か細い月明かりを映した。美しい刃。傷を付けるとしたならば、やはり女か。できれば、自分が売れっ子ホステスだと思っているようなタイプ。名工は、そんな使われ方なんてされるとは、微塵も思っていないだろう。名工に対しての申し訳なささ。
うっとりとする程、美しい刃は鏡そのもの。
夜も更け、酔っ払いや、仕事の付き合いのホステスやホスト。
忘年会の次会を繰り返していた様な人達。ターゲットは、決まった。
大通りに戻ると、色々な人間が未だ、ひしめいている。この雑踏では、通り魔として犯行をしても、気付かれはしないだろう。メガネとマスク。浪人か、夜の街で遊び場を探している感じのサラリーマン的に変装し、雑踏へ向かう。
その中で目を付けていた、派手な高級ブランドに身を包み、流行のメイクを完璧に施したホステスみたいな女。
僕は、すれ違う瞬間、肩がぶつかるフリをして、握り絞めていた剃刀を、雑踏に紛れて、彼女の顔に振り降ろした。そして、何事も無かった様に、雑踏に紛れた。そのまま雑踏に紛れて路地裏へと入る、と同時に悲鳴が聞こえた。
キレイな傷は痛みを感じるのが、遅いと聞いたことがある。多分その為だろう。顔に感じた違和感と、滴り落ちる自分の血に気付くのに、少しかかったのだろう。本人は雑踏でぶつかっただけと、思っていて、実は切り付けられていた事に。僕は、何も無かった様にし、その場を野次馬に混じって見つめる。
彼女は、顔を押さえ倒れていた。指の間から血が滴り落ちるのが、人ごみの間から確認できた。そして、その場は騒然となった。それを見届け、僕は路地裏に戻り、予め用意していた大き目のビニール袋に、フードパーカを入れた。念のため、酒とジュースなどで濡らし、汚れたから捨てた様に見せかけた。そして、しばらく歩いて、目に付いたゴミステーションに捨てた。そして、血の付いた剃刀の血を、テッシュでふき取りビニール袋に入れて、バックにしまう。
使い捨てのゴム手袋を二重にしていた上に、軍手をしている。そのまま、駅に向かい、トイレに駆け込むと個室に入った。人目には、飲み過ぎて、もよおした様に映る芝居も忘れない。トイレの個室内で、先ほどの血の付いたテッシュを流し、手早く剃刀の手入れをしておく。原理は日本刀の手入れと同じ。血と脂をふき取る。そして、その残骸も流して、別のビニール袋に軍手の下にしていた、使い捨てのゴム手袋の上側を取り入れ、軍手はまた別のビニール袋に。
直接肌に付けていたゴム手袋は、刻んで流した。それぞれは、乗り継ぐ駅で棄てる事にした。多目的トイレだから、そのまま、捨てても、おしめを変えるときに、使い捨ての手袋を使ったと、考えれるけど、ここは用心を怠らない事にした。
酔っているマネをしながら、改札へ。一度、駅内のコーヒーショップで一息つきたかったけれど、早く帰る事を優先した。
深夜の電車。忘年会帰りの人もいるのか、込み合っている。窓に映る自分の顔を見つめる。見つめながら考えていた。
何時か、誰かが、千景ではない誰かが、僕が一連の真犯人だと気付いてくれるのだろうか? それは、絶望に近い想いで、胸に突き刺さり締め付ける。
満員に近い電車を乗り継いで帰路に着く。途中で少しづつ処分しながら。
満員に近いから有利なのかも、と思ったり。都心のベットタウンへの終電は、忘年会と翌日が休日なのもあってか、酒臭さと冬特有の電車の中の臭いで満たされていた。皆、帰る場所も仕事も性格も違う。外見も皆違うし。唯一の共通点は、フツウというカテゴリー。この乗客達の中に、容貌について考えた者はいるのだろうか? 精々、歳の頃から推測すれば、メタボとか髪の毛の事か。
他人の容姿についても、きっと好みの女性をチラ見する程度だろう。
色々な人間を見るたびに、僕の中の疑問は膨らんでいく。
そして、終点である、地元の駅に着くころには、車内にいる客は、疎ら。
やがて、終点。他の人が全て降りてから、疲れた足取りで降りる。それを見計ったのか、係員が車内を点検して回っていた。車庫へと変える電車。
人がいなくなるのを待って、最後の一人として、改札を出た。
スマホの時計を見ると、すでに日付は変わっていた。今頃、あの現場は如何なっているのか。数時間は過ぎている。自分の元に、何時か警察は来るのだろうか? そして、彼女は、千景は、部屋にいるのだろうか? それとも出ていき、自分のアパートに帰ったのか、それとも警察に、まぁ、警察には行かないだろうけど。彼女に対して、想いが廻る。初めて感じる感情。自分でも理解出来ない。
明かりの点いていない最上階の自分の部屋を、見上げる。少し心配だった、千景が帰ったのかもしれないということが。
他人に興味を持たず、干渉も避けていた自分。千景と出逢って、何かが自分の中で変わろうとしていた。それは、何故か解らない。
フツウの容貌では無く、奇形・バケモノと称され蔑まされてきた、千景の存在が。始めは、物珍しさと怖いモノ見たさからくる興味。それと同時に、出逢った時に、彼女の醸し出す気配、その気配が余にも物悲しく、憎悪と絶望に揺らめいている瞳。そして、自滅的な発言。その理由を知りたいと思い、成行きで連れて来て、すでに二か月過ごした。語り合っている内に、心の深淵に同じようなモノを持っていると、気付いた。それで、彼女を軟禁状態にしてきた。
互いに話題は同じで、突き詰めあった会話。誰とも交わした事のない会話。
考えながら、最上階へ向かう専用のエレベータに乗る。
今までは、暗く静かで、誰も迎える者のいない部屋。でも、千景と暮らしてからは、それが変わった。縁も籍も切り捨てた今、身内はいない。友人も作らなかった。だけど、自分自身、孤独だと思った事は無かった。でも、最近になて、孤独という感情をっ知った。
深い溜息がこぼれる。気を取り直し、何時もの様に鍵を解除する。
―暗い室内。暖かいのは空調を一定に保つ設定にしているか、か。
玄関のセンサーが反応して、明かりが点く。玄関には、千景の靴が揃えておいてあった。
「出て行かなかったのか」
自分が、ホッとしているのに気づく。今まで感じたコトの無い想い。それを否定することはなかった。
千景は、同類。結果を見届けてもらう存在。自分に言い聞かせた。
何故か、胸に痛みを覚えた。
部屋に入り明かりを点けていくと、リビングのソファーの上で、千景が眠っていた。千景も、出て行こうとすれば、出来たのに。如何して?
純の気配に気付いたのか、千景は目を覚ました。
……何時の間にか、眠っていたようだ。ぼーっと、していた視界に、純の姿が映った。
「え、っと、お帰りなさい……」
私は、身体を起しながら言った。また、知らない感情にが。
「ああ。千景、お前、帰らなかったのか?」
私に、少し近づいて、問う。正直、解らなかった。
「あなたが、何度も、“見届けてもらう”と言ったし。ずっと考えていたの。そして、私自身が、あなたの“行く末”を、見てみたと決心したから。あなたが、あなたの本心、「答え」なるモノにこだわるのか。もしかしたら、私の探しているモノが、そこにあるかもしれないと、思って……」
言葉が詰まる。胸の鼓動が聞こえる。初めての感覚。
「そして、あなたのコトに、興味が湧いた」
言って、何時もの様に俯く。顔が熱い。きっと、長い黒髪から見えている、耳は真っ赤かもしれない。自分自身に驚いた。同じモノを抱いている、同じ闇を持っている。そして、対極にありながら、同じキズを。
沈黙が続く。エアコンの送風音だけが、部屋に響いている。沈黙が苦しくて
「また、誰かを、殺したの?」
俯いたまま、問う。
暫しの沈黙。
「いや、殺す事はしなかった。方法を変えてみた。顔を切り付けた。多分、ホステスだと思う。傷も残るかもしれない。人目があったぶん、残る程、深い傷になったかは、判らないけど。傷が残った顔で、あの女が、どの様に生きていくのかを見てみたい。いかにも、自分大好きって感じの女。見てみたいけれど、
それは出来ない。遠くの街。素性も知らないし」
純は、楽しげに話しているけれど、なんだか、すごく疲れているみたいだった。
それに、何か、何時もと違う感じを受ける。
「警察の捜査が優秀なら、僕は、犯人として捕まるかな? そうすれば、あの女の今後が、解るかもしれない。未だ、僕に捜査の手が迫らないのなら、まだ時間はあるってことだ」
冷蔵庫から、ミネラルウォータのペットボトルを二本持ってきて、一本を私に私、もう一本を、一気に飲み干した。転寝で、喉がいがらっぽかったので、私は、それで喉を潤した。
「警察、何も判って無いって事? ……まだ、続けるの? 今度は、殺人ではなく、障害事件にするの?」
「……わからない。続けるのか、それとも、その様な方法では「答え」は、見つからない。幾ら、ボロボロの死体にしても、顔に残るような傷を付けても、僕の求めている「答え」は、見つからないし。警察さえ、検討違いの捜査をしているし。―気付いて、しまったんだ。だから……もう、潮時なのかもしれないと」
疲れている様に見えるのは、実行して疲れたのではなく、何かに気付いてしまったのだろう。その『何か』は、私には、解らいけど。そして「答え」は、見つけられない。そう考えていると
「幾ら「答え」を求めて、他人の命を奪い、傷つけても、遺族の言葉を聞いてもの、「答え」は、見えてこないし、掴めない。そして、思ったんだ、もしかしたら「答え」を探しているのは建前で、本当は、この社会に対しての“復讐”なのかもしれないと。あの日の、過去の、父の言葉が、トラウマで、それで、外見容貌に拘る考えや、容姿容貌の価値観。キレイゴトを並べている世の中。ソレらに対しての、“復讐”なのかもしれないと。そう、気付いた」
私の向かいの、ソファーに座り、何時もより力無く、語る。
心境の変化。それに至る、何かがあったのかな? 思ったけれど口には出さない。彼の中で、何かが変わっていっている、その原因は、何だろう。他人の目を、向けられる好奇嫌悪の気持ちを感じ続け、私は、何時しか、他人の心や思考を、なんとなく感じ当てる事が出来るようになった。だけど、今までの純の思考とかは、何気なく解っていたけれど、こればかりは、解らなかった。そして、私自身、ソレが辛かった。理由は解らないけれど。
「私も出来るなら、世の中に復讐したかった。フツウの人やキレイな人、何も考えていないキレイゴトだけの人に。恨む事しかできない。力も才も、持っていない。だけど、あなたと出逢って、語り合っているうちに、同じだと感じた。よく似た闇を心の深淵に飼い、蠢かせていると。私が、やりたかった事を、純は、実行していた。だから、戸惑いはしたものの、警察に言う事も、止める事も、出来なかった」
言って、俯く。癖というものは、いくら打ち解けても、治らない。
私の心の深淵の、闇の奥深くに蠢くモノ。それと、同じ様なモノを飼っている純。類稀なる美貌と秀才。自分とは、対極に在る。それ故に、惹かれてしまう。その気持ちが、その想いが、苦しくてたまらない。今まで感じたコトのない想いが、私を苦しめる。
「―そうか。僕は「答え」を求めているのではなくて、実は、“復讐”として実行していたのか。だから、罪悪感なんてモノは無かった。あの女の今後も、気になるが、数年前、まだ殺人に至る前に、一度、顔を傷付けた事があった」
何処か、遠い目で、淡々と語る。
「顔に硫酸をかけた。相手は、自殺を選んだ。それは、当時、売れっ子アイドルとして、人気絶頂だった。そのアイドルのイベントに、紛れ込んで。握手とか出来るイベントだったし、すぐそばまで近づける感じのイベントだった。僕は、実験として、彼女を選んだ。イベント内容が接近できるタイプだった事もあって。取り巻くファンに混じり、もみくちゃにされるのを利用して、彼女に硫酸をかけた。そして、押し寄せるファンに混じり、その場を離れた。すぐに、イベントは中止になり、そのイベントに来ていた人間全員に、警察は事情聴取していた。僕は、変装し、手袋もしていた。瓶は会場に捨てた。薬品を扱う手袋を皮手袋の上にしていたのを取ると、事情聴取を待つ間にトイレに行って、流した。そして、変装をしたまま、事情聴取に応じたよ。だけど、警察もスタッフも、僕に対して、何の疑惑も持たない。スタッフの一人に『君のような、ルックスの良いファンもいるんだね』と、言われる始末。外見でしか判断しない。不思議だった、その言葉が」
言って、一呼吸。
「漫画で描かれるようなヲタクの様な人間が大半。反って目立つと思ったんだけけど。逮捕されたのは、そのアイドルにストーカーみたいな事を繰り返していたファンの男。あの頃は、ストーカー法とか無かったから。よく描かれているヲタク風の容姿そのもの。真犯人は、僕なのに。そのヲタク男が、小さな刃物を持っていたらしくて、それが原因で逮捕。硫酸かけた濡れ衣を着せられて、障害容疑で逮捕。本人は否定して叫んでいたけれど。警察もスタッフも、彼を犯人と決め付けた。周りの同類達も『あいつなら、やりかねない』と言っていた。ある意味、有名な、異常なファン心理を持っていたらしい。それが余計に、決定的になったのかな? その時、改めて、世間社会は、外見で人間を見る。
あの時、僕が犯人として逮捕されたなら、こんな事件は起こらなかった。だから、外見や容姿容貌に対して、人生さえ左右される理不尽さ、不公平で不条理なコトだと実感した。まるで、父の棄て台詞が、ソレを証明した瞬間だった。
だから、人間を傷つけ殺す事に、罪悪感なんて無かった。精々、カワイソウかな? 程度。それが、ここまで続くとは思わなかったよ。所詮は、父の棄て台詞の『人間は容姿容貌』が証明されているようで、許せなかった」
日付が変わって数時間、にも関わらず、疲れている様子にも関わらず、純は語り続けた。その瞳を、ギラギラさせながら。狂気なのか、深夜のテンションなのかは、解らないけれど。
「その後、悲劇のヒロイン・アイドルとして、ワイドショーの芸能コーナーを賑わせていたけれど、彼女が芸能界に復帰する事は無かった。外見だけのアイドル。歌も下手、話も芝居も下手。その様な、アイドルだった。何か、外見以外に特技があれば、復帰は出来たかもしれない。強烈なキャラだとか、歌が上手いとか。何もない、顔とスタイルだけ。そんな彼女が、芸能界に復帰など出来はしない。傷はメイクで隠しても、薄らと分かったとしても、何かの才能なり芸があったら、また違ったはず。とある有名歌手が、硫酸をかけられた事件が昔、あった。だけど、その歌手には、美貌より歌があった。僕は詳しくないけれど、今なお歌い継がれる様な歌を残している。だけど、そのアイドルには、姿形しか無かった。見下していた、自分より可愛くないと思っていた子が、そのアイドルに変わって、時代のアイドルになった。そして、僕が硫酸をかけたアイドルは、自殺した。傷の事もあったかもしれないし、見下していた者に自分が、かつて立っていた頂に立っているのが、絶望に繋がったのかは判らないけれど」
純は、無表情で語っていた。
「中身が無かったから、外側が失われれば、何も残らなかった。だから、自殺したんじゃあないの? 見下していた子は、そのアイドルより、顔は可愛くなかったけど、中身がしっかり詰まっていた。だから、頂に立てたんじゃあないの? 私は、そう思うけど」
素直な感想を伝えた。純は、
「……そうかもな。僕は、休むから、また、話に付き合ってくれよ」
疲れた口調だった。私は、複雑な気持ちで、その後姿を見送った。
転寝をしていたせいもあったためか、純の話に付き合っていたからなのか、眠たくはなく、むしろ、眼が冴えて、気分的にも眠れそうになかったので、久しぶりに、夕菜のサイトへ行ってみる事にした。あの時の事が気になっては、いたけど、純との日々で、頭の隅の方へ行ってしまっていた。
『夜へ翔く鳥は、暁を夢見る』
タイトルは、そのまま。
―生まれ変わる為に、私は死ぬ。私が私であるうちに―
気になっていた言葉。その言葉に下に、“管理人の友人より”というリンクを見つけた。以前は無かった。
『このサイトを運営していた方が、亡くなりました。以降は、彼女の遺言に基づいて、経緯を説明します。彼女は、このサイトにあったように、この病気と向き合い闘っていました、逃げる事なく、どんなに辛い事も苦しい事も受け入れた上で、踏ん張って生きていました。そのコトは、近くで見守っていた親友である私が、家族よりも知っていました。家族には言えない愚痴とか悩みを、時々聞いていました。自殺志願者の相談にのったり、悩みを聞いてあげる。その様なサイトでした。ログを見せてもらい、その相談者の方の殆どが、健常者で、病など抱えていない様な方でした。ネットでの事なので真実は不確かです。でも、彼女曰く、「きっと皆、五体満足で健康だよ。だから、そう思うんだ」とのことです。その意味は、私にも教えてはくれませんでした。ここへ相談へ来る方を励ます一方で、彼女は自分の限界を知ってしまいました。それは、この病気が、稀に引き起こす、悪性の脳腫瘍です。とても深く複雑な脳神経の中に出来ていて、治療は不可能でした。緩和ケアを続けながらも、なんとか、この場所を運営していましたが、それも徐々に出来なくなり、日常生活さえ自分だけでは出来なくなる、そんな状態となると言われたそうです。サイトの一部が変わったのも、トップページを残して、他を全部削除したのも、その為です。
最後まで、頑張るつもりでしたが、それが不可能と解り、彼女は死を、選びました。―自殺です。病は彼女の意識までを、記憶までも蝕み、躰の自由さえ奪っていきました。だから彼女は「私が、私であるうちに、この現世を去る」と言い残し、自殺しました。そのコトが、彼女にとって良い決断だったコトなのかは、解りません。私もまた、「自分が自分でなくなる」に付いては、何も言えませんが、でも、自殺は否定します。彼女の出した「答え」が自殺だったという事実だけです。彼女の家族や、私にとって、彼女は「彼女」で在り、如何いう経過をたどり、どんな最後でも、彼女その者に変わりは無いのです。
でも、私が彼女と同じ立場になった時、どちらを選ぶかは、解りません。
ここへ、遊びに来てくれた方、相談に来ていた方、彼女を頼りにしていた方、如何か、彼女が自分らしく生きて活きたかったぶんを、あなた方が、生きて下さい。これは、私自身の、キレイゴトです。
死は救い。でも決して本当に、それが救いであるかは、解りません。誰も、きっと、その時に、ならないと解らないコトだと思います。
私の言葉だと、キレイゴトにしかならない。ゴメンナサイ。
今まで、彼女と仲良くしてくれた方々、家族に変わりお礼申し上げます。
「ありがとう」
もうしばらくは、このサイトは、このままにしています。
ただ、コメントもメールも受け付けません。このページだけを残しています。
「生きているって、なんだろうね?」彼女の口癖でした。
雑文ですが、読んで下さり、ありがとうございました。
管理代理 友人 流』
読んでいて、涙が止まらなかった。夕菜は、そんなに重病だったの?
その意味する事は、私にも、起こることかもしれない。その時、私は?
と思うのと、夕菜の自殺という決断の意味が重なり、家族の存在の違いと、悲しみと、寂しさ、そして、その症状発症という恐怖が入り混じり、涙が止めど降りなく流れ落ちていく。最後に会ったのは、一年以上前。それから、急速に症状が進み、悪化したのかもしれない。そして、夕菜は、何処でどの様にして、自殺に踏み切ったのだろう。流は、それを知り、心の整理をどうつけたのか?
夕菜の家族より、一番近くにいた存在。
文章から、流の前向きな性格と、他人を否定しない想いが伝わってくる。
この二か月の間。いや、もう随分と前に。私が、純と出逢う、そのずっと前に、夕菜は、すでに自殺を遂げていたのだと思う。きっと、一周忌を期に、この文章をアップさせたのだろう。家族も、流も、お互いに心の整理と、夕菜の友人達に伝えるべきと、夕菜の意思を尊重して。
“彼女がどうなろうと、彼女は彼女”
その言葉が、心に刺さる。これは、きっと「答え」の一つだ。
そう思うとまた、涙が溢れてきた。
―生きるって、なんだろうね?―
思い出せば、よく言っていた。その言葉は、まるで私自身への問い掛けの様に想えてきて、ただただ止まらない涙を拭いながら、その文章を見つめていた。
「おい」
と、声を掛けられて、身体を揺さぶれる。ハッとして、眼を開くと、滲んだ視界に、PCの画面と、不思議そうに私を見ている純が、映った。
いつの間にか、眠っていた様だ。PCの画面には、夕菜の死を知らせる文章。
純が、覗き込むようにして、その画面を見つめている。何か気になる事でもあるのか。
「これ、千景の病気と同じ人?」
と、聞いてくる。小さく頷く。
「……私が私であるうちに……か」
独り言か、私に聞いているのかは、解らない。何時もとは、違う純の反応。
「彼女がどうなろうとも、彼女は変わらないし、彼女は彼女」
その言葉を、何度も繰り返し呟いている。彼の心に、何か引っかかるモノが、あったのだろうか。不思議そうに見つめていると、我に返り
「顔、涙でベトベト。髪の毛も、ベトベト。洗って来いよ。……それと、何か、食べるだろ?」
意外な言葉に驚いた。私は、びっくりしたように頷く。
何時もの純とは、違う。何か変だ。心境の変化? それとも「答え」が見つかったの?
私は、気怠い身体で、バスルームに向かった。
バスルームの鏡。見たくはないけど、あらためて見ると、顔も髪の毛もベトベトで、顔は、いつもより腫れていた。良い方の目も充血している。泣きながら眠ってしまっていたのか。
熱いシャワーを浴びながら、夕菜との事を思い出す。家族関係が良い事が、羨ましかった。流は、普通で健康体だけど、家族関係は破綻している。名前が「流」なのは、本当はいらい子供だったからだと、親に言われたらしい。流れてくれればよかった。酷い親だな。命をなんだと思っているんだ。でも、本人は気にしてない。むしろ、今の飯のタネと、言っていた。物書きだから言えたのか。
そんな事を思い出しながら、顔と髪の毛を洗い、バスルームを出る。鏡に映るのがイヤで、映らない辺りで、髪の毛を乾かす。髪の毛の手入れだけは、時間をかける。私の躰の中で、唯一綺麗なもの。 腹の中にも、腫瘍は存在し、酷い内膜症だったこともあって、子宮ごと摘出した。大きな傷跡と共に、小さな腫瘍が所々にある。その一つが、最近になって大きくなり始め、痛みが出始めてきた。イヤな躰、イヤな顔。嫌な病気。言っていたら限がない。洗濯機に服を入れ、スイッチを押して、外へと出た。一緒に暮らして、まあ軟禁状態に近いけれど、生活を共にしている。服も下着以外は、一緒に洗っている。私は気にしていたけど、純が、一緒の方が手間にならないと言いたから。何時まで、この良くわからない、関係が続くのだろうか?
リビングに戻ると、コーヒーの香りが漂っていた。テーブルの上には、近くの有名なパン屋のパンが数個、置いてある。純は、やってきた私の方を見て
「千景の黒髪、綺麗だよな」
と言う。
「髪の毛だけ」
答える、私。何度となく交わした言葉。たまに、私の長く伸ばしている黒髪を、いじったりする。それが、始めは恥ずかしかったけど、何時の間にか普通になっている。髪の毛だけ、そう、髪の毛だけは、唯一綺麗なんだ。
ソファーに座り、淹れてくれていたコーヒーを啜る。きっと高級ブランドの豆なのだろう。コーヒーに拘っているのは、生活を共にしていて気が付いた。
特に会話もなく、朝なのか昼なのか分からない食事をする。
ふと、純が、テレビをつけた。丁度、昼前のニュース。
ニュースは、とある地方都市で、ホステスが通り魔に顔を切り付けられた事件を報じていた。純は、無表情で見つめている。自分の犯行が、どの様に伝えられているかを見逃さないように。ニュースによると、犯人は小太りの男。それ以上の事は伝えなかった。
「昨日の犯行、たいしたニュースになっていないな。ネットも犯罪系サイトにも、出てないし。思ったより、世間にとっては如何でもいいニュースだった様だ」
コーヒーを啜り、つまらなそうに言う。
「小太りの男か。まあ、コートの上に4Lサイズのフードパーカを来ていたから、そう見えたのか、酔いが回っている人間が多かったのもあったのか、それとも、一瞬の事だったので、誰も気が付かなかったのか。それとも、すでに警察は証拠をつかんでいて、あえて泳がしているのか。もし、僕の背後にある、あった、の方がいいか、財閥が怖くて動けないのか。だとしたら、この国の警察はダメだな」
クスっと、何時もの笑い。
「警察が顔くらい知っていたら、取りあえず話くらいは聞きに来るのでは?」
と問う。自信があるのか、どうでもよくなったのか分からない。ただ、何時もの様な覇気が無い。彼の心の中で何かが、あったのは確かなようだ。
「―そうだな。ありえないことも、ないか。でも、まだ、やるべき事があるし。まだ、警察とは関わりたくは無い。……ここを、離れて、昔、使っていた別荘がある。そっちへ、移ろう。「答え」を出すのには、まだ時間が必要だ。「答え」を求めるにしろ、社会への復讐にしろ時間は必要だ。あと、もう少し……」
虚空を見つめていた。何を思っているのだろうか?
「―千景、お前も一緒に来てもらう。最後まで共にいて、見届けてもらうのだから、な」
有無を言わせない口調。出逢った頃の口調だった。でも、私の心は、もう決まっていて、小さく頷いた。
第三章 ……そして、
年末のラッシュが始まる前に、都心のマンションを出る。大都会の雑踏を通り抜けて、地方へと向かう高速道路へ。変わり映えのしない都会の景色が、高速道路を走る車の窓から、見えていた。冬のどんよりとした空。都会だからよけいにどんよりとして見えるのか。純は、どんな想いで車を走らせているのか。別荘へと移っても、そこから、新たな犠牲者を「答え」を探す為に求めるのか。そして、その手を血で染め上げるのか。純の事を考えると、自分の心の中に、蠢いているモノが、ドス黒い感情が、彼の行動を讃えるかの様に、蠢いている。それは、きっと、自分では出来ない、社会への復讐に対するモノ。私の心の深淵の闇の一番深い処に在るモノ。だから、あえて通報も、彼を咎める事もしなかった。確かに、被害者達は気の毒かもしれない。でも、被害者達もまた、私の様な、奇異な容貌に対して、蔑んできたのも事実。きっと、自分も手を下してないだけで共犯者。傍観していただけの卑怯な自分。純の事を思うと、疼く胸。それは、ナニを示しているのか? ワカラナイ。ソレが解った時、純と私の関係はどう変わるのか?
―私は、見届けよう。何があっても。純の行く末を。見届けてから、もう一度、考えよう。そこに、純の「答え」があり、また、私の「答え」もあるのかもしれない。運転している純の横顔を、見て思っていた。
混雑していた、都心と地方へのジャンクションを抜けて、暫くは田畑が広がっていた。そうしているうちに、遠くに白く霞んだ山々が見えてきた。
そして、進むにつれて、田畑も疎らになり、閑散とした田舎の景色へと移る。
途中のサービスエリアで、休憩と冬用タイヤに履き替えて、さらに遠くへ。
そこは、かつて大人気のリゾート地だった場所。避暑地にスキー。新宿や渋谷の様な賑わいを見せていた。しかし、無常なるもの、バブルが弾け、世の中は、大不況へと。リゾートなんかは、あっと言う間に、崩落。ここも、その一つなのかもしれない。スキー場らしきものを見かけたが、この冬は雪不足で、スキー場にも、道端にも、殆ど雪は無い。冬休み期間にも関わらず、ひっそりとしている。開いている店は、殆ど地元のスーパー。シャッター街のようだった。こんな遠出は、何年振りだろう。実家から、あのアパートへと引っ越して以来か。外出そのものが、苦痛なせいもある。
家族旅行も、妹が小学校に入学する前までは、皆で行っていったけれど。自分の存在が、家族の自由を阻んでいる気がして、いや実際そうだった。家族といるのがイヤだった。夕菜に、今、通院している病院は、この病気の研究もしていると教えてもらい、その病院に通院するために、アパートへと越して来た。
確かに詳しかったけれど、限界があると言われ、“顔”以外を診てもらっている。
私は、大きなため息を吐いた。私がまた、陰鬱な思案をしているのを察したのか、純が口を開いた。
「この辺りは、バブルの頃は、派手に賑わっていたけど、今では、田舎でひっそり老後を送りたい金持ちか、地元の人間ぐらいしかいない。退職して、のんびりと自然を楽しみたくて、別荘に住み着いている人間くらいかな。スキー場もたくさんあったけれど、今、営業してるのは一か所だけ。でも、雪不足だから営業していない。人工雪を造る程のコストは無いし」
寂れた町並を見ていた、私に言った。
「昔は、よく来ていたの?」
「―そうだね。幼かった頃は、ね」
しばらく沈黙し答えた。内心、しまったと、思た。答えてくれた声に、寂しさと悲しさが混じっていたから。私の動揺を察したのか「気にはしていない」と言った。それが、逆に、私には悲しく思えた。
誰にだって、触れられたくない心のキズがある。見られたくない心の領域がある。それは、私にも純にもある。お互い、ある程度、曝け出し合っていたとしても。でも、本当のコアとなるモノは、きっと誰であろうとも、語り合わないし、合えないモノかもしれない。私のソレは、消えることの無い、癒えることのないキズ。今なお、出血し続けている。傷口の様なモノ。
何時か、そのキズにカタルシスは、訪れるのだろうか? それこそが、純や私が望み求めている「答え」なのか?
そして、私達、純の行き着く先には、果たして彼の望んでいる、カタルシスはあるのだろうか? それとも、カスタトロフィーなのか? ソレを見届けた、私は、如何するべきなのか? 生き続けるのか、それとも一線を越えて逝くのだろうか?
考えている間に、車は町から離れた、山の中へと入って行く。新緑や紅葉の季節は綺麗なんだろう。今は、冬枯れの木立があるのみ。所々に雪がある。何だか、物悲しい。それでも、道とかは手入れされ、少ないけれど、街灯もある。
退職者や田舎暮らしの人間がいると、言っていたから、管理はされているのだろう。木立の間からは、所々に一軒屋がある、誰かの別荘なのだろう。
更に奥へ、するとゲートが見えた。純は一旦、車を停めて降りるとゲートを開けて戻ってきた。そのゲートから先は、手入れされていないのか、枯草と雪に道が覆われていた。そして、その先には、古びた洋館が蔦に絡まれて寂しげに建っていた。その洋館の前で、車を停めた。別荘にしては、他の別荘より大きい。純の母方は、大きな財閥。戸籍を抜き、縁を切って、自分にとって必要な物だけを持ってきた。それも、また、計画だったのだろう。
―純は、たった独り、狂気のセカイで生きている。そんな、純も、何時かは救われるのだろうか? 魂が存在するのであれば。
古ぼけた洋館を見上げて、考えていた。
「ここが、僕の別荘。数年前までは、管理してくれていた人がいたけど、その人も亡くなった。後を任せようと思った人がいなくて、荒れ放題だ」
雪と枯草を踏み分けて行く。土や木、雪の匂いが漂っている。鳥の囀りさえ聞こえない。都会には無い、澄んだ空気。私は、大きく背伸びをし、深呼吸をする。肺の中が、ひんやりとした。
「静かで良い。自然が在るって良い。自然なるモノが一番良い。目に見える、眼には見えないモノでも、すべてが自然なるモノであるなら。そういうのが、好きだ」
玄関へと向かう石畳。石畳もコケと雪で覆われている。玄関の石段もそうだ。きっと、石でなければ朽ち果てていただろう。
純は、少し戸惑う様にして、玄関の鍵を開け、扉を開いた。
「思ったより、痛んでないな。上がれよ」
途中で買った、スリッパを出して言う。床には埃が薄らと積もっていて、微かにカビの臭いがした。純は、埃が舞い上がるのも気にせずに、ブレーカをオンにして、明かりをつけながら、部屋の窓を全て開けていく。冷たい空気が入ってきて、埃とカビの臭いを散らした。電気がつくことと、水道が出ることを確認すると、途中で買い込んでいた、掃除機をさっさと掛けた。
「ま、こんなものか。埃だらけだけど、上がれよ」
と、促されるまま中へと入る。どれも手入れし直せば使えそうな、高級家具ばかり。色々と見て回っていると、一か所だけべニア板が張り付けられている場所があった。床を見ると、他の床と少し色が違っていた。その場で立ち止まっていると、
「その奥にある部屋で、母は、焼身自殺を遂げたんだ。元々コンクリートに内貼りとして木を使っていたから、燃えたのはその部屋の内装だけ。皆、忘れようと言って、取り壊す話があったんだけど、残してもらったんだ、僕の我儘と、忘れないために」
言うと、純は、暫くそのまま、閉ざされた部屋の方を見つめていた。
きっと、心の中で、母親を弔っているのだろう。私は、何も言えず、その場から離れた。
別荘のある場所は、一際静だった。自然の静寂。この様な場所に、たった独りで生活していれば、容貌の事で他人から傷つけられる事もないだろうし、誰かと比べて、悩み苦悩する事もないのかもしれない。せいぜい、地元の人からは、変わり者が住んでいると、思われる程度。必要以上に接しなければすむ。
考えている内に悲しくなったので、窓から庭先に出れる場所、バルコニーの様な場所へ。そこから、冬の森を見つめていると、純が出てきて
「これから、買い出しに行く。千景も来るか?」
と聞いてきた。誘うのは何故? 私は、他人に会いたくないので、首を振った。
「夜までには、帰るから」
言い残し、車で出て行った。
特に何もする事が無いので、純が簡単に掃除機をかけた後を、全体的に掃除機をかけて、家具や棚、床を、買ってきていた雑巾で拭いた。ふと、棚に伏せられた写真立てがあるのに気付いた。埃を払い、表を向ける。
そこには、仲睦まじい家族写真があった。かつての純一家。優しげで綺麗な母親と、父親は俳優みたいな気取り顔、そして、真ん中には、あどけない無邪気な微笑を浮かべている純が写っていた。幸せだった頃の。でも、それは続かなかった。私は、写真立てを元に戻す。掃除を一通り済ませて疲れたので、途中、コンビニで買っていた、紅茶を温めなおし、ダイニングで、暫くぼーっと、していた。ナゼか、夕菜の事が浮かんだ。そして、悲しみが。
「よく自殺なんて、出来たね、夕菜」
と、小さく呟くと、また涙が出そうになった。
この場所について考えると、ここは、今の純の原点となる場所と同時に、幸せだった頃の思い出の場所。どうして、今になって、この場所に来たのか。私を連れて。無論、行きたく無いと答えても、強引に連れてきたであろう。
「答え」が、見つかったから? それとも、諦めたから?
買い物に行くと言っていたが、必要な物は途中で買っている。私が一緒に行かない事を知りながら、あえて聞いたのなら、それはきっと「答え」を見つけるなんらかの術を、知ったのか実行する為なのかだ。
父と社会への復讐。本人も、もう戻ることの出来ない世界で。ここへ来て、ソレに蹴りを付ける。それを、母親に捧げるつもりなのか?
静かな山里。自然が自然のまま、今なお残っている。都会の喧騒も雑踏も届かない場所。大雪が降り積もれば、閉ざされてしまう土地。雪に閉ざされてしまえば、全てが静寂に沈む。哀しく寂しい。だけど、それが美しい。自然というモノ。
決して、癒える事の無い躰。そして心。その痛みに刹那の癒しを与えてくれる。だけど、その刹那の癒しは、新たなる痛みとなる。それらは、廻り続ける。変わり続ける。同じ癒しは二度と、訪れない。……無常。それが、堪らなく悲しくて苦しい。
人間の命が、有限であるから故なのかもしれない。人間は、その有限の中で何を見て、何を思うのか。そして、求めているモノを掴んで、命を全うするのか?
それとも、何も見つける事が出来なくて、自ら現世と別れるのか……。
だとしたら、私や純の様な人間は、如何なのか? 人間の器と魂、外見と心、どちらが本当に大切なのかを、求めて血に染まる。宿命なのか運命なのか、もはや、解らない。ただ、もう戻れない、戻るコトは出来ない。純真無垢で、無邪気だった、幼き頃には。
深夜になっても、翌日の昼過ぎになっても、純は戻らなかった。何処かで事故にでも遭っているのかと心配したが、きっと実行しているのだろう。パターン的にそうだと思う。必然だったの偶然だったのかは、解らない。でも、出逢ってしまった。そして、共に過ごした。だから分かった、彼は、今、何処かで実行しているのだと。
買って置いた、簡単な物で夕食を済ませた。静かすぎて、心の叫びが聞こえそうだったので、それを紛らわせるために、仕方なく、テレビをつけた。
年末恒例の特別番組をやっている。しかも、タイトルは『未解決事件を追う、超能力者』だった。他のチャンネルとかは、アイドルとかが出ていて、余計に嫌だったから、仕方なく、そのチャンネルにしておく。日本人では無い、海外の超能力者で透視能力とかで、遠距離透視も出来、解決率80パーセント以上。とか、微妙な数字を出している。本当に透視が出来るのか。
ふと、今までに感じたコトのない感情が湧いてきた。このまま、ずっと、純と共にいる自分。それを、心の中の何処かで望んでいる私。私は、見目麗しい殺人鬼に、恋心なるモノを抱いてしまっていたのだ。恋心、そういうモノのコトを恋心というのだろう。そんな想い、感じてはいけないと言い聞かせてきた。その様な幻想を持たなければ、傷つくこともない。
でも、そうなのかもしれない。ずっと一緒にいて、共有出来る話。話だけでなくて、心も共に共有したい。それは、幻想なのか。醜い私にとって、幻想を抱く事も苦痛でしかない。この病気のせいで、奇形な顔。醜い。太陽の下を、陽の射す場所へは行けない。世間社会の中では、生きていけない。
光に怯え、他人の蔑みに怯え、言葉に傷つけられて、生きてきた。だから、恋心なんでものは、幻想でしかない。恋心と自分は無縁の存在。否定すればするほど強い感情が込み上げてくる。胸を貫く様な痛み。気が付くと、涙が歪な頬をつたっていた。
私の存在って、いったいなんだろう?
思って、涙を拭うと、
超能力透視した犯人の顔のイラストが、出来上がっていた。
全然似ていない。もしかしたら、模倣犯が複数いるのかもしれない。そして、その中の一人だったりして。
もし、純が、真犯人と名乗りを挙げたなら、世間は一体どんな反応を示すのか? 驚くのだろうか。私が知っている限り、犯罪者の中に、そう容姿の整った人間はいない。世間一般的な容貌か、凶暴性が滲んでいる顔。
私は、テレビを消した。部屋は静まり返り、時折、風が戸を揺らす音がするだけ。
純と暮らし始めて、もう二か月は過ぎている。アパートの、お節介な大家さんや、私の家族は、私が、連続殺人犯と一緒にいるとは、思いもしないだろう。
お節介な大家さんは、もしかしたら心配しているのかもしれないけど、家族は、してはいないだろう。連絡もめったにしない。家族に、私は必要ないのだから。
例え、殺人鬼であろうとも、純と一緒に、いる方が、自分には良いと思っているし、なんだか、心が安らぐ感じがある。その理由が、心の闇の共有なのか、私の幻想なのかは、解らない。
この行く末が、例え破滅的なモノでも、彼の行く末が、カスタトロフィーだったとしても、私は私でいよう。それが、私自身の破滅となったとしても。
ぎゅっと、拳を握り唇を噛む。心の痛みに堪える為に。
深夜になって、車のエンジン音が聞こえた。それと同時に、一瞬、車のヘッドライトが、暗い部屋を過った。それが、不穏なモノに感じる。今日は、新月で月明かりが無い。辺りは、真の闇だった。
玄関を開ける音がし、純が帰って来た。微かに漂う鉄臭さ。
「明かりくらい、つけろよ」
と、電気のスイッチを押した。パッと明るくなり、闇に慣れていた目がクラっとする。少し眠い目を擦って、純を迎えた。
「お帰り。血の臭いがする……」
「ああ。そうだ。後は、警察が如何出てくるかだ」
今までにない雰囲気と口調。
「人ごみの中、変装する事なく、誰構わず、切り付け刺して来た。目撃される様に。それも、数人とは、切り付ける時に、眼が合った。驚いた顔をしたのは、自分が傷つけられて驚いたのか、それとも、この顔に驚いたのかは、解らないけれど。これで、僕みたいな、容貌の持ち主でも、人を傷つける事件を起こす事を知って貰えた。社会への復讐が、これで、きっと果たされる。凶悪事件を起こすのは、物事がうまくいかず、自分と他人との間に、コンプレックスを抱えているような、引きこもり的な人間だけでは、無いと知って貰えた」
冷蔵庫から、ミネラルウォータを出し、一気に飲み干して、乱暴にテーブルに置いた。
「じゃあ、警察来るかもしれないんだ」
「ああ。多分、な。警察とマスコミに、犯行声明を送って来たんだ。僕の、狂った想いも考えも。写真と共に送りつけた。そして、きっと、マスコミは、僕のコトを“美しき、殺人鬼”とか呼ぶんだろう。ふふ、自分は、あの父親の血が濃いのかもしれない、だからもしかすると、ナルシストなのかもしれない。ネガティブな意味の。世間が、僕のコトを、カッコイイとか、整った美しい容貌と呼んでいるなら、嫌いなこの顔は、“美しい”のだろう。僕の様な、人間でも、“容姿容貌”から、世間を社会を憎んでいるコトを、それで罪に走るというコトを」
何だか、何時もと違う。理論的でない。
「犯行声明なんかしたら、捕まるのでは?」
おずおずと、問う。何だか、自暴自棄にみえる。
「捕まらないさ」
暫し沈黙し、呼吸を整えて答えた。
「捕まらない? 海外でも行くの?」
と、純の正面から問う。
「……すまない、少し取り乱した」
不思議そうにしている、私に言う。
「海外でも、何処でもない。誰も届かない場所だ」
まっすぐ、私の瞳を見つめ、答えた。
「それって……」
ああ、と、思った。その為だったのかと。彼の本当の心が見えてしまい、そして、知ってしまった。
「どのみち、そのつもりだった。だから、この場所へと、来たんだ。唯一、僕を理解してくれようとしてくれた、千景を連れて」
哀しい色が、瞳に浮かんでいた。
「し、死ぬつもりだったの? 連続殺人の末に?」
私の問いに、無言で頷く。
「あの日、出逢わなければ、僕は、もうすでに崩壊していたかもしれない。でも、千景に出逢った。今まで、誰も僕の心の深淵を見てくれる人間なんか、誰一人いなかった。すべて、この容貌と金しか見てくれない。だけど、千景は違った。あの時、あの瞬間に、僕の心の闇を見抜いた。そして、僕も、千景の心の闇とキズを視た。共に過ごすうちに、同じ様な闇を、心の深淵に飼っていると。心の闇なるモノ同士が、惹かれあった。だから、僕は、千景に、行く末えを見届けてもらおうと決めた。だけど「答え」は無くて、僕は、社会に復讐したかっただけだと気が付いた。だから、ここへと来た」
私を見つめる、純。私は、少し戸惑い、純の瞳を見つめ返し
「それは、一緒に死ぬ為に?」
小さく言葉にするのもならないような声で、問う。おそらく、これが結末。
そう気が付いたのは、ここへ来てから。母親の焼身自殺現場の前で、佇んでいた、その時。
「どのみち、千景は、死にたいのだろう?」
優しい瞳、優しい口調。死を望みながら、決行できないでいた。そして、どんなに望んでも、願っても決して叶うコトの無かった想い。心に、なんとも言い難い痛みを感じる。嬉しいと同時に悲しい。涙が零れそうになるのを、なんとか堪える。
「あの時、殺さなかったのは、同じニオイを感じ取ったから。一緒にいたら、如何いう話をし、どういう行動をするのかを、知りたかった。そして、語り合い手になってくれるか。そして、最後を見届けてくれる人間に値するコトが、解ったから。……構わないよな、僕と一緒に死ぬコトは」
その言葉は、私が心の一番深く遠い場所に潜ませていた想い。そして、望んでいた言葉。私に、迷いは無かった。
もともと自殺願望に、満ちていて決行出来ないでいただけ。だから、自分で死ねないのなら、誰かに殺して貰う。そんなコトを考えていた時、純に出逢ったのも、何か意味があったのかもしれない。
だけど、どこか、悲しくて切ないのは、恋心なるモノのせいなのか。
少し間をおいて、私は頷いた。そんな私を、純は、ギュッと抱きしめた。初めて感じる人間の温もり。
そして、離れると、バックの中から、どこから手に入れたのかは知らないけれど、病院で、手術の前とかに使うような、強い鎮静剤というか、睡眠導入剤。それを二本。そのうちの一本を、私に渡した。チャプンと液体の音。一回数ミリ飲むタイプ。一瓶全量だともしかすると、致死量に近いかもしれない。
「何も、残さないから」
言うと、玄関先から携帯用のガソリンタンクを持って来る。何度かに分けて。
普通車にどれくらい入るのかは、よく知らないけれど、携帯缶の数は3個。一度に全部持ってこれなかったのを考えると、かなりの量だと思う。やはり、母親と同じ、焼身自殺を。私も、骨になれるのなら、構わない。こんなにも憎んできた躰を、消し去れるのだから。
「内装は木で出来ているけれど、基礎と外観はコンクリートだから、森には燃え広がらないと、思う。森が燃えても、構わない。それで、終わるのだから」
ガソリンを、あらゆる処に撒いて、戻って来る。リビングのソファーに座っている、私の隣に座る。ガソリン特有の臭いが充満している。
純が、先に薬を飲んだ。私も飲む。なんだか懐かしい味だった。即効性のはずだから、間もなく身体に力が入らなくなって、朦朧としてくるはず。
純が、私に大きな毛布を掛けた。その毛布に純も入る。段々と、朦朧とし力が抜けていく。肩を抱いてくれているのが、わかった。嬉しかった。
そして、純の手には、ライター。
「―ごめん。そして、ありがとう」
私を見つめて、言った。朦朧とする意識では、その言葉を聞き取るのがやっとで、意味までは解らない。肩を抱いている純の腕の力が、抜けるのが、分かった。そして、純の唇が私の唇に、重なる。
醜い自分。誰にも、愛される事も、触れられる事も無いと思っていた。生きているだけ無駄。誰もが、私に投げかけた言葉と、蔑みの視線。それは、本当のコトなので、仕方無いと思い続けてきた。だけど、純だけは、違っていた。自分と対極に在りながら、心の深淵は同じだった。誰よりも近い、闇の深淵。
だから一緒にいても、苦痛でなかった。あえて、通報する事も、帰る事もしなかった。最後まで、見届ける。それを決めていた。
「わたし、の、ほうこそ、ありがとう」
呂律が回らない。身体は純が支えてくれていたから、なんとか保てた。堪えていた涙が、歪な頬につたうのが、わかった。
「ああ、千景に、出逢えて良かった」
純の呟き。体格の差で、薬の効く速度は違う分、純はまだ、保てているのだろう。
その言葉と同時に、朧いだ視界が、赫色に染まった。美しい赫色だな、と、薄れゆく意識の中で思った。
純の放った、炎は一瞬にして、別荘を炎で包み込んだ。月の無い夜空を深紅に染め上げる。別荘から飛び出した炎は、周囲の森をも深紅に染め上げた。静かな山里の集落は、大騒ぎとなった。地元の消防団では消し止める事は、出来ないで、純の別荘は外観は黒焦げとなり、周囲の森も敷地内は全て燃え尽きた。
寂れた小さなリゾート地の火事が、ニュースになったと共に、世間を騒がせていた、連続殺人事件の犯人のニュースに進展があった。純の犯行声明と顔写真が公開された。
『容貌容姿でしか人間を見ない、社会への復讐』として。
第四章 道化の御霊
暗い闇の深淵。静寂のみが支配している。真の闇の底。そこは、とても居心地が良かった。私は、一人、その闇の深淵で微睡んでいた。ずっと、ここに居たい。このまま、ずっと。
そう、思った時、だった。
急に、眩い光が差し込んできた。光は嫌いだ。余りの眩しさに、私は、瞳を強く瞑る。しかし、その光は、とても苦痛に満ちたモノだった。
「……さん、仲條さん、仲條千景さん、わかりますか?」
白い影が、私を呼ぶ。何度も同じことを、同じ口調で繰り返しながら。
―うるさいな、
呟こうとしたが、違和感があった。光の眩しさに慣れてきて、なんとか目を開こうとしてみた。また、眩しく白い世界。光は苦痛で堪らない。闇の深淵が、懐かしく、瞳を閉じれば、戻れるかもしれないと、閉じてみたけど、あの闇の深淵ではなく、ただ目を閉じただけの闇だった。あの闇の深淵には、戻れなかった。
……純は。彼は、何処にどうしているの? 純は?
辺りを見回し、事態を把握しようとしたけれど、身体か思うように動かない。
戸惑っている私になのか、別の誰かなのかへ
「意識、戻りました。どうやら、峠を越えた様です。大丈夫ですか、仲條さん」
近くにいる白い影が、私に語り掛けていた。
「ああ、良かった。―ありがとうございます」
白い視界の端。声だけで、分かった。両親だ。なんで?
私、生きているの? 急に不安になった。生きている……。せっかく、心を通わせれる相手と、安らぎを得ることが出来たのに。
生きている。かつてない、絶望を、絶望なんて言葉では説明できない感情が込み上げてくる。その想いに対して、足掻こうとしたけれど、身体は思うように動かなかった。まるで、何度も経験した全身麻酔が覚めた時の様に。
「痛みますか? 仲條さん、あなたは火事に巻き込まれたの。“火元”から離れていたから、一命を取り留める事が出来たの。良かったですね。これからは、治療を頑張って、生きていきましょう」
視界がハッキリしてくる。視界が白っぽいのは包帯の様で、白い影は医師だった。改めて、自分の置かれている状況を考える。私は「生き残って」病院の、高度救命センターの様な部屋にいる。
―生きている。実感と共に、絶望する。
共に炎に包まれた、純は如何しているのだろう? あの時、隣にいたのに。
色々と考えているうちに、私は再び眠気に落ちていく。生きている夢なのか、それとも、純と過ごした日々が夢だったのか?―
千景は、鎮静剤と軽い麻酔を投与されていて、バイタル管理下にあった。
「話が出来る様になるまでは、時間が掛かるでしょう。火傷の状態からすると、皮膚移植も考えないといけないし、今のところ一番のリスクは、感染症でしょう。それを乗り越えても、持病との関係もありますし。痛みが、落ち着くまで、それなりの時間が掛かるでしょうし、むしろ、心の方も」
無菌室の外で、医師は、千景の両親と、背広姿の二人に説明している。
「そうですか。それにしても、如何して、連続殺人犯を名乗った男の別荘に一緒にいたのでしょう? あの別荘で発見された、焼死体の一部は、おそらく犯行をほのめかした男のものでしょう」
背広姿の男性は、千景の両親に問う。
「千景さんは、何か言っていませんでしたか?」
「いいえ。色々あって、別居していました。連絡も、殆ど取り合う事も無いから、何が何だか。アパートの大家からの連絡で、始めて、行方不明と聞いて。でも、こちらから連絡するのを、あの子は嫌っていて。そうしたら、大家が
“もしものコトが、あったら”と言ってきたので、捜索願出すべきか、悩んでいました」
母親は、たどたどしい口調で話す。
「色々? 家庭の事情は知りませんし詮索はしません。でも、如何して大家に言われてからなんですか?」
刑事は、問い詰める様に、千景の両親に問う。
「親子関係が悪く、兄妹関係も。あの子が、先天性の病気で顔に奇形的な腫瘍があって……そのことで、いつもぶつかって。兄妹との接し方の違いに敏感に反応し、時には自殺を仄めかしたり。自殺されるくらいなら、と、独り暮らししたいと言った時、その方がお互いの為と思って。家族は平穏になれるし、あの子は、兄妹と比べられずに済むと思い―」
父親が答える。体裁を気にするかの様に。母親は泣いているだけ。
「ちょっと、それは」
何か言い掛けた、若い刑事を年配の刑事が制す。
「そうですか。それにしても、連続殺人犯の青年と一緒にいたのですか? 組んで犯行するようには、思えませんし。千景さんには、犯行は無理だと解っています。犯人がターゲットとしていた人間とは、全然違うし。ただ、声明文には「珍しいペット」という言葉がありました。もしかしたら、目撃してしまい、監禁されていたのかもしれませんね」
両親は、話を聞くだけで「珍しいペット」と言う言葉に、なんの反応も感情も出さなかった。年配の刑事は、内心、溜息を吐いた。実の娘のコトを「珍しいペット」と言われたなら、なんらかの反応があっても、おかしくないのにと。娘に対して、無関心な親。それが、印象的だった。
「犯人と思われる人物が、死んでしまっている以上、千景さんが何か、知っているのかもしれません。回復を待って、また話を聞きに来ます」
刑事達は、事務的な言葉を残し、帰っていった。刑事が去った後、千景の両親は、家族用の待機室で、ただ茫然としていた。
千景が、ICUで、朦朧とした意識の日々を過ごしている頃、テレビのワイドショーを中心に、連続殺傷事件を取り上げて、派手に放送していた。純が、マスコミ各社に送った声明文と写真。世間は、美貌の殺人鬼の事で盛り上がっていた。あの美貌に、実は、大きな財閥の血筋。学歴など。何処まで、純が、犯行声明文に書いていたのかは、解らないが。少なくても、財閥に目が行かないようにはしていたはず。だが、それを暴くのが、マスコミ。
ただ、ナゼ、美貌の青年は、この様な犯行に至ったのかの部分は、何故か報道されないでいた。ネットも祭り状態。だけど、財閥からの根回し火消が強く、ただ、犯行の動機として、『幼少期にあった、母親と父親の不仲』とだけ報道されていた。その報道も、何処かの国で起きた、大規模なテロとクーデターに、何時の間にか、置き換わっていた。
純の話題が世間を騒がせたのは、一か月程。それでも、ネットの片隅には、彼を讃える者と批判する者が、騒いでいた。
季節は何時しか、桜の散る時季となっていた。
身体の傷は、徐々に癒えていくけれど、心のキズは深くなる。
取り残された。改めて実感する。自分には、悲しみと絶望しか残されていない。如何して、生き残ってしまったのか、ただ苦しくてしかたなかった。
時折、事情を聴きに来る刑事には
「覚えていない。犯行現場見て、そして、私の顔が面白いって、連れられて、軟禁されてた」
と、答えるだけ。でも、それは事実には違いない。始めは。刑事も、腫物に触るように接するので、それが余計に嫌だった。両親も面会に来るが、話したくないので、言葉は交わさない。また両親も、身体の傷の事を、少し聞いてくるだけだった。心配は、本心なのか、病院関係者に対しての体裁なのかは、解らない。
あの、居心地の良かった、闇の深淵には、もう、二度と戻れないコトが堪らない苦痛、絶望。わずかに伝わりくる、純についての情報。世間は、ソレをどう受け止めたのだろうか? 純のシナリオ通りになったのか?
それは、この白い部屋までは、届かない。
私だけが、生き残った意味は、何処かにあるのだろうか?
「良かった、生きていてくれて」
涙ぐみ母親。本心なのかは、解らない。
「本気で、そう思っている?」
敵意を込めていう。
「親としては、どうであれ、生きていてほしい」
ありきたりな返答。
「何よ。今更、親の顔しないで。一度たりとも、私の心の叫びを受け止めてくれるコト無かったくせに」
受け入れられない両親のコト。家族。なにより、一度も、私の心を視てはくれなかった、受け止めてくれなかった。純の方が、ずっと身近な存在だった。私の心の闇を受け止めてくれた、唯一の人間。
「あえて、受け止めないのは、親だから。受け止めて貰えれば、お前は、それで、納得出来たのか?」
兄が言った。家族の中で、会話が一番、多かったかな。
「いつだって、お前の事を、思わなかった事は無い。他の兄妹より」
無口で無関心な、父親が口を開いた。
それも、また、キレイゴトにしか受け取れない。
「おそいよ、いまさら」
小さく言って、布団をかぶる。
「身体も痛いし、疲れた」
追い払いたい、そう思った。布団を頭まで、かぶった。
溜息が聞こえた。本音なのかもしれない。そう、私は、やっかい者なんだ。
「また、来るから、欲しい物あるなら、メールして」
兄は、言って、両親と共に病室を後にした。
本当は、解っているのかもしれない。だけど、過去の事がある以上、心は拒む。そんな自分も、キライ。どんなに、赦せなくても家族。断ち切れれば済むのに、それが出来ない、自分も嫌。
「純、如何して、私も一緒に連れて逝っては、くれなかったの」
そう思うたび、身体の傷より、心が痛んだ。
葉桜になる頃、何重にも撒かれていた包帯は、少し薄くなり、ICUから一般病棟の重傷者向けの個室に移った。ここには、歩ける入院患者もいる。好奇の目が気になったが、皆、自分の病気の事の方で一杯な様子で、野次馬はいなくて、ホッとしている。警察の事情聴取に、私は、ただ
「一緒に死んでほしい」
と言われたとだけ、伝えた。それは事実だし。それ以降、話したくない。黙秘権。何時しか、刑事も来なくなった。
[美貌の殺人鬼が、飼っていたのは、二目と見れぬ奇形の女]
そんな報道も、入ってくる。他の患者の目を気にしつつも、歩ける様になっていた私は、売店に向かう。週刊誌の中には、悪意と好奇で記事を書いている物もあった。別に如何書かれようが、結局、私は、その様な中で生きてきたのだから。むしろ、そんなものしか書けれない記者に哀れみを、抱く。時折、マスコミっぽい人間を見かける。患者の振りをしているが、そうではないし、面会の人間でも業者でもない。雰囲気。私は、その様なモノに鋭いと思っている。だから、直感で回避する。それは、以前と変わっていない。
そんな、ある日。世間はゴールデンウィーク。大火傷は、右半身が中心。
人口の皮膚で今は保護している。私の場合、持病からか皮膚組織が薄く、自己移植出来ないので、皮膚バンクからの皮膚提供を待っている。生き残ってしまって病院にいる以上、もはや、自殺を考える事は無い。ただ、生き残ってしまった意味を考えている。そんな頃、初老、もう少し老けて見える上品そうな男性が訪ねてきた。老紳士みたいな言葉が、合いそうな感じの。
面会は、看護師を通してだったけれど、部屋の前で何かを話、面会の方です。と言い残し、看護師は立ち去った。誰だかしらないけれど、看護師が立ち去ったってことは、警察関係か、いや、背広の襟の所に目がいく。
「私、神丘家、神丘財閥の顧問弁護士の一人で、羽生幸雄と申します」
と、名刺を差し出す。私は、それを、不思議そうにし受け取った。
何の事か、解らずにしていた私に、一通の封筒を渡した。
封筒には、純の字で、「千景へ」と書いてあった。
まだ、動かしにくい指先で封を開ける。―これは、多分………。
「い、遺書?」
恐る恐る問う。
「はい。もし、生きておられたなら、あなた様に、渡して欲しいと、生前に頼まれていました。―それと、今回の事件については、私達、神丘家の顧問弁護士達で、最後まで処理をいたしますので、あなた様は、お気遣いなく。黙秘を貫いて貰っても構いません。これは、坊ちゃま、純様を、止める事が出来なかった、出来ないでいた私共の責任でもあります。だから、全て、私共が背負うものであり、償っていくつもりです」
純のことを、坊ちゃまと呼んだのは、きっと幼い頃を知っているから。
私は、純の手紙を読む。
『千景へ。これを読んでいるというコトは、生き残ったんだな。一緒に死ぬ約束を破ってしまったコトは、すまないと思う。お前が生き残れるかは、僕にとっての賭けだった。あの毛布は防火用の難燃性の物。お前に、生き残ってもらう必要があったから。裏切りで悪い。でも、最後まで見届けて欲しい。それは、僕の死んだあと、千景が世間において、僕の成したコトを、どう受け止めているのかを、見届けて欲しかったんだ。それが、本音。生き残らせてしまって、苦しく辛い絶望感を与えてしまったけれど、生きていて欲しい。僕という、存在がいたというコトを。あの日、母が事故に遭わなければ、父が母を大切に心を想う心があったなら、僕は、この様な狂気に囚われず、何不自由なく暮らし、差別的な人間になって、千景の様な者達を蔑んでいたかもしれない。父の棄て台詞、あの言葉から、僕は答えを探していた。それが、社会への、父への復讐。人間を傷付ければ、答えが見つかる。そう思っていた時に、千景に出逢った。ある意味、それが僕にとっての救いになった。千景の存在が、容貌と心。僕の求めていた「答え」らしきモノを持っていると感じたからなのかもしれない。生き残させてしまた、千景を、この先、苦しませないといけないと思うと申し訳ない。許して欲しい。千景には生きて、「答え」を見つけて欲しい。それが、千景自身が導き出した答えでも、構わない。
人間は、皆、苦しみの中で生きている。千景も僕も。
だから、道化師の様に、化粧を施し、仮面を被り生きてる。実際に、道化師のメイク、仮面をつけているワケではなく、例えだ。本音と本心を隠している。道化師が素顔を隠す様に。そうしなければ、普通の人間は社会の仕組みの中で生きてはいけないのだと、思う。人間は、自分を偽らないと生きれないのかもあしれない。僕が、そうであったように。
もう届く事の無い想いとなってしまったけれど、生き残っている以上、その生をまっとうして欲しい。もし、魂が存在するのであって、輪廻があるのであれば、また何処かで逢えるかもしれない。もし、その時があるならば、その時、見てきたことの「答え」を聞かせて欲しい。
生き残らせてしまい、ゴメン、千景。
純 』
読んでいて、涙が止まらない。人口の皮膚の隙間に、涙が浸み込み痛い。それ以上に、心は痛かった。
―うそつき。どうして―
身勝手。そう思ったけれど、生き残って、悲しいけれど、この手紙を読む事が出来て、嬉しかった。
私が、落ち着くのを待って
「坊ちゃまは、純粋な方でした。それが、仇となってしまったのかもしれません。家と縁を切り、籍を抜くという相談は、今、思うと、この事件の為だったのかもしれません。時々、私の所へ来ては、あなた様の事を話ておられました。そして、この手紙を受け取った日、一連の殺人事件の犯人は自分であると言いました。冗談かと思いましたが、嘘を吐く様な方では無いし、全て完璧に事件の詳細を説明し、幾つかの証拠なる物を持って来ました」
老弁護士は、語る。
「あなたは、知っていて、止める事とか、しなかったのですか?」
「はい。出来ませんでした。止めたところで、途中辞めにする事は無いと思ったからです。これは、私自身の罪でもあります。私共は、あなた様の今後と、被害者の方々への償いと支援をしていきます。裁判は、被疑者死亡で形だけのものになるでしょう。あなた様は、なにか聞かれても、黙秘権を行使すればいいです。私は、坊ちゃまの後継人の一人でした。後は、財閥が権力で事件を無かった事にするでしょう。それだけバックに大物がいるんです。それも、坊ちゃまの計画のうちでしょう。あなた様は、あなた様だけは、坊ちゃまの事を忘れないでいて下さい。何かありましたら、私を通して、お伝えください。今後の事を全て、出来る範囲、していきます」
そう言うと、深く頭を下げて、病室を後にした。
私は、純の手紙を読み返し、残された意味と理由を知った。
だから、生きて、“人間とは何か”答えを、探そうと思った。それは、犯罪とかでなく、社会の仕組みの中で。それをするには、私自身が私自身とまず、向き合い闘わないといけない。
きっと、純は、美しさ故に、その心の在り方を求めていたのかもしれない。容貌だけしか見てくれない。それは、きっと寂しかったのかもしれない。
躰と心、そのどちらも人間にとって必要であり、時として、外側なる容姿、また、心。そのどちらかが欠けても、人間はダメだということ。
見かけだけ、でも、性格は最悪。良く聞き言葉。でも、まず外見が先なんだ。
容姿が悪ければ、それだけで、中身、心まで良くないとされてしまう。
それが、社会の仕組みであり、現実。
純は、きっと気付いたのだと思う。躰と心が、一心同体であり、その両方が必要であると。だから、人間だと。
そして、その締めくくりとして、美しいと称された躰を、焼きつくす事で、終止符を打った。
何度も、人口の皮膚を張り替える手術。持病もあってか、回復が進まない。ドナーから皮膚を貰うほかに無い。ドナーはいないし。
季節は、変わっていく。梅雨空が広がっている。
ワイドショーも、週刊誌も、純の事件を扱っていない。圧力を掛けたのだろう。むしろ、テロ事件の方が、自衛隊との関わりをどうするか、国会で議論されている、そっちの方に関心が移っている。事件から、一か月以上もすれば、冷める。その通りだった。
人間だからこそ、起しえる悲劇。宗教思想民族間の違いによって。二人以上の人間がいれば、対立し合う様に。
医師も看護師も、相変わらず、腫物に接する様に対応する。私に、凄く気を遣っている。最近は、それが、鬱陶しくなっている。
家族とは、相変わらず。顔を見に来る程度。妹だけは来ない。私も、会いたくない。兄は、時々、来る。大学がこっちで、そのまま就職しているから、身の回りの事は、兄がしてくれている。
「お前は、思っていないかもしれないが、結構心配してたんだぞ。大家から、連絡もらった、警察から話が来た時」
着替えなどを持ってきて、言う。
「私なんか、生まれてこなかったら良かったのに。今も、それは思っている」
言うと、兄は少し怒ったように
「お前が気付かなかっただけ。ずっと気にかけていた、子供の頃から。アイツもそれは、解っているんだろうけど。それにしても、あの大家、すっごいお節介だな」
兄は、クスと笑った。
そう、アパートの大家さんは、お節介なんだ。この前、ひょっこりとお見舞いに来て
「そりゃあ、心配してたさ。あんた、病気持ちって聞いてたし。自分でも言ってたから。そんな顔だからって、言いながらも、毎日、挨拶してくれるのは、あんただけだよ。こっちが挨拶しても、頭下げるか、知らんぷり。それに、私が腰を痛めた時、掃除を手伝ってくれたじゃないか。色々と辛いことあるのかもしれないけれど、人様、特に親に、迷惑や心配かけるもんじゃないよ、そりゃー心配してたんだから」
って言う大家さんに、「なんで?」と、問う。
「は? あんた、ね、それが、人情というもんだよ」
と、言い、まだ傷の癒えていない、背中をパンと叩いた。痛かったけれど、変な気を遣われるよりマシだった。ふふと、笑いが込み上げる。
「そう、お節介」
と、答えた。
「あの、羽生とかいう弁護士が、全てまかせろと、言っていた。皮膚のドナーが見つかって、外出できるようになったら、一度、実家に帰るか?」
「いや、帰らない」
それは、まだ、自分の中でケリが付いていない。
「そうか」
言い残し、兄は帰って行く。
あんな容貌の私を、大家さんは、他人と区別する事なく接してくれるのは、数少ない一人。なんとなく解る、大家さんは、人には言えない深い心のキズを持ていると。
家族との溝は、まだまだ遠くて深い。その溝を作ったのは、きっと私自身。この先、どうなるか。ドナーは見つかるのか。色々、考えていても仕方がない。
「溜息ばかり吐いていると、幸せが逃げて行くんだって」
入院中に知り合った、幼い女の子が言っていた言葉。幼いのによく、そんな言葉知っているなって、思っていたら、彼女は、とても難しい病気で、既に余命宣告されていた。
あの時、慰問に来ていた、サーカス団の道化師から、大きな風船を貰って、とても嬉しそうにしていた顔が浮かぶ。そんな、彼女を、道化師は、ナゼかとても、優しいそうな、そして穏やかな微笑で見つめていた。それは、私が感じたイメージ。実際は、独特のメイクで無表情が基本。あれは、私のイメージだったのか、それとも、心からの微笑だったのか。哀れみでも慰みでもない、心からの、ただ純粋なモノ。
その道化師に貰った、風船がしぼんでいくように、彼女の命の灯も、消えてしまった。私は、幼いながら、自分の宿命を受け入れ、その上で、屈託の無い無邪気な笑顔を、忘れる事は無いだろう。死を目前にして、ただ無邪気に微笑む。懸命に、生きようとしていたに違いない。自分はとても辛いで在ろうに、私の火傷の事を気遣ってくれる優しさは、何処か来るのだろう。もっと生きて痛かった。想いながら、全てを受け入れて、何時も無邪気に笑っていた。
―私には無理だ。また、溜息。
シトシトと雨が降っている。病室の窓からは、病院の中庭に咲いている紫陽花が見えて、色鮮やかに緑に映えている。窓に映る顔には、包帯。でも、なんで、髪の毛は燃えなかったのか? いくら防火難燃性の毛布に包まれていたけど、一番燃えやすいモノなのに。これが、唯一、純が残してくれたモノかもしれない。私の躰の中で、一番綺麗なモノ。純が、「綺麗な髪の毛」と言っていた。思い出したら、涙が出そうになった。私は、涙を堪え、窓辺から離れた。
それから、何度目かの手術。ようやく、皮膚のドナーが見つかり、
培養と適合が上手くいったらしい。そして、移植手術も、医師が思っていたよりも、私の身体との適合が良く、拒絶反応など起していないという。持病の事もあり、そのあたりの事が心配だったらしい。その皮膚が、完全に私の細胞と置き換わるまで時間は、かかる。それまでは、いくら拒絶反応が無くても、縫合不全が気になるとか。だから、退院は、早くて秋になる。紫外線の強い夏は、火傷の傷にも、移植後の皮膚にも良くないらしい。それから、リハビリ。皮膚がなじんで、引きつっていた火傷跡の皮膚が硬くなって動かしにくいのを、リハビリとケアで、改善していく。
身体の方は、徐々に回復する一方で、心の方は、まだ……。
時間が癒してくれると、言われるが、果たして、何時か、その時は来るのだろうか?
ワイドショーや週刊誌から、私の事を知って、暫く好奇の目で見る、患者もいたけれど、それも殆無くなり、私も気にしないフリをした。この先を、如何するのかが、悩みの種。
終章
今日は、梅雨の晴れ間。入院しているのは、実は神丘財閥系列の大病院だったらしい。これは、あの老弁護士から聞いた。大きな病院で、最新医療にも力を入れている。医大とは違って、独自に研究とかもしているらしい。
大きな病院には、レクリエーションルームがあって、病院が患者向けのイベントを行ったり、リハビリなどにも使う。院内学校も併設されているので、そちらでも、使っている。時々、ボランティアの慰問イベントなども行われている。何度も、入院していたけれど、その様な、イベントに参加した事は一度も無かった。リハビリと気晴らしを兼ねて、院内を、フラフラと散歩していたら、何だか、その、レクリエーションルームの方が騒がしい。この病院に入院して、そこに行くのは、二回目。まだ、包帯が全身に撒かれ、点滴をぶら下げていた頃、あの、女の子に誘われて、半ば強引に連れて行かれた。あの子は、私より、ずっと大人だったのかもしれない。
興味本意で覗いてみると、あの時のサーカス団が来ていた。そして、あの道化師も。サーカス小屋みたいな芸は出来ないけれど、ちょっとした芸を披露している。集まっている患者達も、楽しそうにしている。そんな様子を、少し離れた場所から、ぼーっと見ていると、私に気付いたのか、あの時の道化師が、私の前へと、やって来る。
「火傷の方は、大丈夫?」
と問う。私はビックリする。本来、道化師は喋らず、パントマイムなイメージだし、火傷の事を知っている事にも、驚く。
「皮膚のほうは、馴染んでくれているみたいだね」
静で優しい声だった。なんで、皮膚の事まで知っているの? 不思議に思い、道化師を見つめていると
「あの子の最後の、お願いだったんだよ。あの子は、自分の命が、もう無い事を知っていた。その事を知り受け入れていた。ただ死ぬ、それなら、生きたい人に、使える自分の身体の一部を、あげてと言っていた。君の火傷が、なかなか治らないって聞いていて、だったら、自分の皮膚が使えるなら、君にあげたいって、言っていた」
「そ、それって、じゃあ、皮膚のドナーが見つかった。適合し移植出来る皮膚が、見つかったって、それって」
あまりのことに、全身の力が抜けて、崩れる落ちる。
「この皮膚は……」
自分の顔を、両手で覆う。
「そう、あの子の皮膚だよ」
道化師は、悲しそうな表情。道化師のメイクをしていても、それが感じられる。そして、私に対して、厳しい瞳を向けた。
「だから、君は、これから先、しっかり生きなければならない」
視線を合わせたら、道化師の瞳には、悲しみを秘めた深い闇が、垣間見えた。
「……なんで、私なんかに」
言葉にならない。私の様な、生きていてはいけない様な人間なんかに。
「そんなこと思ってはいけない」
見透かされた。読める人なの?
「君は、道化師には、二つの意味と存在があるのを、知っているかい?」
思いがけない、問い掛け。
「―え、えっと、ピエロとクラウン。ピエロは確かフランス語。クラウンは英語。あと、クラウンは、おどけながら笑いを振りまくけれど、ピエロは悲しみを抱えながらも、人を笑わせる。確か、大きな違いは、眼の下のメイクで、ピエロには、涙の雫を現すメイク。でも、クラウンには、それが無い」
何時か道化になれば、生きていけるかもと、色々と調べてた頃があった。その時、知った、知識。正しいのかは、解らない。
「僕は、どっちだと思う?」
彼のメイクには、瞳の周りのメイクに加えて、涙を示すメイクがある。
「ピエロ」
座り込んだまま、小さく震える声で答えた。
「そう。ピエロ。僕は、哀しい道化師。哀しいからこそ、悲しい人や苦しい人を、笑わせて、つかの間の安らぎを」
言って、私の手をとり、立ち上がらせてくれた。
「あの子とは、このイベントで何度か、会っていてね、両親とも知り合った。あの子が何時も言っていた事を、あの子の最後の、お願いを叶えてあげようと、両親と僕が話して、決めたんだ。そうすれば、生きれなかった、あの子の一部は、誰かの中で、生きられるし、その誰か、も生きていける。使えるモノは、あの子と両親の厚意で全部、皆にあげた。その一つが、君に移植された皮膚。君の生まれ持った病気は治らないけれど、それでも火傷は治る。だから、君は生き続けなければならない」
静で優しい声だけど、その中に、厳しさを秘めていた。
「っ……」
声にならない、想いが込み上げてくる。
「僕は、哀しいピエロ。人々の哀しみで動く。哀しみながら笑って、笑っていても哀しむ。人々は笑う、でも、僕は涙する。そういう存在」
おどけた様に言う。本音が見えない。芝居で無い、それが解ったけれど、その奥に秘められている想いまでは、視えない。他人の想いを見抜くのは、得意な方なのに。
「無理だよ。君が、人の心を読むのが得意でも、僕には、それは出来ないよ。だって、身も心もピエロだもの。ピエロなる者、その心は幾重にも鍵を掛けて閉ざしている。だから、無理」
本音なのか、冗談なのか、解らない。でも、なんだか暖かいものを感じる。
私は、ようやく、ホッとして、笑みをこぼした。
「あ、やっと笑ってくれた」
彼は、おどける。
「君にも、何時か解るさ“答え”なんて、どうでもよいものだったと。だから、生きていく。生きたかった、あの子の時間を、あの子がくれたモノと一緒に」
そう言い残し、バック転をしながら、皆のもとへと戻って行く。
そのバック転に、歓声が上がると、彼は、ワザと転んでみせて、何事も無かった様に、ひらりと舞い降りる様に立ち上がる。そして、サーカス団の仲間と一緒に、ギャラリーに、風船や小物を配っていた。それを見て、立ち去ろうとしていた私の前に、ひらりと現れて、私の大嫌いな鏡を渡した。それは、綺麗な石で装飾された小さな手鏡だった。
そして、問う
「君は、輪廻を信じるかい? いつか、君が、自分自身の事を好きになり、誰かを好きになり、愛し合える様に。そして、誰かを幸せにして、あげれるように。それとも、道化師を望んでいた君が、僕の様な、ピエロになってもいいけれど、それは、自分の感情、心を全て封印し、他人との干渉をしないということ。孤独でも、君の、抱く孤独とは、また違う孤独。その意味が、解ったなら、君はピエロになれる。でも、君はまず、生きる。苦しくても生きていく。それが、あの子へのお礼」
本当に心の底を、読み取れる能力を持っている。不思議な感覚が、あった。ひとつだけ、感じ取れたのは、彼は、自分自身を赦していない。そのピエロの顔の下に、何があったのかは、解らないけれど。全ての、哀しみ憎しみ痛みを、知っている。それを抱いて、彼はピエロとして、振る舞う。人々の悲しみを、自分の悲しみとして。そして、その人の心を癒す。そんな能力を持っているのかもしれない。
病院のボランティアセンターの人に、あのサーカス団の事を聞いてみた。
よく慰問に来ている、小さなサーカス団らしいけれど、あのピエロの事は、良く知らないと、そして、帰りがけのサーカス団の人を呼び止めて、彼の事をきいてみたけれど、「とにかく謎だらけの人。誰も素性も素顔を知らない」と教えてくれた。道化師・ピエロというモノは、その様な存在なのか。それとも、彼が特別なのかは、解らない。でも、何処か懐かしいモノが、あった。
かつて、私の中の魂が、道化師の魂と逢っていたのかもしれない。『輪廻』の言葉を言ったのは、その事を意味しているのだろうか?
……魂の記憶。魂は、存在するのかもしれない。それは、心の深淵の自分でも解らない様な場所に。私は、魂なるモノを信じたい。
病室に戻り、あのピエロの言葉を、思い出す。
『君に、移植された皮膚は、あの子の皮膚。だから、生きていたかった、あの子のぶんまで、君は生きていかなければならない』
何度か、繰り返し、その言葉を呟いた。
私は、思いきって立ち上がり、病室の鏡の前に立つ。大嫌いな自分を映す鏡。
「私が、生き残った意味。生きている意味」
呟いて、そして、包帯とガーゼを外した。
鏡には、赤く腫れた顔と、細い糸で継接ぎの顔が映っている。生皮を剥がした様な感じ。ケロイドを想像していたけれど、思っていた程ではない。ただ、以前、摘出は不可能と言われていた、右目蓋から頬の大きな腫瘍が無くなっていて、そこだけがケロイド状になっていた。そして、そこはまだ、血と浸出液が滲んでいた。おそらく、あの赫い炎が焼いたのかもしれない。
じっと見つめてみる、焼身自殺未遂の顔。それは、数か月ぶりに見たかもしれない、自分の顔。
「これが、あの子のくれた皮膚」
そっと、指で撫でてみる。
「痛い。それに、生々しい」
じっと、見つめる。
「これからは、この顔が私の顔になるのか……」
―私は、あの炎の中で、生まれ変わったのだろうか?
純の事を、思うと胸は痛む、だけど、その痛みは、この先も抱き続けて生き、生きて生き続けて、見届ける。誰でもない、私の「答え」在るか無いかは、きっと人生の終わりに、解るのかもしれない。
そう、それが、生きていく理由。生かされた意味。
傷だらけの新しい顔に、なんだか少しだけ、愛着を感じた。
「―私は、私という名の道化師になる。クラウンでなくて、ピエロの方として」
『人間は、皆、道化なんだ。○○というメイク・○○という仮面をつけて、さ迷い、踊る、道化。人間は、道化にならないと、この社会の仕組みの中では、生きていけない、そういう存在なのかもしれない』
純が、かつて、よく口にしていた言葉が蘇る。その言葉を、繰り返し呟く。
ふと、足音が近づいて来て、私は我に返る。ノックが聞こえ、扉が開く。
回診の時間。医師と看護師が入ってきて、勝手に包帯とかを取った、私を叱った。
「勝手に取ってはダメ。せっかく移植した皮膚が馴染んでいて、感染も無いんだから。ダメだよ」
と、暫く説教された。
医師と看護師が去った後、暫くベットに横になっていた。ピエロに貰った、小さな手鏡には、包帯をグルグル巻きにされている自分の顔が映っている。
溜息と共に、眠気に襲われる。私は、鏡を握ったまま、眠りに落ちた。
やがて、最後の手術が終わる。一旦ここで区切りをつけて、後は、リハビリを重ねるのと、経過観察の為の入院。
何気なく過ごしていた間にも、季節は廻って、夏へと至る。私の一番嫌いな季節。
ふと、スマホを見ると、流からメールが届いていた。
「面会とか、大丈夫? 会える?」と。
「大丈夫」と返信した。最後に会って一年以上。事件の事、入院の事で、メールにも返信出来なかったし、入院中には、そういう気分になれなくて、放置していた。
夏の陽射しの中、久しぶりに、流と会った。
病室で話すより、外に行けるのなら行こうと、流が言ったので、外出許可をもらって、念入りに帽子とマスク、スカーフを首に巻いて、紫外線から、他人の視線から身を守る。
外へ出ると
眩しい真夏の太陽が照り付けていた。煩い程、セミの鳴き声が聞える。流も、私も、話したい事がたくさんある。二人で、病院近くの公園へと来ている。
「―夕菜の事だけどね」
流が、話しを切り出した。
「うん。サイト見た」
「そう。夕菜、さ、自分で動けて、自分の意思があるうちに死にたいって、さ。いずれ、自分の意識も自由も無くなる。それが確実だから、自殺を選んだ。皆で何度も、説得したんだけど。止められなかった。でも、私、それと同時に、両親や私の事を、忘れられてしまう前に、夕菜が本懐を遂げれて良かったのかもしれないと、思ったりもする。おかしいかな?」
「どちらとも言えない。それは、夕菜が決めたコトだから。誰も、責めれない」
答える私の気持ちは、複雑だった。
「そ、っか」
流は、遠くで、はしゃいでいる子供達を見つめる。
「子供は、元気だね。この暑い中。―ねえ、千景はどう?」
「何が?」
一瞬、ドッキとした。
「傷の具合。……事件の事は聞かない。退院できそう?」
流の言葉に、少しほっとし
「もう少し、様子を観るんだって。この皮膚、幼い女の子が、くれたの。その子は、難しい病気だったらしくて、自分でも命の期限を悟っていて、それを受け入れた上で、自分の身体で使えるモノがあるなら、欲しい人がいるなら、あげてって、言い残してて。私には、皮膚をくれた。なんだか、随分と、私の火傷の事、心配してくれていて。遺言に「千景お姉ちゃんには、皮膚をあげたい」って。脳死だったらしい」
私は、俯いたまま答えた。
「すごいね、その子」
「うん。病院に慰問のサーカス団が来るんだけど。その、サーカス団に変わったピエロがいて、“あの子から、皮膚を貰った、君は、生きていかないといけない”って言ったんだ」
あのピエロの言葉を、思い出しながら言う。
「当たり前だよ。生きたかった、その子のぶんまで、生きるのが、皮膚を貰った千景の使命。彼女を、がっかりさせてはいけないよ」
久しぶりに聞く、流のしっかりした張のある声。
「うん。そうだね、そうだよね」
と、自分に言い聞かせる。
「でも、太陽は残酷だよ。あらゆるモノを照らし出して、曝け出す。私のあの容貌も、隠しきれないほどに。今も、それが怖い」
「気持ちは、解っているつもり。オドオドしているから、余計に目立つのかもよ」
流らしい、答えだ。
私は、何年か振りに、真昼の空を見上げた。
真夏の青空には雲一つ無くで、何処までも広がっていて、いかに自分の存在がちっぽけかを感じさせた。
「退院出来たら、夕菜の最後の場所へ、一緒に行ってみる?」
「うん。その時は、私は、立ち直れているかな?」
「それは、千景しだい。夕菜も、きっと同じ事言うと思うよ。……でも、彼とのコトは、この先も、忘れなくていい。千景は、千景だし。彼のコトを想うのならそれで良いじゃないの? ただ、彼のコトで、ずっと縛られているのはダメ。その想いを抱いて、前に進む。それが、立ち直るって事かもしれないよ」
笑って、流は答えた。
病院の中央出入り口で、流と別れる。
自分の病室に戻り、一息つく。
窓辺から、外を眺める。
太陽の光にしろ、月明かりにしろ、電気の光にしても、自分の醜い容貌を曝け出すのは、どの光も同じ。
もし、私が、フツウの姿で生まれて来ていたなら、その私は、私の様な存在を、どの様な目で見てしまうのだろうか?
人間というモノは、その容姿容貌から、まず判断されてしまう。内側、心を見てくれるのは、そのずっと後から。
時々、耳にする
『やっぱり、性格で選べば良かった』
と、言う愚痴は、結局、人間の表面しか見ていなかっただけ。もし、外見だけでなく、じっくりと中身、性格・心を見ていたならば、そんな愚痴は出ないと思う。
世の中、外見、容姿容貌に関するCMとか特集はあっても、心、内面を磨くCMや特集は少ない。目に見えるモノ全てが、人間であるのではないのに。
目に見えない部分こそ、人間の本質である。
それを、私がどうこう言っても、世論は変わらないし、社会というものは、弱者にとって、残酷なコトの方が多い。自分が、その立場になって、初めて、その気持ちを理解できるのだ、心の底から。頭では、いくらでも想像できる。でも、それを思いやりとして、実行できる人間は少ない。
それも、もう、どうでもいい。
考え気にしても、世間が社会が変わるコトなんてない。
純が求めた「答え」社会に問い掛けた「モノ」に、この社会が応える事などできないのだから。
人間の数だけ、その「答え」は存在して、それが、人それぞれの価値観。
そう、私は結論する。
でも、この時点での結論であり、この先、また変わるかもしれない。
無常。一時として、同じものはない。
箱の中の猫。箱の中の猫は、生きているのか、死んでいるのか。
そのような理論がある。
人間は、容姿容貌か心か?
箱の中の猫について、生きていると言えば、生きていて。死んでいると言えば死んでいる。そのどちらでもあって、また、そのどちらでもない。
それと、同じ理論で考えると、
「人間は、容姿容貌が大切」と答える人は、その価値観。
「人間は、性格であって心が大切」と答える人は、その価値観。
でも、箱の中の猫と違って。
「人間は、容姿容貌も大切だけど、心もまた大切」と、いう理論。
「人間は、最終的に、中身、性格、心、魂」と、言えるのかもしれない。
人間の価値観を、箱の中の猫の理論では、証明出来ない。
人間は複雑で、また、単純。真直ぐでありながら、また歪。
感情的であり、そして、壊れやすい。
―そんな、存在。
私はこれからも、純の求めていた「答え」と共に生き、
そして、私自身の「答え」を見つけよう。
それが、あの子との約束であり、ピエロとの約束。
再び窓辺へと向かう。
夏の陽射しは、室内からでも、かなり眩しい。そして、木々の陰、建物の陰を、浮かび上がらせている。光と影、その境は、はっきりとしている。
太陽は、相変わらず、無慈悲に地上を照らし続けている。
了