1. 世界の半分
魔王城には、魔物の気配がなかった、ただ、途轍なく広かっただけだ。魔物の使う言語に人間の用いる言語で「玉座の間」と併記された部屋を見つけたのは、魔王城に入った翌日だった。
そこで玉座に腰掛けた魔王をついに見つけた。意外だったのは、魔王は、おぞましい魔物の姿ではなく、人間と同じ容姿をしていた。そして、魔王は、勇者に語りかけた。
「勇者ウルか。よくぞ魔王城に参られた。余は、現魔王のパズだ」
その中性的な佇まいから、男か女か容易に見分けることはできなかった。声は、声変わりしていない男のようにも聞こえた。
「余の知るところによれば、余が話し続ける限り、勇者は、余に戦いを挑まないと聞く。それは真か?」
魔王は、微笑みながら問いかける。
「相手が話をしている限りは、それに割り込むことはしない」
勇者が答える。
「そうか。それなら話ができそうだな。まずは、この問いかけからだ。世界の半分を勇者ウル、人間の代表であるそなたに統治させよう。残りの半分を魔族の代表である余が統治する。この提案を受け入れてはくれないか?」
伝説によれば、過去に魔王に挑んだ勇者も同じような提案をされたらしい。勇者もそれを知っていて迷わなかった。
「断る」
しばらくの沈黙が続いた。魔王はため息をついて立ち上がった。
「愚かだ。実に愚かだ」
勇者は、剣を抜いて身構えた。不気味な沈黙。しかし、その後、魔王は、力を抜き、ため息をついて、玉座にドスンと戻る。
「勇者ウルよ、余の提案を受け入れずに、今後、どうするつもりだ」
魔王は、足を組んで問いかける。とても戦いになった後、俊敏に動けるような態勢ではない。勇者が右手で飛びかかろうとする戦士を制して答える。
「まずは、お前を、魔王を倒す」
「余を殺してからは?」
「それで世界に平和をもたらす」
沈黙とため息。
「本気で言ってるのか? 世界の半分には、魔族が散らばっていて、その数は、一〇〇万を超える。余を殺しただけでは、魔族はいなくならない。余の提案を受け容れずに、余を殺したところで、平和など手に入らない。勇者は、魔族を虐殺するつもりか? 人為的に淘汰するつもりなのか?」
この時の私の衝撃は、言葉では言い表せない。
「淘汰が目的ではない、平和が目的なんだ。魔族が人間に敵対する以上、魔王を倒す必要があるんだ!」
勇者は叫んだ。
「声を大きくする必要はない。聞こえている。ただ、幾つか反論したい。第一に、余を倒すという表現を使わずに、余を殺すというべきだろう。なぜ、殺すという言葉を躊躇うのだ。そこに既に答えがあるのではないか。第二に、平和のために余を殺すというというのであれば、それはただのテロリズムではないのか。魔族の知る限り、テロリズムで歴史が良い方向に変わったことなど皆無だ。そして、第三に、魔族は、人間に敵対してなどいない。人間が魔族を憎んでいるだけだ。余は、魔族に対して人間を襲うように命令したことなどない。人間を襲う魔族がいるからといって、それを一般化してヒステリックに魔族の排斥を訴えているだけではないのか」
勇者は反論の言葉を失って、仲間を振り返った。勇者はもともと議論が得意ではない。議論をするなら賢者である私が適任だ。勇者が頷いて私が魔王に話しかける。
「私は、賢者のマゴであります。」私は、魔族語で話し始めた。魔族に魔族語で話しかけるのは始めてだった。「私は、魔族と人間の争いに疑問を持ったことがあります。魔族と人間の争いの起源を調べても、どこにも記録が残っておらず、我々は、なぜ、魔族と争っているのか、その理由も知らないのです。魔王殿は、魔族と人間との争いを終わらせることができると考えていらっしゃるのでしょうか?」
「ほう。魔族語が話せるとは、感心だな。」魔王は、人間語で返した。「人間の問題は、魔族を知ろうとしないことだ。そこの勇者は、人間の代表として送り込まれてきたのに、魔族の言葉を聞くことも話すこともできない。そんなことで魔族との平和をもたらすことができるはずがなかろう。武力で手に入れることができる平和などない。人間は、歴史から学ぼうともせず、争いを繰り返しているのだ」
魔族だって人間の言葉を話せないじゃないか、と勇者は反論したがすぐに気づいたようだった。確かに、下級の魔族は、人間の言葉を話すことができない。ただ、そういった下級の魔族は、もともと魔族の言葉をを話すことも理解することもできないのだ。確かに、上級の魔族は、戦う前に人間の言葉で俺たちに話しかけてきた。例え、それが敵意を剥き出しにした非友好的な言葉であったも、魔族が人間の言葉を学んでいたというのは否定し難い。
「歴代の魔王は、人間の歴史を観察し、無数の人間同士の争いを書物として残しているのだ。そして、現在の人間たちについても各地の魔族から情報を集めている。人間同士の大規模な――そう、戦争といっても良い――大規模な争いが現在、何箇所で起こっているか知っているか? 二〇箇所だ。魔族との間で起こるのは、散発的な遭遇戦で、それも組織だったものではない。それなのに人間同士で、富や思想を巡って日々闘いを続けているのだ。魔族の間での争いは皆無とは言わないが、日常的に起こるものではない。人間の愚かさをよく表しているではないか。マゴに問う、魔族による統治と人間による統治とどちらが統治の形態として優れているのだ?」
私は、青ざめていただろう。そして、言葉を振り絞る。
「人間の世界では、命令や服従によって統治がなされているわけではありません。権利と自由がその基底にあり、共同体を守るために各個人が協力し、社会を形成しているのです」
「権利と自由ではなく、不理解と身勝手ではないのか? 自分の姿と少しでも似ていない者を排除するのに権利と自由というのか。ここ二〇〇年で人間の間での富の偏在が進んで二極化していることに気づいているか? 奴隷の数が全人口の一〇分の一に達しているのに、まだ、権利と自由が保証されていると強弁するのか?」
「人間の社会は、一日では変わりません。漸進的に社会構造が変化し、それによって権利と自由の確保がいつかは叶うでしょう」私は、答えた。
「余は、人間に絶望しているのだ。人間は、人間に平穏をもたらさないだろう。そして、それはつまり、人間が魔族に平穏をもたらさないことも意味する。もし、可能性があるとすれば、それは余が勇者と共に平和をもたらすということくらいだろう。マゴの問いに答えよう。魔族と人間との争いを終わらせることができるとすれば、この機会しかない。人間がどのように世界の半分を統治しても構わない。ただ、余は、勇者に世界の半分を与えることによって、それを実現しようと考えておるのだ」
私たちは、いつも決断を勇者に委ねてきた。それで、この問に対しても勇者の決断を待った。勇者は、まだ納得していないようだった。
「魔族が人間と敵対していないということが信じられない。では、なぜ、魔族は人間を襲うのだ」
勇者が問いかけた。
「魔族のうちでも下級のものに対しては、余の命令も及ばない。比喩的にいえばこういうことだ、人間界の動物が魔族を襲うことがある。しかし、余は、それを人間の責に帰するものだとは考えない。動物が食料を欲して人間や魔族を襲うのは仕方のないことだ。余の命令を理解できる上級の魔族が人間を襲うことはありえない。多少の例外はあるにしてもだ」
「その回答は都合が良すぎるのではないか? 魔族が組織的に人間の村を襲う例は、いくらでもあるだろう」
「人間との争いを続けていくうちに、魔族が根本を絶つために人間を襲う例が幾つかあった。ただ、私の命令に背くくらいだから、その場合にも十分に理由があった。数は、一〇もないだろう。それと引き換え、人間が魔族を襲う例は、枚挙に暇がない。勇者ウルは、ここに至るまでに一〇以上の魔族の居所を襲っている」
「やはり、魔族が人間を襲っているということではないか!」
「魔族の支配地域と人間の支配地域が明確ではない場所では、そのような争いが起こりうるものだ。人間は、世界のすべてを支配するつもりか? 魔族には何らの土地も与えないのか?」
「人間の数が増え続けている限り、土地は必要だ。」
「統計的には、人間の魔族もおおよそ同数で増え続けている。魔族だって事情は同じだ。ただ、どこかで線を引くなら、世界の半分だろう」
魔族は増えているのですか、と私は思わず問いかけた。勇者と魔王との話に口を挟むことは、本来は、無礼でありえたのだが、あまりの驚きで、つい問いかけてしまった。
「魔族は、おおよそ人間と同数で増え続けている。歴史的に見れば、魔族の数は、増えることも減ることもある。理由は、未だに不明だ。疫病によって人間の数が約半分に減ったことがあろう」
「三〇〇年前の風死病ですな」
「あのときに魔族も約半分に減った。理由はわからない。ただ、その後は一貫して増加に転じている」
「魔王殿にも魔族の増減の理由は不明なのですか?」
「魔族の誕生は、魔族にとっての一番の神秘であり、歴代魔王にとっての一番の研究課題だった。ただ、余に至るいずれの魔王もこの神秘を明かすことはできなかった」
「魔王殿に代替わりがあるのですか?」
「ある。短い場合には、一年程度で、長い場合には数年で代替わりが発生する。近年は、魔王の在任期間は少しずつ長くなっている。これも理由は不明だ」
「魔族の間では、どのように魔王となる者を、選んでいるのですか?」
「選んではおらん。魔王となる者は、生まれながらに魔王となるのだ。魔王となる前に、魔王となることを知らしめる期間がある。儀式のようなもので、例外なく、誰かが魔王となる直前にそれが知れ渡るようになっている」
「それは、例外なく行われる儀式なのですか」
「余も幼かったため、あまり良くは覚えていないが、書物によれば、例外なくその儀式は行われる。古の書物によれば、それはデバッグ・モードにおけるテストと呼ばれる。テストは、試練という意味で、バッグは、『大量の』という意味らしいが、それ以上の意味は不明だ。おそらく魔王が大量の試練を乗り越えるという意味なのだろう」
「でばっぐ・もーどですか?」
「そうだ。一度、魔王が誕生すると、次の魔王が誕生するまで、デバッグ・モードにはならない」
「魔王殿が魔王になってから、どれくらいの期間が経過しているのですか?」
「三年だな」
そこで勇者が口を挟んだ。「俺がお前と約束をして、次の魔王が約束を守る理由があるのか?」
「人間と違って、魔王は、代々聡明になっている。次の魔王が余よりも賢明であることに疑いはない。そうであれば、余と人間との約束は遵守される」
そこでまた暫くの沈黙があった。魔王が問いかける。
「勇者よ、世界の半分を統治してはくれないものか」
勇者は、私たちを振り返る。
「みんな、俺の決断について来れるか?」
私たちは頷く。いつでもそうしてきたし、それはいつでも正しかった。どのような結論になろうと、私は、勇者に従うつもりだった。
「魔王、お前のお前は叶えよう。ただし、世界の半分を統治するのは、俺じゃない。マギが適任だ」
勇者が私を振り返る。次は、魔王が悩む番だった。
「賢者か。余の仄聞するところによれば、賢者マギは、優柔不断で、人望において勇者に劣ると聞く。」
「よく知ってるね」と勇者が感心したように言う。
「余は、人間に関心があるからな。マギは、世界の半分を統治する器ではないだろう。やはり、勇者ウル、そなたが適任であろう。統治者は、人間が支持するものでなければならぬ」
「では、俺が表向きの統治をしよう。ただ、実際に統治をするのはマギというのはどうだ。何ならマギと魔王でもいい。俺は言われたとおりにする」
魔王は、ニヤリと笑った。
「決まりだな」