第8話 情けは人のためならず魔族は撃っても大丈夫
――ヨハンとソフィアは休暇を利用して帝都の中心街で買い物をした帰り道、近道をするためにスラム街を通り抜けようとする。そこで強盗に遭っている褐色の美少年を助けるが、実は彼は魔界の王太子のサムエルだった。そこに憲兵隊がやってきて、ヨハンを過剰防衛の容疑で連行してしまう。ヨハンは人助けをしたと主張するものの、目撃者の証言で彼は窮地に陥ってしまう。
「最悪――最悪」
「なんで二回も言った? 仕方ねえだろ――先着限定なんて知らなかったんだから」
ヨハンとソフィアは休日を利用して帝都の中心街に来ていた。
小隊の指揮はミリアムが代行している。
母親への贈答品を選ぶという妖精の少女を、運河沿いのデパートメントに案内してきた帰りだった。
ところが、ソフィアが買おうとした、物音に反応して踊る花の玩具は製造会社が経営破綻したために、流通在庫しかないということだった。
夏至の日の売出しで、在庫が放出されると聞いたため、二人は滅多に入らないデパートメントを訪れたものの、見事に空振りになったのだった。
「私が選んだ上着のほうがあなたには似合うはず」
自分の買い物が失敗した不満を解消するためか、あるいはもっと乗り心地を良くしようとしたのか、妖精の少女はヨハンの私服を見立てた。
しかし、熟考を重ねて選びぬいた服をにべもなく却下されたことで彼女は機嫌を悪くしていた。
「お前さんが選んだやつは、どれも窮屈すぎるんだよ――俺はもうちょっと緩めのが好きなんだ。紅白で縞々の〝紳士の鞘〟も、白モデルの方が好きだし」
「下品」
非番ということもありヨハンは私服を着用していた。
下はインディゴブルーの染料が色落ちしはじめた、履き古しのデニムにヌバック革のジョッパーブーツ、上は麻のワイドカラーのシャツに、背抜きをした薄手の黒い上着を羽織っている。
靴を除けばどれも既製品だった。
「シャツの裾を外に出したら? それが今風」
「銃に引っかかる」
「非番のときの武装は、軍規に引っかかってる」
ソフィアの指摘は正しいが、ヨハンは個人用の銃の携帯許可書を取得しているので、厳密には法には触れていない。
この有能な才媛がそれを把握していないはずがないので、おそらくは自分好みの服を着てくれないことに、文句を言いたかったのだろう。
夏至が近いこともあって、もうじき夕刻だというのに太陽はまだ高かった。
また週末だからか、駅まで続く通りの歩道は人で埋め尽くされている。
「すごい人出――別の道がいい」
「遠回りになっちゃうだろ――我慢しろ」
そう言った彼だが、唐突に立ち止まった。
「どうしたの?」
ソフィアが怪訝に思って訊くと、ヨハンは歩道で親子連れに風船を手渡している道化師を一瞥して、
「たまには回り道をしよう」と言って、路地を曲がろうとする。
「ん――こっちは静か」
「裏道だからな――治安悪いから、さっさと抜けるぞ」
帝都の運河沿いは、再開発が始まった地区や一部を除いて、帝国でも屈指のスラムだった。
ここには武装した憲兵ですら巡回には滅多にやって来ない。
また、銃声が鳴ったとしてもこの辺りの住人はほとんどが不法入居者で、その程度のことでは通報もされないという話を聞く。
耳を澄ませると、遠くから怒鳴り声や子供の泣く声、ガラスか食器の砕ける音が聞こえてくる。
「……」
ヨハンは上着を脱いで腰に差してある拳銃を抜いた。
「ここに敵はいない」
「この辺を通るときのマナーみたいなもんだ――ほら、レストランでナプキンを膝にかけるだろ? あれと一緒だ」
そう言って、彼は脱いだ上着で拳銃を包むようにして保持するとそのまま歩く。
「もしも強盗に遭ったら、そのまま撃つの?」
貴族の身分で侯爵家で甘やかされて育った割には、彼はこういうところでの用心を欠かさない。
「自分の身体に孔をあけられるより、上着を駄目にするほうがマシだからな」
ソフィアが瞬いた。
彼女は何かを思いついたらしい。
「撃ったら、新しい上着が必要――そのときは私が選ぶ」
「好きにしろよもう――それより、しばらく後ろを見てろ」
「ん」
ヨハンに言われて、ソフィアは彼の肩に腰かけて背後に気を配った。
「あれはなに?」
薄暗い路地の交差する小さい広場には、室内球技に使うゴールポストが立ててあった。
地面にはうっすらと、ペンキで描いた歪んだ曲線が浮いている。
「貧乏人ほど、大きいボールで遊ぶんだ――失くしても見つけやすいようにな」
「ヨハンはお金持ちの家で育ったから、小さいボールで遊んでた?」
「ああ――二二口径からはじめて、今はもっぱら三八が遊び相手だ。現場じゃ、ほとんど二二三の小銃弾しか撃たないけどな。ほんとは三〇八や三〇‐〇八の方が好きだけど、あっちは重すぎて所持弾数が減っちまう」
「銃は玩具じゃない」
用心が功を奏したのか、あるいは青年と妖精の少女という組み合わせが奇妙すぎたのか――または別の不幸な被害者が先客として、この裏路地を通り抜けようとしていたのか。
二人は何事もなく表通りの見えるところまでたどり着いた。
「晩飯は食ってから帰ったほうがいいよな――それか駅で弁当でも買うか」
「キッシュがいい」
「この前も……」
そう答えようとしたとき、すぐ近くで男たちの怒号が聞こえた。
「……」
ヨハンは咄嗟に、コートの中で握った拳銃の安全装置のレバーをさげる。
ソフィアが警告しなかったため、背後に驚異はないと判断できた。
「隣の路地から聞こえた」
肩から小鳥のような重さがなくなった。
「おいおい――放っておけって」
そう窘めたが、妖精の少女は好奇心に駆られたのか、一人で様子を見に行ってしまう。
追いかけると、ビルの壁を陰にしたソフィアが、口の前で指を立てていた。
「旅行者が強盗に遭ってる――武装を確認した」
肩に立つと、耳元に口を寄せてソフィアが小声で言った。
「人数は?」
彼女は指を四本立てた。
「……ギリギリだな」
ヨハンの使う拳銃は弾倉に八発、薬室に一発が込められている。
不意を打ったとしても、武装した強盗のうち数人が反撃してくれば、予備弾倉に交換している間に十発以上は撃たれるだろう。
遮蔽物のない近距離では、こちらの練度がいくら高くても、数の暴力を覆すことは厳しい。
「邪魔しちゃ悪いから、帰ろうぜ」
「駄目――私たちが見過ごしたと後で発覚したら、帝国軍は市民の信用を失う」
「元々信用なんかされてねえよ――だいいち、アホの旅行者の命ひとつで失われる信用なんか、大事にする価値あんのか?」
彼は例によって、まわりくどい言い方で自分たちが介入することに異議を唱えたが、
「ある」とソフィアに断言されてしまった。
「……」
ヨハンは少し黙って、簡単な作戦を立てた。
「上から小銭をばらまけ――連中が気を取られた隙に仕留める」
「ん――撃ち損じたら?」
「そのときは、お前さんの〝猫じゃらし〟の出番だ――目潰しをかけて、一人ずつ各個撃破だ」
「了解」
「行け」
ヨハンはソフィアにペンスやファージングといった硬貨を持てるだけ持たせて、ビルの上に移動させた。
上着を羽織りなおしてから、拳銃の遊底を少し引き、薬室の装填を確認して待つ。
「!」
地面に小銭が落ちる音がした瞬間、ヨハンは飛び出した。
遮蔽物のない場所で戦うとき、被弾を最小限に保つためには伏せることが有効だ。
これは野戦でも、市街戦でも変わらない。
もっとも、戦場の地形や敵との位置関係を考慮する必要はあるが。
ヨハンは伏せたまま構えた銃の照準が強盗をなぞるようにして速射していく。
予想通り、強盗に遭っていた被害者は壁際に追い込まれる形で中央にいた。
「なんだ!? 手前ぇ!」
最後の一人が被害者を盾にして、回転式の拳銃を構えた。
「銃捨てろ! 捨てやがらねえと、コイツの頭ぁ吹っ飛ばすぞ!」
「それは困る」
銃を突きつけられていた被害者の若者が言った。
「なっ!?」
ヨハンは珍しく声を出すほど驚いた。
「やあ――また会ったね」
強盗の被害に遭っていたのは、魔界連邦の現宗主国の王太子、サムエルだった。
ヨハンとソフィアが路地裏にいた頃。
第九九連隊基地で、部下たちとの訓練を終えたミリアムは、覗いてくる不届きな上官のいない間にシャワー室を独占して、上機嫌で執務室に戻った。
「失礼――少尉殿、お聞きになりましたか?」
「なにごとだ? 上級曹長」
執務室に入ってきたシニアは、基地に届けられた夕刊を手にしていた。
一面の記事には、大きな見出しが入っている。
〝魔界の王太子、サムエル殿下、帝国へ〟と綴られているのを一瞥したミリアムは驚いて、シニアと顔を見合わせた。
記事では、週明けの月曜日に特別列車にて帝都に到着するとあった。
そこでいくつかの式典に出席し、条約の締結に向けて実務者の顔合わせに責任者としてやってくるということだった。
記事にはさらに、サムエルの生い立ちや、現魔界連邦での王位継承権の序列、さらにはいくつか持っている肩書についての補足があった。
「停滞している講和交渉を進めるために、向こうからお偉方がおいでになるという噂があったのですが――まさか、王太子が自らお出ましとは」
「この、サムエル殿下とやらが例の――先日の作戦で介入してきた魔族か」
「大尉のお話では、その通りかと」
「ここで会ったが百年目! 飛んで火に入る夏の虫! 地獄への片道切符を贈ってやるぜ!」
ヨハンは拳銃を構えてサムエルに言った。
「地獄なら、この前も行ってきたよ――人口が増えちゃって、少し狭くなってたけど、君たちが思ってるほど悪いところじゃない。特に、君は気に入ると思う。どうだい? 君の死後、地獄に堕ちるというのは」
「言われなくたって、その予定だ!」
二人が再会の〝挨拶〟を交わしていると、強盗は混乱しつつも主導権を取り戻そうとする。
「おい! 手前ぇらなんだっ!? 知り合いかっ? なにをわけのわかんねえことを……」
「うるせえ! まとめておっ死ね! 猫じゃらしだ!」
合図でソフィアが光線を照射した。
夜間に高高度を飛行する飛竜に、遠距離から攻撃目標を指示できるほどの光度と緑色の波長の光は、直視すれば簡単に人間の視力を奪う。
「がっ!?」
強盗の生き残りが怯んだ隙をヨハンは見逃さずに二発撃ち込んだ。
さらに、残弾をサムエルに向けて撃つ。
「おかげで助かった――ありがあばばばば」
いつか戦場で邂逅したときと同じく、サムエルには銃弾が通用しなかった。
弾倉が尽きて、ヨハンの拳銃のスライドが後退して止まった。
「畜生! マジで本物かよ!」
ヨハンは悪態をついた。
「ひどいじゃないか――僕まで撃つなんて」
無傷のままのサムエルが言った。
ヨハンはそれを無視して、拳銃の弾倉を交換した。
倒れている強盗たちを一瞥して、
「他のやつらはちゃんと死んだよな」と言いながら、二発ずつ撃ち込んで確実に止めを刺していく。
「なぜここに?」
いつの間にか戻ってきたソフィアが訊いた。
「ニュースは聞いていないのかね? 僕はこのたび、連邦政府の全権代理人としてこちらに派遣されることになったんだ」
魔族の少年は正直に答えた。
「はぁっ!? 聞いてねえよ! そんなの!」
「私も初耳」
「到着は明後日だからね」
「なら明後日に来いよ!」
サムエルはそう言われて、足元に置いてあった紙袋を持ち上げた。
「どうしてもこれが欲しかったんだ――ここにしか売ってないっていうから、予定を繰り上げたのさ。誰にも内緒でね」
サムエルが取り出した紙袋の中身は、ソフィアの母親が欲しがっているという、踊る花の玩具だった。
「人間というのは、実に興味深い――こんな面白いものを考えつくんだから」
「同感」
サムエルとソフィアが揃ってヨハンを見た。
不意に背後から警笛が聞こえた。
「いたぞ! こっちだ!」
振り返ると、武装した憲兵たちが裏路地になだれこんでくる。
「強盗とは貴様らかっ!?」
「武器を捨てろ!」
ヨハンは言われたとおり、地面に拳銃を捨てて、両手を上げて振り向いた。
しかし、こういうときに黙って従う彼ではない。
「馬鹿野郎! 俺たちは正義の味方だっつうの――悪もんは、そこに転がってる間抜けどもだ」
「間抜けだったと言うべき」
ソフィアが律儀に訂正した。
「俺たちは後ろのお坊ちゃまを、悪漢どもから助けただけだ――ほら、身分証を出すぞ? 撃つなよ?」
「待て! 上着をめくれ! その位置でまわれ!」
ヨハンは殺気立った憲兵たちに撃たれないよう、ゆっくり動いて背中を向けた。
懐から紙入れを取り出そうとしたとき、
「んん?」と首をかしげた。
見ると、期せずして強盗から助けたサムエルの姿はどこにもなかった。
「あの糞ガキ、逃げやがった……」
ヨハンは身分を照会され、非番の軍人だとわかると、手続きと供述調書をとる必要があると言われて、憲兵本部に連れて行かれることになった。
武装していないソフィアは見逃されたものの、彼女にも供述を聞くことになると、憲兵を率いていた貴族出身の少佐は一方的に通達した。
その様子を、ビルの屋上から下を見下ろしていたサムエルは、まるで連行されていくようなヨハンの様子を見てつぶやく。
「これは妙な雲行きだ――かといって、僕が今さら出ていくわけにもいくまい。さて、どうしようかな」
「大尉がっ!? あの方は、どうしてこう次から次に問題を……」
第九九連隊基地に一人で帰ってきたソフィアは、ミリアムとシニアに簡潔に状況を報告した。
驚いてから呆れだしたミリアムの横に立つシニアは、落ち着きはらった様子でソフィアに訊く。
「お待ちを――特務准尉、大尉は銃の携帯許可をお持ちだったのですね?」
「そのはず」
ソフィアは頷いた。
「ならば大丈夫です――相手が武装した強盗の四人組ならば。それも、スラム街で強盗に遭った人を助けたのですし。大尉のことですから相手の息の根を必ず止めます。万が一、遺族その他に裁判を起こされたとしても、不利な証言をされることもないでしょう。調書をとって終わりかと」
これが普通の強盗相手の単純な事件なら、おそらくシニアの言う通りだろう。
ただ、いくつか問題がある。
「しかし、妙ですね――憲兵はお忍びの王太子殿下を護衛していた、というわけではないようですし」
厄介な問題の第一がこれだった。
外国の要人絡みとなると、国際的な問題の渦中にヨハンが置かれることになる。
そのことは、ミリアムもソフィアも理解していたが、シニアの懸念は別にあるようだった。
「というと? 上級曹長、貴官の見識をもう少し頼む」
ミリアムが促した。
「はい――申し上げます。小官の知る限り、憲兵がスラム街での犯罪の取締に積極的になるのは、ごく稀です。外国の要人を救出するための出動であったなら、そもそもそんな場所に王太子殿下をご案内する警備計画自体に問題があります」
ミリアムもソフィアも頷いた。
「偶然ができすぎている――そう言いたいの?」
「まさしく――何者かが、大尉を逮捕するためにお膳立てした可能性を、小官は懸念しています。これは例えばですが、王太子殿下を何らかの方法でスラムに誘導し、買収した強盗に襲わせたところを、助ける振りをした憲兵隊が〝誤って〟王太子殿下を害する計画で、その実行犯として大尉に罪を着せるつもりだったとか」
「それをヨハンが阻止したから、逮捕された?」
「二人とも、ちょっと待つがよい――そんなことをして、誰がなんの得をするという? 帝国の中で、外国の要人を死なせたら、講和交渉が全て破綻するばかりか、それを口実に戦争が再び始まってしまうだろう」
「それが仕掛けた者たちの狙いとしたら、いかがですか?」
「まさか」
ミリアムは否定しようとした。
しかし、両国の停戦合意がなされて以後、講和交渉が遅々として進まない理由の一つとして、軍部や議会の主戦派が交渉を打ち切って、あらためて魔界連邦との決戦に臨もうとしている――という噂話はいたるところから漏れ出ていた。
「私たちにできることは?」
ソフィアが訊いた。
「さしあたっては、所定の手続きに則るのが第一かと――軍規に基づいて、上官の即時解放を求める上申書を、ボーマン司令に出して頂き、我々からも嘆願書を憲兵本部に送付するところからですね。よろしいですか? 少尉」
「あ、ああ……」
「では、かかりましょう」
シニアが柏手を打って、それを合図にするようにミリアムとソフィアは動き出した。
「おい、上等兵――なんだこの泥水は?」
ヨハンは帝都の中心にある憲兵本部の事情聴取室に軟禁されていた。
すぐに帰れるはずだと思っていた彼は、空腹も手伝ってか非常に機嫌が悪かった。
あるいは、既に六時間近く、狭い部屋にいることが原因かもしれなかった。
ヨハンはコーヒーを運んできた兵卒に絡んでいる。
「俺がこの世でただ一つ我慢できねえのは、カプチーノを注文したのに、ミルクの商標をとっただけの、乳化させた植物油をぶち込んだコーヒーだけだ」
彼は横柄に言うと、紙コップを後ろに投げた。
それを黙って見ていた、事情を聞いている憲兵隊の上級指揮官、コナリー少佐は淡々と話しだす。
「では大尉、もう一度確認したいが――貴官は、強盗の現場に遭遇した。そこで帝国市民の義務であるところの通報を怠ったのはおろか、警告も威嚇もせず、一方的に四人を射殺した。これだけでも、君はいくつかの軍規を犯しているし、帝国刑法においては過剰防衛と私刑を犯した罪で立件も可能だろう。さらに、助けたと主張する被害者はその場から逃走したため、君の正当性を主張することも実に困難だ。そして事後、我々が到着した。以上に間違いはないかね?」
「……」
ヨハンは両手を揃えて、テーブルの上に出した。
「……? なんのつもりだ?」
コナリー少佐はそれを一瞥して訊いた。
「逮捕は?」
「我々は貴官を逮捕した覚えはない――これはあくまで、通常の手続きに必要な口頭聴取だ。では、答えて貰えるかな? 我々の確認している事実と、君の主張に齟齬があるかどうか」
「……」
こんどは無言で返した。
「コーヒーの注文以外、口にする気はないのか?」
「そのコーヒーも口にしてないぜ――これが事実だ。わかるかい? 少佐殿」
彼はわざと相手の階級を付け足した。
コナリー少佐は、
「ではもう一度、はじめから確認していこう」と辛抱強そうな口調で言った。
その時、
「失礼いたします」と憲兵隊の伝令が入室してきた。
コナリー少佐が椅子から立ち上がって、部屋を出ていくと、しばらくして戻った彼はヨハンに言う。
「目撃者が見つかったそうだ――ヨハン・ユージン・スミス大尉。どうやら、君はまだ帰ることはできないようだ」
第九九連隊基地の執務室に戻ってきたミリアムは憮然としていた。
ボーマン基地司令の名で、憲兵本部に上官の拘束を解くように上申したところ、
〝これは逮捕ではない〟という答えと〝手続きが終了しだい即時解放する〟という応答があったきりだった。
「あくまで事情聴取というのが厄介ですね――逮捕となれば、法に則って弁護士を立てる権利を保証したり、勾留期限も四八時間と決まっていますから」
「こうなったら、憲兵にも圧力が及ぶほどの有力者に、助力を乞うべきではないか」
ミリアムが言った。
彼女の言う〝有力者〟がマイアだということは、名前を出さずとも三人とも理解していた。
「エフライム中将にお願いして、統合参謀本部から手をまわしてもらうの?」
「あのお方のお耳にはいっていれば、すでに動いていらっしゃると思いますが」
二人が言うとミリアムも頷いた。
彼女にはもう一つ心当たりがあるのだが、できればそれには頼りたくなかった。
その時、伝令が執務室を訪ねて、ボーマン大佐がミリアムを呼んでいると告げた。
基地司令室に通されると、ミリアムは悪い知らせを受け取った。
例の強盗事件において、目撃者が現れたらしい。
そしてその目撃者の証言で、ヨハンの過剰防衛と私刑の容疑が固まり、明朝には起訴されるだろうと。
「このタイミングで目撃者の登場など、まずあり得ません――スラムの住人は、他人の犯罪行為に関わるほど、暇ではありませんから」
「私は目撃者の方を当たる――いい? 少尉」
ソフィアが言った。
「わかった――ただし、スラムに単独でそなたを行かせるわけにはいかん。四人ほど連れて行け」
ミリアムが頷くと、妖精の少女は飛び出すように執務室を出ていった。
間もなく、ソフィアの鳴らした非常呼集の呼び鈴が、けたたましく兵舎に鳴り響いた。
「小官は準備をしてまいります――場合によっては〝夜間実弾演習〟をするかもしれませんので」
ミリアムは瞬いた。
この思慮深い落ち着き払った上級曹長は、たった今、暫定の小隊指揮官であるミリアムに対して〝憲兵本部を急襲してヨハンを救出するかもしれない〟と言ってきたのだ。
「……本気か? 上級曹長」
彼女は思わず訊かずにはおれなかった。
「はい――少尉殿。責任は全て、小官がとらせていただきます。その代わり、大尉は必ず助けてご覧にいれましょう」
「……」
シニアは踵を返して執務室を出ていこうとした。
その非の打ち所のない所作に彼の覚悟が表れているようだった。
彼は本気で、ヨハンを助けるために自分の全てをかけようとしている。
ヨハンはたしかに問題の多い上官だ。
しかし、ミリアムの知っている限り、貴族出身の士官で彼ほど下士官や兵たちに信頼されている軍人を彼女は見たことがなかった。
それに、ミリアム自身もヨハンがいなければ戦死していた場面がいくつかある。
これは、あの鼻持ちならない不真面目で不謹慎で覗き魔の嫌味な上官に、借りていたものを返す機会だった。
「待ってくれ――上級曹長」
「なんでしょうか? 少尉」
「私の実家はシメオン伯爵家だ――父は貴族院に席を置いている。法務尚書とも懇意にしている。どうにか、とりなしを頼めないか頼んでみるつもりだが、それには少しばかり時間がかかる」
ミリアムは言葉を選びながら、自分が何をするつもりか話した。
シニアは頷きながら上官の言葉を聞いた。
「夜明けまで待ちます――よろしいですか?」
「うむ――ただし、演習の指揮は私に執らせてもらう。異論はあるか?」
「ありませんとも」
未明の空が白みはじめた頃、第九九連隊基地にソフィアが戻ってくると目撃者についての情報を持ち帰ってきた。
その人物がスラムの住人であることと、住居に踏み込んだときには既に自殺していたことが報告された。
ミリアムはミリアムで、基地の端末水晶から家宰に連絡をとり、緊急だと告げて父親に代わってもらい、不当な拘束を強いられている上官の窮地を救ってもらえないか、頼み込んだ。
その条件として、彼女は断り続けていた縁談の話を進めることや、軍人ではなく淑女としての振る舞いを取り戻すことを約束させられた。
シニアは部下を全員召集し、市街戦装備を身に着けるように命じて、自身も野戦服に着替えて待機していた。
弾帯のポーチをひとつ空にして、彼は予備の拳銃をそこに入れて蓋をしている。
「なぜ拳銃を二挺も?」
ミリアムが訊くと、シニアは微笑した。
「大尉にお届けする分です――あの方は、武器が手元にないと機嫌を悪くしますから」
シニアは幌馬車に乗り込もうとするミリアムに手を差し伸べてきた。
指揮官のいないハーレークイン小隊が、なぜか予定にない〝夜間実弾演習〟に出発しようとした直前、第九九連隊基地の正門に、六頭立ての巨大な馬車が乗り付けてきた。
「おお、どうやら間に合ったようじゃな」
馬車から降り立ったのはマイアだった。
「エフライム中将閣下!」
ミリアムは幌馬車から飛び降りて、直立して敬礼した。
「シメオン少尉――喜ぶがよい。坊やは間もなく釈放されるぞよ。それにしても、イノシシ娘とは聞いておったが、まさか坊やを救うために憲兵本部を強襲するつもりとは、豪気なものぞ。いや、実に頼もしい」
ミリアムが驚いていると、馬車から降りたソフィアが現れた。
「どういうこと?」
マイアは鷹揚に頷く。
「さきほど、帝国政府宛に書簡が届いた――なんと魔界連邦からの感状じゃ。強盗に遭った同胞を、危険を顧みずに助けた功を讃えての」
朝になって、憲兵本部の事情聴取室で、コナリー少佐から銃を奪い取って、彼を人質にしながら立てこもっていたヨハンを見覚えのある馬車が迎えに来た。
「このたびは災難でしたな」
現れたのはモーニングを身に着けたローゼンクランツ宮内尚書だった。
「あんたが来たってことは、まだしばらく基地には戻れないってことか」
「ご明察でございます――こちらを、ご覧召されよ」
初老の紳士は例によって詔勅を見せた。
どうやら、事態を把握したヴィクトリアが用意させたものらしい。
〝神姫〟の詔勅は神託として扱われ、帝国の法においては憲法よりも優先される。
これによって、強引にヨハンの身柄を解放しようとしていたようだった。
「あくまで非常手段でございましたが――結果的に、頼らずに済んだのは幸いでございましょう」
その意見に賛同したかったが、眠気のせいでいつもの無駄口が出てこなかった。
「牢屋の方がまだマシだったぜ――少なくとも、牢屋にはベッドがあるもんな」
ヨハンはあくびをしながら言った。
「お兄様!」
後宮の庭園に到着すると、ヴィクトリアが飛び出すような勢いで駆け寄って、そのままヨハンに抱きついてきた。
疲れていたせいか〝神姫〟の馬力が強すぎたせいか、二人は足がもつれるように、庭園の芝生に転がった。
「徹夜でこたえてんだ、激しいのは勘弁してくれ――そういや、あのときもこんな感じだったよな」
「わたくしのことを可愛いと仰っていただけたときです」
「いまは怖い」
「まあ、ひどい」
ヴィクトリアの両腕を掴んで、抱き起こすように立たせると、無事に再会できたのがよほど嬉しいのか、彼女は兄にしがみつくようにしながら、庭園にあるガゼボの椅子とテーブルに向かう。
「なにか入用なものはございまして? なんでも仰っていただいて、構いませんの――ヴィクトリアはお役に立ちたいのです」
「……二つある」
「はい」
「まず――どうやって俺を放免できたのか聞かせてくれよ」
ヴィクトリアは、魔界連邦から贈られた感謝状のことを話した。
これによって、ヨハンの正当防衛と英雄的な行動が担保され、憲兵本部も彼の拘束を解かざるを得なくなったのだと。
「……なんか気に入らねえな」
彼は憮然として言った。
「どうしてですの?」
「だってよ――つまり、あのサムエルとかいう、クロンボのガキに助けられたってことだろ?」
ヴィクトリアは短い失笑を漏らした。
「王太子殿下にそんな口を利いてはいけません――お兄様。ところで、もうひとつ、ご所望があると仰ってましたけれど」
「決まってんだろ――カプチーノだ」
ヨハンは上着のポケットから細巻きを取り出して言った。




