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第7話 妾の可愛い坊やよ良い子だねんねしな

――珍しく机に向かうヨハンは何やら書類を書き込んでいる。どうやら有給休暇の申請書だ。不思議に思ったソフィアが彼の机を見ると、空軍の重鎮が表敬訪問にやってくるという知らせが届いていた。彼の人物こそ、身寄りのないヨハンを養子として引き取った竜族の長でありながら、童女の姿で周囲の人を惑わせるマイアであり、ヨハンが逆らえない人物の一人だった。

「あら、なにをご(らん)になってますの?」

 後宮(こうきゅう)の庭園で、〝神姫(しんき)〟ヴィクトリアは来客に()いた。

 庭園に(しつら)えられた白亜のガゼボにいた客は主君に気づいて、

「これはご無礼をした――許されよ、陛下(へいか)」と椅子(いす)から立とうとした。

 ヴィクトリアはそれを制して言う。

「どうかそのままで、小母(おば)様」

 後宮に上がることを許されている者は、広大な版図(はんと)(ほこ)る帝国の中でも、両手の指で(かぞ)えられるほどしかいない。

 これは言うまでもなく、安全保障上の理由が背景にあり、公然の大義名分としては〝伝統〟とされている。

 具体的には〝神姫〟の名のもとに任命(にんめい)された各省庁の尚書(しょうしょ)、武官においては各軍の長官と統帥(とうすい)本部総長、参謀(さんぼう)本部議長、憲兵総監(けんぺいそうかん)といった元帥たちと近衛(このえ)連隊の指揮官、文官としては宮内省の侍従の高官とその補佐(ほさ)官といった人々だ。

 もっとも、それは(おおやけ)にされているものに過ぎず、一部の特権階級の人は例外的に自由に出入りを許されている者もいる。

 帝国空軍中将(ちゅうじょう)、統合参謀本部次官補、帝都防空基地司令、貴族院立法審議委員、あるいはエフライム侯爵(こうしゃく)、そして竜族の長――悠久(ゆうきゅう)に近い年齢を重ねているだけあり、とにかく彼女には、いくつもの肩書があった。

 マイア・ウンドーミエル・ケレブリーアン・フォン・エフライム。

 人間に合わせた()()()()を名乗ることが、この二千年の間は多い。

 竜族の(おさ)にして、世界でも(まれ)に見る長寿(ちょうじゅ)を誇る彼女の容姿(ようし)は一言でいうと童女(どうじょ)だ。

 なにかの悪い冗談としか思えなかったが、人間の姿をとるとき、マイアは()()()()()しまうらしい。

 真偽(しんぎ)のほどは不明だがマイアは()()()()()()()に入るらしい。

 実に竜族というものは(はか)り知れない。

 力だけなら、この地上に並ぶもののいない実力者が、普段は童女の姿をして人を(まど)わせているのだ。

 ある人間の評はこう伝えている。

〝創造主がマイアを生んだのは、阿片(アヘン)とケーキ用のラム酒を飲みすぎて酩酊(めいてい)していた時に違いない〟と。

 この日、マイアのまとっている豪奢(ごうしゃ)なフリルやタフタの折り重なった、臙脂(えんじ)色のワンピースとケープという、古風な身なりは、貴族の女の子が()いている陶器(とうき)人形のようだった。

 椅子にかけている足が地面に届かず、ぶらぶらと宙に()れている。

 犬の尾のように、それは彼女の感情をよく表していた。

「坊やはよくやっておるようじゃ」

「それは重畳(ちょうじょう)です」

 マイアの手にあるのは、空軍の部下から提出された作戦報告書の束だ。

 あれから、ハーレークイン小隊はいくつかの作戦に出動し、少なくない戦果(せんか)を持ち帰っていた。

 麻薬カルテルの秘密工場の爆破、地方領主の武装蜂起(ほうき)を未然に阻止、緩衝(かんしょう)地帯の捕虜(ほりょ)収容所に取り残された同胞(どうほう)の救出、〝聖域〟の森での希少動物の密猟(みつりょう)の阻止――どれもが不正規戦(ふせいきせん)で、栄光や名誉とは無縁な任務ばかりだった。

 こういうときこそ、彼らの出番として任務が与えられる。

 ただ、指揮官が指揮官だけに、ハーレークイン小隊は任務に対して、完璧(かんぺき)に忠実であったとは言い(がた)い。

 これは非公式な情報だが、麻薬カルテルの工場が吹き飛ばされる前に、精製(せいせい)された麻薬が数オンス紛失(ふんしつ)したとか。

 あるいは武装蜂起した地方領主が所蔵(しょぞう)していた宝飾(ほうしょく)品が何者かに持ち出され、帝都のいくつかの質店に()()()()()()が並んでいたこともある。

 捕虜の収容所にいた人間だけではなく、家畜や愛玩(あいがん)動物、果ては観葉(かんよう)植物に(いた)るまで残らず()()したこともある。

〝聖域〟の森では、この時代の狩猟(しゅりょう)では禁止されているトラバサミに密猟者を追い込んだり、彼らが好んで使う大口径で殺傷力の高いライフルで狙い撃つなど、密猟を阻止するためにゲリラ戦方式と(しょう)して()()を楽しんでいたようだ。

「きっと、羽目(はめ)を外したかったのでしょう」

 ヴィクトリアは短い失笑を()らして、扇子(せんす)で口もとを優雅(ゆうが)(おお)った。

 マイアは報告書に視線を戻して、(まゆ)をひそめる。

「この〝猫じゃらし〟とやらが、何なのかわからぬが――これによって、夜間も精密な空爆を誘導(ゆうどう)できるようになったそうな」

「猫じゃらし……? それは、つまり猫に関わるなにか、でしょうか。けれど、戦場にそんなものをお持ちするのでしょうか」

(しん)の不明をお許しあれ――(わらわ)寡聞(かぶん)にして、そのような通称の兵器を聞いたことはござらぬ」

 ヴィクトリアは首をかしげる。

 戦場に猫じゃらしとは、舞踏会に水着と同じくらい、場違いなものだろう。

 とはいえ、ヨハンは何をしでかすかわからないことが多い。

 彼のことだから、本当に猫の玩具を戦場で活用するかもしれなかった。

 マイアは報告書のファイルを閉じた。

「臣として(つつし)んで、陛下(へいか)に申し上げる――信賞必罰(しんしょうひつばつ)は武門の()って立つところ。したがって、いかに不正規戦とはいえ、これほどの戦果を()さしめたことは、()将兵(しょうへい)にも(はん)と示すためにも、名誉勲章(くんしょう)叙勲(じょくん)推薦(すいせん)してはいかがか」

 マイアの上目(づか)いに対して、ヴィクトリアは目を()せた。

「わたくしも、そう申したのですが――(かたく)なに固辞(こじ)されてしまいましたの。先の、魔族との遭遇戦(そうぐうせん)で、部下の方が負傷(ふしょう)された(おり)に、ぜひ殊勲賞(しゅくんしょう)をとご提案したところ〝そういうのはやめとけ〟と」

「ほう」

「わたくしが不用意に圧力をかけると、政府と軍部に()()が生じてしまうと、懸念(けねん)されておいでのようでしたわ」

 マイアは無邪気(むじゃき)な子どものように声を立てて笑い出した。

「なんとなんと――失敬(しっけい)、非礼を()びよう。しかし、あの坊やが、こうも人の立場に対して気遣いをするとはのう。よき子に育ったものよ。()()()、信賞必罰を(げん)にした場合、坊やは()めてつかわせばよいのか(しか)ればよいのか、判断に迷うところがございますの」

「ええ、まったく」

〝神姫〟は基本的に、いくつかの例外を(のぞ)いて軍に対して距離を置いている。

 その立場から理由のいかんによって叙勲を推薦すれば、政治的な繋がりを疑う者が出てくるかもしれない。

 ましてやそれが、新設された連隊(れんたい)に属する得体(えたい)の知れない小隊(しょうたい)に対して行われれば――なおのこと疑惑(ぎわく)を深めてしまう。

「さておき、坊やの悪知恵(わるじえ)は、存外にも(まつりごと)に向いているかもしれん――退役(たいえき)後には、政界に打って出させるとしよう」

 マイアは大真面目な口調で言ったが、童女の外見がそうすると、不思議なことに余計に冗談めいて見えてくる。

 ヴィクトリアはヴィクリトアで、マイアの座興(ざきょう)便乗(びんじょう)してくる。

 彼女は手を叩いて、さも()()()()()()()()()()ように言う。

「その(あかつき)には宮内尚書(くないしょうしょ)に任命いたしますわ――そうしたら、わたくしたちは毎日一緒にいられますもの」

「大変よきお考えと存ずる――しからば、誰ぞ軍で()()()()()立場のある者から、(ねぎら)いの言葉をかけてやる程度にしておきまする」

 マイアが(きば)(のぞ)かせて笑いかけた。

「小母様のよきように」

 ヴィクトリアは微笑して了承した。



 ヨハンは執務室(しつむしつ)に戻ってくるなり、さきほど基地司令、ボーマン大佐から渡された書簡(しょかん)を放り出した。

「やばいやばいやばい、何がやばいってこれマジでやばいわ」

 それから、麻薬中毒者の呂律(ろれつ)のような口調で、不可解(ふかかい)なことを口走った。

大尉(たいい)……?」

「ヨハン……?」

 室内にいたミリアムとソフィアが怪訝(けげん)な顔をしていることにも気づかず、彼は自ら進んで書類とペンを取り、何かを書き付け始めている。

 あるいは、唐突(とうとつ)に指揮官としての使命感に目覚めて、()めこんでいる報告書の締切が過ぎていることを思い出して、自らの職務に邁進(まいしん)する気になったのだろうか。

 もしもそうならば、数万年前から死火山(しかざん)である巨峰(きょほう)が五秒後に大噴火(だいふんか)するだろう。

 好奇心に()られて、ソフィアがヨハンの肩の上に立って、上官の手元を(のぞ)いた。

 彼が一所懸命(けんめい)に書き込んでいたのは、

「有給休暇(きゅうか)申請(しんせい)書……?」

 ミリアムは首をかしげて、執務室にある黒板にかけてあるカレンダーを見た。

「大尉、明後日からお休みでは?」

 小隊の予定表では、ミリアムが指摘(してき)した通り、明後日から数日の休暇が与えられることになっていた。

「それじゃ間に合わな――ああ! 畜生! 破けた! この糞ったれの紙切れが!」

 ヨハンは悪態(あくたい)をついて、書き(そん)じた書類を丸めて後ろに放った。

「一体、何ごとですか?」

 ミリアムが()いた。

「ん――これのせい?」

〝陸軍第九九連隊直属第一小隊指揮官――ヨハン・ユージン・スミス殿。先日の陸軍の要請(ようせい)に際して敢行(かんこう)された近接航空支援において、貴隊による精密な誘導(ゆうどう)に空軍より感謝を申し()べたい。ついては、今月の九日に代表者が表敬訪問(ひょうけいほうもん)(うかが)うことをご承知(しょうち)おき願う。かしこ。帝国空軍帝都防空司令、エフライム〟

「……と」

 ヨハンの手元にあった書簡を、ソフィアが読み上げた。

 どうやら、明日にも空軍の重鎮(じゅうちん)がこの第九九連隊基地に(おとず)れるらしい。

 そして表敬訪問という名目でここに訪ねてくるのは、文面とヨハンの狼狽(ろうばい)ぶりから(さっ)するに、彼の後見人だったマイアであることは明白だ。

「エフライム侯爵閣下(こうしゃくかっか)がお運びになるのですかっ!?」

 ミリアムは咄嗟(とっさ)に、社交界での呼び方をしてしまった。

少尉(しょうい)――ここは軍隊」

「あ――つい。失言だった、訂正(ていせい)させてもらおう。特務准尉(とくむじゅんい)

「ん――少尉はエフライム中将に会ったことある?」

「何度か、遠目に晩餐会(ばんさんかい)でお見かけしたことはあるが――雲の上の人だから、小官も面識(めんしき)はない。なんというか、小柄なお方であった気がする。あのお方については、大尉がお(くわ)しいはずだ」

「ならヨハンに教えてもらう」

 部下の乙女(おとめ)たちの会話を無視して、ヨハンは()りずに別の紙を取り出して書き込んでいる。

「よし、除隊(じょたい)だ! 除隊して旅に出よう――保養地(ほようち)のある南国がいいな。これから暑くなるし。ビーチで日焼けしてる間は、水着のねーちゃんを(なが)めながら、ダイキリをこう、()()()と」

「ほう――それはよきかな。(わらわ)も、ちょうど水着を新調しようとしてたところじゃ」

 不意にヨハンの背後、窓の外から声がした。

「!」

 ヨハンは背中に爆弾の破片が食い込んだときのように痙攣(けいれん)した。

 おそるおそる彼が振り向くと、兵舎(へいしゃ)窓枠(まどわく)に両手をかけたマイアが、士官の執務室を(のぞ)き込んでいた。

「出やがったなババア!」

「これ、お口が悪いぞえ――元気そうじゃの、坊や」

「坊や……?」

「ここに男はヨハンしかいない」

 ミリアムとソフィアが、口々に言って顔を見合わせては、ヨハンとマイアの方に視線を戻す。

「どっこいしょ――ふう」

 そう言いながら、マイアは窓枠をよじ登って、(ふち)の上に(こし)かけた。

 床に届かない足は(ひざ)の下まであるブーツを()いていたが、足の大きさはヨハンの手ほどしかなかった。

 その童女は空軍の制服を身につけており、肩には将官がつける金色の星型の階級章が二つ並んでいた。

 胸には無数の略綬(りゃくじゅ)が並び、(かしわ)つきの金地に(あか)い炎をまとった(あお)い剣と黒い竜を(かたど)った勲章(くんしょう)がひとつ()めてある。

 その反対側の(むね)には彼女の苗字(みょうじ)刺繍(ししゅう)してあった。

「エフライム中将閣下(ちゅうじょうかっか)!」

 ミリアムは反射的に直立して敬礼(けいれい)した。

「おお、誰ぞと思えば、シメオン家のお(じょう)ちゃんではないか――奇遇(きぐう)だのう。ちょうどよい、近うよれ」

 マイアは手招(てまね)きしてミリアムを呼ぶ。

 呼ばれた方は、足早に歩み寄って黙礼をしてから、お辞儀をする。

 (こうべ)を垂れながら彼女は言う。

「ご機嫌(うるわ)しゅう存じます――閣下のご高名はかねがね聞きおよび、こうしてご尊顔(そんがん)(はい)する日を、末席とはいえ帝国軍に身をおいてから……」

「よいから――()りるのを手伝いあれ」

 ミリアムの口上(こうじょう)(さえぎ)って、マイアは両手を伸ばした。

「なんであんたがいるんだよ――そもそも、来るのは明後日だろ? ついにボケが始まって、今日の日付もわかんなくなっちまったのか?」

 ヨハンがいつもの調子で()くものの、マイアはミリアムの手を借りて窓から降りるのに(いそが)しそうだった。

「いや、聞けよ――おい、ババア! どういうことだっ!?」

「なんじゃ、騒々(そうぞう)しいのう――そう声を高くせんでも、ちゃんと()()()には聞こえておるぞよ」



「さきほどから気になっておったが」

「は――閣下」

 急に〝訓練がある〟と言い出したヨハンに代わって、第九九連隊基地の視察に訪れたマイアの案内はシニアに一任されていた。

 さきほど基地司令、ボーマン大佐に面会し、予定が繰り上がったことを伝え、現在はハーレークイン小隊の使う設備をマイアは見て周っている。

 傍目(はため)には、壮年(そうねん)の男が孫娘を連れて歩いているような絵面だった。

 もっとも好奇の視線を集めこそすれども、ハーレークイン小隊の下士官たちを日頃から束ねている、先任上級曹長に絡んでくる()()()()はいないようだ。

「なにゆえ、兵舎(へいしゃ)のそばに厩舎(きゅうしゃ)があるのじゃ? それも牛の」

 マイアの質問とともに、間延びした牛の鳴き声がした。

 それを聞きつけた()()の下士官たちが、二人の見ている前で厩舎に駆け寄っていく。

「先日の作戦で回収したのはいいのですが――これはあくまで、引き取り手が現れるまでの、一時的な措置(そち)でして」

「それにしては、丁寧に世話をしておるではないか――まあ、よい」

 当初は基地で加工して食べるという話だったのだが、ミリアムとソフィアを中核とした()()()の猛反対にあい、説得されたのだった。

 決め手になったのは、

(しぼ)りたてのミルクで美味しいカプチーノが飲める〟というソフィアの一言だ。

 帝都育ちのヨハンだが、人づてに牛乳とバターは新鮮なほど美味しいという話を聞いたことがあったため、それに食いついたようだ。

 その際に、彼はまたしても不埒(ふらち)な言葉を口から()らして、ミリアムの機嫌(きげん)を損ねていた。

「なんとも、牧歌(ぼっか)的な基地じゃのう――牧場といえば六三年の夏に、坊やを田舎の別邸(べってい)で過ごさせたことがあった。そこで初めて馬に乗せたら、高いところが〝怖い怖い〟と申して、とうとう泣き出してしまいおったのう」

「それはそれは」

 次にマイアが案内されたのは、兵舎の中にある下士官たちの起居する部屋で、むさくるしい男の四人分の体臭が鼻についたのか、

「次じゃ、次」とマイアは別のところに行こうとする。

「こちらでは武器、弾薬等を保管しております」

 兵舎から少し離れ、半分地下に埋めてあるトーチカのような建物の中にマイアは案内された。

 そこは、ハーレークイン小隊が()()専有している第九九連隊基地の武器庫だった。

 銃架(じゅうか)には小銃(しょうじゅう)軽機関銃(けいきかんじゅう)を始めとした、小隊で運用している銃火器、擲弾筒(てきだんとう)、携帯無反動砲(むはんどうほう)や小口径の迫撃砲(はくげきほう)といったものが(そろ)えて()けられ、中には分解された大口径の汎用(はんよう)重機関銃まで置いてあった。

「これは見たことがないが」

 マイアが指摘(してき)したのは、改良中の小銃の()()()だった。

 帝国陸軍の小銃は(かし)の木で造られる、半自動式のライフルだったが、一部の帝国軍将兵からはより軽量で自然環境の変化に強い、硬質樹脂(じゅし)を用いた新型を熱望する声が少なくない。

「ああ、そちらは大尉が近所の銃砲店から部品を購入したものを、ガンスミスが組み立てたものです」

 ハーレークイン小隊は遊撃(ゆうげき)部隊という性格上、通常の軍隊とは異なり、急襲(きゅうしゅう)と離脱を()り返すことが多い。

 また、飛竜のキャビンといった狭い空間で待機することも多いことから、試作品は銃身(じゅうしん)銃床(じゅうしょう)を短く切り詰めて取り回しをよくする工夫(くふう)()らされているようだ。

「昔からある騎兵銃(カービン)を、当世風(とうせいふう)にしたのだと(おっしゃ)っておりました――銃身の長さを十六インチにするか、十四インチ半にするか長く迷っておいでのご様子でしたね。最終的には現行の小銃弾の旋条(ライフリング)と相性の良い、十四インチ半に落ち着いたようであります」

「ふむ――いっそ銃床は、短機関銃(たんきかんじゅう)のようにしてみてはどうじゃ? 折りたたみ式にできるであろう?」

「それがですね、大尉は固定式の方が()()()だそうで――格闘で壊れたりすると、射撃の際に不具合が生じますし」

「さもあろう」

 小銃の改良というものは、どこの国でもそうだが、なかなか進まないのが現状だった。

 理由はいくつかあるものの、第一は予算だ。

 政府や軍の上層部は、新兵器開発と運用に巨額(きょがく)の予算を(とう)じるが、そうなってくると歩兵用の銃や個人装備にかける予算は()()()になってしまう。

 今では考えられないことだが、近代(きんだい)以前まで(さかのぼ)れば、兵士の給金は未払い、支給(しきゅう)品も入隊したときの一度きりで、遠征(えんせい)先から文字通り()()()()()()()()兵が多数いたものだった。

 程度の差こそあれども、組織(そしき)的な()()はそう簡単に代謝(たいしゃ)するものではない。

 ヨハンは自分と部下には常に()()な装備が必要だと、しつこくボーマン大佐に進言していた。

 ボーマン大佐も兵卒(へいそつ)から()り上がった人なので、その主張には理解を示したものの上層部が予算を増額することはなかった。

 そもそも第九九連隊基地――というより、ハーレークイン小隊には通常の歩兵小銃小隊では考えられないほどの予算と設備が与えられており、破格(はかく)厚遇(こうぐう)と予算を与えられているのだ。

 それを知った上でヨハンは〝足りない〟と()()をこねている。

「なら自分たちでどうにかします」

 こうして、ハーレークイン小隊は任務に(おもむ)くたびに、持ち主や所有者が有耶無耶(うやむや)になる場面で物資というより金目のものの()()調()()(いそ)しむことになる。

 シニアからそうした裏話を聞いたマイアは、ようやく報告書の奇妙な部分に合点がいったようだった。

「ところで、先任上級曹長(そうちょう)

「は」

「お主なら存じておるやもと思うたが〝猫じゃらし〟とはなんぞ?」

「ああ――それは、装備品ではございません。閣下」

「……?」



 夕方になって、訓練と(しょう)してマイアから逃げたヨハンが戻ってきたとき、執務室では猫を(ひざ)にのせたマイアが嬌声(きょうせい)を上げていた。

 その様子を一瞥(いちべつ)するなり、心から憮然(ぶぜん)としたようにヨハンが言う。

「いい歳こいて、()()()()()んだよ……」

「おお! 坊や――いまな、これなるエインセル嬢に〝猫じゃらし〟とやらを披露(ひろう)させておるところじゃ!」

 ソフィアの操る光線に釣られて〝ジェネラル〟が談話室のテーブルを踏み台にして、勢いよく()んだ。

 その前足が天井をかすめていく。

「おぉお! よく跳ぶものよ――飛竜にも()()をとらぬぞ!」

「今のは新記録――さすがジェネラル」

 ソフィアはそう言いながら、手を叩いてジェネラルを()めている。

「まったく大した小動物じゃ」

 そうして無邪気に喜ぶ童女の姿は、まるで人間の少女のようだった。

 ヨハンはシニアからの報告を聞いてからここに来たので、彼女の用が全て終わったと思っていた。

視察(しさつ)は終わったんだろ? 早く屋敷(やしき)に帰れよ――いつもご自慢の()()()()()()()はどうした?」

「んん? なにを(もう)しておる――(わらわ)はまだ帰らぬぞよ」

「は?」

「とはいえ宿の用意はないからの――坊や、おばばを()めておくれ」

「やなこった」

 ヨハンは即答(そくとう)した。

「あとそこ! 人の家庭事情をじろじろ見てんじゃねえ!」

 声を上げると、執務室の扉を細く開けて、部下たちが様子を(のぞ)き見していた。

 彼らからすると、普段は飄々(ひょうひょう)とあるいは誰に対しても()()()()()()振る舞うヨハンが、マイアに対しては()()()()()()にしているのが興味(きょうみ)深いようだ。

 ハーレークイン小隊の内部事情に精通(せいつう)していないマイアが、不思議そうな顔をしている。

 彼女はしごく当たり前といった様子でヨハンに()く。

「なにゆえぞ? 子というものは、田舎(いなか)から母親が様子を見に来たら、(しとね)を用意し、食事や風呂の世話をし、思い出話をしながら眠りにつくものじゃ」

「よそはよそ! うちはうち!」

()()()()()ことよ――まあ、それはとまれ、表敬にわざわざ訪ねてきた空軍の重鎮(じゅうちん)無碍(むげ)に扱わば、陸軍との間に要らぬ()ができよう。ほれ、ここはそなたの器の大きさを見せるところぞ。わかったら、せいぜい()歓待(かんたい)するがよい」

「自分の立場を悪用して相手の弱みにつけ込むなんて卑怯(ひきょう)だぜ!」

「それは、ヨハンがいつもやってること」

 ソフィアが指摘(してき)した通り、彼はしばしば自分の立場と相手の弱みを利用した振る舞いをする。

 なるほど、まさしく彼女はヨハンを育てた人だと、ハーレークイン小隊の隊員たちは全員が納得した。



「なんじゃ、汚いのう――狭いのう」

 官舎(かんしゃ)に上がったマイアは率直な感想を()らした。

掃除(そうじ)に来てくれる、健気(けなげ)()()()の一人や二人、おらんのかえ?」

 マイアはそう言うが、ヨハンの官舎は独身の男の住まいとしては、それほど散らかっているわけではない。

 軍隊生活をした人間は自然と整理整頓(せいりせいとん)が身につく。

 ヨハンもそれに(なら)っている。

「そんなもんいねえよ――若くて独身で()()()()の見た目してんのに、なぜか俺はモテねえんだ。ほんとになんでだろうな? もしかして、六十分コースしか選ばなくて、延長料金とお嬢たちへの差し入れををケチってるせいか?」

 マイアは()れた様子でヨハンの無駄口(むだぐち)を聞き流しながら、()()()が普段どう生活しているのか、室内を歩き回って確認していく。

 部屋は食堂を兼ねた居間を含めて三つで、それ以外は寝室と書斎という名のレコード置き場にそれぞれ分けてあった。

 居間に設置された不釣(ふつ)り合いに大きなスピーカーを(のぞ)けば、最低限の家具が置かれているだけで、調度品(ちょうどひん)――絵画や時計、あるいは何かの置物、写真といった(かざ)り気がまったく無い、ホテルの部屋よりも質素(しっそ)な暮らしぶりだった。

 レコード以外の収集品といえばウイスキーくらいだが、ほとんどが普及(ふきゅう)品で、他には(アンズ)蜂蜜(はちみつ)のリキュール類が少しだけある。

 これらはその日の気分に合わせてウイスキーに少し()らし、寝酒として(たの)しむために使われている。

 自炊(じすい)をしている気配がないのは、汚れのない流し台を見ればよくわかった。

 少し見て回ると、マイアは嘆息(たんそく)しながら言う。

()()()()じゃの――お主は昔からそうじゃ。そのか弱き身と(はかな)き命だけが自分のものと思うておる。居場所とは、見つけようとするものではないと知るがよい。さしあたっては、いま少し、おなごを呼ぶに()()()よう整えよ」

 その小言(こごと)にヨハンは首をかしげる――彼女は一体、何を懸念(けねん)しているのか。

「呼ぶ相手がいねえよ――あ、最近、あの店は出張(デリバリー)サービスをはじめてたな」

「シメオン家のお嬢ちゃんがおるではないか――それとも、お主の好みは、自ら口説(くど)きに参ったという妖精の小娘のほうか?」

「は?」

 ヨハンは声を上げた。

「そなたもそろそろ、身を固めてよい(よわい)じゃ――孫の顔もみたいしのう」

「話が飛びすぎてるぞ――部下に手を出すほど、性根は(くさ)っちゃいねえよ」

 そう言って、ヨハンは初任務のときに、ミリアムの(しり)(さわ)ったことを思い出した。

 また、ソフィアに対しては日課のようにスカートをめくって、下着の色や柄を確かめている。

「……多分」

「まあよい――さて、なにを作ろうかの」

 マイアは臙脂(えんじ)色の上着を脱いで帽子掛(ぼうしかけ)にかけると、(そで)をまくりはじめた。

 彼女は侯爵(こうしゃく)という身でありながら、ヨハンが幼い頃には離乳(りにゅう)食を手ずから作り、日々の食事や学校の行事に必要な弁当まで侍女たちに任せず、自ら世話をしていた。

「上級曹長に案内(あない)された食堂で、昨夜から明晩までの献立(こんだて)把握(はあく)しておる――安心して待っておれ。主菜(しゅさい)は魚がよかろう。舌平目(ウシノシタ)の良いのが間もなく届くはずじゃ。()()()()()のレシピを再現してしんぜよう。そなたの基地で、新鮮なバターも入手できたしの」

 マイアの言葉通り、すぐに食材やワインが侍女たちによって届けられた。

 どうやら、彼女は最初からヨハンの部屋に泊まるつもりで用意を整えていたらしい。

 竜族の長は食材とともに届けられた、(いびつ)な花の形のフェルトが()い付けられたり、ところどころが(なな)めになった名前の刺繍(ししゅう)(ほどこ)された、古ぼけたエプロンを身に着けた。

「まだ()()持ってたのか……」

 彼にはそれに見覚えがあった。

「当然じゃ――坊やが妾のために(こしら)えた、(まさ)しく家宝である。()()だけは、たとえ陛下に()われても献上(けんじょう)せぬ」

 ヨハンは気恥ずかしさを誤魔化すために、細巻きに火をつけた。

「ほれ、厨房(ちゅうぼう)は妾の()()じゃ――湯浴(ゆあ)みでもしてくるがよい」

 それからしばらくして、食事を済ませるとマイアも風呂に入って、ヨハンに背中を流すように強要してから寝間着(ねまき)に着替えた。

 その間に彼女の寝床(ねどこ)を用意した――というより自分のベッドをいつもより綺麗(きれい)に整えていた。

 ヨハンは自分が寝るために使う、防水透湿生地のカバーをはずした寝袋を丸めて、ソファの肘掛(ひじか)けに置いておいた。

晩酌(ばんしゃく)でも付き合わんか――そこに(ほこ)らしげに(かざ)ってある逸物(いちもつ)は、妾が来たときのためであろう」

 マイアが指差したのは、一八年もののウイスキーで、ヨハンの収集物のなかでも最も高価な宝物だった。

 通常はオークの(たる)を使うところを、使い込まれたシェリー酒の樽を用意して、長い時間をかけて熟成(じゅくせい)させている。

「……」

「ほれ早うせい――()()()()らせてよいほど、お主はまだ歳を重ねてはおらぬ」

「……」

 ヨハンは迷った末に諦めて(びん)をとった。

 美食家のマイアの舌を満足させられるもので、自分が用意できるのはこれしかないと理解したようだ。

 コルクの(せん)を抜くと、特徴(とくちょう)的な(しお)の香りが立った。

 この酒の蒸留所があるのは、シニアの故郷(こきょう)の離島だったはずだ。

 グラスに()ぐと、

「こうして坊やと酒を()()わせるようになるとは(うれ)しい限りぞ――涙を流したいほどじゃ」

「泣きたいのはこっちだ」

 そう言いつつ、ヨハンは秘蔵(ひぞう)の酒を味わった。

 強烈な香りのわりに、熟成が進んでいるせいか口当たりはまろやかで、(わず)かな甘みとともに酒が(のど)を通っていくと鼻から抜ける香り――そして飲み込んだあとに立つ残り香へと複雑に変わっていくとともに、喉や身体の(しん)が温まっていく。

「のう――近々、お主らには新たな任務が下るぞよ。勅命(ちょくめい)じゃ」

 ベッコウ(あめ)を口に放り込み、ダイヤモンドに匹敵するほど硬い歯で力任せに飴玉を()(くだ)きながら、マイアはグラスの中身を()して言った。

 飴玉の代わりに、ヨハンは細巻きに火をつけたところだった。

「また厄介事(やっかいごと)か――と言いたいとこだが、そろそろ俺たちも慣れてきたから、()()()()するさ」

 マイアを見ると、彼女は小さい手でグラスを包むように、テーブルの上で持ったまま目を閉じていた。

「これは、明後日まで極秘(ごくひ)じゃ――心して聞け」

「やけにもったいぶるじゃないか――似合わねえから、早く言えよ」

 ヨハンが(うなが)すものの、マイアはまったく動じず、少し間をおいてから口火を切る。

「……帝国と魔界連邦(れんぽう)講和(こうわ)遅々(ちち)として進まぬ件でのう――魔界側から交渉(こうしょう)に全権代理人を派遣(はけん)したいと打診(だしん)してきおったのじゃ」

 ヨハンは(まゆ)をひそめた。

 外交交渉の全権代理人を担う人物――そうした重大案件を任されるのは、その国の大臣や尚書といった、国家の重鎮(じゅうちん)と相場は決まっている。

「魔界の連中って馬鹿なのか? この時期にそんなの、暗殺してくれって言ってるようなもんだぞ」

 しかし、自分で言ううちに、彼は何かに気づいたのか、

「もしかして、うちの新しい任務って()()か?」と()いた。

「はて?」

 こんどはマイアが首をかしげた。

「いやだから、その外交官をぶっ殺せって、任務じゃないのか――あんまり、繊細(せんさい)な仕事は現状のうちの隊じゃ(きび)しいと思うんだがな。事故や病死に見せかけるのって、けっこう()()かかるんだろ?」

「これ、誰もそんなことは申しておらぬ――早合点(はやがてん)してはいかんぞよ。お主らに与えられる任務はむしろ()()()じゃ」

「逆――おい、まさか」

「むしろ、お主が言ったように、この()に乗じて使者を亡き者として、()()()にしようと蠢動(しゅんどう)しておる不届(ふとど)き者を()()()()()のが、真の任務というべきかの」

 マイアの口ぶりからすると、主戦論(しゅせんろん)をいまだに(とな)えている軍上層部の一部は、消化不良に終わった戦争を再開させようと企図(きと)しているらしい。

 大戦末期に計画された〝オーバーロード作戦〟という、魔界本土への大規模な浸透(しんとう)が決行の直前になって中止命令が下ったことが、その主な要因だと見られている。

 目下のところ誰がその陰謀(いんぼう)(めぐ)らしているのか、特定できないために、魔界からの要人の警護にヨハンたちを当たらせようとしているようだ。

「無茶言うなよ――それこそ俺たちは門外漢(もんがいかん)だ。それに、帝都での要人警護(けいご)は、憲兵(けんぺい)隊が仕切ってて、()()(から)めないだろ?」

「そちらは我ら――統合参謀(さんぼう)本部が調整するから、心配は無用じゃ」

 マイアは断言した。

陛下(へいか)はなんとしても、(いくさ)の再燃を防ごうと躍起(やっき)じゃ――されどかの御方(おんかた)には信用あたうる(つわもの)があまりにも少ない。()いて申せば近衛(このえ)がおるものの、外国の使者()()()の身を安堵させるがために自国の近衛をまわす(おろ)か者は、君子たる資格がない。御方にはお主がおる」

()()()を引き合いに出されて断ったら――叛乱(はんらん)罪で、俺は十字架を背負(しょ)わされて()()()()だ」

 マイアは笑った。

(しん)としての義務をともに果たそうぞ――妾にできることなら、()()()()()相談するがよい。全てに便宜(べんぎ)を図って進ぜるゆえ。さて、それを呑んだら(しとね)に来るがよい、久かたに子守唄(こもりうた)(ささや)いてやろう」

「冗談じゃねえ――股間(こかん)()()を生やす(とし)になってまで、そんな()ずかしい真似(まね)ができるか」

「妾からしたら、お主はいくつになろうと子どものままじゃ――()()()()()の前で虚勢(きょせい)()る必要はないぞよ。さ、わかったら寝るがよい。妾の可愛い坊やよ」



 翌朝(よくあさ)ベッドで目覚めたヨハンは、うっかり間違ってマイアの昔の呼び名を口にしてしまった。

 彼は心から頼み込んで、絶対にそれを口外(こうがい)しないことを約束してもらうと、不安そうな顔をしながら基地に出勤(しゅっきん)していった。

 秘密(ひみつ)暴露(ばくろ)されることか、あるいはハーレークイン小隊に新しく与えられるであろう、厄介(やっかい)な任務のどちらが彼の表情を固くしているのだろうか。

 答えを知っているのはマイアしかいなかった。

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