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第6話 猫――風が吹けば桶屋が儲かる真相

――ヨハンとシニアが外出から戻ると、小隊の談話室に奇妙な闖入者があった。留守中に部下たちが猫を基地の中で拾ったらしい。容赦なく猫を捨てるよう命じるヨハンと、ソフィアとミリアムを中核とした愛護派は対立する。相容れない両者の主張の果てに、猫を抱えて基地から逃げようとした乙女たちにヨハンは言う。「無駄な抵抗をやめて、猫を捨てろ!」と。

 統合参謀(さんぼう)本部は、ハーレークイン小隊の処遇(しょぐう)について紛糾(ふんきゅう)しているらしい。

 彼らが不可抗力(ふかこうりょく)とはいえ〝来訪者(ウラノス)〟を見殺しにした点がひとつ。

 これだけでも、指揮官と彼に(ぞく)する幹部たちを更迭(こうてつ)するには充分だった。

 ただ厄介(やっかい)なことに、ハーレークイン小隊はその(さい)に、魔族の襲撃を撃退し、さらには極大呪文(アストロミックスペル)の発動を阻止(そし)したという。

 小隊規模の部隊とは思えないほどの()()を帝国陸軍にもたらした。

 貴重なダムを破壊した点に関しても、問題視する声があったが、これは空軍から〝座標を聞き違えた〟さらに〝不幸な事故だ〟と、信じがたい知らせが入り、責任の所在が有耶無耶(うやむや)になってしまった。

 結果的には、諸々(もろもろ)の事情を勘案(かんあん)して、ハーレークイン小隊の処分は保留として、あらためて内偵(ないてい)中のシメオン伯爵令嬢(はくしゃくれいじょう)からの報告書を待つ、という結論に(いた)った。

 肝心(かんじん)のシメオン伯爵令嬢――ミリアムが負傷して加療(かりょう)中だったため、統合参謀本部はしばらくの間、ハーレークイン小隊には待機を命じることになる。



 命に別条はないが、全治には二週間かかるという話を軍医から聞いたヨハンは、シニアと相談した。

 小隊には交代で一週間の休暇(きゅうか)を与えてもらうよう、ボーマン基地司令に話を通すためだった。

 執務室を訪ねるとボーマン大佐は言う。

「よく命があったもんだ、そう思わんか? 大尉」

 ボーマン大佐は、元々統合参謀本部の幕僚補(ばくりょうほ)()いていた人物で、大戦の最中に帝都で行われていた派閥(はばつ)闘争に敗れて、閑職(かんしょく)に追いやられた人だった。

 また、帝国は封建(ほうけん)的な社会構造が根付いているために、黒い肌の有能な平民が白い肌の無能な貴族に命令を下すことに、公然と異を唱える風潮(ふうちょう)がいまだに存在する。

「はあ――まあ、防具の性能と運と、乳の大きさに助けられたようなものですかね」

「違う――貴官ら全員のことだ。その魔族は〝サムエル〟と名乗ったんだろう?」

「はい」

「彼は魔界連邦の現宗主国の王太子だぞ――二つ名は〝(よい)明星(みょうじょう)〟だったか」

「ええ!? マジですか!」

「口を(つつし)め、若造――どこに耳がついてるかわからんのだからな」

 両(ひじ)を机について、指を組み合わせた手を鼻と唇の上に当てながら話すボーマン大佐は、片目を閉じてみせた。

「……失礼しました、大佐」

「統合参謀本部からも、貴官らハーレークイン小隊に休息を取らせよとのことだ――私からも異論はない。次の任務まで、しばらくは安らうがいい。しかし、スミス大尉。貴官には副官が不在の間、たっぷりと書類を提出してもらうぞ」

 ヨハンは(またた)いた。

「そんな、小官だけ休暇は返上ですかっ? あんまりです、大佐。だいたい……」

 そう異議(いぎ)(とな)えたが、上官が机の上に見慣れた箱を置くと、

「あ……」と口をつぐんだ。

 ボーマン大佐は箱を開いて言う。

「私のシガーボックスから葉巻をくすねておいて、ただで済むと思ったか? もういい、失せろ」

 ヨハンは敬礼して(きびす)を返した。

 基地司令の執務室を出たヨハンは、ポケットからいつもの細巻きではなく、大佐が愛用している大ぶりの葉巻を取り出した。

 同じものが、ポケットにはあと三本ある。

「持つべきものは、残業代の先払いをしてくれる上官だよな」

 兵舎(へいしゃ)に戻るとヨハンは部下を集めて、交代で休暇をとらせると告げた。

 部下の半分が陽気に兵舎を出ていく声と、シニアの暇乞(いとまご)いの挨拶(あいさつ)を聞きながら、ヨハンは机に向かっていた。

 机の上にあるカップで、ソフィアは湯浴(ゆあ)みをしながら身を乗り出して言う。

「また間違ってる――こんどは(つづ)りが」

 ヨハンは集中力を使い果たしたのか、ペンを机の上に転がして、椅子の背もたれをきしませながら天井を(あお)ぐ。

「お前さんも休暇中だろ――たまにはあの怖いおっかさんに、顔を見せに帰ってやれよ。安月給で靴下でも買ってやってさ、せっかく親孝行できる相手がいるんだから」

「いい」

 ソフィアは言った。

 シニアにも休暇を与えたため、ヨハンはミルクの泡のないコーヒーを口にする。

「あなたのそばにいたいから――と言ったら、嬉しい?」

 相変わらず表情を変えずに、妖精の少女は言った。

「はいはい――嬉しくてたまらないね。うろちょろしてくれるおかげで、書類は進まないし、綴りがどうの記入(らん)がどうの、煙草の吸いすぎだの、掃除をしろだの、世の中の所帯持ちって、みんなこんな感じなんだろうな。どうかしてるぜ。ん? なにやってんだ?」

 いつもの益体(やくたい)のない無駄口を聞かされたソフィアは、いつの間にか背中を向けていた。

 妖精の少女がどんな表情をしているのか、ヨハンからは見えない。

 しばらくすると、カップの湯船から上がったソフィアは何も言わずに、書類仕事を手伝い始めた。

 なにか心境の変化でもあったのかと訊けば、

「目の前にやりかけの書類があるのは精神衛生によくない」とソフィアは言った。

 山のように積み上げられていた書類は、みるみるうちに片付いていく。

 その日の夕方には申告書類が一段落し、あとはヨハン一人になっても、一週間もあれば終わらせられる程度の分量になっていた。

「お礼は高いお菓子でいい――どこかにいいお店を知ってる?」

「こんな時間にやってる店があるかよ――あ、ちょっと待った。あそこなら、絶対に食い物があるはずだ」



「こんなところに、お店があるの?」

 ヨハンはソフィアを連れて帝都の中央まで外出していた。

 二人が歩いている道の横は、一面、白亜の高い壁が外界との境界線のようになっている。

 彼らがいるのは、宮殿の外壁に面した通りだった。

 間もなく通用門が見えると、ヨハンはそこに近づいた。

 彼はそこで、ソフィアが初めて見る、金属でできた身分証を差し出した。

「武装は全てこちらに」

 近衛兵に言われる通り、ヨハンは拳銃や予備の弾倉、それから帯剣の代わりに腰から下げている銃剣を差し出した。

「後宮――初めて入った」

 ソフィアは、巨人が通れそうなほど天井の高い廊下(ろうか)を、上から下まで行ったりきたりしながら、飛び回っている。

「今日はピンクのレースなんだな――まるで一晩十ギニーの高級淫売(いんばい)婦みたいで好みだぞ」

「そう……」

 近侍に案内されると、窓に面したサロンに二人は通された。

「まあ、よくいらっしゃいました」

 そこで待っていた女性が声を上げて二人を歓迎する。

陛下(へいか)……?」

 ソフィアがヴィクトリアを見て瞬いた。

 ヨハンから見ても、(おどろ)いているのがよくわかった。

 ヴィクトリアは駆け寄らんばかりに足早に近づき、優雅な仕草でヨハンの手をとった。

「ご無事のご帰還に、心よりのお喜びを申し上げます――部下の方のお加減は、その後いかがでしょう」

「大丈夫だ――しかし、お前さんに心配されたと知ったら、逆に心停止しちまうかもな」

「まあ――では内緒(ないしょ)、ということで」

 ヨハンが親しげに〝神姫〟と話しているのを見て、ソフィアはもう一度瞬いてから、二人を見ていた。

「どういうこと?」



 休暇が明けると、ミリアムは無事に退院して部隊に復帰した。

 再び体制が整うと、新しい任務の通達を受けるため――ではなく、上流のダム湖を空軍が〝誤爆〟した経緯の説明と、魔族との戦闘の報告、〝来訪者〟を回収できなくなった件に関する釈明(しゃくめい)を直に行うために、ヨハンはシニアを伴って、帝都の中央にある統合参謀本部に出頭した。

 ミリアムはミリアムで、病み上がりだと言うのに、休暇中にすっかり士気が低下し、腑抜(ふぬ)けた部下たちを(きた)え直すと言い出して、猛訓練を課すと張り切っていた。

「元気そうだし――まあ、いいか」

「そうですね」

 しばらくして、統合参謀本部から例によって厄介(やっかい)な命令を持ち帰ってきたヨハンたちは、談話室で騒いでいる部下たちを注意するために踏み込んで、

「気をつけ! 隊長のご帰還である!」とシニアが声を張った。

 小隊長と小隊軍曹が戻ってくると、談話室で休憩していた屈強(くっきょう)な軍人たちはいっせいに威儀(いぎ)を正して振り返る。

「敬礼も整列もいい、そのままで――それより、少尉と特務准尉はどこ行った?」

 ヨハンは部屋の中を見回した。

 溶けた鉄でできた氷のように固まっている先任の部下――ミリアムとソフィアに次ぐ序列の下士官に、シニアが促す。

「ローガン一等軍曹、メイソン一等軍曹――報告をせよ」

「にゃーん」

「……ん?」

 ローガンやメイソンより先に、談話室のテーブルの中央に置かれた箱から声がした。

「にゃーん」

 もう一度、鳴き声が聞こえるとともに、(あわ)ただしくミリアムが戻ってきた。

「待たせたな、諸君――酒保の需品係から、必要な物資を調達してきたぞ! 猫ちゃん猫ちゃん、待たせちゃってごめんねー。すぐご飯にするからねー」

 彼女は両手に荷物を抱えているため、前がよく見えないようだった。

「……」

 ヨハンが無言で振り返ると、これまでに見たことがないほど顔の筋肉を(ゆる)ませていたミリアムと目が合った。

「あ――大尉っ!?」

「物資の調達ご苦労だったな――さすが、少尉だ。独断専行を(むね)とする、うちの小隊の手本として、俺が命令していないことをやってのけたわけだ。なんだっけ? 〝猫ちゃん猫ちゃん〟のために」

 ヨハンは意地悪そうな口調で、裏声を交えながらミリアムの真似(まね)をして言った。

「あ、いや――その、これは……」

 ミリアムが狼狽(ろうばい)して答えに(きゅう)し、

「少尉、帰ってきたの?」と猫のいる箱からソフィアの声がした。

 ヨハンは嘆息(たんそく)して言う。

「そこにいたのか」

「猫の毛皮は布団に適しているかどうか調べてた」

「なんだそれ?」

「お昼寝」

 ソフィアが悪びれもせずに言った。



「捨ててこい」

 部下たちから報告を聞いたヨハンは即座に言い放った。

 その隣には、憮然(ぶぜん)としたまま立っているシニアもいる。

 談話室は途端(とたん)にブーイングの嵐となって、部屋の中の空気を切り裂いた。

 その中心にいたのは、意外にもミリアムだった。

「ご無体です! 大尉!」

「そーだそーだ!」

「上官の横暴を許すな!」

「動物愛護!」

 ミリアムの抗議(こうぎ)に、下士官たちは無責任に便乗してきた。

「黙れ馬鹿ども! 捨てるのが嫌だってなら、保健所に引き取らせるぞ! 兵舎でペットを飼えるわけがねえだろっ!? うちはもう、妖精を飼ってるんだから、それで我慢しなさい!」

 ヨハンはそこで、談話室のテーブルの箱を見た。

「あとそこ! 上官のお説教タイムに、猫と遊ぶな! というか、なんだその光る線みたいなやつはっ!?」

 注意されたソフィアは、周囲の光を集めて収束させ、波長の安定した光線を指先から出して、猫の注意を()いて遊ばせている。

「さっき覚えた」

「マジかよ、それ遠くに届くなら目標の指示に使えるんじゃねえか――って、そうじゃねえ。猫で遊ぶなって言ってんだろっ!?」

「猫()遊んでる――接続詞と助詞を間違ってもいいのは未就学児まで」

「大尉、それに特務准尉も――本題に戻りましょう」

 シニアが仲裁(ちゅうさい)すると、ヨハンは箱の()()をどうするか、話そうとした。

 談話室のテーブルを見ると、今しがたまで角を突き合わせていたはずの妖精の少女が、問題の箱にとりついている。

「少尉、この子はお腹がすいたって」

「大変だ! 用意しないと!」

 ミリアムは訓戒(くんかい)の途中にも関わらず、談話室を飛び出していった。

「おい!」

 ヨハンが呼び止めるが、彼女は我を忘れているようだ。

 その背中を見送ると部下たちに向き直って彼は言う。

「まったく――まあ、少尉の貴重な猫なで声が聞けたから、今回は大目に見てやろう、と言いたいところだけどな。この件は、小隊内で処理するぞ。絶対に外には漏らすな。というか〝訓練中に、演習場をうろついてる猫を拾いました〟って、そんな報告をボーマン大佐に出したら、俺の正気が疑われちゃうだろ」

 ()()手遅れだ。

 口にこそ出さなかったが、居並ぶ下士官たちは互いに顔を見合わせて、頷きあっている。

「なら、飼っていい?」

「それとこれとは別だ! 基地で猫を飼うのは駄目だ! 捨てろ!」

「誰かが引き取ればいいんじゃないですか?」

 下士官の一人が言った。

「いいわけあるか! お前さんは馬鹿か? それとも馬鹿のフリをして、俺を試してんのかっ!? 兵舎で寝起きしている兵隊どもが猫を飼うってのは、基地で飼うのと一緒だろうが!」

「では大尉が」

「やなこった――俺は食べられない生き物は嫌いなんだ。たったいま嫌いになった」

 帝国軍では士官以上の階級を持つ者には、本人の希望と家族構成に合わせた住宅補助が与えられる。

 将校、少佐以上の階級になると、さらに待遇(たいぐう)は良くなるのだが帝国軍の将校のうち、約半数がヨハンやミリアムのように貴族の称号(しょうごう)を持っているので、彼らには必要のない制度だった。

 ミリアムは出自が伯爵令嬢ということもあり、基地の中にある既婚者向けの戸建て官舎(かんしゃ)を借りているらしい。

〝将来の愛人のために〟とヨハンは基地の官舎とは別に、近くにアパートを一つ借りているが、家主と掃除夫以外に入ったことがある者はいまだにいない。

「お前さんらの魂胆はわかってるぞ」

 ヨハンは言った。

「上手いこと少尉をおだてて、この小動物を、彼女の家に引き取らせるつもりだな? で、猫を心配するフリをして、あわよくば上がりこむつもりなんだろうが」

 ヨハンにそう決めつけられた部下たちは、再び互いの顔色を(うかが)う。

 その中で、一人が小声でつぶやく。

「その手がありましたか」

「聞こえたぞ! ホーキンス!」



「実際、大尉は猫がお嫌いなんですか?」

 小隊に謹慎(きんしん)命令を下してから、執務室でヨハンとシニアは休憩(きゅうけい)をとっていた。

「あんたまで、何を言い出すんだよ――嫌いなのは猫だけじゃない、犬も嫌いだし小鳥も嫌いだ。他にもネズミとか、魚とか、蛇なんか特に嫌いだ。だいたい、畜産(ちくさん)でも養殖でもないのに動物を飼うっていうのが気に入らん。それに一匹でも認めたら、次から次にキリがなくなるのが目に見えるだろ?」

「世の中には、色々な趣味嗜好(しこう)をもつ人がいますから」

生類憐(しょうるいあわ)れみの令が下ったら、従うほかないけどな」

「……そうですか」

 シニアはカプチーノマシンを操作しながら言う。

「おや?」

 カプチーノマシンから蒸気が()き出す。

 温めた牛乳が泡立ちながら出てくるはずだったが、いっこうにその気配がない。

 それに気づかないヨハンは、話のわかる部下に持論を聞いてもらうことに夢中だ。

「あんたのことだから、俺の懸念(けねん)はわかってるだろ? うちの小隊は遊撃部隊なんだ、任務によっては何ヶ月も、年単位での遠征(えんせい)だってあるかもしれない――俺たちがいない間、猫はどうすんだ? 他人を(やと)って世話をさせておいて、帰ってきたらどんな顔で会えばいいんだ? それとも、小隊の()()扱いにして、戦場に連れて行くのか? 本人の同意も署名もなしに? それをやったら、軍隊ですらなくなっちまう。ところで、カプチーノはどうした?」

 ()かれたシニアは、済まなそうに上官に言う。

「それが大尉――申し上げにくいのですが、ミルクの補充(ほじゅう)が必要なようで」

「……」

 ヨハンは顔を上げた。

 この基地で、カプチーノに使うミルクを最も消費するのはヨハンだ。

 しかし、彼がいない間に、何者かがそれを使い切った。

 ヨハンは山高帽(やまたかぼう)を被った阿片中毒の()()()ではなかったが、犯人の心当たりはすぐについた。

「絶対に追い出してやる――そこで聞き耳を立ててるやつらも聞こえたな! 猫は飼わない! わかったなっ?」

 声を張ると、廊下に部下たちの逃げ出す足音が(ひび)くのが聞こえた。

 立ち上がったヨハンは腰から拳銃を抜いて、

「誰も手を汚したくないなら、仕方ない」と言った。

「どちらへ?」

「ちょっと動物愛護法を破ってくる」

 彼は拳銃を片手に、執務室のドアを蹴破(けやぶ)るように開けると、廊下に出た。

 血迷った上官の背を見送ると、シニアは用事を思い出したのか、部屋を出ると別の――基地司令の執務室がある兵舎に向かった。



 ミリアムは談話室に飛び込むなり、テーブルの上に置いてある箱を持ち出した。

 呆気(あっけ)にとられている部下たちや、箱の中で猫と一緒にいるソフィアが、(そろ)って怪訝(けげん)な顔を浮かべるのも構わずに、足早に兵舎をあとにする。

 建物から出ると、ミリアムはソフィアに言う。

「まずいことになってしまった、特務准尉――大尉は本気だ」

「ミルクの補充を忘れてたのが発覚した?」

「そうではなく――いや、それもそうなのだが」

 ミリアムは歯切(はぎ)れの悪い物言いをした。

「とにかく、敷地の外へいったん撤退(てったい)しよう」

「そのあとは? この子と一緒に、私たちも逃げるの? どこへ?」

「それは……」

 ソフィアが痛いところをついてきた。

 ミリアムは答えに(きゅう)したのか、基地の門の前で立ち止まってしまう。

「どちらへおいでかな? 謹慎中のお嬢さんたち」

 拳銃を片手に先回りしたヨハンが門の前に立っていた。

 向かい合う三人を見た門の守衛は、ハーレークイン小隊の幹部たちだと気がついてから、防弾加工の施された小屋に戻っていく。

 この基地の守衛ならば誰でも同じようにするだろう。

「無駄な抵抗をやめて、猫を捨てろ! 兵舎に戻れ!」

「嫌」

 ヨハンが大真面目な口調で命じると、ソフィアが箱から顔を出して拒否した。

「……」

「戦うしかない」

 不意にソフィアが言った。

「っ!?」

 ミリアムが瞠目(どうもく)した。

 彼女は普段のヨハンの訓練を間近で見ている。

 拳銃による早撃ちから専用の狙撃銃を用いる長距離の狙撃まで、およそ射撃と呼ばれる(たぐい)のもので彼女がヨハンに(かな)うものは一つもない。

 ()いて言えば近接戦闘の剣術や銃剣術では、ミリアムのほうが上手だが、それでもその差は(わず)かなものだ。

 それに、ミリアムには上官を()る覚悟などない――おそらく、彼も自分を撃つ気はないだろうが、話し合いが平行線を辿(たど)る以上、()()()()を講じるしかない。

「やむを得まい」

 ミリアムは覚悟を決めた。

 この場でヨハンの戦闘力を傷つけずに(うば)い取る――武装を解除すれば、あるいは勝機が見えてくるかも知れない。

 とはいえ油断は禁物(きんもつ)だと、ミリアムは自分に言い聞かせた。。

 ヨハンの格闘技は、彼がいつも立てる作戦と同じように、徹底(てってい)して手段を選ばない。

 拳で殴るよりも速くて強力だからという理由で、相手が素手でも躊躇(ためら)わずに銃で撃てと、彼はミリアムに言ってきたことがある。

矛盾(むじゅん)〟の寓話(ぐうわ)を格闘技教官に聞かされたとき〝盾で(なぐ)れ〟と反論した逸話(いつわ)が、幼年学校では今でも語り継がれているほどだ。

「せっかく覚悟を決めたのに攻めてこねえのか――じゃあ、こうしよう」

 ヨハンは拳銃の弾倉(だんそう)を地面に落として、遊底(ゆうてい)を引いて薬室(やくしつ)からも弾丸を抜き取った。

「いい機会だから、俺のスーパーパワーを見せてやる――〝おねだり〟だ」

 彼はベルトに連結してあるポーチからも、予備弾倉を一本ずつ抜いて残らず捨てた。

「ほら」

 ヨハンはスライドが後退した位置の拳銃を片手に、無造作(むぞうさ)に向かってくる。

 一見すると無防備に見えるが、この上官はこういうときに必ず(わな)を張っている。

「俺が勝ったら、前に聞きそびれた〝追い詰められた女騎士の()()()()〟を(とな)えさせるからな」

「だから、なんなんですかっ!? それ!」

 ヨハンが空の拳銃を握った手を伸ばす。

 ミリアムは反射的に抜いた剣でそれを(はら)おうとする。

「!」

 鈍い金属音が響いて、ミリアムの手首に痛みがはしった。

 同時に、(にぎ)った剣がびくともしなくなる。

 よく見ると、拳銃の露出(ろしゅつ)した銃身とスプリングガイドの間に剣の刀身が(はさ)まっている。

「よっと」

 ヨハンが声に合わせて拳銃を回転させると、手首を(ひね)られたミリアムはたまらず剣を取り落してしまった。

 剣は半回転して、地面に突き刺さった。

 ミリアムはやむを得ず、反対の手で腰から拳銃を抜こうとした。

 肩の関節の柔らかさが幸いして、彼女は苦もなくやってのけた。

「これもーらった」

 ヨハンが見せたのは、ミリアムの帯革(たいかく)に固定されていたポーチから盗んだ、予備弾倉だった。

 陸軍の支給品で、二人とも同じものを使っている。

「ほらな? これがスーパーパワー〝おねだり〟だ」

「ただの手癖(てくせ)の悪さです! それは!」

 反射的に、ミリアムは抗議(こうぎ)した。

 おそらく、ヨハンは最初からこれを狙っていたのだろう。

 彼はミリアムの利き手を封じて、彼女が無理な姿勢で拳銃を抜く(すき)を――左の脇が開くように仕向けた。

 ミリアムが拳銃を構えるのと、ヨハンが弾倉を装填(そうてん)して遊底を前に戻すレバーを下げたのはほぼ同時だった。

「大尉! やめましょう!」

 互いに拳銃を向けたが、ミリアムはすぐに銃口をはずして指を伸ばした。

「なんでだ? ここからが面白いのに――じゃあ、ほら。言えよ」

「……なにをですか」

「だからあ〝く〟で始まる、女騎士が追い詰められたときの台詞(せりふ)だって――なんたって、お前さんは今まさに()()()()()()()()()()じゃん?」

 ミリアムの(ほお)紅潮(こうちょう)した。

「だめえ? じゃあ、もう少し攻めちゃうぞ」

 そう言うなり、ヨハンは自分の拳銃を捨てた。

 彼が(ひざ)を沈ませると、地面に倒れていく――その勢いを利用して踏み込むと、一瞬で彼我(ひが)の間合いが詰まる。

「!?」

 ミリアムが拳銃を構え直すと、ヨハンの指が気味の悪い蛇のように手首に絡みついてきた。

 格闘技の訓練で同じ技を見たことがあった。

 手首や(ひじ)といった場所を()られて、力の逃げ道を失うと、軽い打撃でも恐ろしい威力(いりょく)になる。

 特に体重を乗せた肘を急所に打ち込まれると、子どもの筋力でも大人を悶絶(もんぜつ)させられるほどだ。

 手首を引っ張られるのをミリアムは感じた。

「!」

 このタイミングを(はか)っていたミリアムは、抵抗をやめて飛び込んだ。

 同時に彼女は、(つか)まれていない方の手を使って、掌底(しょうてい)()り出す。

 おそらく、ヨハンには防がれるだろうが、次の一手は決めている。

 しかし、ミリアムの掌底がヨハンの(あご)を捉えた。

「ちょいと浅かったな」

 上官はそう言いながら歯を食いしばって耐えると、ミリアムの伸び切った肘を、親指を尖らせるように握った拳で小突いた。

「!?」

 熱湯をかけられたような(しび)れが、ミリアムの左腕全体に広がった。

 彼女の片手を再び(ふう)じたヨハンは、あっさりと拳銃を(うば)う。

 足をかけながら、拳銃を奪うために組み合った肘を当てると、ミリアムはその場で転んでしまう。

「遊びは終わりだ!」

 ヨハンは狙いをつけると迷わず撃った。

 ただし、その銃口は上空に向けられている。

「あ」

 ソフィアが声を()らすのと、銃声に(おどろ)いた猫が箱から飛び出して、走り去っていくのはほぼ同時だった。

 それを見たヨハンは言う。

「おっと、逃げちまったか――逃げちまったら、しょうがねえな」

 ミリアムから奪った拳銃から、手際よく弾倉と弾丸を抜き取り、彼は部下を見おろした。

「格闘の訓練終了だ――わかったな? その箱は、ちゃんと元に戻しておけよ」

 ミリアムは顔を上げた。

「訓……練?」

()()()()はそういう体裁(ていさい)でってこと?」

 頭の整理が追いついていないミリアムの代わりに、ソフィアが訊いた。

「病み上がりでそれだけ動けるなら、いつでも任務に就けるよな」

 ヨハンは答えずに、足元に散らかしたものを拾い集めて、先に帰っていった。



 数日後。

 ハーレークイン小隊の兵舎の廊下を、見覚えのある猫が歩いていた。

「おお、()()()()()殿だ」

 廊下で猫と出会った下士官たちは、敬礼して挨拶(あいさつ)を交わそうとするが、猫は素知らぬ顔で談話室に入っていく。

 談話室の掲示板には、一昨日の日付で、

〝第九九連隊隷下の部隊は以下の猫の当基地における警邏(けいら)活動を支援すること〟という通達が、基地司令であるボーマン大佐の署名入りで張り出されていた。

 馬鹿げた出来事だが、基地司令と旧知の誰かが直談判したという噂があった。

 ボーマン大佐の細君が、自邸で捨て猫や捨て犬を多数保護し、新たな飼い主をコーディネイトしていることを知っているその()()()が、お膳立(ぜんだ)てをしたらしい。

 今では基地のほぼ全員が〝ジェネラル〟と呼ばれている猫と顔見知りだった。

 軍医は(ひま)を見つけて動物病院に()を連れて行くし、需品(じゅひん)係はこっそり牛乳を横流しし、厨房(ちゅうぼう)の調理師は魚や鶏肉が〝傷んでいる〟と申告して、小骨や軟骨(なんこつ)を取り除いた(えさ)を用意している。

 幹部たちの執務室の一角に衝立で仕切られた、応接用テーブルの上に用意した、妖精族用の席でソフィアは休憩をとっていた。

「ジェネラル――パトロールに来たの?」

「にゃーん」

 ソフィアは指先から光線を出して、それを細かく動かしながら猫の興味を()く。

 本能を刺激された猫は、光線の当たっている床を追いかけたり、壁をのぼったりしている。

 ミリアムは衝立(ついたて)隙間(すきま)から(うかが)えるその様子を横目にしていた。

 彼女は上官に細かい事項の報告をしているところだった。

「少尉殿――まだ途中であります」

 シニアに促されて、ミリアムは我に返った。

「いやいや、いいんだ――上級曹長。少尉は優しいから、()()()()()()()()()()()()()()()()()()。俺も聞き漏らしがあるかもしれんし、細かい報告を聞くのは大好きだからな。たったいま、好きになった」

「そんなっ」

 ミリアムは上官の意地悪に悲鳴を上げた。

 その昼下がり、

「この()()! 心の底から、今畜生だ!」とヨハンは机で怒鳴った。

 彼の視線の先には、シニアが()れてくれたカプチーノが机の上にあった。

 いつもなら、カップにきれいな山を描いている泡が()()()している。

 猫はヨハンに怒鳴られても、まったく動じた様子もなく、ミルクの泡を()めていた。

 自分に害を加える人間が基地にはいないことを知っているようだ。

 しかし、ここに一人だけ例外がいた。

「昨日は風が強かったからなあ――風が強いとなんで桶屋(おけや)(もう)かるか知ってるか? (ほこり)が舞って()()()が増えて、生業にしてる弾き語りに使う楽器が売れる、楽器は猫の革を使うんだぜ。でもって、桶屋が儲かんのは、猫の棺桶の需要(じゅよう)が増えるからだ!」

 ヨハンは腰の拳銃を抜いて、遊底を引いた。

 バネの力でスライドが閉鎖(へいさ)する鋭い金属音音を聞いた猫は、殺気の主の形相(ぎょうそう)を見て机から駆け出した。

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