第5話 コラテラル・ダメージは保険の適用外
――ハーレークイン小隊に新たな命令が下る。異世界からの転生者の玄関口として機能している古代遺跡の調査に向かった、研究者とその護衛の傭兵団が正体不明の敵の攻撃で消息を絶ったらしい。彼らの捜索と転生者の身柄を確保することが今回の任務だ。ヨハンは敵を待ち伏せて一網打尽にするために、古代遺跡を爆破すると言い出してミリアムを呆れさせる。
ヨハンが退屈な書類仕事を丸投げしようとして、二人の乙女たちから小言を言われていた時、シニアが士官の執務室に現れた。
「大尉――統合参謀本部に可及的速やかに出頭せよとのことです」
「げげ――絶対、これ悪い知らせだこれ。あそこに行って、良い話を聞いたためしがないもんな」
彼は助けを求めるようにミリアムを見た。
彼女は目が合うと、
「小官はこれより、大尉から仰せつかった大事な文書を仕上げねばなりません」と言って、書類の束を机からかき集めた。
次にソフィアを見る。
「私も忙しい――それに准士官に最上級命令を受領する権限はない」
「……あー、もうっ」
彼は諦めて、椅子の背もたれにかけてある地味な色の短いコートを掴んだ。
「ルビャンカに行ってくる――留守の間、指揮権は少尉に一時的に移譲。シニア!」
「はい――お供します」
慌ただしく支度をする上官と、その付添の上級曹長がいなくなると、執務室は急に静かになった。
「統合参謀本部をよりにもよって〝ルビャンカ〟と称するとは――まったくあの方は」
書類仕事にかかりながらミリアムは呆れていた。
その名前の施設は帝国史のどこにも記載されていない。
ただし、民間の伝承として残っている。
千年ほど前に行われた世界大戦で、帝国が捕虜にした魔界の原住民を虐殺したと言われる土地が旧名、ルビャンカだった。
「ヨハンにしては教養のある皮肉」
「不謹慎すぎるではないか」
ミリアムはそう言って、珍しくソフィアと二人きりになると、かねてから抱いていた疑問を妖精の少女にぶつける。
「そういえば、大尉と貴官は親しげだが――付き合いは長いのか?」
「違う――知り合ったのは少尉と同じ時期」
妖精の少女は簡潔に、どうやって自分が小隊に加わったか――その経緯を話した。
「……」
「そうして、脅迫された――私はヨハンに隷属して軍に入った」
ミリアムの手がいつの間にか止まっていた。
何度かその話は耳にしたものの、てっきりそれは妖精族一流の比喩表現のようなものだと、ミリアムは思っていたのだ。
「妖精族全体の市民権と引換に、貴官を軍に入隊させるとは――ましてや陛下の御手によって認められた公文書に火をつけるなど……」
一体、あの上官はどこまで気が触れているのだろうか。
ミリアムは口にしかけた。
その様子を観察していたソフィアもまた、書類の上で踊るのをやめていた。
「どうかした? 少尉」
「あ、いや――貴官たちの関係がその、我ら人間の間で結ぶ契約とは少々、異なっているような気がして」
「どこが?」
赤い宝石のような瞳が、ミリアムを見上げた。
ヨハンとシニアが戻ったのは夕刻を過ぎてからだった。
帝都の中枢までは片道を馬車で一時間ほど、飛竜を使えば十五分で行き来できる。
せっかちな彼のことだから、ボーマン大佐とバンジョウ大尉に頼み込んだのだろう。
ということは、かなりの時間を統合参謀本部で過ごしたことになる。
「出動だ」
憔悴したヨハンは執務室に戻ると、待っていたミリアムとソフィアに静かに告げた。
コートを雑に畳んで椅子にかけると、自分は机の上に尻を半分だけのせて、細巻きを取り出す。
「古代の遺跡って、帝国に何箇所かあるだろ? たまに来る、ほら、なんていったか――異邦人じゃなくて、エイリアンじゃなくて。別の世界から来る変な奴」
「もしかして〝来訪者〟のこと?」
ソフィアが訊くと、ヨハンは膝を叩いた。
「そう、それ――なんでも、遺跡は異世界だかなんだかと繋がってて、そこからポロッと変なやつをひり出すことがあるらしいじゃん。で、それの調査に向かった学者さんと、護衛の傭兵どもが消息不明になったんだと」
ヨハンが話している間に、シニアは執務室から地図の巻物をいくつか取り出している。
「手伝おう」
「恐縮です――少尉殿」
シニアが選別した地図をミリアムが運んで余っている机に広げていく。
「で、統合参謀本部は戦闘捜索救難部隊を派遣したらしいんだが、正体不明の軍に奇襲されて全滅したんだとさ。で、俺たちの出番ってわけだ」
ヨハンはそれから、統合参謀本部から通達された、新しい命令を話した。
任務の内容は、戦闘捜索救難部隊を攻撃した敵勢力の偵察と、可能であれば遺跡への侵入を阻むこと。
「ここまでが、まあ、表向きの派遣理由ってやつだ――軍の広報に載せられる範囲の話だな」
「ええ」
シニアが頷いた。
「統合参謀本部が我々に下した真の主要目標は〝来訪者〟が敵勢力に渡るのを阻止することです」
「場合によっては、俺らの手でぶっ殺しても良いのかな――そうしたら、誰にも渡さなくて済むじゃん?」
「ちょっと、大尉! あなたはなんてことを!」
ミリアムが声をあげた。
帝国において来訪者は丁重に迎え、その身を安堵すると寺院では定められている。
古代の〝神姫〟が定めた古い経典にそう記されている。
「ああ、そうか――お前さん、修道院の出だもんな」
ミリアムが、そういう問題ではないと言いかけた。
「さしあたって、部下たちを掌握して出撃の準備にかかります――その地方の出身者がいたはずなので、作戦立案前に現地の情報を補足できるかもしれません」
それを聞いたヨハンは、
「ちょっと待て」とシニアを呼び止めた。
上官は机を回り込んで自分の引き出しを開けると、封の切っていない細巻きの箱を取り出した。
「持ってけ」
そう言って箱を放る。
何も言わなくても、小隊軍曹はそれが情報提供者への褒美だと理解しているようだ。
シニアが士官の執務室を出ていくと、ヨハンたちは統合参謀本部から持ち帰った情報を元に、作戦の概要をまとめたり、現時点で判明している情報を地図上に書き込んでいく。
戻ってきたシニアからもたらされた、新たに加わった情報を分析しながら、彼らは深夜に及ぶまで作戦を煮詰めた。
「まあ、今回は帝国領内だから火力・航空支援も頼めるしな――ちょっとくらい敵の数が多くても、なんとかなるだろ」
「予断をもって当たるのは禁物です――大尉」
ミリアムが生真面目に言った。
「あー、うんうん――わかってるって、学級委員長殿。油断してっと、味方の砲撃に吹っ飛ばされちゃうもんな。数字をひとつ間違えただけで、部隊全滅なんてよくあることだって、聞いたことがあるぜ」
「いえ、そうではなく」
「じゃあ、俺は大佐に作戦計画書を出してくるから、お前さんたちは分担して、武器と装備品の検査をしといてくれ」
準備を整えて、少し仮眠をとってからハーレークイン小隊は第九九連隊基地の発着場から、飛竜の抱えるキャビンに乗り込んで飛び立った。
「俺も一回、異世界に転生ってやってみたいな」
着陸地点で飛竜から降りて、ミリアムから点呼の報告を聞いたヨハンが言った。
「は?」
「行き先はそうだな――俺より駄目なやつばっかの国で、そこでスーパーマンになるんだ。そしたら顔と身体だけ良い、頭と股の緩い女どもにモテまくる。ハーレムを作って自堕落に生きて、腹上死したらこっちに戻ってくる」
この上官の無駄口は聞くだけ損だ。
ミリアムはそろそろ学習してきたのか、なにも言わずに、
「コワルスキー二等軍曹と、クルグロフ伍長を斥候として前に出します」と告げた。
二人ともこの地域の出身の下士官たちだ。
そのため地理や動植物に詳しいため、道案内を兼ねた斥候には適役だった。
ハーレークイン小隊は、軍用車両一台分ほどの間隔をあけて、目標地域まで徒歩で移動を始める。
全員ともに、今回は防具を含めてかなりの重装備だった。
頭は鉄粉と繊維状に加工した硝子を折り重ねて固めた複合材で作られたヘルムを、顎と後頭部を繋いだ革紐で固定している。
これは軽量な作りで、小銃弾の直撃こそ貫通してしまうものの、砲弾の破片や拳銃弾程度ならば防ぐことができる。
身体の方は、ヘルムと同じ素材で作られた防具で、上半身や下半身の一部といった急所を防御している。
交戦中に被弾しやすい胸部から腹部と背中にかけては、合金製の一枚板を削り出した防具を内蔵することで、さらに身を固めていた。
それらの防具の上からサスペンダーのような構造の弾帯と手榴弾用のポーチ、水筒や救急用品、雨具といった個人装備を下げて、腰には綿を詰めた厚いベルトを巻いている。
そして最後に、役割に応じて持ち込む擲弾筒や無反動砲、あるいは軽機関銃用の弾薬を詰め込んだ背嚢を背負う。
シニアからは、共通する装備と弾薬は全員が同じ場所に同じ物を収納するようにと、演習のときから必ず指示を受けていた。
理由は緊急時に、仲間の装備を借りる必要が生じた場合、お互いがどこに何を携帯しているか、いちいち探す手間を省くためだ。
しばらく行軍していると、斥候から止まるように言われた。
何者かの足跡を見つけたという。
ミリアムに全周警戒を任せつつ、前に出たヨハンは狙撃班の観測担当でもある、斥候のコワルスキーに合流すると、
「どう思う?」と訊いた。
狙撃手と組む観測手は、軍の中でも主計科に準ずるほど、歩兵としては地味な役職だったが、狙撃手を長く経験したものにしか務まらない役割だ。
狙撃の専門家たちは少数、というよりほとんど二人だけで敵地の深くに侵入して、僅かな痕跡も見逃さないように訓練を受けている。
その中でも、観測手は狙撃手が仕事に専念できるように、三六〇度を常に警戒しながら、必要があれば邪魔者を始末する役目を担う――彼らは目立たないだけで、隠密潜入と脱出の専門家だった。
「一人ですね――軍靴とは違います」
ヨハンも周囲を見る。
コワルスキーが銃剣を使って等間隔に地面に引いた目安の線を参考にして、確認できる足跡はたしかに一人分だけのようだ。
偶然、ここに入り込んだ現地住人だろうか。
「民生品の、なんというか――高そうな靴って感じです。体重は一二〇ポンドもないですね。身長はおよそ五フィート六インチから八」
コワルスキーは足跡の深さと歩幅を元に、その主の特徴を分析して言った。
「場違いだな」
「しかも、そこからここまで、ちょっと歩いて――足跡は消えちゃってるんですよ。まるでバーバ・ヤーガだ」
コワルスキーが生まれ育った、この地域ではそういう名前の怪物がいるという伝説があった。
もちろんお伽噺にすぎない。
彼はたんに得体の知れないものをそう表したつもりだ。
「そのお化けって銃も撃つのか?」
「いいえ、大尉――バーバ・ヤーガが持ってるのは、杵と箒です」
「なら大丈夫だろ」
さしあたって驚異にはならないと判断して、ヨハンたちは先に進むことにした。
古代遺跡に近づくにつれて、少しずつだが敵の痕跡が見つかりはじめた。
ヨハンたちは遺跡の出入り口を射程におさめる小高い場所に本陣を兼ねた指揮所を置き、地形を利用して簡易的な防御陣地を構築した。
分隊をさらに細分化した、四人組で構成される複数の小銃班を斥候として周囲に派遣したところ――少なくとも中隊規模、百人から二百人近い敵が、既に遺跡に入り込んでいると見られた。
それとともに、交戦の形跡と先行していた帝国陸軍の戦闘捜索救難部隊と思しい死体、調査団のものも見つけることも出来た。
それらの位置情報を記録させて、偵察から戻った部下たちには休息を命じている。
シニアに部下を六人ほど預け、退路を確保するよう命じてからヨハンたちは遺跡の様子を見ることにした。
監視をはじめてから丸一日近くが経ち、ミリアムは遺跡への突入を進言すべきかどうか迷っていた。
敵がもっと寡兵であれば、彼女はそうしたいところだった。
しかし、現状の情報では彼我の戦力差は、最低でも五倍の人数差がある。
正面から撃ち合えば戦闘効率の第一法則を当てはめるまでもなく、鏖殺されるのは目に見えている。
かといって、敵が出てくるところを虱潰しにするのも難しい。
攻撃を受ければ、敵は遺跡の中に立てこもってしまうだろう。
そうなれば、互いに消耗戦を強いられ、結局は兵力の大きい方が優位に立つ。
常識的に考えるならば、
「ここは援軍を要請してはいかがでしょう?」とミリアムは進言した。
「それはいいけど――到着するまで敵にも待ってて貰えないか、誰が頼むんだ?」
「しかし、なにもしないよりは」
ミリアムは内心の苛立ちを抑えつつ言った。
自分の案を却下したということは、この上官は代案を持っているはずだ。
なければ、あらためて副官権限で援軍の要請を正式に諫言するつもりだった。
ヨハンは短くなった細巻きを地面に捨てて言う。
「じゃあ、やるか――少尉、手すきの軍曹たちを招集してくれ。警戒線はそのまま維持しろよ」
「了解いたしました、大尉」
敬礼して、ミリアムは踵を返した。
彼女は静かに小走りで、周囲に展開している小隊の班長たちを呼びに行く。
退屈な哨戒と偵察、監視からの解放と、待ちわびた戦闘を予感してなのかその足取りは軽い。
その後ろ姿を一瞥して、ヨハンは笑みを浮かべて言う。
「はりきっちゃてまあ――お尻を揺らしてかわゆいこと」
「下品」
ソフィアに言動を窘められた数分後――休んでいた部下たちが集まった。
「休憩中に悪かったな、お嬢さんたち――まずは聞いてくれ。状況は下方修正された。よって、当初の作戦は全部忘れろ」
そう言って、ヨハンは事前に立てた作戦計画書の複写にマッチで火をつけた。
ミリアムの顔色が変わった。
彼女は、
「では、突入は――目標の確保はどうなります?」と訊いた。
「目標は確保する――それが俺たちの任務だからな。だろ? 少尉」
ミリアムは頷くしかなかった。
彼女にはまだ、現場で上官に異論を唱えられるほどの経験はないのだから仕方ないと言える。
ヨハンは集まった下士官たちに状況説明を始める前に、ソフィアを一瞥した。
「ん――中継開始」
妖精の少女はヨハンの肩の上に立ち、眼前に小さな魔法陣の公式を浮かび上がらせた。
彼女は端末水晶を経由して、ここでの会話を離れた場所にいるシニアに送り始める。
「ファイブへ――シックスだ。感明を送れ」
《……ス――シックス。こちらファイブ。雑音まじりですが、聞こ……す》
ヨハンはソフィアを見た。
「出力を上げられるか?」
「できる――でも、飛竜の中継がないと無駄」
仕方なく、指揮官は小隊軍曹にそのまま我慢するように伝える。
「……と、以上が現状の確定情報だ――諸々の痕跡と事前情報から、敵に先を越されたと見るべきだ。そこで遺跡への突入は中止だ。ここで敵を迎撃する。幸いにも遺跡の出入り口は一箇所で、敵はこちらに気づいていない。一網打尽にしてやろうぜ」
ヨハンはそう言って、小石と枝を並べた略図を銃剣の切っ先で指示していく。
「まずは遺跡の入り口に爆薬を仕掛ける――目的は敵の退路を断つためだ」
「爆破してしまうのですかっ!? そんな許可は……」
ミリアムが口を挟んだ。
爆破はたしかに、有効な方法だと彼女にもわかるが――帝国の文化遺産でもあり、貴重な研究史料でもある遺跡に損害を与えては、あとで問題になるのは目に見えている。
「少尉の懸念はもっともだが、俺たちの任務は〝目標の確保〟だ――それ以外に生じるあらゆる被害は致し方ない犠牲ってことにしよう。もしくは敵がやったことにする。皆殺しにすれば、死人に口なしだ。他に異論のあるやつは? 遠慮なく申し出ろ」
「さすが大尉」
「やることが汚い」
爆破を専門とする、二人の下士官たちは微笑を浮かべて口々に言った。
ヨハンはポケットから細巻きを取り出すと、ソフィアを見た。
彼女は一瞬だけ唇を尖らせたものの、不承不承ながら指先に火を灯した。
その様子を見て、他の下士官たちも各々が細巻きや紙巻き、葉巻を取り出して火をつけ始めた。
芳香を紫煙に漂わせながら、ヨハンは煙と一緒に愚痴をこぼす。
「本音を言うとだな――あんな遺跡なんか、さっさと丸ごとぶっ飛ばしちまった方が良いんだよ。いや、良くはねえんだけど。でもほら、これ、マジでポンコツじゃん? ろくでもねえのばっかり、こっちに転生させてきやがる」
ヨハンはそこで濃い煙を吐き出した。
「俺が生まれる前だっけ――その時に転生してきたのも、なかなかの逸材だったらしいじゃん? 回収に来た部隊に囲まれて、〝我こそは生まれ変わったダークナイトだ〟とかのたまったとかなんとか。ダークナイト? じゃあそいつ魔族じゃん? 敵じゃん。よく、撃たなかったよな当時の軍は。でも、そのダークナイト様、戦闘能力なんか皆無だってわかって、帝都の主計局で事務員を勤め上げて定年を迎えたらしいが……」
ヨハンは半分ほどに短くなった細巻きを地面に捨てて、軍靴で踏みにじった。
紫煙の交わらない、新鮮な空気で深呼吸をすると再び口を開く。
「人間のカタチのまま転生してくるから、面倒なことになんだよな――いっそ、標準語を流暢に喋るスライムかなんかに転生してもらって、俺たちに泣いて喜ぶくらい可愛がられて、天珠を全うしたらもう一度スライムに転生してきてくんねえかな」
「大尉、さきほどから脱線がすぎます」
腕を組んだミリアムがついに注意してきた。
気を取り直して、ヨハンは集まった部下たちの中から、数人を見つけ出す。
「さっき野次ったのはシュミットとベイツだな――賛成した以上、責任持ってお前さんらが爆薬をセットしろよ。信管は手動、爆破の合図は俺が滅多に口にしない言葉にしよう」
「帝国万歳」
ソフィアが即座に言った。
言葉の意味を理解した古参兵たちは、いっせいに失笑した。
彼らは笑いながら、軍曹の一人がうなずく。
「たしかに、大尉の口から聞くことはなさそうですね」
「ありがとうよ、特務准尉――お前さんはほんと俺の理解者だな」
「どういたしまして」
「褒めてないぞ」
「知ってる」
ミリアムの咳払いがして、ヨハンは次の指示を下す。
「続けるぞ、次は火力運用と交戦規則だ――まず援護班の軽機関銃の設置は二箇所、目的は敵を釘付けにすることだが、目標への被害を避けるために手加減しろ。同じ理由で、無反動砲、擲弾筒、手榴弾といった殺傷力のある爆発物は全面禁止。これも徹底しろ。狙撃班は二手に分かれて、敵が遺跡の背後に周ろうとしたら食い止めろ。同時に、機関銃の射撃統制もしてもらう。コワルスキー、ハインツ、頼むぞ」
「へいへい」
「了解」
二つの狙撃班を率いる先任の下士官たちが左右から手を上げて、命令を確認したことを伝えた。
ヨハンは最後の命令を伝える。
「突入分隊を編成する――待たせたな少尉、お前さんの出番だ。人数が限られてるから、人員は最小限だ。搬出時は反撃のみに徹して足を止めるなよ。死地に飛び込むことになるから覚悟しろ」
「はっ」
命の保証はない、そう警告されたミリアムはかえって緑色の瞳を燃え上がらせた。
「私たちは?」
ソフィアが訊いた。
「俺たち本隊は待機だ――予備兵力としてな。撤収地点までシニアを誘導しなきゃならんし、航空管制も並行して行う。指揮官らしく、ふんぞり返ってるさ」
ヨハンは悪びれもせずに言った。
新しい細巻きを取り出そうとしたところで、彼は思いついたように付け足す。
「ああ、そうだ。もう一点、突入分隊に通達することがあった。少尉、今回は雨具で担架は作らなくていいぞ。そういう、面倒なことは敵がやってくれてるから。解散!」
軍曹たちはいっせいに敬礼して、各々の持ち場に戻っていく。
ミリアムは目を丸くしていた。
「まさか、大尉……」
「なんだよ、今頃になって気づいたのか?」
「少尉は真面目だから――そこが良いところ。ヨハンも彼女を見習うべき」
「へいへい――だってさ、面倒くせえじゃん? 正攻法で行ったら、敵とどこで出くわすかわからない遺跡の中を、右往左往しながら潜っていくんだぜ? で、帰りは荷物を抱えて、やっぱり伏兵に警戒しながら戻ってくるんだぞ? 敵がそれを全部やってくれるんなら、任せちまったほうが楽だろ?」
「そして横取り」
「そういうこった」
ミリアムはいつか聞いた、ヨハンの人物評を思い出していた。
彼は良かれ悪しかれ、任務を達成するためには手段を選ばない、と。
また、シニアはこうも話していた。
ヨハンは戦場においては頼りになる上官だとも。
もしもこれで彼の普段の言動が品行方正――まで高望みはしなくても、常識をわきまえた現場叩き上げの士官、というくらいだったら。
自分は彼に憧れていたかもしれないとミリアムは少しだけ考えた。
しかし、現実はというと――ままならない。
端末水晶を通じて、ヨハンが小隊に通達する。
「一番、敵をぶっ殺したやつには、褒美を出すぞ――俺が夜なべして作った、少尉のおっぱい搾乳券だ。欲しいやつはいるか? なら戦え、殺せ、殺しまくれ! 死んだ敵だけが良い敵だ!」
指揮官が部下たちを鼓舞する声に、彼女は怒りを露わにして、上官に対して直に諫言するために詰め寄っていく。
「ファイブへ――シックスだ。状況報告を請う、送れ」
《こちらファイブ――エコーチームはLZを確保。ブレイク、地点マイクで待機中です》
シニアが率いる別働隊には、撤退の際に使用する飛竜の発着点を確保することと、通信状態を解決するように命じていた。
古代遺跡からは徒歩で一時間ほど離れた場所にある。
そこならば、周囲の地形もあって安全に脱出を図ることができるはずだ。
「ファイブへ――シックスは了解した。ブレイク、ナインへ。全隊チャンネルで、ピクチャーを送れ」
ヨハンが端末水晶でソフィアに呼びかけた。
彼女は今、遺跡の上を飛んで最後の偵察に出ている。
目立たずに空を飛べる妖精族だからできる任務だった。
それ以外のハーレークイン小隊は、ヨハンの指示に従って遺跡の周囲に潜伏して、攻撃の合図を待っているところだ。
《……全隊に告ぐ――こちらナイン。敵が出てきた。ブレイク、人数は一八一人を確認。どうぞ》
「シックスだ――目標を識別できるか?」
《シックスへ――敵の中央で担架に縛り付けられた人間がいる。ブレイク、おそらく目標と思われる。どうぞ》
ヨハンはソフィアからの報告を受けると、機関銃と狙撃銃で援護するブラボーチームに訊く。
「ブラボーへ――目標を確認できるか?」
《シックスへ――ブラボー・ワンは目視で確認しました》
《ツー、同じく》
その直後、ソフィアが通信に割り込んでくる。
《ブレイク、ブレイク、ブレイク――全隊へ。目標が爆破加害範囲を出た》
急報の直前に全隊の準備が整ったことを確認したヨハンは端末水晶に告げる。
「全隊へ――〝帝国万歳〟だ」
《ファイアインザホール》
その瞬間、遺跡の入り口に仕掛けた爆薬がいっせいに起爆した。
茂みに身を隠していたヨハンは、轟音を聞くと稜線を利用して身を隠しながら、双眼鏡で様子を窺う。
シュミットとベイツ、二人の専門は爆破と破壊工作、またはその逆に地雷や爆弾の解体だ。
彼らには、小隊が持ち込んだ爆薬を全て集めて、古代遺跡の入り口と、出てきた敵の先導が展開しそうな範囲に仕掛けを施すように命じていた。
生き残った敵の部隊は混乱を見せつつも、目標を中心に囲う方陣のような隊形を組んで、奇襲に対応しはじめた。
「ブラボーへ――発砲開始せよ。ブレイク、アルファは次のフェーズラインで、突入に備えろ」
ヨハンに命じられた援護班は陣形を組んだ敵を削るように、確実に倒していく。
《シックスへ――アルファは第二フェーズラインに到着、待機しています》
機関銃の十字砲火が考案されたのは、世界大戦の初期だったが、効果的に運用すればごく少数の部隊でも、多数の敵に打撃を与えられるのは実戦で何度も証明されている。
さらにヨハンは、機関銃と狙撃銃が同じ口径の弾丸を使用することから、同じ場所から狙撃を行えないものかと案じた。
従来の狙撃手という立場から、より攻撃的な選抜射手という運用の転化だった。
通常ならば、狙撃手は目立たないように隠れて行動するものだが、待ち伏せの一斉射撃においては、さらに効果的なのではないかとのことだった。
《シックスへ――コワルスキーです、ヘイズが指揮官を仕留めました》
「やったぜ――よくやったと伝えろ」
ブラボーチームの射撃統制を行っている、コワルスキーから通信で報告された。
どうやら、機関銃班が敵の頭数を減らしたおかげで、射線が通ったところを狙撃できたらしい。
「アルファへ――前に出ろ。思うままに蹂躙していいぞ、少尉」
敵の指揮官が倒れたならば、残る部隊は指揮系統を回復するまで、組織的な抵抗が難しくなる。
ヨハンは敵に立ち直る暇を与えないよう、ミリアムに強調して命じた。
《了解! アルファ攻撃開始》
「ナイン、もう一度ピクチャーを寄越せ」
ヨハンは上から戦況を確認しているソフィアに命じた。
《シックスへ――こちらナイン。敵の反撃は散発的。陣形を崩した東側の一部は敗走をはじめている。どうぞ》
「ナインへ――シックスは了解した。ブレイク、アルファは右手から攻めろ。ブレイク、ブラボーチームに告ぐ。合図で発砲停止しろ。もう一度告げる、ブラボーは俺の合図で発砲停止。確認したら送れ」
《こちらセブン――右手、東から攻めます》
ミリアムの応答に続いて、
《シックスへ――ブラボーは了解。合図を待ちます。七・六二の銃身が真っ赤になっちゃいましたよ、大尉》
つづいて援護班からも了解の応答が返ってきた。
間もなく、小銃に銃剣を着けたミリアムたち突入分隊が、崩れた敵の一角を急襲する様子が見えた。
「ブラボー! シース・ファイア!」
《了解――ブラボー全隊、発砲停止》
敵味方がお互いに手が届きそうな間合いで繰り広げられる、白兵戦に持ち込んだミリアムは言われたとおり、またはそれ以上に敵を恐慌状態に陥れていく。
ヨハンは彼女が幼年学校時代に、剣術の全国大会に出場していたという話を思い出した。
果たしてその実力は、実際の戦場でもいかんなく発揮された。
「おーおー、はりきっちゃって――最近の女の子ってまあ、怖い」
双眼鏡を覗きながら、ヨハンが言った。
「実質、これが少尉の初陣みたいなものだから」
ソフィアが戻ってきた。
それとともに、援護班はその場から撤収し、本隊――ヨハンの現在位置に集合するように通達した。
通信担当の准士官が戻ってくると、彼女に本来の仕事に戻らせる。
「チャンネル〇‐八‐一だ――上空のホッグ中隊に繋げ」
こちらに向かっている、空軍の近接航空支援飛竜の状況を本人から直に聞くために、端末水晶の使う帯域の波長をソフィアに切り替えてもらう。
「ん――繋いだ。チャンネル〇‐八‐一」
《デクレア――我はホッグ・ワンである。ハーレークイン小隊の指揮官に相違ないか》
「ホッグ・ワンへ――こちらハーレークイン・シックス、スミス大尉だ。ホッグ中隊、そちらの状況を知りたい。ピクチャーをくれ」
少しのやりとりで、順調に向かっていると聞いて、こちらの戦況の方も間もなく片がつくと告げた。
《……では、我がアベンジャーは火を吹けぬか――無念である》
ヨハンが要請した航空支援用の飛竜、ホッグは制空権下における近接航空支援を専門としており、一撃離脱を繰り返しながら、正確な砲撃を上空から行うことができる名人だった。
「せっかくお出まし頂いたのに、申し訳ないが――うちの女騎士がはりきっちゃって。〝七砲身パンチ〟は次の機会に拝ませてくれ」
ヨハンはこの場にいないミリアムに責任を転嫁して、飛竜に謝した。
《まあよい、我は飛べるだけでも満足だ――人間の造りし都は、作りが万事に窮屈すぎる。エフライムのおひいさまも、都とはすべからく雄渾なれと申しておられる》
ヨハンたちが話していると、ミリアムから報告が入る。
《シックスに申し上げます――こちらセブン、アルファは目標を確保。これより地点、リマにトラベリングを開始。確認を願います》
双眼鏡を手にしたヨハンが見ると、目標と思しい〝来訪者〟を運ぶ、ミリアムたちの姿が確認できた。
「ん?」
不意に頬骨に何かが押し付けられたと思えば、ソフィアがヨハンの顔と双眼鏡の間に割り込んできた。
妖精の少女はそのまま、自分の顔より大きな接眼レンズに顔を寄せる。
「見たいならそう言えよ」
「ん――見せて。もっと下、そう」
妖精の少女に懇願されて、顔の位置をずらしたヨハンは左目で右の接眼レンズを覗くようにした。
アルファ分隊を見ると、彼らは道を塞ぐ敵に小銃で応戦しつつその場を離脱しようとするところだった。
「セブンへ――こちらシックス、確認した。ブレイク、ファイブへ。聞いてのとおりだ、送れ」
《……》
しかし、シニアからの応答がない。
ヨハンは装具に身に着けている、端末水晶に表示されている記号を確認した。
表示上は問題なく、端末水晶は正常に稼働している。
「……また通信不良かよ?」
「ヨハン」
ソフィアが耳を引っ張ってきた。
「ちょっと待て……」
「だめ――何者かが私たちの通信使用帯域に妨害をかけている」
「んん? なんだそれ」
「強力な魔術の結界――それで、通信が妨害されている。全チャンネルが応答不可能。ホッグ中隊からの通信も途絶えた」
ヨハンは瞬いた。
「これは不味いぞ」
指揮官がそう言うと、ソフィアはいつもの無表情の顔から、汗を滴らせている。
目標を確保したミリアムたちが予定の経路を辿って移動中に、伏兵に遭ったのは端末水晶が不具合を起こしたのとほぼ同時だった。
「アンダー・ファイア!」
「防御態勢! 敵は北東! 距離は至近!」
ミリアムは部下に指示を下した。
担架ごと奪取した目標を木陰に隠して、自分たちも遮蔽物に隠れながら、敵のいる方角に見当をつけて速射する。
それに呼応して、敵の放つ銃弾が空気を切り裂く甲高い音や、地面に着弾した時に立てる、乾いた枝を折るような音が続く。
片目で覗くように窺うと木立の向こう、谷筋をはさんだ反対側の斜面から撃たれているのがわかった。
ミリアムが端末水晶をとって、指揮官に状況を報告して応援を頼もうとした時だった。
「っ!」
彼女は汗に濡れたような不快感を脇腹に感じた。
見ると、防護服の合金プレートをかすめながら、貫通した銃弾がめり込んで、血の染みが野戦服に広がりはじめていた。
撃たれた。
そう自覚したとたん、ミリアムは脳裏に様々なことがよぎっていく。
部下たちは無事だろうか、目標に流れ弾が当たっていないだろうか、自分の傷はどれくらい深いのだろうか。
そして指揮官――ヨハンは今、どこにいるのだろうかと。
「少尉! 少尉! 急所ははずれてます! お気をたしかに!」
ミリアムをメイソンが呼んだ。
彼は危険に身を晒すのを覚悟で散発的な銃撃を受けつつ、指揮官の元に駆けつけた。
「すまない、一等軍曹」
「それより傷の圧迫を――撃たれたらそうしろって、あなたが俺たちに教えたんでしょうがっ!」
「そうだった……」
ミリアムは自分の手で脇腹を押さえた。
手で押さえると血の滲みがどんどん広がっていく。
その瞬間、火傷に火を近づけたような、激しい痛みが彼女を襲った。
「っ!」
「だめです、しっかり押さえて!」
メイソンが代わって傷口を圧迫してくる。
「いいから、一等軍曹――そなたも、各個に反撃せよ。守勢にまわると、目標が危険だ」
「分隊! 制圧射撃をしながら、スモーク展開! ソフトカバーを作れ!」
メイソンは大声で残った部下たちに呼びかけて、煙幕を張るように指示した。
こうなったら、ここを動くことは難しい。
となれば、こちらに向かっているはずの、ヨハンたちを待つ他ない。
ミリアムの傷は急所をはずれていたものの、出血が多い――一刻も早い処置が必要だった。
煙幕が囲む中、徐々に敵が距離を詰めてくると部下が知らせてきた。
やがて、
「帝国軍よ――抵抗はやめたまえ」と呼びかけられた。
戦場に似つかわしくない、穏やかな少年の声だった。
メイソンが木の陰から覗くと、平服を来た浅黒い肌の少年が斜面の下にいた。
「これ以上、その女の子の血を流す必要はないと思うよ――投降した方がいい。決して、悪いようにしないことは、この僕が約束しよう」
まるで悪い夢だった。
敵の軍を背後に従えているのは、本当に普通の少年にしか見えなかった。
しかし、メイソンは長らく軍隊にいる。
大戦中の初期に、まだ軍曹になったばかりの彼は一度だけ魔族を見たことがある。
「僕の名は……」
魔族の少年が名乗ろうとしたとき、
「ん?」と彼は首をかしげた。
その足元から、赤い煙幕が立ち上る。
小隊と空軍との合同演習で、メイソンたちはそれを見たことがあった。
昼間の赤い煙は帝国軍において、上空の飛竜に対して近接航空支援の際に指示する攻撃目標だった。
「不味い! 伏せろ! デンジャークロース! アベンジャーが来るぞ!」
そう言って、メイソンはミリアムをかばうようにして、覆いかぶさった。
直後、上空から急降下してきた飛竜の主砲が、連続して地面に爆発を起こした。
着弾したのは、魔族の少年がいた辺りで、彼の従えていた人間の兵たちは、ただの一降下の斉射で、またたく間もなく残らず吹き飛ばされてしまった。
「無事かっ!?」
やや離れた場所から、擲弾筒を片手にヨハンが本隊とともに駆けてくるのが見えた。
到着が早いことと、後続がいないことから、おそらく彼はブラボーチームとの合流を待たずに、本隊のみで追いかけてきたのだろう。
ミリアムの意識がはっきりしていたら、おそらくその無謀な行動に、いつもの小言をはじめていたはずだ。
彼女に代わって、メイソンが声を張り上げる。
「無茶しすぎです! 大尉! もう少しで俺たちのほうがアベンジャーで吹っ飛ぶところでしたよ!」
そう抗議したものの、メイソンの表情は明るい。
「魔族の糞ったれはどこ行った!? いまので始末できたか?」
「君らには残念だろうけど――僕はまだここにいるよ」
飛竜の放つ火球のような大口径機関砲の毎分三九〇〇発もの速度で連射される火力を、魔族の少年は生身のまま耐え抜いたのだろうか。
どうやって凌いだのか見当もつかないが、服には焦げ跡ひとつとして見られない。
「君が指揮官のようだが――状況は変わらないと理解したら、降伏したまえ。停戦合意に基づいて階級に相応しい待遇を約束……」
「話が長ぇよ! ラジオ伝道師か手前は!」
ヨハンは魔族の少年が話しているのも構わず、小銃で狙いをつけるなり、弾倉の残弾を一気に速射した。
「今畜生! ずるいぞ!」
しかし、魔族の少年には銃弾が効かないのか無傷だった。
「不意打ちをしておいて罵倒するのは筋違いだ――交渉を拒絶するなら、やむを得ない。僕の近衛たちのように、君らにも一方的な死を与えよう」
魔族の少年は両手を合わせて、指を組み合わせると、ヨハンたちにはまったく聞き取れない言語で、謳い上げるように何事かを呟きはじめる。
「これは古代魔術の詠唱――彼は極大呪文を使おうとしている」
ソフィアがヨハンの耳たぶを引っ張って警告した。
その間に、魔族の少年の周囲には、詠唱によって徐々に古代語の数式に則った魔法陣が描かれ始めていく。
「あの野郎の弱点はなんだっ!? 十字架か! ニンニクか! それとも、賛美歌か! 誰か、歌えるやついないかっ!? 俺は〝気狂いアル〟の替え歌の方しか知らないんだ! そうだ、少尉! 元尼さんだろ、お前さんは! 起きろ! 逃げるぞ!」
無力な指揮官が喚いている肩の上で、ソフィアが事態の深刻さを説明する。
「極大魔術は術者本人が魔法陣の中心になって、四精霊の力を一点に集中して周囲に無差別に作用する――つまり、逃げ場はない。彼が予告した通り、間もなく私たちにはここで一方的な死が訪れる」
「マジかよ」
「ん――マジ」
ソフィアはどうにもならないとばかりに、うなだれている。
「いやいや、お前さんが二行以上も長く話したのは、これが初めてだろ」
「……」
絶体絶命だというのに、緊張感に乏しい上官の代わりに、妖精の少女は嘆息を漏らした。
その時、
《……ックス――シックス。こちら、ファイブ。感明を送れ》と呼ぶ声がした。
端末水晶の通信が回復したのか、シニアからの通信が届いた。
「なんだよ? 急に直ったぞ」
ヨハンが首を傾げると、ソフィアが答える。
「おそらく、通信帯域を妨害していた本人が、別の呪文を発動しようとしている」
「ああ、あのクロンボのガキか――なら、上のホッグに繋げ」
「でも、彼に通常火器は通用しない」
「いいからやれ! チャンネル〇‐八‐一だ!」
ソフィアはヨハンに強い口調で命じられるまま、再びホッグ・ワンとの間に通信を繋いだ。
「ホッグ・ワン、ホッグ・ワン! こちらハーレークイン・シックス! 至急、火力支援を要請! ブレイク、攻撃座標は――五三八‐九四二、五三八‐九四二! 南から進入し、マーク八四を全弾投下しろ! ブレイク、上空のハーキュリーズは東にトラフィックをとれ! ハーレークイン・シックス、アウト!」
ヨハンは早口で大雑把な位置を指示した。
それから、時間を稼ぐために、
「スモークアウト!」と言って、擲弾筒に白の煙幕弾を込めて撃った。
極大呪文の詠唱に入ったサムエルに向かって、煙幕弾は緩い放物線を描きながら飛んでいく。
指揮官に倣って、擲弾筒を携帯していた部下たちも煙幕弾を撃つと、辺りは濃霧のような煙が風にのって充満していった。
「逃げろ! 漕げ漕げ! ボート漕げだ! お嬢さんたち!」
「ヨハン、さっきの座標は間違ってる――彼には命中しない。その位置にあるのは、上流のダム湖」
「……まさか大尉」
ソフィアの忠告を聞いて、メイソンが何かを察した。
その間に、端末水晶を通じて、航空支援に来ている飛竜の通信チャンネルがそのままだったのか、彼らの交信がヨハンの端末にも混信してくる。
《ホッグ・ワン――ボムズ・アウェイ、ボムズ・アウェイ。着弾まで十六秒。ホッグ・スリーに告ぐ、爆撃効果判定をせよ。ツーとフォーも続いて投下するがいい》
数秒ほどおいて、遠くで遠雷のような轟音と地響きが立て続けに十数回にわたって聞こえてくる。
《ホッグ・スリーよりワンへ――目標に効果あり、効果あり。ハーレークイン小隊に警告しますか?》
《無用ぞ――そも、彼奴らはそれどころではなかろう》
ホッグ飛行中隊の指揮官が言う通り、ヨハンたちに応える余裕はなかった。
「みんな逃げるぞ――とにかく、今は斜面をのぼれ」
彼は後続の味方、ブラボーチームにも、谷筋に降りないように注意を呼びかけた。
併せてエコーチームの待っている場所で再編成を行うと伝えた。
「……シックス・アウト」
端末水晶の通信を閉じて、ヨハンはメイソンとともにミリアムを引っ張り上げていく。
間もなく、離れた場所にいるはずの魔族の少年の声が耳元で聞こえてくる。
《愚かな人間たちよ――君たちを葬る、僕の名を恐怖とともに胸に刻むがいい。僕はサムエル、宵の明星を司る魔族だ》
魔族の少年がそう宣言すると、頭上で暗雲が立ち込めていく。
それとともに、稲光が輝き、砲声のような轟音が轟きはじめた。
《我が霹靂にひれ伏すがいい!》
雷雲を呼び寄せて、狙った場所に雷を落とす――これがサムエルの極大呪文だった。
人間の姿のままで、こんなことをできるのだから、魔族というのは計り知れない力を持っている。
しかし、
「ん?」とサムエルは妙な物音に首を傾げた。
照準を合わせて、ヨハンたちに雷撃を見舞おうとしたとき、谷筋に立つ彼の背後には、突如として轟音を響かせながら土石流が流れこんできた。
「これを狙っていたのか――彼は」
サムエルは、必死でミリアムを引っ張り上げているヨハンを見上げた。
目が合うと、彼は指を二本立ててサムエルに向けた。
勝利宣言かと思えば、手首を返してそれを反対にする。
帝国の下町では伝統の相手を罵倒するときに使う最上級の合図だった。
「素敵な宣戦布告だね」
サムエルが推察した通り、ヨハンは谷筋にあるダム湖を固めている土壁を、上空にいるハーキュリーズに攻撃させた。
その結果、決壊したダムからは大量の土石流が谷筋に流れ込んでくる。
「……」
サムエルが振り上げた拳をそのままに、雷撃を落とす直前、彼は土石流の濁流に呑み込まれていった。
みるみるうちに水量が増して、そこには濁った川が現れた。
追手がないことを確認したヨハンたちは、先に飛竜に乗り込んだシニアたちを誘導して、予備の着陸地点で合流を図った。
キャビンの中で応急の救命処置を受けられたため、ミリアムの容態は基地に戻る前に安定した。
とはいえ深手には違いなく、しばらくは静養する必要があるとのことだった。
「ところで、大尉」
「ん?」
「目標はどうされましたか?」
「あ……」
シニアに訊かれて、ヨハンは火をつけようとした細巻きを取り落した。
指揮官に代わってソフィアが答える。
「今頃はあの土石流に流されてる」
「……大尉」
「いやだって、仕方ないだろっ!? 魔族だぞ、魔族! あんなヤバイのに絡まれて、こっちは大変だったんだ!」
ヨハンは情けない声を上げて弁解した。
しばらくして、シニアは嘆息まじりに言う。
「またこれも〝致し方ない犠牲〟ですか」
そう聞いたヨハンは大きく頷く。
「そうそうそれ――っていうかさ、どーせまた転生すんだろ? 来訪者って。じゃあ、いいじゃん?」
「小官はなにも聞かなかったことにします」
「私も――あと、機内は禁煙」
「まあ、水に流せってこった」
「泥水だったけど?」
「戦争に綺麗事は通じないもんな」
ヨハンとソフィアがこれ以上ないくらい不謹慎なことを言い合ったが、部下たちは疲れ切っており、誰も何も言わなかった。