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第4話 負けず嫌いの女騎士は上官に屈しない

――誰のせいかはわかりきっているが、ハーレークイン小隊の規律は緩んでいた。そんな彼らのもとに、帝国幼年学校の本年度の主席として卒業した、伯爵家の令嬢であるミリアムが少尉として副官に着任する。彼女にはハーレークイン小隊の実情を内偵するように上層部から密命が与えられていたのだが、それはセクハラと不埒な言動に振り回される受難の日々のはじまりだった。


 魔界連邦(れんぽう)との停戦合意が結ばれて間もなく、軍の再編(さいへん)とともに帝都の郊外にあった連隊基地が宙に浮いてしまった。

 ところが、統合参謀(さんぼう)本部のさらに上層部からの極秘(ごくひ)命令によって、そこは新設される第九九連隊の基地ということに決まった。

 その編成は奇妙(きみょう)なことに、陸軍の小隊がいくつかと空軍の一個輸送中隊、すなわち二人の飛竜と、さらには海軍の連絡将校(しょうこう)までもが駐屯(ちゅうとん)している。

 基地司令に()いたのは統合参謀本部を放逐(ほうちく)された黒い肌のボーマン大佐で、各部隊は彼の直属ということになっている。

 多分に政治的な理由で新設された、この得体の知れない基地を監視(かんし)するため、統合参謀本部は由緒(ゆいしょ)正しい家柄の出自である、幼年学校を卒業したばかりのミリアム・フォン・シメオン少尉に密命(みつめい)を与えた。

 彼女を第九九連隊直属のハーレークイン小隊の副官に就け、疑惑や問題があれば報告させるというのが、密命の主な内容だった。

 交換条件として、統合参謀本部からやってきた()()()()は、ミリアムに二年の任期を満了した(あかつき)には、彼女を近衛(このえ)連隊、それも騎兵として推薦(すいせん)することを約束した。

 騎士の家系に生まれたミリアムにとって、二年間の軍務を()たら騎兵として〝神姫(しんき)〟の近衛に就くというのは、これ以上なく魅力(みりょく)的な条件だった。

 そのためなら、どれほど危険であろうとも、どんなに(つら)い訓練だろうとも、()え忍ぶ覚悟を彼女は決めていた。

「お(むか)えに参上いたしました――フォン・シメオン少尉(しょうい)殿」

 下士官の制服を身に着けた隻眼(せきがん)壮年(そうねん)の軍人が、ミリアムに敬礼した。

「うむ」

 小隊長の代理として幼年学校に彼女を迎えに来た、隻眼の眼光を鋭く光らせる上級曹長(そうちょう)のシニアは偉丈夫(いじょうふ)の見た目に反して(おだ)やかで、落ち着き払った人物だった。

 ミリアムは隊長がどのような人柄なのかを()いた。

 書類に記述(きじゅつ)された情報だけなら、彼女も既に把握(はあく)している。

 軍人の家系であるスミス子爵(ししゃく)家の出身で、幼年学校を卒業後に一度前線へ(おもむ)き、休暇(きゅうか)中に遭遇(そうぐう)した、道化師の弑逆(しいぎゃく)未遂事件では憲兵(けんぺい)隊に協力した功績(こうせき)中尉(ちゅうい)に昇進、その後は中隊長として前線に復帰して間もなく、奇襲(きしゅう)作戦を立案して自ら部隊を率い、敵の野戦砲台を完全破壊した。

 豪放磊落(ごうほうらいらく)な青年将校だとミリアムは思っていた。

「少々、変わった方ですね」

 シニアは言った。

「気難しい方なのか? それとも」

「いいえ、少尉殿――どちらかというと、その対極と言ったほうが正確ですね。ただし、戦場にあっては、頼もしい上官でした。()()()()()()()、任務を達成するためには手段を選ばない方です」

 聞くと、このシニアと隊長は、戦時中の頃からの付き合いだそうだ。

 戦後、(ぞく)していた中隊が解散してから、シニアはいくつかの栄転の話を全て固辞(こじ)して今の部隊に加わったらしい。

 (おどろ)くべきことに隊長は、平民出のこの下士官の自宅をわざわざ訪ねて、頼み込んできたという。

 貴族階級出身の将校がそんなことをした話など、ミリアムは聞いたことがない。

「誤解を受けやすいものの、悪い人ではないかと思われます」

 帝都に向かう午後の列車の中で、シニアは言った。

「なるほど、よくわかった――ところで、隊長殿はいかがなさっておいでだ? やはり部隊の編成に奔走(ほんそう)しているのだろうか」

「はい――まあ」

 シニアは曖昧(あいまい)に頷いた。

 どうやら、詳細は彼も知らないらしい。

 だが、隊長は部隊の通信環境を構築(こうちく)するために、妖精族を准士官として(まね)くつもりだと彼は言った。

「不可能だ」

 ミリアムは断言して、現在の帝国法や妖精族の社会的な立場について、補足した。

「小官も、そう申し上げたのですが――なにやら妙計(みょうけい)がおありのご様子で」

 そんな中、列車の隣のボックス席で、鉱石ラジオを持ち込んだ紳士が音量を上げはじめた。

 早朝の速報で〝神姫〟の勅命(ちょくめい)によって、妖精族に帝国の市民権を付与する布告が、公布されたという。

「!?」

「……」

 ミリアムとシニアはそれぞれ、顔を見合わせた。

「隊長殿はこうなることをご存知だったのか……? 一体、どこからそのような情報を入手できたのだ?」

 ミリアムは深刻な顔になっていくのを自分でも感じた。

「いいえ――小官はなにも存じ上げません」

 ミリアムはまだ見ぬ上官の評価をあらためた。

 異例の出世を重ねて、二十代(なか)ばで大尉に昇進したこの人物は、統合参謀本部よりさらに上の組織、おそらくは帝国政府と独自に(つな)がりを持っているのだろうか。

 そこで得た情報網を駆使して、統合参謀本部より先に、妖精族を自分の部下につけようとしていたのだとしたら――かなり老獪(ろうかい)だと思われる。

 油断すれば、ミリアムの密命も看破(かんぱ)されてしまうかもしれない。

 前評判の通り、任務のためなら手段を選ばない人物なら、彼女の()びた密命にも既に気づいている可能性もあった。

 ミリアムはあらためて、この任務に気を引き締めてかかることに決めた。



 数日後。

 ミリアムは第九九連隊基地に着任した。

「身長は、五フィートの四インチ――上から三一のF、二六、三五ってとこか。どうだ? 当たってたら、なんか商品くれよ?」

 挨拶の敬礼もそこそこに、上官――ヨハンはミリアムに彼女のほぼ正確な体型を目測で測って言った。

「セクシャルハラスメントは即戒告(かいこく)処分」

 机の上に置かれた、大きめのカップで入浴しながら妖精の少女、ソフィアが言った。

 ここは本当に、()えある帝国陸軍の基地なのだろうか――ミリアムは頭痛がした。

 この士官用の執務室にいるのは、不躾(ぶしつけ)で若すぎる隊長と自由奔放(ほんぽう)な妖精の少女、廊下を挟んだ向かい側にある下士官用の談話室からは、博打(ばくち)嬌声(きょうせい)、外からはひっきりなしに銃声や格闘の騒音や罵声(ばせい)、筋力鍛錬(たんれん)器具が立てる耳障りな鈍い音。

 ミリアムの初めての任官先は、愚連隊(ぐれんたい)巣窟(そうくつ)だった。

「まあ、一服しろよ」

「あの、小官は煙草(たばこ)は――というか、未成年ですが」

 ミリアムは極めて常識的なことを言ったのだが、ヨハンは大げさに驚いてみせる。

「え、煙草って未成年は駄目なのか」

「帝国の法律上は駄目」

「なら、気にしなくていいってことだな――ホントにいらないのか? 基地司令、ボーマン大佐のシガーボックスから盗んできた上物(ハバナ)だぜ、これ」

「お構いなく」

 ミリアムは愛想(あいそ)笑いを固くして言った。

「うちについて、どんな説明を受けてきた?」

 ミリアムは自分が知っている範囲で――それを聞いたのが統合参謀本部から派遣された背広の男であることは省いて、上官の質問に答えた。

 その間、ヨハンは盗んだ葉巻に火をつけて、ミルクの泡が山盛りになったカプチーノを口に運んだ。

「……以上です」

「なんだか、聞いてるとうちの部隊って、陸軍の()()めみたいだな」

「というよりも愚連隊」

 ソフィアが無遠慮(ぶえんりょ)に言った。

 ミリアムは、自分が抱いた感想とまったく同じだったので、思わず失笑しそうになるのをこらえた。

「ま、とりあえず出撃命令が来るまでは、訓練をこなしていこうぜ――お前さんも、好きにやってくれ」

 ヨハンは言った。

「もう少し、具体的に命じて下さったほうが――小官はご承知の通り、幼年学校を卒業して間もない身でありますから」

 半分は本音だったが、ミリアムとしては隊長なら隊長らしくしろと、怒鳴りつけたい気分だった。

「お前さんも見てきたとおり、部隊の規律(きりつ)()()()緩んじまっててさ――その辺の引き締めを、副官殿には頼みたい」

 規律が緩んだのは、誰も何も言わなくても、指揮官がだらしないせいだとわかっているのだが、彼はとぼけて言った。

(かしこ)まりました――小官の微力を尽くして、この隊の綱紀粛正(こうきしゅくせい)を図ります」

 ミリアムは立礼して、丁寧な口調で言った。

 それを聞いていたソフィアが、入浴したまま泡だらけの手で拍手をして、ヨハンもそれに同調した。

「あと、これ」

 ヨハンは机から油紙のファイルを取り出して、ミリアムに差し出した。

 中身を確認すると、それは姓名を黒塗りされた幼年学校の成績表だった。

「さしあたって、それを最低限の目標にしろ――お前さんも士官なら、同じようにできるはずだ」

 項目別に見ていくと、かなり(かたよ)りのある成績だとミリアムには見て取れた。

 座学のほうは、数学の一部と地理を除いたほぼ全ての科目でミリアムの方が好成績だった。

 しかし、実技方面の部分を見たミリアムは瞠目(どうもく)した。

 特に射撃については、誤記載を疑いたくなるほどの腕前だ。

 幼年学校でこの記録を出したら、間違いなく帝国主催の全国大会に出場を推薦(すいせん)されるだろう。

 それに加え、戦闘記章のことごとくが上級で、普通ならばたとえ首席とはいえ、幼年学校を卒業したての少尉に求めるようなものではない。

 この上官は、自分の意志の及ばないところから着任したミリアムに無理難題を与えて、体よく追い出すつもりなのかもしれない。

 ヨハンの真意はわからなかったが、ミリアムは怒りを覚えずにはいられなかった。

「質問をご許可願えますか?」

「なんでも訊いてくれ」

「……では、申し上げます――大尉殿はこれらの成績を全て修めておいでなのでしょうか? 後学のために、お教え願えると幸いです」

 訊かれたヨハンは、

「うーん」と言って、細巻きを灰皿で消した。



 ミリアムは上官にあることを提案した。

 ようやく、小隊(しょうたい)の人員が(そろ)ったのだから、親睦(しんぼく)と自己紹介を兼ねた行軍射撃演習を開いてはどうかと。

 その上で、小隊を二つの分隊(ぶんたい)に分けて、片方はヨハンが率いて、もう片方がミリアムが率いる。

 歩兵連隊の教導(きょうどう)隊にいたことがあるシニアと、軍歴の長い一等軍曹の二人がそれを補佐して、審判と採点を行うということで話はまとまった。

 基地司令のボーマン大佐の許可を得て、ハーレークイン小隊は結成早々に演習という名目で出撃した。

 州境の山林の中腹にある幹線道路から、野戦装備を身に着けた軍人たちがぞろぞろと軍用のトラックから降りて、整列していく。

 勝敗が決着した暁には、ミリアムの方針に従って、小隊は綱紀粛正をすること、という条件を彼女は出した。

「それはいいが――()()()、お前さんが負けたらどうすんだ? なんでも俺の好きにしていいのか? 例えば、そこに実ってる()()()(ねぶ)るとか」

 ヨハンは何かを()みしだくような仕草をしながら、ミリアムの胸元を見て言った。

 ミリアムはいやらしい目つきをした上官を前に、

「常識の範囲内でお願いします」と言った。

 ところが、彼は首をかしげる。

「常識ねえ――それって、絶対に間違えたりしないけど、他人の金勘定しかやったことない、無責任な銀行員みたいなもんだってことだよな。西()()()()()()()()が言ってたぜ? そんなもんに従うのが大事なことか」

 人数の割り振り上、片方の分隊が一人少なくなった。

「私がヨハンの方に入る――これで平等」

 ソフィアが言った。

 人数の上ではそうだが、射撃を含む演習では妖精族の出番はそれほどないはずだ。

 そうであれば、射手が多い方が有利だと言える。

「両者とも――よろしいですか?」

「ちょっと待った――俺の分隊が勝ったら、少尉には全員にビールを振る舞ってもらおう。おいお前さんたち! 手を抜いてくれたら、少尉がビールを(おご)ってくれるぞ! いいな、手加減しろよ!」

 ヨハンは大声を張って言った。

 ミリアムは憮然(ぶぜん)として、嘆息(たんそく)した。

 シニアから、彼は勝つために手段を選ばないと聞いていたが、この程度で職業軍人の下士官たちが懐柔(かいじゅう)できるなら、苦労はない。

「絶対、あんな人に負けたくない」

 ミリアムは誰にも聞こえないように、口の中で(つぶや)いた。



 軍隊の、それも歩兵の基本は文字通り歩くことだ。

 それに従って、この日、シニアが設定した目標は指定された座標(グリッド)の場所を通過しながら、指定された区画を飛竜の発着点(LZ)として確保することだった。

 その後は野営地点を確保して、一等軍曹たち審判員が武装ゲリラとして襲撃するかもしれないので、それに対応する。

 翌朝は来た道を折り返して、往路(おうろ)とは別の指定された場所を通過する。

 最後は近くにある陸軍の基地に到着して、そこの射撃場で分隊ごとに指定された弾数を発砲して、総合的な優劣を決するという流れだった。

 ほぼまる二日間にわたる演習で、()()()()に過酷なものだといえる。

 とはいえ、この結果を見ればヨハンの指揮官としての能力が正確に把握できるだろう。

 勝敗よりもミリアムはそちらの方を知ることが目的だった。

「時間です」

 シニアが時計を見ながら、静かに言った。

「ブラボー分隊、前へ」

 ミリアムはそう言って、ホーキンス二等軍曹(ぐんそう)に先導を命じると自らは二番手に付いて、進行方向を絶えず確認する。

 始まる前は、日頃から緩い規律に親しんだ彼らが、果たして急に現れた副官である自分の命令に、素直に従ってくれるかどうか不安だった。

 しかし、部下たちは演習中は意外なほど従順で忠実だった。

 最初のチェックポイントを通過した頃だ。

「少尉殿――前方にコンタクトあり」

 先導する二等軍曹(ホーキンス)が言うと、ミリアムは手信号(ハンドシグナル)で部下たちにその場で姿勢を下げるように命じた。

「おそらく、先行したアルファですね」

 ヨハンが率いる分隊は、一時間前に出発したはずだ。

 ミリアムは彼らに追いつくために、序盤から行軍速度を上げていた。

 離れた場所で観察していると、アルファ分隊は何かを探している様子だった。

 道に迷っているという感じではなく、何かの目標物を探している雰囲気だ。

「ああ、なるほど」

 ホーキンスが何かに気がついたようだ。

「言ってくれ、二等軍曹」

 ミリアムは部下に発言を許した。

「水場を探してるんでしょう――明日の夕方は、この辺りを通りますからね」

「補給なら、別の場所でできるようになっていたはずだが――なぜそんな無駄なことをするのだ」

「大尉は変わってますから」

 ミリアムはこの後のことを考えた。

「……」

 ヨハンたちを追い越して、先に進むか――あるいは彼らに(なら)って、この辺りの水場を確認しておくべきか。

 あの上官のことだから、素直に通してくれても、自分たちに道案内をさせて楽をするつもりかも知れないとミリアムは考えた。

 しかし、それでは彼らは一時間の点差を容認することになってしまう。

 それだけの点差が開くならば、最後の射撃でかなり優位に立てるだろう。

 それに、ミリアムは射撃というものがどうも苦手だった。

 点数だけは平均を保てるのだが、他の成績が優秀なだけに、その部分が悪目立(わるめだち)ちしてしまうことを彼女は気にしていた。

「先導を交代、速度を落としつつアルファを追い越す――これで、我々はさらに優位に立てるだろう」

「了解」

 ミリアムは小休止をとらせていた部下たちを立たせ、行軍を再開した。

 それからは、さほどの障害もなくチェックポイントを通過し、ミリアムたちの分隊は飛竜の発着場を確保して、野営地で交代しながら休息をとった。

「敵襲!」

 防水透湿のビビイサックでくるんだ寝袋の中で眠りにつけずにいたミリアムは、歩哨(ほしょう)に立っていた部下の声を耳にして目を開いた。

「分隊、制圧射撃しながら交互躍進(やくしん)! 敵は寡兵(かへい)だ! 火力の優位を崩すな!」

 ミリアムの的確な指示で、武装ゲリラ役の一等軍曹はあっさりと降服した。

 彼女は拘束した一等軍曹を尋問(じんもん)し、ヨハンの率いる分隊の状況を聞いた。

「ああ、大尉たちなら、とっくに移動してましたよ」

「えっ!?」

 予定では、野営地点を確保する時間のはずだ。

 しかし一等軍曹はさも当然と言わんばかりに告げる。

「いいえ、少尉――上級曹長が(おっしゃ)ってたでしょう? 〝野営地点を確保し、武装ゲリラの奇襲に対応する〟と。野営地点を確保してもそこで野営するかどうか、各分隊指揮官が判断することです。また、武装ゲリラに対しては、交戦以外の方法で対処することを禁じられていません」

「やられた!」

 ミリアムは歯噛(はが)みした。

 おそらく、ヨハンたちはミリアムの分隊がここで野営の準備に入るところを見ていたのだろう。

 そこで、自分たちは野営地点の確保()()して、先に進んだのだ。

 ミリアムは部下をまとめて、ホーキンス二等軍曹に事情を話した。

「私の判断が間違っていたようだ――今から出立(しゅったつ)して、再びアルファを追い越すことは可能だろうか?」

「大変だとは思いますが、おそらくは可能かと」

「部下たちに()びねば」

「いえいえ、少尉殿――お気持ちだけで。それに、()()()()は慣れっこですよ」

 ホーキンスはミリアムの殊勝(しゅしょう)な態度に、

「まだ負けてはいませんよ」と人当たりのいい笑みで言った。

 それに後押しされるように、ミリアムは再び進む勇気を貰えたような気がしてくる。

 ミリアムのブラボー分隊は、それからかなりの無理をして、チェックポイントを通過していった。

 最後のチェックポイントを通り、近くの陸軍基地が近づいたときに、歩いているヨハンたちが目視できた。

 目標が見えると、自然とミリアムたちは駆け足のペースが上がっていく。

 そして、ついに再び彼らを追い越した。

 陸軍の基地にたどり着いたミリアムたちは、息を整えると、用意された的を狙い撃っていく。

 射撃が終わって、シニアが一等軍曹の報告を聞きながら、ブラボー分隊の総合点を集計した。

 その頃になって、ようやくヨハンたちが到着した。

「え、すごいな――お前さんたち、もう全部クリアか」

 上官は素直に感心していたようだ。

 彼がなにかを言いかけたとき、野戦服の胸ポケットからソフィアが顔を出した。

「ヨハン――まだ()()()()()()()

「おっと、そうだったな」

 彼はそう言って、射撃場に並んでいる部下たちのところに戻った。

 彼らの、というよりもヨハンの射撃の腕前が気になったミリアムは、その様子を見に行くことにした。

「よーし、お嬢さんたち――お前らの弾倉、全部俺によこせ。あとは自由にしてていいからな、お疲れさん」

「へーい」

 さらに部下たちから、小銃の弾倉を回収していく。

「……?」

 不思議に思いながら見ていると、ヨハンは部下たちにその場で休憩(きゅうけい)をとらせて、自分一人で射撃をしていく。

「なっ!?」

 ヨハンは次々に、的のほぼ中心を射抜いて、自分のだけではなく分隊員全員の射撃を一人でこなしていった。

 あっという間に全ての射撃を終え、ヨハンは汗を(ぬぐ)いながらも涼しい顔のまま、集合場所に戻ってきた。

 間もなく、両分隊の成績が発表された。

 行軍ではミリアムの分隊が一時間以上の点差をつけたものの、最後の射撃で大差をつけられた結果、点数では結局逆転されてしまっていた。

「納得いきません!」

 ミリアムは抗議(こうぎ)した。

 野営の際の判断といい、ヨハンは指揮官としてほとんど奇策ばかりを(ろう)していたし、最後の射撃にいたっては、ほとんど反則だろう、と。

「少尉殿のご指摘には一理あるものの――小官としては、今回の演習ではやはり大尉に軍配が上げたいと存じます」

 シニアは言った。

「なぜか? 理由を申せ」

「ご自分の(ひき)いていらした部下たちを(かえり)みてごらんなさい――ほぼ同じ目標をこなしていながら、なぜこれほど疲労に差が出ているのでしょうか?」

「……」

 ミリアムの率いていたブラボー分隊は、疲労困憊(こんぱい)といった様子だ。

 それに対してアルファ分隊は、疲れてこそいたが、談笑する程度の余力は残している。

「指揮官たるもの――場当たり的な判断で、部下をいたずらに疲弊(ひへい)させるべきではありません。もしも今、敵襲があったとします。ブラボー分隊と少尉は、戦力として機能しますか?」

 シニアは相変わらず、穏やかな口調で訊いた。

 ミリアムが歯噛みしていると、そこにヨハンが近づいてきて言う。

「反省会はあとにしろよ――日頃、鈍ってた部下どもに(かつ)を入れられたし、俺も少尉もこれでお互いがどんな指揮官か、よくわかった。演習は成功だろ? そもそも、今回はどっちが優れた指揮官かを計ることじゃなくて、親睦を図るのが目的だったはずだぜ」

 ミリアムは顔を上げた。

「ヨハンが()()()()訓示をするのはこれが初めて」

 野戦服のポケットから出てきて、ソフィアが言った。

「そんなことより、早くノーマッドに帰ってビールを飲もうぜ――約束通り、少尉の(おご)りでな!」



 迎えに来た軍用トラックに分乗して、演習を終えたハーレークイン小隊は帝都の前で馬車に乗り換えると、第九九連隊基地に戻った。

 シャワーで汗を流して、談話室に戻ってくるとミリアムの歓迎会を()ねた、小隊の結成式という名の宴会(えんかい)が始まった。

 ヨハンはミリアムを見つけると、彼女の背中を強引に押して、中心の上座に座らせると、部下たちに声を張った。

「少尉殿、このたびはごちそうさまです! お前さんらも、少尉に礼を言っとけよ! 今日の酒代は、全部このおっぱいの懐から出てんだから!」

「おお!」

「さすが貴族様!」

「ありがたやありがたや」

「どうぞ、少尉殿」

「今日は惜しかったですね」

 部下たちは口々に言って、ミリアムに酒を()いだり、ケータリングの料理、というより彼らの好物ばかりを集めた、ジャンクフードの山を皿に取り分けていく。

「おっと、もうオネムの時間か」

 ヨハンは自分の肩に座っていたソフィアが首にもたれかかってくると言った。

「妖精は徹夜なんて野蛮(やばん)なことはしないのに――ヨハンが昨日は寝かせてくれなかったのが悪い」

 ヨハンはその場に転がっていたビールの木箱を使って、手ぬぐいや吸い取り紙を駆使して即席のソフィアの仮眠室を作った。

「もう無理――寝る」

 ソフィアはそこに横になると、あっという間に眠りについた。

 妙に静かだと思えば、屈強(くっきょう)な軍曹たちがこぞって、可憐(かれん)な妖精の少女の寝顔を代わる代わるに見とれていた。

「そんじゃ、お開きにしますか」

 一等軍曹の一人、メイソンが声を落として言った。

「明日は午前中は半休でいいよな? 少尉」

 ヨハンがミリアムに()いてきた。

 すっかり忘れていたが、彼女はこの隊の副官だった。

「は、はい――大尉」

「よし、では解散しろ――お嬢さんたち」

 小隊の下士官たちとシニアはそれぞれに、指揮官と副官に敬礼して足音を忍ばせながら談話室を出ていった。

「小官もそろそろお(いとま)いたします――今さらですが、ご無礼の数々をお許しください。大尉のことを誤解しておりました」

「なんだ、未成年だって断ってたのに、(にお)いで酔っ払っちまったか?」

 ようやく素直さをみせたというのに、茶化されたミリアムは、

「っ!」と声を荒げそうになった。

「ちょい待ち」

 ヨハンの指先を目で追って、安らかな寝息を立てているソフィアに気づいた彼女は言葉を飲み込んだ。

「ちょっと付き合えよ、少尉」

「え――はい、大尉」

 二人が執務室に移動すると、ヨハンは少々もたつきながら、コーヒーを()れた。

「悪いがこれで我慢してくれ」

 彼はそう言って、ブラックのコーヒーをストレートで(すす)った。

 手にしているカップに見覚えがあると思ったら、ソフィアが入浴に使っていたものと同じだった。

「恐縮です」

 ミリアムは社交辞令を告げて、カップを受け取った。

「演習ではよくやってたようだな――メイソンが()めてたぜ。部下をまとめてたし、不測の事態にも冷静に対処できてたって」

「いえ、そんなことは――大尉には結局、(かな)いませんでしたし」

「なんだ、マジでそんなこと気にしてたのか――俺はてっきり、方便だと思ってたぞ」

 ミリアムは(またた)いた。

「方便、とは?」

「いやだから、俺がちゃんと部隊を仕切ってるかどうか、調べに来たんだろ? 誰の命令かは知らないが」

「……ご存知でしたか」

「まあ、あのタイミングで統合参謀(さんぼう)本部から、お(たっ)しが来たら――気づいちゃうって。お前さんの落ち度じゃない」

 この上官は落ち着き払っているが、やはり油断できない相手だと思った。

 しかしわからないのは、彼がなぜこんなことを言い出したのかだ。

「はあ」

 対処に困って、ミリアムはコーヒーの香りだけを味わいながら、曖昧な返事を返してしまった。

 思った以上に疲れが溜まっているのだろう。

「ここに、お前さんを含めて、五人の副官候補者の経歴書があるんだが――副官人事のお達しがある前から、シニアはお前さんを副官の候補として検討してたらしい。俺たちよりずっと長い間、軍にいたオッサンに、優秀だって見込まれてたんだぜ」

 ミリアムは意外な言葉に、目を上げた。

「そう、なんですか」

「ああ――俺は嘘ついたことなんか、()()()()()()()んだ」

 ヨハンは大真面目な口調で言った。

「それ、嘘つきの常套句ですよ――大尉」

「へぇえ、そうなんだ」

「はい」

 思えば、ミリアムは初めてこの上官と素直に話をしているような気がした。

「まあ、それは置いといて――俺がなにを言いたいかっていうとだ。お前さんが何か、上から特命を帯びてようがなんだろうが、副官としての任務を全うしてくれれば、それでいいんだ。なにしろ、俺は()()()()だから。な? 頼むぜ、学級委員長」

 ヨハンはそう言って、細巻きに火をつけた。



 それから数週間、ハーレークイン小隊にはいまだに出動命令が下りず、訓練の日々が続いた。

 指導に当たったのは主にシニアで、(ひか)えめに言ってそれは地獄よりも過酷(かこく)なものだといえた。

 その間に、ミリアムの射撃の腕前は少しずつ向上した。

「その位置だと的までは三〇四ヤード――ゼロ点を二〇〇でとってるなら、狙点(そてん)はもうちょっと上だ。的の枠にかすめる辺りを狙ってみろ」

 彼女が小銃で人型の的を撃っていると、背後でそれを監督しているヨハンが言った。

 半信半疑で撃った弾丸は的の頭を射抜いた。

「自分が構えた時に見える、照準(しょうじゅん)照星(しょうせい)照門(しょうもん)のラジアン単位を把握(はあく)するんだな――シュトルヒ法って、砲科の座学で習っただろ? 的の大きさがほぼ一定なら、三角比で目標までの距離は簡単に割り出せる。人体なら胴体の幅は一フィート五インチ、高さは立ってれば六フィート、座ってるなら四フィートって具合で計算すればいい。多少の誤差は出るが、どうせ風で弾は流されるし精密な狙撃をするわけじゃないから、それで充分だ」

 小銃の弾丸は、火薬で撃ち出されてから真っ直ぐではなく、緩やかな()を描く弾道で飛んでいく。

 そのため、遠い的を狙う際には上を狙う――または照準の高さを変えるといった工夫が必要だったが、具体的にどの程度の角度をつけるべきかは、狙う的と彼我の距離を把握することが必要だ。

 ヨハンはとりわけ、この能力に(ひい)でていた――この距離を割り出すシュトルヒ法を応用して、彼は彼我の距離が正確にわかっている時には、相手の身長や各部の寸法を正確に目測できるらしい。

「だからお前さんのスリーサイズも正確だったろ? 射的の秘訣(ひけつ)()()()()()()()()()ってな」

「……」

 途中までは真面目に講義をしていたというのに、最後に余計な一言を()えて彼はミリアムを(いら)立たせた。

 また、今後の作戦に必須だと言われた上級空挺記章も、あと一度の夜間降下訓練で取得できるところまで課程を修めてきた。

 ミリアムはミリアムで、小隊の他の隊員たちに、野戦時の応急処置(IT)救命処置(CPR)に関する講義では教官を務めることになった。

 実家から離れたい一心で、全寮制の修道院に通っていた経験がここで活かされることになるとは思っていなかった。

 それに、経験不足の自分がこの小隊の中で、必要な人材なのだと自覚できたことは素直に喜ばしかった。

 教官に指名されたこともあって、ミリアムはヨハンという上官のことを、徐々に見直しはじめた。

 普段の言動こそ、およそ士官らしからぬところがあるものの、演習や訓練といった、人の命が関わる場面になると彼は別人のように、模範(もはん)的な将校として部下を統率する。

 また、教導隊に長く務めていたことのあるシニアの訓練は厳しかったが、着実に小隊の能力を底上げしていった。

 そのシニアに、上官の過去について少し聞くと、非公式の情報ながら道化師の弑逆(しいぎゃく)未遂事件では爆弾から〝神姫〟を身を(てい)して(かば)ったそうだ。

 ミリアムは愕然(がくぜん)とした。

 あの上官が、まさか救国の英雄だとは、とても信じられなかった。

 そうしたこともあって、ヨハンに対する評価を改めていたのだが。

「……あ」

 ミリアムがシャワー室から出たときに、脱衣所でヨハンと目が合った。

「大尉! 今は女性の時間です!」

 咄嗟(とっさ)にタオルで身体を隠しながら、彼女は声を張った。

 内心では激しく狼狽(ろうばい)していたのだが、驚きつつもとその場にいたのがヨハンだけだったことに、(わず)かに彼女は安堵(あんど)していた。

「いや、違うんだこれは――聞いてくれ」

 ヨハンは弁解をはじめた。

 彼は初めて会ったときから、ミリアムのことを気にしていたのだと言った。

「え……」

 ミリアムが(またた)くと、ヨハンはさらに、彼女のことでどうしても確かめたいことがあると語ってきた。

「な、なんですか?」

「ちよっと待て――確認する」

 そう言って、ヨハンはミリアムが用意していた下着を勝手に広げた。

「ちょっと!」

「お、やっぱ合ってたな――三一のFだ。な? やっぱり、俺の目は確かだったわけだ。ん? どうした? なんで肩を震わせてんだ? 湯冷めか?」

「……」

 ミリアムは無言で、手近にあった空の洗濯(かご)(つか)んで投げつけた。

「いきなりなんだよっ!?」

 さらにミリアムは、別の凶器――手の届くものならばなんでも手にとって、次々に投げながら、大声で言う。

「それはこちらの台詞(せりふ)です! よりにもよって、婦女子の入浴している脱衣所に忍び込んで、本人に断りなく下着を調べるなんて! それが帝国軍人――いいえ、人として間違っているとは思わなかったんですか!」

「男なら誰だってやることだ!」

 ヨハンは反論した。

「こんな馬鹿な真似(まね)をするのは大尉だけです!」

 そう言って、ミリアムは両手で持った洗濯籠をヨハンの頭からぶつけるように(かぶ)らせた。

 身動きのできなくなった上官から、下着を取り返した彼女は隣接しているトイレに飛び込んで、手早く着替えを済ませた。

 脱衣所に戻って、ヨハンをさらに叱責(しっせき)しようとしたが、上官は既に逃げ出してしまったようで、どこにも姿はなかった。

 それから二日間、ミリアムは怒りが収まらず、職務上に必要ないかぎり、不埒(ふらち)な上官とはいっさい口を()かなかった。

「マジマンジでごめん――これをやるから、この前のことは水に流してくれ」

「……」

 そう言って箱をあけて見せてきたのは、彼がよく()いている下着だった。

「一体なにを考えておいでですかっ!?」

「またセクシャルハラスメント?」

「俺が悪かった! 許してくれ!」

 そう言って、ヨハンは箱から自分の下着を差し出してくるが、ミリアムにしてみれば可燃ごみを押し付けられるよりも不愉快(ふゆかい)だった。

「要りません! そんな汚いもの!」

「汚くない! ちゃんと洗ったもん!」

 そうして執務室で朝から騒いでいると、

「お二人とも仲なおりができてよかったですねえ」とシニアが微笑して言った。



 そしてある日、上官と小隊軍曹の二人は統合参謀本部に出頭した。

 戻ってきた彼らは出撃命令が下ったことを知らせてきた。

 こうして、ミリアムの受難の日々が始まった。

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