第16話 古城を見学する時の入館料を踏み倒した結果
――謹慎中にも関わらず、ヨハンは統合参謀本部の次席幕僚、スヴェンソン准将に呼び出される。彼は謹慎中という表向きの立場を利用して、ハーレークイン小隊に危険な暗殺任務を課してきた。大陸横断鉄道のテロを阻止できなかった雪辱を果たすために、ヨハンは部下を率いて強敵の待ち受ける古城を攻める。
「!」
気絶していたヨハンは起き上がって、咄嗟に胸のポケットを見た。
そこにいたはずのソフィアの姿がなく、彼の背中を冷たい汗が伝っていく。
「私が生きてて嬉しい?」
不意に背後から言われて、ヨハンの肩に馴染みのある体重がかかった。
彼は妖精の少女の問いかけには答えず、大きく嘆息して、
「現状を報告」と言った。
「ハーキュリーズは対空砲の直撃で即死。それから、分隊のラング三等軍曹とウィリアムズ伍長が墜落で戦死」
「今畜生め――目標は?」
ヨハンは足元を一瞥して訊いた。
「無事――それと、ホーキンス二等軍曹が偵察に出た。二分で戻る」
彼らが生死の境目に立っているのと同じ頃、ミリアムとシニアを始めとした他の部下たちもまた窮地に陥っていた。
帝国と魔界の歴史的な講和がもたらした影響は広範に渡る。
それを受けたのは、当事国ではなく両国に挟まれた大河の中洲に浮かぶ都市国家郡だった。
まず、帝国と魔界はそれぞれ、都市国家郡の全国と十年の不可侵条約を結んだ。
これによって両国は事実上、相手国に攻め込むのが難しくなった。
また、その中心であり、横断鉄道が走るリーベルラント共和国には帝国と魔界の高等弁務官事務所が設置され、魔界と帝国の本土にはそれぞれに両国の大使館が置かれることが決められた。
問題は、どこに弁務官事務所を設置するか――だったのだが、
〝同じ建物にしてはいかがか〟とサムエルは提案をした。
外交の場に集った中で、帝国軍の代表と外務次官の眉が動いた。
〝旧郵便局が適している――違うかね? 次官殿〟
褐色の美少年はそう言って、艶めかしい微笑を浮かべた。
リーベルラントの首都にある旧郵便局は、大戦が始まる以前に帝国の民間会社が買い取っていた。
しかし、その実態は諜報機関の前線基地だった。
この件に関しては帝国と魔界というより、帝国の内部で議論が紛糾した。
軍事機密が漏れた責任の所在を、外務省と陸軍省が互いになすりつけあったためだ。
諜報活動の拠点であることを示す証拠を隠滅するため、時間と労力が必要となった。
この間に帝国は、防火法を改正しそれに基づく改装をリーベルラント政府に承認してもらうことで、魔界からの追求を逃れることに成功した。
こうしてサムエルの提案を受け入れることができた。
帝国の譲歩と引き換えに、魔界の王太子は旧郵便局の改装にかかる費用の半額を、金貨立てで負担することに同意した。
それ以外にも帝都と魔界連邦の首都府の大使館には治外法権を適用すること、大使以下の職員と駐在武官には外交官特権を付与することなどが決まった。
領海はこれまでの十二海里のままとする一方で、交易を担う民間船舶や飛竜の航行、排他的経済水域内での漁船の操業といった経済活動に関しては規制を緩和する。
市民生活においてはこれが最も重要なことだが、この講和によって魔界と帝国の市民は国家の発行する旅券を申請が受理されれば交付される。
これによって入国審査を通過した者は、自由に帝国と魔界に立ち入ることができるようになる。
しかし、その適用範囲について帝国の首脳たちは頭を悩ませた。
これは〝神姫〟の安全保障に絡んでくる問題だったためだ。
宮内尚書を筆頭にした関係各機関の長たちと各軍の元帥たちが謁見の間に集っていた。
整列して彼らの拝謁を受けている、ヴィクトリアが聖断を下す場で経緯を聞いた彼女は即決した。
玉座の傍らには剣を腰に差し、軍装のマイアが控えている。
〝神姫〟は絹の御簾の内側で玉座にあり、仰いでいた扇子を閉じて言う。
「真の平和を目指すならば――両国が対等な立場にならねばなりません。そのように計らいなさい」
その場にいた内務尚書はしかし尋ねずにはいられなかった――安全保障はどうするのかと。
例えば祭祀や行事といった、宮殿の外で執り行なわれる国事行為の際に、観光客に扮したテロリスト、または外国の破壊工作員が弑逆を企てる可能性は否定できない。
内務尚書は帝都を例外に含むように諫言した。
これにヴィクトリアは穏やかな口調で応じる。
「内務尚書の言に、わたくしは少なからず驚いています――まず、帝都憲兵総監に問います。数年前の弑逆未遂事件は、魔界連邦によって引き起こされたことが明らかでしょうか。お答えを」
「いいえ――陛下。そのような事実は現在のところ、確認されてございませぬ」
元帥はそう言って頭を垂れた。
「次に統帥本部総長、統合参謀本部議長、各軍の長官方に問います――我が軍の存在意義は帝国の臣民と版図、そして我が身を鎮守するために万全を尽くすと記憶しています。これに異議はありますか。統帥本部総長に発言を許します」
「ございませぬ――陛下」
回答を受けて、御簾の中のヴィクトリアは頷いた。
「ヴィクトリアは各方の忠誠を疑いません――されど、さきほどの内務尚書の弁には遺憾を表明せざるを得ません。卿はなにを以て、これまで事実が確認されていない、魔界よりの刺客が〝神姫〟を害する脅威のみをことさらに訴えるのですか。将来に生じ得るという曖昧な憶測に拠って政を進めようとすることには感心しません。ましてや、我が身を建前に利用されるのは心外です」
ヴィクトリアは内務尚書の懸念に頭上から剣を振り下ろすように言った。
さらに彼女は今度は宮内尚書に告げる。
「来年の収穫祭――秋の園遊会にはサムエル殿下をご招待します。以後、同様の行事や国事行為、公務には魔界の要人を招くこと。同時に、あちらからのご招待にも応じなさい。必要があれば、わたくしも魔界の土を踏みましょう。両国の友好関係を構築し、一刻も早い戦後からの脱却に尽くしなさい」
帝国の重鎮たちが頭を垂れていると、ヴィクトリアは止めを刺す。
「以上を〝神託〟として授けます」
いつもの統合参謀本部ではなく陸軍省に召喚されたヨハンは、そこで次席幕僚の一人であるスヴェンソン准将から新しい任務を命じられた。
ハーレークイン小隊が謹慎処分を受けている間、陸軍は秘密裏に情報を集めていた。
二つの大陸を横断する鉄道、リーベルラントの魔界側の橋脚が爆破された件で浮上した海運会社と、帝国海軍の一部の将校が内通している疑いが濃厚となったのだった。
そこで、陸軍省は内密で動くため統合参謀本部を介さず、謹慎中のヨハンたちを使って、その海運会社の拠点を急襲して事件の首謀者を確保するつもりらしい。
その際、標的の抹殺をスヴェンソン准将は厳命した。
ハーレークイン小隊を民間人として現地に派遣、非合法の暗殺――これはつまり超法規的な作戦だった。
民間人を装った少数部隊による国内での非合法作戦がどれほど危険なのかを即座に理解したシニアは、上官に返答まで数日の猶予をもらうように助言したのだが、
〝なにをやってもいいですね?〟とスヴェンソン准将に念を押した。
基地に戻ったヨハンは、ミリアムとソフィアを含めて自主訓練中だったり休憩していた下士官たちをはじめ、小隊の全員を談話室に集める。
謹慎処分が予定よりも早く解けたのかと期待した彼らにヨハンは言う。
「秘密の任務でテロの主犯を暗殺しに行く作戦、はーじまーるよー」
兵舎の談話室に現れるなり、ヨハンは言った。
「難易度は特A級、味方の支援は一切なし、ついでに俺たちは名無しのテロリストに化けるぞ」
「はい?」
「なにそれ面白そう」
ミリアムとソフィアはそれぞれに違う表情を見せた。
「いやー、頭の固い役人根性丸出しの制服組かと思ったら――スヴェンソン准将って、けっこう話のわかる人だったわ」
作戦の概要を語るヨハンの口調は朗らかで明るい――上官がこういう調子のときは、決まって厄介事を持ち帰っているとミリアムも理解していた。
「あの――大尉?」
「少し派手に揺さぶりをかけ、混乱に乗じて警備を皆殺しにして目標を叩く――で、一気に撤収。こういうのは単純な手を使うのが一番手っ取り早いだろ?」
副官の言葉を遮ってヨハンは言った。
「民間人を装う以上――いくつかの問題が生じることが懸念されます」
隣にいたシニアが見かねて補足した。
「まず第一に、これは秘匿作戦です――よって、大尉が仰った通り、公式な支援は一切受けられません。第二に、我々は民間人として行動するため、万が一当局に逮捕されれば、処罰は免れ得ません。そして軍法会議ではなく、公開の場で裁判にかけられます。また、騒ぎが大きくなるほど、近辺に駐屯している何も知らない帝国軍と交戦する場面も出てくるでしょう」
「その通り!」
ミリアムは大きく頷いた。
一方で、ヨハンはそうした危険や懸念などまるで眼中にないかのように言う。
「テロリストに勝つ方法――それは、自分たちがテロリストになることだ」
「わたしも目出し帽が欲しい」
「特務准尉まで……」
「問題はそれだけではありません――こちらを御覧ください」
シニアはスヴェンソン准将から預かってきた、陸軍情報部の集めた現時点でわかっている、海運会社に関する情報をまとめた資料を広げた。
「件の海運会社は独自に警備部門を保有しています――要するに私兵集団ですが、彼らは元海軍の陸戦隊、それも戦闘教導団の第六連隊の出身です」
「うーわ、マジかよ――あ、マジだわ。やっべえなこれ」
「戦闘教導団……」
ヨハンとミリアムはそれぞれに戦慄したような顔をしていた。
二人だけではなく、談話室に集まった歴戦の下士官たちも、表情を硬くしていた。
帝国海軍は発足当初から陸軍と任務の受領を巡って対立してきた歴史がある。
そこで彼らは、陸軍に匹敵する陸戦隊を組織することにした。
そのために創設されたのが海軍陸戦教導団だった。
その戦闘要員は全員が上級空挺記章を持ち、指揮官を始めとした実働部隊には各分野の専門家が集っている。
その中でも強襲上陸や先遣偵察、工作活動を専門とするのが第六連隊と称される部隊だ。
彼らが帝国にもたらした戦果は、ハーレークイン小隊の戦歴とは比較にならない。
公式には彼らは魔界連邦との大戦が勃発したその日から、実戦に投入されたことになっている。
しかし、それ以前の軍事衝突や突発的な事象への対処に、秘密裏に駆り出されていた形跡がある。
構成される隊員の選抜方法の詳細は不明なものの、選考会が開かれるたびに参加者の一割が事故死するという過酷さで知られていた。
その実力は陸軍の最精鋭を集めた近衛連隊をも凌駕するという。
〝神姫〟を鎮護する近衛連隊の衛士たちは、陸軍大学の試算では並みの兵の三倍に相当する戦闘能力を有しているとの結果が出ている。
シニアが見たところ二人の要注意人物がいるようだ。
「アルヴィン・ヘンドリクセン――元海軍中佐、専門は医療と尋問。ケヴィン・ランバート元上級上等兵曹、専門は通信と語学。拷問マニアのサイコ野郎と凄腕のスパイ、こいつらが一番厄介だ」
資料を一読したヨハンが即座に言った。
「仰るとおりです――優先目標は彼らの率いる部隊によって、二四時間態勢で警備されています」
護衛の中核を担っているのは、彼ら要注意人物が指揮する、十五人の第六連隊出身者だった。
その他にも、小隊規模の歩兵が警備員として確認されている。
「時間をかけて敵の戦力を削いではいかがでしょう?」
ミリアムが言った。
彼女の意見は順当で的を射たものであったものの、
「その時間がないそうだ」と指揮官は首を振った。
「少尉の献策は理にかなっているかと――が、今回に限っては猶予が限られています。時間を与えれば、それだけ敵は次の行動に打って出るかもしれませんし、証拠の隠滅や別の工作を図ることでしょう」
「なるほど……」
「次に陽動作戦ですが――大尉に妙案があるとのことです」
シニアに促されると、ヨハンは談話室のテーブルに、陸軍省の帰りに国土交通省から取り寄せた資料を広げた。
ヨハンはソフィアを見た。
「ん」
「お前さんは現地の通信をハイジャックして、盛大に誤報を流せ――目的は、ヘンドリクセン一派を城から釣り出すことだ。突入部隊は奴らの居ない隙を突く」
「わかった」
「シュミット、ベイツ――お前さんたちは陽動班を仕切れ。この変電所と通信塔を爆破しろ。目標の周辺地域を停電させて、混乱をさらに煽るために情報統制を同時に行う。下に四人つけるから、必要な梱包爆薬の量と工作にかかる時間を算出して、シニアに報告しろ」
「そんなことしていいんですか!」
「腕が鳴りますねえ」
爆破担当の下士官二人は揃って上機嫌になった。
「それから、標的の位置が絞りきれていないから、チームは二分する――アルファは俺と特務准尉、ブラボーは少尉とシニアが仕切る。さて、城の青写真とにらめっこしようか」
シニアが古城の見取り図と設計図を広げた。
作戦の舞台となるノイエ・シュタイン城が建てられたのは政治的な理由だった。
一つは帝国の権威と武力を誇示するためだが、しかし、それは表向きの理由である。
帝国は〝神姫〟を擁し奉り、貴族制度による中央集権の政治体制を維持しつづけていた。
すなわち、権力の中枢に預かるためには帝都にできるだけ近い地域に居を構える必要がある。
歴史上の〝神姫〟たちは、一人の例外を除いて力のある貴族が巨大な拠点と軍事力を持つことを忌避しており、敢えて自分の近くに過密に貴族の館を置かせた。
これは、〝神姫〟のそばに仕えるという栄誉を与えるという名目で、彼らが独自の軍事拠点を築くことを制限する狙いもあったのではないかと見られている。
これらは律令制の古い時代の話で、少し前までのノイエ・シュタイン城は政治闘争に破れた貴族の流刑地という扱いだった。
そして百年ほど前、ついに受け継ぐ者のいなくなった城はかつての暗鬱たる雰囲気から一転して、改装を重ねた。
その間に、その地域は保養地から近いこともあり、貴族たちが夏を過ごす別荘地として栄えていった。
結果、ノイエ・シュタイン城は近隣の別荘群を遥かな高みから見おろす、豪華な保養所に装いを新たにしている。
《ナインへ――シックスだ。ピクチャーを再度送れ》
《ブレイク、ブレイク、ブレイク――こちらセブン。その情報をこちらにも頼む。どうぞ》
樹林帯の上を風にのって飛ぶソフィアの眼前には、夜陰にノイエ・シュタイン城の陰がそびえているのがよく見えた。
数分前の報告では、複数の車両が城から出ていくのが確認されている。
予定通り、ソフィアの流した誤報に、ヘンドリクセンたちが出動したのだろう。
周りには谷筋とそれに沿うように流れる川、それから少し離れた場所には貴族の使う別荘群の灯りが点在している。
人間はどうしてこんな豊かな森を壊して、身の丈にそぐわない不必要に大きな建物を造るのだろうか――ソフィアには不思議だった。
彼女の知っている人間はわずかしかないため、理解できないのも無理はない。
また、
〝ヨハンならこんなものほしがらない〟と彼女が価値観を重ねようとする人間はもっと少ない。
「アルファとブラボーへ――こちらナイン。周辺地域には異常なし。ブレイク、城の灯りが消えている。電力が落ちている可能性あり」
妖精の少女は見たままの様子を報告した。
《ナインへ――シックスだ。了解した、さっきの場所まで戻れ。アウト》
ソフィアは螺旋状に旋回しながら、速度がつきすぎないように高度を下げた。
ヨハンに合流を果たし、
「次は?」と彼女は訊いた。
指揮官は地図を出して、一等軍曹のローガンと現在地を確認しているところだった。
「北側にまわる――ちょっと急いだ方がいいな、お前さんは休んでろ」
彼は上着の胸ポケットを叩きながら言った。
「あと二時間で夜が明ける――北側にまわるのは不利」
未明から明け方にかけての奇襲では、陽光を背に受けながら攻撃するのが定石だ。
敵が真っ当なら、それを見越して南側の防衛に主力をおいている。
「俺ならそうする――だから北が手薄になるはずだ」
決断を下した指揮官はそう言って端末水晶で部下に呼びかける。
「ブラボーへ――シックスだ。五‐六の可能性あり。再度告げる、五‐六の可能性あり。ブレイク、アルファは潜入計画を予備に変更する。ブレイク、ブラボーは第一フェーズラインで待機せよ。ブレイク、シエラとエコーは現状維持。確認したら送れ」
《……シエラ、了解――待機します》
《エコー、同じく》
《シックスへ――ブラボーは指示内容を了解。移動開始します》とミリアムからも応答があった。
「潜るぞ――アルファ、マスク装着」
ヨハンはそう言って、簡易潜水具のマスクとゴーグルを身につけた。
ソフィアは定位置の肩から上着の胸ポケットに滑り込むと、その中で両手を組みながら呪文を唱えて、自分の周囲を包む泡のような防水膜を形成した。
彼女が後日に語ったことだが、サムエルはこれと同じことを行うことで、深海まで潜航するレヴィアタンの背中に乗っていられるそうだ。
ヨハンの率いるアルファ・チームは、城の取水口から潜入を始める。
「……?」
取水口の金網を工具で破壊しようとしたところ、なぜか既に外れているのを彼らは見つけた。
経年劣化で壊れた設備をそのままにしていたのか、あるいは別の可能性も考慮する必要がある。
水路を少し進んだところで、水面の上に立つ歩哨が見えた。
そこからヨハンたちは上陸する予定だった。
「……」
ヨハンは手信号で後続の部下たちに敵がいることを伝えるとともに、端末水晶の送信ボタンを短く押した。
短音と長音の組み合わせで、狙撃態勢に入っているシエラチームに指示を出す。
ヨハンとローガンが、水中から手を出して構えていると、シエラチームが撃った。
「!」
二発の銃弾が二人の歩哨を同時に仕留めて、彼らは水路に落ちてくる死体を受け止める。
死体が立てる水音を連携で防いだのだ。
その間に、後続の部下たちが水路から足場に這い上がっており、手を差し伸べてきた。
「行くぞ――次は変電室だ。ローガン、三人連れて跳ね橋に花火を仕掛けに行け。ホーキンス、ラング、ウィリアムズは俺に続け。シックスより全隊へ、これより交戦を許可する。ただし武器はサプレスドのみだ」
「了解です、大尉」
「では、あとで」
潜水具を捨てて、アルファチームは分散して足早に次の目標へ移動を始める。
その間に、ヨハンは別働隊の状況を訊く。
「シックスよりエコーへ――そっちの状況を送れ」
《エコーです――いつでもいけます》
「了解――待機してろ。シックス、アウト」
城への送電はいつでも停止できるものの、こうした施設には必ず非常用の発電機が備えられている。
現在のノイエ・シュタイン城は、表向きは民間の施設だった。
そこを軍事拠点にしている以上、電気設備には過負荷がかかっているはずだと、ソフィアが分析した。
ミリアムたちブラボーチームが突入するためには、城の搬入口を開ける必要がある。
防災上の理由から、非常口にもなる搬入口は停電時には自動的に開く仕組みになっていた。
しかし、非常用の発電機が動き出せば、中央管制室の手動操作で開閉できてしまう。
ミリアムたちを突入させるには、外部から城への送電を断つとともに、内部の発電機が供給する電気を止めるために、変電設備を破壊する必要があった。
「……」
角から人影が伸びてくるのをヨハンは見つけた。
彼は咄嗟に、減音器を予め装着した拳銃を抜いて慎重に近づく。
人影が現れた瞬間に拳銃を突き出して構える。
背を高くした照準のおかげで、正確に狙いを定めることができた。
ヘルメットや防具で身を固めた相手を仕留めるためには、弱点を一撃で突くべきだ。
「!」
武装した警備員の喉を射抜いた――さらに飛びつくようにして、片手で相手の口を塞ぎながら、喉の下から銃口を脳天に向けて撃つ。
「……誰だ、この馬鹿は」
彼は憮然として言った。
海運会社の武装警備員の兵装は、どう見ても帝国陸軍と同じだった。
顔を見ても、事前に得た元第六連隊の出身者とも特徴が一致しない。
ホーキンスが死体の向きを変えて、肩に縫い付けてある部隊章を確かめる。
「インシグニアを見るに、第二五歩兵師団ですね――本物ならですが」
「あとで身元を確認しろ」
「ん」
ヨハンは短い指示を下して先に進むことにした。
先頭を行く彼は減音器つきの拳銃をなるべく身体に引きつけるように中腰で構えて、背後のホーキンスはその肩に自分の肘を密着させるようにして自動小銃を構えて前進する。
目的の扉の前で、ヨハンたちは突入態勢を整える。
扉を破る際には、施錠の有無や扉の材質を見極めて、必要ならば破壊担当と位置を代わる。
建物の平面図は全員が把握し、前後が入れ替わったり不測の事態に遭遇しても、即座に対応できるようにする。
こうしたことは、ハーレークイン小隊が発足した当初から、シニアが厳しく訓練してきたことだった。
その中で彼は、
〝ドア・エントリーの瞬間が最も危険です〟と繰り返し述べてきた。
その理由はいくつかある――まず、防衛側の立場からすると、扉を破って突入してくる攻撃側に対しては出入り口に注意を払ってさえいれば、迎撃することができる。
一方で、攻撃側は閉じた扉の奥に、防衛側がどのように陣取っているのか見通すことはできないし、そこに何人の敵がいるのか、人質や非戦闘員の有無なども不明なことがほとんどだろう。
さらに攻撃側が不利な点としては、突入の際に扉をくぐる人数がごく限られているという点だ。
また、左右に分かれた二人が互い違いに部屋の中に進むため、突入した瞬間には先頭の一人に必ず死角ができる。
そのため、先頭が突入した瞬間に二番手が死角を補いながら突入しなければならない。
言葉にすると単純なようだが、一連の連携を身体で覚えるまでは、嫌というほど訓練を積み重ねば身につかないものだった。
そうして、連携が身についた頃に、シニアは訓練所のある部屋に模擬爆弾を仕掛けて、突入した彼らを皆殺しにしたこともある。
ヨハンは錠前と蝶番を素早く確認して頷いた。
彼の背中のポーチから、背後の部下が閃光音響弾を取り出す気配がするとともに、手を突き出して、閃光音響弾を見せてくる。
扉の左右に張り付いたヨハンとホーキンスが頷きあい、ホーキンスがバールを扉の隙間に差し込んだ。
「!」
ホーキンスが勢いよく扉を破って、ヨハンの背後にいる部下が閃光音響弾を室内に投げ込んだ。
爆発から数瞬遅れて、ヨハンが一番手として突入する。
そして背後にいたラングが二番手として、ヨハンと反対側の壁に沿って室内に踏み込む。
そして三番手のウィリアムズが続き、室内の中央を進む。
扉を破ったホーキンスはそのまま通路の見張りについている。
「右クリア」
「左同じく」
「ラング、お前さんはホーキンスの横に付け――敵が来たら丁重に出迎えろ」
「了解!」
無人の室内を確保したヨハンたちは、持ち込んだ爆弾を変電設備に繋がった中継機に仕掛ける。
「シックスよりエコー」
ヨハンは別働隊として、城の周辺地域に電力を供給する設備を爆破しようとしている部下を呼びだした。
《エコーです――どうぞ、大尉》
「こちらも位置についた――爆破用意。ブレイク、ブラボーへ。そっちの合図でオープン・セサミを唱えるぞ」
《ブラボーは突入準備完了》
「エコー、やれ」
《エコー、ファイアインザホール》
やや遅れて、ノイエシュ・タイン城の照明が落ちた。
赤い非常灯に切り替わると同時に、
《ブラボー突入開始》
ミリアムの言葉に合わせて、ヨハンたちは部屋から通路に出ると、移動を再開した。
《今です!》
「爆破しろ」
その合図で、部下が起爆装置を叩くように作動させた。
テルミットと硝酸バリウム、硫黄の詰まった手榴弾を連結させた――即席の焼夷弾から炸裂音がして、発火装置は華氏九〇〇〇度の高熱を発して設備を焼いた。
熱によってあっというまに被覆の溶けた導線は火花を散らし、次の瞬間には基盤はもちろん、その外殻の箱ごと溶けていく。
「シックスより全隊に告ぐ――これより作戦地域の通信帯域を強制遮断する。武器の使用制限を解除。シックス、アウト」
ヨハンがソフィアを見た。
「付近一帯の通信を掌握――全て遮断した」
妖精の少女が言うと、端末水晶に浮かんでいる記号の形が変わり、通信状態が不良となったことを知らせる。
彼女は、いつかサムエルが行っていたものと同じ魔術形式に則って、全神経を注いでこの地域全体の通信に干渉している。
もっとも、強大な魔力を有するサムエルと違い、ソフィア一人では十分間という制限時間がある。
「続け!」
離れた場所――搬入口のある方向が一気に騒がしくなった。
おそらくブラボーチームが会敵して、戦闘が始まったのだろう。
銃声と怒号、ヨハンたちの近くにも足音が近づいてくる。
「敵です!」
「モグラ叩きしながら前進を継続! 返り討ちにしろ!」
「了解!」
先頭を進みながら、ヨハンは自動小銃を構えて引き金を絞る。
アルファチームの第一班は、事前に決めた通りの道順で回廊を進み、敵が防衛態勢を整える前に、城の中にある主寝室に続く通路にたどり着いた。
「近くに味方」
廊下の角を曲がる前に、近くの端末水晶の気配を識別したソフィアが言った。
ヨハンは両膝をついて、小銃を横に傾けながら床に頬ずりするような低い姿勢で、曲がり角の先を狙いながら言う。
「ブルー・オン・ブルー!」
「大尉ですか!」
廊下の先でローガンが答えた。
「首尾は? 一等軍曹」
「予定の場所に梱包爆薬を設置――ついでに、余った焼夷弾で敵の通信塔をぶっ壊しておきました」
合流したアルファチームは、そのまま八人で交互に援護と前進を繰り返し、敵を掃討しながら目的の部屋を目指す。
「目標を見つけたらその場でぶっ殺すぞ」
「情報の裏を取らなくていいんですか?」
「時間がない――城をまるごと制圧できたら、地下にある牛の形をした伝統的なアトラクションを試してもいいんだがな」
アルファチームは閃光音響弾を投げ込み、炸裂と同時に主寝室に突入した。
三番手として突入したヨハンは、室内をそのまま直進する。
先行した二人の部下が、それぞれ速射しており、その閃光が室内で光を点滅させている。
「!」
寝室の奥にいた人影が拳銃を手にしていた。
照準を合わせてヨハンは小銃の引き金を絞った。
銃声と同時に女性の悲鳴がした。
「動くな! 銃に触るな!」
看護婦らしき女性が恐慌状態になったのか、倒れた男の銃に手を伸ばそうとした瞬間、ホーキンスが彼女を撃った。
「室内制圧!」
ローガンが言った。
「よくやったぞ、お嬢さんたち――死体の顔を確認しろ。目標を仕留めたかどうか確実にな。第六連隊のやつらが戻って来る前に引き上げようぜ」
ヨハンが次の指示を下した直後、
「まだ一人残ってる」とソフィアが不意に言った。
その瞬間、室内にいたアルファチームの全員が緊張を取り戻して銃を構え直す。
「どこだ?」
「そっち――ベッドの下」
ソフィアは天蓋付きの寝台を指して言った。
「……」
ヨハンは小銃を背後にまわして、拳銃を抜く――その様子を一瞥したローガンが、
「ホーキンス、大尉を援護しろ」と言った。
「……」
しかし、小銃を携えたホーキンスの反応が鈍い。
「ホーキンス! 大尉の援護だ!」
「!? 了解!」
もう一度大声で命じられて、ホーキンスは銃を構え直した。
懐中電灯と拳銃を、それぞれの手で交差するように構えながら寝台の下を確認すると、
「っ!?」怯えた目の瞳孔が小さくなるのが見えた。
「ガキかよ――こんなの情報になかったぞ――おら、出てこい」
寝台の下に隠れていたのは、十歳くらいの少年だった。
「嫌だ! 来るな!」
「ふっざけんな! 手間かけさせると、ぶっ殺して引きずり出すぞ!」
ヨハンは立ちあがってブーツで寝台を蹴った。
「大尉……」
「大人げないですねえ」
「これ見て」
寝台のサイドボードにいたソフィアが言った。
「ガキを引っ張り出して拘束しとけ――うるせえから、気絶させちまえ」
「了解――それから大尉、この部屋に優先目標はいませんでした。ブラボーの方でしょう」
少年への対応を部下に任せると、妖精の少女が立つファイルや、薬瓶、使用済みの注射器がトレイに捨てられたサイドボードに歩み寄った。
「医療記録は専門用語が多くて、すぐに詳細は把握できない――でも、彼には何か秘密がある」
「……」
ヨハンも記録や薬瓶を一瞥したが、これらが何のためのものなのか、なぜこの少年がノイエ・シュタイン城にいるのか、見当もつかない。
「彼を連れ帰って、調べるべき――事前情報と現状が乖離しすぎている」
「……」
ヨハンが善後策を検討していると、ノイエ・シュタイン城に落雷のような轟音と地響きが複数回に渡って轟いた。
「迫撃砲だ!」
砲撃はしばらく続き、城壁や城内に弾着が集まり始めるなか、ヨハンたちアルファチームは脱出点に移動を始める。
「間もなく通信が回復」
ソフィアが告げた直後、
《……ちらブラボーチーム! アルファへ――ブラボーは地点ロメオで釘付けに遭っています! 敵は帝国陸軍! もう一度言います、敵は帝国陸軍の第二五歩兵師団! 正規軍です! 大尉、聞こえますかっ!?》というミリアムの悲鳴のような通信が届いた。
それを裏付ける情報をソフィアが補足する。
「ヨハン――敵が私たちの帯域で、投降を呼びかけてきた。敵は帝国陸軍を名乗ってる」
彼女が確認したところ、帝国陸軍第二五歩兵師団の第三六連隊を名乗る敵は指揮官の名前や使っている端末水晶の帯域、使用している兵器の管理番号も一致しているという。
彼らはノイエ・シュタイン城に匿われている、重要人物を暗殺しにくるテロリストを制圧するために派遣されてきたらしい。
さらに、ソフィアの調べたところ、第二五歩兵師団を派遣する作戦計画書を承認した、陸軍省の担当者がスヴェンソン准将だということがわかった。
ここに来て、ヨハンは彼の罠に嵌められていたことにようやく気がついた。
おそらく、彼はハーレークイン小隊を何らかの証拠隠滅に利用するとともに、その口封じをするつもりなのだ。
なぜそんなことをするのか、それは彼が一連のテロに深く関わっているからに他ならない。
味方の裏切りや、罠に落ちたことよりも、ヨハンはそれに気づかなかった自分の無能に激しい怒りを顕にした。
「ローガン! 特務准尉と三人を連れて、ガキと先に行け! 第一LZを確保しろ!」
そう言って通路から出ようとした上官を、ローガンが止めた。
「大尉! 駄目ですよ! ブラボーチームには自分らが合流します。指揮官として、まずは作戦を進めてください」
「私も一等軍曹に賛成――ヨハンは指揮に専念すべき」
肩の上に立ったソフィアが言った。
「……わかった」
一度だけ大きく肩を揺らして、ヨハンは深呼吸すると、端末水晶を取って言う。
「シックスよりシエラへ――ブラボーチームの周辺にいる、敵の指揮官と通信手を撃て。確認したか?」
《……》
シエラからの応答は返ってこなかった。
「ハインツ、コワルスキー、聞こえるか?」
ヨハンはもう一度、シエラチームの観測手たちを呼び出したが、やはり答えは返ってこなかった。
ミリアムが指揮するブラボーチームは、ヨハンたちと同じように警備を排除しながら、目標がいると思しい部屋を制圧した。
しかし、目標の人物はいなかった。
その直後、敵の大規模な攻撃に遭って身動きが取れなくなってしまった。
まるでここに自分たちが集まることを、予め知っていたかのような絶妙な奇襲だった。
「少尉! 頭をお下げください!」
遠くの敵に発砲していたミリアムに、別の場所を狙うシニアが警告した。
さらに彼は、
「メイソン! 距離、七五! 五〇で狙え!」と言って、擲弾筒を構える部下に目測の距離を伝えた。
残弾を消費しつつ反撃している中、敵の戦車が城壁の外を囲う堀の跳ね橋を渡ってくるのが見えた。
「戦車だ!」
「窓から離れろ! 同軸機銃に狙われる!」
その砲塔がこちらを向いた瞬間、橋脚の一部が爆発した。
城に潜入した際に、ローガンたちが仕掛けた爆弾だった。
元々は敵の追っ手を封じるためのものだったが、この判断にミリアムたちは救われる。
「!」
吹き飛ばされた橋の上にいた戦車の後部が深く沈み込むとともに、わずかに遅れて主砲が光った。
その瞬間、瞬く間もなく飛翔してきた砲弾が、ミリアムたちのいる上の階に着弾した。
姿勢を崩したまま主砲を撃った戦車は、そのまま堀に転落していく。
天井から埃が降ってくる中、
《ブラボーへ――シックスだ。ローガンたちがそっちに向かった! きばれ!》とヨハンから通信が入った。
それとともに、部屋につづく通路で交戦する音がして、その場にいた敵が次々に倒される気配がした。
ミリアムたちの立てこもった部屋を攻めていた敵が、ローガンたちの横槍を受けたのだろう。
「少尉! ブラボーチーム、みんなどこだ!」
「ブルー・オン・ブルー!」
ローガンの声が聞こえたところで、ミリアムは声を張った。
「少尉! ご無事でなによりです――こっちの通路は確保しました!」
「今のうちです、援護します!」
「アルファに合流しましょう」
「全隊! 第一LZへ移動する! 移動用意!」
シニアが言って、ミリアムは頷いて、部下に命じた。
「ローガン一等軍曹、大尉はどうされたか?」
走りながら味方に合流したミリアムは訊いた。
「先行して、脱出地点の確保に行かれました――急げば間に合うはずです」
「わかった!」
同じ頃、ノイエ・シュタイン城を見おろす丘の中腹に人影があった。
その足元には、武装を没収されて、手足を縛られたシエラチームの四人がいた。
「予定通りですね――お手並み拝見といきましょう」
「機を見て、こちらも打って出よう――仕掛けるタイミングが全てを決するぞ。現在、城内にいるのは全て敵だ」
彼らの位置からは、城の中で散る火花や閃光のような発砲炎がよく見えた。
「ハーキュリーズを呼べ! ホーキンスとラング、お前さんたちは回収バルーンを展開しろ! ウィリアムズは俺とここを確保だ!」
「了解!」
「前に出ます!」
ヨハンが言うと、上空で待機している飛竜にソフィアが通信を繋ぐとともに、ホーキンスはラングと脱出に使う機材を背嚢から取り出して設置を始める。
ノイエ・シュタイン城からの脱出手段として、ヨハンたちはハーキュリーズを使うことにしていたが、ここで一つ問題が浮上した。
それは、飛竜の発着場をどのように確保するか――という点だった。
ノイエシュタイン城は山の中腹にあるため、飛竜の発着が不可能なのだ。
しかし、これについてハーキュリーズに相談したところ、最近になって考案された特殊な方法で、着陸せずに地上部隊を回収できるということだった。
「大尉! もうガスを出していいですかっ!?」
ホーキンスが訊いた。
「やれ!」
彼らが持ち込んだ機材は、端的にいえば大きな風船にロープを繋いだものだ。
これに弾帯を身体に固定している装具を接続、低空で侵入した飛竜がロープを掴むように確保し、地上部隊は宙吊りになって脱出を図るというものだ。
「ハーキュリーズが南に待機中――間もなく下降を開始」
ソフィアが言うとヨハンは端末水晶に呼びかける。
「ブラボー! 急げ!」
《もうじきです!》
ミリアムの声がした瞬間だった。
再び、敵の迫撃砲がノイエ・シュタイン城に降り注いできた。
「弾着来るぞ! 伏せろ!」
ヨハンは咄嗟にソフィアを自分の下にして身を守った。
その背後で、ホーキンスが連れてきた少年の上に覆いかぶさっている。
「今畜生!」
砲撃を受けながらヨハンは喚いた。
彼の視線の先で、ノイエ・シュタイン城の渡り廊下が砲弾の直撃を受けて崩れていく。
その向こう側で立ち止まったミリアムが声を張る。
「大尉! 先に脱出してください!」
「ブラボー全隊、アルファの脱出を援護! 死守せよ! 然るのち、地点ノベンバーへ迂回する!」
「待て!」
ヨハンの制止を振り切るように、シニアの指示を聞いたブラボーチームは踵を返すように、その場で遮蔽物に分散しながら背後に迫ってくる敵と交戦をはじめた。
「時間がない――もうハーキュリーズを降下態勢に入らせた」
ソフィアが言った。
彼女が小さな手で南の空を指でさすと、背後から低空で進入してくるハーキュリーズの影が見えた。
「城を出たら東に撤退しろ! 第一フェーズラインまで、エコーを向かわせる!」
「わかりました!」
「それから、お前さんたちブラボーチームは、命令不服従だ! 抗命罪の厳罰で、全員にビールを飲ませるから覚悟しておけ! アルファ! フック装着!」
装具とロープを繋ぎながら、上官は理不尽な命令を下した。
ミリアムが振り返り、
「必ず罰を受けます!」と言った。
その直後、ヨハンたちの身体は宙吊りになった。
「!」
ハーキュリーズがロープを掴むと、装具を身体に固定している肩や腰に衝撃がはしり、ヨハンたちの息が詰まった。
みるみるうちに、ミリアムの微笑が見えなくなり、ついさっきまで戦場にしていたノイエ・シュタイン城はあっという間に点景のように遠ざかる。
その周りには灯りの消えた別荘地帯と、それらを囲む森が広がっているのが見える。
キャビンに入ると、ヨハンはエコーチームを呼び出して、ブラボーチームの救援に向かうように命じた。
目の前で部下たちを戦場に置き去りにした若者は、キャビンの扉を閉める気になれないのか、そのまま細巻きをつけていた。
その時、
「おいおい――ふざけんなよ」と彼は気の抜けたような声を漏らした。
地上の街道から、光線のようなものが立ち上ってくるのを目撃したのだ。
戦場で何度も見たことがある――対空砲の曳光弾の閃光だった。
「対ショック姿勢! 対空砲火! くるぞ!」
ヨハンが部下たちを振り向いた瞬間、キャビンは大きく揺れた。
同時に、キャビンを貫通した砲弾の破片が火花を散らし、曳光弾の熱がベンチシートのキャンバス生地に火をつける光景が、コマ送りのように目に映った。
「お前さんは脱出しろ!」
ヨハンはソフィアに怒鳴った。
妖精族の彼女だけなら、空を飛んで墜落から逃れることができるはずだ。
「嫌――私もビールを呑みたい」
「嘘つけ! 苦い酒なんか呑まないくせに!」
運良く被弾を免れたヨハンがキャビンから身を乗り出すと、飛竜が首をうなだれているのが見えた。
「バンジョウ大尉! 起きろ!」
その急所から鮮血がほとばしっている――ひと目で即死だとわかった。
「墜ちるぞ!」
ハーキュリーズは姿勢を崩しながら、森の中に落ちていく。
「大尉!」
城の中を移動しながら、窓の外で落ちていく飛竜を見たミリアムが叫んだ。