第15話 決闘の狂詩曲を奏でるボヘミアンな青年将校
――偽貴族と正当なる貴族の真剣勝負の開催は、娯楽に貪欲なマスメディアによって大々的に報じられてしまう。しかし、その変則的なルールは明らかにヨハンに不利であり、これは決闘の形だけを借りた〝リンチ〟だった。一週間後の正午に〝偽貴族〟とされたヨハンと門閥貴族の青年、ルートヴィヒは決闘場で向かい合い、両者は武器を手に火花を散らせる。
サムエルは帰国の予定を延ばしていた。
自分も関わった計略が元で始まった諍いの決着を見届けたいということだった。
しかし、その建前を右耳から左耳に素通りさせて、
「そんなに俺があのバカボンを殺すところが見たいのかよ?」と、ヨハンは魔界の王太子の口から本音を引き出そうとした。
「もちろん――だって、僕たちは取引したじゃないか。さあ、早く彼を殺してくれたまえ」
サムエルはラズベリージャムをくわえた紅茶を頼むときのように、屈託のない笑顔で言った。
二人はマイアの私邸のサロンにいた。
そこがヨハンに割り当てられた控室になっている。
「君のことだ、勝負は一撃かな――大口径の対戦車ライフルを使うと思っていたんだが、箱が小さすぎないかね?」
樹脂でできた銃のコンテナを開けるヨハンの肩越しに、サムエルが覗き込んだ。
「そこは私の席」
ソフィアの指摘に、
「おっと失敬」とサムエルは下がった
コンテナの中身はポンプアクション式の散弾銃だった。
「ババアの規定でな――小銃、というよりライフル、つまり旋条のある銃器は禁止なんだよ。だから、対戦車ライフルなんていう愚か者の杖は使えないんだ。オマケに単発銃しか持ち込めない、念の入りようだ。こいつのチューブマガジンには、中に詰め物をして使えないようにした」
その説明にサムエルとソフィアは揃って同じ方向に首をかしげた。
このたびの決闘において、マイアは日時と場所以外にもいくつかの規則を定めた。
まず、自動小銃や軽機関銃といった、継続して連発できる火器の使用は禁止されている。
そしてヨハンが最初に告げた通り、単発であろうが対戦車ライフルも小銃の一種として扱われるために使用できない。
これは立会人や見物客の安全を確保するためでもあるという、建前があった。
それ以外の銃器の選択は比較的自由を認められているものの、種類を問わず弾倉を用いることを禁じるという規定もあった。
つまり、ヨハンは銃で戦うかぎり発砲するたびに再装填をするか、同じ銃を複数持ち込んで、撃つごとに新しい銃に持ち替えるなどしなければならない。
ところが、銃器の数にも制限が課されており、決闘場に持ち込めるのは二挺までだ。
シニアはヨハンに銃身が二本並列している、狩猟用に使われる散弾銃を改造して持ち込むことを献策したが本人に却下された。
その時に彼は、
「なーに、弾切れになったら――抱腹絶倒の冗句で、あのバカボンを笑い死にさせてやるから、大丈夫だって」と言い、心配する部下たちを呆れさせた。
その他に設けられた規定としては、爆発物と設置型の罠や、毒といった非人道的な殺傷具も同様に禁じられていた。
一方で、防具や近接専用の武器に関しては、安全上の支障がないかぎり、それほど厳しい制限は設けられていない。
傍目には、射撃を最も得意とするヨハンに対しては明らかに不利になるように仕向けられたように見える規定であり、貴族たちの噂話ではルートヴィヒが一方的に勝利するだろうと言われていた。
数日前。
ヨハンは決闘を間近に臨んでいるため、貴重な休日を射撃訓練に費やしていた。
彼が射撃場に持ち込んだのは、世界大戦の初期に塹壕で火炎放射器やスコップとともに猛威を振るったポンプアクション式の散弾銃だった。
昨今の軍隊では有効射程の短い散弾銃は、その扱いにくさから敬遠されている。
一方で、短い有効射程であれば流れ弾の二次被害を減らせるということで、市街地で警察活動を行う憲兵隊には多く支給されている。
「チョークを絞っても、こんなもんか」
ヨハンは先ほど撃った標的の弾痕の孔の端から端までの距離を測った。
「別の弾ならもうちっとマシだといいな」
散弾銃には同じ口径であれば様々な種類の弾を装填できる。
対人戦闘でよく使われるのは、粒の直径が拳銃の弾丸と同じくらいのものが九発詰まった〝ダブルオーバック〟という種類のものだ。
さらに殺傷力の高めるため粒の大きさを一回り大きくし、六発の鉛玉を飛ばす〝トリプルオーバック〟という弾もあるが、こちらはたたでさえ短い有効射程がさらに短くなる傾向がある。
バックとは文字通り鹿のことで、散弾銃は民間において猟銃として親しまれていた。
その殺傷力や、一度に複数の銃弾を浴びせる制圧力を、塹壕では対人戦闘に利用された経緯がある。
散弾以外で使われるもので有名なのは一粒弾――〝スラッグ〟と呼ばれる種類の弾薬だ。
通常のライフルの銃弾は、弾道をジャイロ効果で安定させるために銃身に旋条を刻んである。
しかし、散弾銃には旋条というものはなく、古式のマスケット銃のように銃身の内部はほぼ平面に加工されている。
そのためスラッグ弾は弾道を安定させるために、弾頭そのものに旋条が刻んである。
ヨハンが散弾銃を使おうとしている理由は、状況に応じて複数の種類の弾薬を射手の任意で選べる点だった。
とはいえ、これだけでは完全防弾のフルプレートメイルを着込んでくる、ルートヴィヒに対しては火力不足だろう。
普段のヨハンなら――これが軍事作戦であれば、後日のサムエルが指摘したように、対戦車ライフルを持ち込んで一撃で勝負を決めるだろう。
部下たちの命と、任務の達成を預かる指揮官としては、そうする義務がある。
しかし、今回は〝決闘〟の掟に従わねばならない。
普段どおり〝結果を出せばそれで良い〟というわけではなかった。
互角の勝負を演じた上で、正々堂々と勝利しなければ、マイアの顔にも泥を塗ってしまうし、決着を見届けに来る他の貴族たちも納得しないはずだ。
巷に流布する噂では、連射を封じられるヨハンの勝率は、かなり低いだろうと見積もられている。
「あの、大尉」
射撃場にミリアムが現れた。
「一体、なにをお考えなのでしょうか?」
「なにって――どの弾を使うか迷ってるくらいだな。距離が短いから、逆にちょっとやりづらいが」
「そういうことを訊いたのではありません――なぜ、小官のために大尉はそこまでなさってくれるのかと、そうお尋ねしているのです」
「んん?」
ヨハンは散弾銃の銃把と一体化している遊底を引いて、薬室から赤いシェルを抜き取った。
遊底を戻して標的に向かって空撃ちし、撃針を戻すとミリアムに向き直る。
「いやいやいや――お前さん、なにか勘違いしてるぞ。この問題は、すでにすり替わったんだよ。あのババアのせいでな。いいか? あらすじは〝増長した偽者の貴族に正当な門閥貴族が制裁をくわえる〟ってな。まあ、俺が万が一の万が一に負けたら、あのルートビア野郎は懲りずにお前さんにすり寄ってくるだろうが」
「しかし、エフライム閣下が公示された決闘の規定をご覧になりましたか? あれでは、あまりにも大尉が不利です」
ミリアムは言った。
「まあそこはなんとかするからさ――俺が勝てば、とりあえずお前さんの厄介事はひとつ減るだろ? そしたらうちの部隊は安泰だ。そのために貴族を一人ぶっ殺せばいいんだから、サンドイッチ屋のパンの耳より安い買い物だ」
「しかし……」
ミリアムは言葉を飲み込んだ。
ヨハンはいつもの調子で軽口を交えながら大丈夫だと請け合った。
しかし、彼女を納得させるためには、口先だけでは不十分らしい。
思えばいつもそうだった。
そのことに気がついたヨハンは散弾銃の遊底を引きながら言う。
「んじゃ、見てろ」
彼は空の散弾銃を構えて射撃の秘技を見せた。
薬室を空にしていたはずの散弾銃が火を吹いた。
「っ!?」
これまで、散弾銃にほとんど触れたことがないミリアムは明らかに瞠目していた。
いったい、ヨハンはいつの間に弾を装填したのだろう。
ヨハンとルートヴィヒの決闘、それも真剣勝負が開催される――この情報に娯楽に嗅覚の鋭い、新聞各紙は飛びついた。
しかし、その記事の内容はひどく偏向しており、貴族の名誉を賭けて立ちあがったルートヴィヒを持ちあげるものだった。
一方で、ヨハンのことにも記事では触れられていたが、その中身は彼のこれまでの不品行を論うものが中心で、その中にはハーレークイン小隊が行ってきた作戦の内容も含まれている。
記事の資料として添付されている文書には墨塗りで機密は保たれていたものの、軍の内部から流出したとしか思えないものまであった。
〝下着を盗まれた被害者〟として紹介されたミリアムが、激高して新聞社に抗議しにいこうとするものの、記事を一読したヨハンはといえばまったく気にしていない。
「名前の綴が間違ってたのを指摘すんのならともかく――それ以外に文句をつけるのは筋違いってもんだろ? 健康のために下着を身に着けなくて有名な、世界一バーボンが似合う往年の舞台女優がそう言ってたぜ」
「今だけ私も賛成――自分から彼らの見世物になる必要はない」
ヨハンは瞬いて、珍しいものを見たような顔で妖精の少女を一瞥した。
「大義でした――エフライム卿」
後宮に上がったマイアから、ヴィクトリアは事の次第を奉られると、御簾の中に座したまま言った。
ヨハンたちの決闘を預かると宣言したマイアは、この数日のうちに諸々の法的手続きに則って、彼らの決闘を合法的なものに仕立てていた。
その報告を奏上するためだけに、マイアは朝服を纏ってこの日は後宮に参内したのだった。
「闇賭博の配当率は、賭けが中止される寸前という下馬評のようじゃ――なれば妾にとっては良き投資の口でごさいまする。この機に貴族の子弟どもより税を取り立て、その資金を戦災孤児育英施設にまわすがよろしいと存じまする」
「ヴィクトリアは小母様のお考えに賛同いたします――ところで、ルートヴィヒ様は無差別格闘技の学生大会で、優勝してらしたと記憶しています。それに、このお祭りに便乗する者へも気を配りませんといけません。内閣府では内務尚書が統帥本部総長と統合参謀本部議長、各軍長官より件の海運会社に関する報告を受けている頃です」
ヴィクトリアが言っているのは、いまだに実体が掴めない――サムエルの暗殺未遂でホテルを爆破したり、横断鉄道の橋脚を爆破した勢力が、この機に乗じて蠢動することを危惧してのものだった。
その勢力が何者なのか依然として不明だったが、状況から見て海運会社が何らかの形で関わっているという見方が現在のところは濃厚だ。
問題はそれが、強要されたものなのか自発的なものなのか、あるいはそう見せかけた巧妙な偽装なのか――現時点の情報では、ヴィクトリアも全貌を把握していないのが実情だ。
そして公人としてはあるまじきことだが、目下のところヴィクトリアの関心は、唯一の肉親であるヨハンが、圧倒的に不利な条件で真剣勝負の決闘に臨むことだった。
「会場には臣の私邸を用います故に、何人たりとも狼藉には及ばせませぬ――それに坊やの隊は副官殿の指揮のもと、サムエル王太子の身辺を固めるそうでございます」
ヴィクトリアは頷いた。
この竜族の長が請け合ったからには安心していいはずだ。
「ところで小母様――わたくしに招聘を頂戴することは叶いませんの?」
〝神姫〟は冗談めかして訊いた。
「お許しあれ、陛下――平時であらばとまれ、神姫ともあろう貴き御方が、血なまぐさい決闘の場に玉体を降臨されてはなりませぬ。ましてやそれが臣民のたかが一個人を応援するためと明らかになれば、帝国の御柱であらせられる陛下の鼎の軽重を問われることになろう」
「……」
〝神姫〟は御簾の中の玉座にてあぐらをかきはじめた。
「それもおやめなされ――はしたないですぞ」
ヴィクトリアは威儀を正して座り直したものの、マイアに諭されたことで露骨に頬を膨らませた。
「それもでございまする――もう、よいお年頃ですぞ。さておき、臣としましては尋常の勝負に打ち勝った者に褒美として詔勅を遣わし、後宮への参内という栄誉をご下賜なさると、陛下が仰せであれば異論を持ちませぬ。坊やの好物を陛下の御手によりてご用意めされるのがよろしいと存ずる」
ヨハンの勝利を信じて疑わないマイアはそう言って、遠回しに決闘の後で彼を後宮に招待することを提案した。
「小母様のそういうところが、わたくしは大好きですわ」
ヴィクトリアは拍手を打ってようやく笑みを覗かせた。
決闘の日が訪れた――もうじき正午だ。
歓声と罵倒は、それぞれルートヴィヒとヨハンに贈られるものだった。
マイアの私邸には一部の報道陣を除けば貴族家の子息たちが多く見物に詰めかけ、誰もが偽貴族にルートヴィヒが制裁の鉄槌を下すことを期待しているようだった。
サムエルは警護上の理由をもとに屋敷の一室で待たされることになっていた。
ヨハンが決闘に出るため、その護衛の指揮は一時的にミリアムが執っているため、彼女もこの場にはいなかった。
《静粛に!》
臙脂色のビロードで織られた外套を肩から羽織ったマイアが、軍配の代わりに剣を抜いて呼びかけた。
余談だが、彼女の声は端末水晶を経由して、会場に設置された電気的な増幅器と磁石を利用した振動板を使って、普通の声でも会場の隅々まで通るように工夫がされている。
構造の設計と機器の調整はサムエルの助言を受けながらソフィアが行った。
《これより、ルートヴィヒ・フォン・ゼブルンとヨハン・ユージン・スミスの尋常の決闘を行う! 両者、前へい出よ!》
マイアの私邸にある庭は突貫工事で決闘場に作り変えられていた。
広さはテニスのコートを四つ使用したものと同じくらいだ。
ルートヴィヒから申し込まれた、決闘の名分はいつのまにか〝名誉挽回〟にすり替えられていた。
彼が勝った場合、ヨハンは爵位と軍籍を返上することになっている。
対するヨハンが提示した条件は〝金銭〟でその金額はこの場で明かされる。
「スミス子爵とやら――条件を申し述べるがいい」
決闘の相手に促されて、ヨハンは上着のポケットから硬貨を一枚だけ取り出した。
それは古いギニー金貨だった――金額に換算するとわずか二一シリングにしかならない。
もちろん、ヨハンはこういうときに、たかが二一シリングのために命をかける男ではない。
かつてポンドが通貨の単位として普及する以前、貴族の社会ではシリングではなく〝ギニー〟という単位を商取引の決済に用いていたことがある。
それが転じて、現代では信用できる相手との取引では、互いの名誉をかけて、敢えてギニーを以て契約を交わす習慣が残されている。
「本当に払えるのか?」
その嫌味――〝本気で貴族の誇りを賭けられるのか〟という問いかけを理解したルートヴィヒの目つきが変わった。
「紛い者の分際で、よくも」
今までの彼は制裁をくわえる強者の立場だったが、ここに来て貴族制度の風習をあえて持ち出し、あまつさえそれを挑発の小道具に利用したヨハンに対して、明らかに憎しみを抱くようになっていた。
事前の予想通り、ルートヴィヒは防弾のフルプレートメイルを身に着けていた。
一方で、ヨハンは野戦服を着ているようだったが、丈の短いトレンチコートを羽織っているために、どのような防具を身に着けているのかはわからない。
ヘルメットすら被っていないことから、おそらく軽装なのだろうとは推測できた。
ヨハンは随伴するシニアを立会人に指名していた。
《これより五分間、互いの得物を調べる機会を与える!》
「いい、いい――そんな馬鹿デカい戦斧なんて、持ち上げられねえもん」
「大尉――もう少し、威厳をお保ちください」
シニアがこの場にいないミリアムに代わるように、上官の不真面目な態度を窘めた。
傍らに控えている小隊軍曹は銃器を収めたコンテナをルートヴィヒの立会人に渡した。
ヨハンが反則に及ばないように、ルートヴィヒの指名した立会人は銃の専門家だった。
しばらく、ルートヴィヒ本人と立会人がヨハンの散弾銃や拳銃を調べた。
彼らは特に、散弾銃のチューブ型弾倉に不審な点がないかを調べているようだ。
さきほどサムエルに見せた、銃身下のチューブ型弾倉に接着剤を詰めた散弾銃と同じものをヨハンは渡してある。
彼はこの決闘で不正をはたらくつもりはなかった。
誰に言われるまでもなく、正々堂々と戦い勝つ気でいる。
そしてこの場でルートヴィヒを必ず殺すつもりだ。
コンテナの中の二挺めは先日、新しい照準に付け替えた拳銃で、こちらも弾倉に手をくわえて、連発ができないようにしてある。
「時間」
制限時間を知らせるベルをソフィアが鳴らすまで、ルートヴィヒたちはヨハンの銃を調べていたが、ようやく納得したのか樹脂のコンテナに銃を戻して返してきた。
「再度、各々は得物を点検せよ! 自らの命を賭す武具に、敬意を以て入念な整備を行うがよい!」
ヨハンはいつもどおりの手順の慣れた手付きで、拳銃や散弾銃を分解し、銃身や薬室をはじめとして薬莢の雷管を発火させる撃針まで入念に調べた。
《これが最後の通告である! 両者ともに心して聞け! 勝敗は一方の戦闘不能、または死を以て決着とする。例外的に、一方が敗北を認め一方がそれを容れたときもまた、戦闘不能とみなして決着とする。決着にあっては、その経緯のいかんに関わらず、当事者と双方の関係者はともに相手の条件を受諾するものとする。異論はあるまいな!》
ヨハンはいつもとわらず不遜な態度で片手をあげて応えただけだが、
「異議無し!」とルートヴィヒは声をあげた。
さらに彼は既に勝敗が決したかのように、拳を振り上げて見物人たちの歓声を煽るととに、ヨハンを指差して親指を下に向けた。
ルートヴィヒの挑発を黙殺して、ヨハンはコートのポケットから端末水晶を取り出した。
「音楽スタート」
彼の合図で、ソフィアが会場内に設置した立体音響装置を操作した。
大音量で往年の流行曲にして、大河の両岸を問わず文字通り世界を熱狂とともに席巻した、最も偉大な現代音楽のグループが奏でる、ピアノのイントロから始まるメロディが鳴らされる。
まるで戦勝を祝う席で国歌が流れてきたように、会場の盛り上がりに反してヨハンが騒いだ。
「ストップ! ストップ! よりにもよって〝女王陛下〟の〝ジプシー狂詩曲〟かよっ!? 誰がヒゲを生やしたまま女装する変態の歌姫なんて聴くもんか! しかもノーカット版っ!? 歌詞にピエロが出てくる歌は駄目だって言っただろっ!? それと尺を考えろって! こんな茶番を六分も引き延ばせねえよ! 他にもっとあるだろ、この際〝女王陛下〟でなければ、なんでもいい! あ、やっぱ訂正。〝気狂いアル〟の替え歌だけは絶対やめろよマジで。いいな、絶対だぞ!」
《能書きが長い――注文が無駄にうるさい》
ソフィアは文句を言いつつ音源を差し替える。
流れてきたのは、ヨハンが〝絶対にやめろ〟と言った替え歌のほうだった。
「あーもう――ほんと、マジでお前さんは俺の良き理解者だな。おいルートビア坊っちゃん! 妖精のメスガキが選んだ曲のせいで、お前さんの寿命は残り三分ジャストだぜ!」
ヨハンは端末水晶を放り投げて、羽織っていたコートの裾を翻すように脱いだ。
その下には任務中に身に着けていたのは弾帯用のではなく、散弾を保持するための装具だった。
右の腰にはいつもどおり、拳銃を収めてある。
〝お目々をあけて、お空を見上げてごらん♪ オイラはコジキ♪ でもそんなの関係ねえ♪ 同情すんなら金をくれ♪ 浮き草みたに、ちょいアゲ? ちょいサゲ? やっぱそんなのどうでもいい♪ みたいな♪〟
音楽が前奏からポルカ調のメロディに入ったところで、両者は同時に動き出す。
ルートヴィヒは戦斧をありあまる膂力で持ち上げると、ヘルムのバイザーを閉じた。
さきほどの大騒ぎから一転して、無言となったヨハンも目を細めると、
「状況開始」と小声でつぶやいた。
そして正午を告げる鐘楼の鐘が鳴り響いた。
《はじめ!》
マイアの合図でヨハンは散弾銃を構えると同時に速射した。
「!?っ」
今回の決闘の規定では〝弾倉を用いての連射は禁止〟とされており、ルートヴィヒはもちろん、決闘を見物している誰もが油断していた。
白銀に輝く甲冑には、矢継早に放たれるスラッグ弾による大きな弾痕が穿たれた。
「くっ!」
意表を突かれたルートヴィヒは明らかに動揺している。
しかし、散弾銃から撃ち込まれているスラッグ弾の直撃を受けても、特注のフルプレートメイルの装甲を貫徹することはなかった。
「反則行為だ――早く抗議せよっ」
彼はヘルムの中で喚いて、自分の立会人を一瞥した。
予想に反して、散弾銃でいきなり速射してきたヨハンの行いに、ルートヴィヒの立会人が軍配を司るマイアに抗議したが、竜族の長は取り合わずに決闘を続行させた。
「反則だ!」
「スミス卿が卑怯な手を用いている!」
「神聖な決闘を汚す行為だ!」
観客たちも騒ぎはじめたため、彼女はやむを得ず、ヨハンが行っている技の説明をはじめる。
《坊や――スミス卿の手元をよく見るがいい。彼奴は一発ごとに、排莢と再装填とを繰り返しているだけである。したがって、規定に則っており、反則行為との抗議は棄却せざるをえん。そもそも弾倉は使ってはおらぬではないか。例えるならば手練が弓を連発しているようなものじゃ》
マイアが言った通り、ヨハンの手元を注意深く見てみる。
彼は一発撃つ度に装具から次弾を取り出して、装填口ではなく排莢口から装填していた。
細かくその動作を観察すると、撃った瞬間に反動を押さえながら、素早く排莢している。
そのときには既に右手を銃把から離して、次の弾を装具から取り出す。
そして、わずかに傾けた散弾銃の排莢口に次弾を滑り込ませた直後に銃把を兼ねる遊底を戻しつつ、再び右手でグリップを掴んで引き金を絞る。
これらの一連の動作を繰り返しているヨハンは規定通り弾倉を用いず、散弾銃を速射していたのだ。
言葉にすると簡単だが、実際に行うのは難しい――標的と相対すると、目の焦点の関係で手元の像がよく見えないまま再装填をする必要があり、熟練を要することがわかるだろう。
「っち!」
彼の連射が反則ではないと知ったルートヴィヒは舌打ちをした。
散弾銃は近年の軍用銃とは異なり、手動で排莢と次弾の装填を行う。
火薬の燃焼速度や、弾丸と薬莢の大きさなど、さまざまな理由で半自動にするのが難しいと言われている。
小銃のように発砲時の燃焼ガスを利用して、その圧力でピストンを押す方式も試されているものの、どうしても圧力が足りずに排莢・装填不良が起きやすくなってしまう。
それ以外にも、発砲時に起きる反動そのものを利用して、振り子の力で次弾を装填する方式も提案されたのだが、上級の射手になるほど散弾銃の強烈な反動を押さえ込んでしまうため、これもまた実用には至っていない。
散弾銃は自動小銃が歩兵の主武器になった時代においては、有効射程や威力、装弾数や精度の点でも見劣りする。
しかし、散弾銃には小銃にはない利点があるのも確かだった。
そのひとつが射手の任意で、複数の種類の弾薬を用いることが可能な点だ。
これは同じく単発で撃つ、擲弾筒と運用が少し似ている。
「なんのこの程度! 我が鎧を貫くものではない!」
当初は一方的に銃撃を浴びせられたルートヴィヒではあるものの、彼は次第に冷静さを取り戻しはじめた。
ヨハンの放つ散弾銃の威力ではフルプレートメイルを貫通することはないとようやく理解したようだ。
彼は徐々に間合いを詰めて、獲物を仕留めるために戦斧を振りかぶる。
「お? えたーなるなんとかって技か?」
ヨハンは咄嗟に散弾銃を横に向けて頭上に掲げ、まるで戦斧を受け止めようとしているような動作を見せた。
「隙あり!」
仮にヨハンが散弾銃で防御したとしても、ルートヴィヒの振るう戦斧は超重量の得物だった。
戦斧の刃を受けたとしても、ヨハンの腕力ではそのまま押しつぶされてしまうだろう。
「エターナル・バトルアックス!」
「そこで力んでどうすんだ!」
ヨハンは戦斧を受け止める寸前で半身になるように動いて攻撃を躱し、膝から体重を抜いて崩れおちるように転がった。
「見よ! これが紛い者の正体だ! まさに下賤な出自にふさわしい!」
一見して無様な避け方をしたヨハンに、必殺技を避けられたルートヴィヒと観客たちは嘲笑を浴びせた。
しかし、ヨハンの耳には音楽しか聴こえていない。
ルートヴィヒの股の間に仰向けで滑り込むと、ヨハンは拳銃を抜いて撃った。
弾丸はルートヴィヒの甲冑に命中して貫通はしなかった。
しかし、当たったのは彼の臀部の中央だった。
《っぶ!》
ルートヴィヒの後ろ姿を見たマイアが思わず失笑を漏らした。
その笑い声は、
〝石を投げるわ、人を痰壷扱い♪ おいおい、こんなのってアリかい♪ その上、オイラを見殺しかーい♪ こんなのアリかい♪〟とアウトロに差し掛かろうとした音楽にかき消された。
ルートヴィヒと彼の誇る鎧を全力を尽くして虚仮にする――このためだけに、ヨハンはわざわざ競技用の拳銃弾を調達して、拳銃に込めていた。
競技用に使われる〝ワッドカッター〟という種類の弾頭は、的に命中すると綺麗な真円の弾痕を刻むものだ。
「これはひどい……」
ルートヴィヒの甲冑の尻に刻まれた弾痕を一瞥して、シニアはうなだれた。
ヨハンは立ちあがりながらルートヴィヒに挑発を仕掛けた。
「ほら来いよ――あと三〇秒しかないぞ?」
そう言って、さらに散弾銃にスラッグ弾を込めて、撃ち続けるが、やはりルートヴィヒの甲冑を貫くには威力が足りない。
「無駄なことを! 賤民が真の貴族に逆らえぬことを、思い知るがいい!」
今までは一方的にヨハンが攻めているようにも見えるが、ルートヴィヒや観客には違う姿に映っていた。
事実として、ヨハンはルートヴィヒに通用しない銃撃を繰り返しているにすぎない。
そのことを理解したルートヴィヒは、恐れずに間合いを詰めてヨハンを仕留めようとする。
そのたびに、ヨハンは転がるようにして泥だらけになりながら、大ぶりの一撃をかいくぐって躱す。
「おのれ!」
拮抗しているかのようだが、ヨハンの持ち込んだ銃弾には限りがある。
それが尽きれば、もう彼に抗うすべはなくなるのだと、決闘を見守る人々は理解していた。
ヨハンは機敏に動き回って、ルートヴィヒの攻撃を躱し続けているが、やがては体力も尽きてしまうだろう。
「さあ潮時だ」
ヨハンの残弾がニ発になった。
彼は装具からシェルの色が緑色のものを掴んだ。
決闘に際して、ヨハンは慎重にルートヴィヒの着用しているフルプレートメイルについて調べを進めていた。
彼の着用しているものは完全閉鎖式のもので、近接攻撃や銃弾をはじめとしたあらゆる攻撃から、着用者を守るように設計されている。
また、毒ガスや神経ガスといった生化学兵器に対しても、専用の空気清浄機構が内蔵されており、対応できるようだった。
さらに、着用者の運動を助けるために内部には補助用の人工筋肉も張り巡らされており、同時にそれは銃弾や破片などの直撃を受けたときには衝撃吸収剤としても機能する。
動作は空気圧の過給によって行われており、それらを機能させる外気の取り込みは、背部の換気口を通して行っている。
〝まるでアキレスみたいに完全無欠ってわけだ〟
ヨハンは調べ物を手伝ってくれたソフィアに言った。
妖精の少女は、
〝アキレスは完全無欠じゃない――足首が彼の弱点なのを知らないの?〟と有名な故事を知っているかと訊いた。
〝そいつは知らなかった〟
ソフィアはこのやりとりで、彼は完全無欠を標榜する甲冑の弱点を見抜いたようだと気づいた。
そして彼女は、
「終わったらそれちょうだい」と言った。
机においてある、決闘の小道具に使うために用意したギニー金貨が陽射しを受けて輝いていた。
ルートヴィヒの一撃を躱して散弾銃を構えたヨハンは、
「喰らえ! エターナル・ドラゴンブレス!」とルートヴィヒの真似をしながら言って、引き金を絞った。
「!?」
ルートヴィヒの視界に映ったのは巨大な炎の塊だった。
そのとき、ヨハンの散弾銃からは正しく竜の息吹きのような、火をまとった散弾の嵐だった。
燃える散弾はこれまでと同じように、ルートヴィヒの甲冑を貫くことはできなかった。
「ヒャッハー! こいつはオマケだ!」
ヨハンはもう一度、同じく火を吹く散弾を浴びせると、散弾銃を投げ捨てて拳銃に持ち替える。
後退したままの遊底の横にあいた排莢口から薬室へと弾を装填した。
その間もルートヴィヒの甲冑は燃え続けている。
「ヨハンの勝ち」
観客やルートヴィヒ――というよりも、ヨハンとソフィア以外の全員が異変に気がついたのはこの頃だった。
先ほど撃った〝ドラゴンブレス〟は、散弾の一粒一粒に夜間の戦闘で、銃弾の軌跡を目視するために用いられる曳光弾に使われるような燃焼剤を定着させたものだった。
しかし、それだけではルートヴィヒの全身を燃えあがらせることは不可能なはずだ。
にもかかわらず、実際には〝ドラゴンブレス〟が命中しなかった部分からも出火している。
《説明しよう!》
いつのまにか、地面から端末水晶を拾ったヨハンが声をあげた。
《その一! 俺が最初に撃ちまくってたのは、ただのスラッグ弾じゃない――マグネシウム製の特注品です。その二! この馬鹿は、全身が防弾だから調子こいて、しこたまマグネシウムの弾を喰らいました。その三! 砕け散ったマグネシウムはとっても燃えやすいでーす!》
そう言うと、ヨハンは燃え上がるルートヴィヒの傍に無造作に歩み寄っていく。
多少の熱や火炎では甲冑や、中にいるルートヴィッヒに損傷を与えることはできないはずだった。
しかし、
「……!」
ルートヴィヒは戦斧をとり落とすと、急に苦しみだし、その場で狂ったように暴れはじめた。
それを見届けたヨハンは解説を続ける。
《その四! 閉鎖式の甲冑は、背中の換気口で空気を取り込むが――今、そこにある空気は、ある物が猛烈な勢いで吸い取ってる真っ最中だ! その五! わからない阿呆は小学校で理科の勉強をしてこい! その六! このままだと酸欠で死ぬぞ!》
ヨハンは再び端末水晶を放りだして、拳銃を構えた。
ルートヴィヒは両手で頭にあるバイザーを開けるレバーを必死で探りはじめる。
「……」
誰も何も言わず、決闘の場でヨハンは先ほどの音楽の歌詞を口ずさむ。
「お母ちゃーん♪ オイラ人を殺しちまったよ♪ 頭に銃を突きつけて、引き金カチャカチャしただけなのに♪ そいつ勝手に死んじまったんだ♪」
倒れたルートヴィヒとそれを見おろしながら、拳銃を構えるヨハン――勝敗はすでに明らかだった。
ルートヴィヒは観念したのか、バイザーを開いて、咳き込みながら喘いで呼吸を取り戻そうとした。
しばらくして落ち着いた彼は言う。
「わたしの負けだ――こうなっては、潔く敗北を認めてやるのが、正当なる帝国貴族というものだ。しかし、貴公は善戦したが、それは実力ではなく弾丸の力に依るところが大きい」
ルートヴィヒが敗北を認める口上を聞かされている間、ヨハンは欠伸をしていた。
「待て! 貴族の私が恥を忍んでいるのだ――その不遜な態度を改めて、我が降伏を受け容れるがいい!」
「嫌なこった」
ヨハンは引き金を絞って、むき出しのルートヴィヒの顔面を撃った。
弾丸はまっすぐ彼の口に吸い込まれていき、防弾ヘルムを血と脳髄と砕けた頭蓋骨の容器に変えた。
「状況終了――いやー実に正々堂々とした決闘だったな」
周囲を見渡しながらヨハンは言った。
《勝負あり!》
マイアの宣言は、ルートヴィヒの死亡宣告と同義だった。
「……卑怯だ!」
観客の中にいた一人が立ちあがって叫んだ。
「ヘル・ゼブルンは降伏の意を示していたはずだ! にも関わらず、スミス卿は不必要な止めを刺した! これは騎士道の精神にもとる行為だ!」
声をあげているのは、ルートヴィヒと同世代の貴族の子弟と思しい若者だった。
《静粛にせよ!》
増幅されたマイアの大音声が決闘場を包んだ。
しかし、興奮した観客たちはそれぞれ武器を手に席を降りはじめる。
まるで怨嗟の地すべりだった。
「まったく近頃の若者は――下がりあれ、坊や。これ、坊や……?」
剣を片手に、ヨハンを守ろうと前に出たマイアだが、彼女の思惑を無視してヨハンはシニアから上着を受け取って、悠長に細巻きに火をつけていた。
あっという間に、ヨハンは殺到した貴族の若者たちに取り囲まれる。
「どうか、お通し願います――エフライム侯」
「ならぬわ! 痴れ者め――これは尋常の決闘であった。その結果の如何に関わらず、決着に異を唱えることなど、まかりならん! いわんや観客のどこにその資格があるっ!? これ以上の狼藉に出るとなれば、そなたらに騒乱罪を適用する!」
「しかし……」
「降伏した相手に止めを刺すような、騎士道精神を踏みにじる行為を容認など、できません!」
押し問答をはじめるマイアたちを見て、ヨハンは端末水晶に向かって言う。
「ブレイク、ブレイク、ブレイク――全隊へ。シックスだ。暴動が起きて殿下が危険だ。うわー、なにをするー」
《アルファ、突入!》
その瞬間、完全武装したハーレークイン小隊が闘技場に突入してきた。
その中心にいたミリアムが前に出て、剣を抜いて言う。
「サムエル王太子殿下の仮御座所である、エフライム侯爵邸を騒がせた不届き者共を制圧せよ! 抵抗があれば実力で排除! 交戦を許可する!」
《シエラ、発砲開始》
《ブラボーはいつでも援護できます》
ヨハンたちを囲んでいた貴族の子弟たちは、突入してきたミリアムたちによって、楔を打ち込まれた丸太のように二分された。
「大尉! 指揮権をお返し申し上げます!」
ミリアムが拳銃の予備弾倉を投げてよこしてきた。
それを受け取ったヨハンは手際よく、弾倉を交換すると言う。
「お祭りの二次会を楽しむぞ! お嬢さんたち!」
彼は迷わず、マイアに詰め寄っていた貴族の若者を撃った――胸に二発、頭に一発の銃弾を受けた敵はその場に倒れていく。
「討っていいのは、討たれる覚悟を決めたやつだけだ! わかったかっ!? 馬鹿ども!」
ヨハンは古典の引用をしたが、
「綴が違う――正しくは〝撃って〟のはず」とソフィアに間違いを指摘された。
翌日の新聞各紙は一面で、エフライム邸の騒乱未遂を報じた。
内容は一部分をぼかしており、あくまで〝決闘の場で興奮した貴族の若者たちが懲らしめられた〟という体裁で記事は書かれている。
決闘がヨハンとゼブルン侯爵の直系の甥である、ルートヴィヒによるものだったことは伏せられていたものの、訃報欄にはルートヴィヒをはじめとして、貴族の若者が〝偶然相次いで急死した〟ことが載せられた。
報道管制が敷かれたとしても、人の口に戸は立てられるものではない。
また、先日の報道と合わせて読めば、決闘の結果は明らかだった。
後日のことだが、決闘を挑んだルートヴィヒをヨハンが部下とともに待ち伏せして私刑にしたという噂が〝実は……だった〟と貴族社会の中では流布するようになっていった。
これに関して真相を知る当事者であり、決して嘘をつかないマイアに貴族の誰かが質問をしたらしい。
彼女は〝尋常の決闘だった〟と答えるにとどめていた。
新聞を畳みながらサムエルは言う。
「見事だったよ――しかし、こんどのことで君は貴族社会をまるごと敵に回したよ。いいのかい?」
サムエルは決闘の後もマイアの屋敷にそのまま逗留していた。
警備の計画にはなかったが、ここならば飛竜の発着にも不都合がないし、なにより帝国で二番目に安全な場所でもあった。
「このくらい派手にやれば、部下に変なちょっかいを出す馬鹿は、二度と現れないだろ? 俺は貴族どもの天敵でいた方が、色々と都合がいいんだ――敵にも味方にもな」
サムエルは微笑した。
そして、彼の帰国は当初の横断鉄道での帰国を変更して、いつかのように洋上でレヴィアタンと合流して行うこととなった。
「おかげで姪っ子への愉快な土産話ができたよ――それにほら、君のおかげで儲かった」
別れ際に、サムエルは小切手を見せびらかしてくる。
どうやったのかはわからないが、サムエルはあの決闘の闇賭博に参加して〝小銭〟を賭けていたらしい。
小切手に並んでいるゼロの数に気がついたヨハンは目の色を変えた。
「あ、ずるいぞ! 半分寄越せ!」
「欲しければ君が魔界まで取りにきたまえ!」
そう言って、サムエルと彼の従者たちを乗せたレヴィアタンは海中深くに潜っていった。
「小官に見合いを申し込んでいた他の候補者たちが、揃いも揃って辞退したとの知らせが父上より届きました――まったく、それもこれも全て大尉のせいです」
任務を終えて第九九連隊基地に彼らが戻った数日後にミリアムは言った。
口調には棘があったものの、彼女の顔を見れば本音と建前を使い分けていることがよくわかった。
「おめでとう――少尉」
いつもの感情と抑揚に乏しい口調で、ソフィアが拍手を送りながら言った。
彼らの机の上に仕切りで設けられた〝ソフィアの場所〟には、保養地で手に入れた拓本の巻物の他に、一枚のギニー金貨が飾ってあった。
その持ち主は机の上で昼寝をしている〝ジェネラル〟の上に寝そべっていた。
「なにもめでたくはないが――貴官の尽力に礼を申し述べよう。特務准尉」
「ん」
「大尉――聞いてます? ちゃんとしていただかないと、困ります」
「へいへい――そう、俺のせいにしたらいいさ。大気汚染も、存在しない金を貧乏人に貸しつけて破綻した住宅ローン問題も、ぜーんぶ俺のせいだ。外の騒ぎと、俺たちの謹慎処分もな」
ハーレークイン小隊には八週間の謹慎処分が下されていた。
その根拠は、帝国軍規定に定めてある〝私闘禁止〟をヨハンが公然と破ったことにある。
マイアによって、ヨハンが個人で行った決闘は貴族社会の慣例に則った、合法的なものとして処理されていた。
しかし帝国軍としては現役の士官が、任務中に決闘を行うことを容認できないということだった。
議論の余地のない正論だと思われる。
具体的な処分は謹慎にくわえて、ヨハンには戒告と減俸が課され、連帯責任として、副官以下の幹部たちにも軍歴には残されないが、譴責が下された。
「外の騒ぎもヨハンのせい」
猫の上で寝そべったまま、ソフィアが窓の外を指差した。
あの決闘の決着と、その後に起きた一方的な殺戮に納得しない、ルートヴィヒと親しい門閥貴族の子弟たちが復讐心に燃えて、連日この基地に押しかけている。
そして〝真実〟を追求したいマスメディアの取材もそれに便乗しており、基地の正門は騒がしかった。
空軍中将にして、軍においても数々の肩書を頂くマイアの権限と権勢をもってすれば、軍においても、おそらくヨハンたちに処分を下されないような処置がとれたであろう――にも関わらず、あえてそうしなかった可能性がある。
余談だが、マイアは空軍元帥に面会した際に、自分に対してもヨハンと同じ処分を下すよう上申したという――彼女らしい逸話がまた増えた。
結果的に彼らは〝謹慎中〟という名目で、外の騒ぎに巻き込まれないで済んでいる。
おそらく、竜族の長は決闘のあとでこうなるとわかっていたのだろう。
ソフィアの仮説を聞いたミリアムは感心したように言う。
「さすがは、エフライム閣下――全てあのお方の掌の上だったということか」
「そうじゃなきゃ、ヨハンを育てられない」
妖精の少女が真顔で言うとミリアムが失笑を漏らした。