第13話 悪魔よりも狡猾なのはいつも人間の方だ
――ようやく帝国と魔界の間で、講和条約が締結されようとしていた。調印式に魔界からの大使として派遣されたのは、やはりサムエルであり、その護衛を任されたのは言うまでもなくハーレークイン小隊だった。しかし、ヨハンはサムエルの直衛をミリアムに押しつける。副官に何を狙っているのか訊かれた彼は〝掃除〟をしに行くと答えるのだった。
「うーん……」
珍しく真面目に机に向かっているヨハンが、うめき声を漏らした。
その手元には新聞がある。
「……?」
いつになく真剣な眼差しで新聞を読む上官の姿を訝しむように、ソフィアは抱えていたペンを立てて、飛び上がるとヨハンの背後にまわった。
肩の上に立って下を見て、
「求人欄――ヨハン、軍隊を辞めるの?」とソフィアは訊いた。
「えっ!?」
成り行きを横目に、自分の仕事をしていたミリアムも顔をあげた。
「そろそろクビになるかもしれないからなあ」
机を立ったミリアムが、
「こんどは一体なにをなさったのですかっ!?」と声をあげた。
「俺はなにもしちゃいねえって――というか、お前さんたちも他人事じゃねえぞ」
そう言いながら、彼は新聞をめくって一面が見えるようにした。
見出しには〝帝国と魔界の講和なる〟とあった。
数ヶ月に及んだ講和交渉が、ようやく一段落したらしい。
新しい条約の締結のために、近々、両国の大使が集って調印式が執り行われる。
「帝国と魔界の講和と私たちになんの関係があるの?」
「大アリだ――これで帝国と魔界がまかり間違って完全に和解なんてしてみろよ――そしたら軍縮が進んで、軍事予算削減のしわ寄せが真っ先に来るのは〝得体の知れない、問題ばかり起こす小隊〟だろ。部隊は解散、人員の再編成で俺のクビが飛ぶってわけだ」
「……」
ミリアムは無言でうつむいた。
ヨハンの考えは珍しく真っ当で、仮に魔界連邦との講和でこの国に久しぶりの平和が訪れたら、帝国政府は財政緊縮の政策の一環として軍縮を進めるだろう。
その場合、帝国軍は彼のような士官を罷免する可能性が高い。
「ってのは冗談として」
「は?」
ミリアムが訊き返すと、ヨハンは細巻きを取り出して火をつける。
「いやほら、こういう条約ってのは本音と建前ってやつがあるから――握手を片手で交わすのは、もう片方の手で銃を持つためだろ? お互いにな」
「……つまり?」
ソフィアに促されるまで煙を味わっていた彼は話を先に進める。
「これからは不正規戦や突発的な武力衝突、対ゲリラ戦闘やテロへの即応と対処が必要になってくる――さてここで次の問題だ。現状の帝国軍で、即応展開と不正規戦に最も特化した部隊はどこでしょう? 北部の永久凍土で捕虜労役に従事するより忙しくなっちまったら、俺は辞めるぞマジで」
「……」
「……」
部下の乙女たちは揃って答えなかった。
「しかしこれ、新聞ってのはろくな求人が載ってねえな――別に欲張るつもりはないが、ほどよく殺伐としたアットホームな職場で、給料が今より高いのがいいんだが。年俸は一万シリングでいいや」
「そんなの載っているわけないでしょう」
ミリアムが呆れたのを聞き、
「強襲上陸作戦時の艦砲射撃より役に立たねえな」とヨハンは必要もなく海軍を引き合いに出して悪態をついた。
それから彼は机の上に広げた新聞の上で拳銃の整備をはじめた。
弾倉を抜いてスライドとフレームを分離させて銃身を抜きとる。
「これはなに?」
ソフィアが机にあった小さい箱の上に立って訊いた。
「新しい照準だ――拳銃のな」
工具を使ってスライドから照星と照門を取り外す。
ソフィアに箱からどいてもらい、新しい部品を取り出して元と同じように組み込む。
その様子を眺めていたミリアムが言う。
「支給品に手を加えるのは、後で問題になりませんか?」
「外装だから問題ないって――大佐に許可はとってきた。装備点検のときには、素のスライドに戻すしな。シリアルはフレーム側に彫ってあるから、絶対バレないぜ」
「そういうときは手際がいいんですね……」
元通り組み立てた拳銃に弾丸が入っていないことを念入りに確かめてから、ヨハンは拳銃を構えてみる。
新しい照準は元々の部品よりも大きめで背が高く、照門と照星には発光管が埋め込んである。
構えてみると照星は視野の中でかなり大きく目立つようになった。
「この前、うちにもサイレンサーが入ってきただろ? 銃口の先っちょにある筒に照準が隠れちまうんだよな――至近距離なら別にいいが、七ヤード離れた人間の頭を狙うなら、照準が使えないと困る」
「そう」
その説明をソフィアは聞き流した。
彼は照準の調整用の工具と私物の弾薬を手提げバッグに詰めて、
「ちょっと試射と精度を出しに行ってくるから――なにかあれば来てくれ」と言って出ていった。
しばらく経った頃、射撃場で照準の調整をしていたヨハンをソフィアが呼びに来た。
どうやら昼食の時間らしい。
「前より点数が下がってる――調整が不十分?」
標的の孔を数えたソフィアが訊いた。
「フロントサイトが大きくなったせいだろうな――単純な精度は前よりけっこう落ちてる。両手持ちの二五ヤードで、前までの三インチから五インチに散らばってる。その代わり、近距離でのスピードが格段に速くなった。二発目以降のコンマ二秒は撃ち合いでは大きな差だぜ」
ヨハンは目に見えて上機嫌な様子で銃と無縁の妖精の少女に語った。
ソフィアはソフィアで、それを黙って聞いている――以前の彼女ならば〝興味ない〟と返していたはずだ。
「精度より速度をとったの?」
「ああ――速射したときに跳ね上がった照準を見つけやすくなった」
軍隊では拳銃を使う場面は限られるため、これまではあまり重要視されていなかった。
そもそも拳銃の弾丸は小銃用に比べて射程と威力が桁違いに低く、上級指揮官や高級将校の護身用といった、消極的な用途にしか運用されていないのが実情だ。
ところがハーレークイン小隊のような不正規戦に特化した部隊となると、話は別だ。
拳銃は小さい武器であり隠匿しやすく、民間人を装っての諜報活動や通行人に紛れての要人警護といった任務に適している。
また市街戦では狭い場所での戦いも強いられるため、限られた遮蔽物を有効に活用しなくては生き残れない。
そのためにも小さく構えられる拳銃を積極的に使用する必要が生じてくるだろう。
これらのことから、ヨハンは自分の小隊がより積極的に拳銃を使用するために、基本性能を見直す必要があると判断したらしい。
当初は銃身をはじめとした内部の大幅な改良を施そうしたのだが、市販されている高精度な部品と帝国陸軍の制式弾薬に使われている雷管との相性が悪く、不発や装填、閉鎖不良が頻発した。
市販の競技用に使われる高信頼性弾薬を用いたときには、それらの諸問題は発生しなかったのだが、軍隊という組織は弾薬の管理に特に厳格だ。
ヨハンは自分だけの責任に収まる範囲ならば、軍規や法を犯すことに躊躇しない人間だが――それを部下たちに押しつけることには消極的だった。
ヨハンとソフィアが昼食の後で執務室に戻ると、シニアから統合参謀本部に出頭するように通達が来たことを伝えられた。
ミリアムとソフィアに留守を任せて、彼はシニアとともに統合参謀本部に出向いた。
そこでハーレークイン小隊に新しい任務が与えられる――内容は要人の警護だった。
帝国の代表と魔界連邦の大使が、六週間後に洋上の艦上にて調印式を行う。
また、その日の夕刻には晩餐会も催されるそうだ。
ヨハンたちに任されるのは例によって、誰もやりたがらない魔界側の大使の警護だ。
「これは先方からの希望でもあるのだが――ぜひ貴官らに身辺警護を頼みたいと大使閣下の仰せがよせられたそうだ」
統合参謀本部の陸軍次席幕僚の一人である、スヴェンソン准将が言った。
「まさか……」
ヨハンは嫌な予感がした。
「大使閣下はサムエル王太子殿下ですな」
シニアが言うとスヴェンソン准将は頷いた。
「その通りだ――では」
翌日、ヨハンは小隊の幹部と各班長を召集して、警備計画の基礎方針を決める。
「王太子殿下の移動手段に飛竜を運用するのですか」
「異論があるか? 上級曹長」
「いいえ――しかし、飛竜も万能ではありません。ましてや帝都を飛行するとなると、発着地点は限られてきます。民間の飛行場を徴発するとしても、晩餐会の会場までは結局、馬車で移動するのでは飛竜を使う意味が半減してしまいます」
いつもながらシニアの懸念は妥当だった。
しかし、この解決策をヨハンはすでに考えていたようだ。
「会場に直に降りればいい――そのために、無駄に広い庭のある貴族の屋敷で晩餐会を開くよう、ボーマン大佐の名前で上申した」
ヨハンはミリアムを見た。
「……? 小官になにか? 大尉」
「お前さんの実家にも、なかなか広い庭がありそうだな」
「唐突になにを仰る……」
「ほーら、こんなに広いじゃないか」
ミリアムの言葉を遮って、ヨハンは帝都の外苑のとある伯爵家の図面をテーブルに広げた。
地権者の欄には〝シメオン伯爵〟とある。
「まさかっ!?」
「ピンポーン――そのまさかだ。任務とはいえ里帰りができるし、おとっつぁんに元気な顔を見せてやれよ。少しなら時間もとれるし」
ミリアムは嘆息した。
彼女は唇を尖らせてヨハンに言う。
「エフライム閣下の御用邸を拝借されたら、済んだのではありませんか?」
「俺もそれ訊いたんだ――でも、なんか人間と魔族の政治に竜族がでしゃばるのは良くないって、ババアが宣ったらしい。というわけで、次だ次。なんだっけ?」
「近接航空支援の体制についてであります」
シニアが補足した。
「当基地より空軍から与力として派遣される、バンジョウ大尉とは別のハーキュリーズが狙撃班の半数を乗せて出撃する予定となっておりますが」
ミリアムの言葉にヨハンは首を振った。
「ランサーを呼ぶ――モアブを搭載させてな」
「なっ!?」
「それは無茶です――大尉」
ミリアムが驚き、シニアは憮然としたような顔で首を振った。
ランサーは帝国空軍の戦略爆撃飛竜だ。
先日のリーベルラントの動乱で投入された際には、敵の対空監視網の隙間を突破して空爆を成功させている。
その打撃力は凄絶の一言では生ぬるく、わずか一度の攻撃で敵の司令部は灰燼に帰した。
空爆と並行して敢行された空軍と協同した陸軍の空挺作戦と、海軍が独力で行なった陸戦隊による強襲上陸に敵は組織的な抵抗が出来ずに制圧された。
そして〝モアブ〟とは、帝国の航空戦力が投射できる中でも最大の爆弾だ。
重量だけでも二〇〇〇ポンド爆弾の十倍を超える代物で、加害範囲は数クリックに及び、一発で街ひとつをまるごと吹き飛ばすことができる、燃料気化爆弾が爆竹に見えてしまいそうなほど凶悪な兵器だ。
そんなものを一体、なにに使おうというのか――部下たちの視線を集めたヨハンは言う。
「モアブは保険だ――万が一、あのクロンボのガキがとち狂ったときに、確実に仕留めるためのな。以前の作戦で、俺は何度かあの野郎に弾を喰らわせたのに、外れちまったことがある」
ヨハンはソフィアを見た。
「私もその場にいた――彼の一族は天候にある程度干渉する魔術を得意としている」
「どういうことでしょう?」
ミリアムが首をかしげた。
「あの野郎は空気の壁に真空の隙間を、ミルフィーユだかペチコートみたいに張り巡らせて、気流を乱して弾道を逸らせるってことらしい――もしくは俺の射撃が下手か。おい、ここ笑うとこだぞ?」
「面白くない」
「なんだよ今畜生め」
そう言って、ヨハンはソフィアのスカートを狙って指をはじいて、八つ当たりした。
「なるほど――それでモアブというわけですか」
シニアが神妙に頷いた。
「天候を操作できる能力を上回るだけのエネルギーを、爆風として彼にぶつけようというわけですか――大尉」
ミリアムが確認するように訊くとヨハンは頷いた。
「マーク八四でもいいんだが――奴さんの底力がわからない以上、半端なのを使っても意味ないからな。叩くなら出し惜しみはなしだ」
「ちょっとお待ち下さい――大尉、我々の任務はサムエル王太子殿下の身辺警護のはずです。その我々が、なぜ殿下の攻略法を検討しているのですか」
ヨハンは瞬いた。
「そういやそうだ」
「ちょっと、大尉! しっかりなさってください」
ミリアムは上官の態度に我慢できなくなったのか、声を上げて窘めた。
「いやいや、これでも真面目にやってる方なんだって――警護の話に戻るが、お前さんはクロンボのガキに張り付いてもらう。礼服はあるよな? シャツにはきっちり糊を利かせておけよ」
ミリアムは意外そうな顔をした。
通常の要人を相手の任務ならばいざしらず、王侯貴族の護衛ともなれば、責任者であり部隊の最高階級の人間が対象の傍に就くものだ。
その慣例を敢えて破るとヨハンが言う――こういうとき彼には必ず何か別の狙いがあるはずだ。
「では、大尉は?」
「俺は別働隊を率いて〝掃除〟だ――前回はドタバタして、放っておくしかなかったが、この機会に暗殺犯どもは懲りずに攻めてくるだろう? 一人残らず、ぶっ殺してくる♪」
彼は笑みを浮かべて親指を立てた。
平時や普段はまったく頼りない上官だったが、事に及んだ時に限ってこの指揮官は信用できる。
それに、訓練はしているものの、ミリアムにはまだ市街地戦闘の経験がない。
それを踏まえての采配なのだろう。
「わかりました――大尉の名代として、サムエル王太子殿下の直衛に付きます」
ヨハンは頷いた。
「頼んだ――シニア、あんたは前と同じくハーキュリーズに乗り込んで、全体の統制をしてくれ。ついでに狙撃チームの指揮も任せる」
「了解」
「私は?」
ソフィアがヨハンの耳を引っ張って訊いた。
「通信の管制だ――シニアに同行して、随時状況を俺に報告しろ――同時に、周辺部隊の通信の傍受もやってくれ」
「ん――わかった」
「では次に――暗殺者の動向と前回の襲撃を踏まえた上での、警備計画ですが……」
三週間後。
帝国海軍連合艦隊旗艦〝ギャルリー・デス・グレース〟は艦隊の陣形を保ちながら大河を遡上した。
彼女たちは数日かけて、事前に通告のあった大河の中間地点で魔界連邦の最大海竜、レヴィアタンとの邂逅を果たした。
それから彼らは、ともに大河を下って帝国の領海内を進みながら、帝都から最も近い湾を目指す。
帝国と魔界の海軍が艦隊を組むのは、言うまでもなくこれが初めてのことだ。
それからさらに三週間後に帝都の湾に艦隊の陰が見えた。
上陸用舟艇に礼服を身に着けたミリアムが乗り込んで、迎えに現れるとサムエルは少しだけ意外そうな顔をしたものの、すぐに笑みを見せて彼女との再会を喜んだ。
サムエルをはじめとした魔界側の代表団は舟艇に分乗、ギャルリー・デス・グレースに接舷した。
ミリアムが間に立ち、旗艦の艦長と連合艦隊を指揮する提督をサムエルに紹介し、海軍の重鎮たちは魔界の王太子を自分の舟に迎えられた栄誉に感謝と歓迎の社交辞令を述べた。
「それで、彼は?」
調印式が始まる前に着替えをしていたサムエルが衝立越しに訊いてきた。
「は――殿下に申しあげます。スミス大尉は、殿下のご親近を騒がせうる賊を討伐するため、本日未明より出撃されました。大尉からは、殿下におかれましてはご無礼をご容赦賜りたいとの由です」
「うん――わかったよ」
サムエルは人懐こさを匂わせるような、柔らかな笑い声を交えながら言った。
「ところで、彼が人に無礼を赦してもらうことって――あるのかな?」
付添の侍従たちに頭にターバンを巻きつけてもらいながらサムエルが言った。
ミリアムは答えに窮した。
数時間前。
「シエラへ――シックスだ。ピクチャーをくれ」
《シックスへ――こちらワン。標的を捉えました、いつでも撃てます》
《ツー、同じく》
「シックス了解――合図を待て」
狙撃班の報告を聞いたヨハンは、小銃の安全装置をはずした。
彼はヘルメットを拳で二度叩きながら、
「ブリーチャー、前へ」と命じた。
爆破を得意とするシュミットが前に出て建物の扉を調べる。
その素材、錠前の種類や蝶番の仕組みなどで、それぞれ破壊の方法が異なるためだ。
シュミットが扉を調べる間、ヨハンをはじめとした他の隊員たちは全周を警戒することになる。
彼らの周囲は狙撃班とは別の位置に軽機関銃で重武装した援護班が陣取って、周りの監視をしている。
ヨハンたち、ハーレークイン小隊の別働隊はサムエルを狙っているという暗殺犯の情報を得て、その隠れ家に強襲をかけるところだった。
場所は帝都の郊外にある断絶した貴族の屋敷で、持ち主が転々とした後に民間の海運会社が税金対策の一環で保養施設として購入したものだった。
シュミットが扉を爆破する、専用の爆薬を仕掛けて頷いた。
「ブリーチ・クリア」
ヨハンの命令でシュミットが起爆装置を二回叩くように点火した。
轟音がして扉が奥に向かって吹き飛ぶ。
「全隊へ――シックスだ。任意発砲と交戦を許可する。ブレイク、ブラボーチームは建物への発砲は|控《ひかえろ」
《シエラ、発砲開始――仕留めました》
《シックスへ――ブラボーは裏口から出る敵を叩きます》
「行くぞ野郎ども!」
衝撃波で巻き上げられた埃と爆炎が収まらないうちに、ヨハンは先陣を切って突入した。
玄関ホールで突入班は二手に分かれて、ヨハンの班が二階へ向かう。
一階はローガン一等軍曹が率いる班が制圧する手はずだ。
「コンタクト!」
廊下の先に、小銃の銃身が突き出ているのをヨハンは見つけた。
「ハイ・ロー!」
その合図とともに彼は中腰になりながら、後続の部下の射界を確保した。
野戦とは違い、市街地における戦闘では狭い場所を一列に進むことが多いため、人数に関わらず正面に対して充分な火力が発揮できない。
先頭が意図的に姿勢を下げて、後続のもう一人が歩調を合わせながら小銃を構えることで、移動中でも火力を維持できるようにすべきだと、彼らはシニアに指導されていた。
ヨハンは左手を突き出す独特の構え方で銃を保持して、敵の胸から喉の高さに合わせて照準を予め定めた。
「!」
侵入者を迎撃しようとした敵が銃を構えたときには、もうヨハンと後続の部下は引き金を絞っていた。
ほとんど同時に発砲し、敵が瞠目しながら倒れていく。
先頭のヨハンたちが敵のとり落とした小銃を蹴飛ばしたとき、背後で味方の銃声がした。
おそらく、倒した敵に後続の部下が止めを刺したのだろう。
今回の出撃に際して、ヨハンが課した交戦規則は標的全員の殺害だった。
この点については賛否あると思われるが、少ない兵力では主犯を悠長に捜して逮捕していられない、と彼は判断したようだ。
〝テロリストの存在しない人権を尊重して、危ない橋を渡るのはゴメンだ〟
後日の彼は臆面もなくそう答え、
〝俺はこれでも敬虔な信徒なんだぜ――どうせ天罰を受ける奴らなら、俺が神の手間を省いてシバいた方がいいだろ? な? なっ!?〟と真顔で同意を求めてきた。
こうして、ヨハンたちは次々に二階の部屋を制圧していく。
事前に充分な訓練と青写真を用いた細かい手順がなくても、彼らは今の自分が何をすべきか、身体に染み込むまで練度を高めている。
互いに目配せもせずに、必要に応じて前後左右に位置を変えながら、巧みに死角を援護し合う。
右の曲がり角に差し掛かるときは、自然と銃床を左肩に滑り込ませながら、両手の位置を替えるといったことも、彼らにとっては呼吸と同じようなものだった。
ヨハンは廊下の角につま先を沿わせて、背後の部下の合図を待った。
態勢を整えた部下に肩を軽く叩かれると、つま先を軸に曲がった。
「!」
廊下の先で、敵が軽機関銃の設置をしているのが見えた。
ヨハンと部下は同時に速射した。
一瞬だけ遅れて、軽機関銃が火を吹く。
「大尉!」
背後の部下がヨハンを突き飛ばしながら、銃火を逃れるために自分もその場に伏せる。
軽機関銃の射撃手は最初の銃撃で仕留めたものの、銃撃が続いているのは引き金が何かに引っかかったのだろうか。
反動で軽機関銃は無茶苦茶に撃ちまくってくるが、すぐに天井に着弾が集まりだす。
ヨハンは拳銃に持ち替えて、伏せたまま発砲して射手の隣にいた弾薬手を撃った。
「フラグアウト!」
背後の部下が、手榴弾を投擲した。
先頭にいたヨハンたちは両腕を交差して顔面を守りながら、ヘルメットを突き出して破片に備えた。
爆発が起きて、軽機関銃の周囲が制圧されると彼らは再び前進を進める。
ヨハンは嫌な予感がしていた。
この施設は間違いなく敵の拠点だが――それにしては防衛兵力が少なすぎる。
敷地を考えると、複数の小隊規模の部隊が待ち構えていると思えたが、これまでに倒した敵は数人だけで、いずれも軽装だった。
また、軽機関銃の設置位置にしてもより効果的に配置できる場所があったはずだ。
まるで、この場所に不慣れな敵が襲撃を受けて慌てて対応しているようだった。
これまでの〝道化師たち〟による犯行を鑑みると、このお粗末な対応に違和感を禁じえない。
《シックスへ――アルファ・ツーは一階を制圧。設計図にない地下へのトンネルを発見しました。ブレイク、トンネルは北に伸びています》
「シニア! トンネルの出口を特定しろ! ブレイク、ブラボーは移動用意! ブレイク、シエラは全員、ブラボーの位置で合流しろ!」
ヨハンは悪態をつきたい衝動を抑えて、部下に新しい命令を下した。
おそらく、ここにいた敵は既に撤退したのだろう。
僅かに残した兵力は、監視と時間稼ぎのためだと思われた。
最後の部屋にヨハンたちは突入した。
そこもやはり無人だった。
というより、最初に狙撃班が仕留めた敵の死体が転がっているだけだった。
「大尉、こちらへ」
主寝室にいたヨハンを部下が呼んだ。
隣室に入ると、そこは作戦指揮所のようになっていた。
「……」
広げられていた帝国の地図を見る――その下には別の図面があった。
橋の橋脚のものだが桁違いに大きい。
これほど大きな橋は帝国にもそう多くはない。
「不味い……」
ヨハンは図面を丸めて部下に渡し地図に戻った。
「全隊へ――シックスだ。敵の狙いは横断鉄道の橋だと思われる。橋を爆破して、運行中の列車を落とすつもりだ。ブレイク、おそらく、調印式の最中に起爆して、両国の関係に水を差すつもりなんだろう」
ヨハンは端末水晶で告げた。
《ファイブよりシックスへ――ハーキュリーズを正面に降ろします。ブレイク、屋敷の確保はいかがなさいますか?》
予定では、この拠点を制圧してから、近くに駐屯する陸軍の第二五師団から中隊が派遣され、引き継ぐことになっている。
ハーレークイン小隊は最低限の歩哨を残して、サムエルの護衛に復帰する手はずだった。
「アルファは全員、玄関ホールに集合。ブレイク、ブラボーとシエラは正面の噴水に展開して、ハーキュリーズの着陸を援護。ブレイク、ファイブへ。宝探しと後始末は後詰めに丸投げだ。連中にも仕事をしてもらわなきゃな」
帝都防空司令部にいたマイアのもとに急報が届いた。
先日、ランサーに搭載されていた爆弾を〝モアブ〟に換装した際に、元々とりつけてあった二〇〇〇ポンド爆弾が紛失したというのだ。
「なんという失態じゃ――兵器管理部はなにをしておった!?」
マイアは狼狽した様子はなく憮然として言った。
またそれにともなって、何者かがリーベルランドにかかる横断鉄道の橋を爆破する可能性があるという報告がよせられる。
警告を発した部隊はハーレークイン小隊で、彼らはすでにリーベルラントに不法越境しているという。
「坊や――また無茶をしおって」
マイアは呆れつつも、ただちに対応策を立てる。
まずは稼働可能な航空戦力の動員だ――しかし、近接航空支援として議会の承認を得ずに他国領に出撃するのは違法だ。
「いかがなされますか? おひいさま」
「……出撃じゃ――よいか、これは捜索救難である。救難飛竜の援護のために最低限の護衛竜の出撃を許可すると、伝えるがよい。海軍にも捜索救難の出動を要請せよ。妾はこれより陛下に勅命を賜る。馬を引けい!」
「今すぐ横断鉄道の列車を止めるよう言え――スヴェンソン准将に掛け合ってもらうんだ」
ヨハンは端末水晶を通じて、鉄道局と交渉しようとしたが、証拠と情報に乏しい状況下では鉄道局の協力は得られそうもない。
また、大陸横断鉄道は帝国と魔界連邦が共同で出資して、リーベルラントの鉄道公社に経営と運営を委託している。
正面からの交渉では時間がかかりすぎた。
「ヨハン――大河を渡る横断鉄道の橋脚は無数にある。どこに的を絞るの?」
ハーキュリーズで合流したソフィアが訊いた。
「これは示威行動だ――帝国と魔界を分断するためのな。なら、橋をぶっ壊す場所は二箇所に限られる」
「つまり?」
ソフィアが促すと、彼はハーキュリーズのキャビンにあるハッチを開いた。
「見ろ――大河の両岸を結ぶ軸線にはなにがある?」
上空を飛ぶハーキュリーズからは大河の様子がよくわかる。
ヨハンが身を乗り出すとその肩に乗ったソフィアは目を細める。
「リーベルラント?」
彼は敵が帝国と魔界の分断を画策するならば、その狙いはリーベルラントを挟んだ二箇所の橋脚を破壊するだろうと推測した。
シニアもその考えに同調した。
さらにヨハンは言う。
「こいつは嫌がらせなんだ――だから俺にはよくわかる。俺の特技は人の嫌がることを進んでやることだ」
「ん――知ってる」
《ハーレークインたちよ――これより我は低空飛行に移る。五〇フィート以下まで一気に降下する》
ハーキュリーズが告げるとヨハンはキャビンに戻った。
「お前さんはキャビンに残れ」
ヨハンが言うとソフィアは首を振った。
「絶対に嫌」
「あのなあ――俺たちはこれから自治領に不法越境すんだぞ? おまけに、やるのは殺しと爆弾処理だぜ」
「起爆方法が端末水晶の遠隔装置だったら? 私なら妨害できる――それに」
「それに?」
「あなたのそばを離れたくない――と言ったら、嬉しい?」
ヨハンの双眸が見開かれた。
「嬉しくない」
即答したヨハンの耳を引っ張って、ソフィアが小さい声で囁く。
「嘘つき!」
ハーキュリーズというより、飛竜という種全体に言えることだが、彼らは空中に留まることを得意としない。
不可能ではないが、それは単独で行う場合に限られる。
仮に兵員輸送用のキャビンを抱えた状態で行えば、激しい振動で中にいる兵士は地雷を踏んだ車両に乗っていたときのように、ただではすまない。
低空飛行から上昇しようとする一瞬だけ、相対的にハーキュリーズは空中で制止する。
その瞬間に、ヨハンたちは飛び出した。
《まったく無茶を思いつくものよ――幸運を祈る、ハーレークインの勇士たち》
彼らの降下を見届けたハーキュリーズはそう告げて、帝国領方面に再び低空飛行で引き上げていった。
「敵だ!」
ヨハンたちは線路上で交戦をはじめた。
降下地点に敵がいるということは、ヨハンの推測は正しかったことになる。
「ブラボーはシニアと展開して敵の舟を探せ! アルファは俺に続いてピールムーブ! ブラボーを援護しろ!」
《シックスへ――ブラボー了解!》
ヨハンは片膝をついて小銃を速射した。
「今だ! 行け!」
《大尉! 後方から列車です!》
シニアが警告した。
線路を振り返るとヨハンたちの背後、帝国側から進発した横断鉄道の列車が警笛を鳴らしながら迫ってくるのが見えた。
「はー、つっか|え――頼りにならねえ連中だな」
「それどころじゃない」
そう言って、ソフィアが〝猫じゃらし〟の光線で敵の位置をヨハンに知らせた。
「アルファ全隊! ピールムーブは中止! ブレイク、通り過ぎる列車を遮蔽にして、一気に前進するぞ! シックス、アウト!」
ギャルリー・デス・グレースの甲板上に設えられた会場で、調印式は滞りなく執り行われていた。
そのとき、ミリアムたちは地鳴りか遠雷のような轟音を彼方に聞いた。
出席者たちは騒然となって煙を上げるリーベルラントの方を見た。
「諸君! 静粛にしたまえ!」
不意にサムエルが凛然とした声を張った。
「何事が起きたか僕にも知るすべはない――しかし、何が起きようとも両国の講和を成すべしと僕は国王陛下より勅命を賜っている。内務尚書閣下、こちらにお越しを願えますか」
「は――失礼をお詫び申し上げます。殿下」
正装した内務尚書が再びサムエルに向き合った。
騒ぎで中断した楽隊の指揮者に軍の高官が頷いて、もう一度最初から両国の国歌の演奏をはじめた。
こうして帝国と魔界の講和は正式に締結されたものの、彼らが本土に上陸する頃になると、被害の甚大さが詳らかとなった。
リーベルラントの魔界側の橋脚が爆破されたものの、帝国側は現地に急行した帝国軍の小隊が起爆装置と信管の解体に成功したらしい。
爆破の直前に帝国側から発車した列車は貨物列車で、乗り込んでいた乗務員と技術者、併せて六人の死亡が報告された。
これによって帝国と魔界連邦、そして両大国にはさまれたリーベルラントの間にはさらなる暗雲が立ち込めることとなる。
爆破に使用された爆弾が帝国空軍の基地より盗難された兵器だったこと、そして都合よく帝国側の橋脚の爆破が阻止されたために、魔界の政府とリーベルランド自治領府は協同して真相究明を帝国政府に求めてくるだろう。
また、リーベルラント領内に事前の通告や許可を取らず、帝国軍の小隊が多数の国際法や条約を無視して不法越境したことに対して、帝国外務省には正式な抗議が届いた。
その上、不法越境したにもかかわらず、帝国陸軍の小隊はすんでのところで実行犯たちを取り逃がしていた。
外務省は統合参謀本部と陸軍省に、状況説明と釈明を求めることになる。
こうして小さなドミノが崩れたことで、帝国は上から下に次第に騒ぎが大きくなっていくのだった。
空軍から派遣された捜索救難飛竜に収容されたヨハンたちは、帝都方面に帰投してギャルリー・デス・グレースに向かうように頼んだ。
予定外の飛竜の着艦は意外にもあっさりと承認された。
船上にいたミリアムと、通信を通してマイアが船長の大佐にかけあってくれたらしい。
「ご無事でなによりです、大尉」
礼服を身に着けたミリアムは、芸術家が生涯を賭して大理石から削り出した彫像のように、完璧な見た目だった。
階級章や略綬のリボンの数に目をやらなければ、一国の王太子の近衛としては彼女ほど見栄えのする人物はいないだろう。
「お前さんにしては気の利いた嫌味だな」
そう答えながらヨハンは飛竜のキャビンから降りてくる。
乾いた泥や埃が服や髪を汚し、顔や手などの露出している場所には、黒ずんだ生傷がいくつもある。
いかにも前線から帰ってきた兵士といった様相を呈していた。
「そんなつもりじゃありませんっ」
「ヨハンはもっと素直になったほうがいい」
ミリアムの弁解とソフィアの小言を無視して、ヨハンは装具のベルトから一クォートの水筒を取り出して、浄水剤を溶かしたヨウ素風味の水で喉を鳴らした。
「状況は? 少尉」
ソフィアが訊いた。
彼女の方は無傷だったが、服や肌には上官と同じく汚れに塗れている。
「調印と式典は無事終了――殿下には、晩餐会まで貴賓室でご休息をとっていただいております」
「よし、案内しろ!」
「しかし……」
「構わん!」
細巻きを取り出しながらヨハンは言った。
「大尉、まずはお召し替えを――お歴々の前をそのままで通るのは、さすがに不味いです」
背後に現れたシニアがミリアムと同じ考えで上官に諫言した。
「……わかった」