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第12話 前線には逆立ちしたカバの絵を掲げよう

――帝国と魔界の講和がいまだ締結していない情勢下だが、両国にはさまれた中洲の中にあるリーベルラントの過激派が武装蜂起した。予想だにしなかった奇襲に帝国軍は後退を余儀なくされ、反攻作戦の機会を窺っていた。そんなとき、前線の基地に任務を帯びたハーレークイン小隊がやってくる。ところが彼らは意外な〝歓迎〟を受けてしまう。

 帝国と魔界を(へだ)てる大河は、岸に立てば見れば海と見間違(みまが)うばかりに川幅が広い。

 大陸からはいくつもの支流が流れ込み、豊かな水量と豊富な資源は多くの恵みをもたらす。

 その大河には自然と中洲(なかす)が点在し、太古から移住した人々が独自の社会を形成していたのだが〝神姫(しんき)〟を(よう)する寺院が進出した頃から、徐々(じょじょ)に帝国による侵蝕(しんしょく)が始まっていった。

 戦前にはいくつかの城塞都市(じょうさいとし)が点在し、それぞれに独立自治(どくりつじち)宣言(せんげん)する、都市国家郡(としこっかぐん)となっていた。

 ところが、帝国と魔界の両大国が大河の領有権(りょうゆうけん)(めぐ)った大戦(たいせん)渦中(かちゅう)に彼らは置かれ、その地政学(ちせいがく)的重要性から存亡(そんぼう)の危機に立たされることになってしまう。

 元々、文化や宗教的にはどの都市国家郡も帝国よりではあったものの、帝国の中央集権と帝政は彼らを信託統治領(しんたくとうちりょう)とし、来たるべき()()()()では侵略(しんりゃく)橋頭堡(きょうとうほ)としようとしていることは明白だった。

 これに反発した都市国家郡のひとつ、新興(しんこう)の都市国家リーベルラント共和国の過激(かげき)民主共和(みんしゅきょうわ)主義者たちが武装蜂起(ぶそうほうき)し、バスチュ要塞(ようさい)陥落(かんらく)させ、さらに帝国の領事館(りょうじかん)と関係者を拘束(こうそく)した一報は、首脳部(しゅのうぶ)を大いに(なや)ませた。

 彼らは自らを〝リーベルラント解放戦線(かいほうせんせん)〟と名乗っている。

 時間をかけて平和的に解決することはできるだろうが、後手(ごて)にまわれば魔界からの介入(かいにゅう)を許してしまうし、そうなればようやく前に進み始めた講和交渉(こうわこうしょう)において、帝国は大きく(おく)れをとるだろう。

 かといって、軍をいたずらに動かして力づくで解決しようとすれば、リーベルラント以外の他の都市国家と彼らが(ぞく)する、共和国連合もこれに呼応(こおう)して、帝国に対する連合軍を結成(けっせい)して侵攻(しんこう)してくるかもしれない。

 そしてこれが最も重要なことだが、大河を境界とする地域は緩衝地帯(BZ)であり、非武装地帯(DMZ)だ。

 したがって、帝国も魔界もお互いにこの地域に軍を駐屯(ちゅうとん)させたり、派遣(はけん)することを禁じている。

 もしも帝国がその停戦合意(ていせんごうい)破棄(はき)すれば、魔界は魔界で水面下(すいめんか)から都市国家郡を支援(しえん)すると思われる――という分析(ぶんせき)が統合参謀(さんぼう)本部から帝国政府には送られた。

 内閣(ないかく)決議(けつぎ)をとり〝神姫〟に帝国本土を防衛(ぼうえい)するための前線を、限定的に構築(こうちく)したいという趣旨(しゅし)上奏文(じょうそうぶん)奏上(そうじょう)した。

神託(しんたく)〟は(くだ)り、それを()()()()として帝国軍は出動した。

 彼らは中洲(なかす)とつながる埋立地(うめたてち)小規模(しょうきぼ)な軍を派遣し、防御線(ぼうぎょせん)構築(こうちく)しているところだ。


〝リーベルラント解放戦線〟による、バスチュ要塞(ようさい)陥落(かんらく)から二週間後。

「ってわけで、()()だぞ――お嬢さんたち」

「へーい」

 第九九連隊(れんたい)基地、ハーレークイン小隊の兵舎(へいしゃ)にある談話室に部下を集めると、ヨハンは統合参謀(さんぼう)本部から受領(じゅりょう)した命令について話す。

「自由と民主共和のためとかいう、クッソ下らない理由で武装蜂起(ぶそうほうき)した馬鹿ども(テロリスト)を横合いからぶん殴るのが、今回の任務だ――詳細(しょうさい)少尉(しょうい)から、はーいよろしく」

 ミリアムに面倒事を丸投げして、ヨハンは椅子(いす)に座って細巻きに火をつけた。

「今回、我らに与えられた任務は、リーベルラント解放戦線が(きず)いた対空砲陣地(たいくうほうじんち)の位置を特定するための、長距離偵察(LRP)である。統合参謀本部にその正確な位置座標(MGRS)を報告し、別命を待つ。敵の支配地域であり、当該地域(とうがいちいき)に味方はいっさい展開できないため、かなりの危険が(ともな)うことは明白である――特務准尉(とくむじゅんい)、地図に印を頼む」

「ん――見える?」

 ソフィアが地図に〝猫じゃらし〟の光線を照らして、敵と味方の前線の位置や、リーベルランドの城塞の位置を示していく。

紺碧(こんぺき)渓谷(けいこく)も、(おつ)なもんだな」

 例によって彼はソフィアのスカートの中身を()()した。

「大尉! そんなに()()()()()()()のでしたら、いつでも小官は状況説明(ブリーフィング)(にん)返上(へんじょう)いたしますが?」

 怒気(どき)をはらんだ口調で注意されて、ヨハンはうなだれた。

 それらにくわえて、統合参謀本部の分析官(ぶんせきかん)たちが作成した〝対空砲陣地があると思われる〟地域を透明なフィルムのようなものに転写した略図を重ね合わせる。

「言うまでもないことだが――対空砲火(AAA)が強固なため、今回は空挺(くうてい)による降下(こうか)はない。我々は当基地を進発(しんぱつ)し、(しか)(のち)、味方前線基地(FOB)経由(けいゆ)して目標地域(AO)に進む。質問は?」

 ヨハンが手をあげた。

「お前さん、第二分隊(ぶんたい)仕切(しき)ってみないか」

「え……?」

 ミリアムは(またた)いた。

 ハーレークイン小隊は、発足時(ほっそくじ)から〝小隊〟といいながら、任務に応じて変則的(へんそくてき)編成(へんせい)をとってきた。

 しかし、軍事組織としては非効率(ひこうりつ)だと言わざるを得ないし、なにより蓋然性(がいぜんせい)にかけるところがあった。

 そこで、ヨハンはシニアの助言を取り入れて、同戦力の分隊を二つ編成して、それを小隊本部が運用する訓練を演習で行っていた。

「少尉の分隊長就任(しゅうにん)に、異論のあるやつは?」

「おりませんよ――大尉」

 シニアが言うと、集まった下士官たちも(うなず)いている。

「あれですね、少尉殿が着任したばかりの頃にやった、行軍演習のときみたいじゃないですか」

「おー、あれキツかったわ」

「あのときの、汗だくの少尉は実に(なま)めかしかったですなあ」

「いや、まったくだ」

「そこ! 私語はやめよ!」

 ミリアムが注意した。

 軍議(ぐんぎ)に戻り、ヨハンとミリアムがそれぞれ分隊を(ひき)いて、シニアが小隊本部に()いて、全体の統制(とうせい)を行うという方針に決まった。



 武装蜂起(ぶそうほうき)した〝リーベルラント解放戦線(かいほうせんせん)〟は、帝国海軍が水上封鎖(ふうさ)臨検(りんけん)といった軍事行動がとれない情勢(じょうせい)を利用して、迅速(じんそく)果断速攻(かだんそっこう)に打って出た。

 寺院や民間の輸送船(ゆそうせん)旅客船(りょかくせん)拿捕(だほ)し、大量に徴発(ちょうはつ)した()()()()()(たて)にして、帝国領に強襲(きょうしゅう)上陸を敢行(かんこう)したのだ。

 現地の帝国軍守備兵力(しゅびへいりょく)は、魔界との講和交渉(こうわこうしょう)が始まったことで大幅に戦力が縮小されており脆弱(ぜいじゃく)だった。

 彼らは敗走(はいそう)余儀(よぎ)なくされ、帝国軍は大河の後方、十六クリック(キロメートル)地点まで後退したところで再編成(さいへんせい)を行い、新たな防御線(ぼうぎょせん)構築(こうちく)しているところだ。

 統合参謀(さんぼう)本部は反攻作戦(はんこうさくせん)()っているところだが、リーベルラントが魔界連邦(れんぽう)から輸入(ゆにゅう)したと見られる新型の自走式(じそうしき)対空砲(たいくうほう)が強力で、その対策(たいさく)苦慮(くりょ)しているようだ。

 ヨハンたちハーレークイン小隊(しょうたい)は敵の射程外(しゃていがい)飛竜(ハーキュリーズ)から()りて、軍用車両とトラックに分乗(ぶんじょう)して味方の前線にたどり着いた。

 第二六連隊(れんたい)駐屯(ちゅうとん)する前線基地(FOB)は、戦時下(せんじか)最前線(さいぜんせん)とは思えないほど、規律(きりつ)(ゆる)みきっている。

「たかが小隊で()()だとさ」

「おめでてぇ奴らだ――()()()()()()()だってよ。ってことは、あのおネーチャンが白粉(おしろい)()ったくって、裸踊り(ストリップ)でもすんのかね」

「おい、妖精(ようせい)まで()れてんぞ――これじゃ軍隊じゃなくて、()()()()だ」

「本職は見世物小屋(みせものごや)なんじゃねえの」

「……!」

 歩哨(ほしょう)に立っている兵たちの嘲笑(ちょうしょう)にミリアムが気色(けしき)ばんだ。

 彼女が反論(はんろん)しようと前に出たところをヨハンが止めた。

 その二人の前にシニアが進みでた。

「口の()(かた)に気をつけろ! 伍長(ごちょう)! 友軍(ゆうぐん)上官(じょうかん)に対して礼節(れいせつ)()くとは、貴様それでも()えある帝国軍人か!」

 シニアがこれまで聞いたことがないほどの怒声(どせい)を放った。

「それとも貴官(きかん)らは帝国陸軍最先任上級曹長(そうちょう)()()を受けたいと申すか!」

 そう言いながら、彼は歩哨(ほしょう)襟首(えりくび)(つか)んで腕力(わんりょく)だけで野戦装備を身に着けた兵士の足を地面から()かせた。

 もうひとりの方は、ローガンがすでに()()していた。

()()()()ならいざしらず、シニアに()めた口を()くとか、新兵ども(FNG)ばかりみたいだなここ――なんか()な予感がするなあ」

 こうしてハーレークイン小隊は()()()()()前線基地〝ヴィクトリー〟に到着した。

 ヨハンは小隊(しょうたい)大休止(だいきゅうし)を指示して、シニアに指揮権(しきけん)移譲(いじょう)すると、ミリアムを(ともな)って基地司令に挨拶(あいさつ)をしに行く。

 その直前になって彼は命令を追加する。

「ローガンとメイソンに(あた)りを(さぐ)らせといてくれ」

「お任せを――大尉(たいい)

「頼む」

「大尉! どうされましたかっ!?」

 ミリアムに呼ばれて彼は大股(おおまた)で歩き出した。

「ようこそ当基地(とうきち)に――と言いたいところだが、貴官(きかん)らが着任(ちゃくにん)することは通達(つうたつ)が来ていない。目的を話せ、大尉」

 ヴィクトリー基地の責任者、コールマン少佐(しょうさ)は言った。

 大隊(だいたい)指揮官(しきかん)(つと)めるべき少佐がなぜ連隊(れんたい)基地の指揮(しき)()っているのか、どうやらそれにも事情があるようだが、この場ではその話は出なかった。

 ヨハンは背嚢(はいのう)から(ロウ)()って防水処理した封筒(ふうとう)(おさ)めてある、統合参謀(さんぼう)本部からの命令書を取り出した。

 ヨハンに代わって、ミリアムが丁寧(ていねい)な口調と発音で言う。

「統合参謀本部秘匿令(ひとくれい)第一一四五一号です――我ら第九九連隊直属第一小隊は、これより敵地に対する長距離(ちょうきょり)偵察(ていさつ)敢行(かんこう)いたします。つきましてはヴィクトリー基地の司令であらせられる、コールマン少佐殿(しょうさどの)にご協力をいただければ(さいわ)いであります。また、情報と物資(ぶっし)提供(ていきょう)をお願い申しあげます」

 コールマン少佐はコーヒーを口に運びながら言う。

「……うーん、つまり貴官らは〝援軍(えんぐん)〟ではない、と? 一体、統合参謀本部は何を考えておられるのか。それに貴官らは、我々に協力を求めるがそれは公平性を()行為(こうい)だとは思わないかね?」

「……は?」

「えぇ……?」

 ヨハンとミリアムは(そろ)って(またた)いた。

 大抵(たいてい)はこういった場合〝うちの仕事の邪魔(じゃま)をするな〟と(くぎ)()されることはあっても、別働隊(べつどうたい)の友軍に()()()を求めるようなことはしないはずだ。

 あったとしてもせいぜい賄賂(わいろ)を要求されるくらいだ。

「とにかく、小官(しょうかん)では判断しかねる部分もある――伝令(でんれい)至急(しきゅう)士官(しかん)たちを召集(しょうしゅう)せよ。スミス大尉と部下の諸君(しょくん)には、決定事項(けっていじこう)()って通達(つうたつ)するため、待機(たいき)を命じるものとする。以上だ、さがりたまえ」

 なによりヨハンとミリアムを(おどろ)かせたのは()()指示だ。 

 コールマン少佐の言葉を翻訳(ほんやく)するとこのようになる、

〝自分じゃ決められないから部下の多数決をとる〟と。

 およそ将校(しょうこう)――いや、指揮官(しきかん)とは思えない情けない通達だった。

 (いや)がらせでもない限り、こんな命令を受けたのはヨハンも(はじ)めてのことだった。

「いやいや、お待ちを少佐――俺たち、なにか少佐殿のご不興(ふきょう)を買いましたか? もしもそうであれば、謝罪をいたします。部下の不始末(ふしまつ)がありましたら、厳重(げんじゅう)に注意をし、今後は二度と起きないようにしますので」

「……? 何を言ってるのか、大尉は――これは貴官らの問題ではなく、あくまで()()()()()()の話である。レイノルズ中尉、大尉たちをご案内せよ」

「こちらへ――仮の幕営(まくえい)をご用意いたしました、大尉殿」

 ヨハンたちはヴィクトリー基地の西端(せいたん)に用意された幕営に移った。

 士官であるヨハンとミリアムにはそれぞれ個人用の幕舎(まくや)が割り当てられ、下士官である兵たちは大型の幕営を使うのだが、明らかに数が足りていない。

 そのことを(たず)ねると案内をしてくれたレイノルズ中尉は、

「少佐からのご命令です――ハーレークイン小隊は八名を選抜(せんばつ)し、別命(べつめい)あるまで西側の歩哨(ほしょう)に立つようにとの(よし)であります」

 それを聞くなり、ヨハンは取り出したばかりの細巻きを地面に落とした。

「馬鹿を言うな! 俺たちはこの基地の所属(しょぞく)じゃねえぞ!」

「レイノルズ中尉、僭越(せんえつ)ながら(もう)しあげます――我々はこちらの基地に補給(ほきゅう)と情報収集(しゅうしゅう)のために立ち寄ったのです。これは統合参謀本部の最上級命令によってであります」

 ヨハンはいつもの調子で、ミリアムも口調こそは(わきま)えていたが(とが)めるようにレイノルズ中尉に言ったが、彼を困らせるだけだった。

「そう、申されても――少佐のご命令ですので、小官からは……」

「わかった、わかった――俺があとで話をつけに行く。お疲れさん、中尉」

「は――では、失礼いたします」

 ハーレークイン小隊は独立した遊撃部隊だ。

 彼らが出動するときとは、すなわち統合参謀(さんぼう)本部が下す最上級命令がその作戦行動の根拠(こんきょ)となる。

 したがって、通常の命令系統(めいれいけいとう)はあてはまらない。

 翌日の面会で、ソフィアがそう指摘(してき)したものの、

〝妖精族の准士官(じゅんしかん)()()()に、軍規の講釈(こうしゃく)を頼んだ覚えはない〟とコールマン少佐は聞く耳を持たなかった。

 また、有事(ゆうじ)(さい)しては現場の指揮官の裁量(さいりょう)によって、多少の越権行為(えっけんこうい)融通(ゆうずう)として見過(みす)ごされる傾向(けいこう)がある。

 その〝融通〟の部分を拡大解釈(かくだいかいしゃく)したコールマン少佐は、連隊(れんたい)として足りない兵力を、別任務のために立ち寄ったにすぎないハーレークイン小隊に求めているのだ。

 そもそも、このヴィクトリー基地を(ひき)いる第二六連隊の指揮官は、ランドナー大佐(たいさ)という人物だったらしい。

 しかし、大河からの撤退戦(てったいせん)の時に、殿(しんがり)(にな)っていた部隊の救援(きゅうえん)に戻って戦死を()げたらしい。

 以後、後任が()()から派遣(はけん)されるまでの暫定処置(ざんていしょち)としてランドナー大佐の主席副官(しゅせきふくかん)(つと)めていたコールマン少佐が基地司令と連隊指揮官に就任(しゅうにん)したそうだ。

 ヨハンはレイノルズ中尉(ちゅうい)制止(せいし)を振り切って、コールマン少佐に抗議(こうぎ)をしに行ったものの、軍議(ぐんぎ)途上(とじょう)であることや、階級(かいきゅう)といくつかの帝国軍規を(たて)に追い返されてしまう。

「糞がっ!」

 ヨハンは仮の幕営(まくえい)に戻ってくると、()()てるように言った。

「お疲れさまでした、大尉――とりあえずは部下たちに交代で歩哨(ほしょう)に立つように指示をしておきましたが、幕営のスペースがいかんともし(がた)く、個人装備の雨具(ポンチョ)(つな)いで、予備(よび)支柱(しちゅう)で物置を作りました」

「再度、統合参謀(さんぼう)本部に上申(じょうしん)して、コールマン少佐に便宜(べんぎ)(はか)って(いただ)くように取り(はか)らっては、いかがでしょう」

 ヨハンの幕営を(たず)ねてきたシニアとミリアムが口々に言った。

「時間かかるけど――それしかない」

 ソフィアが(うなず)いた。

「しょうがねえな」

 不承不承(ふしょうぶしょう)ながらも部下たちの諫言を聞き入れたヨハンだったが、間もなく彼はこの選択を大いに後悔(こうかい)することになる。



 前線(ぜんせん)――ヴィクトリー基地にハーレークイン小隊(しょうたい)足止(あしど)めを受けて数日が()った。

 ヨハンたちハーレークイン小隊は仮の幕営(まくえい)を引き(はら)い、ヴィクトリー基地から塹壕(ざんごう)延伸(えんしん)した最前線の()()()()設営(せつえい)された小隊陣地に移動するよう命じられた。

「なんだよこの安普請(やすぶしん)は――排水溝(はいすいこう)(つく)りから防御陣地(ぼうぎょじんち)(あつ)みまで、()()()()()()()()。ってわけで、今週いっぱいはみんなで土方(どかた)(せい)を出すぞ」

「へーい」

 陣地(じんち)を移してから、周辺を視察(しさつ)しているとヨハンは言った。

「どうも、あの少佐殿(しょうさどの)は急に拡大(かくだい)した(おのれ)の権限で、自分が(えら)くなったと勘違(かんちが)いをなさっているご様子ですね――戦時特例(せんじとくれい)野戦(やせん)昇進(しょうしん)では()()()()()()です」

 護衛(ごえい)()ねるシニアが、ツルハシやショベルといった道具を()るうヨハンに言った。

 その横で小隊を(ひき)いる指揮官は、()()らしのつもりか汗をかきながら土方囃子(どかたばやし)を歌い出す。

「父ちゃんのためなら♪」

「エーンヤコラ♪」

 ヨハンの主旋律(メロディ)に部下の下士官たちが同じく汗を吹きながらコーラスを合わせてくる。

「母ちゃんのためなら♪」

「エーンヤコラ♪」

「そんなのいねえが♪」

「エーンヤコラ♪」

(うた)うなら()()()()歌って」

 ヨハンの(ひたい)から(したた)る汗を(ぬぐ)いながら、ソフィアが静かに歌詞の間違いを指摘(してき)した。

 少し離れた場所ではミリアムが他の部下を率いて、各所の測量(そくりょう)を行っている――こうして、手分けをしたことで、彼らの陣地にはヴィクトリー基地の中でも最も堅固(けんご)な防御陣地が構築(こうちく)された。

 機関銃(きかんじゅう)砲弾(ほうだん)破片(はへん)を防ぐ正面の土壁は当初の倍以上に、通路にそった(みぞ)は投げ込まれた手榴弾を投棄(とうき)するために深く()ってある。

 また、小隊指揮所(CP)迫撃砲(はくげきほう)を受けた時に(そな)えて、シニアの助言によって退避壕(たいひごう)でも指揮が継続(けいぞく)可能な設備を備えることにした。

 ミリアムやソフィアを(のぞ)いて、ハーレークイン小隊の面々(めんめん)は全員が前線にいたこともあり、彼らは手際よく陣地を構築(こうちく)しなおした。

「いっそ開き直って、縦深(じゅうしん)をケチらずにもっといい場所で再編成すりゃよかったんだよ――後方の川を基準に防衛線(ぼうえいせん)を引き直すとか。途中の()()()()街やら村を焼き払って、焦土戦術(しょうどせんじゅつ)をとるとか」

「ヨハンなら絶対にそうしてる」

 ソフィアが(うなず)いた。

「この季節だし、防疫(ぼうえき)も見直さなきゃならねえな――あとで軍医に来てもらうが、お前さんは体調はどうだ? 生理はちゃんと来てるか?」

妖精(ようせい)にそんなものはない――私は大丈夫」

 妖精族の少女は顔色ひとつ変えずに答えた。

「お前さんは?」

 ヨハンはミリアムを振り返った。

「婦女子に向かって、()()()()()()くんですかっ!?」

「いやほら、部下の心身(しんしん)に気を使うのが――出来る上官ってやつだから」

「大尉はまず、人としての常識(じょうしき)を身につけてくださいっ! 体調が悪化したらきちんと申告(しんこく)します! ご心配なく!」

 ミリアムは怒って自分の幕舎(まくや)に戻ってしまった。

「なんかやけにキツいな」

「半分はヨハンのせい」

「もう半分は……?」

「あなたには教えない」

 ハーレークイン小隊は本来の任務に()けない間、すっかりこのヴィクトリー基地の()()として、いいように使われていた。

 各陣地間の伝令(でんれい)から、夜間の歩哨(ほしょう)交代要員(こうたいよういん)をはじめとして、地図制作に必要な測量や渡河地点(とかちてん)偵察(ていさつ)、後方連絡線(れんらくせん)に使われる街道の巡回(じゅんかい)といった――どれもが地味で()()(とぼ)しい上に、面倒な仕事ばかりが彼らには押し付けられている。

「うちは古参兵が多いから、()()()()のは()れっこですが――少尉殿が心配ですな。これしきの(いくさ)で軍務に辟易(へきえき)とされては、将来の軍にとって大きな損失(そんしつ)となってしまいましょう」

 ミリアムは今回の作戦で〝前線〟というものを初めて体験している。

 騎馬武者(きばむしゃ)突撃(とつげき)戦列歩兵(せんれつほへい)華麗(かれい)に行進する、近代化以前の軍隊ならばまだしも、現代の陸戦では華々(はなばな)しい戦闘というものはめったに起きるものではない。

 幼年学校時代の机上(きじょう)講義(こうぎ)()()()()は彼女も知ってはいた。

 そして、彼女の苛立(いらだ)ちは普段ならばヨハンが原因の()()()めているが、今回は少々事情が異なっていた。

 なにより、コールマン少佐のハーレークイン小隊への(あつか)いは、明らかに度を()していると思えた。

 その上で、彼は〝間違ったことをしていない〟と真顔で言うし、また軍規(ぐんき)()らしてみても表面上は問題ないのが始末(しまつ)()えない。

 現代戦における前線基地(FOB)役割(やくわり)自体は昔の時代とあまり変わっていない。

 昼夜を問わないパトロールで兵站線(へいたんせん)維持(いじ)したり、敵の浸透(しんとう)有無(うむ)を地道に調べる。

 それらを()まえて態勢(たいせい)が整ったら一気に反攻(はんこう)して、短期決戦に(のぞ)むのが統合参謀(さんぼう)本部の目論(もくろ)んでいる()()()()なのだろう。

 そのためには敵の対空(たいくう)警戒線(けいかいせん)(あな)穿(うが)つ必要がある。

 ハーレークイン小隊は先行して敵地後方に向かわねばならなかったのだが、それが進まない以上は、帝国軍の軍事行動も遅々(ちち)として進まない。

 ヨハンはコールマン少佐に遠回しにそう(うった)えたものだが、彼は()()()に話さないと理解してくれないようだ。

〝お前のせいで戦争に負けるぞ!〟ヨハンは何度もその言葉を()み込んだ。

 ハーレークイン小隊の若き士官(しかん)たちが焦燥(しょうそう)(あらわ)にしていると、またしてもコールマン少佐の伝令が(たず)ねてきて新しい任務を命じるとのことだった。

「今畜生! やってられるか糞が!」

 再びヨハンは自分の幕営(まくえい)に戻ってくると激高(げっこう)していた。

〝リーベルラント解放戦線〟の尖兵(せんぺい)(おぼ)しき部隊が、基地の近くに迫撃砲弾(はくげきほうだん)を撃ち込んできたらしい。

 その対応を(まか)されたのだった。

 被害(ひがい)規模(きぼ)と残された痕跡(こんせき)から、敵は分隊(ぶんたい)単位のごく小規模な戦力で、小口径(しょうこうけい)携帯(けいたい)迫撃砲(はくげきほう)をその都度(つど)設置して攻撃を仕掛(しか)けているらしい。

 携帯迫撃砲(ライトモータル)は帝国陸軍にもあり、それは一門につき5人の分隊で運用される――その二個分隊と砲撃(ほうげき)統制(とうせい)する、指揮(しき)観測(かんそく)分隊を合わせて火力小隊として、中隊(ちゅうたい)規模(きぼ)の軍では三個小銃小隊につき一個小隊が組み込まれて運用される。

 おそらく敵も同じような運用をしているだろう。

 迫撃砲は砲弾(ほうだん)を上空に撃ち出して、山なりの曲射弾道(きょくしゃだんどう)遮蔽物(しゃへいぶつ)の反対側にいる目標に攻撃が可能な兵器だ。

 欠点(けってん)としては兵器の特性上、間接(かんせつ)照準(しょうじゅん)射撃(しゃげき)しかできないため半数(はんすう)必中界(ひっちゅうかい)――つまり命中率(めいちゅうりつ)直接(ちょくせつ)照準の大砲(たいほう)に比べて低いことがあげられる。

 また有効射程(ゆうこうしゃてい)威力(いりょく)砲弾(ほうだん)初速(しょそく)(おと)る――しかしながら、安価で生産性に(すぐ)れている点や、砲単体の重量が百ポンドと、小柄な女性に()たない軽量さは歩兵が手軽に運用できる火力として頼られていた。

 また、必要に応じて高性能炸薬(さくやく)弾、煙幕(えんまく)弾、照明(しょうめい)弾といった複数の弾種を現場の判断で(あつか)える利点もある。

 効果的な運用を行えば、戦術の幅を広げることができるものだった。

 もっとも、近頃の帝国陸軍は飛竜による空軍の近接航空支援(CAS)遠距離航空支援(DAS)を多用していることから、その汎用性(はんようせい)軽視(けいし)している傾向(けいこう)が認められる。

 端的(たんてき)にいえばヴィクトリー基地をはじめとした前線基地群は、敵の〝古い手〟に翻弄(ほんろう)されている。

 携帯迫撃砲の曲射による被害は小さかったものの馬鹿にはできない脅威(きょうい)だ。

 地形の関係で、実際に運用できる範囲はもっと(せま)いはずだが、いつどこに現れるかわからない、移動する小規模(しょうきぼ)な火力部隊に対して、どうやって先回りして無力化(むりょくか)(はか)れというのだろうか。

 それをコールマン少佐に()けば〝それを考案し、部下を運用して戦果をもたらすのが将校(しょうこう)義務(ぎむ)だ〟とまたしても()()を返されたのだった。

 それを聞いたヨハンはポケットから手鏡を差し出して、ミリアムが(あわ)ててその場を取り(つくろ)った。

 小隊の陣地に戻ったヨハンたちは手のあいている部下を召集(しょうしゅう)して、()()(つつ)(かく)さずに話した。

()()()()()()のせいで、俺たちは危機(きき)(おちい)ったわけだ――敵さんの()()()()()()()()()が、頭の上にいつ()(そそ)ぐかわからん。ってわけで、()()防御陣地の改修(かいしゅう)だ」

 それからの一週間、ヨハンたちは勝手に土木工事をはじめた。

 敵の使用する迫撃砲弾の殺傷範囲(さっしょうはんい)威力(いりょく)考慮(こうりょ)して、陣地の簡易(かんい)兵舎(へいしゃ)は窓はガラスを撤去(てっきょ)して(ふさ)ぎ、屋根には鉄板を()き、(かべ)はコンクリートの代わりに土嚢(どのう)を厚く積み重ねて補強していく。

 ヨハンたちが作業している様子を、(うわさ)を聞いたコールマン少佐が視察(しさつ)に来たものの、彼は熱心に働いているハーレークイン小隊にむしろ感心しているようだった。

 しかし、その帰り(ぎわ)に彼はまたも無茶な命令を(くだ)してくる。

「うむ――スミス大尉、ここを模範(もはん)として連隊本部の防御陣地の全面的な改修(かいしゅう)を貴官たちに(まか)せたい」



 新たな命令を受けたヨハンは、資材と必要な道具を(そろ)えるまで数日の猶予(ゆうよ)(もら)えるように願い出た。

 小隊指揮所(CP)でそれを部下たちに伝える彼はいつになく神妙(しんみょう)面持(おもも)ちで言う。

「もう我慢(がまん)ならん――あの野郎はぶっ殺そう」

「ちょっ!? 大尉(たいい)!」

 ミリアムが(あわ)てて周囲を見た。

 ヨハンは〝誰を殺す〟とは明言していないが、これまでの文脈からそれがコールマン少佐(しょうさ)の殺害を示唆(しさ)していることは明白だ。

「友軍を故意(こい)に殺傷した場合は、良くて終身刑(しゅうしんけい)――悪ければ現地で銃殺」

 ソフィアが真顔(まがお)で言った。

故意(こい)じゃなきゃ()()んだろ? あと、さっきお前さんが言ったのはホントは()だ――軍刑務所の終身刑って、昔の捕虜労役(ほりょろうえき)よりキツいらしいからな」

「誰かにやらせても教唆(きょうさ)が成立する」

「大尉――たしかにあのコールマン少佐のやり方には、小官も賛成(さんせい)はいたしかねます。しかし、上官が無能だからという理由でそれを排除(はいじょ)しては軍隊が根本(こんぽん)から瓦解(がかい)してしまいます」

「それがどうしたっ!? 戦争に負けるより()()だろうが!」

 二人の乙女たちは徹底(てってい)して正論(せいろん)でヨハンを説得(せっとく)しようとする。

 大抵(たいてい)の場合はそれで(おさ)まるのだが、ついに彼も我慢(がまん)限界(げんかい)が来たようだ。

「俺がこの世でたったひとつ我慢(がまん)できないものがある」

「……ひとつ?」

 ソフィアが小さな頭を(かし)げたがヨハンはそれを無視し、水筒(すいとう)と重ね合わせて携帯(けいたい)できる飯盒(はんごう)()ねたカップを、テーブルに(たた)きつけるように置いた。

「俺は野菜スープの出汁(だし)()み込んだカップでコーヒーを飲むのが大嫌(だいっきら)いなんだ――さっさと任務を片付けて、()()()()()に帰るぞ。だから、あの野郎は必ず殺す」

 彼はそう言って、ミリアムに一時的に小隊の指揮を(ゆだ)ねて自分の背嚢(はいのう)(かつ)ぐと、幕舎(まくや)を出ていく。

 背嚢の中には連隊本部の酒保(しゅほ)から盗んできた、将校(しょうこう)に支給される高級煙草とウイスキーが詰め込めるだけ詰まっていた。



「ロドリゲス! ロドリゲス伍長(ごちょう)のいる幕舎(まくや)はここでいいかっ?」

 その日の午後、ヨハンは別の小隊の陣地(じんち)(たず)ねていた。

 探していた下士官は軍人らしからぬ、くせ毛の長髪を乱雑(らんざつ)に後頭部で()った、ヨハンよりも小柄な男だった。

 ロドリゲス伍長は、異様に若い士官に最初は戸惑(とまど)ったものの、敬礼(けいれい)もそこそこにヨハンが細巻きを差し出すと()()()()()()人懐(ひとなつ)っこさを見せた。

「レイノルズ中尉(ちゅうい)から聞いてきた――お前さん、絵が得意(とくい)なんだってな?」

「はあ、まあ――ああ、こりゃどうも」

 ロドリゲス伍長はマッチの火を差し出されると覇気(はき)のない声で答えた。

 まもなく、話している二人の後ろにヨハンの背嚢(はいのう)を運ぶ兵卒(へいそつ)がやってきた。

大尉殿(たいいどの)? こちらで?」

「ああ、すまんな――これで()りるか?」

 ヨハンは謝礼として酒瓶(さかびん)を取り出した。

「そんな、悪いですよ」

「どうせ少佐のとこからかっぱらったやつだから気にすんな――ラベルは()がすか靴墨(くつずみ)()っとけよ」

「わかってます!」

 兵卒が立ち()ると、ヨハンはロドリゲス伍長(ごちょう)に向き合った。

「悪い悪い――で、頼みがあるんだが聞いてくれるか? お(だい)に細巻きを()()()渡してやるよ」

「やります! 大尉殿!」

 ロドリゲス伍長は即答(そくとう)した。

「よっしゃ――じゃあ〝逆立ちしたカバの絵〟を()いてくれ」

「は……?」

 ロドリゲス伍長は(またた)いた。

 困惑(こんわく)する下士官に(かま)わず、彼は注文に付け足す。

「大きさは、四十かける五十フィートで――布はあとで(とど)けさせる。()い目があっても、別に構わないよな? さすがにこんな前線で大きな白い布は手に入らないらしくて、()えのシーツを縫い合わせるしかないようだ。期限は早いほどいい。中尉に頼んで、お前さんがやる予定だった任務はうちで()わりを立てるから、とにかく急いでくれ。いいな?」

「あの……?」

 ロドリゲス伍長が疑問(ぎもん)を口にするよりも早くヨハンは言う。

「そうだ! こうしよう、早く仕上がるごとに報酬(ほうしゅう)を上乗せだ――これなら少しはやる気がでるんじゃないか?」

 ヨハンは背中を見せて、足元の背嚢(はいのう)から細巻きの箱をいくつか取り出した。

 未開封の新品で将校用の高級な煙草(たばこ)ばかりだ。

 積み上がっていく煙草と、いつになく真剣な眼差(まなざ)しをしたヨハンの顔を、ロドリゲスの視線がせわしなく動いた。

「必要なものがあればレイノルズ中尉に申し出ろ――頼んだぞ」

 ヨハンは困惑したままのロドリゲス伍長を(あと)に残して、陣地(じんち)の外に戻っていった。

 出迎(でむか)えたミリアムは、

「いったい何を頼んだのですか?」と()いた。

 ヨハンはしばらくぶりに歯を(のぞ)かせた()みを()かべて答える。

()()()()だ」

「いま少し具体的にお願いします」

士気高揚(しきこうよう)の絵だ――モデルに志願(しがん)したいってなら口利(くちき)いてやるけど、どうだ? ちょうど、()()()()()()()ヌードモデルの(わく)()()()()()あいてるんだが」

「けっこうです!」



 数日後、レイノルズ中尉(ちゅうい)指揮下(しきか)の小隊陣地から注文(ちゅうもん)した()()(とど)けられた。

「お、来たな」

 ヨハンが(うれ)しそうな顔をすると、ミリアムは露骨(ろこつ)軽蔑(けいべつ)した目つきでそれを一瞥(いちべつ)した。

 中身を開けて広げると、間抜(まぬ)けな顔の逆立ちしたカバの絵が出てきた。

 陣地の中で部下たちに()()を広げさせたヨハンは出来栄(できば)えに満足しているようだった。

「……何をお考えですか? 大尉」

 予想外のものが出てきて、ミリアムはそう()いたが、その表情は答えを聞きたくなさそうだった。

悪巧(わるだく)みに決まってんだろ?」

 ソフィアは肩に立って、

「変な絵」とつぶやいた。

「あとはシニアの報告待ちだな」

 夕方、偵察部隊(ていさつぶたい)帰還(きかん)して報告を行うと、ヨハンは再びミリアムに指揮(しき)代行(だいこう)してもらい将校偵察(しょうこうていさつ)(しょう)して出かけていった。

 コールマン少佐には〝連隊(れんたい)本部の防御陣地(ぼうぎょじんち)改修(かいしゅう)のために必要な測量(そくりょう)を、敵側の視点から行いたい〟と言って承認(しょうにん)をとった。

 夜間に歩兵が測量を行うことなどないのだが、コールマン少佐はそのことを知らなかったのだろうか。

 そしてなぜか逆立ちしたカバの絵を彼は部下に持たせていた。

 そして、出発前にヴィクトリー基地の司令部の位置座標(MGRS)を、北極星(ポラリス)の位置を元に正確に測距(そっきょ)し、このときはいつもより多めの人員を引き抜いていった。

 夜明け前に()()()で彼が戻ってくると、ミリアムとソフィアは口々にあの絵をどうしたのか()いた。

「敵からよく見える位置に(かか)げてきた」

「この非常時下(ひじょうじか)に、なぜそんな無駄(むだ)なことを……? 大尉、小隊指揮官たるものは、もっと分別(ふんべつ)常識(じょうしき)威厳(いげん)をもって、落ち着いた()()いをなさってください」

 ミリアムは(あき)れていた。

 ヨハンはその小言(こごと)を聞き流しながら言う。

「カバの(つづ)りを()()()読んでみろよ」

「あ――そういうこと」

 ソフィアが何かに気づいた。

 この地域の言葉ではカバを反対から読むと罵倒語(ばとうご)になる。

「まさか、敵を虚仮(こけ)にするために、これほどの手間をかけたと? ああ、もうっ」

 ミリアムは幕舎(まくや)天井(てんじょう)(あお)いだ。

 オイルランプのガラスに虫が飛び込んで焼け死ぬところを見た彼女は、この小隊への配属(はいぞく)を引き受けた過去(かこ)の自分の正気(しょうき)(うたが)いたくなった。

「なんだ、手間かけちゃ駄目なのかよ? じゃあ、連隊長殿(れんたいちょうどの)寝室(しんしつ)の位置座標とか、書き込まないほうがよかったか?」

「え?」

 ヨハンの言葉にミリアムは(またた)いた。

 それとともに夜明けがヴィクトリー基地に(おとず)れた。

 起床ラッパの音よりも早く砲声が(とどろ)いた。

 いつもとは違い、陣地の至近距離(しきんきょり)に〝偶然(ぐうぜん)迫撃砲(はくげきほう)の砲弾が命中した。

 立て続けに弾着(だんちゃく)が起こり、そのたびに轟音(ごうおん)と爆発音が(ひび)いた――着弾は徐々(じょじょ)に正確に、基地の中心へと集まりだす。

 ヴィクトリー基地の中は、すでに非常事態(ひじょうじたい)()げる警報(けいほう)と怒声が飛び交っている。

「あの、大尉……? まさか」

「ヨハン、あなたは()()連隊本部の座標(グリッド)を教えたの?」

 腹心(ふくしん)の乙女たちから口々(くちぐち)に問いかけられて、ヨハンは白々(しらじら)しい大げさな身振(みぶ)りで否定しながら言う。

「とんでもない! 教えちゃいねえよ――敵を(あお)るために(かか)げた落書きに、誰かが書いたデタラメの数字が()()少佐の寝てる場所と一致(いっち)しただけだって」

 そう()()()()()いる間に敵からの効力射(こうりょくしゃ)と思われる、一斉砲撃(いっせいほうげき)が撃ち込まれ始めた。

「ほら、お前さんたちも退避壕(たいひごう)に急げよ――このために、土方囃子(どかたばやし)を歌いまくったんだからな」



 それから、敵による砲撃(ほうげき)は一時間近く()っても続いていた。

 ヨハンたちの退避壕(たいひごう)に、司令部からの伝令としてレイノルズ中尉の部下が飛び込んできて、コールマン少佐の戦死が報じられた。

「よっしゃ――いや、よくないよくない。いてて」

 ヨハンの(ひじ)を、ミリアムがつねった。

連隊(れんたい)本部の陣地改修(じんちかいしゅう)が間に合わなかったことを、大尉は()やんでいる」

 有能な副官(ふくかん)指揮官(しきかん)心情(しんじょう)()()した。

 彼は気を取り直して伝令に言う。

「ご苦労さんだったな――それで、生き残ってる士官(しかん)先任(せんにん)は誰になる? 指揮系統(しきけいとう)はどうなってるんだ?」

「それは――現在はスミス大尉(たいい)が、当基地では最も先任の士官であらせられます。よって、大尉殿に暫定的(ざんていてき)な指揮をお願いしたいと、レイノルズ中尉から言伝(ことずて)を預かりました。喫緊の状況でありますので、文書は間に合いませんでしたが」

「俺はよそ者だけど――構わないか?」

「当基地は危機的(ききてき)非常下(ひじょうか)である、との(よし)です」

 レイノルズ中尉の部下は(うなず)いた。

 指揮権を移譲(いじょう)されたこと、その言質(げんち)をとったヨハンは待機(たいき)している部下たちを振り返る。

「わかった――お嬢さんたち! 戦争の時間だぞ!」

 ヨハンは砲撃がいまだ続いているのも構わず、退避壕(たいひごう)の外に出ていく。

「敵の狙いは正確に司令部に集中している! ただちに散れ! 基地の全員にそう告げろ! それから、端末水晶(SINCGARS)の全チャンネルを()()()に回せ!」

 ソフィアを見た。

「ん――完了。以後、ヴィクトリー基地の通信は私が掌握(しょうあく)する」

 妖精(ようせい)の少女が報告するとヨハンは振り返って上級曹長(そうちょう)を呼ぶ。

「シニア!」

「はっ!」

小隊(しょうたい)の全員と、近場の連中を(ひき)いて南側の防衛(ぼうえい)に当たれ――東から南にかけて、コンマ五クリック(キロメートル)地点に、機銃掃射の十字砲火点を設定。()()準備砲撃(じゅんびほうげき)が終わり次第(しだい)、敵は打って出てくるぞ。歩兵が()()()()()牽制(けんせい)しながら敵の足を(にぶ)らせ、頭をさげたところに擲弾(てきだん)の雨を降らせてやれ。砲兵隊の火力支援(しえん)統制(とうせい)を回復するまで時間を(かせ)ぐのが目的だ。かかれ!」

「お(まか)せを! 大尉!」

少尉(しょうい)は俺と一緒に来い――レイノルズ中尉(ちゅうい)協力(きょうりょく)して、生き残りの士官や下士官をまとめて、指揮系統(しきけいとう)を回復させる」

「了解いたしましたっ」

 ミリアムも声を張って上官に付き(したが)う。

 これまでもそうだが、この上官は戦闘状態に入ってから()()()()人が変わり、任務(にんむ)()たすため()()ならば模範的(もはんてき)将校(しょうこう)として()()う。

権限(けんげん)()()()、完了――現刻より、ヨハンがヴィクトリー基地の司令代理。呼出符丁(コールサイン)はヴィクトリー・シックスを付与(ふよ)した」

 ソフィアは基地の端末水晶(SINCGARS)掌握(しょうあく)して、コールマン少佐が保有していた指揮権や、使用していた通信チャンネルを全てヨハンのために上書きしたようだ。

「いいか?」

「いつでも」

 妖精(ようせい)の少女が親指を立てると、ヨハンは端末水晶を取り上げて言う。

「ヴィクトリー基地の全将兵(ぜんしょうへい)()ぐ――こちらはハーレークイン小隊指揮官、スミス大尉だ。敵の砲撃(ほうげき)()い、残念ながら当基地司令コールマン少佐は()()()()()()()(したが)って現刻(げんこく)より帝国陸軍階級(かいきゅう)序列(じょれつ)によって、俺が指揮(しき)()る。だが、心配はいらん。なぜかっていうと〝一番厄介(やっかい)な敵〟はもう()()()()()からだ。ブレイク、()って指示があるまで、各隊は部所と索敵範囲(さくてきはんい)を制圧。任意発砲(にんいはっぽう)を許可する。ブレイク、基地の南側の部隊は接敵(せってき)(そな)えている、ハーレークイン・ファイブの指揮下に入れ。帝国陸軍最先任上級曹長の()()(おが)むいい機会だぞ。ヴィクトリー・シックス、アウト」

 ヨハンの言う〝一番厄介な敵〟が誰か、ハーレークイン小隊とヴィクトリー基地にいる一部の将兵にはわかりきっていたが、そのことについては誰もなにも言わなかった。

《シックス、シックス――こちらハーレークイン・ファイブ。敵のコンタクトあり。歩兵多数、距離(きょり)およそ一クリック半》

 ヨハンが事前(じぜん)に指示した通り、敵は砲撃を終えると南側から侵攻(しんこう)してきた。

「ハーレークイン・ファイブへ――シックス、了解。交戦を許可する。ブレイク、可能な限り引きつけてから発砲を開始せよ。確認したか?」

《了解――ハーレークイン・ファイブ、アウト》

 しばらくすると、警戒線(けいかいせん)()えてきた敵とシニアたちの交戦する音が聞こえてきた。

 ハーレークイン小隊と周囲の小銃小隊が迎撃(げいげき)している間に、ミリアムとレイノルズ中尉は奔走(ほんそう)して、司令部の指揮系統(しきけいとう)を回復させようとする。

 それとともに、ヨハンは後方基地の砲兵隊に火力支援を行うように要請(ようせい)して、ハーレークイン小隊が食い止めている敵の歩兵に対しての砲撃を行う。

 連日のように、コールマン少佐の命令で周辺の測量(そくりょう)を行っていたヨハンたちは、いつのまにかヴィクトリー基地周辺の地形や地理を全員が把握(はあく)していた。

 特に、狙撃(そげき)観測手(かんそくしゅ)生業(なりわい)としているハインツとコワルスキーが、高倍率のスコープによって行う測距(そっきょ)弾着(だんちゃく)観測(かんそく)は正確で、十ヤードの誤差(ごさ)でも彼らは正確に砲撃に必要な情報の諸元(しょげん)を報告できた。

 リーベルラント解放戦線はこの攻撃にかなりの兵力を()いていたらしく、日中の第一波を(しの)いでから、夜間にも奇襲(きしゅう)を仕掛けてきた。

「お馬鹿な()()どもめ――()()で照明弾を打ち上げろ。以後、二分ごとに継続(けいぞく)

 ヨハンの命令を、レイノルズ中尉が端末水晶(SINCGARS)を介して、後方基地の砲兵隊に命じた。

 この時点で、ヴィクトリー基地の指揮系統はほとんどが回復していた。

 リーベルラント共和国というより、これは中洲(なかす)の都市国家郡全体の傾向(けいこう)だったが、彼らはかつて鎖国(さこく)時代に内戦を()り返していた。

 その勇猛果敢(ゆうもうかかん)な国民性が、致命的(ちめいてき)敗北(はいぼく)(きっ)するまで戦いの(ほこ)を収めようとしないのを後押ししたのだろうと歴史家は見ているようだ。

 そのために技術的な面ではかなり後進国で、その()は武器や兵器・戦術にも表れている。

 対して帝国は魔界連邦(れんぽう)との十年にも渡る大規模(だいきぼ)な戦争を続けてきたために、軍に(ぞく)する将兵(しようへい)の大部分は疲弊(ひへい)していたものの、大戦中には毎日のように新兵器や新技術が発明され、実用化していった経緯(けいい)がある。

 それに(ともな)い軍の基本行動原理(ドクトリン)は大きく進歩を()げた。

 迫撃砲から間断(かんだん)なく打ち上げられる照明弾のおかげで、夜間でも目標の識別(しきべつ)容易(ようい)だった。

「機甲部隊は歩兵を随伴(ずいはん)して中隊ごとに両翼(りょうよく)展開(てんかい)迂回進撃(うかいしんげき)してくる敵の浸透(しんとう)阻止(そし)しろ――各銃座は引き続き射撃を継続(けいぞく)して敵の足を止めろ。後方の砲兵隊は合図で効力射(こうりょくしゃ)を開始。季節外れの()()()()を見物しようぜ」

 ハーレークイン小隊の退避壕(たいひごう)臨時(りんじ)の連隊指揮所(CP)として、ソフィアを通じて各中隊の指揮官には直接、端末水晶(SINCGARS)で命令を伝達(でんたつ)している。

 妖精族(ようせいぞく)のソフィアが基地の全通信を掌握(しょうあく)し、その統制(とうせい)(はか)ることで通信の混信(こんしん)誤送信(ごそうしん)といったものが排除(はいじょ)された結果、ヨハンの指示は即座に必要な部隊に届けられた。

 これは有史以来のありとあらゆる軍事において革命的(かくめいてき)なことだったが、当事者たちにもその自覚は〝まだ〟ないようだった。

「砲撃の後に両翼に展開した部隊は交互躍進(こうごやくしん)――深追(ふかお)いはせず、攻撃発起点(こうげきほっきてん)の一クリック先の稜線(りょうせん)まで追い払ったら撤退(てったい)していい。時間をかけてもいいから、ピールムーブを徹底(てってい)しろ」

 ヨハンはそのまま、ほとんど寝食も忘れて明け方に敵が撤退(てったい)するまで防衛(ぼうえい)指揮(しき)()りつづけた。

 それを間近で見ていたミリアムは戦慄(せんりつ)を禁じ()なかった。

 一昨日の未明より前に、将校偵察(しょうこうていさつ)に出かけてから数えると丸二日半もの間、彼はまったく休憩(きゅうけい)をとっていないはずだ。

 そのことをミリアムが思い出して、休むよう進言すべきかシニアに相談したところ、上級曹長は笑って言う。

「あの方の最大の武器ですよ――普段(ふだん)昼行灯(ひるあんどん)ですが、ひとたび戦端(せんたん)が開かれたら三日くらいは寝ずに平気で戦い続けるんです。大尉は」

「あの人は人間か……?」

(まれ)にそういう体質の人もおられるようです――さあ、少尉(しょうい)はしばらく休んでください。なにかあればお呼びしますので」

 かつては竜族の火力こそを(うし)(だて)にしていた帝国だが、近代化(きんだいか)以降(いこう)の人間たちは、()()匹敵(ひってき)する武力を持つに(いた)っている。

 魔界は魔界で似たようなもので、中世の時代までは魔族の力に頼っていたが、帝国と同じように軍隊が強力なものに育っている。

 事実、リーベルラントが対帝国への切り札として運用している、自走式(じそうしき)対空砲(たいくうほう)は、明らかに帝国空軍の打撃力(だげきりょく)空挺降下(くうていこうか)脅威(きょうい)とみなして、対抗(たいこう)するために開発されたものだ。

 ヴィクトリー基地は、最初こそ基地司令の退()()で混乱したものの、その後の立て直しは早く、生き残った将兵(しょうへい)たちの奮闘(ふんとう)もあり、丸一日以上も続いたリーベルラント解放戦線の攻勢(こうせい)敗走(はいそう)余儀(よぎ)なくされた。

 しかし彼らはすぐに再編成(さいへんせい)をして、二日後に再び打って出た。

 このときの主力は歩兵ではなく、新兵器(しんへいき)投入(とうにゅう)された。



「うぉお! なんだあれっ!? なんだあれ!」

 ヨハンたちがハーレークイン小隊(しょうたい)防御陣地(ぼうぎょじんち)から様子(ようす)(うかが)っていると、飛竜の放つアベンジャー砲のような、小口径の榴弾(りゅうだん)横薙(よこな)ぎに連射された。

 着弾から半秒ほどして、怪物の咆哮(ほうこう)のような間延(まの)びした砲声が連続して(ひび)き渡るところまで、アベンジャーにそっくりだった。

()()()()()()です! 大尉!」

「あれがそうか! 今畜生! 〝七砲身パンチ〟を敵にまわすとこんなに()()()のかよ! ずるいぞ!」

〝ツングースカ〟とは帝国が便宜(べんぎ)的に(あた)えた、敵の新兵器の通称(つうしょう)だ。

 その()()()()()は対空砲だが、敵はヴィクトリー基地の攻略のために新しい戦術(せんじゅつ)考案(こうあん)したらしい。

 すなわち〝対空砲の水平射撃〟という、歩兵にとっては悪夢のような戦法を。

 以後、いくつかの軍事衝突(ぐんじしょうとつ)で、帝国は()()への対処(たいしょ)苦慮(くりょ)することになる。

 大戦中に塹壕(ざんごう)()えるために、装甲化された車両を〝戦車〟として運用しはじめたのは帝国も魔界も同時期だった。

 しかし、戦車は飛竜にとっては動きの(にぶ)()であり、帝国は過小評価(かしょうひょうか)していた。

 その戦車の砲塔(ほうとう)を、小口径だが速射の可能な本来は艦艇用(かんていよう)に開発された連装砲(れんそうほう)換装(かんそう)したのが、魔界連邦(れんぽう)が新開発したという自走式対空砲(ツングースカ)だった。

 歩兵では()が立たず、対空砲(たいくうほう)撃破(げきは)可能な火砲では(ねら)いをつけている間に逃げられる。

 飛竜で空爆(くうばく)をかけようとしても、逆に撃墜(げきつい)されてしまう――厄介(やっかい)な新兵器への対処に、ヨハンたちは苦戦を()いられることとなった。

「敵を浸透(しんとう)させる」

 ヨハンは他の将校(しょうこう)たちを集めた軍議(ぐんぎ)の場で、これまでの方針(ほうしん)を一気に転換(てんかん)すると明言した。

 普段の言動はともかく非常時には頼りになると、ミリアムと同じような印象(いんしょう)を他の士官たちもヨハンに(いだ)いているようだった。

 また生き残ったヴィクトリー基地の士官たちは、誰も連隊の指揮(しき)を執りたがらなかったこともあり、ヨハンの提案する作戦を不本意であっても聞くしかなかった。

「敵さんの(ねら)いは、帝国領への橋頭堡(きょうとうほ)をこの地域に(きず)いて――交渉(こうしょう)のカードにすることだと思われる。でなきゃ、こんな()()()()基地に、(とら)の子の新兵器まで投入(とうにゅう)するもんか。ってわけで、敵が欲しがってるんなら()()()()()()()()()()()と思うんだが」

 途中まで(うなず)いていた士官や准士官たちは、ヨハンの最後の一言で目をあげた。

大尉(たいい)――もう少し(くわ)しくご説明をされたほうが、よろしいかと」

 (となり)にいたシニアが(うなが)したが、

「なんでだよ――わかってるくせに」とヨハンは面倒くさそうに口を(とが)らせた。

「では、僭越(せんえつ)ながら小官が代わって、補足(ほそく)いたします」

「ん? いいぞ――ちょうど一服つけたかったしな」

 ヨハンが細巻きに火を付けると、シニアが椅子(いす)から立つ。

 彼の(えり)に留めてある、帝国陸軍全将兵の中で()()()()()()()()()(やじり)が、オイルランプの光を反射した。

諸将(しょしょう)におかれましては、東の(はて)にかつて存在した〝ミッドフラウア〟なる大国をご存知かと思います――()の国の古典(こてん)に〝ラオズィ〟という書物があり、その第三六章の一節に〝(まさ)(これ)(うば)わんと(ほっ)すれば、必ず(かた)(これ)(あた)う〟と(しる)されております」

 シニアがそこまで話すと、何人かの士官やミリアムが、

「……そういうことですか」と頷きはじめる。

「どういうこった?」

 そう()いたのは、細巻きを吹かしているヨハンの方だった。

(だま)ってて」

 ソフィアが両手で彼の口を閉じさせた。

 上官のつぶやきを聞かなかったことにしてシニアは話を先に進める。

「その(せつ)の最後はかように結ばれています――〝国の利器(りき)は、()って人に示すべからず〟と。敵はここに来て、重大な失策(しっさく)を犯しています。当基地の攻略に固執(こしゅう)するあまり、新兵器である対空砲をこの地に集めてしまったのですから。大尉の立てた作戦は、当基地を明け渡す振りをして敵を罠にかけるものです。目的は対空兵器の無力化であり、この地方の対空(たいくう)迎撃網(げいげきもう)(くさび)を打ち込み、それを反攻作戦(はんこうさくせん)の糸口とするのです。これこそが、統合参謀(さんぼう)本部が当初の我々に()した任務でありました」

「……そう! そういうことだ! さすがはシニア!」

 ヨハンは古典に(うと)かったが、部下が正確に自分の意図(いと)()んでいると途中まで聞いて()()()理解し、それに便乗することにした。

 そのヨハンはレイノルズ中尉(ちゅうい)一瞥(いちべつ)して、わずかに(あご)を引いた。

「スミス大尉は勇猛果敢(ゆうもうかかん)で的確な指揮は言うに(およ)ばず、計略(けいりゃく)にも()けていたのですね」

 この会議の前夜、自分の幕舎(まくや)招待(しょうたい)して買収(ばいしゅう)したレイノルズ中尉が、後押しをするように持ち上げた。

 コールマン少佐の主席副官を務めていた彼の賛同(さんどう)や、古典を引用して()()()を持たせたシニアの援護によって、ヨハンの立てた作戦は承認された。



 ヨハンたちは新たな作戦を進める下拵(したごしら)えとして、基地司令だったコールマン少佐の戦死を理由に、ヴィクトリー基地の撤退(てったい)をレイノルズ中尉(ちゅうい)の名前で統合参謀(さんぼう)本部に上申(じょうしん)した。

 またそれにともなって秘密裏(ひみつり)にリーベルラント解放戦線(かいほうせんせん)軍使(ぐんし)派遣(はけん)し、近々、ヴィクトリー基地からの撤退(てったい)を計画中だと明かした。

 また、これが最も重要なことだがヨハンはマイアに()てて()()を送った。

〝間もなくこの地方の(きり)が晴れる〟と。

 マイアは即座に意味を理解して、ヴィクトリー基地の後方に戦略爆撃(せんりゃくばくげき)を専門とする大型の飛竜で構成(こうせい)される〝ランサー〟飛行戦隊を配備(はいび)した。

 リーベルラント解放戦線は、ヴィクトリー基地に(ぞく)する全将兵の武装解除(ぶそうかいじょ)を条件に、撤退(てったい)打診(だしん)を認めた。

 数日後、ヴィクトリー基地の将兵はレイノルズ中尉が基地司令代理として敗残兵を装って、リーベルラントから派遣された軍使の前で武装を全て廃棄(はいき)して基地を(あと)にした。

 その間に、()()()として基地から離れた場所にヨハンたちは(ひそ)んでいた。

 ヴィクトリー基地を占領(せんりょう)しようとする、リーベルラント解放戦線の部隊と、新兵器である〝ツングースカ〟が展開するのを監視(かんし)するためだ。

 偽装(ぎそう)した偵察用(ていさつよう)陣地(じんち)(かく)れながら、ヨハンは双眼鏡(そうがんきょう)でその様子と、レイノルズ中尉が(ひき)いる連隊(れんたい)の現在位置を確認した。

《シックスへ、こちらシエラ・ワン――帝国万歳。()り返す、帝国万歳》

 撤退するレイノルズ中尉たちを援護(えんご)していた、狙撃班のひとつから通信が入った。

「やれ」

 ヨハンはシュミットとベイツ――ハーレークイン小隊で破壊工作(はかいこうさく)を担当している二人の下士官に命じた。

《ファイアインザホール》

 ヴィクトリー基地に仕掛(しか)けた大量の爆薬が一斉に起爆した。

 基地の地面には撤退(てったい)の際に処分(しょぶん)した武器で偽装(ぎそう)していたが、榴弾砲(りゅうだんほう)の砲弾が二五〇発と汎用(はんよう)梱包爆薬(こんぽうばくやく)雷管(らいかん)信管(しんかん)、リード線で結んだものが()めてあった。

 地震や地鳴りを凌駕(りょうが)するかのような〝この世のものと思えない〟轟音(ごうおん)とともに、合計して七〇〇〇ポンドを()える爆薬(ばくやく)炸裂(さくれつ)し、巨大な火球と強烈な衝撃波(しょうげきは)を広げている。

 それによって、ヴィクトリー基地の周囲に展開していた自走式対空砲(ツングースカ)の撃破を確認したことが、狙撃班(シエラチーム)から送られてくる。

 ヨハンは爆破を確認すると端末水晶(SINCGARS)を取り上げた。

「ランサー中隊、ランサー中隊――こちらヴィクトリー・シックスだ。至急(しきゅう)火力支援(かりょくしえん)要請(ようせい)する。ブレイク、敵の対空砲(AAA)を始末した。ブレイク、ヴィクトリー基地方面に、戦線(せんせん)隙間(すきま)ができたぞ。マーク八四の雨を()らせて蹂躙(じゅうりん)しろ。帝国に逆らった身の程知らずの馬鹿どもを()()()()に戻してやれ!」

 上空で待機(たいき)していた戦略爆撃(せんりゃくばくげき)飛竜で構成(こうせい)される、ランサー飛行戦隊はたやすく防空網を突破(とっぱ)し、リーベルラント解放戦線の司令部に絨毯爆撃(じゅうたんばくげき)敢行(かんこう)した。

 その際に投下された二〇〇〇ポンド爆弾の総数は一九二発だという。

 マーク八四と(しょう)する、空軍が運用する爆弾の加害範囲は一発につき、コンマ六クリックほどある。

 単純計算で十クリック(キロメートル)四方を焦土(しょうど)に変える、尋常ではない投射量(とうしゃりょう)だった。

 またランサー飛行戦隊の空爆(くうばく)に続いて、ハーキュリーズと同様の輸送飛竜が立て続けにリーベルラント空域に侵入(しんにゅう)して、多数の歩兵を空挺(くうてい)降下(こうか)させた。

 同時に海軍の陸戦隊(りくせんたい)が別の経路(けいろ)から強襲(きょうしゅう)上陸(じょうりく)をかけて、彼らは帝国の領事館(りょうじかん)奪還(だっかん)することに成功した。

 ランサー飛行戦隊によって行われた絨毯爆撃(じゅうたんばくげき)で司令部を(うしな)い、統制(とうせい)をなくしたリーベルラント解放戦線は間もなく瓦解(がかい)した。

 なにより彼らに決定的な敗北感(はいぼくかん)(あた)えたのは、当初こそ彼らを支援していた共和国政府があっさりと手のひらを返して彼らを〝反乱軍〟に(おとし)めたことだった。

 リーベルラント共和国政府はあらためて帝国への恭順(きょうじゅん)の意を示し、それを示威(じい)するために〝反乱軍〟の鎮圧(ちんあつ)に正規軍を投入し始めた。

 また帝国が行った一連の軍事行動(ぐんじこうどう)について、彼らは()()()()()()()排除(はいじょ)と自国民救難(きゅうなん)のための非常措置(ひじょうそち)として認めるとの談話(だんわ)()()()()()()()発表した。

 魔界連邦(れんぽう)の政府は、この()()()()()()談話の発表に対して、遺憾(いかん)を表明するにとどまった。

 これについては魔界連邦(れんぽう)(がわ)でも、帝国との講和交渉(こうわこうしょう)継続(けいぞく)させたい勢力(せいりょく)と、リーベルラントを利用して帝国への再侵攻(さいしんこう)(こころ)みたい勢力とが、政局(せいきょく)を争った結果だろうとみられている。

 もっとも、今回の事案(じあん)で魔界連邦は一切の(そん)をしていないのだが。

 こうして、帝国と魔界の講和交渉(こうわこうしょう)合間(あいま)に起きた緩衝地帯(BZ)の独立民主運動と()()()()軍事衝突(ぐんじしょうとつ)は、帝国の圧倒的(あっとうてき)な空軍力に蹂躙(じゅうりん)された〝リーベルラント解放戦線〟という犠牲(ぎせい)によって、急速に沈静化(ちんせいか)していくのである。

 ()の地と同じ(てつ)()むことを恐れた中洲(なかす)都市国家群(としこっかぐん)諸国(しょこく)は、以後は自ら率先(そっせん)して共和主義(きょうわしゅぎ)運動(うんどう)排斥(はいせき)していくことになる。



 公式には、ヴィクトリー基地で指揮官を相次(あいつ)いで(うしな)い、暫定的(ざんていてき)に連隊の指揮(しき)()っていたレイノルズ中尉――この戦いで昇進(しょうしん)して大尉(たいい)となった彼の功績(こうせき)が知られている。

 しかしながら、同時期にこの基地にはハーレークイン小隊が駐屯(ちゅうとん)していたことは、いくつかの記録で明らかだったものの、彼らが()()()()()()()()()()()()は、これまで誰も知ることはなかった。

 そして最後に、これはまったく余談(よだん)だが――ハーレークイン小隊の指揮官が作らせたという〝逆立ちしたカバの絵〟とやらはいまも見つかっていない。

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