第12話 前線には逆立ちしたカバの絵を掲げよう
――帝国と魔界の講和がいまだ締結していない情勢下だが、両国にはさまれた中洲の中にあるリーベルラントの過激派が武装蜂起した。予想だにしなかった奇襲に帝国軍は後退を余儀なくされ、反攻作戦の機会を窺っていた。そんなとき、前線の基地に任務を帯びたハーレークイン小隊がやってくる。ところが彼らは意外な〝歓迎〟を受けてしまう。
帝国と魔界を隔てる大河は、岸に立てば見れば海と見間違うばかりに川幅が広い。
大陸からはいくつもの支流が流れ込み、豊かな水量と豊富な資源は多くの恵みをもたらす。
その大河には自然と中洲が点在し、太古から移住した人々が独自の社会を形成していたのだが〝神姫〟を擁する寺院が進出した頃から、徐々に帝国による侵蝕が始まっていった。
戦前にはいくつかの城塞都市が点在し、それぞれに独立自治を宣言する、都市国家郡となっていた。
ところが、帝国と魔界の両大国が大河の領有権を巡った大戦の渦中に彼らは置かれ、その地政学的重要性から存亡の危機に立たされることになってしまう。
元々、文化や宗教的にはどの都市国家郡も帝国よりではあったものの、帝国の中央集権と帝政は彼らを信託統治領とし、来たるべき次の戦争では侵略の橋頭堡としようとしていることは明白だった。
これに反発した都市国家郡のひとつ、新興の都市国家リーベルラント共和国の過激な民主共和主義者たちが武装蜂起し、バスチュ要塞を陥落させ、さらに帝国の領事館と関係者を拘束した一報は、首脳部を大いに悩ませた。
彼らは自らを〝リーベルラント解放戦線〟と名乗っている。
時間をかけて平和的に解決することはできるだろうが、後手にまわれば魔界からの介入を許してしまうし、そうなればようやく前に進み始めた講和交渉において、帝国は大きく遅れをとるだろう。
かといって、軍をいたずらに動かして力づくで解決しようとすれば、リーベルラント以外の他の都市国家と彼らが属する、共和国連合もこれに呼応して、帝国に対する連合軍を結成して侵攻してくるかもしれない。
そしてこれが最も重要なことだが、大河を境界とする地域は緩衝地帯であり、非武装地帯だ。
したがって、帝国も魔界もお互いにこの地域に軍を駐屯させたり、派遣することを禁じている。
もしも帝国がその停戦合意を破棄すれば、魔界は魔界で水面下から都市国家郡を支援すると思われる――という分析が統合参謀本部から帝国政府には送られた。
内閣は決議をとり〝神姫〟に帝国本土を防衛するための前線を、限定的に構築したいという趣旨の上奏文を奏上した。
〝神託〟は降り、それを大義名分として帝国軍は出動した。
彼らは中洲とつながる埋立地に小規模な軍を派遣し、防御線を構築しているところだ。
〝リーベルラント解放戦線〟による、バスチュ要塞の陥落から二週間後。
「ってわけで、出番だぞ――お嬢さんたち」
「へーい」
第九九連隊基地、ハーレークイン小隊の兵舎にある談話室に部下を集めると、ヨハンは統合参謀本部から受領した命令について話す。
「自由と民主共和のためとかいう、クッソ下らない理由で武装蜂起した馬鹿どもを横合いからぶん殴るのが、今回の任務だ――詳細は少尉から、はーいよろしく」
ミリアムに面倒事を丸投げして、ヨハンは椅子に座って細巻きに火をつけた。
「今回、我らに与えられた任務は、リーベルラント解放戦線が築いた対空砲陣地の位置を特定するための、長距離偵察である。統合参謀本部にその正確な位置座標を報告し、別命を待つ。敵の支配地域であり、当該地域に味方はいっさい展開できないため、かなりの危険が伴うことは明白である――特務准尉、地図に印を頼む」
「ん――見える?」
ソフィアが地図に〝猫じゃらし〟の光線を照らして、敵と味方の前線の位置や、リーベルランドの城塞の位置を示していく。
「紺碧の渓谷も、乙なもんだな」
例によって彼はソフィアのスカートの中身を実況した。
「大尉! そんなにお話しがしたいのでしたら、いつでも小官は状況説明の任を返上いたしますが?」
怒気をはらんだ口調で注意されて、ヨハンはうなだれた。
それらにくわえて、統合参謀本部の分析官たちが作成した〝対空砲陣地があると思われる〟地域を透明なフィルムのようなものに転写した略図を重ね合わせる。
「言うまでもないことだが――対空砲火が強固なため、今回は空挺による降下はない。我々は当基地を進発し、然る後、味方前線基地を経由して目標地域に進む。質問は?」
ヨハンが手をあげた。
「お前さん、第二分隊を仕切ってみないか」
「え……?」
ミリアムは瞬いた。
ハーレークイン小隊は、発足時から〝小隊〟といいながら、任務に応じて変則的な編成をとってきた。
しかし、軍事組織としては非効率だと言わざるを得ないし、なにより蓋然性にかけるところがあった。
そこで、ヨハンはシニアの助言を取り入れて、同戦力の分隊を二つ編成して、それを小隊本部が運用する訓練を演習で行っていた。
「少尉の分隊長就任に、異論のあるやつは?」
「おりませんよ――大尉」
シニアが言うと、集まった下士官たちも頷いている。
「あれですね、少尉殿が着任したばかりの頃にやった、行軍演習のときみたいじゃないですか」
「おー、あれキツかったわ」
「あのときの、汗だくの少尉は実に艶めかしかったですなあ」
「いや、まったくだ」
「そこ! 私語はやめよ!」
ミリアムが注意した。
軍議に戻り、ヨハンとミリアムがそれぞれ分隊を率いて、シニアが小隊本部に就いて、全体の統制を行うという方針に決まった。
武装蜂起した〝リーベルラント解放戦線〟は、帝国海軍が水上封鎖や臨検といった軍事行動がとれない情勢を利用して、迅速に果断速攻に打って出た。
寺院や民間の輸送船や旅客船を拿捕し、大量に徴発した地元の漁船を盾にして、帝国領に強襲上陸を敢行したのだ。
現地の帝国軍守備兵力は、魔界との講和交渉が始まったことで大幅に戦力が縮小されており脆弱だった。
彼らは敗走を余儀なくされ、帝国軍は大河の後方、十六クリック地点まで後退したところで再編成を行い、新たな防御線を構築しているところだ。
統合参謀本部は反攻作戦を練っているところだが、リーベルラントが魔界連邦から輸入したと見られる新型の自走式対空砲が強力で、その対策に苦慮しているようだ。
ヨハンたちハーレークイン小隊は敵の射程外で飛竜から降りて、軍用車両とトラックに分乗して味方の前線にたどり着いた。
第二六連隊が駐屯する前線基地は、戦時下の最前線とは思えないほど、規律が緩みきっている。
「たかが小隊で援軍だとさ」
「おめでてぇ奴らだ――ハーレークインだってよ。ってことは、あのおネーチャンが白粉を塗ったくって、裸踊りでもすんのかね」
「おい、妖精まで連れてんぞ――これじゃ軍隊じゃなくて、サーカスだ」
「本職は見世物小屋なんじゃねえの」
「……!」
歩哨に立っている兵たちの嘲笑にミリアムが気色ばんだ。
彼女が反論しようと前に出たところをヨハンが止めた。
その二人の前にシニアが進みでた。
「口の利き方に気をつけろ! 伍長! 友軍の上官に対して礼節を欠くとは、貴様それでも栄えある帝国軍人か!」
シニアがこれまで聞いたことがないほどの怒声を放った。
「それとも貴官らは帝国陸軍最先任上級曹長の指導を受けたいと申すか!」
そう言いながら、彼は歩哨の襟首を掴んで腕力だけで野戦装備を身に着けた兵士の足を地面から浮かせた。
もうひとりの方は、ローガンがすでに制圧していた。
「他のやつならいざしらず、シニアに舐めた口を利くとか、新兵どもばかりみたいだなここ――なんか嫌な予感がするなあ」
こうしてハーレークイン小隊は何事もなく前線基地〝ヴィクトリー〟に到着した。
ヨハンは小隊に大休止を指示して、シニアに指揮権を移譲すると、ミリアムを伴って基地司令に挨拶をしに行く。
その直前になって彼は命令を追加する。
「ローガンとメイソンに辺りを探らせといてくれ」
「お任せを――大尉」
「頼む」
「大尉! どうされましたかっ!?」
ミリアムに呼ばれて彼は大股で歩き出した。
「ようこそ当基地に――と言いたいところだが、貴官らが着任することは通達が来ていない。目的を話せ、大尉」
ヴィクトリー基地の責任者、コールマン少佐は言った。
大隊の指揮官を務めるべき少佐がなぜ連隊基地の指揮を執っているのか、どうやらそれにも事情があるようだが、この場ではその話は出なかった。
ヨハンは背嚢から蝋を塗って防水処理した封筒に収めてある、統合参謀本部からの命令書を取り出した。
ヨハンに代わって、ミリアムが丁寧な口調と発音で言う。
「統合参謀本部秘匿令第一一四五一号です――我ら第九九連隊直属第一小隊は、これより敵地に対する長距離偵察を敢行いたします。つきましてはヴィクトリー基地の司令であらせられる、コールマン少佐殿にご協力をいただければ幸いであります。また、情報と物資の提供をお願い申しあげます」
コールマン少佐はコーヒーを口に運びながら言う。
「……うーん、つまり貴官らは〝援軍〟ではない、と? 一体、統合参謀本部は何を考えておられるのか。それに貴官らは、我々に協力を求めるがそれは公平性を欠く行為だとは思わないかね?」
「……は?」
「えぇ……?」
ヨハンとミリアムは揃って瞬いた。
大抵はこういった場合〝うちの仕事の邪魔をするな〟と釘を刺されることはあっても、別働隊の友軍に見返りを求めるようなことはしないはずだ。
あったとしてもせいぜい賄賂を要求されるくらいだ。
「とにかく、小官では判断しかねる部分もある――伝令、至急に士官たちを召集せよ。スミス大尉と部下の諸君には、決定事項を追って通達するため、待機を命じるものとする。以上だ、さがりたまえ」
なによりヨハンとミリアムを驚かせたのはこの指示だ。
コールマン少佐の言葉を翻訳するとこのようになる、
〝自分じゃ決められないから部下の多数決をとる〟と。
およそ将校――いや、指揮官とは思えない情けない通達だった。
嫌がらせでもない限り、こんな命令を受けたのはヨハンも初めてのことだった。
「いやいや、お待ちを少佐――俺たち、なにか少佐殿のご不興を買いましたか? もしもそうであれば、謝罪をいたします。部下の不始末がありましたら、厳重に注意をし、今後は二度と起きないようにしますので」
「……? 何を言ってるのか、大尉は――これは貴官らの問題ではなく、あくまで当基地の規律の話である。レイノルズ中尉、大尉たちをご案内せよ」
「こちらへ――仮の幕営をご用意いたしました、大尉殿」
ヨハンたちはヴィクトリー基地の西端に用意された幕営に移った。
士官であるヨハンとミリアムにはそれぞれ個人用の幕舎が割り当てられ、下士官である兵たちは大型の幕営を使うのだが、明らかに数が足りていない。
そのことを尋ねると案内をしてくれたレイノルズ中尉は、
「少佐からのご命令です――ハーレークイン小隊は八名を選抜し、別命あるまで西側の歩哨に立つようにとの由であります」
それを聞くなり、ヨハンは取り出したばかりの細巻きを地面に落とした。
「馬鹿を言うな! 俺たちはこの基地の所属じゃねえぞ!」
「レイノルズ中尉、僭越ながら申しあげます――我々はこちらの基地に補給と情報収集のために立ち寄ったのです。これは統合参謀本部の最上級命令によってであります」
ヨハンはいつもの調子で、ミリアムも口調こそは弁えていたが咎めるようにレイノルズ中尉に言ったが、彼を困らせるだけだった。
「そう、申されても――少佐のご命令ですので、小官からは……」
「わかった、わかった――俺があとで話をつけに行く。お疲れさん、中尉」
「は――では、失礼いたします」
ハーレークイン小隊は独立した遊撃部隊だ。
彼らが出動するときとは、すなわち統合参謀本部が下す最上級命令がその作戦行動の根拠となる。
したがって、通常の命令系統はあてはまらない。
翌日の面会で、ソフィアがそう指摘したものの、
〝妖精族の准士官ふぜいに、軍規の講釈を頼んだ覚えはない〟とコールマン少佐は聞く耳を持たなかった。
また、有事に際しては現場の指揮官の裁量によって、多少の越権行為は融通として見過ごされる傾向がある。
その〝融通〟の部分を拡大解釈したコールマン少佐は、連隊として足りない兵力を、別任務のために立ち寄ったにすぎないハーレークイン小隊に求めているのだ。
そもそも、このヴィクトリー基地を率いる第二六連隊の指揮官は、ランドナー大佐という人物だったらしい。
しかし、大河からの撤退戦の時に、殿を担っていた部隊の救援に戻って戦死を遂げたらしい。
以後、後任が中央から派遣されるまでの暫定処置としてランドナー大佐の主席副官を務めていたコールマン少佐が基地司令と連隊指揮官に就任したそうだ。
ヨハンはレイノルズ中尉の制止を振り切って、コールマン少佐に抗議をしに行ったものの、軍議が途上であることや、階級といくつかの帝国軍規を盾に追い返されてしまう。
「糞がっ!」
ヨハンは仮の幕営に戻ってくると、吐き捨てるように言った。
「お疲れさまでした、大尉――とりあえずは部下たちに交代で歩哨に立つように指示をしておきましたが、幕営のスペースがいかんともし難く、個人装備の雨具を繋いで、予備の支柱で物置を作りました」
「再度、統合参謀本部に上申して、コールマン少佐に便宜を図って頂くように取り計らっては、いかがでしょう」
ヨハンの幕営を訪ねてきたシニアとミリアムが口々に言った。
「時間かかるけど――それしかない」
ソフィアが頷いた。
「しょうがねえな」
不承不承ながらも部下たちの諫言を聞き入れたヨハンだったが、間もなく彼はこの選択を大いに後悔することになる。
前線――ヴィクトリー基地にハーレークイン小隊が足止めを受けて数日が経った。
ヨハンたちハーレークイン小隊は仮の幕営を引き払い、ヴィクトリー基地から塹壕を延伸した最前線のさらに奥に設営された小隊陣地に移動するよう命じられた。
「なんだよこの安普請は――排水溝の造りから防御陣地の厚みまで、まるでなってねえ。ってわけで、今週いっぱいはみんなで土方に精を出すぞ」
「へーい」
陣地を移してから、周辺を視察しているとヨハンは言った。
「どうも、あの少佐殿は急に拡大した己の権限で、自分が偉くなったと勘違いをなさっているご様子ですね――戦時特例の野戦昇進ではよくあることです」
護衛を兼ねるシニアが、ツルハシやショベルといった道具を振るうヨハンに言った。
その横で小隊を率いる指揮官は、憂さ晴らしのつもりか汗をかきながら土方囃子を歌い出す。
「父ちゃんのためなら♪」
「エーンヤコラ♪」
ヨハンの主旋律に部下の下士官たちが同じく汗を吹きながらコーラスを合わせてくる。
「母ちゃんのためなら♪」
「エーンヤコラ♪」
「そんなのいねえが♪」
「エーンヤコラ♪」
「唄うならちゃんと歌って」
ヨハンの額から滴る汗を拭いながら、ソフィアが静かに歌詞の間違いを指摘した。
少し離れた場所ではミリアムが他の部下を率いて、各所の測量を行っている――こうして、手分けをしたことで、彼らの陣地にはヴィクトリー基地の中でも最も堅固な防御陣地が構築された。
機関銃や砲弾の破片を防ぐ正面の土壁は当初の倍以上に、通路にそった溝は投げ込まれた手榴弾を投棄するために深く掘ってある。
また、小隊指揮所が迫撃砲を受けた時に備えて、シニアの助言によって退避壕でも指揮が継続可能な設備を備えることにした。
ミリアムやソフィアを除いて、ハーレークイン小隊の面々は全員が前線にいたこともあり、彼らは手際よく陣地を構築しなおした。
「いっそ開き直って、縦深をケチらずにもっといい場所で再編成すりゃよかったんだよ――後方の川を基準に防衛線を引き直すとか。途中の余ってる街やら村を焼き払って、焦土戦術をとるとか」
「ヨハンなら絶対にそうしてる」
ソフィアが頷いた。
「この季節だし、防疫も見直さなきゃならねえな――あとで軍医に来てもらうが、お前さんは体調はどうだ? 生理はちゃんと来てるか?」
「妖精にそんなものはない――私は大丈夫」
妖精族の少女は顔色ひとつ変えずに答えた。
「お前さんは?」
ヨハンはミリアムを振り返った。
「婦女子に向かって、なんてことを訊くんですかっ!?」
「いやほら、部下の心身に気を使うのが――出来る上官ってやつだから」
「大尉はまず、人としての常識を身につけてくださいっ! 体調が悪化したらきちんと申告します! ご心配なく!」
ミリアムは怒って自分の幕舎に戻ってしまった。
「なんかやけにキツいな」
「半分はヨハンのせい」
「もう半分は……?」
「あなたには教えない」
ハーレークイン小隊は本来の任務に就けない間、すっかりこのヴィクトリー基地の援軍として、いいように使われていた。
各陣地間の伝令から、夜間の歩哨の交代要員をはじめとして、地図制作に必要な測量や渡河地点の偵察、後方連絡線に使われる街道の巡回といった――どれもが地味で戦果に乏しい上に、面倒な仕事ばかりが彼らには押し付けられている。
「うちは古参兵が多いから、この程度のは慣れっこですが――少尉殿が心配ですな。これしきの戦で軍務に辟易とされては、将来の軍にとって大きな損失となってしまいましょう」
ミリアムは今回の作戦で〝前線〟というものを初めて体験している。
騎馬武者の突撃や戦列歩兵が華麗に行進する、近代化以前の軍隊ならばまだしも、現代の陸戦では華々しい戦闘というものはめったに起きるものではない。
幼年学校時代の机上の講義でそのことは彼女も知ってはいた。
そして、彼女の苛立ちは普段ならばヨハンが原因の十割を占めているが、今回は少々事情が異なっていた。
なにより、コールマン少佐のハーレークイン小隊への扱いは、明らかに度を越していると思えた。
その上で、彼は〝間違ったことをしていない〟と真顔で言うし、また軍規に照らしてみても表面上は問題ないのが始末に負えない。
現代戦における前線基地の役割自体は昔の時代とあまり変わっていない。
昼夜を問わないパトロールで兵站線を維持したり、敵の浸透の有無を地道に調べる。
それらを踏まえて態勢が整ったら一気に反攻して、短期決戦に臨むのが統合参謀本部の目論んでいるシナリオなのだろう。
そのためには敵の対空警戒線に孔を穿つ必要がある。
ハーレークイン小隊は先行して敵地後方に向かわねばならなかったのだが、それが進まない以上は、帝国軍の軍事行動も遅々として進まない。
ヨハンはコールマン少佐に遠回しにそう訴えたものだが、彼は具体的に話さないと理解してくれないようだ。
〝お前のせいで戦争に負けるぞ!〟ヨハンは何度もその言葉を呑み込んだ。
ハーレークイン小隊の若き士官たちが焦燥を露にしていると、またしてもコールマン少佐の伝令が訪ねてきて新しい任務を命じるとのことだった。
「今畜生! やってられるか糞が!」
再びヨハンは自分の幕営に戻ってくると激高していた。
〝リーベルラント解放戦線〟の尖兵と思しき部隊が、基地の近くに迫撃砲弾を撃ち込んできたらしい。
その対応を任されたのだった。
被害の規模と残された痕跡から、敵は分隊単位のごく小規模な戦力で、小口径の携帯迫撃砲をその都度設置して攻撃を仕掛けているらしい。
携帯迫撃砲は帝国陸軍にもあり、それは一門につき5人の分隊で運用される――その二個分隊と砲撃を統制する、指揮・観測分隊を合わせて火力小隊として、中隊規模の軍では三個小銃小隊につき一個小隊が組み込まれて運用される。
おそらく敵も同じような運用をしているだろう。
迫撃砲は砲弾を上空に撃ち出して、山なりの曲射弾道で遮蔽物の反対側にいる目標に攻撃が可能な兵器だ。
欠点としては兵器の特性上、間接照準射撃しかできないため半数必中界――つまり命中率が直接照準の大砲に比べて低いことがあげられる。
また有効射程や威力、砲弾の初速も劣る――しかしながら、安価で生産性に優れている点や、砲単体の重量が百ポンドと、小柄な女性に満たない軽量さは歩兵が手軽に運用できる火力として頼られていた。
また、必要に応じて高性能炸薬弾、煙幕弾、照明弾といった複数の弾種を現場の判断で扱える利点もある。
効果的な運用を行えば、戦術の幅を広げることができるものだった。
もっとも、近頃の帝国陸軍は飛竜による空軍の近接航空支援や遠距離航空支援を多用していることから、その汎用性を軽視している傾向が認められる。
端的にいえばヴィクトリー基地をはじめとした前線基地群は、敵の〝古い手〟に翻弄されている。
携帯迫撃砲の曲射による被害は小さかったものの馬鹿にはできない脅威だ。
地形の関係で、実際に運用できる範囲はもっと狭いはずだが、いつどこに現れるかわからない、移動する小規模な火力部隊に対して、どうやって先回りして無力化を図れというのだろうか。
それをコールマン少佐に訊けば〝それを考案し、部下を運用して戦果をもたらすのが将校の義務だ〟とまたしても正論を返されたのだった。
それを聞いたヨハンはポケットから手鏡を差し出して、ミリアムが慌ててその場を取り繕った。
小隊の陣地に戻ったヨハンたちは手のあいている部下を召集して、状況を包み隠さずに話した。
「無能な働き者のせいで、俺たちは危機に陥ったわけだ――敵さんのラッキーストライクが、頭の上にいつ降り注ぐかわからん。ってわけで、また防御陣地の改修だ」
それからの一週間、ヨハンたちは勝手に土木工事をはじめた。
敵の使用する迫撃砲弾の殺傷範囲と威力を考慮して、陣地の簡易兵舎は窓はガラスを撤去して塞ぎ、屋根には鉄板を敷き、壁はコンクリートの代わりに土嚢を厚く積み重ねて補強していく。
ヨハンたちが作業している様子を、噂を聞いたコールマン少佐が視察に来たものの、彼は熱心に働いているハーレークイン小隊にむしろ感心しているようだった。
しかし、その帰り際に彼はまたも無茶な命令を下してくる。
「うむ――スミス大尉、ここを模範として連隊本部の防御陣地の全面的な改修を貴官たちに任せたい」
新たな命令を受けたヨハンは、資材と必要な道具を揃えるまで数日の猶予を貰えるように願い出た。
小隊指揮所でそれを部下たちに伝える彼はいつになく神妙な面持ちで言う。
「もう我慢ならん――あの野郎はぶっ殺そう」
「ちょっ!? 大尉!」
ミリアムが慌てて周囲を見た。
ヨハンは〝誰を殺す〟とは明言していないが、これまでの文脈からそれがコールマン少佐の殺害を示唆していることは明白だ。
「友軍を故意に殺傷した場合は、良くて終身刑――悪ければ現地で銃殺」
ソフィアが真顔で言った。
「故意じゃなきゃいいんだろ? あと、さっきお前さんが言ったのはホントは逆だ――軍刑務所の終身刑って、昔の捕虜労役よりキツいらしいからな」
「誰かにやらせても教唆が成立する」
「大尉――たしかにあのコールマン少佐のやり方には、小官も賛成はいたしかねます。しかし、上官が無能だからという理由でそれを排除しては軍隊が根本から瓦解してしまいます」
「それがどうしたっ!? 戦争に負けるよりマシだろうが!」
二人の乙女たちは徹底して正論でヨハンを説得しようとする。
大抵の場合はそれで収まるのだが、ついに彼も我慢の限界が来たようだ。
「俺がこの世でたったひとつ我慢できないものがある」
「……ひとつ?」
ソフィアが小さな頭を傾げたがヨハンはそれを無視し、水筒と重ね合わせて携帯できる飯盒を兼ねたカップを、テーブルに叩きつけるように置いた。
「俺は野菜スープの出汁が染み込んだカップでコーヒーを飲むのが大嫌いなんだ――さっさと任務を片付けて、ノーマッドに帰るぞ。だから、あの野郎は必ず殺す」
彼はそう言って、ミリアムに一時的に小隊の指揮を委ねて自分の背嚢を担ぐと、幕舎を出ていく。
背嚢の中には連隊本部の酒保から盗んできた、将校に支給される高級煙草とウイスキーが詰め込めるだけ詰まっていた。
「ロドリゲス! ロドリゲス伍長のいる幕舎はここでいいかっ?」
その日の午後、ヨハンは別の小隊の陣地を訪ねていた。
探していた下士官は軍人らしからぬ、くせ毛の長髪を乱雑に後頭部で結った、ヨハンよりも小柄な男だった。
ロドリゲス伍長は、異様に若い士官に最初は戸惑ったものの、敬礼もそこそこにヨハンが細巻きを差し出すと南部人らしい人懐っこさを見せた。
「レイノルズ中尉から聞いてきた――お前さん、絵が得意なんだってな?」
「はあ、まあ――ああ、こりゃどうも」
ロドリゲス伍長はマッチの火を差し出されると覇気のない声で答えた。
まもなく、話している二人の後ろにヨハンの背嚢を運ぶ兵卒がやってきた。
「大尉殿? こちらで?」
「ああ、すまんな――これで足りるか?」
ヨハンは謝礼として酒瓶を取り出した。
「そんな、悪いですよ」
「どうせ少佐のとこからかっぱらったやつだから気にすんな――ラベルは剥がすか靴墨を塗っとけよ」
「わかってます!」
兵卒が立ち去ると、ヨハンはロドリゲス伍長に向き合った。
「悪い悪い――で、頼みがあるんだが聞いてくれるか? お代に細巻きを箱ごと渡してやるよ」
「やります! 大尉殿!」
ロドリゲス伍長は即答した。
「よっしゃ――じゃあ〝逆立ちしたカバの絵〟を描いてくれ」
「は……?」
ロドリゲス伍長は瞬いた。
困惑する下士官に構わず、彼は注文に付け足す。
「大きさは、四十かける五十フィートで――布はあとで届けさせる。縫い目があっても、別に構わないよな? さすがにこんな前線で大きな白い布は手に入らないらしくて、替えのシーツを縫い合わせるしかないようだ。期限は早いほどいい。中尉に頼んで、お前さんがやる予定だった任務はうちで代わりを立てるから、とにかく急いでくれ。いいな?」
「あの……?」
ロドリゲス伍長が疑問を口にするよりも早くヨハンは言う。
「そうだ! こうしよう、早く仕上がるごとに報酬を上乗せだ――これなら少しはやる気がでるんじゃないか?」
ヨハンは背中を見せて、足元の背嚢から細巻きの箱をいくつか取り出した。
未開封の新品で将校用の高級な煙草ばかりだ。
積み上がっていく煙草と、いつになく真剣な眼差しをしたヨハンの顔を、ロドリゲスの視線がせわしなく動いた。
「必要なものがあればレイノルズ中尉に申し出ろ――頼んだぞ」
ヨハンは困惑したままのロドリゲス伍長を後に残して、陣地の外に戻っていった。
出迎えたミリアムは、
「いったい何を頼んだのですか?」と訊いた。
ヨハンはしばらくぶりに歯を覗かせた笑みを浮かべて答える。
「いいものだ」
「いま少し具体的にお願いします」
「士気高揚の絵だ――モデルに志願したいってなら口利いてやるけど、どうだ? ちょうど、巨乳の女騎士のヌードモデルの枠がひとつだけあいてるんだが」
「けっこうです!」
数日後、レイノルズ中尉の指揮下の小隊陣地から注文した品物が届けられた。
「お、来たな」
ヨハンが嬉しそうな顔をすると、ミリアムは露骨に軽蔑した目つきでそれを一瞥した。
中身を開けて広げると、間抜けな顔の逆立ちしたカバの絵が出てきた。
陣地の中で部下たちにそれを広げさせたヨハンは出来栄えに満足しているようだった。
「……何をお考えですか? 大尉」
予想外のものが出てきて、ミリアムはそう訊いたが、その表情は答えを聞きたくなさそうだった。
「悪巧みに決まってんだろ?」
ソフィアは肩に立って、
「変な絵」とつぶやいた。
「あとはシニアの報告待ちだな」
夕方、偵察部隊が帰還して報告を行うと、ヨハンは再びミリアムに指揮を代行してもらい将校偵察と称して出かけていった。
コールマン少佐には〝連隊本部の防御陣地改修のために必要な測量を、敵側の視点から行いたい〟と言って承認をとった。
夜間に歩兵が測量を行うことなどないのだが、コールマン少佐はそのことを知らなかったのだろうか。
そしてなぜか逆立ちしたカバの絵を彼は部下に持たせていた。
そして、出発前にヴィクトリー基地の司令部の位置座標を、北極星の位置を元に正確に測距し、このときはいつもより多めの人員を引き抜いていった。
夜明け前に手ぶらで彼が戻ってくると、ミリアムとソフィアは口々にあの絵をどうしたのか訊いた。
「敵からよく見える位置に掲げてきた」
「この非常時下に、なぜそんな無駄なことを……? 大尉、小隊指揮官たるものは、もっと分別と常識と威厳をもって、落ち着いた振る舞いをなさってください」
ミリアムは呆れていた。
ヨハンはその小言を聞き流しながら言う。
「カバの綴りを逆から読んでみろよ」
「あ――そういうこと」
ソフィアが何かに気づいた。
この地域の言葉ではカバを反対から読むと罵倒語になる。
「まさか、敵を虚仮にするために、これほどの手間をかけたと? ああ、もうっ」
ミリアムは幕舎の天井を仰いだ。
オイルランプのガラスに虫が飛び込んで焼け死ぬところを見た彼女は、この小隊への配属を引き受けた過去の自分の正気を疑いたくなった。
「なんだ、手間かけちゃ駄目なのかよ? じゃあ、連隊長殿の寝室の位置座標とか、書き込まないほうがよかったか?」
「え?」
ヨハンの言葉にミリアムは瞬いた。
それとともに夜明けがヴィクトリー基地に訪れた。
起床ラッパの音よりも早く砲声が轟いた。
いつもとは違い、陣地の至近距離に〝偶然〟迫撃砲の砲弾が命中した。
立て続けに弾着が起こり、そのたびに轟音と爆発音が響いた――着弾は徐々に正確に、基地の中心へと集まりだす。
ヴィクトリー基地の中は、すでに非常事態を告げる警報と怒声が飛び交っている。
「あの、大尉……? まさか」
「ヨハン、あなたは敵に連隊本部の座標を教えたの?」
腹心の乙女たちから口々に問いかけられて、ヨハンは白々しい大げさな身振りで否定しながら言う。
「とんでもない! 教えちゃいねえよ――敵を煽るために掲げた落書きに、誰かが書いたデタラメの数字が偶然少佐の寝てる場所と一致しただけだって」
そううそぶいている間に敵からの効力射と思われる、一斉砲撃が撃ち込まれ始めた。
「ほら、お前さんたちも退避壕に急げよ――このために、土方囃子を歌いまくったんだからな」
それから、敵による砲撃は一時間近く経っても続いていた。
ヨハンたちの退避壕に、司令部からの伝令としてレイノルズ中尉の部下が飛び込んできて、コールマン少佐の戦死が報じられた。
「よっしゃ――いや、よくないよくない。いてて」
ヨハンの肘を、ミリアムがつねった。
「連隊本部の陣地改修が間に合わなかったことを、大尉は悔やんでいる」
有能な副官が指揮官の心情を代弁した。
彼は気を取り直して伝令に言う。
「ご苦労さんだったな――それで、生き残ってる士官の先任は誰になる? 指揮系統はどうなってるんだ?」
「それは――現在はスミス大尉が、当基地では最も先任の士官であらせられます。よって、大尉殿に暫定的な指揮をお願いしたいと、レイノルズ中尉から言伝を預かりました。喫緊の状況でありますので、文書は間に合いませんでしたが」
「俺はよそ者だけど――構わないか?」
「当基地は危機的な非常下である、との由です」
レイノルズ中尉の部下は頷いた。
指揮権を移譲されたこと、その言質をとったヨハンは待機している部下たちを振り返る。
「わかった――お嬢さんたち! 戦争の時間だぞ!」
ヨハンは砲撃がいまだ続いているのも構わず、退避壕の外に出ていく。
「敵の狙いは正確に司令部に集中している! ただちに散れ! 基地の全員にそう告げろ! それから、端末水晶の全チャンネルをこっちに回せ!」
ソフィアを見た。
「ん――完了。以後、ヴィクトリー基地の通信は私が掌握する」
妖精の少女が報告するとヨハンは振り返って上級曹長を呼ぶ。
「シニア!」
「はっ!」
「小隊の全員と、近場の連中を率いて南側の防衛に当たれ――東から南にかけて、コンマ五クリック地点に、機銃掃射の十字砲火点を設定。この準備砲撃が終わり次第、敵は打って出てくるぞ。歩兵がモグラ叩きで牽制しながら敵の足を鈍らせ、頭をさげたところに擲弾の雨を降らせてやれ。砲兵隊の火力支援の統制を回復するまで時間を稼ぐのが目的だ。かかれ!」
「お任せを! 大尉!」
「少尉は俺と一緒に来い――レイノルズ中尉と協力して、生き残りの士官や下士官をまとめて、指揮系統を回復させる」
「了解いたしましたっ」
ミリアムも声を張って上官に付き従う。
これまでもそうだが、この上官は戦闘状態に入ってからがらりと人が変わり、任務を果たすためだけならば模範的な将校として振る舞う。
「権限を上書き、完了――現刻より、ヨハンがヴィクトリー基地の司令代理。呼出符丁はヴィクトリー・シックスを付与した」
ソフィアは基地の端末水晶を掌握して、コールマン少佐が保有していた指揮権や、使用していた通信チャンネルを全てヨハンのために上書きしたようだ。
「いいか?」
「いつでも」
妖精の少女が親指を立てると、ヨハンは端末水晶を取り上げて言う。
「ヴィクトリー基地の全将兵に告ぐ――こちらはハーレークイン小隊指揮官、スミス大尉だ。敵の砲撃に遭い、残念ながら当基地司令コールマン少佐は重傷を負われた。従って現刻より帝国陸軍階級序列によって、俺が指揮を執る。だが、心配はいらん。なぜかっていうと〝一番厄介な敵〟はもうくたばったからだ。ブレイク、追って指示があるまで、各隊は部所と索敵範囲を制圧。任意発砲を許可する。ブレイク、基地の南側の部隊は接敵に備えている、ハーレークイン・ファイブの指揮下に入れ。帝国陸軍最先任上級曹長の腕前を拝むいい機会だぞ。ヴィクトリー・シックス、アウト」
ヨハンの言う〝一番厄介な敵〟が誰か、ハーレークイン小隊とヴィクトリー基地にいる一部の将兵にはわかりきっていたが、そのことについては誰もなにも言わなかった。
《シックス、シックス――こちらハーレークイン・ファイブ。敵のコンタクトあり。歩兵多数、距離およそ一クリック半》
ヨハンが事前に指示した通り、敵は砲撃を終えると南側から侵攻してきた。
「ハーレークイン・ファイブへ――シックス、了解。交戦を許可する。ブレイク、可能な限り引きつけてから発砲を開始せよ。確認したか?」
《了解――ハーレークイン・ファイブ、アウト》
しばらくすると、警戒線を越えてきた敵とシニアたちの交戦する音が聞こえてきた。
ハーレークイン小隊と周囲の小銃小隊が迎撃している間に、ミリアムとレイノルズ中尉は奔走して、司令部の指揮系統を回復させようとする。
それとともに、ヨハンは後方基地の砲兵隊に火力支援を行うように要請して、ハーレークイン小隊が食い止めている敵の歩兵に対しての砲撃を行う。
連日のように、コールマン少佐の命令で周辺の測量を行っていたヨハンたちは、いつのまにかヴィクトリー基地周辺の地形や地理を全員が把握していた。
特に、狙撃の観測手を生業としているハインツとコワルスキーが、高倍率のスコープによって行う測距と弾着の観測は正確で、十ヤードの誤差でも彼らは正確に砲撃に必要な情報の諸元を報告できた。
リーベルラント解放戦線はこの攻撃にかなりの兵力を割いていたらしく、日中の第一波を凌いでから、夜間にも奇襲を仕掛けてきた。
「お馬鹿な脳筋どもめ――携迫で照明弾を打ち上げろ。以後、二分ごとに継続」
ヨハンの命令を、レイノルズ中尉が端末水晶を介して、後方基地の砲兵隊に命じた。
この時点で、ヴィクトリー基地の指揮系統はほとんどが回復していた。
リーベルラント共和国というより、これは中洲の都市国家郡全体の傾向だったが、彼らはかつて鎖国時代に内戦を繰り返していた。
その勇猛果敢な国民性が、致命的な敗北を喫するまで戦いの矛を収めようとしないのを後押ししたのだろうと歴史家は見ているようだ。
そのために技術的な面ではかなり後進国で、その差は武器や兵器・戦術にも表れている。
対して帝国は魔界連邦との十年にも渡る大規模な戦争を続けてきたために、軍に属する将兵の大部分は疲弊していたものの、大戦中には毎日のように新兵器や新技術が発明され、実用化していった経緯がある。
それに伴い軍の基本行動原理は大きく進歩を遂げた。
迫撃砲から間断なく打ち上げられる照明弾のおかげで、夜間でも目標の識別は容易だった。
「機甲部隊は歩兵を随伴して中隊ごとに両翼に展開、迂回進撃してくる敵の浸透を阻止しろ――各銃座は引き続き射撃を継続して敵の足を止めろ。後方の砲兵隊は合図で効力射を開始。季節外れの花火大会を見物しようぜ」
ハーレークイン小隊の退避壕を臨時の連隊指揮所として、ソフィアを通じて各中隊の指揮官には直接、端末水晶で命令を伝達している。
妖精族のソフィアが基地の全通信を掌握し、その統制を図ることで通信の混信、誤送信といったものが排除された結果、ヨハンの指示は即座に必要な部隊に届けられた。
これは有史以来のありとあらゆる軍事において革命的なことだったが、当事者たちにもその自覚は〝まだ〟ないようだった。
「砲撃の後に両翼に展開した部隊は交互躍進――深追いはせず、攻撃発起点の一クリック先の稜線まで追い払ったら撤退していい。時間をかけてもいいから、ピールムーブを徹底しろ」
ヨハンはそのまま、ほとんど寝食も忘れて明け方に敵が撤退するまで防衛の指揮を執りつづけた。
それを間近で見ていたミリアムは戦慄を禁じ得なかった。
一昨日の未明より前に、将校偵察に出かけてから数えると丸二日半もの間、彼はまったく休憩をとっていないはずだ。
そのことをミリアムが思い出して、休むよう進言すべきかシニアに相談したところ、上級曹長は笑って言う。
「あの方の最大の武器ですよ――普段は昼行灯ですが、ひとたび戦端が開かれたら三日くらいは寝ずに平気で戦い続けるんです。大尉は」
「あの人は人間か……?」
「稀にそういう体質の人もおられるようです――さあ、少尉はしばらく休んでください。なにかあればお呼びしますので」
かつては竜族の火力こそを後ろ盾にしていた帝国だが、近代化以降の人間たちは、それに匹敵する武力を持つに至っている。
魔界は魔界で似たようなもので、中世の時代までは魔族の力に頼っていたが、帝国と同じように軍隊が強力なものに育っている。
事実、リーベルラントが対帝国への切り札として運用している、自走式対空砲は、明らかに帝国空軍の打撃力や空挺降下を脅威とみなして、対抗するために開発されたものだ。
ヴィクトリー基地は、最初こそ基地司令の退場で混乱したものの、その後の立て直しは早く、生き残った将兵たちの奮闘もあり、丸一日以上も続いたリーベルラント解放戦線の攻勢は敗走を余儀なくされた。
しかし彼らはすぐに再編成をして、二日後に再び打って出た。
このときの主力は歩兵ではなく、新兵器が投入された。
「うぉお! なんだあれっ!? なんだあれ!」
ヨハンたちがハーレークイン小隊の防御陣地から様子を覗っていると、飛竜の放つアベンジャー砲のような、小口径の榴弾が横薙ぎに連射された。
着弾から半秒ほどして、怪物の咆哮のような間延びした砲声が連続して響き渡るところまで、アベンジャーにそっくりだった。
「ツングースカです! 大尉!」
「あれがそうか! 今畜生! 〝七砲身パンチ〟を敵にまわすとこんなにヤバいのかよ! ずるいぞ!」
〝ツングースカ〟とは帝国が便宜的に与えた、敵の新兵器の通称だ。
その本来の役目は対空砲だが、敵はヴィクトリー基地の攻略のために新しい戦術を考案したらしい。
すなわち〝対空砲の水平射撃〟という、歩兵にとっては悪夢のような戦法を。
以後、いくつかの軍事衝突で、帝国はこれへの対処に苦慮することになる。
大戦中に塹壕を越えるために、装甲化された車両を〝戦車〟として運用しはじめたのは帝国も魔界も同時期だった。
しかし、戦車は飛竜にとっては動きの鈍い的であり、帝国は過小評価していた。
その戦車の砲塔を、小口径だが速射の可能な本来は艦艇用に開発された連装砲に換装したのが、魔界連邦が新開発したという自走式対空砲だった。
歩兵では刃が立たず、対空砲を撃破可能な火砲では狙いをつけている間に逃げられる。
飛竜で空爆をかけようとしても、逆に撃墜されてしまう――厄介な新兵器への対処に、ヨハンたちは苦戦を強いられることとなった。
「敵を浸透させる」
ヨハンは他の将校たちを集めた軍議の場で、これまでの方針を一気に転換すると明言した。
普段の言動はともかく非常時には頼りになると、ミリアムと同じような印象を他の士官たちもヨハンに抱いているようだった。
また生き残ったヴィクトリー基地の士官たちは、誰も連隊の指揮を執りたがらなかったこともあり、ヨハンの提案する作戦を不本意であっても聞くしかなかった。
「敵さんの狙いは、帝国領への橋頭堡をこの地域に築いて――交渉のカードにすることだと思われる。でなきゃ、こんなショボい基地に、虎の子の新兵器まで投入するもんか。ってわけで、敵が欲しがってるんならここを渡しちまえばいいと思うんだが」
途中まで頷いていた士官や准士官たちは、ヨハンの最後の一言で目をあげた。
「大尉――もう少し詳しくご説明をされたほうが、よろしいかと」
隣にいたシニアが促したが、
「なんでだよ――わかってるくせに」とヨハンは面倒くさそうに口を尖らせた。
「では、僭越ながら小官が代わって、補足いたします」
「ん? いいぞ――ちょうど一服つけたかったしな」
ヨハンが細巻きに火を付けると、シニアが椅子から立つ。
彼の襟に留めてある、帝国陸軍全将兵の中で最も複雑な形をした鏃が、オイルランプの光を反射した。
「諸将におかれましては、東の果にかつて存在した〝ミッドフラウア〟なる大国をご存知かと思います――彼の国の古典に〝ラオズィ〟という書物があり、その第三六章の一節に〝将に之を奪わんと欲すれば、必ず固く之に与う〟と記されております」
シニアがそこまで話すと、何人かの士官やミリアムが、
「……そういうことですか」と頷きはじめる。
「どういうこった?」
そう訊いたのは、細巻きを吹かしているヨハンの方だった。
「黙ってて」
ソフィアが両手で彼の口を閉じさせた。
上官のつぶやきを聞かなかったことにしてシニアは話を先に進める。
「その節の最後はかように結ばれています――〝国の利器は、以って人に示すべからず〟と。敵はここに来て、重大な失策を犯しています。当基地の攻略に固執するあまり、新兵器である対空砲をこの地に集めてしまったのですから。大尉の立てた作戦は、当基地を明け渡す振りをして敵を罠にかけるものです。目的は対空兵器の無力化であり、この地方の対空迎撃網に楔を打ち込み、それを反攻作戦の糸口とするのです。これこそが、統合参謀本部が当初の我々に課した任務でありました」
「……そう! そういうことだ! さすがはシニア!」
ヨハンは古典に疎かったが、部下が正確に自分の意図を汲んでいると途中まで聞いてやっと理解し、それに便乗することにした。
そのヨハンはレイノルズ中尉を一瞥して、わずかに顎を引いた。
「スミス大尉は勇猛果敢で的確な指揮は言うに及ばず、計略にも長けていたのですね」
この会議の前夜、自分の幕舎に招待して買収したレイノルズ中尉が、後押しをするように持ち上げた。
コールマン少佐の主席副官を務めていた彼の賛同や、古典を引用して説得力を持たせたシニアの援護によって、ヨハンの立てた作戦は承認された。
ヨハンたちは新たな作戦を進める下拵えとして、基地司令だったコールマン少佐の戦死を理由に、ヴィクトリー基地の撤退をレイノルズ中尉の名前で統合参謀本部に上申した。
またそれにともなって秘密裏にリーベルラント解放戦線に軍使を派遣し、近々、ヴィクトリー基地からの撤退を計画中だと明かした。
また、これが最も重要なことだがヨハンはマイアに宛てて私信を送った。
〝間もなくこの地方の霧が晴れる〟と。
マイアは即座に意味を理解して、ヴィクトリー基地の後方に戦略爆撃を専門とする大型の飛竜で構成される〝ランサー〟飛行戦隊を配備した。
リーベルラント解放戦線は、ヴィクトリー基地に属する全将兵の武装解除を条件に、撤退の打診を認めた。
数日後、ヴィクトリー基地の将兵はレイノルズ中尉が基地司令代理として敗残兵を装って、リーベルラントから派遣された軍使の前で武装を全て廃棄して基地を後にした。
その間に、先発隊として基地から離れた場所にヨハンたちは潜んでいた。
ヴィクトリー基地を占領しようとする、リーベルラント解放戦線の部隊と、新兵器である〝ツングースカ〟が展開するのを監視するためだ。
偽装した偵察用の陣地に隠れながら、ヨハンは双眼鏡でその様子と、レイノルズ中尉が率いる連隊の現在位置を確認した。
《シックスへ、こちらシエラ・ワン――帝国万歳。繰り返す、帝国万歳》
撤退するレイノルズ中尉たちを援護していた、狙撃班のひとつから通信が入った。
「やれ」
ヨハンはシュミットとベイツ――ハーレークイン小隊で破壊工作を担当している二人の下士官に命じた。
《ファイアインザホール》
ヴィクトリー基地に仕掛けた大量の爆薬が一斉に起爆した。
基地の地面には撤退の際に処分した武器で偽装していたが、榴弾砲の砲弾が二五〇発と汎用の梱包爆薬を雷管と信管、リード線で結んだものが埋めてあった。
地震や地鳴りを凌駕するかのような〝この世のものと思えない〟轟音とともに、合計して七〇〇〇ポンドを超える爆薬が炸裂し、巨大な火球と強烈な衝撃波を広げている。
それによって、ヴィクトリー基地の周囲に展開していた自走式対空砲の撃破を確認したことが、狙撃班から送られてくる。
ヨハンは爆破を確認すると端末水晶を取り上げた。
「ランサー中隊、ランサー中隊――こちらヴィクトリー・シックスだ。至急、火力支援を要請する。ブレイク、敵の対空砲を始末した。ブレイク、ヴィクトリー基地方面に、戦線の隙間ができたぞ。マーク八四の雨を降らせて蹂躙しろ。帝国に逆らった身の程知らずの馬鹿どもを石器時代に戻してやれ!」
上空で待機していた戦略爆撃飛竜で構成される、ランサー飛行戦隊はたやすく防空網を突破し、リーベルラント解放戦線の司令部に絨毯爆撃を敢行した。
その際に投下された二〇〇〇ポンド爆弾の総数は一九二発だという。
マーク八四と称する、空軍が運用する爆弾の加害範囲は一発につき、コンマ六クリックほどある。
単純計算で十クリック四方を焦土に変える、尋常ではない投射量だった。
またランサー飛行戦隊の空爆に続いて、ハーキュリーズと同様の輸送飛竜が立て続けにリーベルラント空域に侵入して、多数の歩兵を空挺降下させた。
同時に海軍の陸戦隊が別の経路から強襲上陸をかけて、彼らは帝国の領事館を奪還することに成功した。
ランサー飛行戦隊によって行われた絨毯爆撃で司令部を失い、統制をなくしたリーベルラント解放戦線は間もなく瓦解した。
なにより彼らに決定的な敗北感を与えたのは、当初こそ彼らを支援していた共和国政府があっさりと手のひらを返して彼らを〝反乱軍〟に貶めたことだった。
リーベルラント共和国政府はあらためて帝国への恭順の意を示し、それを示威するために〝反乱軍〟の鎮圧に正規軍を投入し始めた。
また帝国が行った一連の軍事行動について、彼らは国際テロリストの排除と自国民救難のための非常措置として認めるとの談話を公式見解として発表した。
魔界連邦の政府は、このあからさまな談話の発表に対して、遺憾を表明するにとどまった。
これについては魔界連邦の側でも、帝国との講和交渉を継続させたい勢力と、リーベルラントを利用して帝国への再侵攻を試みたい勢力とが、政局を争った結果だろうとみられている。
もっとも、今回の事案で魔界連邦は一切の損をしていないのだが。
こうして、帝国と魔界の講和交渉の合間に起きた緩衝地帯の独立民主運動と小規模な軍事衝突は、帝国の圧倒的な空軍力に蹂躙された〝リーベルラント解放戦線〟という犠牲によって、急速に沈静化していくのである。
彼の地と同じ轍を踏むことを恐れた中洲の都市国家群諸国は、以後は自ら率先して共和主義運動を排斥していくことになる。
公式には、ヴィクトリー基地で指揮官を相次いで失い、暫定的に連隊の指揮を執っていたレイノルズ中尉――この戦いで昇進して大尉となった彼の功績が知られている。
しかしながら、同時期にこの基地にはハーレークイン小隊が駐屯していたことは、いくつかの記録で明らかだったものの、彼らが具体的に何をしていたのかは、これまで誰も知ることはなかった。
そして最後に、これはまったく余談だが――ハーレークイン小隊の指揮官が作らせたという〝逆立ちしたカバの絵〟とやらはいまも見つかっていない。