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第10話 ハイジャックのチケットは片道切符

――サムエルは無事だったが、彼を安全に帰国させるためには与えられた作戦に従っていては不可能だとヨハンは判断する。そこで彼が目をつけたのは、港で出港を待っている豪華客船、ジョージック号だった。彼はそれを正規の手続きを端折って徴発しようとするが、一般的にそれは「ハイジャック」と呼ばれる行為だった。

 話は少し(さかのぼ)る。

「ひどいよ――僕だけ()()()()()なんて」

 夕食のケータリングが届くと、安宿の部屋にサムエルは閉じ込められた。

 ミリアムとソフィア、それからシニアといった小隊(しょうたい)幹部(かんぶ)と先任下士官である、一等軍曹(ぐんそう)のローガンとメイソンを別室に集めるなり、

「いま、(みなと)にジョージック号ってデカい客船が来てるだろ?」とヨハンは()いた。

「新聞で見ました」

 メイソンが(うなず)いた。

「あれを徴発(ちょうはつ)して――()()()()のガキとお(とも)を連れて、領海(りょうかい)を出る。やれるか? 大きい方のクロンボ。上手くいったら、スイカとフライドチキン以外のまともな食い物にありつけるぜ」

 挑発(ちょうはつ)的に言われたメイソンは白い歯を見せた。

「ぜひ大盛りでお願いしますよ、大尉(たいい)

「ローガン、お前さんはほうれん草の缶詰(かんづめ)しか食ったことがない水兵(ポパイ)どもに、本物の筋肉ってやつを見せつけてやれ」

「合点です、大尉」

「お待ち下さい」

 ミリアムが割り込んだ――彼女は仲間たちからの注目を集めると、

「ジョージック号の徴発を行うとの、大尉のご意向(いこう)ですが――どのような法的根拠(ほうてきこんきょ)を元に、決行されるのですか?」としごく()(とう)なことを訊いた。

 もっとも、ハーレークイン小隊の副官を務めしばらく経つ彼女も、次第(しだい)()()()()れつつあるため、回答にはなんとなく(さっ)しがついているようだった。

「法的根拠……?」

 (あん)(じょう)、ヨハンは()()()()()()()()()()()()()ような反応だ。

辞書(じしょ)が欲しい?」

 ソフィアが辛辣(しんらつ)に訊くと、緊張感(きんちょうかん)のうすい一等軍曹たちが失笑を()らした。

「……」

 彼らはシニアに一瞥(いちべつ)されると威儀(いぎ)(ただ)す。

「上級曹長(そうちょう)、大尉にご説明を――簡潔(かんけつ)に」

 仕切り直すようにミリアムが(うなが)したが、語尾にはやや(とげ)が残っていた。

「申し上げます――少尉殿(しょういどの)(おっしゃ)った通り、民間船舶(せんぱく)を軍が徴用(ちょうよう)するためには、いくつかの法的手続きに(のっと)る必要があります。通常は、統合参謀(さんぼう)本部が帝国政府に許可を求め、帝国政府の承認が()り次第、関係各省(かくしょう)通達(つうたつ)が降り、実務担当者同士と実際に乗り込む部隊の指揮官(しきかん)や、当該船舶(とうがいせんぱく)甲板部士官(かんぱんぶしかん)との連携(れんけい)()にするものです。つまり、今日の今日にジョージック号に出向いて徴発することは不可能です」

「どうするの? ヨハン」

 ソフィアが訊いた。

「手続きは全部端折(はしょ)る――書類の代わりに銃を使ってな。従って、法的根拠も許可も求めない」

 妖精(ようせい)の少女は小さな頭を(かたむ)けて、

「つまり?」とヨハンに()()()()()(うなが)した。

「ハイジャックだ」

「ああ、もうっ――あなたという人は、またそんなことを……」

 こうして、またしてもミリアムは苦労を(かか)え込むことになった。



陛下(へいか)、なにをしておいでか?」

 マイアが後宮(こうきゅう)(おく)(いん)(おとず)れると〝神姫(しんき)〟ヴィクトリアは自室に大量の新聞を集めていた。

 それは、帝国が発行している各社のもので、それぞれ三部ずつを宮内尚書(くないしょうしょ)に命じて(そろ)えさせたものである。

 ヴィクトリアは九六代に渡って連綿(れんめん)(いにしえ)の血を()ぐ〝神姫〟のなかでも、かなり質素(しっそ)倹約家(けんやくか)で知られており、(みずか)ら何かを(ほっ)することは滅多(めった)にない。

 その〝神姫〟がなぜ夕刊紙の()()()()()()まで(ふく)めて頼んだのか、彼女とヨハンの関係を知っている、数少ない帝国政府の重鎮(じゅうちん)()()()()()察したものの〝なぜ三部なのか〟については、理解していないようだった。

 ヴィクトリアはマイアに(たず)ねられるまで、黙々(もくもく)と新聞の記事と写真を切り抜いていた。

小母(おば)様――ご(らん)になりまして? ついに、お兄様が新聞を(かざ)りましたの」

「うむ」

 マイアは困惑(こんわく)しつつも頷いた。

「いま、お兄様のお写真と記事を集めています――保存用と観賞(かんしょう)用と()()で、三つほど制作しなければならないから、ヴィクトリアはとてもやりがいを感じています」

「さようであるか――ところで陛下、坊やがまたも()()()()をしたようでございまする」

 マイアは先ほど統合参謀本部からの急報(きゅうほう)を受け取った。

 豪華(ごうか)客船、ジョージック号が、何者かに武装占拠(ハイジャック)されたという一報と、客船からの救難(きゅうなん)信号で〝武装集団が自らをハーレークイン小隊だと名乗った〟という情報も未確認ながらあがっている――と彼女は急報の内容をヴィクトリアに()げた。

 ホテルの爆破の件といい、昨夜からは帝都を(さわ)がせる変事(へんじ)相次(あいつ)いでいるが、その爆心地(ばくしんち)にはいつもヨハンがいるようだ。

「よって(わらわ)はしばらく、統合参謀本部に詰めるとしよう――おそらく、坊やが泣きついてくるじゃろうて」

「小母様のよきように」



 客船、ジョージック号は全長九〇〇フィート、総トン数は四六〇〇〇トンを(かぞ)え、二基(にき)のレシプロエンジンと巨大な蒸気タービンが生み出す総出力は、五万馬力という帝国海軍の巡洋艦(じゅんようかん)を大きく(しの)ぐ出力を(ほこ)り、巡航速度は二〇ノットにも(たっ)する。

 帝国はもちろん、世界でも有数の豪華(ごうか)客船で旅客(りょかく)定員は一五〇〇人以上、運行にあたる乗組員は総勢五〇〇人を数える、巨大な海に浮かぶひとつの()だった。

 船の大きさに対して、旅客定員が少ないのは、この船が富裕層(ふゆうそう)中産階級(ちゅうさんかいきゅう)を快適に保養地(ほようち)や、南洋の島々を巡るために、客室などを広く造ったためだと言われている。

 サムエルの電撃訪問(でんげきほうもん)の警備のため、出港が延期(えんき)されており、乗客はまだ乗り込んでおらず、乗組員の大半も下船していたらしい。

 そのため現在は船の保守と出港の準備のために、(わず)かな人間しか船にはいないはずだ。

「船長以下、甲板部士官(かんぱんぶしかん)は九人、乗員は十五人――こいつらは殺すなよ。それ以外は、交戦規定(こうせんきてい)(のっと)って容赦(ようしゃ)するな。心配しなくても、バカでかい保険会社に海運会社は大金を(はら)ってる。一発でも撃ってきたら、眉間(みけん)に教訓を()れてやれ。港湾(こうわん)警備(けいび)しているのは海軍の連中だから、適当に対処(たいしょ)しろ」

 ヨハンは部下を安宿の食堂に集めると、これから何を行うか簡潔(かんけつ)に伝えていく。

「シニアと少尉が仕切(しき)る突入班、アルファとブラボーが船尾(せんび)から乗り込む――艦橋(かんきょう)制圧次第(せいあつしだい)、俺たちデルタと〝エンジェル〟が乗船、すぐに出港。質問は? ないな。それじゃ状況開始だ、お(じょう)さんたち」

 ヨハンは今回のジョージック号乗っ取りを、サムエルの護衛(ごえい)を命じられたときから、(ひそ)かに準備(じゅんび)をしていたらしい。

 寡兵(かへい)で大軍と(わた)り合う戦術(せんじゅつ)のひとつに〝ゲリラ〟というものがある。

 不規則(ふきそく)に行動し、神出鬼没(しんしゅつきぼつ)な活動をもって時間を(かせ)いだり、敵を混乱(こんらん)させるための戦術だが――ヨハンはこれを、サムエルの護衛にあたって活用していた。

 堅固(けんご)な帝都のホテルから、(ひそ)かに安宿へ彼を移送したのも、その観点(かんてん)からだった。

 また、統合参謀(さんぼう)本部の立てた警備情報は、サムエルを狙う暗殺グループに()れているとヨハンは確信しているようだった。

 もっとも軍議の席上では、ヨハンの根拠(こんきょ)のない主張と、()()()()()()()()でメイ中佐はもとより、諸将(しょしょう)賛同(さんどう)はまったく()られなかった。

 (あん)(じょう)、統合参謀本部は予定通り列車での壮麗(そうれい)壮行(そうこう)を行うと通達(つうたつ)してきたものの、ヨハンは、

〝それを逆手にとって、()さんに対する陽動(ようどう)に利用すればいい〟と言った。

 警備計画を立てる軍議の場で、メイ中佐に発言を禁じられるまで無駄口(むだぐち)罵詈雑言(ばりぞうごん)をまくし立てたときから、全てが今回の独断専行(どくだんせんこう)を行うための布石(ふせき)だったらしい。

 古典的(こてんてき)兵法(へいほう)の選集に〝敵を(あざむ)くにはまず味方から〟というものがあるが、まさしくヨハンのためにあるような言葉だった。



「状況報告を頼む」

 サムエルを連れたヨハンが、艦橋の下の階にある士官用の食堂でシニアとミリアムに()いた。

「さきほど、上級曹長(そうちょう)(もう)しました通り――こちらには被害(ひがい)はありません。ただし、乗員の中に犠牲者(ぎせいしゃ)が出ました。交戦規定(ROE)(のっと)って対処(たいしょ)した結果です」

 ミリアムは民間人の被害が出たことに、見るからに憮然(ぶぜん)としており(なか)ばヨハンを()めるような(とげ)のある口調で言った。

 騎士の家に生まれ育った、彼女の生真面目(きまじめ)誠実(せいじつ)人柄(ひとがら)を考えれば無理もない。

 (となり)のシニアが補足(ほそく)する。

武装警備員(ぶそうけいびいん)です――大尉(たいい)、彼らがブラボー分隊を()()せして釘付(くぎづ)けにしていたため、アルファが横槍(よこやり)を入れて殲滅(せんめつ)しました」

 それを聞いた指揮官(しきかん)は全てを理解したように、

「ああ、傭兵(ようへい)か」と(うなず)いた。

 ヨハンは周囲を見回して、部屋の(すみ)に並べてある数人の死体と、その横にある壁の()()()()を見た。

 これらの様子と部下の報告で、彼は何が起きたのかおおよそ把握(はあく)できたようだ。

 艦橋(かんきょう)を制圧するために、ミリアムが指揮(しき)するブラボーとシニアが(ひき)いるアルファは、交互(こうご)に前進と援護(えんご)をしながら、船内を進んでいた。

 ミリアムたちが食堂に踏み込んだところ、ジョージック号の運営会社が警備を委託(いたく)している傭兵派遣会社(PMC)から出向(しゅっこう)していた警護員と、彼らに従う数人の乗組員が待ち構えていた。

 後続のシニアたちは、迂回(うかい)して(かべ)を爆破――奇襲(きしゅう)仕掛(しか)けてミリアムたちの窮地(きゅうち)を救った。

「よくやった――みんなにもそう言っておいてくれ。ブラボーチームとお前さんは先に休んでろ」

 ヨハンはミリアムに言った。

「……はい」

「死体は早めに()()()よう――霊安室かなにかあるだろ? なかったら、適当な冷蔵庫(れいぞうこ)に突っ込むか、海から投棄(とうき)するしかないが。とりあえず、状況終了ってことで解散。シニア、ブリッジ(艦橋)に案内を頼む」

「はっ」

 ヨハンは食堂にミリアムを残して、シニアとともに(せま)い通路の階段を上がっていく。

「……君が主犯か」

 船長を(つと)めるヒル氏はこの時六二歳で、帝国海軍の士官学校を出て、五五歳で掃海艦(そうかいかん)の艦長を最後に少将(しょうしょう)昇進(しょうしん)して退役(たいえき)した人物だった。

 以後、海運会社に(せき)を移し、ジョージック号の艦長に五年前に就任(しゅうにん)した。

 ヨハンの年齢の倍近くを海で生きてきた男は、首謀者(しゅぼうしゃ)の若さに(おどろ)きを(かく)せないようだった。

「これから、あんたらの拘束(こうそく)()くが――指示に従ってもらうのが条件だ」

「よかろう」

 ヨハンが(うなず)くと、目出し帽(バラクラバ)(かぶ)った部下たちがヒル艦長をはじめとした、甲板部士官(かんぱんぶしかん)乗組員(のりくみいん)(しば)っている樹脂(じゅし)結束(けっそく)バンドを切っていく。

「君たちは何者だ? 目的はなんだね?」

 ヒル船長はヨハンに()いた。

「帝国陸軍第九九連隊(れんたい)直属(ちょくぞく)の第一小隊、俺は指揮官のスミス大尉だ――この船を占拠(せんきょ)した目的は、ある場所にある人物を護送(ごそう)するためだ」

 ヒル船長は上着のポケットからパイプを取り出した。

「まさか正規軍(せいきぐん)とは――君たちは同胞(どうほう)の船をハイジャックしたのだぞ、わかっているのか? これがどれだけ重罪か。一体、誰がこんな暴挙(ぼうきょ)許可(きょか)を出したのだね?」

「責任者はあくまで俺だよ、船長――うちの隊はちょっと変わってて、いったん任務(にんむ)受領(じゅりょう)すると、独断専行(どくだんせんこう)で動かざるを()ないんだ。説明すると長くなるんだが」

 ヨハンは背後に(ひか)えているシニアを振り返った。

「上級曹長(そうちょう)、ブリッジに〝エンジェル〟をお()れしろ」

 しばらくして部下に護衛(ごえい)されたサムエルが艦橋(かんきょう)に現れた。

「やあ、どうも」

「……あなたが彼らを?」

 サムエルに向かってヒル船長は訊いた。

 魔界の王太子は、

「いやいや――僕は()()()だよ」と言った。

「ヒル船長――こちらはサムエル殿下(でんか)。魔界連邦(れんぽう)宗主国(そうしゅこく)の、王太子(おうたいし)殿下であらせられます」

 シニアにそう紹介されるとヒル船長は瞠目(どうもく)した。

 彼は艦長席(キャプテンシート)のわきに置いてある、昨夜の夕刊を一瞥(いちべつ)した。

 おそらく、そこの一面にはサムエルの電撃訪問の記事が()っているのだろう。

 また、社会面までページをめくれば、彼の直衛(ちょくえい)としてヨハンの写真も見つけられるはずだ。

「要求は殿下(おん)自ら行う――どうぞ」

 ヨハンに(うなが)されて、サムエルは前に進み出た。

「乗船を許可願えるかな? 僕と僕の連れが二人、それと彼らは合わせて三十人だ――そして、ただちに外洋に向けて出港してもらいたい。目的は僕の国外脱出だ」

 しばらくして、ヒル船長は伝声管(でんせいかん)を通じて、機関室にエンジンを始動するように命令を(はっ)した。

 そして数時間後、ハーレークイン小隊に武装占拠(ハイジャック)されたジョージック号は、汽笛(きてき)を鳴らして出港した。

 港湾局(こうわんきょく)哨戒艇(しょうかいてい)や帝国海軍の沿岸警備艇(えんがんけいびてい)は、その快速にことごとく追いつけず、飛竜の戦闘行動半径を突破(とっぱ)して以降(いこう)、彼らの足取りは途絶(とだ)えてしまう。

 その直前になって、ヨハンはジョージック号の通信担当士官、スチュアートに言う。

()の飛竜に打電(だでん)を頼む――〝エンジェルはハーレークインとともにあり〟って」

「……はい」

 スチュアートが信号を送ると、ヨハンは肩の上に立つソフィアを見た。

「確認した――でも、彼は同時に救難(きゅうなん)信号と、私たちの人数、この船の状況を知らせていた」

「スチュアート! 余計なことはするな!」

 ヒル船長が()()()()()声を張って、ヨハンたちに向き直った。

「部下の不始末(ふしまつ)をお()びします、大尉(たいい)――しかし、彼は船の運行には()かせない人材です。この場はどうか(おさ)めてもらえますか?」

 ヒル船長は、ヨハンたちから求められたこと以外の行動をした場合、当事者や自分たちに危害をくわえられることを危惧(きぐ)していたのだろう。

「ん? ああ、いいって――船長。俺たちはこの船を動かしてもらいたいだけだし、あんたらの方から言った方が、軍も情報を信頼しやすいだろう。うちの部隊から通信してもよかったんだが、()()()信用されないことが多くてな」

 彼は白々(しらじら)しく言って、ポケットから細巻きを取り出して火をつけた。

 ヒル船長は落ち着きを取り戻して言う。

「大尉にいま一度確認をします――南洋から大河を遡上(そじょう)し、魔界連邦(れんぽう)側の領海(りようかい)に、とのことでしたが二つ問題があります」

「問題?」

 ヨハンが()くと、ヒル船長は席から降りて、海図の前に案内した。

補給(ほきゅう)が必要です――今回の航海(こうかい)計画では、南洋の保養地(ほようち)経由(けいゆ)して、そこであらためて物資(ぶっし)や燃料を補給し、外洋の島々を(めぐ)る予定でした。物資は、我々だけとなれば充分でしょうが、航続距離(こうぞくきょり)を考えますと、このままでは大河の途上(とじょう)で重油が()きてしまいます。ましてや、往復(おうふく)など不可能です」

「おそらく、小官もそうなるかと――いえ、船舶(せんぱく)については門外漢(もんがいかん)ですが。洋上ならばまだしも、大河での立ち往生(おうじょう)憂慮(ゆうりょ)すべき事態です」

 この場の人間で、ヒル船長ともっとも年齢が近いシニアが言った。

「往復航行が可能な範囲(はんい)はどこまでかな?」

 やりとりを見守っていた、サムエルが()いた。

「おそらくは、この保養地の南西――約五〇〇海里(かいり)が限度かと。到着までは二週間を要します」

「なら、そこに(むか)えに来てもらうよ――()()にね」

「は? お前さんにそんなのいるのかよ?」

失敬(しっけい)な――あの()()()()()()だって、僕のよき友だよ」

「そいつペリシテ人絶対殺すマンじゃねえか――そんな物騒(ぶっそう)なやつに(むか)えに来られて、たまるかよ」

()()()(ほど)いてあげれば、大人しくなるよ――覚えておきたまえ」

「いっそ丸刈りにしちまえ」

「そんな可哀想(かわいそう)なことをしては駄目だ」

 周囲からの呆気(あっけ)にとられる視線を気にせず、ヨハンとサムエルは雑談に(きょう)じているが、

「お二人とも、そこまでに」とシニアに(たしな)められた。

 サムエルはヒル船長に向き直って訊く。

「……それで、もうひとつの問題とは? おそらく補償(ほしょう)の件かな?」

「は――殿下(でんか)のご明察(めいさつ)の通りです」

 ヒル船長は(うなず)いた。

 そして、彼は元々この船に乗り込む予定だった乗客のうち、すでに代金を支払っている人たちに返金すること、またジョージック号を運用するために必要な費用(ひよう)経費(けいひ)、さらには犠牲(ぎせい)になった一部の乗組員の遺族に対する補償について、具体的な金額を交えて話していく。

「……以上で、総額は概算(がいさん)で四三五万ポンドになるかと」

「……? シリングだといくらだ?」

 ヨハンは肩の上に立つ妖精の少女に小声で訊いた。

「約八七〇〇万」

「八七〇〇万っ!?」

 ヨハンは声をあげて(おどろ)いたが、無理もない。

 一般的な軍の兵や下士官の給金は、年額にしておよそ二千から三千シリングで、これは民間に(つと)めている正規雇用(せいきこよう)額面上(がくめんじょう)平均給与(へいきんきゅうよ)を少し下回るくらいだ。

 ヨハンの階級である、帝国陸軍大尉の基本給与が四千シリングに届かない程度(ていど)だと考えると、()()()()請求(せいきゅう)だった。

 大金持ちの貴族の大豪邸(だいごうてい)と夏用と冬用の別邸(べってい)を全て売り払って、同じ金額の借金をしても届かない額だった。

「……」

 ヨハンは人生でもっとも早く頭の血の巡りを刺激(しげき)して、どうやって()み倒すべきか悪知恵(わるじえ)を働かせていたが、

妥当(だとう)な要求と金額」とソフィアが言った。

「馬鹿――(はら)えるわけないだろ」

「軍が賠償(ばいしょう)すればいい――これは軍事作戦なのだから」

 妖精の少女は他人事のように言った。

「ちょっと待ちたまえ――よく考えたら、おかしくないかね」

 唐突(とうとつ)に、サムエルが割り込んできた。

「ハイジャックをした犯人に、どうして被害者(ひがいしゃ)が大金を要求しているんだい? 普通は逆だよね。こう、要人(ようじん)(たて)にして身代金(みのしろきん)をせびるとか」

 そう言う魔界の王太子を見ていたヨハンの目が細くなっていく。

()()()人質(ひとじち)に魔界から金をとろうぜ――王子の身代金なら、一億くらいふんだくれるだろ」

(けた)が三つ違うよ――僕は自分を安売りしたことなんかないからね。けど、(すじ)を通したいなら、船長の要求は君たち帝国側が補償(ほしょう)すべきだ」

「正論」

 ソフィアが結論を突きつけた。

 補償の問題は依然(いぜん)として解決策(かいけつさく)がないものの、なにはともあれ今後の方針(ほうしん)が決まり、作戦の日程と状況の変更を小隊に伝えることになった。

「兵たちには小官が伝えに行きます――大尉(たいい)少尉殿(しょういどの)の方をお願いできますかな? それから、お疲れのご様子でしたから、なにか差し入れをお持ちしたらよろしいかと」

「あ、ああ」

「僕は部屋で休ませてもらうよ――そろそろ、まともなベッドで寝たいからね。食事はさっきの食堂でいいのかな。では、失礼。部下たちに状況を教えてくるよ」

「私はお風呂に入りたい」

 サムエルとソフィアが、口々に言って、艦橋を出ていく。

「いや、待て――お前ら、勝手に動くな。はぁ……」

 ヨハンは嘆息(たんそく)して、食堂に寄り道をしてから、ミリアムに割り当てた客室を(たず)ねることにした。



 一等客室は、貴賓用(きひんよう)の特別客室といった例外を(のぞ)いて、ジョージック号の中でも最も豪華(ごうか)な造りだった。

 シニアの采配(さいはい)で、士官であるヨハンとミリアムにはこれらが居室(きょしつ)として割り当てられた。

 とはいえ、部屋こそ豪華だったものの、サービスに従事する乗員がいないこの船にあっては、あまり意味のないものだ。

 強いていうなら、キングサイズのベッドと枕やマットレスの柔らかさ、それらを包む清潔(せいけつ)なシーツがあることが救いで、ここ数日の激務(げきむ)蓄積(ちくせき)した疲労もあり、ミリアムは一瞬にして眠りに落ちた。

「……」

 少し目を閉じて休んだつもりだったが、うっかり熟睡(じゅくすい)してしまったようだ。

 彼女が目をこすりながら身体を起こして、昨日から着たままの野戦服(BDU)に顔をしかめながら(そで)を通すと、(とびら)(ひか)えめに(たた)かれた。

「入るがいい」

「失礼しまーす」

 そう言って、ヨハンが銀盆(ぎんぼん)(ふた)をしたものを乗せたワゴンを押して、(たず)ねてきた。

「大尉っ!? 失礼をお許しください」

「ん? ああ、いいってことよ――それより、腹減(はらへ)っただろ? 豪華(ごうか)な朝飯を持ってきてやったぜ」

 彼はそう言って、銀盆の蓋を開けてみた。

「……豪華って――携帯口糧(レーション)じゃないですか」

 真っ白な陶器の皿と銀器に囲まれた〝朝食〟は陸軍で支給されている、軍用携帯口糧(けいたいこうりょう)を盛り付けただけの代物だった。

 帝国陸軍で支給される糧食には大きく分けて三つの種類がある。

 前線の後方や、駐屯地(ちゅうとんち)生鮮食品(せいせんしょくひん)等を現地で調理する通常の食事――これに関しては士官である将校たちと、兵士の間では明確な格差があるし、調理師の腕による差が最も(あらわ)れるものだった。

 もう一つは、作戦中の部隊が簡易(かんい)調理によって自力で摂取(せっしゅ)できるように加工されたもの――十年間に(およ)んだ大戦の渦中(かちゅう)で、従来(じゅうらい)の重い缶詰から、近年ではアルミを蒸着させた真空保存のレトルト食品に置換(おきか)えが進んでいる。

 献立(こんだて)は全部で二一種あり、理論上は一週間の間は毎食違うものを喫食(きっしょく)できるように配慮(はいりょ)がなされている。

 しかし、兵士たちの評判はといえばあまり(かんば)しくはない。

 彼らの注文は、献立を考えた人間の苦労など思慮外(しりょがい)で、とにかく単純であり〝豆より肉を食わせろ〟だったり〝塩をもっと多くしろ〟といった、()()()()()()()注文(ちゅうもん)ばかりつけてくる。

 最後は非常食で、これは無加工でそのまま食べられるように作られた、甘い焼き菓子(ビスケット)のようなものだった。

 これは()()()の評判は悪くないが、保存と効率(こうりつ)のために極限(きょくげん)まで水分を飛ばして()(かた)めているため、一説(いっせつ)には釘を打つ工具の代わりにされたり、積み上げて車両の整備に利用されたりといった具合に活用されている。

 ()()()()それを()んだ新兵は、全員が軍医の治療(ちりょう)を受けることになる。

 ヨハンが調()()してきたのは、湯を()かすだけで食べられるレトルト品に、細かく(くだ)いた非常食のビスケットに牛乳を(そそ)いだものだった。

「だって、料理なんかしたことねえもん――家にいた頃はババアが作ってるのを見てたけど」

「っ!?」

 ミリアムは(おどろ)きを(かく)せなかった。

 侯爵(こうしゃく)であるマイアが、ヨハンのために手料理を振る舞っていたというのだから、無理もない。

 ミリアムの母親も貴族の出自(しゅつじ)だが、母親が厨房(ちゅうぼう)に入ったところは一度も見たことがなかったし、貴族社会ではそれが()()()()だ。

「しかし、どうして」

「まあ、聞けって――(がら)じゃないけど、これから()()()をするんだから」

 ヨハンは副官の歯切れの悪い疑問を聞き流しながら、ピッチャーからオレンジジュースをグラスに(そそ)ぐ。

「なあ――〝忘れろ〟とは言わないけどさ、お前さんはちょっと心得違(こころえちが)いってやつを、してやしないか?」

 この貴族らしさのかけらもない上官は、前置きを(はぶ)いて本題から切り込んできた。

 彼が何の話をしているか、ミリアムはすぐに理解した。

「そうは思いません、大尉――小官が未熟だったが(ゆえ)に、民間人に被害を出してしまいました。その責任を痛感(つうかん)することの、なにが〝心得違い〟なのですか」

「帝国軍規第九六条だっけ? 指揮官(しきかん)は部下の行動に責任を持つってアレ――な? お前さんやシニアがやったことに対して、責めを受けるべきなのは俺だけなんだよ」

 実に(めずら)しいことだが、このときのヨハンの物言(ものい)いは()()だった。

 それを聞いたミリアムは目を()せて言う。

「軍規の上では(おっしゃ)る通りですね」

「だろ? だからあ、()()()()()()()って言ってんじゃん――それに、もし()たなきゃ部下の誰かが弾を()らってたかもしれないんだぜ。それでいいのか? お前さんの()()()()()は部下の命よりも大事なのか? もしも誰かがお前さんを狙ってるのを俺が見たら、必ずそいつをぶっ殺す。相手がガキだろうが女だろうが年寄(としよ)りだろうが、容赦(ようしゃ)しねえ。胸に二発、眉間(みけん)に一発ずつ撃ち込むぜ」

 ミリアムはもう一度〝朝食〟と、上官を見比べるようにした。

 部下の顔つきが、軍人以外の別のなにかになっていることに、まったく気づいていない朴念仁(ぼくねんじん)の上官は、その間に、今後の予定に少々の変更が加えられることや、ヒル船長から聞かされた途轍(とてつ)もない補償金(ほしょうきん)の話をした。

 ミリアムは額面(がくめん)を聞いて、(あや)うく飲み物を吹き出しそうになった。

「一体、どうやって(はら)うんですかっ!? そんな大金」

「うーん……」

「そもそも、()()()()()()()()()()()()、どうして船長に身分を明かしてしまったんですかっ!?」

「あ! やっべ!」

「まったくもう」

 ミリアムは会見の場に同席しなかったため、ヒル船長の手元に新聞があったことを知らなかった。

 彼女が指摘(してき)したように、仮に身分を名乗らなくとも、写真や記事を見ればヨハンをはじめとしたハーレークイン小隊の身元はすぐに明らかとなっただろう。

「ところで、お前さんの実家というか、お屋敷(やしき)資産価値(しさんかち)って高いんだっけ?」

「ちょっと、大尉! そんなの父上がお許しになるわけありませんから! というか、うちの屋敷と別邸(べってい)を全部処分(しょぶん)しても、全然足りません!」

 ヨハンは腹案(ふくあん)でもあるのか能天気(のうてんき)に言う。

「まあ、なんとかなるだろ? いざとなったら、マジであの()()()()誘拐(ゆうかい)しようぜ。本人いわく、一〇〇〇億くらいの身代金(みのしろきん)はとれるらしいから」

 はたして彼がどこまで本気でそう思っているかわからないが、ミリアムは首を振った。

 彼女は嘆息(たんそく)してから、上官に諫言(かんげん)する。

「それこそ、戦争の火種になってしまいます! なんのために、私たちが命がけで殿下(でんか)をお守りしてきたのかお忘れですかっ!? 今までは、殿下の御身(おんみ)を第一にするため(したが)ってきましたが、今日という今日は聞いていただきます」

「えー、だって」

「いつもの〝だって〟は駄目(だめ)です――(のが)しませんよ。そこにお直りください」

「……はい」

 しばらく、寝起きから血圧の高そうなミリアムの説教は続いた。

「……それからもう一点」

「まだあるのかよ!」

「料理の腕前(うでまえ)も、射撃と同じくらいに上達(じょうたつ)してください――せめて、落ち込んでいる婦女子(ふじょし)を元気づけられるくらいには」



 それから二週間、航海は順調に進んだ。

 その間、(ひま)を見つけてはミリアムはヨハンに包丁(ほうちょう)の持ち方の基礎(きそ)から教えていた。

 彼女は貴族の令嬢(れいじょう)ではあったものの、自給自足を(むね)とする帝国でも最も戒律(かいりつ)(きび)しい全寮制(ぜんりょうせい)修道院(しゅうどういん)で教育を受けていたため、料理の腕前は玄人裸足(くろうとはだし)といえるほどの持ち主だった。

 彼女の意外な特技は、屈強(くっきょう)な下士官たちの胃袋(いぶくろ)と心を鷲掴(わしづか)みにした。

 また、ソフィアはソフィアで肉類を口にできない自分のために、わざわざ別の献立(こんだて)を用意するミリアムに、明らかな好意を寄せるようになっていく。

 そしてヨハンはといえば小隊の(ちょう)だというのに、彼はこの航海(こうかい)の間、ひたすら(いも)の皮むきや魚の(うろこ)取りといった雑用に()()使()()()続けたのだった。

一昨日(おととい)の芋のガレットが美味しかった」

「あーあれな――死ぬほど()()()()をやった甲斐(かい)があったわ」

 船尾甲板のデッキで、プールを(なが)めながらヨハンは細巻きを吹かしていた。

 彼らの視線の先で、野戦服(BDU)を身に着けた部下たちはシニアに水泳の訓練で()()()()ている。

 航海の間、ヨハンたちはジョージック号の設備を拝借(はいしゃく)して、身体が(なま)らないように、班ごとに分かれて訓練を()ねた哨戒(しょうかい)休憩(きゅうけい)に就いている。

「おっといかん、時間だ」

「時間? なんの?」

「この時間に、いつも少尉がシャワーを使うんだ――万が一の万が一の敵襲(てきしゅう)(そな)えて、お嬢ちゃんの監視(かんし)につかなきゃならん」

「そう……」

 ソフィアがルビーの(ひとみ)を冷たくしている横で、(あわ)ただしく指揮官はわざとらしい武装で歩哨(ほしょう)体裁(ていさい)(ととの)えて共同バスルームに()け込んでいく。

 そして例によって、ミリアムに(たた)き出された。

人間(ヨハン)は学習能力が低い」

 妖精(ようせい)の少女の辛辣(しんらつ)な感想は誰も聞いていなかった。



 ジョージック号が指定の座標(グリッド)に近づき、

「この(へん)でいいと思うよ」とサムエルが言った。

 ヒル船長が停船(ていせん)を命じると、ジョージック号はしばらくして洋上で止まり、(いかり)をその場で下ろすことになった。

 デッキでヨハンたちが整列して待っていると、遠くで白波(しらなみ)が立った。

 最初はクジラか何かかと思えたのだが〝時期ではない〟とソフィアが指摘(してき)したところで、()()は姿を見せた。

 巨大な海竜だった。

 帝国において、彼にはいくつかの名前がつけられているが、いずれも天地創造(てんちそうぞう)の神話の時代の物語やそれを記録した文献(ぶんけん)でしか見ることはない。

 聞くところによれば、魔界においても人間のいる場所に降臨(こうりん)することは(まれ)で、魔族を(のぞ)いては実在すら(うたが)われているほどらしい。

「やあ、レヴィ――ご苦労だったね」

 巨大な海竜――レヴィアタンにサムエルは(した)しげに言った。

「まさか()()にお目にかかるとは」

 (めずら)しくシニアが驚愕(きょうがく)していた。

 帝国軍に四十年近くも(せき)をおく彼ですら、異郷(いきょう)()()()たりにするのは初めてのことだった。

 レヴィアタンのような古い神は、言葉が通じないという説があったが、彼らは人間とは別の方法で意思疎通(いしそつう)(はか)るのだと、サムエルは言った。

 彼の助言で、ソフィアが専用の暗号鍵(デコーダー)を組み上げたおかげか、レヴィアタンの発する低周波信号の言語が、端末水晶(SINCGARS)(かい)して聞こえてくる。

殿下(でんか)、ご機嫌麗(きげんうるわ)しゅうござる――して、その者たちは? 従卒(じゅうそつ)でございますかな? 我が(まなこ)には、帝国の将兵(しょうへい)兵装(へいそう)と見受けられますが。はて》

「彼らは僕の護衛(ごえい)を命じられた、帝国の軍人だよ――命を(すく)ってもらった恩人(おんじん)なんだ」

《それはそれは――流石(さすが)は殿下。異国の将兵(しょうへい)すら御身(おんみ)(たて)にしてしまわれるとは、末恐(すえおそ)ろしや》

本土(ほんど)に戻りたいんだけど、送ってもらっていいかね?」

勿論(もちろん)――恐悦(きょうえつ)でございまする》

「というわけで、世話になったね――スミス大尉」

 サムエルは振り返ると、握手(あくしゅ)を求めてきた。

「なんだよ、気持ち悪い――任務だから仕方なくやっただけだっつうの」

大尉(たいい)っ!」

「ちゃんとして」

「へいへい、わかったよ」

 ミリアムに(うなが)され、ソフィアに耳を引っ張られると、ヨハンはサムエルの手を(にぎ)った。

 二人が手を(はな)すと、サムエルに同行していた官僚(かんりょう)たちが彼の肩に(つか)まっていく。

「ん? なんだこれ」

 ヨハンの手には、握手を()わしたときに、数百カラットを超えそうな巨大なダイヤモンドが握らされていた。

 見事なブリリアントカットで、人造品のように透明度(とうめいど)も高く、仮に転売すればこのジョージック号が()()()買えそうな値がつくだろう。

「……」

 ヨハンは無言でそれをポケットにしまった。

「では――また会おう、諸君(しょくん)

 そう言うと、サムエルの背後に六(つい)、十二枚の(つばさ)(あらわ)れた。

 ()けて見えたことから、実体(じったい)ではなく、何かのエネルギーを定着(ていちゃく)させているらしいが、ソフィアに三時間ほどかけて説明されても人間にはまったく理解できなかった。

(ささ)(つつ)! 敬礼(けいれい)!」

「……直れ! (ひか)(つつ)!」

 ミリアムとシニアの号令にハーレークイン小隊は従い、整列した彼らはサムエルが天高く(のぼ)っていくのを見送った。

 間もなくして、無事に乗り移ったのか、

《ジョージック号とその乗員、そしてハーレークイン小隊に告ぐ――そなたたちの航海の無事を祈る》とレヴィアタンから信号が送られてきた。



 残る()()を片付けるため、ヨハンは船の通信機を拝借(はいしゃく)してマイアに連絡をとる。

「あー、俺俺、俺だけど」

 相手が出るなり彼はまくしたてる。

「ちょっと立て込んでて、金が少し()るんだ――ん? 九〇〇〇万。いやいや、シリングだって。今からいう口座に、現金で振り込んでくれないか? あ、ついでに任務は片づいたって、統合参謀(さんぼう)本部と()()()()()に知らせといてくれよ」

 後見人(こうけんにん)(つと)めていたマイアから小遣(こづか)いをせびり、任務(にんむ)を完了したことを報告して、休暇(きゅうか)と〝お()めの言葉〟をもらって、帝都までクルージングを楽しむ――ヨハンの皮算用(かわざんよう)ではそういう()()だったらしい。

 ところが、通信用のハンドセットからは、マイアの怒号(どごう)が返ってくる。

()()()(もう)すでない! いくら、(わらわ)がそなたを甘やかすといえども、()()には限度があると知れ! 九〇〇〇万シリングが、いったいどれほどの大金か、そなたはわかって申しておるのだろうなっ!?》

「いやーそこはさ、頼むよ――投資(とうし)だと思って。大丈夫、出世(しゅっせ)(はら)いで()()()()()までには返すから」

 ヨハンがそう懇願(こんがん)する様子を、艦橋(かんきょう)に集まった部下たち――ミリアムとソフィアは(しら)けた顔で見ていた。

甲斐性(かいしょう)なし」

「いくらエフライム閣下(かっか)であろうとも、そんな大金をやすやすと動かせるものではないだろう」

 腹心(ふくしん)乙女(おとめ)たちはそれぞれ小声で言った。

《九〇〇〇万もの大金を払えば、(きた)る夏の茶会に合わせようとした(くつ)と、坊やに披露(ひろう)するための水着が買えぬであろうが――それとも、坊やは()()()に茶会に裸足(はだし)で出ろと無体(むたい)を申すか。裸になるのは、まあ、(やぶさ)かではないが》

気色(きしょく)悪いこと()()()んじゃねえ! それとまた(くつ)かよ! ()りろ! どんなに(たけ)ぇ靴を買おうが、二千年間そのまんまの背が高くなることはねえって、学べよ――とにかく、(たの)んだからな!」

《これ、待たぬか――坊や……》

 ヨハンは一方的に言って端末水晶の通信を閉じた。

「よーし、はいこれで一件落着」

 ヨハンは満足げに(うなず)いていたが、やりとりを見守っていた二人は、(そろ)って首を(かし)げている。

「どこが?」

「え? 大尉、いまのでよろしいのですか――その」

「平気だろ? 靴なら他にいくらでも、あのババアは持ってるから――それに、ババアの水着なんて見たがる物好きなんか、この世に一人もいねえもん」



 数日後、ジョージック号に統合参謀(さんぼう)本部からハーレークイン小隊の任務完了を承認したことと、一週間の特別休暇(きゅうか)を認める通信が届いた。

 また、海運会社には匿名(とくめい)で五〇〇万ポンドの寄付(きふ)が、弁護士と銀行家を通じて届けられたことが、鉱石ラジオのニュースを(にぎ)わせた。

「世話になったな、船長――下船許可をくれ」

「二度とお会いできないことを、(いの)りましょう――下船を許可します」

 ヨハンたちはジョージック号にある無人の店舗(てんぽ)から、勝手に持ち出した平服に着替えていた。

 ジョージック号が保養地に停泊(ていはく)して補給(ほきゅう)を受ける機会に、ハーレークイン小隊は船から()りていく。

「さあて、夏休みだぞ――お(じょう)さんたち。殺しと犯罪と性病はなるべく()けろよ」

「下品」

「一度で結構(けっこう)ですから、もう少し()()()訓示(くんじ)をして下さいっ」

 ソフィアとミリアムに(たしな)められながら、ハーレークイン小隊は保養地にあるホテルの部屋をとり、一週間後に乗り込む列車の手配(てはい)を済ませた。

 用意が整えば、あとは小隊を解散させるだけだった。

「あー、ちょっと待った――()()やろうぜ、せっかく海に来たんだし」

 指揮官は小隊の一部を連れて浜辺(はまべ)まで行き、防波堤(ぼうはてい)に整列させ、

「せーの」と合図した。

 直後、ハーレークイン小隊の有志(ゆうし)たちはその場で()び上がって言う。

「ヒャッハー! 海だぁああ!」

 防波堤の下に残っていたシニアとミリアム、ソフィアは、指揮官と下士官たちがはしゃいでいる姿を一瞥(いちべつ)して、粛々(しゅくしゅく)と割り当てられたホテルに移動した。

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