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第9話 良い知らせと悪い知らせがある

――帝国に歴史上初めて、魔族が公式に帝都を訪れる。先の大戦の講和会議を進めるために魔界からは全権代理人としてサムエルがやってくる。そして誰もやりたがらない魔族の護衛を任されたのは、やはりハーレークイン小隊だった。そして深夜、サムエルの宿泊している20階建てのホテルは、爆弾によって19階建てに〝リホーム〟されてしまう。

 便宜上(べんぎじょう)道化師たち(クラウンズ)〟と呼ばれるテロ集団が帝国を(おそ)ったのは、公式には数年前の弑逆未遂(しいぎゃくみすい)事件だけだと知られている。

 しかし、それ以外にも彼らの起こしたと思しい事件があったことを知る者は、当事者たちを除いてあまりいなかった。

 後宮でヨハンは、ヴィクトリアから〝道化師たち〟による、サムエル王太子(おうたいし)暗殺を阻止(そし)するよう、勅命(ちょくめい)を受けた。

 国内でサムエルが暗殺された場合、間違いなく講和交渉(こうわこうしょう)は打ち切られ、停戦合意も破棄(はき)され、帝国と魔界連邦(れんぽう)との間には修復不可能な()ができるためだ。



「どっちかなあ」

 制服を身に着けた部下とともに、駅のプラットホームに整列していたヨハンは、唐突(とうとつ)につぶやいた。

 今日の彼は(めずら)しいことに濃紺(のうこん)礼服(れいふく)姿だった。

 胸には略綬(りゃくじゅ)勲章(くんしょう)の複製が付けられ、腰には帯剣の代わりに銃剣を差している。

 礼服と同じ濃紺の外套(がいとう)は、防水性を考慮(こうりょ)してギャバジンの生地で仕立(した)てたものだった。

 足元を固めているジョッパーブーツもいつものヌバック(かわ)ではなく、(みが)き込んだフルグレインレザーの黒を()いていた。

 今日(こんにち)における帝国の物流を支えているのは、領土内を縦横(じゅうおう)に走る鉄道網をおいて、他にない。

 都市間の市民の移動は当然のこと、鉄道を起点に電気やガスといった、インフラストラクチャの基幹経路(きかんけいろ)としても利用されている。

 鉄道の運営は()()という形で民営化の体裁(ていさい)(ととの)えられている。

 しかし、その株式は非公開で政府からも年間、数億ポンドもの公金が投入されていることから、市民団体や利権に(たずさ)われなかった他の貴族たちからの批判(ひはん)枚挙(まいきょ)にいとまがない。

 とはいえ、あまり(やぶ)をつつけば自分の()にも引火することもあるため、こうした疑問や国内問題を本気で改革(かいかく)しようとする者はほとんどいないのが現状だった。

 ヨハンと部下の周りは、彼と同じく礼服を身に着けた関係省庁の役人や、憲兵(けんぺい)隊から派遣(はけん)された警備(けいび)兵、陸軍の軍楽隊(ぐんがくたい)の姿もある。

 ヨハンが滅多(めった)(そで)を通さない礼服を着ているその理由は、魔界連邦からの要人(ようじん)(むか)えるためだ。

 数日前、統合参謀(さんぼう)本部に召喚(しょうかん)された彼は、魔界連邦(れんぽう)の現宗主国(そうしゅこく)の王太子、サムエルを護衛(ごえい)するように命じられた。

 命令を受領(じゅりょう)したヨハンは、いつものように兵舎(へいしゃ)談話室(だんわしつ)に部下を集めて、任務に(のぞ)んで部隊の編成(へんせい)を行った。

 小隊(しょうたい)は大きく分けて、三つの班で編成されている。

 第一班、アルファチームはヨハンが自ら(ひき)いる九人の直衛(ちょくえい)部隊で、武装は拳銃(けんじゅう)のみを携行(けいこう)し、サムエルの(まわ)りを固める。

 第二班、ブラボーチームはミリアムが指揮(しき)()る武装護衛部隊だ。

 こちらは野戦服(BDU)と防具を身に着け、幌馬車(ほろばしゃ)分乗(ぶんじょう)して不測(ふそく)事態(じたい)(そな)える。

 彼らの武装は市街戦(しがいせん)想定(そうてい)して改良した自動小銃(アサルトライフル)と、非殺傷(レスリーサル)のいくつかの手榴弾(しゅりゅうだん)擲弾筒(てきだんとう)を持ち込んでいる。

 人数は十六人で、四人組ずつに分けて運用される。

 第三班、シエラチームは二人の狙撃手(そげきしゅ)が上空を旋回(せんかい)し続ける飛竜のキャビンに乗り込み、監視(かんし)と必要に応じて狙撃の援護(えんご)を行う。

 また、同乗するシニアが全体の統制(とうせい)()り、ソフィアが各班への通信を中継(ちゅうけい)する。

 シニアには関係各機関との渉外(しょうがい)交渉(こうしょう)も担当してもらってもいる。

 ヨハンが(にな)っても良かったのだが、

〝トラブルの元が増える〟とソフィアが却下(きゃっか)した。

「どっちかなあ」

 もう一度ヨハンが疑問を()らし、

「なにがです?」と(となり)の部下、ベイツが()いた。

「この時間に三番線を走ってるのって、トーマスかエドワードのどっちかだよな? トーマスならいいけど、エドワードだったらちょっと嫌だなって」

「なんかの験担(げんかつ)ぎですか? 大尉(たいい)

「ほら、エドワードって一七六話で()()するじゃん――縁起(えんぎ)悪くね?」

 その益体(やくたい)もない雑談をきっかけにして、端末水晶(SINCGARS)経由(けいゆ)して小隊内の通信では、到着する列車を()く機関車の色が青か緑かを()けの対象にしはじめた。

《ハーレークイン全隊へ――ブラボーチームのセブンである。私語を中止せよ。もう一度告げる、私語を中止せよ。ブレイク、大尉はもう、余計(よけい)なことを言わないでください。確認を()う、どうぞ》

 (あん)(じょう)、ただちにミリアムが不要な通信を止めさせようと注意してきた。

 通信に参加していなかったにも関わらず、()()()彼女はヨハンが元凶(げんきょう)だと即座(そくざ)に気づいたらしい。

 肩をすくめて、

「シックス、了解」とヨハンは応答(おうとう)した。

 間もなく、遠くの方から警笛(けいてき)が聞こえ、黒煙が立ち上ってくるのが駅のプラットホームからも見ることが出来た。

 目を細めたヨハンは、上着のエポレットに取り付けてあるハンドセットに手をかけて、通信を送る。

「シエラへ――シックスだ。全隊にピクチャー(観測状況)を送れ」

 少し待つと、ソフィアを通じて応答が返ってくる。

《全隊へ――こちらシエラチームのナイン。目標を確認した。東に時速三五マイルで進行中。周辺状況に変化なし。態勢一‐六(待機)、交戦規定三‐二(発砲禁止)維持(いじ)せよ。ブレイク、ブラボーチームの一号車は地点マイクへ移動して待機(たいき)到着(とうちゃく)したら報告せよ。確認したら送れ》

 先日、装備の更新(こうしん)(おり)に、ヨハンはボーマン基地司令に上申して部下たちにも各班長を務めている者には、端末水晶(SINCGARS)を支給することになった。

 このため、通信を統制(とうせい)するソフィアの負担(ふたん)が増えたのだが、彼女は、

〝面白くなってきた〟とむしろ、やる気をみなぎらせているようだ。

 部下たちが通信でやり取りしている間に、ヨハンは統合参謀本部から派遣(はけん)された、今回の式典(しきてん)を警備する総責任者である、メイ中佐(ちゅうさ)に報告する。

「中佐殿、間もなく殿下(でんか)のご到着です」

「了解した――大尉、下がれ」

 ヨハンは敬礼(けいれい)して立ち位置に戻った。

 メイ中佐とは先日の軍議(ぐんぎ)で初めて会ったのだが、平民の出身で苦労しながらも出世を重ねて、士官学校を四〇歳を過ぎてから卒業した人だと聞いた。

 専門は兵站(へいたん)部門だというから、()()実績(じっせき)を積み上げて今回の任務を最後に、退役(たいえき)するという話だった。

 性格の上ではまったく()み合わないだろうが、その綿密(めんみつ)な計画を立てる姿勢(しせい)や、胃薬を常時服用しなければならないほど、強い責任感の持ち主に対しては、ヨハンも敬意(けいい)と好感を持ちはじめていた。

 父親というのを彼は知らないが、メイ中佐のような人物がそうだったら、あるいは自分ももっと()()()()できる兵士になれたのだろうか。

 間もなく、警笛を鳴らしながら機関車がプラットホームに(すべ)り込んできた。

 乗客はわずかのはずだが、この日も客車は八両ほど牽引(けんいん)している。

 当初は、必要最低限の車両にするという計画だったが、

〝標的の位置を暗殺者に知らせるようなものだ〟という声が上がり、変更されたものだった。

「うわ、エドワードかよ」

 ヨハンは列車が停車すると、再びハンドセットに向かって告げる。

「シエラへ――シックスだ。(あや)しいヤツを見かけたら、先制(せんせい)許可(きょか)する。確認したら送れ」

《シエラ・ワン、了解》

《ツー、コピー》

 飛竜で上空を旋回(せんかい)している狙撃手たちから応答が返ってきた。

「ハーレークイン全隊に()ぐ――シックスより通達(つうたつ)。交戦規定三‐一(発砲許可)三‐五(自由交戦)へ移行。オープンファイアの判断は、これより各指揮官に一任(いちにん)する。シックス、アウト」

 楽隊が音楽(マーチ)を鳴らし、他の参列者たちが拍手(はくしゅ)(おく)るとサムエルが顔を(のぞ)かせた。

 浅黒い(はだ)に濃い茶の(ひとみ)、金の刺繍(ししゅう)(ほどこ)された、(たけ)の長い真紅の外套を羽織(はお)ったサムエルが黒檀(こくたん)のステッキを片手に()()った。

 帝国の二千年に及ぶ歴史の中で、()()()魔族が帝都の土を()んだ瞬間である。

 ()りの深い顔立(かおだ)ちに柔和(にゅうわ)な微笑を浮かべ、積年の敵対国の帝都だというのに、彼にはまったく緊張(きんちょう)した様子が見られない。

 人間でいうなら十五、六歳ほどの(おさな)さの残る顔のせいか、どこか世間(せけん)知らずそうな印象を与えそうだった。

 (おどろ)くべきことにサムエルは数人の官僚(かんりょう)だけを(ともな)って来た。

 通常、王族の外遊(がいゆう)ともなれば侍従(じじゅう)から護衛(ごえい)といった、最低でも数十人の団体で動くはずなのだが。

()()()()()()()め」

 ヨハンは小声で悪態(あくたい)をついて、部下とともに、足早に近づいて彼の周りを固めた。

「また会えて(うれ)しいよ――スミス大尉」

 サムエルの右側に立つと、彼は耳元で(ささや)いてきた。

〝仕事の邪魔をしたらぶっ殺すぞ〟

 ヨハンは本人だけに伝わるよう、(くちびる)だけを動かして告げた。

 魔族の少年は読唇術(どくしんじゅつ)心得(こころえ)があるのか、あるいは思考の表層を感知できるのか、正確に把握(はあく)したようだ。

 帝国政府を代表して、式典には外務尚書(しょうしょ)が出席していた。

 彼と握手(あくしゅ)()わしてから、順番に記念撮影のために移動を始める。

 その後はサムエルとヨハンたちが先発で移動をはじめる。

「殿下、こちらへ――新聞社がお写真をお願いしたいとのことです。(わずら)わせて申し訳ございませんが、ご協力を(たまわ)れれば(さいわ)いです」

 ヨハンは流暢(りゅうちょう)に、丁寧(ていねい)な口調で言った。

「写真機の前では指を二本立てないでくれたまえ」

 どういうわけか、サムエルの中では外務尚書との記念撮影に、ヨハンも一緒に映り込むのが確定しているらしい。

「シックスは目標と移動する」

《シックスへ――シエラも確認した。異常なし。ナイン、アウト》

 駅舎(えきしゃ)の中に入るなり、

「せっかくこうして会えた、この良縁(りょうえん)を大事にしたい――みなさんで、記念にもう一枚どうでしょうか?」とサムエルは提案してきた。

 新聞社は魔界の王太子のリップサービスに喜び、外務尚書もそれに便乗した。

「これで君も一緒に写れるね」

 サムエルの(ねら)った通り、ヨハンも写真に()られた。

 その移動中も、新聞社からの特派員(とくはいん)たちから、サムエルには矢継早(やつぎはや)に質問がぶつけられ、魔界の王太子はその全てに答えていく。

「殿下、護衛をお連れなさらなかったのは、なぜでしょう?」

 記者の一人が訊くと、サムエルはヨハンを(たて)にして言う。

「ああ! それは彼のせいだよ――僕の護衛を務めていた中隊が、過日の戦闘で壊滅(かいめつ)というか皆殺しにされてね。人員の補充(ほじゅう)が間に合っていないんだ。そのときの()が今はこうして僕を守ってくれているのだから、人生、何が起きるかわからないね」

 サムエルは日付を誤魔化(ごまか)しつつ、ありのまま起こったことを話した。

 おそらく、悪気(わるぎ)はないのだろうと思われる。

 しかし、このことでヨハンは一気に機嫌(きげん)を悪くした。

「スミス大尉! 今の王子殿下のお言葉の真偽(しんぎ)について、お答え願います!」

「軍事機密に関わる――個別の作戦活動に関する質問に答える権限を持っていない。それより()()の新聞、いつになったらあのクソ漫画の作者をクビにするんだよ?」

「それが王族を警護する近衛(このえ)の態度ですかっ!?」

「帝国陸軍の品位を疑われてしまいますよ!」

「ローガン――()()()()()()をおろせ」

 ヨハンは質問を無視して、部下に命じた。

 ローガン一等軍曹(ぐんそう)は、ハーレークイン小隊の中でも屈指(くっし)の体格と膂力(りょりょく)の持ち主だった。

 その彼には、巨大な鉄板を(けず)り出した即席の防弾盾を持たせてあった。

「おっと手が」

 ローガンが白々(しらじら)しく言って、食い下がる記者のつま先に()()を落とした。

 一枚のにつき重量が二〇ポンドをくだらないそれを〝鉄のカーテン〟は二枚使用して、溶接(ようせつ)で接着されている。

 総重量は八〇ポンドで、正面は至近距離(しきんきょり)小銃弾(しょうじゅうだん)はおろか、重機関銃(じゅうきかんじゅう)直撃(ちょくげき)にも複数回は()えられるように(つく)られていた。

 そんな鉄塊(てっかい)革靴(かわぐつ)のつまさきに落ちてきたら、へたをすれば骨折(こっせつ)をしてしまう。

 とはいえ、不躾(ぶしつけ)な質問を重ねてくる記者はこれで何人か()らせた。

「今のうちです、殿下」

 ヨハンは部下とともにサムエルを(かこ)んで、(なか)ば強引に移動を再開した。

 護衛は(おおむ)ね順調だった。

 当初の予測では、()(ねら)うとしたら警備や人目の多い昼間ではなく、夜間、それも深夜に決行されると読んでいた。

 駅での記念撮影後は、戦没者慰霊(せんぼつしゃいれい)の共同墓地での献花(けんか)黙祷(もくとう)を行い、サムエルは完璧(かんぺき)礼儀(れいぎ)作法と所作(しょさ)で、王族としての義務(ぎむ)を果たした。

 この式典でサムエルを狙うとしたら、超長距離(オーバーロングレンジ)による狙撃だとヨハンは推測(すいそく)した。

 そのため、重機関銃の弾丸を使う、大口径の狙撃銃を用いた有効射程の限界距離である、二クリック(キロメートル)範囲(はんい)が危険区域だと事前の軍議(ぐんぎ)で進言した。

 しかし、人手不足と帝都の混乱を()けたい憲兵(けんぺい)本部から、全ての建物の封鎖(ふうさ)と市民の強制退去は却下された。

 やむを得ず、ミリアムの指揮するブラボーチームを三手に分けて、最も狙撃に(てき)した建物の最上階と屋上を急襲(きゅうしゅう)させた。

 しかし、その懸念(けねん)は外れ、慰霊(いれい)の式典は(とどこお)りなく進んだ。

 肩透(かたすか)かしを食ったような気分だったが、それよりもサムエルの行動の方がはるかに彼を疲れさせた。

「殿下、こちらです」

 ヨハンが次の場所に彼を案内しようとするたび、

「うん」とサムエルは素直に(うなず)いた。

 しかし、魔族の王子は遠巻(とおま)きに見守っている見物客に向かって、無造作(むぞうさ)に歩きだす。

「っ!?」

 ヨハンは(あわ)てて、小走りで彼の背を追いかけた。

「ごきげんよう――諸君(しょくん)。僕はサムエル、魔界から来た魔族だ。帝国と魔界がもう戦争をしなくて()むように、話し合いを進めるのが僕たちの望みだ」

 浅黒い肌の美少年は群衆(ぐんしゅう)に向かって親しげに語りかけながら、事前に憲兵隊が()(めぐ)らせた()()()(つな)(また)いでいく。

「……」

 サムエルが近づくと、群衆たちは恐慌(きょうこう)こそ来さなかったものの、彼が近づけば、同じ距離を遠ざかってしまう。

 ほとんどの人が魔族を初めて目にして、(おそ)れと好奇(こうき)の間で気持ちが()れているのだろうとわかる。

 サムエルは立ち止まって、集まっている人々に向かって言う。

「君たちの中には、僕を憎んでいる人もいるだろう――あるいは懐中(かいちゅう)に短剣を(しの)ばせているかもしれない。それもいい。憎むことも僕を殺そうとすることも、君たちの自由だから。ただ、僕としてはもう少し友好的でいたいと思う。そのことを知ってもらう、これが初めの一歩だ。(くわ)しくは、明日のタブロイド紙を読んでみたまえ。一部三ペンスで売ってるから。ああ、ただしマンガはこの護衛の彼いわく〝クソつまらない〟らしいよ」

「殿下、どうぞこちらに」

 眉間(みけん)とこめかみに(しわ)を深くしながら、ヨハンは言った。

 行く先々で()()調()()だったため、政府官邸(かんてい)での昼食会は予定を一時間ほど(おく)らせて始まった。



 昼食会の次は、そのまま官邸(かんてい)の会議室で、サムエルが連れてきた官僚(かんりょう)たちと、帝国の外務省の役人の顔合わせを()ねた、実務者協議の初回が行われた。

 サムエルも魔界側の総責任者としてその場に同席する。

 初回は現状と(たが)いの要求事項の確認に終始するため、問題なく進行していく。

〝官邸で仕掛(しか)けてくるようなアホじゃないことを願おう〟と、ヨハンは言っていたが、ここでも大した問題は起きなかった。

 続く、戦災孤児(こじ)育英のための養護(ようご)施設の視察も、一部の過激(かげき)な市民団体が抗議(こうぎ)のために乱入してくる一幕があったくらいで、銃声も爆弾も()()(ひそ)めていた。

「あー、きつかった」

「外交とは忍耐(にんたい)の連続だ――それに今回の進行は僕の経験では、かなり上手く行っている方だと思うよ」

 馬車の中で、上を向いたヨハンは()らしたハンカチを両目に当てて休んでいた。

 早朝からずっと、周囲に気を配ったり、ビルの屋上に狙撃手(そげきしゅ)がいないか見たりで、彼は目を酷使(こくし)していた。

 夕方、ヨハンとサムエルは黒塗(くろぬ)りの大型馬車から()りた。

 この日の滞在(たいざい)先は、帝国の中でも最も新しいホテルだった。

 建物としてもかなり巨大で、二十階建というだけでも世界に類をみないほどの高層建造物だろう。

 屋上には飛竜の発着場まで(しつら)えられている。

 ホテルの中は地階(ちかい)から五階までは吹き抜けの商業施設(デパートメント)で、六階に宿()の受付がある。

 そこまでは帝国の数ある建物の中でも珍しい、エスカレータという階段状のリフトが設置されている。

 低層と高層で、乗るエレベータも分けられ、最上階のスイートを使う要人のためには二十階にしか止まらないものもあり、乗り込むためにはルームキーの提示(ていじ)が必要だった。

 その特別エレベータの前をヨハンたちは素通(すどお)りした。

「通り過ぎちゃったけど」

厨房(ちゅうぼう)の先にある貨物用(かもつよう)を使う」

「ああ、なるほど――今日はご苦労だったね、スミス大尉」

「まだ終わってねえ」

 ヨハンの言う通り、レストランの奥には各階に物資(ぶっし)従業員(じゅうぎょういん)を運ぶエレベータがある。

 先行してホテルの周囲を確保していたミリアムに彼らは出迎(でむか)えられた。

「報告いたします――二十階を確保。各部屋は予定通り宿泊客の退去済です」

 ミリアムは敬礼して報告した。

「了解した――少尉、メイソンと代わって少し休め。おつかれさん」

「は――お心(づか)いに感謝します、大尉」

 二人の話が終わると、サムエルが一歩前に出て、胸に手を当ててミリアムに挨拶(あいさつ)をする。

「やあ、元気そうだね」

 サムエルの態度は旧知の友人にでも言うように親しげだった。

「あ――いえ、恐縮(きょうしゅく)です。殿下」

「もうマスコミの前じゃないんだから、(かしこ)まらなくて大丈夫だよ――ええと、シメオン少尉だったね。戦闘服もいいけど、いずれは舞踏会(ぶとうかい)で君の()()()も見てみたいな」

「マジかよ――今畜生」

「大尉っ! (わきま)えてください!」

「んん?」

 サムエルが首を(かし)げて、ヨハンの顔を(あお)いだ。

(まこと)不本意(ふほんい)ではありますが――小官も殿下のご見識(けんしき)に同意したく存じます」

 ヨハンが威儀(いぎ)を正してそう言うと、ミリアムが時間を止められたように瞠目(どうもく)し、サムエルは笑い出した。

「……お(たわむ)れはそこまでに願います」

 ミリアムは(きびす)を返した。

 ヨハンたちはあえて十九階で()りた。

 別のエレベータで先行していた、アルファチームの部下と再合流し、こんどは非常階段で二十階にあがる。

 一見、無駄(むだ)ともとれる不規則(ふきそく)な行動をするのは、()()せや(わな)警戒(けいかい)しているためだ。

 宿泊先の十九階でいったん降りるように助言したのはシニアだった。

〝貨物エレベータで二十階にあがることは(まれ)です――小官なら時計と連動する仕掛(しか)けで、標的(ターゲット)が到着したら()()()爆破します〟

 無人のフロアは当然ながら静かそのものだった。

 ヨハンは部下に先導(せんどう)させて、サムエルの使用する部屋をあらためて制圧(クリアリング)してから入室した。

「君も少し休むといい――僕もちょっと疲れたよ。ああ、でも一人で夕食は(さび)しいから、一緒(いっしょ)にどうだい?」

 ヨハンは(ふところ)から紙入(かみい)れを取り出した。

 中から()()()()()()、スパンコールの(ほどこ)された名刺のような紙を指で(はさ)んで、オリエント様式で造られた紫檀(したん)のテーブルに置く。

「これは?」

「誰かと一緒にいたいんなら、そこに連絡しろよ――頭と(また)(ゆる)い女が寄ってくるぜ。ただし、金だけはたっぷり用意しとけ。じゃないと()()()()ぜ」

 彼は意地悪(いじわる)そうな口調で言ったが、サムエルにはまったく通じない。

「へええ――なるほど、帝国にも娼館(しょうかん)はあるんだ。一度、行ってみたいと思っていたんだけど、皆に絶対に駄目だって言われててね」

 ヨハンはシニアを呼んで、上空で待機している飛竜を屋上につけるように命じた。

 彼らはそれに乗って、ホテルからほど近い、川沿いの安宿に移る。



 真夜中、地震のような衝撃(しょうげき)とともに、仮眠用にとった川沿(かわぞ)いの安宿のベッドにいたヨハンは目を覚ました。

「あーらら――こりゃ、大変だ」

 窓から見ると、帝都の誇る二十階建てのホテルは、サムエルが宿泊しているはずの二十階から屋上にかけて、()()()爆薬で吹き飛ばされたのだとわかった。

「おい! ()()()()やめてパンツをあげろ!」

 ヨハンは拳銃(けんじゅう)を片手に、幼年学校の指導教官ドリルインストラクター軍曹(ぐんそう)の口調を真似(まね)しながら、隣のベッドを蹴飛(けと)ばした。

「もう朝かい? 悪いけど、僕は君と(ちが)って低血圧(ていけつあつ)だから、寝起(ねお)きは弱いんだ――それに低血糖(ていけっとう)だし。お茶にラズベリーのジャムをたくさん入れたのを運ばせてくれたまえ」

 (となり)で寝ていたサムエルが、目をこすりながら上半身を起こした。

御託(ごたく)を抜かしてないで、窓を見ろって! お前さんが()まってると思ってた連中が、ホテルを強引に()()()()しやがったんだぞ」

 ヨハンは寝間着(ねまき)襟首(えりくび)(つか)んで、彼を無理やり窓際まで引きずっていく。

 外を見て、魔界の王太子は憮然(ぶぜん)とした様子で言う。

「巻き込まれた人がいないといいけど――僕のせいで人が死ぬのは嫌だよ」

「それが魔界の()()()かよ――ついこの間、俺たちを避雷針(ひらいしん)にしようとしてた奴が、よく言うぜ」

 サムエルは、まるで意地悪をされた子供のように、(くちびる)(とが)らせて反論してくる。

「だって、()()は戦場でのことじゃないか――それに、君たちだって僕の近衛(このえ)を皆殺しにしただろう?」

「そういやそうだ」

 ヨハンがあっさり認めたとき、(いきお)いよくドアが開かれた。

「大尉! ご無事ですかっ!?」

 武装したミリアムが部屋に飛び込んできた。

()()心配が先じゃないのかい? まあ、気持ちはわかるけどね」

「し、失礼をいたしました――殿下、ご容赦(ようしゃ)を願います」

「すっかり目が覚めちまったよ――二度寝には中途半端(ちゅうとはんぱ)な時間だな」

 ヨハンはそう言うと、シャツをその場で()ぎだした。

「大尉っ!?」

 ミリアムが(おどろ)いて、背中を向けた。

「殿下がお茶をご所望だ――用意を頼んだぞ少尉」

 そう言って、ヨハンはタオルを片手にバスルームに入っていく。

 赤面しているミリアムは、その背中を一瞥(いちべつ)する。

 彼の背中には、皮膚(ひふ)()()()()()()()()痛々(いたいた)しい傷跡(きずあと)が残されていた。

「……」

 他人や本人からすれば、それはただの傷跡だったが、ミリアムにはそれがどれほど(きら)めく勲章(くんしょう)よりも雄弁(ゆうべん)に彼の英雄的行為(こうい)を物語っているように見えた。

 しばらくすると水音とともに、歌声が()れ出した。

「誰かがずっと前に言ってたね♪ (あらし)の前の静けさだって♪ わかってる♪ そんなときだってあるさ♪」

 非人道兵器の〝焼夷弾(しょういだん)を連想させる歌詞〟だ、という風説(ふうせつ)流布(るふ)した結果、いまだに帝国のラジオ放送では流せない、放送禁止歌をヨハンは口ずさんでいた。

「なんて不謹慎(ふきんしん)な人」

 たった今、ホテルが爆破された現場を間近で目撃した――彼の性格を考えれば偶然(ぐうぜん)、この歌を選んだとは思えなかった。

 それに、これは戦争中に作られた曲であり、反戦歌でもある。

 間違(まちが)っても、当事国の王太子(おうたいし)に聞こえていい曲ではないはずだ。

 ミリアムはおそるおそるサムエルを一瞥してみる、

「この曲は僕も知ってるよ――いいバンドだよね」と彼は言った。

「その、殿下……」

「サムエル――いや、サムでいいよ。君も、もう僕の友人だ」

 浅黒い肌の美少年は、人懐(ひとなつ)っこそうな笑顔を向けてミリアムに向き合った。

 薄暗い部屋に二人でいると、幼さのある顔立ちながらサムエルの(あで)やかな(はだ)(みょう)色気(いろけ)のようなものをミリアムは感じてしまう。

「あの――光栄(こうえい)であります、殿下。小官はお茶のご用意をして参りますので、いましばらく、こちらでお待ちをお願い申し上げます」

「うん」

 茶の用意が整った頃に、ヨハンがタオルで頭を()きながらバスルームから出てきた。

「お前さんたちもどうだ? 目覚ましには熱い湯が一番だぜ――一〇七度以上で二分四十秒だけ()びてみろよ、宿酔(ふつかよ)いだろうが()()でよくなるから」

「大尉――殿下の御前(ごぜん)です。せめてシャツくらい着てくださいっ」

 ミリアムの諫言(かんげん)を右の耳から左の耳に聞き流しながら、ヨハンは冷蔵庫(れいぞうこ)を開けて、中からレモネードの小瓶(こびん)を取り出す。

「……大尉、さきほど上級曹長から定時連絡(れんらく)が入りました――〝方舟(はこぶね)〟の手配(てはい)は予定通りとのことです」

 隠語(いんご)(まじ)えて、ミリアムは指揮官(しきかん)に報告した。

「よっしゃ――ん? どうした?」

 彼女はなにかを迷っているような面持(おもも)ちだった。

 近頃のミリアムはヨハンに対して感情を素直(すなお)に見せ始めている。

「その――本当に、よろしいのですか? もしも失敗すれば、こんどこそ刑事訴追(けいじそつい)(まぬが)れませんよ」

「刑事訴追? こんどこそ?」

 サムエルが(まゆ)をひそめたが、ヨハンたちにその説明をする気はないようだ。

「まあ、なんとかなるって」

「部下たちの将来もかかってるのです! もう少し、深刻(しんこく)にお考えをなさってくれないと、困ります」



 翌朝の帝都の駅には、サムエルが来訪(らいほう)したときと同じ、緑色の機関車がプラットホームのそばで八両の客車を牽引(けんいん)して、暖機(だんき)運転をしていた。

 間もなく、ハーレークイン小隊に護衛(ごえい)されて、サムエルと彼に随行(ずいこう)した魔界連邦(れんぽう)官僚(かんりょう)たちが列車に乗り込む予定だった。

 未明から憲兵(けんぺい)隊や陸軍の部隊が集結し、各部隊の指揮官は駅長室を間借りした臨時(りんじ)指揮所(CP)()めている、メイ中佐のもとに出頭(しゅっとう)して、点呼(てんこ)を始めとした状況報告を順番に行っていく。

 深夜のホテル爆発からメイ中佐はまったく眠れず、途中で仮眠をとることもできず、疲労(ひろう)極地(きょくち)にいた。

 昨夜から、メイ中佐は良い知らせと悪い知らせを交互(こうご)に聞かされて、そのたびに胃薬を()()()()()()()()()口に放り込みながら過ごしていた。

 報告によると、爆破されたホテルは十九階の天井より上、つまり二十階と屋上が完全に破壊されたとのことだ。

 吹き飛ばされたガラスの破片(はへん)は十ブロック先まで届いていたことが確認されているが、奇跡(きせき)的に直接または間接的な原因で死傷した人間はいないという。

 ハーレークイン小隊からの定時報告では、爆発の前に彼らはサムエルをホテルから飛竜で退避(たいひ)させることに成功したそうだ。

 なぜ爆発を都合よく事前に察知(さっち)できたのか、またそれが可能だったのなら、爆破そのものを未然(みぜん)に防ぐことはできなかったのか――メイ中佐はハーレークイン小隊の指揮官に(たず)ねたいことがいくつかあった。

 ハーレークイン小隊からは、副官のシメオン少尉が隊長の代理として出頭することになっていたのだが、予定の時刻になっても彼女は現れなかった。

 彼女に限って、遅刻(ちこく)をするとは考えにくい。

 時計を確認したメイ中佐は、通信担当士官に命じて、ハーレークイン小隊の端末水晶(SINCGARS)を呼び出す。

 しかし、ハーレークイン小隊とはいっこうに通信が(つな)がらなかった。

 調べたところ、通信が妨害(ぼうがい)されている形跡(けいせき)はなく、意図的(いとてき)にチャンネルを区分けされ、暗号化した別のチャンネルで彼らが交信(こうしん)しているところまでは判明した。

 しかし、肝心(かんじん)暗号鍵(あんごうかぎ)解読(かいどく)が人間には不可能ということで、現在は寺院にある通信管制塔(かんせいとう)妖精(ようせい)族に協力を要請(ようせい)しているところだ。

「中佐殿! 急報(きゅうほう)でございます!」

 司令部に伝令が飛び込んできた。

 メイ中佐が(うなが)すと彼は早口(はやくち)で報告する。

「先ほど、帝都港湾局(こうわんきょく)より緊急通報(きんきゅうつうほう)がありました――正体不明の武装勢力(ぶそうせいりょく)によって、停泊中(ていはくちゅう)のブリタニック級客船、ジョージック号が急襲(きゅうしゅう)された模様(もよう)であります。その後、ジョージック号は出港、港湾局の制止と沿岸警備艇(えんがんけいびてい)追跡(ついせき)を振り切って、外洋に進行中とのことです」

 メイ中佐は頭を(かか)えた。

 どうしてこう、厄介事(やっかいごと)というのは(かさ)なるのだろうか――間もなく、列車の出発時刻は五分後に(せま)る。

 メイ中佐は部下たちに命じて、いつ王太子一行が到着してもいいように、準備を整えさせることにした。

 しかし、いつまで待ってもサムエルはもちろんとして、ハーレークイン小隊の要員が帝都駅に到着することはなかった。



 メイ中佐たちが、帝都の駅でサムエルを待っている頃、ヨハンたちは正体不明の武装勢力が占拠したという、ジョージック号の船上にいた。

 そもそもジョージック号を急襲した正体不明の武装勢力とは、ハーレークイン小隊そのものだった。

 野戦服(BDU)を身に着けたシニアが、ヨハンを(むか)えると彼は敬礼(けいれい)して言う。

「大尉――完全占拠(せんきょ)いたしました。損耗(そんもう)欠員(けついん)もありません。艦橋(かんきょう)軟禁(なんきん)している船長が、責任者への面会を求めておいでです」

「ヒュー、いいねえ――宮殿(きゅうでん)(ひと)()めした気分だ」

 シニアの報告を受けていたヨハンは、アール・デコ調の見事な内装や調度品に見とれていた。

「こちらです」

石鹸(せっけん)(にお)いがする――どうして?」

 ソフィアはヨハンの肩に立つと()いてきた。

「ああ――朝から営業している、風営法違反の()()()()()()でさっぱりしてきたからな」

「下品」

 ソフィアはルビーの(ひとみ)(こお)りつかせて肩から離れた。

「嘘つきは泥棒(どろぼう)の始まりだよ」

「殿下――ご無事でなにより」

「ありがとう――そう言ってくれたのは、君だけだ」

 ヨハンたちはシニアに案内されながら、巨大な客船の中を進んで艦橋に向かう。

「ところで――一体、どういうことだい?」

 歩きながら、サムエルが訊いた。

「ノアの爺さんが、夜なべして作った舟を、横からかっぱらってやったのさ」

「……もしかして、盗んだのかい? この船を」

 サムエルは大きな瞳を輝かせて言った。

()()()()()()()をしたのは、生まれてはじめてだよ!」

「よく言うぜ――魔族のくせに」

「本当だってば!」

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