序 タダ酒は結局あとで高くつくことになる
――地方紙の記者が帝都にやってきた。その目的は、陸軍に新設された得体のしれない部隊の取材だった。たまたま入った酒場で、店主に噂話を聞こうとしたところ、彼らの間に態度の悪い軍人の青年が割り込んでくる。
気狂いという意味の言葉を、ある地方の方言で表した〝ウィアード〟という酒場に入ったのは、全くの偶然だった。
「ええっ!?」
酒場の店主は驚きの声を上げて、声を落としてから助言してくる。
「やめといた方がいいですぜ――兄さん、悪いことは言わないから……」
僕は田舎から上京したての、いかにも旅行者といった出で立ちだった。
肘と肩に革の補強を縫い付けたツイードの上着、肩掛けの小ぶりな帆布の鞄、足元はクレープソールのスエード靴で、旅行者用の大きめの背嚢が床の上に置いてあった。
空軍の広報担当で兵役を務めて大学で学位をとったあと、地方の新聞社に勤めている。
僕が今回〝神姫〟のおわすこの帝都にやってきたのは、陸軍のとある部隊の取材のためだ。
ここに来る前から、色々な噂を聞いたがその評価は二分される。
曰くにならず者を報道の世界では使えない汚い言葉で綴ったもの、その反対に英雄だと評されることも稀にだがある。
「いや、そう言う人も中にはいやすが――よそはいざしらず、この帝都じゃそれ以外の評判の方をよく聞くもんで」
酒場の店主の声は、だんだん小さくなっていった。
僕は肩掛けの鞄の雨避けを開いた。
中のポケットからゴム紐で留めてある手帳と、錆びない金属から削り出されたペン先の万年筆を取り出す。
ぜひ詳しくと僕は頼んだ。
「あの――うちで聞いたってのは、ナシでお願いしやすね」
僕は大丈夫だと受けあった。
謝礼として、ビールの代金より多い金額の印字された紙幣を差し出したのだが、
「ちょい待ち」と僕らの間に別の人が割り込んできた。
横を見ると同年代と思しい青年の客だった。
くせ毛を短く刈り込んだ亜麻色の髪、虹彩に灰色がかった茶の瞳、日に焼けた精悍な顔立ちをしている。
砂漠の乾いた砂のような色のヘリンボーン柄の生地で織られた、丈を短く切り詰めて仕立てたトレンチコートを彼は羽織っていた。
コートの下に着込んでいるのは帝国陸軍の野戦服だ。
騎兵隊の出身なのか、足元は脂を染み込ませたヌバックスキンの短めのジョッパーブーツで固めてある。
彼は言う。
「俺が代わって話してやるから、ビール奢ってくんない? なあ、いいだろ? 兄さん」
帝都で初めて出会った帝国陸軍の士官は、馴れ馴れしかった。
僕は強盗に遭った非武装の郵便局員が助けを求めるように、酒場の店主に仲立ちをしてもらおうとしたのだが、店主はいつの間にか別の客の相手をはじめていた。
諦めて僕は名刺を取り出して身分を名乗ろうとした。
しかし、彼はそれを途中で遮ってくる。
「ああ、そういうのはいいから――まずは出すもの出せよ」
これでは体のいい恐喝ではないかと思わず言いかけた。
その言葉を呑み込んで、先程の紙幣を差し出すと、士官はそれを光にかざしたり、手触りを入念に調べだす。
なんて失礼な人だろう――苛立ちを覚えた。
「で、なんだっけ?」
偽札ではないと確認し終えたのか、彼は言った。
僕は〝ハーレークイン小隊〟を知っているかと訊いた。
帝国陸軍の士官はすぐに頷いた。
「ああ! あのクズどもか! 知ってる知ってる――とっつぁん! こっちにも一本〝小便〟よろしくな!」
彼は平民出身なのだろう、粗野な発音で大声を張り上げながら、ビールの小瓶を注文した。
僕も酒場に来たのは初めてではない。
そこで出会った人の話を即座に信じる気にはなれなかった。
しかし、少し話すと彼は本当に〝ハーレークイン小隊〟を知っているようだ。
おそらく、同じく帝都に駐屯している人なのだろう。
ハーレークイン小隊とは、帝国陸軍が去年の春、つまりは戦後に新設したばかりの遊撃部隊だ。
〝小隊〟と銘打っているが、計上されている予算といい、与えられている設備といい、異例なほどの厚遇を受けている。
にも関わらず、率いているのは軍閥や門閥貴族にも属していない、無名の士官というのだから実に胡散臭い。
僕は渋る上司を説得し、有給休暇を半ば強引に認めさせ、取材費を自己負担するという条件でこの帝都まで列車を乗り継いでやってきた。
自分の身の上を語ってから、彼にあらためてハーレークイン小隊の取材をしたいから、教えてほしいと頼んだ。
あるいは、知り合いがいるなら紹介してほしいとも。
ビールの小瓶を置いた士官は、内ポケットから紙入れを取り出して開くと、中からけばけばしいスパンコールの施された、名刺のような紙を取り出した。
なんだこれ。
「ここの二階の娼館の割引券――そう書いてあんだろ? 兄さん記者のくせに文盲かよ。知り合いを紹介しろって、あんたが言うから……」
「……」
人には誰でも、我慢の限界というものがある。
それに、このとき僕はひどく疲れていたことを弁解したい。
列車に何時間も揺られ、やっと着いたと思えば、他の政令指定地方都市とは異なり、この帝都では交通手段は路面電車と乗合馬車しかない不便さに辟易し、それに我慢すればホテルの料金に閉口し、食事をしようとしたレストランでは入店を断られ、仕方なくこの店に入って、運良く出会えた帝国陸軍の士官の態度がこれでは――空のジョッキでカウンターを叩いても仕方ないだろう。
それだけでは収まらず、僕は声を荒げてしまう。
「お金を払ったんだから、ちゃんと教えて下さいよ! それとも帝国陸軍っていうのは、糞つまらない冗句を聞かせて、市民からお金を巻き上げるために存在するんですかっ!?」
「……」
「……」
酒場の中は静まり返った。
隣にいる士官は細巻きを取り出すと火をつけた。
煙草をくわえたまま、煙を天井に向かって吐き出してから、彼は言う。
「しょうがねえな――じゅあ、俺が知ってる範囲で、話してやるよ。まず、隊長の大尉だが、コイツは人殺しと戦争が好きなサイコ野郎で、控えめに言ってロクデナシだ。ほら、例のエフライム邸の決闘騒ぎは聞いたことあるだろ? 次に副長だが、彼女は乳がでかい。三三のDって書類には記載されているが、実際は三一のFなんだ。しかも、最近はまた桃が大きく実っててな。わかるか? 兄さん、童貞っぽいから無理か。まあいい。特務准尉が妖精族ってのは、これ言っていいんだっけ? で、小隊軍曹は軍歴四十年の陸軍最先任上級曹長で、この人が実質的な部隊のまとめ役だ。この下に、伍長から一等軍曹までの下士官が二六人いる。揃って全員が全員とも、よその部隊から追い出された鼻つまみ者ばかりで、前線では暇つぶしにスライムを虐待したり、客船をハイジャックしたり、気に入らない上官をぶっ殺したこともあるってよ。とにかく、ひでー奴らだぜ」
僕はやや出遅れたものの、記者の端くれらしく口述筆記には慣れている。
猛烈な速度でペン先を走らせながら、裁判所の速記者のように略字を駆使して、あっというまにページを埋め尽くしていく。
僕の思考はこのとき止まっていた。
自動的に動くタイプライターにでもなったような心境で、言われたことを細大漏らさず記録する。
「このクズどもが特別扱いされてんのはなぜかって? そうだなあ――良い話と悪い話ともっと悪い話があるんだが、どれを聞きたい?」
せっかくの機会なので順序立てて、全てを話してほしいところだった。
しかし、
「大尉! 勤務中に何をなさっておいでですか!」と、酒場の入り口に現れた若い女性が声を張った。
現れたのは女性の士官で、織柄のように生地と同色の糸で刺繍の施された、水濡れに強いギャバジンの外套を羽織っている。
そのくびれた腰の左からは、今どきは珍しい剣の柄が覗いている――光の反射のせいで、柄尻の紋章はよく見えなかった。
扉の起こした風で外套の裾が翻ると、ウールではなくカシミールゴートの毛で編まれた裏地の光沢が窺えた。
ひと目で上等な仕立てだと、服を注文したことのある人なら誰でもわかるだろう。
たかが外套に、おそらく僕の年収よりも高い値がついたはずだ。
帝国軍では貴族出身の将校の多くが、支給品とほぼ同じ外見をした、特注品を仕立てるとは聞いていたが、おそらく彼女はそうとうな名家の出自なのだろう。
不躾だとは承知だったが、僕以外にも酒場にいた全員が彼女たちに目を奪われていた。
女性士官の外套の肩の上には、腕を組んだ妖精の少女が立っていた。
妖精の少女は言う。
「飲酒は服務規程違反」
僕たちが呆気にとられていると、女性士官と妖精の少女は、先ほどまでハーレークイン小隊のことを話してくれた士官に詰め寄ってきた。
必然的に僕のそばに彼女たちは近づいてくることになる。
女性特有の甘い匂いが、アルコールと紫煙の満ちる空間で、汚泥の中で咲く蓮の花のように目立った。
僕は呼吸も瞬きも忘れて、二人を目で追っていく。
彼女たちの特徴を言葉にした組み合わせを、今しがた耳にした気がするし、メモに綴った手にもその感触は残っている。
「失敬」
女性士官は僕に礼儀正しく断り、上官に向き直ると完璧に整った所作で敬礼した。
疑問符がもう一つ浮かんだ。
別の場所で聞いた噂では、ハーレークイン小隊は敬礼を略すという話だったのだが。
「今のは嫌味――上官と違って、私たちはちゃんとしてるという」
妖精の少女が言った。
彼女たちはどうやら、上官の弁解を聞きたいらしい。
「違う違う――これは、あれだ。麦を絞って発酵させた金色のジュースなんだ。副産物で炭酸とアルコールが発生しているかもしれないが、あくまでジュースだ」
トレンチコートの士官は、言い訳にもなっていない減らず口を叩いた。
もうアルコールがまわったのだろうか。
女性士官は嘆息して上官の手にある瓶を一瞥する。
「誰がどう見てもビールでしょう」
「メクラのヤツならそう見えるだろうが――あいにく、これ密造酒だから、ビールじゃないんだって。脱税して作ってるから、安いんだ。やっぱ駄目……?」
「なお悪い」
妖精の少女が即答した。
「じゃあ〝治安維持のための巡察活動に付帯する証拠品の実地検分〟だ」
この士官は、躾の悪い犬が餌に飛びつくように、思いついたことをすぐ口にしてしまうらしい。
彼のような人物が、人手不足とはいえ栄光ある帝国陸軍の士官、それもこの若さでどうやって大尉になれたのだろう。
「平時の市街地においての巡察は憲兵隊の管轄」
「また越権行為で譴責処分を受けたいんですか」
「勤務中の飲酒は譴責では済まない――戒告と減俸」
妖精の少女と女性士官が口々に言った。
そのとき、二人の士官たちのベルトに留めてある、端末水晶が震えて耳障りな信号音を立てた。
端末水晶とは、その名の通り水晶を長方形に加工して、伝導用の金属で囲み、増幅回路や音声の入出力に使う磁石を埋め込んで、補強の樹脂で片面と枠を覆ったものだ。
平たく言うと軍用の携帯型短距離通信装置だ。
帝国の最新技術の粋を集めた代物で、軍人でもこれを支給されている人は滅多にいないはずだ。
そして僕が待ち望んだ答えを、その端末水晶が教えてくれる。
《シックス、シックス――こちらファイブです。ハーレークインは全隊、集合して待機中なり。そちらの状況確認を請う。ブレイク、少尉と特務准尉が向かってますので、速やかに〝偵察〟を終えた方がよろしいかと。送れ》
「……」
上官よりも先に、女性士官は腰の弾帯から端末水晶をとり、応答する。
「ファイブへ――こちらセブン。シックスを確保。これより合流地点に向かう。ブレイク、小隊は待機を継続せよ。アウト」
余談だが、軍隊の符丁で〝シックス〟は指揮官を指すらしい。
僕は、やっぱり思った通りだと口に出しながら隣の席の士官を見た。
「嘘つけ――絶対がっかりしただろ」
隣の席の彼、ハーレークイン小隊の指揮官は立ち上がった。
思っていたよりも背が低かったが、これは指摘しないほうがいいだろう。
「悪い、俺たちもう行かないと――兄さん、取材頑張ってな。明後日の午後から、俺が基地にいるのは秘密にしといてくれよ。いいな、絶対に忘れろよ? とっつぁん! 俺とこの兄さんの分の勘定! 置いとくからな!」
今のを標準語に翻訳するとこうなる。
僕は取材のアポイントメントを明後日の午後に貰えたということだ。
彼はカウンターに見覚えのある紙幣と軍票を置いた。
それを発行したのはハーレークイン小隊の駐屯地、第九九連隊基地だった。
彼はそのまま、女性士官と妖精の少女にはさまれるようにして、酒場から連れ出されていく。
「大尉の素行のせいで、部下たちに示しがつかなくなってしまいます」
「ヨハンはもう少し、立場と私たちの苦労を自覚すべき」
「へいへい」
二日後。
午後に帝都の郊外にある第九九連隊基地を訪ねた。
後に知ったが、ここの通称は〝ノーマッド〟というらしい。
門の詰め所で用向きを告げると、奇怪なものを見るような目で守備兵に不思議がられたものの、あっさりと駐屯地に立ち入ることが出来た。
迎えが来ると言われたので待っていると、眼帯と珍しい階級章を付けた壮年の上級下士官が現れた。
僕の身長は六フィート二インチと今風だったが、彼はさらに上背がある。
日に焼けた顔立ちと贅肉のまったく見られない均整の取れた体つき、露出した手の甲には古傷がいくつか見とめられる。
周りからシニアと呼ばれている、その上級下士官はハーレークイン小隊の兵舎に向かう途中で言う。
「大尉がご迷惑をおかけしたそうですね」
「あ――はい。いいえ……」
僕は萎縮して、肉食獣の檻に入れられたウサギが静かに鳴くような、曖昧な返事をしてしまった。
よく見ると、兵舎の横にはなぜか厩舎が併設されており、僕たちが近くまで来ると牛の間延びした鳴き声が聞こえてきた。
馬ならばともかく、牛を飼っている軍隊などあるわけがない。
困惑している僕の前を、素知らぬ顔で猫が通り過ぎていった。
廊下の先には小さい兵舎の奥に無人の小部屋があった。
部屋の隅にある、机のネームプレートには姓名とともに、異様に長い階級〝帝国陸軍最先任上級曹長〟と極端に小さな文字で浮き彫りにされていた。
「こちらに……」
そう言いながら、士官の執務室に続くドアを開き、
「大尉、お客様をご案内いたしました」とシニアは告げた。
「マジで来たのかよ――酒場で聞いた話を真に受ける正直者って、煙突掃除のオッサンに握手をねだるやつみたいに、絶滅したもんだと思ってたんだけどな」
ハーレークイン小隊の隊長は、先日会ったときと手に持っているものを除けば変わっていない。
「ヨハン・スミス――帝国陸軍大尉だ」
陶器で出来たカップに泡立てたミルクが山のように盛り付けられた、健康に悪そうなコーヒーを机に置くと、彼は握手を求めてきた。
勧められた椅子に座ると、酒場で聞きそびれたことを尋ねる。
「……」
顎を指先でかいてから、ヨハンは細巻きを取り出して火を付けた。
「長くなっちゃうけどいいか?」
むしろ望むところだ。
「それに、俺は見ての通り口下手で、うまく伝えられないかもしれないし」
どこが見ての通りなのか、まったくわからなかったが伝えるのは僕の仕事だ。
そう告げると、彼は観念してくれた。
「……わかったよ――最初からだな」
ヨハンは煙を細長く吐き出すと話し始めた。
以下は、ハーレークイン小隊の隊長から得た証言を、取材に基づいて再編集したものである。