第33話 需要と供給
結局それから午後5時30分まで、血糊の【忌不様】はイチの雑巾絞りによってたっぷり痛めつけられた。
イチの手から解放され、弾けるように逃げ出した【忌不様】は店の端へと転がり、光の届かない影の部分へ溶け込むように姿を消した。
「……」
イチはとても満足そうな顔で、心なしか肌がツヤツヤしている。
【忌不様】が暴れたのはカウンター前だったので、奇跡的に商品が陳列されている棚が倒れたりはしなかったが、床や壁は血糊まみれだった。
(これは……怒られる!)
トウゴは、恐る恐るブラドの方を振り返ると。
「す、素晴らしいっ!」
喜んでいた。
「こりゃ凄ぇ! こんなに商品が補充されたのは初めてだ! 明日は売上が倍になるぞぉ!」
20本以上満たされた血糊の瓶を並べて、小躍りしている。
「お嬢ちゃん、よくやった! 明日からも是非、この調子でよろしくな!」
……まあ、クビになるよりはマシだろうか。
そうして何だかんだ無事に(?)バイトを終えて、アパートに帰る。
トウゴが鍵を開けると、裸足のイチは玄関に腰掛けた。
「……あし」
そしてその生足を、トウゴへ突き出してくる。
今日は特に血糊がカピカピにこびり付いていて、汚れていた。
「はいはい。タオル濡らしてくるから、ちょっと待ってて」
この恒例行事にも慣れたトウゴは、イチの横を通って洗面所へと向かう。
イチは自分でシャワーを浴びたりはするのだが、何故か足だけはトウゴに洗わせるのだ。
濡らしたタオルを持ってきてしゃがみ込み、イチの足裏や指の間を念入りに拭く。
その間、イチは何を言うでもなくこちらの顔をじっと観察してくる。
(謎だ……)
トウゴは首を傾げながら、近くに置いておいたバケツの上でタオルを絞った。
「イチさん、今日は楽しかった?」
「……マーマー」
「まあまあかぁ」
ということは、かなり楽しかったようだ。
「でもあんなんなっちゃって、クビになるかとヒヤヒヤしたよ」
「……」
「結局クビどころかあの店長、『洗濯手当』とか言って時給上げてくれたし」
「……ホクホク」
「だねぇ。でも店長は良いとして、あんなめちゃくちゃして、あの【忌不様】は明日も来るのかな」
「……」
結果から言うと、次の日も【忌不様】は来た。
もはやトウゴ達は、死んだフリをしていない。
にもかかわらず【忌不様】は頬を赤らめて、両手を揉みながらおずおずと現れたのだった。
その姿を確認すると、またオーバーオール姿のイチの瞳孔が開く。
「……実は、最初は普通に工場生産された商品を売ってたんだがなぁ」
ブラドが、しみじみと言った。
「店続けていくうちに、アイツが時々来るようになったんだが……そのときは『補充』とかじゃなくて、ただ商品を見に来ていたって感じだったな」
「それで何故、死んだフリを?」
「アイツ恥ずかしいのか、俺が見てるとなかなか姿現さなくてな。それならと思って、閉店後に商品の血糊被ってやってみたら、嬉しそうに姿現してよぉ。そんで自分から『イタイイタイ』言いながら、最高級の血糊を出してくれるようになったんだよ」
「そ、そうなんですね」
なかなか特殊な【忌不様】のようだ。
『血糊を生み出すこと』が欲望なのだとしたら、それを可能にした儀式は、『死んだフリをすること』だったのだろうか。
(でもそういえば、イチさんがイジメてても血糊出してたよな)
そう考えると、
『 イ い ぃ イ びビ ビ タア ぎ ィ』
「……もむん」
どちらかというと、『遊んであげること』が儀式だったのかもしれない。
何だか、この【忌不様】。『欲望』を叶えることよりも、その発動条件のはずである『儀式』の方を求めている感じがするのは、気のせいだろうか。
『イぃイイ イ タ イた キモチ…… イタだダィ』
「あ、今一瞬『気持ちいい』って言った」
どうやら気のせいではないようだ。
「まあ、【忌不様】のことだ、あんまり深く考えるな」
「です、ね」
イチも新しい玩具が見つかって楽しそうだから、まあそれで良いか、と。
無理矢理思うことにした。




