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第31話  開店

 午前9時になり店が開くと、いきなり4、5人の客が訪れた。


 聞こえてくる話から推測すると、彼らは映画やドラマ撮影関係のスタッフやら、ホラー系の動画配信者やら、コスプレが趣味のOLなんかのようだ。


「ほ、本当に繁盛してる」


 トウゴは、テキパキとレジ打ちや梱包をこなしながら呟く。


 隣のイチはどこか上の空な様子だったが、トウゴがお願いすると、近くにある包装紙やシールなんかを渡してくれていた。


 まあ結構な確率で間違ったモノを渡されるが、大人しくしてくれるだけでかなり助かる。


「……」


 よほど、何か興味深い気配を感じているのだろう。


 イチが興味を示す時点で、ロクなモノな気がしない。


(しかし……なぁ)


 客足がようやく途切れると、トウゴはこの血糊専門店『赤まみれ』店長ブラドの説明を思い出していた。


(午後5時10分から20分間、業者が来て商品の補充をする間、この店の血糊を使って死んだフリしなきゃいけない……って)


 ちらりと、接客中のブラドを見る。


(絶対、【忌不様】関わってるよなぁ)


 確実に、何らかの『儀式』としか思えない。


 というかイチも、【忌不様】の気配がすると断言していたし。


 やきもきしながらも時間は進み、とうとう夕方になった。


「……」


 カラカラと店のブラインドを降ろし、『閉店』のプレートを入口に提げる。


 現在時刻は、午後5時5分。


 ブラドが腕時計を確認し、血糊の瓶を持ってきた。


「よーし。やることは分かっているな?」


「は、はい」


 瓶の蓋を取ると、割とリアルな血の臭いがする。


「本格的に偽装したかったら、筆やスプレーなんかを使うと良いんだけどなぁ! その辺はあまり気にせず、水浴びするつもりでドバッと、1瓶使ってくれ」


「ドバッと……」


 トウゴは瓶の赤黒い液体をタプタプと揺らし、溜息をついた。


 すると隣で、ばしゃーんと。


「え」


 イチが勢いよく、頭から血糊を浴びていた。


 ねっとりとした赤黒い液体が黒髪を伝い、シャツを濡らし、濃い青のオーバーオールをジワジワと染めていく。


「……」


 (今日はお風呂が長くなりそうだな……)


 そしてイチが、トウゴの手から瓶をぶんどり、近くの椅子に乗って、


「……」


 びちゃびちゃびちゃと。


「あーぁぁ……」


 トウゴ頭にも、血糊をぶっかけた。


 しかも自分で浴びたときと比べて、やけにねっとりとこぼしてくる。


 椅子に乗っているイチが見下してくる視線からアブナイ嗜虐心が漏れていたのは、気のせいだと思いたい。


「イチさん……今日は、凄いテンションだね……?」


「……」


 何はともあれ、これで『死んだフリ』の準備は整った。


「5時9分だ。よし、その辺に寝転がれーっ! そんでこの腕時計のアラームが鳴るまで20分間、動いちゃダメだぞ!」


「あぁー……気が乗らない」


 トウゴは呟きながら、レジ近くの床で丸まった形で横になる。


 カーペットの埃とカビの臭いが鼻について、マスクでも用意すればよかったと後悔した。


 まあこの店主は毎日これをやっているみたいだし、直接命に係わる事態にはならないとは思うが、明らかに【忌不様】の『儀式』だと分かっていてそれを実行するのは、やはり怖い。


(まあ、いざとなればイチさんが居るけど)


 今日のイチのテンションは何というか、新しい玩具を与えられた猫のようだ。


 興奮しすぎて、また何かやらかさなければ良いが。


「……」


 カチ、と。


 ブラドの腕時計の針が動く音がした。


 つまり、現在午後5時10分。


 ここから20分間、死んだフリをしなければならない。


「……」


 最初の30秒程度は、何も起きなかった。

 

 外の商店街からは、通行人の話し声や電器屋のテレビの音なんかが漏れ聞こえてくる。


 もしかして、そんなに大したことないのかも?


 トウゴが一瞬、そんなことを考えたとき。


 

 ばちゅん、ばちゅん、と。



 何かが、聞こえた。


 ……店内から。


 ドアの開閉は無かったはずだ。


 一体どこから湧いたのか。



 ばちゅん、ばちゅん。



 これは足音、だろうか。


 それにしては、水気を多量に含んだような感じだ。


 水風船が地面を跳ねる音に近い。


 それは、店内をゆっくりと徘徊し始めた。



 ばちゅん、ばちゅん。



 音が、近づいてくる。


 むせるような鉄錆の臭いに、トウゴは息を止めた。


 足音の主は、トウゴ達のすぐ近くを通過したようだ。



『 ムふ ィ ゥ   フュ ひ  ュ』



 まるで運動不足のおじさんが急な階段を上っているかのような、息の切れ方だ。

 

 ゴトリ、と。


 重い瓶を、カウンターに置いたような音がした。


 そして、


(……っ!?)


 グジュ、と。


 腐った果実が裂かれたような、生々しい音が聞こえた。


 トウゴの身体はどこも痛くない。


 イチが襲われる心配は無いので、となるとまさかブラドの身に何か……


 そう思ったが、



『 イ た  ィ ぃ    いタい   ひぃ』



 悲鳴を上げているのは、どうやらこの『業者』のようだ。


 ボトボトボトボトと、粘り気のある液体が瓶へ落ちる音。


 今まさに『補充』をしているということだろうか。


(……)


 ごそ、と。


 隣で物音がした。


 この方向は確か、イチが死んだフリをしていた辺りだ。


(…………)


 猛烈に、嫌な予感がした。


 『補充』は相変わらず続いているようだが……


(………………)


 うっすらと、瞼を開いてみる。


 トウゴはこんなこともあろうかと、顔を動かさずとも視界にイチが入る位置に寝ていた。


 つまり、薄目を開けば、そこにイチが見えるハズなのだが。


(居ない……っ!)


 やはりこのミッションは、好奇心旺盛イタズラ好きなイチにとっては無理だったようだ。


 トウゴはやむなく目を見開き、音を立てないように首を回した。


 イチが死んだフリをしていたはずの床から、赤い足跡が続いている。


 ゆっくりゆっくり。


 『業者』にトウゴの動きを悟られないように、足跡を目で追い、そして僅か3メートル分視線を動かしたところで。


「……」



 イチが、普通に立っていた。

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