第30話 血糊専門店のルール
「……何だか普通に聞き流しちゃったんですけど、この店、『血糊』の専門店なんですか?」
ブラドとの血糊まみれ握手からようやく立ち直ったトウゴは、常備しているハンカチで両手を擦りながら尋ねた。
「そうだぞ。血糊の品揃えだけなら、どの都市にも負けねえぜ」
……まあ、それはそうだろう。
血糊だけを売っている店なんて、少なくともトウゴの経験上、聞いたことが無い。
「でもこれ、商売になるんですか?」
「ふふん、なめるなよ? これでもこの店は、結構繁盛してんだ。だからこそ、お前らみたいなバイトも雇えるってワケよ」
「えーっ……」
にわかには信じがたい。
今さらながら、本当に給料が出るか不安になってきた。
「ははは! 信じてねえな! まあ開店したらすぐ分かるさ!」
まだ血糊の付いた手で、ばんばんと背中を叩かれる。
(あぁ……帰りにコインランドリー寄らなきゃな)
「……」
トウゴの哀愁漂う表情に、さすがのイチも気の毒そうに顎を引いた。
「2人は、レジ打ちの経験はあるか?」
「ええ、まあ」
「なら大丈夫だな。30分後に開店だが、お前らは基本的にレジ打ちして、商品を梱包したり、袋に詰めて客に渡してくれりゃ良い。俺はその間、客に商品の説明やら売り込みやらしていると思うが、何か分からないことがあったらいつでも訊いてくれ」
「は、はぁ」
(思ったより、普通のバイトっぽいな)
トウゴは少し安堵して、短く息を吐いた。
「イチさん。今回は意外と楽そうだね?」
「……?」
かくんと首を傾げるイチ。
「ほら、最近さ、どのバイト先でも大体【忌不様】が絡んでて大変だったけど、今回は」
「……」
「関わって、無い……よ、ね……?」
一切変化の無いイチの表情に、だんだん自信が無くなってくる。
「あの、まさかだけど、他の【忌不様】の気配とか、ないよね?」
「……」
イチは、少し考えるように顎を上げて、すんすんと鼻を鳴らした。
彼女はこんな可憐な姿だが、これでもS級の【忌不様】であり、その鼻は他の【忌不様】の気配を察知することもできるのだ。
「……」
鼻を鳴らし終えたイチは、じっとトウゴを見る。
そして、
「……フツーにアル」
断言した。
「あるかぁ~」
カウンターに突っ伏したトウゴの頭を、イチがぽんぽんと叩く。
「お前ら、何楽しそうに話してるんだ? 俺も混ぜてくれよ!」
「ブラド店長……おれたちに説明しなきゃいけないこと、まだあるんじゃないですか?」
「え」
瞬間、あんなに陽気だったブラドが硬直した。
しかしすぐに気を取り直し、
「……おぉ! 悪い悪い! もちろん説明するつもりだったぞ! そうそう、営業中は基本的に普通に仕事してくれりゃ良いんだが、閉店後の30分だけは、ちょっと……というか絶対に、確実に守ってもらいたいルールがあるんだよ」
ずずい、と痩せこけた顔を近づけられて、トウゴは身体を少し引いた。
「いいか? この店はいつも必ず午後5時に閉めるんだ」
「は、はぁ」
他の店と比べると少し早いが、そこまで決定的に変なことではないように思える。
「それには、理由があるんだ。絶対に5時には閉めなきゃいけねえ理由が」
ブラドは陽気な顔を保ちつつ、しかし声のトーンは心なしか真剣に、説明を続けた。
「5時10分だ。いいか、閉店から10分後の5時10分きっかりに、商品の補充が始まるんだよ。その時間には絶対に店を閉めてなきゃいけねえし、でも従業員はまだ帰ったらダメなんだ」
その商品の補充に来る業者は、かなり時間に厳しいようだ。
「商品の充填は、5時30分丁度に終わる。それまで俺とお前らは、絶対にこの店内に居ないといけない」
「ま、まあ業者が来るなら、出迎えて納品の確認とかしなきゃですしね」
「いや、出迎えちゃいけねえんだ!」
「え?」
トウゴは、混乱する。
業者が来るときに店内に居なきゃいけないのに、その業者を出迎えてはいけないときた。
「で、でも、それじゃ一体どうすれば……」
その答えは何となく想像できたが、信じたくなかったので、あえて質問してみた。
するとブラドは、予想通りのモノを取り出す。
「俺達はコレを使って、5時30分まで死んだフリをするんだ」
それは『高品質!』とラベルが巻かれた、真っ赤な血糊のボトルだった。




