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第23話  どうあがいてもお人好し

          ◆◆◆


 マツリは、とても幸せだった。


 念願叶って、ついに好きな人(友達)と、一緒に住むことになったのだ。


「おーいマツリ。食器洗いなんて、後からオレがやっとくから、早く座れよ」


 1LDKの狭いリビングに置かれたソファには、背の高い女性が座っている。


 『クマ』という名前で、元【忌不様(いみふさま)】の人間だ。


 茶のショートヘアに、筋の通った鼻、そしてきりりとした目。


 ……格好いい。

 

 しかもああ見えて、優しいのだ。


「――はっ。あ、今行きますね、クマさん!」


 思わずうっとりとしてしまったマツリは我に返って、エプロンを脱いだ。


「ほらほら、お前の言ってた映画、もうすぐ始まるぜ」


 ソファ前のテーブルには、マツリの作った、おつまみ程度の料理が並んでいる。


 そしてその先の台には、大型のテレビが据えられていた。


 この部屋に引っ越してきて1週間。


 ようやく色々と落ち着いてきて、今日はバイトもないし、久しぶりにゆっくりできた一日だった。


 そんな日の締めに、夜更かしして深夜映画を見ようと言い出したのはマツリの方だった。


「……おっ! この卵焼き、美味ぇなあ」


 クマは箸を器用に使って、マツリの料理に舌鼓を打っている。


 夕食も食べたのに、もうお腹が空いているようだ。


「ふふふ。どんどん食べてくださいね」


 マツリは微笑みながら、テレビのボリュームを上げた。


 画面には楽しげなオープニングが流れて、映画のタイトルが表示される。


 コメディ色の強い、恋愛映画だ。


 クマはお笑いが好きみたいだし、楽しんでもらえるはずである。


 最後に見たのは結構前だったので記憶はおぼろげだが、確かオープニング開けは、開放的な海で主人公たちがふざけ合うシーンから始まるはずだ。


「…………」


「…………」


 はず、だが。


「……あれ?」


 何か、違う。


 マツリのイメージしていたシーンと、全然違う。


「……何か、赤いな」


「赤い……ですね」


 画面が、真っ赤に染まっていた。


 そして、定点カメラのようなアングルで、無機質な部屋が映し出されている。


 これではまるで、ホラー映画のワンシーンだ。


 もしかして、チャンネルを間違えたのだろうか。


 マツリはリモコンを取ろうとしたが、



『 ち   ょぅ だ   ぃ  ?』




 地の底から響くような不気味な声が聞こえて、固まった。


「ひぃっ!?」


「な、何だァ!?」


 そして画面には、


「あ、あ……髪の長い、女の人……が、あぅ」


「マツリーっ!?」



          ◆◆◆




 イチは小部屋のテレビ画面から離れると、頭をブルブルと振って、前に垂らしていた黒髪を戻した。


「えーっと、イチさん。今のは……?」


「……クマ退治」


「おぅふ」


 つまり、ただイタズラである。


 イチは無表情だが、心なしかとても満足そうに見えた。


(ごめんなさい……マツリさん、クマさん……)


 これは今度、何か手土産でも持って謝罪しに行かねばなるまい。


(……それにしても、【忌不様】モードのイチさんは、久しぶりに見たなあ)


 あの不気味な声色は、どういう仕組みで出しているのだろう。


『…… も ぅ  い ィ?』


 赤いレインコートの【忌不様】、レビィが呆れたようにトウゴの服を引っ張った。


「あ、ごめんねレビィさん。何かウチのイチさんが」


『……』


 ガガッ、ガガッと。


 レビィは相変わらず重そうな足枷を引きずりながら、薄暗い廊下を歩く。


 この都市に来てから色々な【忌不様】を見てきたが、ここまで大人しいのは珍しい。


 とはいえ、まだ出会って1時間も経っていない段階で、無害と決めつけるのは早すぎるだろう。


『 こ   っ チ』


 ついにレビィが足を止めて、とあるドアを指差した。


「これは……」


 なかなかの、ホラー具合だ。


「な、何か色々、隙間からはみ出てるね……」


 赤色の、蔦だろうか?


 まるで毛細血管ように、地面や壁や天井を這っている。


 こんな明らかにヤバそうな部屋、一体どんなヤバイ【忌不様】が――


『…… コ ッ   ち』


 レビィは少し不思議そうに、もう一度指差した。



 ――隣のドアを。



「え」


 ごく普通の、外観である。


「そっち!?」


『……』


 驚くトウゴを訝しむように、レビィは頷いた。


「こっちの、ヤバそうなのは!?」


『だ ィ   じょ  ブ』


「大丈夫なのか……」


 何が大丈夫なのか分からないが、この廊下の管理者っぽい本人が言うなら、信じるしかない。


『    』


 表札には、何も書かれていない。


 これはこれで不気味だが、隣の赤い蔓うねうねの部屋へ飛び込むよりは安全だろう。


 レビィに促されるまま、トウゴは名無しの部屋のドアを開けた。


 間取りは、他と同じだ。


 赤い光に包まれた部屋の奥には大型のテレビが据えられていて、その先にはアパートの部屋らしき映像が映っている。人影は無く、床には埃が積もっているように見えた。


 こちら側の部屋の中も、他と様子が違う。


 床に、色々ものが置かれているのだ。


 乳児用の玩具や、絵本、お菓子の空箱など。


 まるで、片付けを忘れた子供部屋のようである。


『……』


 レビィはゾウの形をしたぬいぐるみの前で屈むと、丁寧にその頭を撫でた。


 そして立ち上がり、トウゴとイチの方を向くと、


『 タ    す  ケ  て  ?』


 右手を差し出して、またその言葉を口にする。


 しかし、


「……」


 イチが眉根を寄せて、


「むり」


 少し後ろへ下がった。


「で、でもイチさん、この子、何か困ってるみたいだし、助けてあげてもいいんじゃ……?」


「むぅり」


 頑なだ。


「まあまあ、そう言わずに。何か、そこまで悪い【忌不様】じゃなさそうだしさ?」


「……」


「この子助けてくれたら、何でも好きなもの、おれのお小遣いで買ってあげるから」


「む」


 あからさまに反応したイチに、畳みかける。


「ほらイチさん、確か商店街に行ったときに、テレビゲーム、物欲しそうに見てたでしょ」


「むむ」


「おれのへそくりで、あれ買ってあげるから……ね?」


「……いたしかた、ナシ」


 物で吊る作戦にまんまと折れてくれたイチは、面倒臭さと物欲が混ざった溜息をついた。


『たス  ケ  テ?』


 そして、レビィの差し出す右手を雑に握る。


 次の瞬間。


「……んむ?」


 レビィの足首が強く光り、その光は重そうな金属の足枷にまで伝播した。


 そして数秒後、レビィの足首に嵌められていた枷は、完全に消えた。



 ――にま。



 レビィの小さい口が、歪む。


「トーゴ」


 イチが、不満そうにトウゴを小突いた。


 嫌な予感しかしない。


「ど、どうしたのかなイチさん」


 彼女が指差す方……つまり、イチの細い足首の方へ視線を落とすと。


「……あー」


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