第22話 赤い小部屋と暗い廊下
ガガッ、ガガッ、と。
「……」
何か重いものを引きずるような、不気味な音が聞こえる。
トウゴが瞼を開くと、赤い天井が見えた。
「っ! い、イチさんっ!?」
そして、ついさっき自分とイチがテレビの中へ引っ張り込まれたことを思い出して、跳び起きた。
こんなヤバそうなところで独りぼっちは、心細すぎる。
「……遅し」
幸いなことに、イチはトウゴのすぐ横で体育座りをして、不機嫌そうに唇を突き出していた。
「あ、よかった~。ずっと横で見守っててくれたの?」
イチは目を細めるだけで、肯定も否定もしない。
ガガッ、ガガッ。
音が再び聞こえて、トウゴは辺りを見回す。
「ここ……は」
10畳くらいの、小部屋だ。
硬く、ジメジメとしたコンクリートっぽい素材の床と壁と天井。赤く光る蛍光灯が一つ。
そして、壁には1つの簡素なドアと、その対面には、
「テレビ……? あれに映ってるの、おれ達の部屋だよね?」
壁に掛けられた薄型テレビの画面には、トウゴとイチの住む『青苺荘』102号室の部屋が映し出されていた。角度的に、テレビが置かれていたはずの位置だ。
イチがのそりと近づいて、おもむろに手の平を画面に押し付けるが、
「……いけない」
やはりというか何というか、そう簡単に帰ることはできないようだ。
「うーん。何だろう、この小部屋。何か、前にもこんな感じの場所に来たことがあるような」
「ゴミ」
「えっ」
混乱して「おれの事?」と返しそうになったが、イチの発言は罵倒ではなく、トウゴの記憶を呼び起こさせるたに言った単語であると気が付いた。
「あ、そうか! ゴミの【忌不様】が使ってた『結界』と、似てるんだ」
何らかの条件を満たすか、『儀式』を成立させた【忌不様】が人間を引きずり込むことができる異空間。
この都市には、そんな物騒な場所も普通に存在するのである。
「でも、おれ達って、何か『儀式』成立するようなことしたっけ? ……まさか、あのテレビの電源を入れること自体が『儀式』だったのか」
まあ、ビデオを見るだけで呪われることもあるのだし、そんな理不尽なこともあるのだろう。
「だとしたらこの【忌不様】って、結構強いんじゃ……?」
『儀式』の成功しやすさと、その見返りに叶う『欲望』の規模は、基本的にその【忌不様】のランクに比例するのだ。
つまり、簡単な条件で『欲望』を叶えられる個体ほど、強い。
「……エーか、エス」
「AランクかSランク……イチさんと同じくらい強いかも、ってことか」
ちなみにこのランクは、彼らが力を使うときに発生する『黒い靄』の濃度で判別できるらしい。
実際にこの小部屋にも、それらしいものが浮遊していた。
「うーん、どうしよう? あのレインコートの【忌不様】は、居ないみたいだけど」
テレビから戻れないとなると、進める道はひとつしかない。
「このドア、開けられるかな?」
今度はトウゴが恐る恐る近づいて、ドアノブに手を掛ける。
何かを引きずるような音は、どうやらこのドアの向こう側から聞こえているらしい。
鍵は掛かっていない。
慎重にドアノブを回して引くと、薄暗い廊下が現れた。
かなり長い。
目を凝らしても、突き当りは見えない。
廊下の左右には、ずらりと一定間隔で同じ扉が並んでいた。
ガガッ、ガガッ。
音が、こちらへ近づいて来る。
「い、イチさん。何か来る……!」
「……」
イチはジャージの袖を捲って、トウゴの横についてくれた。
帰ったらまた、ご飯やお菓子を大量に奢らねばなるまい。
「あれは……」
最初に見えたのは、赤いレインコートだった。
間違いない。
トウゴ達をこの空間へ引っ張り込んだ、子供型の【忌不様】だ。
身長は130センチメートル程度で、フードを目深に被った顔はやはりよく見えないが、赤と黒の斑模様に染まった長髪であることは分かった。
ガガッ、ガガッ。
金属同士が擦れるような嫌な音の正体は、その【忌不様】の足元にあった。
「足枷?」
【忌不様】の足首に装着された錆びた金属の枷からは太い鎖が伸び、その先にはボーリング玉くらいの鉄球が付いていた。
「これまた随分と古いタイプの」
トウゴの記憶だと、昔の漫画やコントなんかでよく見かけたやつだ。
まあ地球でも、実際に使われていたものらしいが、それを【忌不様】が装着している意味が分からない。
気づくとレインコートの【忌不様】は、トウゴ達の目の前に来ていた。
『タ ス け テ』
また、同じ言葉だ。
敵意……は無さそうだが。
【忌不様】がトウゴを見上げる。
その顔は、隈の目立つ生気の無い目が2つに、丸い鼻が1つ、薄い唇の口が1つに小さな耳が2つと、まあ普通の人間と言って差し支えない見た目だった。
しかしその全身からじわりと発生している黒い靄と、両腕の袖からだらりと垂れた赤い触手を見るに、この少女(少年?)が【忌不様】であることには間違いない。
『たス ケ て?』
まただ。
普段なら、【忌不様】からの言葉に不用意に答えることはしないのだが、もうすでにトウゴとイチは何らかの『儀式』を成立させてしまっている可能性が非常に高いので、あまり警戒する意味はない。
「あの、助けてって、どういうこと? おれ達をここに引きずり込んで、何かさせたかったのかい?」
トウゴは【忌不様】の目線に合わせて、問いかけた。
「……!」
すると、意外だったのか【忌不様】はアセアセとに目を逸らして、こくりと頷いた。
(少し、可愛いな……いやいや、まだ油断しちゃダメだ)
「そ、そっかぁ。ええと、キミ、名前とかあるのかな?」
「……」
【忌不様】は、もじもじと触手で手遊びをして、
「レビィ」
そう答えた。
「レビィさん、か。ええと、その足枷は?」
「……」
レビィと名乗った【忌不様】は、トウゴの質問には答えず、踵を返した。
「き て」
よく見ると足はボロボロで、見ていて痛々しい。
「とりあえず、ついて行ってみても良いかな?」
トウゴがイチに伺いを立てると、イチも渋々承諾した。
レビィの先導で、薄暗い廊下を進む。
並んだドアには、よく見ると表札のようなものが掲示されていた。
「アリア・バーンズ、ボブ・マドリア&セシル・マドリア……リールアー・シーランド! もしかしてこのそれぞれの小部屋って、この名前の人のテレビに繋がってるってこと?」
トウゴの問いに、レビィは頷く。
「へ、へぇー。あ! マツリ・レアドル&クマ? そういやあの2人、一緒に住み始めたんだったな。今度、引っ越し祝いでも持っていくか……あ、でもイチさんとクマさん、すぐケンカしちゃうからなぁ」
「……む」
トウゴが呟いた『クマ』というワードに、イチがピクリと反応する。
マツリは気弱だが優しい人間の少女で、クマは成人女性の身体を受肉したワイルドな【忌不様】である。
2人はとある事件以来、とても仲の良い友達になり、ついに先日、良い機会だからということでマツリの実家を出て安アパートを借りてクマと2人暮らしを始めたと、律儀に報告を受けていた。
「……」
「え、どうしたのイチさん」
「……」
「何か、悪い顔になってない?」
「……レービ」
イチが微妙に間違った発音で呼ぶと、レビィはビクリと足を止めた。
そしてイチはいつになく鼻をぷっくりと膨らませて、
「ヨリミチ」
くいくい、と『マツリ・レアドル&クマ』のドアを顎でしゃくった。




