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第19話  友達

 そしてクマは棍棒を拾い、軽々と肩に担いだ。


 やはりイチと同じように、人間の見た目だとしても【忌不様】としての力は残っているらしい。


「え? え? ……え?」


 マツリは混乱しているようで、クマの顔を何度も確認している。


「クマさんが人間に? で、でも、何か『儀式』が成立するようなこと、していないし……」


 どうやら、自覚は無いらしい。


 しかし、原因は明らかだ。


 クマが持っていた欲望は恐らく、『人間になりたい』もしくはそれに近いものだったのだろう。


 そして、マツリが大胆な友達宣言をした瞬間に、それは叶った。


「おい同類! 鏡がねえから分からねえが、オレの顔はどうだ! 美人か!?」


 クマは、にかっと笑ってイチに問う。


「……ヤンキー」


「ははっ! 上等だ!」


 蜘蛛の【忌不様】が、驚いたように身じろぎした。



『ォ ま  ぁ  ェ ……ズ ゥ   ル   い ! 』



 その声には、怨嗟と羨望が混ざっているように感じる。


「1人には、しねえよ」


 クマは蜘蛛を見据え、棍棒を構えた。


『……』


 両者の全身から、黒い霧が発生する。


 次の挙動で、勝負をかけるつもりだ。


 じり、と間を探り合い、先に動いたのは蜘蛛の方だった。


 鎌のような脚が、4本も同時にクマを襲う。


 瞬間、クマは目にも止まらない速さで、前方へ飛び出した。


 脚が宙を斬り、その懐にクマが潜り込み、棍棒で4本の脚を付け根から折る。


『あぁ ぁ  ああ あ ぁ  あ  ぁあ!?』


 蜘蛛が苦痛の叫びを上げている間に背後へ回り込み、残ったもう4本の脚も、容赦なく折った。


 機動力と武器を失った蜘蛛は、丸い胴体を地面に墜落させる。


 クマが、上へ大きく跳躍した。


 棍棒を振りかぶり、重力と腕力を総動員して、蜘蛛の頭部へ。


 ぐしゃっ、と。


 水が弾けるような音がして、蜘蛛の身体は一瞬震え、そして力を失った。


 蜘蛛の黒い霧が薄れ、散逸する。


 黒い液体がこびり付いた棍棒を拭い、クマが立ち上がった。


 あれほど厄介だった蜘蛛の【忌不様】を、1人で倒してしまったのだ。


「……」


 イチがつまらなそうに、口を尖らせている。


 クマはゆっくりと蜘蛛に近づくと、その頭に手を置いた。


「オレを産んでくれて、ありがとう」


 半分頭が潰れている蜘蛛は、弱々しく首をもたげた。


『 ぁ あ ……ソぅ、 ……か  オレ は、……にンげん、 に』


「どうだ。頭の霧が晴れた気分だろ? 今までのどうしようもねえ欲望は何だったんだ、って感じだよな」


 息の絶えそうな蜘蛛には、もう攻撃の意志は無いらしい。


 クマは棍棒を背中の袋に納めた。


「なあ。オレ、人間になれたぜ」


『……ぁぁぁ』


 蜘蛛は、既に折れて使い物にならないはずの脚を1本、辛そうに持ち上げた。


 そして、脚の角度を無理矢理ひねって、側面のつるりとした部分で、クマの頭を撫でた。




『よ   かっ たね   え』




 蜘蛛の身体そのものが崩れ、黒い霧へと変化していく。


 足先が、胴体が、徐々に崩壊する。


 クマは何も言わずに、見送っていた。


 最後に、蜘蛛の頭部が崩れていく。


 その4つの黒真珠のような目が、クマと、マツリを見つめて、


『――――』


 少し、緩んだ気がした。


 そして蜘蛛の【忌不様】は完全に崩壊した。


 黒い霧はぐるりと風に舞い、クマの胸へ。


 まるで吸い込まれるように消えた。


「――っ! お、終わった……?」


 トウゴは、自分が息を止めていたことに気づいて、慌てて酸素を吸い込む。


 隣のマツリは、ただ立ち尽くしていた。


 イチは早く帰りたそうに、トウゴの服の裾を掴んでいる。


 そしてクマは、向こうを向いて一度顔をごしごしと拭ってから、こちらへ歩いてきた。


「クマ……さん」


「迷惑、かけたな」


 何だか、浮かない顔だ。


「マツリ。お前、オレの『儀式』が何か、分かってたんだろ? 嘘でもあんなこと言ってくれて、助かったぜ。おかげで完全にアイツと分離できて、人間にもなれた」


(……ははあ)


 トウゴは目を細めて、同じような表情のイチと顔を見合わせる。


 マツリの天然具合も相当だが、このクマも、なかなかのものらしい。


「さ。これでお前らの命は助かったんだ。今度こそ、オレに近づくなよ。見た目はこうでも、一応力は残ってるからな」


 そう言ってクマは、踵を返す。


 素直ではない。


 なんとも、不器用すぎる。


 トウゴがやきもきしていると、


「クマさんの……ばかーっ!」


 ぽかん、と。


「……なっ!?」


 その茶髪の後頭部を、マツリが殴った。


 見るからにへなちょこパンチだったが、受けたクマは相当な衝撃を受けたように振り返った。


「嘘なんて言ってません! クマさんは昔の顔でも! 今の顔でも! 私にとっては、友達! です!」


「な……なに、言ってんだよお前……」


 クマは全くこの展開を予想していなかったようで、吊り目気味の瞳を揺らしている。


「そ、そうか。オレが怖えから、予防策でそんなこと言ってんだな。安心しろよ。もうお前を襲ったりなんか――」


 ばふっ、と。


 無防備なクマの胸に、マツリが顔をうずめた。


「クマさんは! 恐いけど! 怖くありません!」


「いや、でも――」


「一緒に、居たいんです!」


「――っ」


「一緒に、話したい! 一緒に、遊びたい! できれば一緒に、生活もしてみたい!」


「な、な……」


 マツリがぐりぐりとクマの胸に頭を押し付け、クマの顔はみるみるうちに赤くなっていく。



「私は、本当に、クマさんが好きなんですっ!」


 

 そう言って、マツリがクマの胸から顔を離す。


 その目からは、涙が溢れている。


 クマの目からも同じものが零れ、頬を伝わり顎から落ちた。


「い、良いのかよ……一緒に、居て」


「何度でも言いますっ! 良いです! むしろお願いしますっ!」


「……」


 クマが助けを求めるように、こちらへ顔を向ける。


「……尊い」


 気づけばもらい泣きしてしまっていたトウゴは、深く頷き、


「……ふひゅぅ」


 イチは、指笛を鳴らそうとして、失敗していた。


 結局、マツリとクマは寄り添うように、同じ方向へ帰って行った。



          ◆◆◆



 元々、あの蜘蛛の【忌不様】は、巣を張って待ち構え、その場に踏み入るという『儀式』を成立させた人間を食べることが『欲望』だったらしい。


 だが一度、儀式を成立させた人間の女性を最初に食べようとしたところ、口の立つ彼女に見事に言いくるめられてしまい、見逃した。


 女性は『あなたを素晴らしい神様として祀るから、信仰がある限り、人間を食べないように努力して欲しい』と言ったのだ。


 それは存在すら曖昧な状態の【忌不様】にとって、魅力的な提案だった。


 人間に依存する部分が大きい【忌不様】は、人々に認識され続けることで、その存在確率も高めることができる。


 蜘蛛の【忌不様】は女性の提案を呑み、それ以降、人間を食べないように努力した。


 女性のおかげで、人間との会話にも興味が湧いていた。


 しかし、元々の『欲望』の内容が内容だけに、人ゆっくり話しているうちに食欲が抑えられなくなってしまうのは容易に予測できる。


 どうしたものかと悩んでいたが、幸運にも、人々は蜘蛛の巣の手前に祭壇をつくり、奥には入って来なかったので、暫くは杞憂だった。


 しかし、そうして数十年経ったある日、自分の巣に、ついに1人の少女が迷い込んできた。


 その少女は、かつて蜘蛛を説得した女性と同じ匂いがした。


 どことなく、顔も似ている。


 何年も『欲望』を曲げてきた蜘蛛には、例外的に2つの『欲望』が同時に生まれていた。



 1つは勿論、『人間を食べたい』欲。


 そしてもう1つは、『人間と一緒に過ごしたい』欲。



 通常、1体の【忌不様】は1つの『欲望』と『儀式』しか持てない。


 久々の『欲望の対象』を目の前にした蜘蛛の【忌不様】は、その出来事をきっかけに精神と身体が2つに分かれたのだ。


 そうしてクマの【忌不様】が、事故的に生まれた。


 正当な生まれ方ではなかったため不完全だったクマは、もう1体の自分と互いに縛り合う生き方しかできなかった。 


 ……と。今回の背景はそんな感じだったようだ。




 なんやかんやで晴れて友達となった2人は、一度マツリの実家に戻って、とある女性に会うことになる。


 その女性がどんな反応をしたのかは、トウゴは聞いていない。


 しかしきっと、クマには2人目の友達ができた……はずだ。

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