第17話 クマとクモ
辺りはすっかり暗くなり、森には月明かりが差していた。
鈴のように鳴く虫の声が響き、生温い風が吹いてくる。
「――というわけで、クマさんが眠っている間に、洞窟の奥へ行きます!」
「長かった……川の流れだけ眺めて時間潰すの、けっこうキツかったな」
「ご、ごめんなさい。クマさんが起きていたら、絶対通せんぼされますし……」
「……ねむい」
張り切るマツリに、トウゴとイチは目をこすりながらついていく。
「洞窟の奥に、何かあるんですか?」
「はい! ……たぶん!」
「たぶんかぁ」
「何年も前の記憶なので……」
「うーん。まあ、大金もらっちゃってるしなぁ……とはいえ、イチさんが来てくれないとどうにもできないんだけど」
ちらりとイチを窺うと、眠そうながらも腕をぐるぐる回していた。
「おお……イチさん、意外とやる気だね」
「……いっち。たくさん」
「分かった分かった。これ終わったら、沢山買おうね」
「もむん」
「……お2人は、仲が良いんですね」
トウゴとイチのやり取りを見ていたマツリが、少し羨ましそうに言った。
「私、見ての通り口下手で、昔から友達は1人しか居なくて。その友達も3年前にこの都市を離れてしまったので、今は……」
「そ、そうなんですね……いや、俺も独りの気持ちは痛い程分かりますよ。イチさんとはたまたま、友達になれたというか何というか」
「そうなんですか? トウゴさん明るいから、誰とでも仲良くなれそうですけど」
「いやぁ、馬鹿なだけっす。ははは」
褒められて鼻の下を伸ばすトウゴに、イチが冷たい視線を向ける。
「そんなことは、ないと……思いますけど」
マツリが小さな鞄から手の平サイズのお菓子を取り出して、大きな岩の前に設置されたお供え物用の台に置いた。そして1秒だけ目を瞑り、頭を傾ける。
「お供え物、ですか?」
「ふぇっ? あ、ごめんなさい。私、いつものクセでつい。お昼はクマさんに驚いてお供えできませんでしたから……」
「へえ、結構信心深いんですね」
「この様式は、元々この土地にあった信仰と、別の世界から伝えられたものが混ざっているらしいんですけど……不思議ですよね。何というか、しっくりくるんです」
マツリはそう言いながら、鞄を背負い直した。
「さて! それではそろそろ、洞窟の奥へ行きましょう!」
大きな岩を迂回して洞窟の中を覗くと、とても暗かった。
トウゴは事前に用意していた懐中電灯で、道を照らす。
「うわっ。何だこれ……蜘蛛の巣?」
洞窟の天井や壁には、白い粘液の糸が張り巡らされている。
しかしその中央は何度も人が通った形跡があり、トウゴ達が歩く分には問題なさそうだ。
「きっと、あの【忌不様】の影響です」
マツリは緊張した面持ちで言った。
「確か、子供の頃に儀式を成立させちゃったんでしたっけ?」
「はい。たぶん、遊んでいたときにいつの間にか、蜘蛛を踏み潰してしまっていたのが原因で……」
「それはなかなか、回避しづらいですね。でもここって、元々は、あのクマの住処なんじゃ?」
「そう……ですね。ずっとここに住んでるはずです。でも、私が子供の頃にここに迷い込んだ時にはもう、こんな状態でした」
(うん? マツリさんが蜘蛛の【忌不様】の儀式を成立させる前から、このクマの住処には蜘蛛の痕跡があったってことか?)
そう考えると、色々とおかしな点が出てくるが……
深く考察する前に、洞窟の向こう側から月明かりが漏れているのが見えてきた。
数分も歩いていないのだが、もう出口に着いたようだ。
「あの、ここからは、静かにお願いします」
マツリが声を殺して言ったので、トウゴとイチは無言で頷いた。
吹き込む風に運ばれてきた臭いに、トウゴは眉をひそめた。
獣臭と、アンモニア臭が混ざったような感じだ。
洞窟の出口付近には、綿のように厚く重なった蜘蛛の巣がこびりついている。
そこを忍び足で抜けると、テニスコート2面分くらいの広さのスペースに出た。
そして、
「っ!」
――居た。
3、4mはある、巨大な蜘蛛だ。
黄と赤と黒の、毒々しい色をしている。
8本の脚は長く、胴体からは人間の手らしきものが3本生え、頭部には黒真珠のような光沢ある目玉が4つ。
このスペースの周囲は背の高い岩や木が囲っていて、その間を白い粘性のある糸が張り巡らされていた。
その中央に居る蜘蛛の【忌不様】は今は動きを止めていて、不気味な呼吸音を漏らしていた。
そしてその手前。
こちらに背を向け、座り込んで微動だにしないのは、
「……クマさん」
人の形をした、熊の【忌不様】だった。
地面に突き立てた棍棒に寄り掛かるようにして、眠っているようだ。
その後姿はまるで、あの蜘蛛の見張りをしているように見えた。
ぴくりと。
最初に反応したのは、蜘蛛の【忌不様】だった、。
『―― ァ ?』
何かを察知したように頭部を素早く振り、ハサミのような口をガシガシと開閉し始めた。
そしてきょろきょろと3つの単眼を動かして、
『―― きタ、なぁ? マツリ』
ぴたりと、マツリを見据えた。
「ひえっ!?」
あんな大きな目で見つめられたら、たまったものじゃないだろう。
マツリは悲鳴を上げて、トウゴの後ろに隠れた。
すると、当然。
『 ほか ノ、 にんゲん、もぁ!』
蜘蛛の熱い視線は、トウゴにも注がれた。
「……げ」
まずい。
首を回して出口を確認すると、いつの間にか蜘蛛の糸が張り巡らされ、塞がれていた。
「ににに逃げ道がないっ!? い、イチさん戦える?」
「……」
イチがトウゴの前に出て、右腕を構えた。
「マツリさんっ! あの蜘蛛、倒しちゃって良いんですよねっ?」
「は、はい。クマさんが寝ている間に……!」
座り込むクマは、こんな騒ぎにも関わらず微動だにしない。
よほど、深い眠りに就いているのだろうか。
『ア ぁ ァ あ ぁ !』
蜘蛛の【忌不様】が、奇声を発しながら鎌のように鋭い脚を振り上げた。
「イチさんっ!」
イチの周囲に、黒い霧が発生する。
そして、その細腕は黒く変色し、鞭のようにしなやかに伸びた。
イチいわく、『スピードタイプ』の獣顔腕だ。
本来手の平があるべき部分は、複数の目と鋭い牙の生えた狐か狼のような獣面に変形している。
獣の右腕は目にも止まらぬ速さで蜘蛛の脚を弾くと、まるで掃除機のコードが巻き取られるように元に戻った。
「えっ? 今、イチさんの腕が一瞬、【忌不様】みたいになって伸びて――」
そしてそれを目撃したマツリは、動揺していた。
(さすがにイチさんが【忌不様】とは、気づいてなかったか……)
しかしまあ、そんなに全力で正体を隠しているわけでもないし、バレても問題はないだろう。
「……またくる」
イチが呟くと、再び腕を変形させて伸ばした。
そうして2度、3度、蜘蛛の脚を弾く。
『ジ ャ ま する なァ! 同類!』
蜘蛛の【忌不様】は苛立っている様子だ。
『よ ケ ィ な こと をぁ お ァ お っ!』
そして、やたらめったらと脚を振り回し始めた。
「ぉ? おぉ……」
その手数に、イチが少し苦戦し始める。
『スピードタイプ』の腕では、どうしても力負けしてしまうのだ。
しかもこの猛攻の中では、圧倒的な威力の『パワータイプ』の腕を出すには、時間がかかり過ぎる。
そんな状態でトウゴとマツリを守りながら戦うのは、かなりやりづらそうだった。
「む」
だから、こうなることは時間の問題だった。
イチが迎撃に失敗した脚の1本が、固まっている3人を狙って振り下ろされたのだ。
(――まずい!)
トウゴが思わず目を閉じようとしたとき、
「――え」
乾いた音がして、蜘蛛の脚が弾かれた。
ぬっと、大きな人影が立つ。
その手には、大きな棍棒が握られている。
「――お前ら……随分、はぁ……余計なこと、してくれた……じゃねえか」
助けてくれたのは、かなり苦しそうに息をするクマの【忌不様】だった。




