第16話 個人的なお仕事依頼
「実は……とある【忌不様】を、撃退して欲しいんです」
真夏の昼下がり。
今回は店や工場なんかのバイトではなく、個人からの依頼ということで、トウゴとイチは都市の比較的治安の良いエリアにある古い喫茶店に呼び出されていた。
木製の床や、ビンテージの机や椅子は年季が入っているが、よく手入れされている。
トウゴとイチの対面には、気の弱そうな少女が座っていた。
藍色の前髪は長く、顔は俯きがちで、いかにも人と話すのが苦手そうだ。
そんな少女からの依頼に、トウゴとイチは目を丸くした。
「ええと、お名前は、マツリさん……でしたっけ? そのぉ……退治、っていうのは」
「あなた達のお話は聞いています。何でも、今まで何体もの【忌不様】と遭遇して、撃退してきたとか」
「あー」
(ニーナさんが教えたんだな……)
何か申し訳なさそうに今回のバイトの仲介をしてきたと思ったら、こういうことかとトウゴは宙を睨む。
「私の家の近くにも、怖い【忌不様】が居て……それで、あの、退治…………して欲しくて……ですね…………その」
言いながらどんどん俯いていき、そのか細い声は、どんどん小さくなっていく。
「……」
イチは不思議そうに、その俯いていく顔に合わせて首の角度を曲げていく。
まるで、動くモノに反応してしまう猫のようだ。
「うーん。でもなあ……おれ達はプロとかじゃ無いし、あんまり自分から【忌不様】に手を出すのは……」
「…………お、お金は、これくらいでどうですかっ!」
マツリが、すっ……と。札束を机に置いた。
「え」
けっこう、ある。
日本円に換算すると、大企業サラリーマンの初任給くらいだろうか。
「やりましょう」
トウゴが快諾すると、マツリはほっとしたように顎を上げ、イチは何か言いたげに目を細めた。
そして喫茶店を出ると、マツリに案内されて問題の場所へ向かう。
このエリアは、結構緑が多い場所だ。
強い日差しの中を歩き、小川沿いに進む。
ぽつぽつと点在する木造の民家をいくつか過ぎると、鬱蒼と茂る森が見えて来た。
「……あそこです」
トウゴは汗だくになり、イチも気怠そうに顔をしかめながら森に入り、ようやくその場所に到着した。
岩の、洞窟だ。
その入口に、4mはある大きな岩が据えられていて、岩の前には供え物用の棚が設置されていた。
この感じ……日本にあるような祠か何かにも見えるが、これも先に転生していた『先輩』達が広めたことなのだろうか。
「何だァ? テメェ……また来たのか?」
急に、ドスの利いた女性の声が聞こえて、3人は視線を上げた。
まるで御神体のように据えられている、岩の上。
そこにいつの間にか、1人の女性……いや、人型の【忌不様】が座っていた。
特徴的なのは、顔の上半分を覆う、熊を模した仮面だ。
木製なのか金属製なのか、それとも皮膚や骨の一部なのか。
素材がよく分からないのが、また不気味である。
熊の面の【忌不様】はひらりと飛び降り、トウゴ達の前に着地した。
(で……デカイ)
身長は2mはあるだろうか。
腕が2本に、脚が2本の、人間と変わらない見た目だ。
しかしその背中や首筋からは、イチが右腕を開放するときに出る黒い霧が、じわりと発生していた。
目や鼻は仮面に隠れていて分からないが、少なくとも耳や口は人間の女性と同じである。
毛皮のようなデザインと質感の上着と腰巻きを身に着けていて、アスリートのように引き締まった腹部と、脚の肌が露出していた。
「く、クマさん……」
マツリは緊張した声で、【忌不様】をそう呼んだ。
「なぁ、オイ……2度とここに来るなって、言ったよなぁ?」
ドン、と。
クマと呼ばれた【忌不様】はマツリを威嚇するように、背負っていた巨大な棍棒を抜き、その先で地面を突いた。
「ええいやあのごめんなさい! ででででも」
「うるせえうるせえ! 人間如きが、このクマ様の領域に近づくんじゃねえ!」
ドン、ドン! と。クマは苛立った様子で、さらに棍棒で地面を叩く。
「ひいぃっ!?」
そのあまりの迫力に、マツリは頭を抱えてトウゴとイチの背後へ退がった。
どうやら、対峙して欲しい【忌不様】とは、この『クマ』と呼ばれた女性のようだ。
「あん? 何だァこいつら」
そうしてようやくトウゴとイチに気づいたらしく、クマは値踏みするようにこちらをジロジロと見た。
「パッとしねえ人間の男に、こっちは……はん! オレと同類かよ!」
そしてイチを見ると、少し驚いたように言った。
「テメエも、『儀式』を成功させたクチだな?」
「……」
クマの問いかけに、イチは無言を貫く。
「こんなデコボコな2人呼んできて、一体どういうつもりだガキィィ!」
「いゃあーっ! ごめんなさいごめんなさいごめんなさい!」
トウゴの背中に隠れるマツリは、肉食獣に追われた小動物のように、ぷるぷると震えている。
「(えーっとあのう、マツリさん。退治してほしい【忌不様】ってもしかして……?)」
「ちちちち違うんです! そうじゃないけど、でもそうであの……」
(違う、のか? でもメチャクチャビビってるし、この【忌不様】スゴク怖そうだし……どうしたものか)
ちらりとイチの方を見ると、やる気満々といった様子で右腕を回している。
「お、何だ同類。ヤル気か?」
クマも満更でもない様子で棍棒を構えるが、
「――む」
何かにピクリと反応し、背後の洞窟を振り返った。
「ちっ……ここまでか」
そして不服そうに呟くと、棍棒を背負い直した。
「……テキゼントーボー」
イチもつまらなそうに言うと、クマは口を『へ』の字に曲げた。
「ムカつくヤツだなァ! くっそ……覚えとけよ! 絶対また来いコラァ! でもテメエら人間は、来るんじゃねえ! 分かったな!」
そして豪快に踵を返すと、軽々と大岩を飛び越し、洞窟の奥へと姿を消してしまった。
「行っちゃった……何だったんだ」
「……」
トウゴとイチが、その姿を見送ると、
「こ、怖かったぁ……」
マツリが膝から崩れ落ちるように、地面に座り込んだ。
「あ、大丈夫ですか?」
イチにジトっと見られながら、立とうとするマツリに手を貸す。
「さっきの【忌不様】……つ、強そうでしたね。確か、『クマさん』って呼んでましたよね?」
「は、はい……クマさんは、私が小さい頃からずっと、ここに居ました」
そう話すマツリの顔は、微笑んでいた。
「私がまだ10歳の頃、友達と遊んでいたらこの森に迷い込んでしまって、そのときにスゴく怖い【忌不様】に襲われたんです」
「それが、あのクマさん?」
マツリは、首を横に振った。
「いいえ。私が遭遇したのは、蜘蛛のような【忌不様】でした。子供だった私は、まんまとその【忌不様】の『儀式』を成立させてしまい、食べられそうになっていたところを、あのクマさんに助けられたんです」
「え、あの狂暴そうな【忌不様】が?」
「はい。クマさんは怖くて、今も、怖いのは変わらなくて、私もすぐに逃げたくなっちゃうんですけど……あの人は私のせいで、ここから動けなくなってしまったんです――だから……」
俯きながら喋っていたマツリは、すっと顔を上げた。
「……クマさんを、ここから解放してあげたいんです」
前髪の間から覗く瞳は、まっすぐにトウゴを見据えていた。




