第15話 アウト? セーフ?
先輩の2人が木剣でボコスカ人面魚を袋叩きにしている様を、トウゴとイチは呆然として眺める。
とても、容赦がない。
硬そうな鱗が剥がれるほどに、ボッコボコ殴っている。
『殺……サ……ス……スミマセン』
やがて、殺気に溢れていた人面魚の呟きが、半ベソで許しを乞うような様子になった。
「うわぁ……ボコボコにされた人面魚が謝ってるよ」
「……ダサギョ」
すると、フライが素早く駆け寄って人面魚の口から釣針を外し、
「よーし改心させたぞ! リリースだ!」
げしっと、人面魚を湖へと蹴り飛ばした。
そして3人は、ひと仕事終えたかのように額の汗を拭い、水筒を開けて水を飲み出した。
「……」
「……」
「ね、簡単でしょ?」
口を半開きにしたまま立ち尽くすトウゴとイチに、リールアーは屈託のない笑顔で親指を立てた。
そうしてトウゴ達3人は、自分達の持ち場である桟橋へ移動する。
手渡された木剣をまじまじと眺めて、トウゴはイチと顔を見合わせた。
「あの、リールアーさん……あの人面魚って、もしかして【忌不様】……ですか?」
「その通り!」
リールアーは、餌の準備をしながら答える。
「この湖にはさっき見た通り、あの人面魚の【忌不様】が何匹も住み着いていてね! 放っておくとどんどん調子に乗って、最終的には人間引き摺り込んで食べちゃうようになるから、年に一度、ああしてボコボコにして懲らしめてるんだ!」
「な、なるほど……『放って置かれる』のが儀式で、『人を食べる』のが願望かぁ」
「お、詳しいね! トウゴくんとイチちゃんは、色々と遭遇してきたクチかな?」
「え、ええ、まあ」
「……」
リールアーは釣針に餌をつけ終えると、長く太い竿を肩に担いだ。
「さてと、それじゃあそろそろ、私達も始めようか。仕事は簡単。私が釣り上げた人面魚の【忌不様】をとにかくその棒でボコボコにぶっ叩く! そんでソイツが反省し始めたら私が針を外して、湖に蹴ってリリースするからね」
「わ、分かりました」
「……たべていい?」
「(ダメ! ダメだよイチさんっ! 人前で、【忌不様】食べちゃう『あの腕』出したら、大騒ぎになるよっ?)」
「……もむん」
そうこうしているうちに、リールアーの竿が、ぐぐぐっとしなった。
「おっ? おおっ! 今日は掛かるの早いな! むしろ何か、自分から向かってきてるみたいだよっ?」
それはたぶんトウゴに掛けられた呪いと、S級【忌不様】であるイチに引き寄せられているのだと思うが、もちろん黙っておく。
「いよーし釣れた!」
ざばー、と。先ほど見たよりも大きい人面魚が湖面から姿を現し、桟橋に叩きつけられた。
「それー! ぶっ叩けー!」
「よーし! 行くよイチさん!」
と、トウゴが木剣を構えて突撃しようとしたとき。
「……あれ?」
たった今釣り上げられたはずの人面魚の姿が、忽然と消えていた。
そして、その跡には、薄ピンク色の液体がほんのりと残っている。
湖の水で薄められた血のように見えるのは、気のせいだろうか。
「あれーっ? 針外して、逃げちゃったか! まあ良くあることだから気にしないで! よーし、どんどん釣っちゃうからねえ!」
振り向いたリールアーがはそう言うと、湖に向き直って再び竿を振った。
しかしトウゴは、もしやと思いイチの方を見ると、
「……」
ぷい、と。視線を逸らされた。
「(イチさん……食べた?)」
トウゴが声を殺して訊くと、
「……」
むすっと目を細める。
「(食べたね? その反応、食べたね? ……でもどうやったの? 確かあの大きな腕出したり引っ込めたりするの、結構時間かかった筈だけど)」
湖面の方を向いているリールアーに聞こえないように、声を殺して訊くと、イチはぼそりと、
「……あれは、ぱわーたいぷ」
そう言った。
「ぱ、パワータイプ? ってことは、あの腕には別の形態が……?」
「また釣れたーっ! それーっ!」
再び竿がしなり、新たな人面魚が宙を舞う。
その瞬間。
「……」
イチの右腕が、ニュルリと。
まるで鞭のようにしなり、目にも止まらぬ速さで伸びた。
そしてバチン! と衝突した瞬間、再び人面魚が消えた。
まるで掃除機のコードを巻き取るように元に戻ったイチの腕は、いつの間にか黒い獣毛が生えていて、先端には8つ目の狐か狼のような顔面が顕現していた。
獣はイチの肘辺りまで裂けた長い口で魚肉をくちゃくちゃと咀嚼し、鱗の破片をプッと吐き出した。
その姿は、これまでに何度か見た【忌不様】としてのイチの姿だが、ひとつ違うのは、
(……何かいつもと比べて、すごく細い?)
普段はかなり肥大化するはずが、この腕は、人間体としてのイチと同じくらいの太さしかない。
「い、イチさん……これ」
「……すぴーど、たいぷ」
「す、スピードタイプ!? ま、まさかそんな形態もあったとは……てかその力解放しちゃうくらい、食べたかったんだね……」
「もむん」
イチは満足そうに、元の人間体に戻った右腕をさする。
「し、しかしどうしよう……ボコボコにするはずの【忌不様】食べちゃったけど……」
トウゴがおろおろしていると、
「えっ? あれっ? また逃げられちゃった? 水音とか聞こえなかったんだけどなぁ」
リールアーが不思議そうに言いながらキャップを脱いで汗を拭い、額をぽりぽりと掻いた。
「えーと、リールアーさん……つかぬことをお訊きしますが」
「ん? どうしたの、トウゴくん」
「もしも……もしもなんですけど、この湖の【忌不様】が何匹か居なくなっちゃったとしたら、困ることってあったりします? あんなんだけど、実は守り神も兼ねている……とか」
ごくりと。緊張して唾を飲み込む。
彼女の回答によっては、取り返しのつかない事態になるが……
「あーナイナイ! そんなことは無いよ! ただの害獣みたいなものだし、この仕事の人件費だって、毎年都市からせびるの大変なんだから! 本当は全滅させたいくらいだよ〜」
朗らかな否定に、ほっと胸を撫で下ろした。
「まあでも私達みたいな普通の人間じゃ、【忌不様】を殺すなんてことできないからね。だからこうして、儀式成立前を見計らってボコボコにするくらいしかできないんだよねえ」
「あー、あははは。そうですよね〜……」
ここに、低級【忌不様】なんか一瞬で丸呑みしてしまう少女が居るのだが。
「(イチさん、これは、あれだ……バレなければ、食べても……セーフだ)」
「……」
イチが目を見開いて、鼻をひくひくとさせた。
これは、静かに喜んでいる時の顔だ。
(最近『ダメ』ってばっかり言ってたからなぁ。嬉しいんだな、イチさん)
「まーた掛かったぁ! いくよー!」
リールアーがそう言って、新たな人面魚が宙を舞う。
イチは鼻息荒く、右腕を掲げる。
そうして日が暮れる頃には、湖の人面魚のほとんどをイチが平らげていた。
その腕の動きは弾丸よりも速くて肉眼では捉えきれず、リールアーや、他の桟橋に居たバイト仲間の目には『釣り上げた人面魚が忽然と消滅する』という怪現象として映ったらしい。
「こんなことは、初めてだ!」
と皆がざわついたが、結果的に湖を泳ぐ人面魚の【忌不様】の数が激減したことが目視やレーダーでも確認されたので、ほぼ全員が喜び、その日は盛大な打ち上げが行われた。
さすがは、この都市の住民達だ。理解不能な現象を目の当たりにすることには慣れているらしい。
今年来た新人がラッキー現象を呼んだ、ということで、トウゴとイチには料理を沢山勧められ、イチは右腕の口であれだけ食べたにもかかわらず、綺麗に盛られた魚の刺身を幸せそうにドカ食いしたのだった。




