第13話 マナーは大事
12時の角砂糖タイムも忘れずにクリアしたトウゴは、至極困っていた。
(う……ど、どうしよう)
ソワソワと、卓上の時計を見る。
午後12時34分。
時間的には余裕があるが、
(すごく……トイレに行きたい)
すぐ隣に【忌不様】がずっと居る緊張もあってか、お腹が痛いのだ。
(でもなぁ。さすがにイチさんと、この【忌不様】を残して、トイレになんか行けないよな。どう急いでも5分はかかるし……その間に、イチさんはきっと、やらかす!)
イチの性格は痛いほど分かっているので、こんな状況で目を離すワケにはいかない。
しかし、
(うぅ……)
ぎゅるるると、腸が嫌な音を立てる。
トウゴが腹を押さえていると、
ぐうぅ~、と。
右隣のイチも、腹を押さえていた。
「…………いっち」
こちらは腹が痛いというより、腹が減ったという感じだろう。
「イチさん……お腹空いたの?」
こくりと、首肯される。
「確かに、もうお昼だもんね……昼休憩、したいところだけど、店員おれ達しか居ないしなぁ」
「……キャクも、ゼロ」
イチがジト目で言う。
「う、うん……結局、午前中は一人もお客さん来なかったよね。なんか外の駐車場で、酔っ払いのおじさんが座り込んでるくらいで……てかあの人、昼間からなにやってるんだ」
そう考えると、そこまで真面目に店番をすることもないのかもしれない。
「シュガナさんも、基本的には厳しいルールとかは無いって言ってたし……お昼、店番しながら食べちゃおうか?」
「うん」
というか、それしか思いつかなかった。
イチと交代で休憩室へ戻って昼食をとるという選択もあるが、このカウンターにイチだけ長時間残すのは避けたいし、トウゴもこの細長い【忌不様】と2人きりで店番をすることは断固拒否したい。
「そ、それじゃあ30秒だけ、ロッカー室からおれのリュック持ってくるから、大人しく待っててね?」
そうしてトウゴは痛む腹を何とか押さえ付けながらダッシュで自分のリュックを取りに行き、カウンターに戻って来た。その時間、宣言通りの30秒である。
「……いっち」
さすがのイチも30秒くらいならじっとしていられるらしく、カウンターや店内は無事だった。
「はぁ……はぁ……はいこれ、イチさんの分。サンドイッチ20個ね」
どさどさっと、ビニール包装されたサンドイッチを、カウンターの上に置いた。
低収入のフリーター生活にも関わらずこれだけの量をポンと買えるのは、この事故物件のような都市の安すぎる物価のおかげである。
イチはいつもより目を見開いて、鼻孔をぷくっと広げた。
(よし。これからイチさんは食事に夢中になって、他に何かをやらかす確率が低くなるはずだ)
トウゴは額に脂汗を掻きながら、考える。
(時間も、まだ大丈夫。お客さんが来る気配もない……いける、いけるぞ)
腹の痛みも、限界だ。
トウゴは真っ青な顔で前屈みになりながら、
「い、イチさん、ちょっとごめん。おれ、トイレ行ってくるね」
「もむん」
既に包みのひとつを開けてサンドイッチに齧りついていたイチは、興味なさげに空返事をする。
(大丈夫、だよな? いやもうそんなこと考えている余裕が無い……うぅ、トイレトイレ)
次々とサンドイッチを頬張るイチと、立ったまま微動だにしない細長い【忌不様】の背中を不安気に見ながら、しかしもはや限界ギリギリのトウゴは、急いで店奥のトイレへと向かった。
「……」
その時点で、イチが既に20個全て食べ終えて、物足りなさそうにキョロキョロしていたことには気づかなかった。
そして、約15分後。
ようやくトイレから出て手を洗ったトウゴは、まだほんのり疼く腹をさすりながら、早足でカウンターへと向かう。
「思ったより、時間がかかってしまったぞ……もうすぐ13時か。急がなきゃ」
想像以上に粘る腹痛であったため、なかなかトイレから離れることができなかったのだ。
嫌な予感がしなくもないが、きっと気のせいだろう。
30秒は我慢できたイチだ。きっと15分くらいなら、大丈夫な……はず。
トウゴはいそいそと仄暗く短い廊下を渡り、店内へ続くドアを開けると、
「イチさん、お待た――――」
モゴモゴと。
「――――せ?」
イチが、1個5cm四方もある角砂糖を何個も、口一杯に頬張っていたのだ。
まるでハムスターのように両頬を膨らませて、じゅるじゅる舐めては飲み込んでいる。
「もむもむ」
その左腕には、カウンター下に置いていたはずの大瓶が抱えられていた。
中身は……あと1個しかない。
ほっそりとした右手には、唾液と溶けた砂糖がべっとりと付いていた。
そしてカウンター上の置時計は、12時58分を示している。
イチが右手を瓶に突っ込んで、最後の1個を掴み取り、口へ放り込んだ。
そこでようやくトウゴは状況を理解して、猛烈に焦った。
「ダメダメダメダメ! イチさんそれ食べちゃダメ!」
がばっとイチの肩を掴み、ゆらゆらと揺さぶる。
「むぉ……おぉ?」
イチは突然揺さぶられたことに驚きつつも、モゴモゴと口を動かし続ける。
「それ! その口の中のやつ! ぺってして! ぺって!」
「……??」
凄まじい形相のトウゴに圧倒されたのか、イチは珍しく困惑した表情を浮かべた。
そして、観念したようにモゴモゴするのを止めて、
「ぷぇ」
口に含んでいた大きな角砂糖を、カウンターの上に吐き出した。
「よし! いい子!」
しかし、
「……って、べちょべちょ!」
砂糖は、イチの唾液で半分以上溶けていた。
「え、こんなの供えたらむしろ、怒り狂うんじゃないのこの【忌不様】」
トウゴは呆然と、机上の惨状を眺める。
「しかしあと1分で13時か……うぅ、どうする……確かにこれべちょべちょだけど、イチさん美人だし、この【忌不様】の性癖によってはむしろ喜ばれるという可能性も……ぃよし!」
決心して、トウゴはイチの唾液でべちょべちょの角砂糖を、すすっと【忌不様】の前に滑らせた。
それとほぼ同時に、時計が13時ちょうどを示す。
「ど、どうだ?」
ごくりと、固唾をのむ。
細長い【忌不様】は首を動かさずに、大きな目だけをカンター上に向けた。
『……』
2度、3度、瞬きをする。
そして恐る恐る、といった様子で、触手のように長い右手を伸ばした。
震える手でソレを掴むと、持ち上げて、
――――口の中へ、放り込んだ。
べちょべちょの角砂糖を、食べた。
【忌不様】は、その味を記憶に刻むように丹念に口をモゴモゴさせると、
『モフゥゥゥ』
今までで一番満足そうに、吐息した。
「せ、セーフか」
トウゴも、ほっと息をつく。
「てか、ちよっと顔赤くないか?」
なんとなく、【忌不様】の真っ黒で細長い頭部の頬辺りが、ぽっと上気しているようにも見えた。
「ぉー」
イチも目つきの悪い顔で、【忌不様】の赤くなった顔をジロジロと見上げる。
『モォ、フ』
すると【忌不様】は触手か蔓のような両腕で自分の顔を覆い、イチの視線を遮るような仕草を見せた。
「えーっとこれは、イチさんに見られるのを、恥ずかしがっている?」
「……?」
まあイチはS級の最強【忌不様】だし、人間として見ても美人だし、同じ【忌不様】から惚れられることもあるだろう。
「むぅ」
しかしちょっと、気に入らない。
自分の娘を狙っている男子の存在を知った父親というのは、こんな気持ちなのだろうか。
「ちょ、ちょっとキミ! 惚れるのは勝手だけど、イチさんにヘンなことしたら、許さないからね?」
気づくとトウゴは、【忌不様】に向かってそんなことを言っていた。
(……あ、しまった。つい、カッとなってしまった!)
言ってから、凄まじく後悔する。
相手は【忌不様】だ。どんな些細な事で凶行に走るか、分かったものではない。
トウゴは顔を引き攣らせて、おずおずと【忌不様】の反応を窺うと、
『……モ、フ……ゥ』
普通に、落ち込んでいた。
しょんぼりと項垂れて、いじいじと細長い両手を動かしている。
(あれ、意外とこの【忌不様】、チョロいのか?)
今まで凶悪な【忌不様】にばかり遭遇してきたせいで、少し偏見を持っていたのかもしれない。
今回の相手なら、割と仲良くできそうな気がしてきた。
そんな希望を抱き始めていたとき、
「おおぃてめぇらぁ! さっきから、2人でぬわぁにをイチャイチャとやってんだぁ……!」
店内に突然、怒号が響いた。
酔っ払いの、おじさんだ。
店の前の駐車場でずっと一升瓶片手に飲んだくれていたおじさんが、今のトウゴ達の騒動に引き寄せられるように、店内へ突入してきたのだ。
おじさんの目には、やはりトウゴとイチの姿しか映っていないらしい。
若い男女が仕事中にイチャイチャしているように見えて、カチンと来たのだろうか。
「だいたいなんだぁ? えぇ? 砂糖屋なんてょぉ……クソみてぇな商売……ひっく……しやがってよぉ……」
「あ、ちょっとお客さん。落ち着いてください。ね?」
まあ、コンビニでバイトしていたときも、この程度の厄介な客はいくらでもいた。
トウゴは少し懐かしさを覚えながら、おじさんに優しく声を掛ける。
「っせえ! 偉そうっにぃ……」
しかしおじさんは相当酔っているらしく、商品が並べられている棚に近づくと、
「あ、ちょっとダメですって!」
売り物の砂糖が入った瓶を手に取り、
「っ、らぁ!」
床に叩き付けて、割ってしまった。
「……あー。やっちゃった……この店、保険とか入ってるのかなぁ」
トウゴはあくまで冷静に、嘆いた。
こんな事態もまあ未経験というわけではないし、【忌不様】関係のトラブルと比べれば天国のようなものだ。
「へっ、へへへっ! ざまーみろぉ! こんなもん! こんなもん!」
調子に乗ったおじさんは、なおも暴れ続ける。
「警察呼ぶか……固定電話は、店の奥だったかな」
トウゴがのんびり踵を返そうとすると、
『……』
のそりと、
細長い【忌不様】が、蔓のような両腕を伸ばした。
『モフ』
腕は、5メートル先のおじさんにまで余裕で届き、その身体にぐるぐると巻き付いた。
「――――え、えぇ? 何だぁ? こりゃ何が」
まだ【忌不様】が見えていないおじさんは、突然の違和感に不安気な表情を見せる。
『モォフ』
【忌不様】が、腕をこねくり回し始めた。
ぐりぐりぐり。
「え? 何だ? 熱い。何だ? おい? 何か、身体が。おい」
ぐりぐりぐりぐりぐりぐりぐり。
その速度は増し、まるで高速震動する糸のように、高音を発しながらおじさんをこねくる。
「痛っ! 痛い痛い痛いイタイ! 痛いああああぁあああああああぁあああ!」
悲鳴を上げるおじさんの身体から、何かが、パラパラと落ち始めた。
白い、粉だ。
正確には、白い粉が5cm四方の直方体に固まった、何か。
それらは、まるでおじさんの身体から搾り取られるように、ゴロゴロと生成されていく。
やがて悲鳴が聞こえなくなり、高速で擦られる触手の腕の中で、おじさんの姿はすり減り、
完全に、消えた。
その跡には、5cm四方の角砂糖が大量に積み上がっていた。
「え……あ、あれって……」
「……」
【忌不様】の触手が、それらを一度に拾い上げ、引き寄せる。
そして、蓋の開いていた大瓶へ。
ボトボトボトボト、と。
新しい角砂糖を、補充した。
「お、おじさんが……ってことはつまり、このお店にある角砂糖って……」
「……」
トウゴとイチは、顔を見合わせる。
『……モフッ』
そして細長い【忌不様】は、満足そうに大きな目を湾曲させた。
それからはイチが角砂糖をつまみ食いしなくなり、そのおかげで、店主のシュガナが旅行から帰ってくるまでの1週間、無事に角砂糖タイムを守り続けることができた。
本当のところは、商品や『お供え』に使っていた角砂糖は、ほとんどが普通のものだったらしい。
『何でもいいから営業時間中は毎時間、角砂糖を供えてもらう』というのが『儀式』で、『この店を守る』というのがこの【忌不様】の『願望』なのだそうだ。
いわゆる『守り神』的な役割を自ら買って出ていた【忌不様】は、シュガナが帰って来るなり触手の腕をぱたぱたさせて喜んでいたので、トウゴとイチは彼女と入れ替わるように、そそくさと店を辞めたのだった。




