第12話 時間のチェックを忘れずに
トウゴとイチは、甘い香りでむせ返る店内に居た。
広さは約50坪で、普通のコンビニと同じくらいだ。
店入口のすぐ横には広いカウンターがあり、レジが2つ。
店内には高さ170cmくらいの棚が3列配置され、それぞれにはズラリと多様な色と大きさの瓶が並んでいた。
それらの瓶にはぎっしりと、白い角砂糖が詰まっている。
店の看板には、ファンシーな字体のイユタリス語で『シュガナ砂糖店』と書かれていた。
「ねえ、イチさん」
「……」
私服の上に、白地に金の花の刺繍がされたエプロンを着けたトウゴは、右隣で同じくセーラー服の上にエプロンを着けたイチに、顔を向ける。
――そうすることで、反対側――――自分の左横に居るモノを、なるべく見ないようにしていた。
「アレさ……ほんとに、襲ってこないのかなぁ?」
「……なぞ」
イチはジト目でトウゴを見つめ返し、頭を横に傾ける。
「謎かぁー」
「……」
がくりと頭を抱えて落ち込むトウゴの背中を、イチは無言でスリスリとさすった。
「……ありがとうイチさん――――あ、もうすぐ11時だ。やばいやばい」
カウンターに置かれた時計を見てハッとしたトウゴはブツブツ呟きながら、カウンター下に屈み込む。
そこには、高さ80cm、直径50cmの大きなガラス製の瓶が置かれていた。
車のハンドルより大きい金属製の蓋を両手で力いっぱい回して開けると、瓶に詰まった大量の角砂糖が姿を現した。
トウゴはその中のひとつを適当につまむと、左横のカウンターへ、そっと置く。
角砂糖も5cm四方はあり、けっこうデカい。
「……」
トウゴは緊張しながら、ちらりと左横を見る。
――ソレは、凄まじい存在感を放ちながら立っていた。
体長2mはある。二足歩行の、細長い身体。
肌はカラスのように黒い羽毛に覆われており、身長と同じ長さの両腕は、枯れ木から伸びた蔓のようにだらりと垂れていた。
その頭部は鋭角で、首と同じ太さしかない。
そこには、大きな目玉がひとつ。鳥のクチバシのような口がひとつ。
――――明らかに、この都市に数えきれないほど住む怪異……【忌不様】だ。
その【忌不様】は、数秒ごとにバチンバチンと瞬きする目でカウンターに置かれた角砂糖を見つめて、蔓のような腕を伸ばした。
しゅるしゅると角砂糖に巻き付き、持ち上げて、上下に開いたクチバシに放り込んで、口の中でころころと転がして、溶けた甘い液を飲み込んで、
『――モフゥ』
満足そうに吐息した。
それを横目で確認して、トウゴはほっと胸を撫で下ろす。
「よ、良かった」
「……」
イチから、ぽんぽんと背中を叩かれる。
「しかし……こんなお洒落な感じの店で、こんな目に遭うとは……」
トウゴはイチに感謝の視線を向けつつ、再び頭を抱えた。
――約2時間前。
書類も面接もナシで問答無用でバイトに受かったトウゴとイチは、『シュガナ砂糖店』へ本日初出勤した。
出迎えてくれたのは、1人の若い女性だった。
「やー、キミ達が新しいバイトかな!? 助かるよぉ。ずっと私一人だったからさ、これでようやく、念願の休暇がとれる……」
歳は20代後半くらいだろうか。
ベージュ色のショートヘアで、丸いメガネを掛けて、角砂糖を模したイヤリングを両耳に着けていた。
顔はけっこう美人だと思うが、少し疲れた目をしている。
身長は150cm程度で、体型はやや痩せ型。
「えっと……店主の方、ですか?」
「ああごめんごめん! そうだよ。私はシュガナ。この店の主人!」
「シュガナさん……おれはトウゴ。こっちはイチさんです。よろしくお願いします……ほらイチさん、頭下げて?」
「……」
「カタイカタイ! いーよそんなに畏まらなくて! ウチは、そんなキビシー規則とか殆ど無いからさ!」
シュガナは快活に笑いながら、ブンブンと両手を振った。
「仕事は簡単。このエプロン着けて、レジに立って、お客さんが持ってきた商品の値札見て、合計を電卓で計算してお金受け取るだけ! バーコードとか無くて申し訳ないけど、そんなにお客さん殺到するようなことは無いから、きっと大丈夫!」
「分かり……ました……それにしてもここ、砂糖の……専門店なんですか?」
「そーだよ。珍しい?」
「いや……まあ、おれが前住んでた商店街にも、渋い砂糖専門店とかあったんで……でもここ、さっき見た感じ、瓶詰の角砂糖しか無かったような」
トウゴの知っている専門店は、粉状や液状のものなんかも沢山取り揃えられていた。
「まあウチはちょっと……アレしか売れない事情があってねぇ」
シュガナは、視線を泳がせる。
「……?」
「えーっとね。さっき、厳しい規則は殆ど無いって言ったけど……ひとつだけ、絶対に守って欲しいルールがあるんだ」
それまで明るい調子で喋っていたシュガナが、急に真剣な表情になった。
とても、嫌な予感がする。
「レジカウンターの下に、角砂糖が詰まった大きな瓶があるから、そこから必ず、1時間ごとに1個、角砂糖をカウンターの上に置いてね。営業開始の朝10時から、店を閉める19時まで、必ず忘れないように……」
「え、カウンターに、角砂糖を……? それってどういう……」
「見たら、分かるから……ね? 絶対、忘れちゃダメだからね。10時と11時と12時と13時と……って調子で、19時まで。それぞれ、遅れたらダメだけど、早めに置くのなら5分前くらいからなら、大丈夫だから」
「な、何が、大丈夫なんですかっ!?」
「まあまあ! それよりほら、エプロン着て! 30分後に開店だから、今のうちにトイレとか行っといてね!」
強引に話を切られて、トウゴは仕方なしにトイレへと赴いた。
そうして諸々の準備を済ませて休憩室に戻って来たトウゴとイチの前に、完全に外出用の薄手の上着を着て、旅行用の鞄を持ったシュガナが現れた。
「シュガナさん……その恰好……」
「とりあえず1週間、仕事任せたよ!」
「え」
「私、この店開いてからずっと、1日も休めなかったからさ! ……旅行とか、行きたかったんだよね!」
「え、ちょっ、おれ達、今日来たばっかりなんですけど――」
「大丈夫大丈夫! キミ達がレジのお金盗ったり、お店乗っ取っちゃうような心配はしてないから! ……というか、絶対できないから!」
「な、それってどういう――」
「さっき教えた、絶対守らなきゃいけないルール、覚えてるよね?」
「……1時間ごとに1個、角砂糖をカウンターの上に置く……ですよね?」
「その通り。それさえ守ってくれれば、基本ラクな仕事だからね! 大丈夫だから! 大丈夫……たぶん」
「今、たぶんって言いませんでした!?」
「言ってないよ!? ……言ったけど……そそそれじゃあ、もうすぐ10時だから! この時間分の角砂糖は私が置いておくから、11時から、絶対に忘れないでね!? じゃあ、ま、また1週間後に、ね!」
そうしてシュガナは、逃げるように店を飛び出して行ってしまった。
「えぇぇ……」
途方に暮れるトウゴだが、
「……行くしか、ないか」
横でつまらなそうに突っ立っているイチを見て、勇気を奮い立たせた。
そうして店内へ足を踏み入れたトウゴは、カウンターの端に立つ【忌不様】と、遭遇したのである。
――現在。
『モフゥ』
満足そうな【忌不様】を横目に、トウゴはイチに耳打ちする。
「ねえイチさん、おれ達が朝来た時には、あの【忌不様】居なかったよね?」
耳にかかるトウゴの息がくすぐったかったのか、イチは目を細めてぶるるっと身体を震わせてから、
「…………さいしょから、いた」
さも当たり前のことのように、言った。
「え? 居たの!? あんなデカイのが?」
こくり、とイチが頷く。
「……ふつーじんには、見えない」
「ふつーじん……ええと、一般人ってことかな? ……ってことは、あの細長い【忌不様】は最初からこのカウンターに居て、今おれが見ることができているのは……おれが、ここの店員になったから……?」
「たぶん」
「あぁー……ヤラレタ……お洒落な感じのお店だったから、今度こそ【忌不様】とか出てこないステキなバイト生活になると思ったのに……」
「……どん、まい?」
しくしくと悲しむトウゴを、イチが雑に慰めてくれる。
「しかしもう11時過ぎか……お昼休憩とか、どうすればいいんだろう」
ぐぅぅ~、と、イチの腹が鳴った。
お昼の話をした瞬間に腹が鳴るとは、さすがである。
「……いっち」
「ちゃんとコンビニで買ったサンドイッチ持ってきたけど……まだだからね?」
「……」
釘を刺すと、イチは抗議したそうな目でトウゴを見て、
「……」
カウンター下の、大瓶に入った角砂糖を見た。
「ダメだからね!?」
「……」
ヨダレを垂らしていた。
――――そして、さらに1時間後。




