第11話 ツバをつけとけば治る
針には、蛇のような目が3つ縦に並び、人間のような口が1つ付いていた。
「ひぃ!?」
トウゴは思わず、それを取り落とす。
怪我していた指で触った針には、血が少し付着していた。
台に落ちた1本の針はペリペリと、まるで棒チーズのように縦に裂け始めて、
『『うまうま』』
2本に、増えた。
トウゴの血を吸って、分裂したのだ。
「ここここれって」
慌ててイチの作業台を見ると、
『うまうまうまうまうまうまうまうまうまうまうまうまうまうま』
1つだけだったはずの針の山が、すでに2つになっていた。
うまうま言う針の声も、もはやうるさいほどに聞こえる。
「――――【忌不様】だっ!」
トウゴは頭を抱えた。
「血を吸うのが『儀式』で、分裂するのが『欲望』ってこと!? あわわわわ」
そうしている間にも、うまうま言う針はどんどん増殖していく。
「そそそそソイングさん! 大変! 大変ですよっ! 」
トウゴは奥へと続くドアを開けた。
ソファや冷蔵庫の置かれた、休憩室だ。
そこにソイングの姿は無く、トウゴはさらに奥へ続くドアを叩いた。
返事が無かったが、ドアを開ける。
「【忌不様】が! 沢山増え……て」
その20畳ほどの倉庫のような部屋に、ソイングは居た。
「ソイング……さん?」
「はははぁ……ほらぁ……久しぶりに、ボク以外の血だよぉ……美味しいかいぃ?」
先ほどトウゴから受け取った、血の付いたティッシュを床に撒きながら。
『うまうまうまうまうまうま』
「もうすぐ、いーっぱい飲ませてあげるからねぇ」
「――――ひっ」
「……あ、トウゴくん。丁度良い所に」
ソイングは、にこやかに笑うと、
「――こっちおいで?」
手招きした。
「お断り――」
トウゴは当然、踵を返して。
「――します!」
全力でダッシュした。
「ははぁはあぁはあぁはああははは! 遠慮するなよぉ!」
後ろから、ソイングの声が追いかけてくる。
「ギャーッ! イチさんイチさんイチさん! 逃げるよイチさん!」
休憩室を跳ぶように横切り、作業部屋へ飛び込む。
「イチさ――――のわぁ!」
するとそこは既に、針の海と化していた。
『うまうまうまうまうまうまうまうまうまうまうまうまうまうまうまうまうまうまうまうまうまうまうまうまうまうまうまうまうまうまうまうまうまうまうまうまうまうまうまうまうまうまうまうまうまうまうまうまうまうまうまうまうまうまうまうまうまうまうまうまうまうまうま』
「う……うまうま、うるさいっ……!」
「……おー」
イチは呑気に、片手を上げる。
「てか何でこんなに増えっ……いてててて足首!」
足元に溢れかえる針のせいで、チクチクと痛い。
裸足のイチなんかは、もっと血だらけだろう。
その血を吸って、余計に針の【忌不様】達は増殖する。
「――――はっ」
後ろに気配がして、トウゴは振り返る。
ソイングが、満面の笑みで立っていた。
「ひぃいっ!?」
しかしその視線はトウゴではなく、急激に増殖する針の海に向けられていた。
「――――す、素晴らしいっ! ボクのハリちゃん達がこんなにも増えて……! イチさんの血? イチさんの血かい!? キミの血が、こんなにも素晴らしい成果を――――へぶっ!?」
バチン! と。
トウゴのセンスもくそもない平手打ちがソイングの顔面にヒットし、ガリガリのソイングは尻餅をついた。
「いいいイチさんをそんな目で見るのは、許さないぞっ!」
震える手をゴシゴシとズボンに擦りながら、針の上を抜き足差し足で歩く。
「……」
足をブズブズ刺されながらも、ジト目でトウゴを見ているイチの前に、ようやく到着した。
「イチさん逃げよう! このままじゃここ、針だらけだ!」
「ん」
「イチさん裸足だから痛いでしょ? ほら、おれがおんぶするから――――」
そして背中を差し出すと、イチがトウゴの身体を肩に担いだ。
「――――ってえええええっ!?」
なんだか、デジャブだ。
イチの黒髪は相変わらず良い匂いで、そのスレンダーな身体は柔らかい。
ぐんっ、と。身体に慣性力がかかる。
イチが針の海を裸足でがっしりと踏み締め、凄まじい初速で駆け出したのだ。
「うおおおお速い速いちょ――――」
そしてイチは廊下へ続くドアを蹴破り、うまうま言いながら押し寄せる針の海を背に、地上へ繋がる階段を5段飛ばしで駆け上がる。
「あ、ははははぁはははあははぁ! 素晴らしいぃぃぃぃぃぃぃ!」
作業部屋から、狂喜乱舞するソイングの声が聞こえた。
出口の、光が見える。
イチが加速し、最後の段を踏んで地上へ飛び出した。
そのわずか1秒後。
ガシャ――――――――――――――――ン! と。
凄まじい破壊音が、まだ真昼の都市に響く。
階段を踏み切って20m以上も跳躍したイチは、トウゴを担いだままふわりと着地した。
「……ぉぉ」
そして、作業部屋があった建物の方を見て、何故か感嘆の声を上げた。
「た、助かったよイチさん……ん? 何を見て――――」
肩から下ろしてもらったトウゴも額の汗を拭い、ようやくイチの視線に気づいて、振り返った。
「――――うわぁ」
地下室があった2階建てのビルが、ガラガラと崩壊していた。
「ソイングさん……」
あの様子では、きっと助からないだろう。
「無我夢中で逃げてきちゃったけど……あの人も、もしかして【忌不様】に洗脳とかされてたのかな……?」
「……」
ぽん、とイチに肩を叩かれた。
珍しく、慰めてくれているのだろうか。
「い、イチさん……」
何だか少し、感動である。
トウゴが目を潤ませていると、
「……え」
重い地響きがした。
ゴゴゴゴゴ、と。
下から突き上げてくるような音がして、
ビルの瓦礫が、吹き飛んだ。
「――――わっ!?」
そしてその下から、何かがせり上がってくる。
『うま』
『うまうまうま』
『うまうまうまうまうまうまうまうまうまうまうまうまうまうまうまうまうまうまうまうまうまうまうまうまうまうまうまうまうまうまうまうまうまうまうまうまうまうまうまうまうまうまうまうまうまうまうまうまうまうまうまうまうまうまうまうまうまうまうまうまうまうまうまうまうまうまうまうまうまうまうまうま』
――――針の、山だ。
しかも、尋常ではない数の、針。
何億とか、何兆本どころじゃない。
途方もない数の、針の【忌不様】が積み重なり組み合わさり増殖して、ズズズズズとせり上がっていく。何がどう組まれているのかは知らないが、それは横よりも上方向へ。まるで円柱状の塔のように伸びていた。
そしてそれが約100mにまで達すると、ようやく成長を止めた。
都市に突然現れた巨大な針の塔を、道行く人たちが唖然として見上げる。
「あ……あれって、さっきの【忌不様】だよね?」
「……」
「イチさん……いつもみたいに右腕変身させたら、あれ、食べられる?」
「……さすがに、ちょっとむり」
「だよねえ」
トウゴとイチも呆然として、針の【忌不様】の塔を見上げる。
『――――っ晴らしいぃぃいいぃぃぃ』
そして、塔の中から、喜々として叫ぶ声が聞こえた。
トウゴとイチは、顔を見合わせる。
ソイングの、元気そうな声だ。
どうやら奇跡的に、生きていたようだ。
というか、あの【忌不様】があえて殺さなかったのかもしれない。
「生きてたか……良かった。ここでヒーローとかなら、助けに行くんだろうけど」
「……」
「おれ達、ただのバイトだもんね……」
「……」
「このこと、ケーサツに連絡だけして……今日は帰ろっか」
「うん」
そうしてトウゴとイチは、阿鼻叫喚の針の塔を背にして、家路に就くのだった。
「――あ、イチさん足やっぱり血だらけじゃん! 靴履かないからぁ~」
「……くつは、ヤ」
「嫌かあ……ん? てか血はついてるけど、傷はもう治ってるの!? 早くない?」
「ツバつけといたから、治った」
「え、あれ比喩とかじゃなくて本当だったの?」
「……」
イチは、いまだに血が滲むトウゴの指を見て、
「トーゴにも……ツバつける?」
ぬべっと、ピンク色の舌を出した。
「ぅぉ▽◆$%~~――――」
とても興味深い提案だが、ここで首を縦に振ってしまうと紳士としての何かを失ってしまいそうな気がしたので、トウゴは自分の欲望と数秒間戦って悶え苦しんだ挙句に、丁重にお断りした。
――――そして後日。
どういうワケか、ソイングから半日分のバイト代がきっちり振り込まれていたので、トウゴは今後のために、持ち歩き用の救急セットを購入したのだった。




