第10話 出血に注意せよ
私服のトウゴは、同じく私服(?)のセーラー服姿のイチと一緒に、地下へ続く階段を下りていた。
こつこつぺたぺたと、靴と裸足の足音が狭い空間で反響する。
劣化によって不定期に点滅する電灯に照らされた階段を最後まで下りて、短い廊下を進んだ突き当りに、木製の古いドアがあった。
「は、入りまーす……」
恐る恐るノックしてドアを開けると、
「やあ、トウゴくんに……イチさん。待っていたよぉ」
今回の雇い主である、ガリガリに痩せてメガネを掛けた男が、笑顔で出迎えてくれた。
薄い髪の毛はしっとりと湿っていて、歯はボロボロだ。
スラックスとワイシャツの上に白衣のようなものを着ているが、汚れがヒドすぎて、もはや『白』衣とは呼びたくないほどである。
「ど、どうも……ええと、ソイングさん?」
トウゴは、その男……ソイングから視線を切らないように頭を下げた。
この男が怪しすぎるということもあるが、その後ろに待ち構えている作業台と、作業する対象の『それ』の山を、あまり見たくないというのもあった。
「……はり」
しかしトウゴの横で憮然と突っ立っているイチは、『それ』の山を見てボソッと呟いた。
「そう! 針だよぉ!」
そしてそれを聞きつけたソイングのテンションが、急激に上がる。
……針。
そう、針である。
裁縫なんかで使う、金属製のアレだ。
それが、作業台に置かれた3つの箱の中に大量に詰められており、さらに上にはみ出して山のようになっていたのだ。
「やることは、簡単さぁ。ここにさ、ね? 針が、たくさん……あるだろぉ?」
「ありますね」
「……うむ」
「この針をね……1000本ずつに纏めて、こっちのカゴに移して欲しいんだぁ」
「えぇ……」
どうしてまたそんな意味不明なことを……とも思ったが、仕事なので黙っておく。
「あとこれは、絶対なんだけどぉ……キミ達、作業は必ず素手でやってねぇ?」
「えぇぇぇ……」
またまた意味不明だ。
こんなに大量のトガったものを素手で扱うなんて、どうかしている。
「絶対、素手だよぉ?」
ソイングが顔面距離10cmまで近づいてきて、トウゴに念を押した。
生臭い口臭がして、ギギギと顔を逸らす。
「わ、ワカリマシタ」
トウゴはソイングにバレないように息を止めながら返事をして、
「……クチクサ」
イチは露骨に自分の鼻をつまんでいた。
そうして、素手で針1000本を数えて纏めていくという、訳の分からないバイトが始まった。
作業部屋は20畳程で、高い天井では長い蛍光灯が光っている。
壁や床は何故か青いタイル張りで、部屋の隅には排水溝が設置されていた。
全体的にひんやりとしていて、どことなく病院のような臭いがする。
作業を始めたソイングは静かになり、黙々と手を動かし続けていた。
それを見てトウゴとイチも、仕方なく作業を開始する。
箱から溢れている針の山は照明を反射してギラリと光り、どこから手を付けて良いのか分からない。
まるであの『ブロックを慎重に引き抜いて崩した方が負け』のゲームをするかのように、トウゴはトガっていない方がこちらを向いている針を指でつまむと、慎重に引き抜いた。
ぷるぷると震える腕を水平に動かして、ようやく1本、作業台の上に置く。
これは、なかなかに神経を使う作業だ。
1時間ほどかけて1000本数え終わると、台の上に置かれた輪ゴムで纏めてカゴに置く。
「ふぅ……ようやく1組かぁ……しかし針1000本って、嘘つきの断罪セットでも売ってるのかな?」
トウゴがぼやくと、イチが首を傾げた。
「……だんざい?」
「ええと……おれの故郷に、嘘ついた人に針を1000本飲ます、って歌があって……今考えると凄い怖いなコレ」
「……おいしい?」
「いや、美味しいから飲ませてあげるって歌じゃないよ? 飲んじゃダメだよ?」
「……もむん」
イチは、少し残念そうに針を見つめる。
(まさか今……本当に飲もうとしてたのか、イチさん)
そんな雑談をしながら作業をしていると、
「――――よし、これで1000と7本目――――痛っ!?」
指に鋭い痛みが走った。
山から針を抜こうとする際に、指を刺してしまったのだ。
ぷっくりと赤い血が膨らみ、トウゴは慌てて手を引っ込めた。
「あー、やっぱりこうなるか……」
急いでポケットティッシュで拭いたが、それでも血が1滴、床に垂れてしまう。
「ソイングさんすみません、ちょっと血が床に落ちちゃって……」
「構わないよぉ。しかし大丈夫かい? 絆創膏、欲しい?」
「あ、貰えたら有難いです」
「よしきたぁ……ああ。そのティッシュも、ボクが捨てておいてあげるよぉ」
「え、良いんですか? おれの血付いちゃってるし、汚いですけど」
「大丈夫大丈夫。それじゃ、待っててねぇ」
そう言ってソイングは、奥の部屋へ歩いて行った。
(手袋とかはダメだけど、絆創膏は良いのか)
その背中を見送りながら、釈然としない気持ちになったが、
『 ま』
「えっ?」
急に声が聞こえて、トウゴは視線を戻した。
「イチさん。今、何か言った?」
「……」
イチは、首を横に振る。
「あれ、おかしいな。確かに今、どこからか……」
もう一度耳を澄ましてみるが、さっきの声は聞こえなかった。
「ぬ」
そしてトウゴが声を掛けたせいか、イチが不機嫌そうに唸った。
「あ、もしかしてイチさんも?」
「……血」
針によってぷっくりと出血した指を見せてくる。
「やっちゃったかぁ。ほら指貸して、ポケットティッシュがあるからこれで……あっ、また床に垂れちゃった」
トウゴがティッシュを出そうとしている間に、イチは自分の指をくわえた。
「……つばつけときゃ、治る」
「またそんな古典的な! ほら、ちゃんと水で流して消毒しないと……なんかおれ、お母さんみたいだな」
「……?」
『 ぅ ま』
「アーッ! また聞こえた! ね! 何か声聞こえたでしょ、イチさん!」
こくり。と、イチはまだ自分の指をちゅぱちゅぱ舐めながら、首肯する。
「何だ? ……床か……? いや、違うな」
血の落ちたタイル張りの床をじいっと見てみるが、異常はない。
トウゴとイチの血が落ちたから何かあると思ったが、そういうワケではなさそうだ。
となると……
「……あれ?」
作業台に視線を戻したトウゴは、首を傾げた。
「7、8、9……? おれ、こんなに針、抜いてたっけ」
台の上に並べられていた針が、心なしか増えているような気がした。
それに、
「……なんかイチさんの針の山……高くなってない?」
隣の、イチの木製の作業台の上に置かれた箱からはみ出ている山の標高に、違和感を覚える。
「むー」
イチがジトッと目を細めて、手を針山に伸ばした。
すると、
「ああっ! また刺さってる! 刺さってるよイチさん! なんで手を伸ばしたの!?」
ブスーッ、と。
イチの指が再び針の餌食となり、鮮血が針山に垂れた。
『 ぅま う ま ぅ ま 』
「ギャーッ!? なんかもう凄いハッキリと聞こえるんだけど!」
そしてその出所も、さすがに分かった。
台の上に置かれた、数えきれないほどの針。
「……」
トウゴは、その一本を恐る恐る手に取って、顔を近づけてよく見てると――
『うま』
針の側面に、目と口があった。




