第四ピリオド-9 修の答え
試合の翌日の日曜日。
修は自転車で風を切っていた。
時刻はそろそろ午後四時になろうとしている。
目的地に到着すると、少女がバスケットゴールに向かってシュートを撃っているのが見えた。
修は自転車を停め自転車から降りる。
少女はブレーキ音で修に気付き、朗かに微笑んだ。
「やぁ、昨日ぶり」
「うん、昨日ぶり。ごめん宮井さん、時間とらせちゃって」
「ううん、全然大丈夫! それに、私にとっても大事なことだから」
汐莉が指定したのは二人で特訓をした屋外コートだった。
確かにここなら静かに話せていい。
「座って話そっか」
汐莉の提案で、二人はベンチに座ることにした。
まず汐莉が座り、修は間に人一人座れるくらいのスペースを空けて座った。
「まずは……、昨日の試合、凄かったよ。まさか本当にやってのけるとは思わなかった」
「うん。ありがとう。自分で自分を褒めてあげたいくらいだよ」
汐莉は照れ臭そうに笑った。
それを見て修も自然と笑みが溢れる。
「一週間の間に相当練習したんじゃない? まぁ、それにしたって一週間で3Pをモノにしたのは凄まじいけど」
そう言うと汐莉はばつの悪そうな顔で頬をかりかりと人差し指で掻いた。
「実は……練習は確かにすごくしたんだけど、やっぱり一週間ではどうにもならなくて……。金曜の時点で10本撃って1本入るかどうかのレベルだったんだ」
汐莉の言葉に修は目を見開いて驚いた。
「じゃあ自信も根拠もなくあんな約束をしたのか?」
「うん。でも、それくらいのことじゃないと、永瀬くんの心は動かせないと思ったから。簡単にできないことをやらないと意味がないと思ったから」
(その通り、まんまと動かされたよ……)
修は俯いて小さく笑った。
「あの時は自分がどんなプレーをしたのかよく覚えてないんだけど、なんだかボールを持ってゴールを見たときに、ボールからゴールまでのシュートの軌道が光の条みたいに見えたってことだけははっきり覚えてるんだ」
「光の条?」
「うん。この条にボールを乗せたらシュートが入る、って確信できるような軌道で」
不思議なことを言っているが、それを聞いて修は一つの答えが思い浮かんだ。
「宮井さん、それってもしかしてゾーンに入ってたのかもしれないよ」
「ゾーン?」
「他のスポーツではわからないけど、バスケでは極限まで集中力が高まった時に相手の動きがスローで見えたり、撃つシュートが全部入ったりとか、常人では考えられないプレーを生み出すことがある。そんな状態のことを『ゾーンに入る』って言うんだ」
「『ゾーンに入る』、か。そうだったのかな……」
確かにあの時の汐莉の集中力は端から見ても凄まじかった。
自分のためにそれほど強い気持ちが入っていたのかと思うと、修は少しむず痒くなった。
「まぁ、なんであれ凄かった。本当に感動したよ……」
「そっか……。頑張ってよかったなぁ」
「それで……約束の件だけど……」
いよいよ本題だ。
昨日は帰宅してからずっとこのことについて考えていた。
修は覚悟を決めて汐莉を見据えた。
汐莉は不安と期待が入り交じったような表情で修を見つめ返す。
「宮井さんは、自分に課した条件をクリアした。なら俺の答えは決まってる」
修は力強く笑って言った。
「俺はプレイヤーとして復帰する。宮井さんとの約束を守るよ」
それが修の出した答えだ。
汐莉を見ていたら、過去の自分が本当に情けなくなった。
勝手に自分で諦めて、できないと思い込んで、自分で自分を苦しめていた。
だができると思えばできる。少なくともできないと思うよりかは余程建設的ではないか。
そう思うとだんだんと勇気だったり、希望だったり、明るい気持ちが湧いてきたのだ。
汐莉は修の言葉を聞いて、一瞬とても嬉しそうな顔をしたが、すぐに両手で顔を覆い俯いてしまった。
「宮井さん? どうしたの?」
驚いて声をかけると、汐莉は肩を震わせていたのでさらに驚いた。
「な、泣いてるの……?」
修はこういうときどうすればいいのかわからずにあたふたしてしまった。
「泣いて……泣いてない……」
明らかに嘘だ。声も掠れており鼻をすする音も聴こえる。
「ごめんね、大丈夫……。う、嬉しいだけだから」
修がプレイヤーとして復帰することが「嬉しい」と言ってくれている。
汐莉の優しさに見ている修まで泣きそうになってしまったが、なんとか押し留めた。
汐莉が落ち着くまで修は待つことにした。
数十秒経っただろうか。汐莉は大きな深呼吸をして顔をあげた。
「ごめんね。もう大丈夫」
汐莉は笑っていたが、その目は真っ赤に充血しうるうるときらめいていた。
汐莉の泣き顔は初めて見たが、修は不謹慎にも可愛いと思ってしまい、不自然に目を逸らしてしまった。
「あーあ、でももう永瀬くんとバスケはできなくなっちゃうんだね……」
「ん? どういうこと?」
寂しそうに呟く汐莉に修は首をかしげた。
「だって、栄城には男子バスケ部がないし……。転校しちゃうってことじゃないの?」
「ああ、そういうことか。転校しないよ。前も言ったと思うけど、リハビリを途中でやめちゃったからまだまだスポーツできる体じゃないんだ。
まずはリハビリ再開して筋力をつけないといけないし。それに、将来的にバスケ部のある学校に転校ってのも選択肢としてはあるかもしれないけど、とりあえずそれはまだ考えてないよ」
「そうなんだ……」
汐莉は安堵の表情を見せた。
そのことすらも修にとっては嬉しいことだ。
「それに、宮井さんとの約束は二つあっただろ? 俺は二つとも守る」
「二つ……それってもしかして!」
「ああ。筋力を取り戻す間は女バスにマネージャーとして入部する。宮井さんのサポートをさせて欲しい」
汐莉と出会ってからまだ1ヶ月も経っていないが、その間に汐莉から貰ったものはたくさんある。
汐莉に恩返しがしたい。修の心にはそんな強い想いがあった。
「やっ……」
「や?」
汐莉はまた肩を震わせていた。修は心配になり肩に手を伸ばそうとした。
「やった~!!」
すると汐莉が大きな声で叫びながら跳び上がった。
いきなりのことで修は面食らい固まってしまう。
「これからまだまだ永瀬くんと一緒にバスケができるんだね!!」
汐莉は満面の笑みで両手ガッツポーズだ。
「ああ。これから……これからもよろしく」
修が右手を差し出すと、汐莉もすぐに右手を重ねて握手をした。
お互い微笑み合いながら握ったその手はとても温かかった。
そしてどちらからともなく手を離す。
「さて……宮井さん、ボール借りてもいい?」
「どうぞ」
汐莉からボールを受け取り修は立ち上がった。
軽くドリブルをつきながらゴールに近付き、3Pラインから二歩程内側の位置で立ち止まる。
ゆっくり息を吐き、ゴールを見つめてシュートフォームを作る。
狙いを定め跳び上がり、シュートを撃った。
ボールはゴールに向かって真っ直ぐ飛んだ。
しかし、そのボールはリングに触れることなく手前で落下し、地面で高くバウンドしてしまった。
寂しく跳ねるボールを見つめて修は奥歯を噛み締めた。
二度目の怪我をした時以来のシュートだったが、ここまで酷くなっていたのか。
逃げ続けていた現実に直面してしまい。修は少し辛くなった。
「……これが今の俺の有り様。こんな俺がプレイヤーとして復帰するなんて、やっぱ無理かな……」
修は汐莉を振り返った。
「ううん、『できる』よ」
即答だった。
瞬間汐莉の方から修に向かって強い風が吹いた。
汐莉の言葉を乗せた風が、修の心を洗い流してくれているような気がした。
「ありがとう。やって見せるよ」
修は心から笑って見せた。
「宮井さん、シュート撃ってよ。宮井さんのシュートが見たい」
「え!? い、良いけど……。パス出してもらっていい?」
「もちろん」と修は頷いた。
汐莉が立ち上がり、「うわぁ、緊張するなぁ」などと呟きながらポジションまで移動する。
「いきます!」
「来い!」
汐莉が走り出し、ミートの姿勢をとった。
すかさず修は強めのチェストパスを出す。
右足、左足と着地し、ゴールに正対すると、真っ直ぐ真上に跳び上がる。
初めて見たときと同じくとても美しいフォームで放たれた汐莉のシュートは、ゴールに向かって高い軌道を描いた。
次話が第一章最終回です!