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第一ピリオド-3 宮井汐莉との出会い

 午前の授業も終わり、昼休みになった。

 クラスメイトたちのほとんどは各々個人で、あるいはグループで昼食をとっていた。


 修もいつものように平田と机をくっつけ、向かい合って弁当を食べる。

 もちろんこの弁当も明子が作ってくれたものである。


 平田の昼食はいつもバラバラで、コンビニの弁当だったり、購買のパンだったり、おにぎりを持参してきたりする。

 学食に行くこともあり、その時は修も一緒に行き学食で弁当を食べる。

 ちなみに今日はパンを食べていた。


 修は平田と他愛のないお喋りをしながら昼食を食べ進め、最後の一口を飲み込んだ後ふーっと息を吐いた。


「んじゃ、忘れ物をとりに行くかな」


 忘れ物とはペンケースのことだ。

 3限が移動教室だったのだが、そこの机の中に置いてきてしまったため、4限は平田に筆記用具を貸してもらっていた。


 修は平田にそれとなく一緒に行こうという意味も込めて呟いたのだが、平田の返答は修の期待とは違ったものだった。


「悪い、修。俺このあと先輩に呼ばれてるんだ」


 片目を瞑り、右手を立てて申し訳なさそうな顔を見せながら平田は言った。


「え、そうなのか……」

「そんなに残念そうな顔すんなよ~。さすがに俺も先輩の呼び出しは無視できねーよ」


 平田は修の方を見て、ニヤニヤした視線を向けてきた。


「バカ!そんな顔してねぇよ!」


 修は自分がそんな顔をしていたのかと恥ずかしくなって、慌てて取り繕うように叫んだ。


「さっさと殴られてこい」

「いや、ボコられに行くわけじゃねーからな!? 部活のミーティングに行くだけですからね!」


 気恥ずかしさを気取られまいと、修はツッコミを入れる平田をそそくさと後にした。


 自分の教室を出た修は、ペンケースのある3限を受けた教室へ向かって歩いた。目的地は西棟の2階北側だ。

 そこへ向かうルートはいくつかあるが、東棟1階を北側まで行き、階段を上って2階の渡り廊下を渡って行くルートを修は選んだ。


 2階の渡り廊下は屋内になっており、両サイドには等間隔に窓が配置されている。

 窓の間には掲示板があり、学校新聞や部活のポスター等がところ狭しと貼り付けられていてた。

 それらを横目に見ながら修はゆっくりと渡り廊下を歩いた。

 その時だった。


 ――――――ダン……ダン……


 何かが床に跳ねる音が修の耳に聴こえてきた。


 修はドキッとして足を止めた。

 何故なら修はこの音を知っていたからだ。

 中学までは毎日聴いていた、大好きだった音。

 音のする方を見てみるとその先には大きな建物があった。


(体育館……)


 2階の渡り廊下の中央には、体育館へ続く渡り廊下が垂直に接続されているのだ。

 栄城高校の体育館には1階の玄関とここ、2ヶ所の出入口がある。


(誰か遊んでるのか……?)


 修はごくりと唾を飲み込んだ。

 背筋にじっとりと汗がにじみ出てきたのを感じる。


 修は()()()から極力バスケに関する事柄から距離を置くようにしていた。


 特に同年代がバスケをしている姿など見てしまうと、たちまち気分が悪くなり、酷いときには嘔吐してしまうこともあった。

 怒り、悔しさ、苦しみ、嫉妬、羨望、絶望……。

 そういった負の感情が溢れて止まらなくなり、気が狂いそうになる。


(でも……)


 しかし修は体育館へ向かってゆっくりと歩を進める。

 バスケから距離を置いてかなりの時間が経ち、最近は心の状態も膝の状態もかなりよくなっていたので、修も少し余裕ができてきたのかもしれない。


(今ならもう大丈夫かも)


 何故かこの日はそんな風に感じた。

 ちょっと覗いてみるだけなら何も問題はないはずだ。

 修は自分の心に言い聞かせながら、開け放された体育館の扉をくぐった。


 そこで一旦足を止め、耳を澄ませてみた。

 ボールの跳ねる音が先程よりも大きく聴こえてくる。

 その音が止まった。そう思ったら少し間を空けてバスンッと乾いた音が続いた。


(間違いない……)


 ただボールが跳ねる音ならバレーやハンドボールでもあり得る。

 だが今の音はボールがゴールネットを通過した音だと修は確信した。


(誰かがシュートを撃ってる。しかもかなり良い音……)


 どうやら素人ではなさそうだ。

 上手いシューターの放つシュートは、ゴールリングに触れることなくネットを通過する。

 今の音は明らかにそういった音だった。


 心臓の鼓動がどんどんテンポをあげているのを感じた修は、再び唾を飲み込んだ。

 ただ音の主を確かめるだけなのに、何を緊張しているんだと自身を鼻で笑って鼓舞する。


 意を決してフロアの引き戸に手をかけ、ゆっくりと開いた。


 そこにいたのは制服姿の一人の女子生徒だった。


 そしてその子はゴールに対面して、膝を曲げボールを頭の上で構えて跳び上がった。


「!」


 修は目を奪われた。

 その空間だけ時がスローモーションになっているのではないかと錯覚する程、はっきりと目に焼き付く。


 そのシュートは一言で言えば「とても美しい」ものだった。

 膝の屈伸で下半身の力を流れるように上半身に伝導し、まっすぐ伸びた身体と、頭上から最適な角度で突き出した腕から放たれたボールは、それもまた美しい放物線を描きゴールへと吸い込まれていった。

 しかも驚くべき点はそこだけではなかった。


(ワンハンドシュート……!)


 右利きなら左手はボールを支えるために添えるだけで、右手のみでボールをコントロールして放つシュートだ。

 男子ならほぼこのシュートを使うが、女子は両手で撃つシュート(ボースハンドシュート)が一般的だ。


 最近はワンハンドで撃つ女子も増えてきたが、中学までしか知らない修にとって、ワンハンドでここまで美しいシュートを放つ女子は衝撃的だった。


 修はあまりの感動に身動きがとれなくなってしまった。

 そんなレベルのシュートを生で見たのは初めてだった。

 中学時代県選抜に選ばれたこともある修だったが、その時のチームメイトにもここまで美しいシュートを撃つ者はいなかった。


 呆然と立ち尽くす修はゴールに入ったボールをとりに行く女子生徒の後ろ姿をじっと見つめてしまう。

 口を半開きにしてぼーっとしている姿は相当間抜けであるが、修は自分がそんな顔になっているとはつゆ知らない。


 するとボールを拾った女子生徒がシュートを撃つ位置に戻ろうと振り返った。


(やば……!)


 そう思った時には既に遅く、二人はバッチリと目が合ってしまった。


「えっ!?」


 先に大きな声を上げたのは女子生徒の方で、驚いた表情で固まってしまう。

 当然だ。一人でシュートの練習をしていたと思っていたら、そんな自分を間抜け面で見つめる男がいたのだから。


 修はその女子生徒の顔をどこかで見たような気がしたが、今はそれどころではない。


「あ~えっと~その~!」


 修は何か上手い言葉で取り繕おうとしたが、動揺でまったく出てこなかった。

「綺麗なシュートですね」?

「怪しいものではありません。たまたま通りかかって」?

 瞬間的に色んな言葉が頭でぐるぐる回ったが、どの言葉を発するべきかの答えを導くことはできなかった。


「ごめん!」


 もう逃げるしかないと判断した修はその場でくるりと振り返り、立ち去ろうと一歩目を踏み出した。


「待って!!」


 すると女子生徒が大きな声で叫んだので、修はビクッと驚いて動きを止める。

 何故かその声は焦っているようにも感じ取れた。

 修は恐る恐る顔だけで振り向き、女子生徒の方を見た。


「あっ!あの~……え~っと……」


 しかしその女子生徒は自分から声をかけておきながら先程の修とほとんど同じように狼狽えている。

 修の脳内は(クエスチョン)で溢れかえった。


 目をキョロキョロさせ、手足をオロオロ動かす姿は「勢いで声をかけてしまったがどうしよう」という心の声が聞こえるかのようだった。


 その姿を見て修は逆に段々と落ち着きを取り戻していくのを感じた。

 他人が取り乱しているのを見ると自分は落ち着きやすいという話は本当らしい。

 ここは自分が何か声をかけてあげるべきだと考え、第一声を思考し始める。


 しかし先に動いたのは女子生徒の方だった。


「そうだ! いっ、行くよ!」

「!?」


 なんとその女子生徒は修にボールを投げてきた。

 自分の胸から両手で押し出すように放つパス――チェストパスだ。

 修は驚きながらも、胸元にむかって放たれたそのボールを反射的にキャッチした。


「お……」


 いきなりすぎたため文句の一つでも言おうとしたが、気づけば女子生徒はシュート練習していたゴールとは反対側のゴールに向かって走り出していた。


「はいっ!」


 女子生徒は左手を進行方向に突き出しながら叫んだ。


(マジかよ……!)


 なんと女子生徒はパスを要求してきている。

 バスケの基本的な練習のパターンだ。AがBにパスを出し、BがAにリターンパス、そのままレイアップシュート。

 それをいきなりやろうと言うのか。


 修は反射的に足を踏み込んで強いパスを出しそうになった。

 走りながらパスを要求している者がいれば望み通りパスを出してあげるのがバスケットプレイヤーだ。


 しかし修は自分の膝のこと、そして相手が女子であることをギリギリ思い出したので、女子生徒の前方にふんわりゆるやかなパスを出すにとどまった。


 女子生徒はできるだけスピードを緩めないように、歩幅でボールをキャッチするタイミングを調整し、キャッチと同時にステップを踏みレイアップシュートに持ち込む。


 そして普通に外した。


「えーーーーー!?」


 ボールがゴールリングの下に当たって跳ね返るという、あまりに不様なレイアップに修は驚きを隠せず声をあげてしまった。

 レイアップを外した当の本人はというと、修に背を向けたまま俯き、ゴール下で立ち尽くしていた。


 それを見て修はかなり失礼な声をあげてしまったことに気づき、慌てて口をつぐんだ。


(だってあんなに綺麗なシュートフォーム見せられたら、他のプレーだって上手いって思っちゃうだろ!?)


 そんな言い訳を心の中で口にしたが、声に出したらさらに落ち込んでしまうことは必至だ。


「そ、その……えーっと……?」


 修は恐る恐る声をかけながら、ゆっくり女子生徒に近づいた。

 女子生徒は修の声にハッとなり、こちらに振り向いて、


「! そ、そんな! 私の方こそごめんなさい! 急にパスなんか出して、パスも出させて……しかもとっても恥ずかしいところをお見せして……! 申し訳ございません!」


 と、早口でまくし立てたあとズバッと頭を下げた。

 修はその勢いに一瞬面食らったが、その姿があまりにも可笑しくて盛大に吹き出してしまった。

 しかもそれだけでは収まらず、声をあげて大笑いしてしまった。


「さ、さすがに笑いすぎだと思うんだけど……」


 女子生徒は顔をあげて、恥ずかしそうに口を尖らせた。


「ご、ごめん!」


 修はまずいと思い、なんとか笑いを抑えて謝った。


「永瀬君がそんなに大笑いしてるとこ、初めて見たよ」


 修は驚いた。彼女は今自分の名前を呼んだ。


「俺のこと知ってるの?」


 部活にも入っておらず、社交的でもない修にはクラスメイト以外に知り合いはほぼいない。

 だからクラスメイトでもないこの女の子が自分の名前を知っていたことが不思議だった。


 その言葉に女子生徒は一瞬いたずらがバレそうになった子供のような顔を見せたが、すぐに微笑んだ。


「友達からたまに話を聞いてて……。ウリちゃん……ほら、伊藤優理ちゃん」


 そこまで聞いて修はようやく思い出した。

 今朝も優理と一緒にお喋りをしていて、修と目が合った途端に逸らした少女だ。


「ああ!」

「思い出してくれた?」


 彼女は手を後ろで組み、首を傾げながら歯を見せてにっこり笑った。

 まるでひまわりが咲いたのかと錯覚するような、朗らかであたたかい笑顔だった。


 肩にかからない程度の長さに左片側のワンサイドアップ。肌は健康的な色合いとつや。そしてこの笑顔。

 今の今までバスケのプレーに意識がいっていたが、改めてまじまじと見ると相当整った顔立ちをしている。

 かわいい、と修は思った。学校の女子にも芸能人にもあまり興味がない修にとって、あまり感じたことのない感覚だった。


「あんまりじっと見られるのは、恥ずかしい、かも……」


 女子生徒は赤面しながら目線を逸らし、右人差し指で毛先をくるくるといじった。


「ご、ごめん!」


 女の子の顔を不躾にじろじろ見てしまったことを恥じ、修も慌てて目線を逸らした。

 お互いにそっぽを向き、気まずい時間が流れる。


「……宮井汐莉(みやいしおり)です」

「え?」


 二人は再び向かい合う。


「私の名前。宮井汐莉。一年B組、です」


 宮井 汐莉。それが彼女の名前。


「あ、えと……。永瀬修、です……」

「ふふっ、知ってるよ」


 汐莉はまた朗らかに笑った。

 修はこの空気に恥ずかしくなり、居たたまれなくなってしまった。

 なんとかこの場から離れたいと思い、急いで口実を探すと、本来の目的を思い出した。


「えーと、俺、用事あるから行くね!」


 返事も待たずに振り返り、出口へと早歩きで向かう。


「永瀬君! 私、昼休みは毎日ここで練習してるんだ!」

「そうなんだ! 頑張ってね!」


 修は歩みを止めずに肩越しで返事をして、足早に体育館から出た。汐莉はそれ以上何も言ってこなかったと思う。



 そのあとは何故かしばらく心臓のドキドキが止まらなかった。恐らく赤面しているのだろう、顔も熱い。

 修は周りに気づかれまいと教室の自席で顔を伏せ、寝た振りをして過ごした。

 ペンケースを取りに行っていないことに気づいたのは5限が始まってからだった。


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