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第一ピリオド-2 優しい朝

 永瀬修は左膝に鈍い痛みを感じてゆっくり瞼を開いた。

 カーテンの隙間から射し込む日の光が眩しい。

 手でその光を遮りながら目覚まし時計に手を伸ばす。

 時刻は6時55分。アラームよりも5分早めに目覚めたようだ。


 内容は覚えていないが何やら嫌な夢を見たような気がする。

 全身をじっとりと汗が覆っているのを感じ、不快感に顔をしかめた。

 修は薄手のタオルケットを剥がしながら上体を起こし、左手で左膝を優しく撫でる。


(痛い…)


 ()()()からそろそろ一年近くになろうというのに、ときどき何をせずともこのように左膝に痛みを感じる。

 そして同時に思い出す。その原因となったあの時のことを。


(やめろ…)


 修は心の中で自分に言い聞かせて、悪夢の名残を振り払った。

 俯いていた顔をあげ布団から出た。学校に行く仕度をしなくては。




 身仕度を整えて食卓の扉を開けると、いつものように朝食を準備する女性の姿があった。

 彼女は修に気付き、にっこり微笑む。


「おはよう修」


 ふわっとした、暖かみのある笑顔に修もつられて笑顔になる。


「おはようばあちゃん」


 彼女は永瀬明子(ながせあきこ)。修の父方の祖母だ。

 現在修は親元を離れ、明子の家で二人で生活している。


「もうすぐできるからねぇ」

「はいよ」


 いつも大体修が食卓に入る時間は決まっているため、明子もそれに合わせて朝食を用意してくれている。

 修もいつものように二人分の食器を出し、味噌汁とご飯をつぐ。


 明子の振るうフライパンからは、ジューという音と共に香ばしい香りが広がってくる。

 今朝はウインナーと目玉焼きのようだ。

 すべての準備が整い二人はテーブルについた。


「いただきます」


 明子は手を合わせて食前の挨拶を口にした。修もそれに倣う。

 実家にいたころの朝食は、母が多忙なこともあって菓子パンや惣菜パンが多かった。

 だから毎日こうやって、温かく栄養のある朝食を出してくれるのはとてもありがたい。


「なんだか今日は元気がないように見えるけど、大丈夫?」


 修が半分程食べ進めたところで明子が声をかけてきた。

 修はギクッとした。レタスに伸ばしていた箸を止め明子の方を見る。

 明子は心配そうな表情で修の目をじっと見つめていた。


(ばあちゃんは、さすがだ)


 昔から修のことはなんでもお見通しで、その時々に合った言動をとってくれた。

 そんな明子のことを修はずっと大好きだった。


 だからこそ余計な心配はかけたくなかった。

 ただでさえ訳ありでこっちに一人で来ているのだ。

 はっきりとしたことは伝えていないが、明子のことだ。薄々感づいているのだろう。


「大丈夫。ちょっと嫌な夢を見ただけだよ」


 修は微笑んで見せた。


「そうかい? ならいいんだけど……」


 おそらく納得はしていない。だが修が大丈夫だと言ったらそれ以上追及はしてこない。


「そうだ! 今日の晩御飯は焼肉にしようと思ったの。ばあちゃんお肉食べたくなっちゃって! 昨日テレビで美味しいお肉の焼き方をやっててね……」


 明子は先程の空気とは打って変わって明るく喋り出した。

 気を遣ってくれている。本当に優しい人だと修は改めて感じた。

 明子のためにも、今のような沈んだ生活をしていては駄目だと自責の念に駆られたが、表情に出さぬよう努めた。





 修と明子の家から修が通う栄城(えいじょう)高校までは徒歩で15分程だ。

 6月初旬は修にとって既に暑く、1日(ついたち)の衣替えですぐに夏服に移行した。

 女子はまだ冬服の子もいるが、周りを歩いている男子はほとんど夏服を着ている。


 いまだじんわりと痛む左膝を気にしないように歩き、いつも通り余裕をもって学校に到着した。


 校舎は東棟と西棟があり、各階三ヶ所に両棟を繋ぐ渡り廊下がある「日」の字型だ。

 一年生の教室は東棟の一階に集まっている。

 修は自分の所属しているA組の教室に入った。既にクラスの生徒の半分程は教室内にいるようだ。


「おいっす~」


 自分の席に向かう途中の修に声をかけてくる男子生徒がいた。

 人懐っこい笑みで右手をひらひらと振りながら近寄ってくる。


「おいっす」


 修も右手を上げて挨拶を返す。

 彼は平田健次(ひらたけんじ)

 引っ越してきて知人0の状態であった修にとって、数少ない友人と呼べる人間の一人だ。


 体育の時間に見学していた修に平田が話しかけてきて、それ以降ちょくちょく会話をするようになって……といった感じで仲良くなった。


 少々やかましいがいいヤツで、クラスのみんなと仲が良い。

 そんなヤツが何故修と積極的に絡んでくるのかは謎だったが、修自身は中々心地良いなと思っている。


「突然だが頼みがある!」

「やだよ」

「数学の課題写させて!」

「やだよ」

「冷た過ぎない!?」


 朝からテンション高すぎる平田に修は少し吹き出してしまった。

 しかし修は努めて冷静を装い、鞄から教材等を取り出しながら目線だけを平田に向けた。


「課題はコツコツちゃんとやらないと意味ないんだよ」

「え~、修くん真面目~。ケチ!」


 唇を尖らせて文句を言う平田だが、顔立ちは整っている方なので男ながらにかわいいと思ってしまう。

 もちろん修にその気はないが。


 修はため息をつき、じろりと睨みをきかせて言った。


「高校は中学よりもかなり勉強のレベル高いんだから、こういうのしっかりやっとかないと進級できない可能性も出てくるんだぞ」


 それを聞いた平田の表情はニヤ~としたものに変わる。


「修くんもしかして心配してくれてるの~?」


 腕を伸ばして抱き着こうとしてくる平田の頭を修はアイアンクローで押さえた。

 平田がかなりぐいぐい向かってきているため、修も思わず力を込めて抵抗した。


「いててててててて!? ちょっと!? 強くない!?」

「お前が引かないからだろうが!」


 そんな一進一退の攻防を続ける二人にフフッと笑う声が聞こえてきた。


「平田くん、課題ならわたしが見せてあげるよ~」


 一人の女子生徒がぽわぽわした笑みを浮かべながら声をかけてくる。


「マジで!? 伊藤さん天使! いや女神!?」


 女子の平均を考えてもかなり低めの身長、ふわっと丸みを帯びたボブヘアーで、小型犬を想起させるような可愛らしさを持った彼女は伊藤優理(いとうゆうり)。A組のクラスメイトだ。


「駄目だ伊藤さん。平田が調子に乗る!」

「うーん、でも、困ったときはお互い様だから」


 そう言って優理は平田に数学の課題を差し出す。


「伊藤さん……! この恩は絶対に忘れないよ……!」


 平田は課題を受け取り、腕で目を覆って号泣のジェスチャーをとった。


「忘れちゃダメだよ~?」


 優理は両手で頬杖をつきながら上目遣いで朗らかに言った。

 言動のひとつひとつがいちいち可愛らしい。

 女子の中には優理のそういった行動を疎ましく思っている者もいると聞いたことがあるが、本人は気づいているのだろうか。


「よし、じゃあパパっとやるか!」


 そう言って自分の席から椅子を引いてきて、修の机で課題を広げた。


「……おい。なんでここでやるんだよ」

「ま、気にすんな」


 修の抗議にもどこ吹く風で、平田は課題に手をつけ始めた。

 修は再びため息をつきながらも手持ちぶさたになってしまったので、平田の課題を見守ることにした。

 修は優理の課題をなんとなく眺める。


(……あ、間違い発見)


 それも一つではない。ぱっと見た限り3つは間違いがある。


「ここ間違ってるよ。あとこことここも」


 修は指でトントントンと間違いの箇所を指差した。


「マジ? 伊藤さ~ん。間違ってるよって修が~」


 平田は優理に声をかけた。優理の方を見ると、他クラスの女子と話していたようだ。

 修はその女子と目が合ってしまった。その女子は一瞬驚いたように少し目を見開いたあと、スッと目を逸らした。


 クラスメイトではないため接点はないが、女子に露骨に目を逸らされるとさすがにショックだった。

 気にしていない風を装いつつ修も目を逸らす。


「嘘~どこ~?」


 修は優理に間違いの箇所を教えてあげた。


「ごめ~ん! めっちゃ恥ずかし~!」


 優理は両手で顔を覆った。耳まで真っ赤になっている姿も可愛らしかったが、優理の学力は微妙であることがわかってしまった。


「いいよいいよ! ちょっと間違ってる方がリアリティあるもんね!」


 平田は優理の肩をポンと叩いて笑った。

 お前は写せればそれでいいんだろ、と一瞬思ったが、見た感じ平田はナチュラルにフォローをしているようだった。


(だからこいつモテるんだろうな……)


 実際平田のことをそういう目で見ている女子は多いらしい。既に他クラスの女子から何度か告白されたという話も聞いたことがある。

 まぁ確かに魅力的なヤツではある、と修は思った。


「ウリちゃん、私教室戻るね」


 優理と話していた女子が声をかけてきた。

 どうやら優理はこの友人から『ウリちゃん』と呼ばれているようだ。


「うん、またね~」


 お互いに手を振り合いその女子は去って行った。

 途中修の方をチラッと一瞥していったように見えたが気のせいだっただろうか。


 ほどなくしてチャイムが鳴り出した。SHR(ショートホームルーム)の時間だ。

 今日もいつも通りの学校生活が始まる。

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