第二ピリオド-4 共同捜査その2
椅子に座って机に頬杖をつきながら、平田はじっと教室の方を見つめていた。
その眼差しは真剣そのもので、まばたきをするのを忘れているのではないかと思うほどにまぶたは開いたままだ。
絶対に犯行現場を見逃しはしない。
そういう決意がひしひしと修に伝わってくる。
だが同時に下まぶたの黒ずんだくまや、痛々しい程に充血した白目も修の目に入ってしまう。
「なぁ平田。いつも何時頃までこうしてるんだ?」
見張りを邪魔してしまうことをわかっていたが、心配で尋ねずにはいられなかった。
「……さすがに完全下校時間には帰るようにしてる」
平田は教室の方から目線を変えずに答えた。
「完全下校時間て……18時?」
部活動に参加している生徒以外が、学校敷地内を出なければいけなくなる時間。
たしか五分前に校内放送がかかるらしいが、いつもその時間に体育館にいる修は聞いたことがない。
「いや、今は学祭準備のこともあるから20時までだ。ま、申請出してるクラスの人間だけの例外だけどな。先生たちだってちゃんと管理できてるわけじゃないから、バレないように俺も残ってる」
「20時って……そんな遅くまでこうやって見張りや見回りをしてるってのか?」
「そうだよ。部活してるときだってそのくらい残ってるし、別に大したことじゃないだろ」
平田はそう言うが、好きでやっている部活動とこんな活動とでは、ストレスや疲労の種類が異なる。
絶対に後者の方が負担は大きいだろう。
修は平田がこんなひどい顔をして、心にもゆとりがない理由の一端がわかり思わず唇を噛んだ。
二人の間に沈黙が流れる。
修は平田と同じように教室へと視線を移した。
一人で机に着いているのが一名、二人で集まっているグループと三人グループで、教室内には六人の生徒がまだ残っていた。
山下の机の付近には誰もいない。
犯人が山下の机に何かをするならば、教室から生徒が完全にいなくなってからだろうから、まだまだ時間がかかりそうだ。
修は再び平田に視線を戻す。
何か会話をしていないと、この重苦しい空間を耐えることはできない。
「なぁ、山下さんてこの時間何してるんだ?」
「部活だろ。山下さん、美術部だから美術室にいるんじゃねーかな。学祭で展示するらしいからその準備とかで」
思ったより普通に返事をしてくれて修はホッと胸を撫で下ろす。
「へぇ、山下さんて美術部だったのか」
活発そうな雰囲気から勝手に運動部だと思っていた。
「どうせ運動部だと思ってたんだろ。修、クラスのやつらのことなんも知らねーんだもんな」
「うっ……」
図星を突かれた修は顔を歪めた。
最近はかなりマシになって、クラスメイトともコミュニケーションをとる機会も増えたのだが、それでも込み入った話はしない。
そのため所属している部活動を知っているクラスメイトはほとんどいなかった。
「けっこう絵、上手いらしいぜ。なんかのコンクールで賞をもらったとか聞いたことある。学祭の展示も、山下さんの作品が目玉になってるらしい」
「へぇ、それはすごいな」
そう話す間、平田は一度も教室から目を逸らさない。
だが修との会話には普通に応じてくれている。
修にはそれがとても嬉しく、普段の平田と話せているようで安心できた。
そうやって会話をしながら教室を見張ること30分程。
とうとう教室内から生徒がいなくなった。
そうなると途端に平田の集中力がぐんと増した。
窓ガラスを貫いてしまうのではないかと思える程の視線の矢を、自分の教室に向けている。
さすがにこの状態の平田に声をかけることは、修でもはばかられた。
仕方なく修も同じように教室の見張りに集中する。
しかし辺りが段々と暗くなっていき、教室内が廊下の電灯でなんとか見える、という時間帯になっても、怪しい人影が現れることはなかった。
修はストレスと疲労でげんなりしていた。
来るかどうかもわからない犯人のを見つけるために、景色がほとんど変わらない空間を何時間も見張り続けるのはかなりの地獄だ。
こんなことを平田は毎日やっていたのかと思うと、改めて感心すると共に、こんなふうにやつれてしまうのも仕方がないと思った。
修はスマホを開いて画面を確認する。
時刻は19時48分。
そろそろ完全下校時間だ。
なおも教室を見張り続ける平田に、修はおそるおそる提案してみることにした。
「平田。一旦俺が教室の様子を見てくるよ。もしかしたら、既に何かされてるかもしれない。それに時間ももう遅い。ひょっとしたら、やっぱり犯人はもう山下さんのへの嫌がらせをやめたのかもしれないし、何も確認できなかったら今日はもう終わりにしよう」
平田は黙ったままだった。
しかしその口元が苦々しげに歪む。
どうやら話は聴こえているようだ。
修はそれ以上何も言わずに平田の返事を待った。
そして十数秒経ったとき。
「……わかった。頼む」
平田がそう言った。
「うん。じゃあ行ってくる」
修は足早に小教室を出て自分の教室へと向かった。
犯人と鉢合わせる可能性も考え、目的地が近くなる頃には足音を潜め、周りを警戒しながら進んだ。
(よし、着いた)
再度周りを警戒してから、修は静かに教室に入った。
そしてスマホのライトを点灯させ、山下の机を確認する。
机の上にはそれらしいものはない。
続いて机の中を見てみるが、そこには山下の私物は何も入っていなかった。
もしかすると嫌がらせを受けることを見越して自分で持ち帰ったのかもしれない。
最後に椅子も確認した後、修はスマホで平田のナンバーを呼び出す。
ワンコール鳴り終わる前に、平田が応答した。
『どうだ?』
「何もされてないみたいだ」
『……そうか』
ため息混じりに平田が呟いた。
そこに込められた感情が何もなかったことへの安心なのか、犯人を見つけられなかった悔しさなのか、修にはいまいちわからなかった。
「今日はもうここまでにしよう。どのみちもう20時だ」
修がそう言っても、また平田はすぐに答えなかった。
だが数秒待った後に絞り出すようにして言った。
「わかった。最後に他のところを一周見て回って終わろう」
結局他の場所を見て回っても何も嫌がらせの痕跡は見つからなかった。
修は喜びで顔を綻ばせたが、平田は対称的にずっと苦い表情をしていた。
下校を始めた二、三年たちが集まり、にわかに騒がしくなった駐輪場で、修は平田に話しかけた。
「きっともう、犯人はいじめをやめたんだよ。意味のない馬鹿らしい行為だって気がついたんだ」
「そう……なんだろうか」
「そうだよ。絶対そうだ」
「…………」
平田は依然として納得のいかない表情だ。
彼にとっては何か引っかかることがあるのだろうか。
だが修としては、平田がこれ以上この件に関わることは危険なような気がしていた。
だからこれが犯人の一時の気まぐれでも、一旦平田から憂いを取り除きたいと思った。
それに明日は大事な約束がある。
優理のためにも平田を引っ張っていかなければならないし、平田にも元気になってほしい。
「なぁ平田。明日学祭だってこと、覚えてるか? 俺や伊藤さん、宮井さんと一緒に回るの、忘れてないよな?」
修が尋ねると平田はばつの悪そうな顔になる。
「……ん、覚えてるよ、ちゃんと。でも……」
何かを言おうとする平田を、修は声を被せて遮った。
「伊藤さん、すげー楽しみにしてた。宮井さんだって、それに俺だって。高校はじめての学祭、友達と一緒に楽しみたいよ」
修は本心から平田に訴えかけた。
すると平田は目を瞑って小さく俯いた。
そして数十秒悩むような素振りを見せたあと。
「わかったよ。明日はちゃんと修たちと回る」
そうはっきりと言った。
それを聴いて修は安心から大きくため息を吐いた。
「ありがとう」
修がそう言うと、平田は目を逸らして頭をかいた。
「こっちこそ……ありがとな」
「へ? なにがだ?」
わけがわからず尋ねると、平田は意を決したように修に視線を向ける。
「今日、修がいてくれてよかった。俺、自分で思ってたより追い詰められてた……いや、自分を追い詰めてたのかもしれない。でも……なんか、うまく言えないけど……。修がいてくたおかげですごく気が楽だったというか……。とにかく、ありがとな」
そして平田は柔らかく微笑んだ。
修はその言葉を聴いて、嬉しいやら何やらで心が震えるのを感じた。
たしかに今日見張りをしている間、平田は修にしつこく話しかけられても落ち着いて返事をしてくれていた。
それまでのことを考えると、苛立ちをぶつけられても何らおかしくはなかったのに。
(俺がいたことで、平田が少しでも心にゆとりを持ってくれたなら……一人にしないで良かった)
二人の間に気まずい沈黙が流れる。
ふと目を逸らした先で、体育館の窓から光が漏れているのが見えた。
微かにボールが跳ねる音も聞こえてくる。
「……んじゃ、俺体育館に行くよ。明かりも点いてるし、まだ自主練してるはずだから」
「あぁ。頑張れよ。また明日な」
「あぁ、また明日」
そう言って修は平田と別れた。
本当に山下へのいじめが終わったのかはわからないが、とりあえず平田が学祭に来ないという問題は回避できた。
修は明日への期待に胸を膨らませながら、バスケ部たちが待つ体育館へと向かった。