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第三ピリオド-7 必要だよ

 修は思わず息を飲んだ。

 今優理が放った言葉が頭の中を何度も駆け巡る。


(やめる……? 辞めるって言ったのか……?)


 バスケ部辞める。

 確かにそう言った。


「練習だって、これからもっともっと大変になっていくでしょ? わたし、絶対ついていけないもん……。永瀬くんだって迷惑してるでしょ? わたしがわからないことがあったり、できてないことがあったりすれば、その度に練習を止めなきゃいけないんだし……。きっとみんなもそう思ってるよ……! チームのお荷物だって!」


 優理が堰を切ったように自虐的な言葉を吐き出していく。

 普段は見せないような荒々しく痛ましい様子に修は動揺を隠せなかった。


 いつもほわほわ笑っていて、少し愚痴りながらも一生懸命に練習を頑張っていたから気づかなかった。

 優理が心の中ではこんなにも苦しみや葛藤を抱えていたなんて。


(やっぱり俺は、本当に未熟なコーチだ……)


 毎日一緒に練習しているのに、少しも優理の心情を察することができていなかったことに、修は強く反省の念を覚えた。

 人の心を理解するのが難しいことは当然わかっている。

 しかし微々たるものであったとしても、きっと優理は何らかのシグナルを発していたはずだ。

 それなのに、修は優理が爆発してしまうまでまったく気にもかけていなかった。


「ご、ごめんね、取り乱して……。でも、本気なんだよ。みんな優しいから、わたしには何も言ってこないけど……。この先いつか『邪魔だ』って言われるんじゃないかって思うと……怖いんだ……」


 優理は震えていた。

 うだるような夏の暑さの中にいるのに、優理の姿は冬の寒い日に雨にうたれた子犬のようにも見えた。


 修は自分の未熟さを猛省するとともに、この少女のために何かしてあげたいと強く思った。


 凪の退部騒動のときにも同じ事を思ったが、何らかの理由で部活を辞めていく人がいるのは仕方がないことだ。

 だがこの場合は仕方がないと割り切れるものではない。

 こんなにつらい気持ちを抱えたまま優理を辞めさせてしまうことは、絶対にあってはならない。


 修は一度だけ深く深呼吸をした。

 揺れる心を落ち着かせ、優理にかけるべき言葉を探す。


「……伊藤さん、考え過ぎだよ。誰も伊藤さんを邪魔だなんて思わない。きっと伊藤さんは、ちょっと体力と精神両方にストレスがかかり過ぎちゃって、一時的に不安になってるだけなんだよ」

「……ううん、そうじゃないよ。これから絶対にみんなに迷惑かけ続ける」


 優理は卑屈に笑って首を横に振り、もはや聞く耳持たずといった様子だ。

 だが修は諦めない。


「……わかるよ、今の伊藤さんの気持ち」


 そう言うと優理はすっと修の方に視線を向けた。

 その表情からは苛立ちのような感情が感じられた。


「ううん、永瀬くんにはわからないよ。永瀬くん、現役のときはものすごく上手かったんでしょ? そんな人に凡人の……凡人以下のわたしの気持ちなんて、わかりっこない」


 明確な拒絶の言葉だった。

 しかし修もただの慰めとして言ったわけではない。

 修の本心からくる言葉を、優理に聴いてもらわなければ。


「そんなことはない」


 修が力強く発した言葉に、優理はビクッと肩を跳ね上げた。


「俺だって伊藤さんと同じだ。前にちょっと話したことがあったよね。俺が怪我で挫折してしまったこと。目の前に大きな壁が立ちはだかって、自分の不甲斐なさにうちひしがれて、一度は完全に心が折れた。だから、今の伊藤さんの気持ちはよくわかる」

「…………」

「でも、俺はそのことをすごく後悔してる。なんで逃げ出してしまったんだろうって。あのとき逃げずに、壁に立ち向かい続けていれば、きっと今よりももっと先へ進めていたはずだったんじゃないかって」


 今でもふと考える。

 もしかしたら今頃、強豪校に在籍していて、レギュラーになれずとも凛のようにベンチ入りして試合に出ていたのではないかと。


 だがそれはもういくら考えたところで無駄なことだ。

 時間を巻き戻すことはできず、あのときと違う選択をとることは二度とできない。


 しかし優理は違う。

 今、この瞬間が選択の時なのである。

 優理が自分と同じように、後悔する道を選んでほしくはない。


「伊藤さんがバスケを辞めたいっていう気持ちが、本当に、伊藤さんの心の底からのものなら、俺は止めない。無理矢理やりたくないことをやらせたって、伊藤さんにとっても、チームにとってもなんのメリットにもならないから。でももし、伊藤さんに少しでも皆と一緒にバスケがやりたいって思いがあるなら、続けるべきだと思う。それに……」


 修は優理の瞳をしっかり見据え、真剣な想いを込めて言った。


「栄城が全国に行くには、伊藤さんの存在が絶対に必要だ」


 修の視線に、言葉に射ぬかれたように、優理ははっと目を見開く。


「必……要……。わたしの……存在が……?」

「あぁ。伊藤さんがいるのといないのとでは大違いだよ。練習でできることも変わってくるし、何より試合でとれる作戦の選択肢が増える。伊藤さんは、必要だ」


 念を押すように言葉を重ねる。

 すると優理の目尻から一筋の涙がこぼれ落ち、頬を伝っていった。


「誰かにわたしが必要だなんて、今まで言われたことなかったなぁ……」


 優理がぼそりと呟いた。


「あのね、永瀬くん。永瀬くんはわたしの気持ちがわかるって言ったけど、やっぱりわからないと思う。だって永瀬くんは、ちゃんと戦ってる人だから。わたしはいっつも、戦う前から自分で勝手にラインを引いて、わたしにはできないからって、逃げ続けてきたんだよ」


 また卑屈な言葉ばかりを並べるが、先程までとは雰囲気が変わっていた。

 修は黙って優理の話を聴き続ける。


「でも、そんな自分を変えたい……。栄城バスケ部(ここ)なら、変われるんじゃ……ううん、変えられるんじゃないかって思えるんだ。それに」


 今度は優理の火の灯った視線が修を射ぬく。


「わたしはしおちゃんやミマちゃんと……みんなと一緒にバスケがやりたい……!」


 涙混じりの優理の言葉に、修の胸もカァーっと熱くなっていく。


「うん……! なら、やろう! 皆で!」

「いいの……? わたし、へたくそだよ?」

「へたなんかじゃない。伊藤さんは確実に上手くなってる。それでも自信が持てないなら、もっと練習しよう。自信が持てるまで俺が付き合うから」


 そう言うと優理はふふっと笑った。

 これまで何度も見てきた、いつもの優理の笑顔だ。


「……今の練習についていけてないのに、もっと頑張ろうなんて、永瀬くんは鬼だねぇ~」

「え! いや、そうじゃなくて! ごめん、ええと……」

「ふふ、大丈夫。永瀬くんが言いたいこと、伝わってるよ」


 ふーっと息を吐いて、優理は真剣な顔になった。


「わたし……もっと頑張りたい。永瀬くんだけじゃなくて、チームのみんなにも必要とされたい……」


 これまで聴いたことのない、力強い優理の宣誓だった。


「うん。戻ろう。皆のところに」


 修は立ち上がり、優理に手を差し伸べる。

 優理はその手をぎゅっと握ったのを感じると、力を込めて引っ張り上げた。


「永瀬くんて、かっこいいね……。わたしに好きな人がいなかったら、絶対惚れちゃってたよ」


 柔らかな笑みをたたえながら優理が言った。

 人をからかう余裕が戻ってきたようだ。


「へ、変なこと言ってないで、さっさと行こう!」


 修は自分の顔が熱くなるのを感じながら体育館に向かって歩き出す。


「あ、待ってよぉ~」

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