天司司従の事情
数時間後。陽は傾き空が紅に燃えている。太燿と焔は乗換駅で降りて駅と隣接しているショッピングモールのフードコートで時間を潰していた。二人は向かい合って椅子に腰掛け、テーブルには太燿が買ってきたアイスコーヒーが一つ。
「ふむ。人の子らの営みはまことに賑やかになったものだ」
「そう言えば焔って何年前から生きてるんだ?」
「レディに対してそのような事を聞くとはおぬし、なっとらんな」
「古くさいしゃべり方なのにレディなんて言葉は知ってるんだな」
焔はむぅ、とふくれっ面になると太燿の隣へ回り込んだ。そしてアイスコーヒーの容器を掴み上げると一息で飲み干した。
「うぇ、苦い……」
「あっ、おい!全部飲むなよ!」
「うるさいのう。おぬしの体面を気遣ったのがわからぬのか?」
「それは分かったけど、そうじゃねぇから」
「わがままじゃのう。また買えばよいではないか」
焔は太燿をあしらうと元の席に戻る。空になった容器を放り投げるとカラン、と軽い音を立ててテーブルに突き立つ。太燿は深呼吸を一回はさんで息を整えた。
「そうだな、今はまだ言えん。が、いずれ話す時が来よう」
「なんじゃそら」
「そこらの天司ならいくらでも答えただろう。しかし我はちとワケありでな。おいそれと話すわけにはいかんのだ」
「ふーん、そんなもんか」
「……そこには食いつかんのだな」
「ワケありなんだろ?そうじゃなかったとしても言いたくないってことなんだから聞かないのが優しさってもんだろ?」
「小僧のくせに殊勝な事を言いよる。だが今はそれに甘えるとしよう」
太燿は立ち上がるとテーブルに残った容器、もといゴミを捨てに行った。戻る途中に買った店とは別の店でまたアイスコーヒーを買う。数は一つ。天司の焔が普通の人間には見えないため二つ買うと焔が飲んでる姿が見えず、容器だけが宙に浮いて吸い上げられた中のものが消滅していく不気味な光景になる。実際、さきほど焔が飲み干した時にそれを目にした人が目を丸くして驚いていた。仕方のないこととはいえそのことに少し罪悪感を覚えながら席に戻ると心機一転、別の話を振る。
「じゃあ天司は何人いるんだ?そこらの天司ならってさっき言ってたけど」
「おぉ、まだ話しておらんかったか。うむ、これなら今話してもよいな」
焔はちょいちょい、と指で招く。太燿がそれに応じてテーブル越しに身を乗り出すと焔は太燿の制服に入れてあったスマホをくすねた。そして慣れたような手つきでロックを解除。地図アプリを起動する。
「おまっ、いつの間に」
「数字の羅列を覚えるなんぞ天司にとっては造作もないこと。それにしょっちゅうおぬしが我にも見せているかのように打ち込んでいたではないか。そんなことより見ろ」
焔がポン、と身を乗り出している太燿の肩を押して椅子に着席させるとスマホをテーブルに置いた。表示されているのは日本地図。
「これが日本。まあ分かるだろう?」
「そりゃ日本人だからな。自分の国の形くらい分かるさ」
「結論から言えば我もこの国にどれだけの天司がいるのかを正確には知らぬ。天司の使命は既に話したとおり。だが基本的に我ら天司は数人一組で幾つもある方区と呼ばれる区画の内の一つを担当しておる」
「チームを組んでたのか」
「他の方区ではどうか知らぬし興味もないが、我らはそうではない。各々が互いの邪魔をせぬ範囲で好き勝手やって使命を果たしてきた」
「そう聞くとなんか心配になってくるな。実際俺は襲われたわけだし」
「使命に人の子らの守護は含まれておらんからな」
次に焔は地図を拡大した。映し出されているのは太燿が住んでいるG県の西部。中心に据えられているのは県内でも有数の都市であるO市。
「そして、我らはおぬしの家や学び舎を含むここら一帯を任されておるわけだ」
「なるほど。じゃあ焔以外の、他の天司はどんな奴なんだ?」
太燿が視線をスマホから焔に移す。その目に写ったのは顔をこれでもかと言うほどしかめた焔だった。
「……三人。だが話すほどの奴ではないのがおる。司従として働く内に出会う機もあろう」
「話すことさえ嫌とかどんだけだよ」
「うるさい。司るはそれぞれ土、風、そして水だ。どの区画も基本的にはこの三つに我の司る火を加えた四つ、四元の天司が瘴気を払う役目を担っておる」
「俺を司従にした時に生き死にを司る天司がいるようなこと言ってたけど、そいつらはどこにいるんだ?」
「そやつらは天界でもかなり高位の存在でな。いくつかの方区を束ねる存在として普段は天界におる」
「天界も天司も、なんだか人間社会と変わらないんだな」
太燿はスマホを片付けるとコーヒーに口をつける。氷が溶けてカラン、と小気味のいい音を立てた。夜を迎えるまでまだ時間はたっぷりある。太燿は鞄をまさぐるとノートとペンを取り出した。
「おぬし、何をするつもりだ?」
「何って、課題だよ課題。夜までここで駄弁ってるのもいいけど、明日提出の課題があるからそれを片付けたいんだ」
「ふうん。今時の人の子は大変だな」
フードコート。そこは様々な人間が食事をする以外に色々な目的のために集う場所。人混みに紛れて人間に非ざる二人が人間の瘴気が理性から解き放たれる夜になるまで時間を潰す。
妖魔が蔓延る夜になるまであと数時間。人間に非ざる二人のうち片方は年相応の高校生のように課題を、もう片方はその様子を宙に浮きながら眺めて時が来るのを待った。