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見える欲、見えない欲

 もくもくと湯気が立ちこめている。陽野家の風呂場は総檜造の立派な浴場、などではなくタイル張りの一昔前の造りである。

 太燿は今、風呂椅子に腰掛けてゴシゴシと体を洗っていた。泡が一日の疲れと汚れを優しく包み、落として太燿の体をキレイにする。そして焔はというと、湯船に浸かりのんびりとリラックスしていた。

「いや、なんでお前が湯船に浸かってんだよ!なんで一緒に入ってくるんだよ!おかしいだろ!」

「そう喚くでない。せっかくのよい心地が台無しになるだろう。しかし今のおぬし、羊のようにもこもこで可愛らしいではないか」

 焔は片足を上げてゆっくり下ろすことを繰り返す。無論、全裸だ。美しい紅蓮の髪は束ねられ、湯船には二つの大きな果実が浮かんでいる。それはやけに扇情的で、太燿の平常心を大いに揺さぶった。跳ねたお湯が太燿にかかる。

「我ら天司は清き存在ゆえ汚れることはなく、本来は風呂に入る必要なぞない。が、これぞまさに人の子らが生み出した最大最高の文化だ。生きたまま極楽浄土へ行った心地になれるなんて我らの力を持ってしても叶わぬ……しかし酒もくすねておけば良かったのう」

「さいですか。お褒めいただき光栄ですよっと」

 太燿はシャワーで泡を洗い流した。そしてこのままでは理性が保たないことを悟り、話を変えた。

「天司の仕事、あの鬼たちを倒すのを手伝えって言ってたけど、俺にはお前みたいに剣なんて振れないし火を出すこともできないぜ?」

「お前ではない焔だ。鬼、と言ったがあやつらは《妖魔》と言ってな。人の子の悲しみや憎しみといった負の気が集まり固まって生み出される。その姿は核となった強い負の気の持ち主が思う恐ろしい存在を模すのだ」

「つまりは俺を襲った妖魔とやらは、たまたま鬼の形をしていたのか」

「うむ。あと妖魔が現れるのはだいたいが夜。それは人の子らの多くが夢現となり気の解放がなされるからだな。それに鬼なんぞとうの昔に我ら天司が滅ぼしておるわ」

「え?鬼って本当にいたのか?めちゃくちゃ気になる……けど、じゃあそいつらを倒す方法って何かあるのか?」

「おぬしはせっかちだのう。焦らずとも明日教えてやる。百聞は一見にしかず、というやつだ。ゆえ、今はゆっくりするがよい」

 言うやいなや焔は太燿の腕を取ると浴槽に引き込んだ。太燿が声を出す間もなくざぶん、と大きな音がたつ。抵抗むなしく、組み敷かれるようにして太燿は焔の前に収まる。焔は太燿よりも足が長ければ背も高い。その豊満な双丘は太燿の肩に押し当てられた。

「おい、これはどういうつもりだよ」

「良いではないか。おぬしは我の司従、いわばペットのようなもの。こうして愛でて何が悪い」

「ペットって……おわっ!」

 焔は太燿の頭をわしゃわしゃと掻き撫でる。言葉通りまるでペットとふれ合い愛でるかのように。続いて首に手を回して抱き寄せる。

「ちょ、お前!その……あ、当たってる当たってる!」

「お前ではない、焔だ。当てているのだから問題はあるまい。それに人の子らの男はこういうのが好きなのだろう?ほれほれ」

 むにょんむにょん、と二つの膨らみが押しつぶされて形を崩す。その弾力をその身で感じるたびに太燿は緊張と不安と恥ずかしさでびくん、と体を震わせた。

 その日、太燿は人生で一番長い入浴となった。その後、就寝しようとした太燿は焔からの子守歌で寝かしつけるという提案を丁重に断り、布団に潜り込もうとする焔を防ぎながら眠りにつく。

 こうして太燿の今までの日常は終わりを迎え、新たな日常が始まろうとしていた。




 いつからだったか、太燿は気づいた。この世界にはおとぎ話に出てくるようなドラゴンやそれを退治する騎士なんて存在しないことを。

 いつからだったか、太燿は知った。夢物語と現実の区別がつき今と未来について考えるようになるのを成長と呼ぶことを。

 いつからだったか、太燿は感じた。人生とはそのほとんどが日常の繰り返しに過ぎず変化は節目にしか訪れないことを。

 いつからだったか、太燿は思った。夢がない現実は退屈だと。

 だから太燿は求めた。繰り返される日常に変化を。日常に非ざる非日常を。

 それは今の世を生きる人間には過ぎた願いだろう。特にただの子供に過ぎない今は。体の差があっても、心に秘めてるものが違っても、規格化された枠の中に無理矢理はめ込み日常を強制させる学校生活の中では叶うはずもない。

「ふむ。こやつ、ただの人の子かと思えばその心にこんな欲を秘めておったか」

 焔はふわふわ、と宙に浮かびながら太燿の寝顔を見つめる。太燿には黙っていたが焔を含めた天司には司従とした者の心を覗くことができた。

「今までのおぬしならその願いは永遠に叶うことはなかっただろう。だが今日、我の罪と天の罪、この二つがおぬしの日常を壊した」

 焔が音を立てず太燿の枕元に腰を下ろした。焔の犯した罪。天界の罪。それを語るつもりが焔にはまだない。今は気まぐれでこの世に繋ぎ止めた司従を使って天司の役目、妖魔退治を果たす。ただそれだけ。

「喜ぶが良い。おぬしの望んだものが今日、手に入ったのだ。楽しめ、変化を。楽しめ、非日常を。火は常に人と共にある」

 そして太燿の頭をなでる。焔の呟きは夜の闇と静寂に飲み込まれた。

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