降り立つ火
太燿は手をつける人がいなくなり荒れ果てた畑へ吹っ飛ばされた。奇跡的に生きていたが体中を激しい痛みが襲う。呻き声が漏れ、血は流れ、とっさにかばった両腕はあらぬ方向に曲がっていた。意識が朦朧していたがヒクヒクと全身が痙攣し、その激痛で覚醒する。それを何度も繰り返す。
(そうか。俺、ここで死ぬんだ)
鬼はトドメを刺そうとふしゅー、ふしゅー、と獣のように息を立てながら迫る。太燿に死を与えようとするその息遣いが徐々に、ジワジワと大きく聞こえてきた。
非日常を求めて余計な事や厄介事に首を突っ込んできた太燿。ろくな死に方はしないだろうな、とうすうす思ってはいた。トラブルに巻き込まれて、というよりは巻き込まれに行ってポックリ逝くのだろうと予想はしていた。しかし――
(まさかこんな死に方とはなぁ)
空には星が広がり、民家の灯りが遠くにポツポツと見える。月が雲に隠れ、鬼の醜く恐ろしい顔が影で見えなくなった。
(こりゃいいや。あんな顔を見ながらってのは御免被るってね……)
鬼の影が蠢く。太燿に死を与えようと腕を天高く突き上げ、その巨大な拳を振り下ろした。
(さよなら。父さん、母さん……)
こうして太燿はその人生を終え――なかった。
振り下ろされた鬼の腕は跡形もなく消え去っていた。腕が消えては太燿は潰される事はない。だが太燿の肉片が散らばる代わりに辺り一面に無数の火の粉が舞っていた。
「え?」
突然の非日常に突然の死、そして今度は突然の事態である。あまりに突然が続いたものだから太燿は逆に冷静でいられた。そして空から舞い降りる《誰か》をその瞳に写す。
「カッカッカ。大きな妖魔の気配があると思えば……まさか人の子が襲われとるとは」
その《誰か》は剣を携えていた。ただの剣ではない。剣は煌々と輝き燃え上がっていた。次に目を引くのはその美貌。燃え盛る剣の火に照らされ浮かび上がったその姿はまるで天女のように美しい。
「ほう。我が見えるか。我が名は焔。人の子よ、難儀よな。小さい鬼であれば夢で済んだものが大きい鬼に会ったばかりに夢で済まなくなった」
焔、と名乗った女はすぅ、と太燿の前に降り立つ。無数の火の粉が蛍のように舞い上がり紅蓮の長髪がたなびいた。
一閃。一瞬の出来事だった。焔が手を柄に当てたその次の瞬間、放たれた高速の剣撃で鬼の巨体は十字に斬り裂かれる。鬼はあっという間に幾片もの肉片と化した。さきほどまで鬼であった肉片がが激しく燃え上がる。たちまち火の粉が噴き上がり夜の闇に溶けていった。
それを見届けた焔は振り返り太燿と向き合う。そして太燿の首に剣を突きつけた。
「さて人の子よ。この鬼のように果てよ。どのみち汝は助からん。すぐに果てれぬのであればこの剣で楽にしてやることもやぶさかではない」
火の粉が舞う中で焔は問う。太燿は目を閉じ、死がすぐそこまで迫ってきているのを感じると痛みで働きが鈍くなっている頭で必死に考える。
(この痛みが続くくらいならいっそ――)
だが次々と今までの、陽野太燿という人間が歩んできた人生の様々なシーンが頭の中に思い浮かぶ。
まだ十何年しか生きてはいない。成功した事もあれば失敗した事もあった。やりきった事もあればやり残した事もあった。それらを抱きながら消えていく。死とはそういうものなのかもしれない。たとえ突然の理不尽で訪れた死であっても受け入れざるを得ないものなのかもしれない。だが太燿は思った。
(それでいいのかよ……)
非日常を求めて、その非日常の最中で死ぬ。それは太燿にとって願ってもない、むしろ望むところと思える死に方だ。だがまだクリアしてないやりかけのゲームや読みかけの本、今日見るつもりだったテレビ番組や動画などなど、心残りがたくさんあった。誰かを好きになって告白したりされたり遠くへ旅に出てみたり、やりたい事もたくさんあった。それを成さないまま死ぬ。それでいいのか。非日常に遭遇する夢が叶ったというのにすぐ死んでしまっていいのか。
太燿は思い至った。嫌だ、と。
だから痛みをこらえ、潰れかけの肺を大きく膨らませて精一杯叫ぶ。
「俺は、生きたい!こんなところで死にたくない!死んでたまるかーっ!」
言葉と思いが血と共に口から溢れる。文字通り命を懸けた渾身の叫びだ。意識が朦朧とし始め、程なくして意識が闇の中へ消えていく。
意識が途切れる寸前、焔が一瞬戸惑ったような顔を浮かべた後、これからイタズラをする子供のような無邪気な笑顔を浮かべるのを太燿は見た。