犬冥利
俺の呼び名はシヴァ。破壊神の名前にちなんでいるのさ。ボスがつけて下さったんだ、どうだい、クールだろう?
なに本名?……忘れたな。どうせ大したモンじゃなかったんだろうよ。たとえるなら、一号とか二号とかそんなクソみたいな名前に決まってら。
そうだな、俺がボスのところに来てだいぶん経つな。施設で持て余され気味の俺を、ボスは拾って下さったんだ。あれ以来、俺はボスに命を預けている。
あん?何を変な顔してんだい?ああ、『施設』に引っかかったのかい?別に珍しくもねえだろうよ。ガキも満足に育てられねえクソ親なんざ、世の中には掃いて捨てるほどいらあな。
やれやれ神妙な顔しやがって、これだからお坊ちゃま育ちはよ。
あんたみたいにかーちゃんのおっぱい飲んで育つガキばっかりじゃないのさ、知らねえ訳じゃねえだろう?
同情はよしとくれよ。
だって俺は今、めちゃくちゃ幸せなんだぜ。ボスと出会う幸せを手に入れる為の道のりだったと思えば、面白くもねえ過去すら有り難い、俺は本気でそう思うんだ。あんただっていい伴侶、いい家族に恵まれて幸せなんだろ?
へっ、何を豆鉄砲くらった鳩みたいにきょとんとしてるのさ?
え?なんでわかったかって?そんなもん、あんたのしまりのないふにゃ顔見たら、どんな鈍い馬鹿でもわかるよ。
あはは、怒るなよ。ふにゃ顔は生まれつきだって、そんなむきにならなくてもいいじゃねえか。
……良かったな、あんた。
もし、俺がもっとトンがってた若い頃に出会ってて、今みたいにつっかかってきてたら……あんた今頃、ふにゃ顔どころかぐじゃ顔になってたかもしれねえぜ。
いやいや今思えば若気の至りだけどよ、ガキの頃は荒れてたからなあ、俺は。
おいおい、ヒくなよにいさん。荒れてたのはガキの頃の話だぜ。今は穏やかなモンさ。
下手なところで下手な騒動を起こしたら、何と言ってもボスに迷惑がかかるからな。
そうさ、俺にとっちゃボスが第一。ボスがすべてさ。
俺のことを小声で『東條の犬』とかなんとか、蔑むみたいにいうヤツもいるけどよ、そういうヤツほどぱっとしない親父に連れられた、しょぼくれた三下なのさ。くやしかったら『東條の犬』になってみやがれってんだ。
はは、ナンだかしゃべり過ぎたな。聞きようによっちゃ俺のしゃべり、愛の告白、のろけめいてるかもな。
ま、そう思ってくれてもかまわねえよ。だが言っとくけど俺のボスへの愛は、さかりがついて頭がぐじゃぐじゃになったガキが、ヤリたい一心で弄ぶ、あんな二束三文の愛じゃねえぜ。
欲も得もねえ。ただただ捧げたいんだよ、俺の心、俺の魂をよ。
おっと、ボスが呼んでる。
またこの『紳士の社交場』へ、あんたがあんたのボスに連れられてくることがあったら、そん時はよろしくな。
あんたは育ちが良さそうだからこういう場所は苦手かもしれねえけどよ、悪くないぜ、慣れれば楽しめるさ。
もしつまらねえ野郎にいちゃもんつけられたらよ、東條の犬・シヴァがウシロにいるって言ってやんな。大抵の馬鹿はそれで尻尾巻いて逃げるからよ。じゃあな!
ぐっちん、と名乗った気の弱そうなふにゃ顔の若い男と別れ、俺はボスのおそばへはせ参じる。
ボスのお供で見るようになった、往年の任侠映画のスターを思わせる粋な着流し姿。
何だか俺は涙ぐみたくなる。この粋で渋い、そして情の深い二枚目が俺のボスだなんて、幸せ過ぎて未だに信じられない。
「行くぞ、シヴァ」
ええ、ええ。ボスのお供が出来るなら、地獄の果てまでこのシヴァ、ついて行きます!
だが。
どうもボスの顔色がすぐれない。もしかすると『紳士の社交場』で何か良からぬきな臭い噂でも聞いたのかもしれない。
ボスはふと立ち止まる。俺も止まる。
しかし俺は、ボスが何かおっしゃるまで口を開かない。
当然だ、俺ごときにボスの深謀遠慮など理解できない。口をはさむなどおこがましい、ただボスのおっしゃるままに動く、それが俺の仕事だ。
「シヴァ」
ため息まじりにボスは口を開く。
「あいつが来る」
え、と思わず俺は間抜けな声を上げる。
『あいつ』がわからなかったからじゃない。だけどあの女はずいぶん前に出て行ったきりずっと不義理をしている。
最近では、あの女はもういなかったことになっている。今更のこのこ何しに来やがる。
「あれが外国へ行ったのは、それなりの訳があるんだよ」
言い訳するようにボスは俺を横目で見る。
わかってますよ。
でもあの態度はいただけない。
ボスが身内に優しい……悪く言えば甘いのを承知で、あの女はやりたい放題だった。散々やんちゃをした揚げ句、ボスに尻拭いをさせて小遣いまでたんまりせしめ、後足で砂をかけるようにして出ていきやがったんだ。
今更馬鹿面下げてへらへら戻って来やがったら、塩でもまいて追い帰しゃいいんだ。ボスが出来ないのなら俺がやる。絶対、敷居をまたがさねえ。
「お前は面白くないだろうが……こんなことを頼めそうなのはお前しかいない。あれをどうにか大人しく出来そうなのは、お前だけだろう」
俺はぎょっと親分の顔を見る。どうにか大人しくって……。
「文字通りの意味だ。こんな厄介ごとをお前に頼む、不甲斐ない俺を許してくれ」
「いいんですかい、その……」
「ああ」
ボスは苦み走った顔で短く返事をなさった後、ひたすら前を見て歩き始めた。
ボスに付き従いながら、俺はあれこれ考える。
まあその。
自慢じゃないが、俺がちょいと歌って踊れば、大抵の人間は悲鳴を上げて跪き、甲高い声を上げて許しを請う。中にはいたぶられているのに陶然と俺を見つめる、気持ちの悪いマゾもいる。
あの女は、いけ好かないアバズレかもしれないがボスの初孫で、赤ん坊の頃はボスが溺愛していらっしゃった、という話だ。そのボスがここまでおっしゃるんだ、苦渋の決断だったに違いない。
わかりました。
俺がきっちりあの女をシメて、思い知らせてやりますよ。
ボスとしてもお苦しいでしょうに、そこまで俺を買って下さったというこの事実だけで、俺はもう死んでもいいくらいです。
ボスのような主に仕え、おまけにここまでボスに信じていただけるなんて、まさに犬冥利に尽きます。
東條辰吾郎の犬になれて、俺は幸せです、ボス。
いつも通りに裏庭へ回ると、頭をピンクと黄色に染めたイカレた女が、縁側に座ってブドウを食っていやがった。
一瞬ぎょっとしたが、すぐにあの女だとわかった。昔からイカレていやがったが、ここまで常識外れにイカレていたとは驚きだ。薬にでも手を出してるのかもしれねえ。どこまでボスを苦しめれば気が済むんだこの馬鹿女!
「おい、姐さん」
俺が声をかけると女は顔を上げた。俺を見るとだしぬけに立ち上がった。
(なんだ、やんのか?)
「きゃーん、豆柴ちゃーん!相変わらずカッワイイー!公演の合間を縫って、じいちゃんとこに寄って良かったー。ドッグカフェでお友達、たくさん出来たかなー?」
悲鳴と一緒に、きついドーランのにおいがしみついたピンクと黄色の塊が、ブドウくさい息を吐きながらしなだれかかってきた。
(うわわっ!)
や、やいこらっ。俺はマメシバなんて変な名前じゃねえ!
シヴァだ、シヴァなんだってば。わわわわん!