第六話 聖夜
真斗は目を覚ますと、母さんに深く抱きしめられていた。心がやすらぎ、眠たくなる。しかし、ふと気づくとなんだか苦しい。母さんは、真斗が息ができなくなるほど強く抱きしめていた。
「かあさん、死にそう」
真斗は母さんの胸の中で苦し紛れに声を出した。
「あ、ごめん。大丈夫?」
母さんは慌てて真斗を胸の中から開放し、真斗に優しく微笑んだ。その目は涙で潤い、今にもこぼれ落ちそうである。
「僕は大丈夫だけど、母さんこそ大丈夫?怪我してる」
母さんの顔には数か所の切り傷があり、土で汚れ、黒くなっていた。マントは至る所が裂けていていて、さっきまで、激しい戦闘が行われていたようであった。
「大丈夫よ。じゃあ、少し移動しよっか。あれ?」
母さんが真斗の顔を覗くとスースー鼻息をたてて寝てしまっていた。
数時間前、聖夜と美香は、真斗のイレギュラーの暴走を何とか止めようとしていた。
「まずは、民間人の避難ね」
「やっかいな役人も一緒に避難してもらわなきゃ」
「そうね。じゃあ、それは私がやっとくから、あなたは真斗君を探しといて」
「わかった。あとで、合流しましょ」
そういって、聖夜は真斗を探しに行った。一方美香は、島に来ている他の軍人を招集した。美香はバトルofスクールの守護責任者だったのだ。
「みんな、聞いて。この騒動の原因は、コロシアム内にいた誰かのイレギュラーの暴走だと推定される。諸君は民間人と役人の安全の確保を最優先に行動してもらう。目標のイレギュラーの力は知っての通り、コロシアムを瓦礫の山にするくらいの破壊力がある。港にある船にできるだけ多くの人を乗せ、速やかに和州本島に帰還せよ。行動開始!」
避難は美香の命令で迅速に行われ、数時間で完了した。島には聖夜と美香、真斗の三人だけ。遠くの海の上にはどんどん小さくなっていく船の群れが見える。ちょっと前まで人の声であふれていた港は、波の音が心地よく聞こえるくらい静かになった。辺りはすっかり暗くなり、黄色く光るまんまるな満月が水平線の先から顔を覗かしていた。
ザァー、ザァー
すると、港の反対側のほうで火の玉が天高く上がった。
「あそこね」
美香は急いで火の玉が上がった方向に向かった。すると、聖夜が建物の陰に身を潜めているのが見えた。
「どこにいる?」
美香は静かな声でたずねた。
「今はあの建物の屋上にいる」
「やけにおとなしいわね」
「今がチャンスね。行くわよ」
聖夜と美香は真斗がいる隣の建物の屋上に移動した。嵐の前の静けさかのように、あたりの空気は張りつめ、緊張していた。
「さあ、いくわよ」
聖夜は静かに真斗のいる屋上に飛び乗り、床に手をつけた。
「土壁創造」
聖夜がそう言うと、真斗の周りに床から土の壁が出てきて、真斗を閉じ込めた。
「よし!」
美香が聖夜の隣に移動して言った。
ドーーン!
真斗はいとも簡単に土壁を打ち砕き、中から姿を現した。右半身は黒い炎で包まれ、左半身は白い光で輝く。
グワァーーーーー
真斗は獣のような声で叫ぶと、右手を黒い炎で刀の形にして、聖夜と美香に向って振った。聖夜は床に伏せ、美香は飛び上がる。黒い炎の刃が聖夜の頭上を美香の足元を通り抜けた。刃は少し先の建物を真っ二つにした。黒い炎が一瞬にして切られた上の部分をのみこむ。炎が消えるとそこには何も残っていなかった。炭も残らず、もともとそこには何もなかったかのように消え去った。
「聖夜!あなたがイレギュラーの攻撃を無効化してくれないと。私は物理攻撃を何とかするから」
「あ、ごめん。迫力に圧倒されちゃた。次は大丈夫」
「しっかりしてよ、本当に」
聖夜は、イレギュラーでつくられたものは何でも無効化することができる。しかし、拳や刀で直接攻撃するなどの物理的なものは無効化できないのだ。
聖夜と美香の頬を冷や汗が流れた。
グゥォン
真斗が急に目の前からいなくなった。
「速すぎる。目で追っても、追いきれない。真斗君ってとんでもない力を持ってるわね。あのスピードと黒い炎は人間の想像をはるかに超えているわね。まあ、あなたのイレギュラーもなかなかだけど」
「今は感心している場合じゃないわよ」
グゥォン
気づくと真斗は、二人の真上から左手の拳で攻撃しようとしていた。
「やばいっ」
急に、風が二人を反対方向に吹き飛ばし、真斗の左手の拳を避けた。避けた美香は風の翼を背中から広げていた。美香のイレギュラーである。美香は羽をはたたかせ、自分が後ろに飛ぶと同時に聖夜を前方へ吹き飛ばしたのだ。
「ありがとう、美香!」
真斗の白い光を放つ拳は空を貫いた。すると、さっきまで立っていた建物は跡形もなく吹き飛ばされ、建物が立っていたところを中心に半径50メートルほどの穴があいた。
「あんなのに殴られたら、ひとたまりもないわね」
真斗は、黒い炎の刃を聖夜に向けて五発放った。
スン、スン、スン、スン、スーン
聖夜は手のひらで刃をはじき消す。
グゥォン
真斗は刃を放ったと同時に聖夜の後ろに回り込んだ。拳が聖夜の体を狙う。
「雷光」
聖夜は前を向いたまま、刃をはじいた手と逆の手を後ろに向けて、目が開けていられないほどのまぶしい光を放った。そして、足元から風をおこし、真斗の頭上へ飛び上がった。しかし、
グゥォン
すぐに真斗は聖夜の足をつかんだ。そして、そのまま建物に向って投げつけた。
「さや!」
グゥォン
すると、今度は美香の正面に現れた。真斗は右手を振り下ろし、黒い炎の刃が飛んでくる。
「くっ」
美香はすぐさま上空に飛び上がった。そして、風の翼をで手を包み、真斗に向けて拳を振り下げた。
「暴風拳」
美香の振り下げた拳から、建物を吹き飛ばすほどの風が巻き起こり、真斗に直撃した。真斗はそのまま地面に打ち付けられ動かなくなった。しかし、刃が足をかすめた。どんどんその傷から炎が足をのみこもうとしている。
「やばい。聖夜!今しかない!」
「うわあああ」
聖夜は瓦礫の山の中から立ち上がり真斗に近づこうとした。しかし、次の瞬間、真斗の右手が聖夜のほうを向いた。すると、その手のひらから、勢いよく黒い炎が吹いた。聖夜はとっさに手を黒い炎に向けて、無効化しようとした。
「くっ。なにこれ。無効化できない。いや、違う。無効化しても次から次へと炎が押し寄せてくるから無効化しきれてない。これじゃ真斗に近づけない」
「裂羽」
美香が翼を広げ、その翼から真斗に向って風の羽を飛ばした。羽は真斗の体に傷をつけ、真斗は右手を下ろし、膝をつく。
「マサトーー!」
そして、聖夜が真斗に抱き着いた。その瞬間、真斗の右半身にまとわりついていた黒い炎は消え去り、左半身から放たれていた白い光はなくなった。真斗はいつもの真斗に戻り、イレギュラーの暴走は解かれた。美香の足に付いた黒い炎も消えた。
聖夜は真斗の寝顔を見ながらうとうとしていた。
「あなたまで寝てどうすんのよ」
美香が軽く頭をたたいた。
「あ、ごめん。なんか、急に力が抜けちゃって」
「まあ、ずっと気抜けなかったもんね。真斗君強すぎ。ほんとに死ぬかと思ったわ。聖夜がいなかったら確実にやられてたわね」
「私も、美香がいなかったら、真斗を助けられなかったと思う。ありがとう」
「いやー、照れるなー。今度ご飯おごってもらおー」
聖夜と美香は疲れ気味な顔をして笑った。
「でも、あんたこれからまた忙しくなるわよ。真斗君だって、いつまた暴走するか分からないし。直斗君と霜剣さんは、もう、戻ってこないんだから」
「うん。真斗は私が立派に育てる」
聖夜はしばらく、真斗を抱きながら、声をあげて泣いていた。四人で暮らした思い出を思い出し、もうあの楽しかった時間は戻ってこないのだと現実を押し付けられる。目からあふれ出す涙は止まらない。胸が詰まり、息が苦しくなる。美香は静かに聖夜の頭をなでた。満月の暖かな光が優しく聖夜を包み込む。月が光を照らす真夜中、小さな島で起きた物語の主人公は一人の女性、聖夜だった。