12、妖精大戦ですから。
(様子がおかしい……)
先日来た時と森の様子が違って感じられたのは、私が無意識に広げていた生体ソナーの御蔭もあっただろう。
だが、それ以上に、前回まで静謐だった空気が騒がしかったのが原因だ。
生体ソナーが無くてもその異常には気付けていたに違いない。
汐ちゃんも私の方を不安そうに仰ぎ見る。
「桐花お姉ちゃん……、何か聞こえない……?」
「うん。聞こえる。しかも凄く聞き覚えがある感じがするね」
「私も空耳かと思っていたんだけど、はっきりと聞こえるんだよ……」
私と汐ちゃんは顔を突き合わせて、互いの意見を確認するようにしてその言葉を交わす。
「「猫の声だよね……?」」
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
『ニャーニャニャニャッ! 所詮、知識と欲の王に壊滅寸前まで追い込まれた弱小の風精霊族など相手にならないニャ! しかも、たかだか妖精が一匹! 精霊にすら昇華していない存在が偉大なる精霊ケット・シー族の王、ケティ様に勝てるわけがないのニャー! ニャンゴロリー!』
湖畔の森の影から覗き込むと、いるわ、いるわ。
ぶちやら、とらやら、黒やら、白やら、ミケやら、アメリカンショートヘアやら……。
猫の集積回路とでも呼んでしまいたいぐらいに足の踏み場もないぐらいに、そこには猫がいた。
不自然な程の猫の大量発生。
だが、その猫がただの猫ではなく精霊だというのならば、少しは納得の余地もあるのではないだろうか?
(まぁ、これだけ大きい森だし……。居るでしょ。これだけの数の猫……じゃない。精霊)
この樹海は広い。
植物の王とも呼べるようなイグを中心にして、日本列島数十個分ぐらいには森が広がっている。森に飲み込まれてしまうような錯覚すら覚えるほどに広いのだ。
そんな広い森の中で沢山の猫……もう猫でいいや……が潜んでいたとしても、それほど違和感がないと思うのだ。
むしろ、猫どころか恐竜くらいなら居そうな雰囲気である。
それだけ、この森は摩訶不思議ということなのだろう。
「知識と欲の王にビビって、真っ先に逃げ出した精霊が母様たちの悪口を言うなッ!」
そんな不思議空間の中に鈴の音のような声が響き渡る。
イグの幹を背に息も絶え絶えな様子で、それでも尚、闘志を失わずに相手を睨み付けているのはシルフィであった。
その目の前には、ちょっとあり得ないレベルのデブ猫が存在している。
身長二メートル弱。そして、横幅も身長に負けず劣らず。
手足は短く、まるでテーマパークの着ぐるみの印象を受けるデブ猫である。それでも、動きは機敏なのか、その動きは体重を感じさせないものであった。
まぁ、その動きというのが、シルフィを煽るつもりの腰振りダンスだったわけだけど……。
なんだろう? 妙に腹立つんですけど?
『ばーか! 逃げたんじゃニャいですー! 戦略的撤退ですニャンゴロリー!』
何なの? その不思議語尾は?
私の中の妙なイライラを募らせるかのように、不思議な踊りを踊った巨大猫はそのままシルフィを弄ぶかのように、パシパシと猫パンチを喰らわせる。
猫としては手加減しているつもりなのかもしれないけど、シルフィはせいぜい私の手と同じぐらいの大きさだ。体重差が有り過ぎて、それは一種の拷問にも近い。
「見てられない……!」
私は友人の危機を救う為に木陰から姿を現すことを決意する。
でも、この感じだと一触即発になりそうだよね。
危なそうだから、汐ちゃんには隠れていて貰おう。
「汐ちゃん――……」
「モフモフ……。デッカイ猫さん……。ナデナデ……」
…………。
何故か汐ちゃんの目がキラーンと光っている。
えっと、もしかして猫に心奪われている……、とか?
確かに、汐ちゃんは昔から可愛いものには目がなかった気がするけど、流石にこんなに猫がいたら気持ち悪いと思うんだけど……。うーん、猫好きは違うのかな?
とりあえず、こんな状態じゃ「此処で待っていて」と言っても聞いてくれなそうだ。
危険に晒すような真似だから本当は嫌なんだけど、放っておくともっと大事になりそうだし、仕方ないから連れて行こう。
「汐ちゃん、悪いことしている猫さんのところに行くよ? だけど、危ないから絶対に勝手な行動は謹んでね?」
「は、はい! ……猫さん、うふふ……」
「…………」
とりあえず、口約束は取り付けたけど、果てしなく不安だ。
目を離さないようにしないといけないかもしれない。
「じゃあ、行くよ」
「うん!」
私は汐ちゃんを連れ立って木陰から飛び出す。
「こら! あなたた――」
「ネコネコネ――ッ! モフモフ――ッ! なでなでさせて――ッ!」
「…………」
私の横を高速で駆け抜けた汐ちゃんは、止める間もなく巨大な猫に向けて一直線に走っていく。
そして、そのまま肉厚のボテ腹に飛び込むとバインっと弾かれて地面に転がっていた。
「…………」
誰もが何も発せない時が過ぎ、転んでいた汐ちゃんがゆっくりと立ち上がる。
呆気に取られて、或いは何が起きたのか困惑する者が多い中、汐ちゃんが取った行動は……。
「ネコネコネ――ッ! モフモフ――ッ! なでなでさせて――ッ!」
「二回目!?」
でも、流石に学習したらしく、今度は巨大猫の腹に引っ付いて離れない。
そのまま、ボテ腹をぽよんぽよんとなでなでしているようだ。
『なんニャー!? 貴様はぁ――ッ!? 何処から現れたニャー! というか、このケティ様のお腹で遊ぶんじゃニャ~い!』
ケティというらしいデブ猫ちゃんは、一生懸命汐ちゃんを何処かに追いやろうとしているようだけど、手足が短いせいか汐ちゃんを引き剥がせないようだ。
目を離すもなにもないような展開だったけど、汐ちゃんが時間を稼いでくれている間にシルフィを救出しよう。
「シルフィ、大丈夫?」
「トーカ……? 何でトーカが此処に……?」
「一応、意識はあるみたいだし、大丈夫そうだね。妖精を人間と同じ区引きで考えて良いのかはわからないけど……。イグの方はどう? 何かおかしなことされてない?」
『私の方は問題ありません。それよりもシルフィを……。彼女は私を庇って……』
「ち、違うよ……!? シルフィは……、あいつらがシルフィの一族を馬鹿にしたから……。怒っただけだもん……」
シルフィの声が尻すぼみに小さくなる。
私はその態度に何かを感じて、その視線をイグへと向けていた。
『シルフィの一族は森の中でも有力な種族で、代々私を守護してくれていました。ですが、それ故に知識と欲の王に狙われてしまったのでしょう。今ではシルフィのみが唯一個体となっており、種族名を引き継ぐ形でシルフィを名乗っていますが、彼女はまだまだ子供の妖精……。寂しがり屋で甘えん坊で、そして何よりも人との絆を優先する傾向があります。故に、自らを顧みることなく私を庇ってしまったのです』
「そんなことないよ! シルフィは――……」
『シルフィ……。私はイグ=ド=ラシルです。世界の真理を司る大樹。たかだかケット・シーの爪研ぎの道具にされたところで痛くも痒くもないのですよ?』
イグさん、ケット・シーとやらにそんなことされそうになっていたんだ。
それは少し気にした方が良いと思うんだけどなぁ。
『だから、私を放っておいて逃げるのが正解だったのです。私は何度もシルフィに逃げてと頼みましたよね? 何故、その言葉を無視するような真似を――』
「――嫌だったんだもん」
『? シルフィ……?』
イグの戸惑った声は、シルフィの表情を見たからだろう。
陽気でおちゃらけた行動が大好きなはずの妖精の表情がくしゃりと歪んで瞳に涙を讃えていたのだ。そんな表情を見て、詰問のような質問ができるわけがない。
私だってシルフィがそんな表情をするなんて思いもしなかったわけだし……。
だが、逆に言えば、それだけ彼女は真剣だったということだろう。
「友達や家族が傷付けられたり、失ったりするのはもう嫌だったんだもんッ!」
そう言って、彼女は幼い子どものように泣きじゃくってしまう。
そうか……。
彼女の一族は彼女を残して滅んでしまっていたのだった。
それは一体どれほどの孤独と絶望を彼女に刻み込んできたのだろう?
少なくともいつも陽気な妖精が、真剣に絶望と向き合うほどには刻まれていたのではないだろうか。
そして、色々な偶然が作用して知識と欲の王は斃れた。
だが、彼女を蝕んだ絶望は彼女の心の深奥を侵食し、友に対する異常な執着を生み出した。
それは、殆ど心的外傷と呼べるものだったことだろう。
だから、シルフィは自分の身を顧みることなくケット・シーの集団の前にその身を晒したのだ。
自己犠牲、友情、博愛……綺麗な言葉で着飾ることはできるけども、その実情は自殺と大差がない。
「シルフィ……、貴女のやったことは素晴らしいことでもあるけど、とても危険なことでもあるの。それは分かる?」
「トーカもシルフィがやったことは間違いだったって言うの?」
「それは半分そうだけど、半分は違うよ」
シルフィがやったことは自己満足の自己犠牲であり、問題は何も解決しない上に、本人だけが犠牲になっている……言わば、手の込んだ自殺だ。
だから、それは間違いだと私は思っている。
でも、それは『今の状態』での話だ。
「シルフィがもっと強くなって誰もが敵わないようになったのなら、シルフィがイグを護ることに価値が出てくると思う。それは、イグをきちんと守れることになると思うから」
「今のシルフィじゃ、駄目……ってこと……?」
「えぇ」
私はにべもなく言い放つ。
だって、今のシルフィじゃ、巨大猫の足止めにすらならないんだもん。
そんな状況で、前に出ても全く意味がない。
「でも、シルフィは友達を守りたかったんだ……ッ!」
血を吐くようなシルフィの叫び。
彼女はきっと、自分の力なんて関係なく本当に自分の友達を守りたい一心で行動していたのだろう。
その真っ直ぐさが眩しく、私は少しだけ嫉妬する。
捻れた考え方しかできない私には、きっと一生持てない気持ちだろうから……。
「だったら、言えば良かったんだ」
「え……?」
私は多少の憂さ晴らしを兼ねた明るい声音でシルフィに告げる。
「友達に『助けて!』って。『私の友達を助けて!』って頼めば良かったんだよ。都合の良いことに、ここに一人、友達を助けるのに吝かじゃないシルフィの友人がいるでしょ?」
「トーカが……、助けてくれるの……?」
「逆に聞くわよ? 私がシルフィを助けないと思う?」
私の言葉を何度も心の中で反芻し、その意味を考えたのだろう。
シルフィはついぞ見たこともないような真剣な表情を私に向ける。
「トーカ……、お願い……、――助けてッ!」
……結局はそういうことなのだ。
汐ちゃんもそうだし、私が大好きなこーちゃんだってそうなのだ。
困った人を見たら思わず助けてしまうお節介な性格――……。
近くにいて、その姿を憧れと共に見つめていた私が、それに影響されないわけがないのだ。
だから、私はその言葉に満足げな笑みを浮かべる。
「頼れるお姉さんに任せなさいッ!」
こーちゃんが気合いを入れて吠える時を真似するように、私は……少しだけ恥ずかしかったけど……大声でそう宣うのであった。
―その頃の汐ちゃん―
汐「モフモフ~♪ モフモフ~♪ お腹をモフモフ~♪」
ケティ「ニャ、ニャフン……! ニャ、ニャめぇ~! そんなにモフモフしたらニャめぇ~!?」
桐花(もう、あの子一人でいいんじゃないかな……?)