11、初めての異世界転移ですから。
待ち合わせ時間に遅れた私を、汐ちゃんは両手を振りながら出迎えてくれた。
まるで子供のような対応に焦っていた私の気持ちも思わず和んでしまう。
というか、待ち合わせに遅れる原因を作り出したあの二人の先輩には海よりも深く反省をして頂きたいものだ。
もう少しで、私の顔が般若の面となるところであった……。
「ゴメン、汐ちゃん! 待たせちゃったね!」
「だ、大丈夫です! 私も今来たところですから!」
いや、遠くから見た感じだと結構待っている様に見えたんだけど……。
これも、汐ちゃんなりの気遣いなのだろうか?
それとも、あまり待ち時間を気にしないタイプなのかな?
どちらかと言うと、後者のような気はする。天然なのも手伝って。
待ち合わせ場所は私のいつもの日課にもなりつつある実験場……光隆学園跡地である。
此処にある、世界の境界線が薄い場所を利用して異世界へと転移する。
その前に、まずは汐ちゃんの身体データを取らなければならない。
転移するためには、磁場と電磁波の融合エネルギー《波動》と逆位相の波動が必要となり、その元となる本人の波動を脳内に完全記憶する必要があるのだ。
簡単に言えば、人間の体は電気信号の塊なので、それらのデータを取って、全く逆のエネルギーを与えてやると人間の体は《消失》する。
だけど、電気信号以外にどうやら《存在エネルギー》のような未知のエネルギーがあり、それが消失に反発して別の場所で存在を顕そうとする……それが、私のやっている《転移》である。
反発したエネルギーの送信先の調整がなかなか難しいのだが、そこは慣れで何とかしている。
ティッシュボールで試行錯誤は何度もしたしね……。(遠い目)
そして、《転移》を行う大前提として、忘れてならない作業が転移者本人の電気信号の完全把握なのだ。
私はおもむろに汐ちゃんの手を取ると、本当に待たせちゃってごめんねと言いながら、汐ちゃんの電気信号を脳内に記憶していた。
うん、汐ちゃんの肌はすべすべで柔らかいね。
お姉さんとしてはいつまでも握っていたいほどだよ。
と、いかんいかん。思わず当初の目的を忘れてしまうところだった。
「あの……、少しだけ長く握っていましょうか……?」
「…………」
また本音が共有器から漏れていたようだ。
お姉さん恥ずかしい。
「うん。もう大丈夫だよ。じゃあ、行こうか」
汐ちゃんの手を引いて学園の跡地に入る。
「えっと、桐花お姉ちゃんは何処に向かっているんですか?」
何もない学園跡地に向かうことに疑問を覚えたのだろう。
私だって事情を知らなければ、頭のおかしい人の行動かと疑うところだ。
…………。
ん? ということは、私は今、頭のおかしい人と思われているのではないだろうか?
心なしか、汐ちゃんの表情が引き攣っているように感じてきた。
これは早めに向こうの世界に行かないと駄目だね。
丁度良いことに世界の境界線が薄い場所にも近付いてきたし、天もそれを明示しているってことだね。うん。
「行くよ、汐ちゃん」
「え?」
「Inter-World Over with SHIO!」
私はキメ顔で転移を発動する。
……あれ?
「えっと?」
「あれ? 転移しない? 何で? 出力条件はこれで合っているはずだと思ったのに……。ちょ、ちょっと待っててね、汐ちゃん!?」
「あ、はい」
サプライズに付きものの突発的な緊急事態に襲われながら、私は試行錯誤を繰り返す。
結局、汐ちゃんと共に転移できたのはそれから三十分後のことであった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「…………」
異世界最初の第一歩を踏みしめた汐ちゃんの反応は全くの無反応であった。
というか、顔を真っ赤にして眦に涙を溜めて、ともすれば泣き出しそうなのを必死に我慢しているようであった。
最初は感動して言葉も出ないのかと思っていたが、汐ちゃんの表情が沈痛なのを見て、私は痛恨の誤ちを犯していたことに気付く。
いや、気付くのが遅すぎたと言えるだろう。
何も知らない少女を、何の説明もないままに、何処ぞともわからぬ土地に連れていく……。
そんな所業に感動や喜びがあるわけがない。
ただただ不安で、怖くて、先程まで信じていた人間に裏切られたような気分になるに決まっている。
そんな初歩的なことにも気付かないなんて……。私、馬鹿過ぎるでしょ……。
(何の説明もなく、いきなり見たこともないような場所に連れてこられたら、そりゃ不安になるでしょうに……。何やってるのよ、私の馬鹿……)
汐ちゃんからすれば、拉致されたも同然の扱いだ。
あまりに汐ちゃんが良い子だから、全てを受け入れてくれるだろうと汐ちゃんに甘え過ぎた。
流石に異世界に連れていくのに説明不足が過ぎただろう。
こんなの泣いてしまったとしてもおかしくはない。
私は猛省する……しかない。
「ゴメン。本当にゴメンね、汐ちゃん……。説明もなく、知らない場所に連れてきたりなんかしたら怖いよね……? 汐ちゃんからしてみれば、意味わかんなかったよね。ゴメン……」
「桐花お姉ちゃん……」
汐ちゃんは少しだけ考え込むように俯くと、目元に溜まった涙を誤魔化すようにして袖で拭う。
俯かせていた顔をさっと上げて、見上げるような視線を向けてくる汐ちゃんの顔には、先程までの不安は見えない。
いや……、見えないだけで押し込めているのだろう。
恐らく拭い去ったわけではないのだ。
ニブい私でもそれぐらいはわかる。
「私もいきなりの事で驚いちゃいましたけど……。でも、桐花お姉ちゃんは、お兄ちゃんのことを必死で考えていたから周りが見えていなかったんですよね?」
「うん。そのせいで、一人で勝手に盛り上がって暴走しちゃってた……」
それでも、汐ちゃんに気遣いできなかったことは年長者として恥ずべきことだ。
自分に余裕がなかろうとも、それぐらいは実施して然るべきだったのだ。
そんな私の思惑に気付いたのだろうか、汐ちゃんはゆっくりと頭を振る。
「そんなにお兄ちゃんのことで頭を一杯にしてくれていたから、ちょっと説明を忘れちゃったんですよね? 私はそんなことにも気付かずに、ちょっと知らない場所に連れてこられた事に不安になって泣いちゃって……。私は自分が恥ずかしいです……」
「そんなことないよ。本当は私が汐ちゃんを気遣うべきだったんだ。だけど、色々と夢中になっちゃってその気遣いができていなかった。それに、汐ちゃんなら何も話さなくても納得してくれるって甘えもあった。悪いのは私だよ……。だから――」
私はちゃんと汐ちゃんの目を見て言う。
「――だから、ちゃんと説明させてくれないかな。此処が何処で、そしてこーちゃんは何処にいるのかって事を」
「……はい、よろしくお願いしますっ」
そういう汐ちゃんの顔には、もう目立った憂いはなかった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「い……、異世界ですかッ!? 魔法とか剣とか精霊とか魔物とかそういうのがある!? そういう世界に来ちゃったんですかッ!?」
「う、うん。そうだと思うけど……。その……、汐ちゃん詳しいんだね……?」
何か当初の予想していた反応とは全く違う展開で、私としては少々戸惑った声を出す。
むしろ、汐ちゃんがそういう分野に詳しいとは全く予想していなかった。
そもそも、汐ちゃんの家は貧乏でゲーム機だってないのだから、そういうファンタジーなものに触れる機会はないものだと勝手に思い込んでいたのだ。
ところがどっこい、どうやら汐ちゃんはそういう異世界の情報に私よりも詳しいようだ。
これは大きな戦力補強になるのではないだろうか?
「学校とか町の図書館とかに良く置いてあるんです! ライトノベルって言うんですけど! 中でも転生ものって分野があってですね! 私も好きでよく借りているんです!」
「へぇ~、図書館にそういうのが置いてあるんだ……」
それは盲点だった。
大学の図書館にもそういうのがあるのかな?
時間がある時にでも確認してみようっと。
「大体の転生ものは異世界に行った時に神様からチートなスキルを貰うんですけど……。桐花お姉ちゃんが神様ですか?」
「いや、人間だよ?」
ちょっと普通の人よりも電磁波と親密度が高いだけで、普通の人間です。
多分……。
「じゃあ、私にチートなスキルはないんですか!?」
「えーっと……。ないんじゃないかな……?」
「逸般的な異世界人が持っている無限に収納できて、収納したものの時間が止まるような収納スキルとか、経験値やらスキル経験値やらがやたらと倍増取得できるスキルとか、勝手に言語翻訳して理解してくれるような便利スキルもオプションで付いてないんですかッ!?」
「……良くわからないけど、異世界転生ってそんな便利な状態で始まるものなの?」
「じゃ、じゃあ! ステータスオープン! あ……!」
良くわからない呪文のような言葉を唱えた汐ちゃんの顔が一瞬歓喜に綻ぶ。
……何か見えたのだろうか?
私も気になったので、汐ちゃんと同じ言葉を呟く。
すると、視界の片隅に何やら文字のようなものが浮かぶ。
なんだろう、コレ? 異世界ならではの真理みたいなものなのかな?
ステータスオープンという言葉が引き金になって、魔素に影響を与えて何か現象が起こった?
要するに、地球では水を熱すると水蒸気になるように、魔素のあるところでステータスオープンと言うと何か文字が出てくるのだろう。
それが、こっちの世界の真理ということらしい。
「よ、読めない……」
だが、表情が歓喜に染まったのは一瞬で、汐ちゃんは次の瞬間には崩れ落ちるようにしてガックリしていた。
あ、言語理解の知識を得ていないから、魔素で構成されたこの文字が読めないみたいだね。
私も妖精語と植物語しか理解できないから、大体の部分が文字化けしていて読めない感じだ。
完全言語理解とかの真理があれば、読めるようになるのかな。
「で、でも、ステータスはオープンできたんです! 異世界って感じがしてきました! それでは早速最初の町を目指しましょう!」
「違うよ、汐ちゃん。今日は汐ちゃんに紹介したい人がいるから、その人を紹介させて欲しいんだ」
「え、町に行かないんですか!? 折角、異世界に来たのに!? ま、魔物に食べられて死んじゃいますよ!?」
「あ、それは大丈夫だよ。何か私たち、こっちの世界ではスー●ーマンみたいなものらしいから。だから、魔法を受けても死なないよ」
「えぇっ!? 十分なチートスキル持っているじゃないですかッ!?」
ん? アレ? チート……、スキルかな、これ……?
別に死なないだけで、力とかが強くなったわけじゃないと思うから特に意識してなかったんだけどね……? 考えようによってはチートなんだろうか?
だって、別に素手で壁を壊せるようになったわけでも、ジャンプして木の上を飛び越せるようになったわけでもないし、ただ死に難いってだけで決して都合の良いチートではないと私は思っている。
「ゴメン、●ーパーマンは言い過ぎたかも。私たちの力が上がったわけじゃないから。ただ死に難いってだけだから、無理は禁物だと思う」
「し、死に難い、ですか……。それはまた微妙なラインですね」
「ともすれば、死ぬからね」
「はい……」
まぁ、私に関しては特殊な攻撃技があるから、死に難い恩恵だけでも大分有り難いんだけど。
「あ! でも、あの二人に相談すれば攻撃面は何とかなるかもしれない」
そういう知識のイグの葉が読めれば、多分どうにかなるんじゃないかなと今閃いた。
それを耳聡い汐ちゃんは聞いていたのだろう。期待に満ちた目でこちらを見上げてくる。
ま、まぁ、どうなるかはわからないから、そこまで期待されるのもちょっと。
それよりも、汐ちゃんはそんなにチートスキルとやらに興味があったのだろうか?
というか、チートスキルがあったからといって、それでどうにかなるものなの? 異世界って?
とりあえず、疑問は棚上げしながら、私たちは巨大な森の中を苔生した木々の根を踏みしめて進む。
異世界転移にわくわくの汐ちゃんだったが、こーちゃんを助けるという本来の目的を忘れていないか、ちょっと心配だったのは内緒である。