9、インフラ整備の第一歩ですから。
新たな言語を葉っぱの表面を見ただけで覚えてしまった。
知識の葉……とでも言うべきだろうか?
驚くべき出来事に呆気に取られている暇もなく、私は妖精の言葉に違和感を覚えて尋ね返す。
「えぇっと、妖精ちゃんは今、私のことを勇者って呼んだ?」
「妖精ちゃんじゃないよ! シルフィだよ!」
「あ、宜しくね、シルフィちゃん。私は桐花。遠加野桐花だよ」
「シクヨロ~! トカノトーカ!」
「うん。遠加野だよ。呼びにくかったら桐花でいいよ」
「じゃ、トーカ! シクヨロ~!」
うん、思っていた通り、妖精というのはお喋り好きでお調子者の種族のようだ。
若干、コミュ障な私にとっては喋らなくても喋ってくれる相手というのは非常に助かる。
私だけだと間がもたないからね。
「それで! それで! トーカは何処から来たの!? このイグの森にはどうやって入ってきたの!? 結界は壊してないよね!? それとトーカはやっぱり勇者様なの!? あとほっぺたペロペロしても良い!?」
「お、落ち着いて一つずつ質問してくれると嬉しいかな? あと、ほっぺたペロペロしないの!」
ちっちゃな妖精がちっちゃな舌で頬を舐めてくる感覚というのは、どこかくすぐったい。
物理的にではなく、精神的にである。
何にせよ、シルフィの御蔭で此処が何処かはわかった。
此処はどうやらイグの森というらしい。
少なくとも日本ではなさそうだ。
というか、妖精がいる時点で地球じゃない気はする。
「じゃあ、トーカは勇者様?」
「勇者様って……。どういう意味?」
「イグが言ってたの! 『知識と欲の王』を勇者が倒すだろうって!」
「知識と欲の王……?」
シルフィの視線を追うと地面に横たわるトナカイの姿が見えた。
あれが知識と欲の王? 王というかトナカイにしか見えないんだけど……?
「知識と欲の王はね、沢山の真理を得たことで誰も敵わない存在になったの! 武器も効かないし、魔法も効かないの!」
あのトナカイが? そんな凶悪な代物だったの? いやいやいや、ないでしょ!
それよりも、この世界には魔法とかあるんだねー。
そっちの方に興味津々だよ。
「知識と欲の王はこの辺一帯を自分の縄張りにしていて、逆らう相手には容赦しなかったの! シルフィの仲間もみんないじめられたんだ! でも、魔法が効かないからどうにもできなかったの!」
魔法かぁ……。私の電磁波は何扱いになるんだろ……?
魔法、というよりも波……? というか、波動?
どちらにせよ、この世界ではあまり縁のない力なんだろうな。
だから、知識と欲の王とやらは防げなかったんだろうし。
「でも、トーカが倒してくれたから、森に平和が戻ったの! トーカありがと!」
「あ、うん。どう致しまして」
その時、私の目の前にひらひらと一枚の葉が落ちてくる。
ヤツデ……いや、知識の葉だ。
この葉は一体どこから降ってきたんだろう? 上かな?
「あ、イグっちもお礼が言いたいんだって! イグの葉を見て!」
「え? う、うん。今降ってきたコレね?」
このヤツデっぽい葉はイグの葉というのか。
じゃあ、先程から出ている森の名前にもなっているイグというのはもしかして……。
私はイグの葉に宿る真理を、その目に写し込む。
その瞬間に真理と知識が私に宿り、私は植物の言葉を理解できるようになっていた。
同時に確信も得る。
やはり、イグというのは……。
『初めまして。異世界からの異邦人様。私はイグ。イグ=ド=ラシル。この世界の真理を管理するものでございます。まずは知識と欲の王を倒して頂けたことに対して、お礼を言わせて下さい。ありがとうございます』
私が見上げた先……空一面が生い茂る緑の葉で覆われている。
全貌すら掴めない程の巨木の枝が、どこからともなく響いてくる声に合わせて揺れているところを見ると、つまり……この巨木こそがイグということなのだろう。
東京ドーム何個分なんてみみっちい大きさではない。
日本列島何個分って数えた方が早いぐらいの存在に私はただただ唖然とするしかない。
「えっと、異邦人って、そんなことまでわかるものなんですか?」
驚き過ぎて考えがまとまらない内に口を開くから、こんな頓珍漢な質問が出る。
今返すべきはそこじゃないだろうと、私は三十秒前までの私を殴ってやりたい衝動に駆られていた。
聞くべき重要なことはもっとあるだろうと……少しだけ後悔する。
『はい。私はこの世界の真理を司るものですから』
どこか可笑しげにイグから答えが返ってくる。
ほらー! 変な質問のせいで笑われちゃったよ!
私は気を取り直して質問を続ける。
相手が『自分は色々と知ってますよー』と言っているようなものだから聞かない理由がない。
「あのー、知識と欲の王? とやらを倒して感謝されているところ悪いのですが、このトナカイそんなに強かったんですか?」
罠とか仕掛ければ一発で倒せそうな気がするんだけど。
そんな事ないのかな?
『自らの手柄を誇らず、何事もないように対応なされるとは……。勇者様は謙虚な御方なのですね』
いや、違うよ? 普通にわからないから質問しているだけだよ?
「いや、謙虚とかじゃなくて……」
『わかりました。奥ゆかしい勇者様のために御質問にお答え致しましょう』
うーん。そこはかとなく認識に誤差がある気がしてならない。
大丈夫だろうか?
『知識と欲の王は元は一匹の力ある魔物でした』
「ゴメン、魔物って何?」
『そうですね。勇者様は異邦人でした。魔物に関する知識がないのですね』
「えー、トーカ、魔物も知らないのー。ぷふーっ、シルフィより頭悪いのー!」
「じゃあ、シルフィは知ってるの?」
「シルフィたちを虐める悪い奴のことだよ!」
すびしっ!
私は思わずシルフィにチョップを叩き込んでいた。
シルフィがヘロヘロ~と地面に落ちる。
「痛いよー! トーカ何するの!?」
「これで私も魔物?」
「え? 違う! シルフィたちを虐める奴は全部魔物ってわけじゃない!?」
いや、まぁ、そりゃそうでしょうよ……。
『そうですね。魔物を定義するには魔素と魔石について語らなければなりません』
「魔素? 魔石? 両方とも聞いたことがないんだけど?」
『では、まずは魔素についてお教え致しましょう。魔素というのはこの世界を構成する要素の全てに含まれる必要不可欠な因子のひとつとなります。普段は目に見えないほどの小さな物質ですが、この世界の全てのものに含まれているため、魔素に影響を及ぼすことが出来れば万物に影響を及ぼすことができると言えましょう』
必要不可欠で小さな物質?
電子とか陽子とか中性子みたいなものかな?
この世界では、魔素という要素が物質の根幹にあるらしい。
そう聞くと魔法というものがどういうものかも理解できる気がする。
『魔物は、そんな魔素の結晶体である魔石を体内に持つ生物の総称です。魔石を核に、体内に濃い魔素を巡らせることによって、欲望のままに変異したり、特殊な能力を得たりと、様々な生態を持っています』
あのトナカイも狩られるだけの草食動物の立場が嫌で戦闘能力を持った感じなのかな?
何か気が強そうだったしね。
普通のトナカイなら人間の姿を見た時点で逃げるだろうし。
『知識と欲の王はそんな魔物の一匹であり、本来はそこまで警戒すべき相手ではなかったのですが、彼はそこの湖の水を飲み、偶然にも……『適応』してしまったのです』
「湖の水? 確かに澄んでいて美味しそうに見えなくもないけど……、適応?」
『湖の底をご覧下さい』
イグに言われて透明度の高過ぎる水底を覗き込む。
そこには落ち葉の絨毯もかくやと思われるほどの大量の葉が沈んでいて……。
いや、待て。まさかこれって……。
「もしかして、この水底に沈んでる葉って全部……?」
『はい。私の葉になります』
「それってコレを飲んだりすると……?」
『湖に浸かっている葉の真理全てを得ることになります。ですが、急激な知識の増加に、普通は脳や精神が耐えられません。勇者様にはあまりオススメ致しませんよ?』
「オススメされてもやらないよ!」
いやいや、これ相当ヤバい劇物でしょう?
ちょっと、何の準備もなく飲んでみようとは、とてもではないが思えない。
トナカイスゲーってちょっと思っちゃったよ。
「ということは、知識と欲の王はそれに耐えて物凄い力を得たって感じなのかな?」
『はい。数多の真理を得た知識と欲の王は、この森の生物の中でも……、いえ、この世界の生物の中でも別格の存在へと生まれ変わりました。何せ、この世界の生物であれば、接触しただけで魔素を狂わされる真理を使われて死んでしまうのですから、まさに無敵といったところでしょう』
なにそれ怖い。
え、それに加えての物理無効と魔法無効?
完全に詰んでるのは私の気のせい?
ち、地球人で良かった~……。
『勇者様は純粋な異邦人であった為に、知識と欲の王の魔素操作の影響を受けなかったと考えられます。後は、遭遇した場所も理想的でした。知識と欲の王はこの湖周辺を守るようにしていましたから、大規模な魔法も使えなかったのでしょう。まぁ、勇者様には魔素が少ないので効き目は薄いでしょうが……』
いや、炎とかに焼かれたら死んじゃうからね!?
何、魔法受けても平気みたいなこと言っちゃってるの!?
私が慌ててその事をイグに伝えると、炎が燃えるのも魔素が強く関わっているらしくて、私にはそんなに影響がないだろうとのこと。
なんなのこの世界……。
むしろ、私に傷を付けたトナカイの方が相当ヤバいらしい。
『普通であれば、魔素のない勇者様の肉体には大きな影響を与えることができません。せいぜいが軽い物理衝撃程度だと思います。ですが、知識と欲の王は自分の体中の魔素を片寄らせて、一時的に魔素の少ない部位を作り出して攻撃し、傷を負わせた。これは驚異的な発想と魔素操作能力だと思います』
「……えーっと、ゴメン。さっきから聞いてると、私はこの世界ではナイフで刺されても死なない体のように聞こえるんだけど?」
『ナイフの刃の元になる鉱石にも大量の魔素が含まれていますから、魔素のない体にはほとんど影響しないでしょう。刺さりもしないのではないでしょうか』
つまり、アレか。スーパー◯ンか、私は。
火で焼かれてもナイフで刺されても死なないとか……。
「おけ、把握したわよ。トナカイが厄介な奴だったってことね。あとちょっと気になったんだけど、純粋ってどういうこと?」
『魔素を取り込んでいないということです。本来、異邦人は召喚された際に魔素と融合し、この世界で使える強力なスキルを身につけます。勇者様にはそれがないようですので、混ざっていないという意味で純粋と呼称致しました』
「えぇっ!? 見たこともない魔法使ってたよ!? あれが勇者の魔法じゃないの!?」
「魔法じゃないよ。ただの電磁波だよ」
どちらかというと超能力かな?
だが、シルフィはその言葉に瞳をキラキラとさせる。
「デンジハ! 何それ! 凄そう! 教えて!」
「うーん。教えて出来るものでもないと思うんだけど」
教えてできるようなものなら、楓あたりが既に習得している気がする。
「ユニークスキルなの? それじゃ覚えられないかぁ。残念」
ユニークスキル……。また知らない単語が出てきた。
もー、色々覚えることが多くて大変だよ!
まぁ、それはそれでおいておくとしよう。
何せ、もっと興味ある話題が出てきたからね。
「つまり、召喚された場合には、私と同じ世界の人間がこっちの世界に飛ばされることもあるわけね?」
『そうなりますね』
「イグには、飛ばした人間や飛ばされた人間が何処にいるか把握できる能力はある?」
『それは私の知識にはありませんね。真理とかけ離れています』
まぁ、流石にニッチな知識過ぎるか。
「じゃあ、人探しの知識はある?」
『それでしたらあります。……勇者様は、この世界に人を探しに来られたのですか? 世界を救いにきたのではなく?』
「人探しだよ。……とても大切な人なんだ」
『そうですか。でしたら、その過程で世界も救ってしまわれるのでしょうね』
「片手間で救世主とか、私の評価がうなぎ登り過ぎて怖い……」
そもそも、まだトナカイ倒しただけなんですけど?
いや、まずその勇者情報はどこ経由の話なのか問い質したい。
『勇者様の情報は、この世界の各地で散見されています。私が貴女を勇者だと判断した理由としては、エルフの伝承にある一節と合致したからとなりますね』
「私が来る前より、シルフィには勇者の話をしていたようだけど?」
『この森に関する勇者の伝承は、件のエルフの伝承しかありませんでしたので、勇者様が助けにくると伝えておりました』
なるほど。伝承がひとつで、私の行動がその伝承と完璧に合致したっていうなら、私を勇者と考えるのは当然なのかもしれない。
でも、私はただの電波な女の子だ。
変な期待をされても、身に余るというか、困るんですけど。
「世界を救うとか期待されてるけど、私はそんな大したことはできないよ?」
『御謙遜を。それが勇者様の美徳なのですね』
いや、違うからね?
どうも、何度言ってもわかってくれなさそうな空気を感じる。
とりあえず、ここは話を違う方向に持っていくか。
「不躾ですけど、イグさん。あなた基地局になってみません? それだけの大きさがあると広いエリアがカバーできて非常に助かるんですよね」
『きちきょく? 私の知識にはない言葉ですね』
むしろ、無線知識がファンタジーに浸透していたら怖い。
「えーと、物見櫓のようなものです。情報を遠くに伝えられるようになるというか……」
『それは、何か私に危害を加えるものなのですか?』
うーん。イグの中にデータベースを作って、そこに個人番号を登録して、電波の送受信に対応できるように体質?を改善して……。
危害という危害はないかな?
ただちょっと体質が変わるくらいだけど、大丈夫でしょ。
「多分、大丈夫だと思いますけど、何かあってもすぐにやめるのでちょっとだけやってみませんか?」
『真理を司る樹としては、その新たな真理には興味があります。わかりました、そのきちきょくとやらをお引き受け致します』
「おぉ、異世界インフラ整備の第一歩だ。よろしくね、イグ」
『はい、よろしくです。勇者様』
こうして、私は異世界ネットワーク技術の改善に一歩踏み出したのだ。
あ、それとは別に人探しの真理とやらも後で教えてもらおう。
ふふふ、待っててよ、こーちゃん! 私はすぐに行くからね!
イグ『遭遇した場所も理想的でした。知識と欲の王はこの湖周辺を守るようにしていましたから……』
トナカイ「オララァーン! 湖の知識はワシのもんじゃけぇ! 独り占めじゃけぇ!」
妖精「ウワーン! トナカイがイジメる~!」
みたいな?