ある葉季の日に
アーシャはいつものように一人でいた。外で子供達が遊ぶ声が聞こえたが誰も彼を受け入れていくれるはずがない。だからアーシャはいつも一人で絵を描いている。男の子でも外で遊ばない子もいるものです。窓もカーテンも閉めて静かにいるといつも落ち着くようだ。時々アーシャは思う、なぜ僕はこんなに無口なのだろうかと... そしてそう思うたびに鳥肌がたつのだった。
夕日がカーテンの隙間から部屋をオレンジに染めていた。アーシャは今日、本からうつした綺麗な絵を描きおわった。それは、大空に立派な羽をひらいて森の上を飛ぶカブトムシの絵だった。そして絵のすぐ隣に短くなった色鉛筆たちが転がっていた。アーシャはおなかを空かせながらカーペット上で大の字になってずっと天井をみながら母さんを待っていた。
去年前まではアーシャは世間から一般的な子供のように見られていた。彼のお母さんだってそう思っていた。でもその日から彼は学校をやめたのだ。クラスではいつも一人だった、成績は普通の子達のようだったが、彼がいじめられることは少なくなかった。毎日不安をつのらせながら学校に通っていたが、ある日アーシャは本音を母さんに告白した。当時、母さんはとても悲しかった。なんでうちの子はこうなのだろうか、と思っていた。だがアーシャは涙をながしながら母さんに断ったから、母さんは仕方なく学校をやめさせた。そしてその日からアーシャは外に出る時はいつも不安を抱きかかえるようになった。彼らにあったらどうしようという不安を...
そして先季もいいことは起きなかった。彼の両親は離婚したのだ。父さんは営業者だったがその会社は倒産してしまった。それからいつも酒の匂いを漂わせながら家に帰るようになった。何度も母さんと喧嘩した。その度に母さんの手や肩に紫のあざができた。アーシャは母さんに何も出来なかったことで自分を責めた。何度も自分の腕を強く噛んだ。
そして先季、父さんは自ら家を出ると告げた。すべての服を鞄に詰み、灰色のマリンキャップをかぶりアーシャの頭をなで、おでこにキスをして家を出て行った。それから父さんを一度もみていない。あんなに酒をのんでいたのに最後は男らしく出て行った父さんを思うとなぜか今でもアーシャの目から涙がこぼれそうになる。
玄関からカチャという音がした。母さんだ! アーシャは玄関まではや歩きで行った。母さんが何かが入った紙袋を片手にもっている。
「おまたせ~、今すぐ準備して」
アーシャは分からなかった。
「母さんもうこのナレッポに住みたくないわ、自然がある所へ行きたいでしょう?」
母さんは田舎に住み移ろうと言っているのだ。アーシャはいきなりでびっくりしたが嬉しかった。いじめっ子どもから離れられるし、自然があるところには昆虫もいるはずだ。
アーシャはすぐに準備に取り掛かった。リュックに大切なスケッチノートと色鉛筆、そしてすべての季節の服を入れられるだけいれた。母さんも大きな鞄にできる限り多くの物を詰めた。
「じゃあ 行こうっか」
すべての窓をチェックして、玄関の鍵も確かめてから出発した。もうすぐ陽が沈み夜がやってくる時だった。空は真っ赤になり、辺りは赤い薄暗さに包まれた。都会では高い家屋が日の光をふさぎ、影が染みた歩道を歩いた。アーシャは歩きながら自宅の方へ振り向いた。カーテンが閉まっている三階の窓が寂しそうにみえた。
細い歩道をひたすら歩くと大きい広場に出た。たくさんの人が歩きまわっている。そこが駅前の広場なのだ。
「ほらいそいで!」
”シュテティン駅”という看板をくぐると真っ黒な機関者があった。今にの出発しそうだった。たくさんの人な中を母さんがうまくよけて行った。アーシャは母さんの手をはなさなかった。そして一つの車両の入り口の駅員さんに切符をみせてようやく乗ることができた。車内は結構空いていた。母さんは席に着くと紙袋からホカホカのいもを渡した。腹をすかせたアーシャはそれおいしく食べた。
列車がゴォーーとおとをたてて発車した。アーシャはいもを食べながらずっと窓を見ていた。窓からしばらくは建物しかみえなかった。オレンジに染まったナレッポはとてもきれいだった。ゆっくりと歩くおじいさん、犬をつれた太いおじさん、お父さんとお母さんと手をつないで歩く子供...いろんな人たち、それぞれの生活をアーシャは黙ってみていた。ふと気づくと母さんは寝ていた。よっぽど疲れたのだろう。アーシャはまた窓に目を向けた。5,6階立ての建物がだんだん低くなっていった。そして一階の建物ばかりが続く景色へと変わった。
列車はスピードをゆっくりさせて一つの駅に止まった。母さんは最後の駅に降りるといった。アーシャはじーっと窓を眺めてる。彼の見たものは悲しいものだった。駅にはたくさんの子供達がボロボロの服を着て乞食をしていた。アーシャは反対側の窓を眺めてみた。そこにはずーっと続くスラムがひろがっていた。そんなスラムの手前でアーシャは服が泥で汚くなった母と手をつないだ茶色い肌の子どもと目があった。その子は3,4歳ぐらいで列車の窓から見ているアーシャから目をはなさなかった。そして彼に手を振った。知り合いでもないのに... 友達でもないのに... その時列車はまたゴォーーとおとをたてて出発した。アーシャはその子が手を振るのをずーっと見つめたがやがて見えなくなった。
アーシャに気をむけてくれる人は母さん以外にもいるということが彼にとって嬉しく思えた。
「みなさん!! 授業はじめますよ~」
動物と呼ばれるアーシャの教室はまだ静かになってくれなかった。アーシャはその時窓辺に座っていて隣の子と何も話さないでじーっと窓を見ていた。
「ほら、男子どもお静かに!」
クラス委員長のルナが大声を出すと男子はすぐに静かになってしまう。まるで鶴の一声だ。みんな机に
”星の物語” という本をだした。道徳の教科書なのだ。アーシャも仕方なく机の上に置いた。
「先生~、道徳って何のための勉強なんですか?」
一人の男の子が突然訊いた。みんなその子をバカにするように大笑いした。アーシャは何で笑っているのかさえわからなかった。先生は黒板に書くのをとめた。
「みなさん、今日、家に帰ったらお父さんとお母さんのどちらかが夕飯を作ってくれますか?」
みんなうなずいた。うなずくしかなかった。
「でもこのナレッポの外側には大きなスラムっていう所があるの。そのスラムには皆さんよりも小さい子供が一日中何も食わないで生きているのよ。だからこの”道徳”っていうのは皆さんが今日の夕飯がいかにおいしいなのかを分からせてあげる、いや、気づかせてあげる勉強だと先生は思うの」
クラスがシンとなった。
「先生はこの仕事に就く前にナレッポの役所で働いていたの。その時にスラム調査の仕事が与えられて、そこで貧しい人についていろんなことを知ったんだけど今も忘れられないのは、彼らは先生があげたパンをほかの家族の幼子たち分けたことよ。自分たちも食べたかっただろ~に」
アーシャはその日、先生が言った言葉を今、思い出した。
“今日の夕飯がいかにおいしいものなのかを”
列車はゴォーーとおとをたてて緑の芽が吹く葉季の中を駆け抜けて行った。