6〜出現
「来ませんな。」
痺れを切らしたのか、大佐が呟くように言う。 午前10時15分になっていた。
こちらの冬はあちらに較べて温かい、とはいえ、夜は氷点下に下がる。 そんな凍える野外に丸一晩潜んでいた彼が、少々いらついていたとしても無理は無い。 しかし、そこは先鋭を率いる大佐、こういう時に指揮官が焦り、短気を抑え切れなかった場合に起った悲劇を数多く知っており、それら先人の轍を踏むつもりは更々無い。
「少し部下の緊張を解きます。」
実際は戦闘行動の指揮を取ることは無いものの、一応准将である竹崎の了解を受けると、大佐はハンドトーキーを出して、ペアで森に潜む部下たちに交代で休むよう指示を出す。 こういう時に部下たちは眠る事はないだろうが、楽な姿勢で横になるだけでも体力は回復するものだ。
とは言うものの、竹崎らを乗せてハイヤーを運転して来た軍曹などは、車の中ですっかり寝入っている。 これでも、いざという時は直ぐに対抗出来るというのだから、ベテランの兵士とは恐るべきものだ、と兼田は思った。
ベテランと言えば、あの女中佐は相変わらず革ジャンにジーンズ姿で、一軒の廃屋の壁に凭れかかって腕を組んでいる。 その姿に気負いや緊張は見られない。 その視線は中空を見つめたまま動かない。
彼女の得物はなんだろう? 身体は鍛えてある。 空手の大家か? 拳銃の名手か、それともナイフだろうか? 彼は、この大柄な女性が人を殺すシーンを思い浮かべる。 間違いなく無表情で一気に決めるだろう。 甚振りながら止めを刺すのを先に延ばすような、そんな異常さは、この中佐からは感じられない。 ただ仕事の一環として、プロフェッショナルとして淡々と人を殺す精密なマシン。 そんな感じが彼女からは漂う。
と、その時、中佐の視線がすっと彼に流される。 中佐は身動きせずに目だけを動かして彼を見た。
兼田は背筋が凍り付くような恐怖を感じた。 辺りを眺め回している最中に兼田と目が合う、これなら分かる。 しかし、彼女の事を考えている時に、相手から視線を送られたとなると、なんとも不気味な気がしてならない。 その視線が獰猛な爬虫類を思わせる、この場の空気よりも冷たく、身も凍るものだとすれば・・・
彼は逃げるようにゆっくりと視線を外した。
11時直前。 突然、それは始まった。
最初は周辺部に展開する大佐の部隊に異変が起る。
「タ、イサ・・・」
「誰だ? どうした、符丁を忘れるな。」
「・・・・・・」
「こちらパッション3、バディが・・・」
「パッション3、状況を報告しろ!」
「・・・・・・」
「パッション5よりサーチャー、相棒の様子が変です、突然卒倒しました。」
「パッション5、メディカルを向わせる、何かの発作か?」
「・・・・・・」
「パッション5! どうした、応答しろ!」
やがて大佐は通信を諦め、竹崎に、
「多分、来ました。 奴らです。」
と、落ち着いた声で、
「どうか車にお入り下さい。」
大佐は駆け出そうとした衛生兵を止めると、
「無駄だ。 貴様もやられるぞ、ここにいろ。 まあ、命は取られまい。 一時的に無力化しているだけだろう。」
そして大佐と竹崎周辺に残った5名の兵は、ハイヤーを中心にゆったりとした円を描いて、銃を周囲に向ける。
女中佐は廃屋から身体を離すと、竹崎と兼田の乗るハイヤーへとやって来る。
「3キロほど北西側、4名。 内2名はサイ、です。」
「そうか、予想通りだな、中佐。 対抗出来そうか?」
「今、やってます。」
言いながら中佐は車を離れ、まるで散歩でもするように山の方へぶらぶらと歩いて行く。
「奴ら、ですか?」
「そのようだな。 劇的な登場をするつもりらしい。」
「一体、奴らは何を仕掛けて来ているんです?」
「気になるか?」
「当然です。」
「君は超能力を信じるかね?」
「はあ? 見たことはありませんね。」
「じゃあ、間もなく見るだろう。」
「超能力、ですって? 准将は信じておられるので?」
「信じるも信じないも君の勝手だが、私は事実サイが存在する事を知っているからな。」
そういうと彼は懐に手を入れ、コンパクトな22口径を兼田に擬する。
「な、何を。」
「銃を貰おう。 ゆっくりと、だ、口も閉じてろよ、でないとお互い困った事になる。」
兼田は、型破りとは言え武装警察の士官である。 近接戦闘術もマスターしており、彼に向けられた銃を掻い潜って、不穏分子を逮捕したことも一度や二度ではない。 一瞬反射的に反応しそうになるが、竹崎の態度を見て動かない事に決めた。
落ち着き払っていたからである。
兼田は、黙って懐に手を入れ、竹崎の物よりは大きめな38口径を取出し、安全装置が掛かっている事を目視すると、銃把を先に竹崎へ差し出す。
「いい子だ。 悪いが先に弾倉を取出してくれ。 何をして欲しいか分かるよな?」
茶化す様な言い方だが笑いはない。 兼田はリリースボタンを押して弾倉を外すと、15発入っている9ミリ弾を指で器用に弾き出す。 ボトボトと重い音を立て弾が座席にこぼれ落ちる。 竹崎は更に顎でそれを示し、兼田は弾を集め、それを銃と供にグローブボックスへ入れる。
「懐が涼しいかい? 済まんが我慢してくれ。」
兼田が座り直すと、銃を向けたまま竹崎は、
「サイが君を操る場合に備えないとな。 そう言って説明しても分からんだろう? だから悪いがこうさせて貰った。」
「その物騒なモノはしまっていいですよ。 准将と争うつもりはありません。」
「スマンな。 セーフティを解除した銃を、狭い空間でいつまでも持っていたくはないからな。」
竹崎は安全装置を掛けて銃を収めると、ドアを開けて、
「大佐!」
「なんでしょう?」
「再確認だ。 奴らは間もなくここへ来る。 打ち合せ通り先制攻撃はいかん。 自衛も物理的攻撃に対抗するだけ、精神攻撃には反撃はしない。 いいね?」
「は、はい。」
「中佐が奴らとやり合っている、手出しはするな。」
「了解です。」
そしてドアを閉めると、
「サイというのは実にやっかいでね、イリュージョンとの違いが分からない場合がある。 タネがあるのがイリュージョン、無いのは超常現象、定義は簡単だが、うまいイリュージョンとサイキックとの区別が付きにくい例が多くてな。 まだ、サイキックは理論が確立していない。 解らない事が多過ぎるのだよ。」
「・・・済みませんが・・・。」
竹崎は手を振って、
「理解しろ、と言う方がおかしいんだ。 見もしないで信じろ、と言うのもね。 君の銃を無力化した事だって理解し辛いだろうが。」
「ええ。 訳が分かりません。」
「その内分かる。 近い将来必ず、な。」
そして彼らがやって来た。 人気が絶えて以来、山道を辿る者も絶え、温泉場から集落に通じ、集落から山へと抜ける道も路肩が崩れたり、落石や倒木がそのままだったり、せっかくの舗装もひびが割れたりと散々だったが、その道を山から、堂々と四人の男がやって来た。
目立ったのは道の両端を歩いて来る2人。 遠目にも大男だということが分かる。 身長2メートルに近いのではないか? 深いフード付きアノラックを着て、ズボンはゆったりとした降下兵用の迷彩ズボン、アノラックと共に、季節に合わせ白とグレーが基調の冬期迷彩だ。
それは真ん中2人も同じ格好、但しこちらは標準サイズのようだ。 やはりアノラックのフードを深々と被り、顔が影になっていて人相は分からない。
兼田はその悪鬼じみた奴らの様子に、内心穏やかでなかった。 何か人を不安にさせる構図がその光景の中にある。 確実に近付いてくる奴らの、どこに見る者を不安に陥れる要素があるのか。
そして兼田は気付く。 シンメトリーなのだ。 4人の男たちは、真ん中の二人を芯に左右がシンメトリーに見える。 両端の大男は双子と言っても良い位、似通った体型、身長は全く一緒ではないかと思われる。 真ん中を歩く2人も背格好、姿形は瓜二つに見えた。